ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- / Top↑
◆天の雪 地の炎 【長編・完結】

  天の雪

▼作品傾向:異世界ファンタジー・剣・天界・友情・恋愛・美形▼


 光溢れる天界――
 だが、三百年続いた安寧の時を打ち壊すかのように、天王の側近・紫姫魅天が叛旗を翻した。天界の秩序を護るために七天は天王に紫姫魅討伐を命じられるが――   
            
 エセ天界ファンタジー。インド神話やヴェーダ神話とは、何の関係もありません(滝汗) 天界という名の異世界として楽しんでいただければ幸いです。 

 ※作中、同性同士の恋愛に近い表現がありますので、苦手な方はご遠慮下さい。



【INDEX】

  ◇序章            
  ◇一の章          
  ◇二の章           10 11 12
  ◇三の章           10 11 12 13 14 15 16 17
  ◇四の章           10 11 12 13 14 15 16 17 18
          19 20 21 22 23 
  ◇五の章     
  ◇終章       



スポンサーサイト
2009.06.02 / Top↑
  ――右手に《天》を
     左手に《地》を
  
     頭上には《神》という名の王冠を
     足下には《罪》という名の足枷を――





 

← NEXT

ブログパーツ
2009.06.02 / Top↑
――調和・平穏・安泰・光・夢・希望
   天界とは、常に輝きに満ちた世界で在らねばならない
   過去・現在・そして未来永劫……

   だが、時として我らは戦わねばならない
   それがどんなに虚しく悲壮な戦いであっても

   何が故に?
   答えなど出るはずがない――





天界統治者・天王居城――天空城

 
 天空城の一角――大きく張り出した露台に一人の青年の姿があった。
 手摺りに肘をつき、組んだ両手の上に憂いた顔を載せている。
 時折そよぐ風が青年の長い銀髪をさらう。
 物憂げな蒼い瞳が印象的な美しい青年だ。
「兄者、兄者……! どうなされた? 随分と浮かない顔をされている」
 不意に、背後で自分を呼ぶ声が響く。
 銀髪の青年――彩雅(さいが)は、驚いて振り返った。
 碧い髪と瞳の女性が立っている。
 その位置からでは彩雅の表情など見えるはずもないのに、彼女には不思議と手に取るように解るらしい。彩雅の顔色も心情も。
 自分と同じ顔をした女性を見つめ、彩雅は柔らかい笑みを湛えた。
 双子の妹――水鏡(みかがみ)だ。
「久し振りだね、水鏡。何故、天空城へ?」
 彩雅は静かに問いかける。
 彩雅と水鏡は、共に天王を守護する《七天》の一人であった。
 氷天・水天・炎天・雷天・風天・空天・地天――七人の神のことを総じてそう呼ぶのだ。
 彼らの城は、天界統治者である天王の居城・天空城を護るように配置されていた。
 北に氷天の氷輪城。
 南に水天の水滸城。
 北東に風天の風凪城。
 南東に雷天の黎光城。
 北西に地天の善地城。
 南西に炎天の煌緋城。
 そして、天空城の真上に、宙に浮く空天の鳳凰城。
 天界では滅多に戦は起こらないが、万が一戦乱が勃発した場合に備えて、それぞれの城に七天が配置されているのだ。無論、天王を守護するためである。
 彩雅は氷天、水鏡は水天の任を負っていた。
「私は天王様に召されたのだが……」
 水鏡が兄の隣に並ぶ。
「まだお逢いしていないのか?」
「逢ってない。兄者の姿を見かけたから、つい寄り道をしてしまった。――兄者はもう逢われたのか?」
「いや、私もまだだよ」
「そういえば、先ほど雷天と空天を見かけたな」
 ふと、思い出しように水鏡が告げる。
 それを聞いた彩雅の眉根が微かに寄せられた。
「雷天と空天も? 水天であるおまえと氷天である私を入れて、七天のうち四人までもが天王様に呼び出されたというのか?」
 怪訝そうに首を捻る彩雅に、水鏡は苦笑を向けた。
「さあ? 私は久し振りに兄者に逢えると思ったから入城したのだし……。だが、聞くところによると地天にも声がかかったらしい。空天が入城すると聞いて見合わせたそうだが」
「ああ、あの二人は昔から仲が悪いからな。どちらかと言えば、地天が一方的に嫌っているように見えるけれど……。まあ、それは措くとして、我らに一斉に声がかかるとは何が起こったものか? 天王様にお逢いしなければな」
 彩雅は深い溜息を落とすと、手摺りから離れた。
 彩雅と水鏡が連れ立って露台を出ようとしたその時、
「――どうやら、七天全員に声がかかったようだな」
 二人の前に一人の少女が姿を現した。



 
← NEXT
→ BACK
2009.06.02 / Top↑
「風天!」
「翔舞!?」
 彩雅と水鏡の驚きの声が重なる。
 眼前に現れたのは、七天が一人――風天・翔舞(しょうぶ)であった。
 薄紫の髪に紅玉の瞳がよく映えている。
 見る者に冷淡な印象を与える少女だが、その美しさは『天界随一』と誉れに高い。
 翔舞は長い髪を優雅に揺らめかせ、二人に歩み寄ってくる。
「私は天王様に逢ってきたのだが、私と入れ替えにそなたの親友――炎天が天王様の元へ向かったぞ、氷天」
 翔舞はチラと彩雅を見遣った。
『炎を司る炎天と氷を司る氷天が親友だとはおかしな組み合わせだ』と、翔舞はいつも首を傾げずにはいられない。相反しても可笑しくない一族同士なのに、二人――いや、水鏡を含めて三人は、幼き頃から非常に仲が良いのだ。
「綺璃(あやり)もなのか?」
 彩雅の疑問に、翔舞は首肯で応じた。
「それで、天王様は我ら七天に何用だったのだ?」
 水鏡の碧く澄んだ瞳が翔舞を捉える。
 天王が一度に七天全員を招集するなど、稀有なことだ。大規模な祭りや宴がない限り、七天が天空城に首を揃えることはない。
 だが、本日は特別な催しもないのに全員が城へ呼ばれている。
 異例の出来事――それだけに天王の用件が気になるところであった。
「――戦が始まる」
「えっ?」
「何……だと?」
 翔舞の簡素な応えに、水鏡と彩雅が同時に目を瞠る。
 翔舞は今、《戦》と口にしなかっただろうか?
 彩雅たちの記憶が正しければ、ここ二百年――天界は安泰を保っていた。
 先の乱で天王に背いた阿摩天(あまてん)が討伐されて以来、ずっと平和な日々が続いている。穏やかで安らかな微睡みに包まれているのだ。
 その世界に、新たな戦が起ころうとしている。
 彩雅たちが驚くのも無理はなかった。
「先日、地天――蘭麗(らんれい)が闇討ちに遭ったそうだ。かなりの深手らしい」
 微かに表情を曇らせる翔舞。
「まさか!? 蘭麗ほどの者が……?」
 彩雅は驚愕を隠しもせずに疑問を口にした。
 蘭麗は女性ではあるが武術に長けた人物だ。いや、蘭麗だけではない――七天の誰もがそうだ。天王を守護するために、様々な武術を会得しているのだ。天界広しといえども七天に敵う神武将は、そうそう存在していないはずである。
「襲ったのは――紫姫魅天(しきみてん)だ」
 翔舞が苦渋に満ちた声音で告げる。
『紫姫魅』と口にした時の彼女の顔は、痛々しいほどに歪められていた。
「そんな馬鹿なっ! 紫姫魅は天王様の側近ではないかっ!? なのに、天王直属の七天に手をかけるとはっ……!?」
 水鏡が叫びに近い声をあげる。翔舞の報告を俄には信じられなかった。
 紫姫魅というのは、天界の外れにある紫毘城に住まう神のことだ。
 城の近くには魔物の巣窟《妖魔の森》があり、そこを見張ることが代々の城主の役目なのである。
 当代の紫姫魅も例外ではない。
 加えて彼は、水鏡が述べた通り天王の側近であり、古くからの友でもあった。
 七天に刃を向けるということは、即ち――天王の怒りに触れるということだ。
 天王の片腕であり親友である紫姫魅が、蘭麗を手にかけるとは到底考えられない。そんな愚行を犯すような男ではないのだ、紫姫魅天は。
「紫姫魅天は謀反を起こしたのだよ。蘭麗を傷つけたのは、宣戦布告といったところだろう。あの男――前々から怪しいとは思っていたが、まさか天王の座を狙っていたとはな……」
 翔舞の瞼がそっと伏せられる。
 短い沈黙の後に、再び開かれた紅玉の瞳は鋭利な光を宿していた。
「我ら七天は生命を賭して天王様を護らねばならない。紫姫魅を討伐せよ――それが天王様のお言葉だ。但し、事は大きくせず、七天だけで片をつけてほしいそうだ」
「可能な限り内密に、か……。天王様は長年の友に裏切られのだ。心痛も大きいだろうし、紫姫魅の謀反を公にしたくはない、という気持ちもあるのだろうな」
 水鏡が率直な見解を述べると、翔舞は一つ頷き、また言葉を紡いだ。
「私は先に城へ戻らせてもらう。水鏡、そなたも自分の城へ帰った方がよさそうだぞ。如何に水底の聖域――水滸城といえども、力の源である水天がいなければ脆くなるもの。隙を突かれて紫姫魅に攻められては大変なことになる――無論、我が風凪城もな……。では、失礼する」
 翔舞は麗雅な双子に向かって一礼すると、踵を返して二人の前から立ち去った。
 ――虚しい戦だ……。
 数歩進んだところで、不意に双眸から熱い液体が零れ落ちた。
 ――強く、美しく、そして愚かな男よ。せめて、おまえの息の根は私が止めてやろう。
 翔舞は頬を伝う涙を拭おうとはしなかった。
 ただ何かに耐えるように、形の良い唇をきつく噛み締めた――




← NEXT
→ BACK

ブログパーツ
2009.06.02 / Top↑
 遠ざかる翔舞の後ろ姿を、彩雅(さいが)と水鏡(みかがみ)は並んで眺めていた。
 翔舞の凛とした後ろ姿がいつもより物悲しく瞳に映るのは、気のせいだろうか……。
「兄者――私は水滸城へ帰るぞ」
 しばしの沈黙の後、水鏡が彩雅を見上げる。
 碧い煌めきを放つ双眸は、彼女の強い意志を表していた。
「天王様にはお逢いしないのか?」
 彩雅は、妹が意を翻さないことを承知で――それでも、そう問いかけずにはいられなかった。折角、久し振りに再会を果たしたのだ。天王の用件とは別にもう少し同じ時を共有していたい、というのが彩雅の本音だった。
「戦が始まるのならば、私がここにいても仕方ない。私のすべきことは一つ――天王様もそれは承知しているはずだ」
 水鏡の言葉には迷いがない。
 代々の水天にはある使命が課せられている。水滸城の奥には、水天だけが扱うことのできる秘宝が隠されているのだ。
 先視が出来る《水鏡(すいきょう)》
 水鏡には、天王でさえ識ることの出来ぬ未来を予見することが可能なのだ。
 紫姫魅討伐を決定した先に何が視えるのか、水鏡はありのままを天王に伝え、彼に迫る危機を全力で回避させねばならない。
《水鏡》で未来を覗く――それが水天に与えられた大きな使命だ。
「……そうか。私は天王様に逢ってくる。おまえのことも伝えておくよ」
 彩雅は柔和な笑みを妹へ向けた。水鏡が己の責務に誇りを持っているのが解るからこそ、これ以上の引き留めは出来ない。
「ありがとう。私は、我が一族が何より心配だ。逢ったばかりなのに、すまない、兄者」
 水鏡が微かに表情を曇らせる。碧い瞳がサッと彩雅の左手を盗み見る。
 妹が気遣わしげな視線を左手首に走らせたのを感じて、彩雅は胸中で苦笑した。
 彩雅の左手首には極端に太い銀細工の腕輪が填められている。水鏡はきっとその腕輪の下に隠されている傷痕を想起したのだろう。
 もう何百年も昔のことなのに、妹は未だに蟠りを持っているらしい。
 ――これは、私にとって必要な儀式だった。だから、水鏡が己を責める必要はないのに……。
 彩雅は口には出さずに心で呟き、さり気なく妹の視界から左手を外した。
「いつでも逢えるよ、水鏡。私たちは遙かな昔は一つだったのだから」
 彩雅が優しい微笑みを向けると、水鏡はハッと現実に立ち返ったようだった。眼差しが素早く彩雅の顔へと戻ってくる。
 彩雅は自分と同じ顔を静かに見つめ返した。
 鏡を見ているかのように全く同じ顔だ。
 異なる点といえば、性別と髪の色くらいのものだ。
 彩雅と水鏡は、先の氷天と水天との間に生まれた御子だった。およそ四百年前に二人はそれぞれ氷天と水天の地位を継承している。以来、居城も率いる一族も全く別々だ。だから、兄妹といえども頻繁には逢うことは叶わない。彩雅にも水鏡にも護るべき一族がそれぞれあるのだ。
「そうだな。では兄者、失礼するぞ」
「ああ。気をつけて――」
 彩雅は言葉に念を込めて唇に乗せた。
 ほんの一瞬だが、不吉な予感のようなものが脳裏をよぎったのだ。
 予知だろうか?
 だが、彩雅は予知能力など持ち合わせてはいない。むしろ長けているのは水鏡の方だ。その水鏡に何も反応がないのだから、気にする程のものではないのだろう。
「どうかしたのか、兄者?」
 彩雅の凝視に気づいた水鏡が首を傾げる。
「いや、何でもない」
 彩雅は取り繕うようにもう一度微笑んだ。
 釣られるように水鏡からも笑みが返ってくる。
「そうか。――またな、兄者」
 水鏡が軽やかに背を返す。
 彩雅の目前で、碧い髪がフワリと宙を舞った――

     *



← NEXT
→ BACK
2009.06.02 / Top↑
   *

 おかしい。
 先刻から同じ所ばかり何度も通っている――
 天空城を後にした水鏡は、この奇妙な事実に気がつき、足を止めた。
 視線を周囲に巡らせる。
 視界は三六〇度、深い緑に覆われている。
 水鏡が今立っているのは、森の中なのだ。この森を抜ければ、水滸城が沈む巨大な湖に辿り着くというのに、歩いても歩いても一向に森が終わる気配はない。
 何かの妖かしに囚われたか、何者かの術中にはめられたとしか考えられなかった。
 ――妖魔か?
 この天界で公然と天王に刃向かってくるのは、妖魔一族のしかいない。
 彼らの至上の歓びは、神々を喰らうことなのだ。《妖魔の森》の奥深くには、永き間に渡って幾多の天を貪り喰い、強大な力を得た魔物たちが棲み着いているという。奴らはしばしば《妖魔の森》を抜け出し、獲物を求めて天界を彷徨っているのである。
「フフフッ……」
 ふと、冷たい笑い声が水鏡の耳に届けられる。
 ――笑い声? やはり妖魔か?
 水鏡は双眸を鋭く細めると、片手を剣の柄へと伸ばした。
「――誰だ!?」
 険しい声音で誰何する。
 笑い声の主を捜そうと視線を動かした時、
 シュッッ!
 何かが物凄い速度で空を裂いた。
 ヒュン、ヒュン、ヒュンッ!
 と、続け様にソレは水鏡に襲いかかってきた――森の木々だ。
 突如として樹木が自由自在に枝を伸ばし、それを鞭のようにしならせて水鏡を狙い始めたのである。
「樹が相手とはな」
 水鏡は忌々しげに口の端を歪めると、樹木の攻撃を身軽に躱しながら鞘から剣を引き抜いた。
 薄青に輝く透明な刃が美しい細身の剣――水鏡の愛刀《青漣(せいれん)》だ。
 樹木の攻撃を避け、後方に宙返りする。
「行くぞ、青漣っ!」
 着地と同時に、青漣で襲い来る枝を薙ぎ払う。
 青漣の刀身は主の声に呼応するかのように青白く輝いていた。
 水鏡は四方八方から伸びてくる枝を目にも止まらぬ速さで斬り落とし続ける。だが、樹木は次から次へと連続攻撃をしかけてくる。
 ここは森なのだ。無数の木々が存在している。つまり樹木による攻撃が尽きることはない、ということだ。
 これでは埒が明かない。
 早々に樹木を操っている何者かを引きずり出す必要があった。
「チッ……! 切りがないなっ」
 水鏡は舌打ちを鳴らすと、防御の姿勢を解き、その場に片膝をついた。
「悪いな、蘭麗。大地から水を貰うぞ」
 青漣の切っ先を地面に突き刺す。
 片手を地に添え、瞼を閉ざした。
 動きを止めた水鏡に木の枝が容赦なく絡みついてくる。だが、水鏡はそれには目もくれずに一心に祈り続けた。大地に眠る水が自分に力を与えてくれるように。
 地天・蘭麗の許しを得たのか、地中の水が一気に蠢き始める。
 水の力が地に刺した青漣を介して水鏡に伝わってきた。
 青漣から蒼い冷光が漲り、水鏡の全身を包みこむ。
 水の力が充分に得られたところで、
「――青漣っ!」
 水鏡はカッと双眸を見開いた。
 青漣を地から引き抜き、鮮やかに刀身を一振りする。
 同時に、青漣の刃から蒼き閃光が飛び出した――水鏡の力を孕んで煌めく水だ。
 放たれた特別な水は、龍が如く空を駆け抜け、瞬く間に木々を打ち倒した。
「流石は水天・水鏡殿。そう簡単には捕らえさせてくれませんね」
 神々しい光が消え、水が大地に還った直後、すぐ間近で若い男の声が響いた。
「おまえが首謀者か……」
 水鏡は厳しい表情で声のした方向に首を巡らせた。
 声の主が樹木を操り、攻撃を仕掛けていたことは間違いない。
 木陰から背の高い男が姿を現す。酷薄そうな灰色の眼差しが、真っ直ぐに水鏡を射た。
「初めてお目にかかります、水鏡殿。俺は、紫姫魅天配下の悧魄(りはく)と申します。紫姫魅様の命令により、あなたの生命をいただきに参りました」
 水鏡の前で立ち止まると、悧魄は悠然と微笑んだ。




← NEXT
→ BACK
2009.06.03 / Top↑
「紫姫魅は――叛逆者だぞ?」
 悧魄(りはく)の不敵な笑みを真っ向から見返し、水鏡(みかがみ)は青漣を構え直した。
 端整な顔立ちや微笑に惑わされていけない。
 この男は自ら名乗ったのだ――叛乱の神・紫姫魅の手の者だと。
「そんなことは百も承知です。これからは、天王に代わり紫姫魅様がこの天界を支配するのです」
「馬鹿げた妄想だ」
 水鏡はキッと悧魄を睨めつけた。
 天王を侮辱する発言だけでも腹立たしいのに、紫姫魅が天王に取って代わろうだなんて笑止千万。叶わぬ夢だ。
「私の知るあの男は、そんな妄執に囚われるほど愚昧ではなかったはずだが?」
「ええ、紫姫魅様は聡明な方です。近頃は天界の各地に妖魔が出没しているような酷い有様です。――衰えたのではないですか、天王の力が?」
「妄言は吐かぬ方が身のためだぞ」
「果てして、妄言でしょうか? 平和な黄金時代は終焉を迎え、時は混沌の時代へと移り変わろうとしているのですよ。紫姫魅様はいち早くそれに気がつき、《天王》として機能しない当代を見限り、新たな天界を造り直そうと高潔な志を抱いているのです。全ては天界のため――あの方はそう仰いました」
 悧魄の灰色の双眸が強い輝きを灯す。
 そこには紫姫魅に対する揺るぎない忠誠心と敬愛の念が含まれていた。
 悧魄は純粋に紫姫魅の思想を信じ、彼の全てに心酔しているのだろう。
「天王様の力は衰えてなどいない」
「そう思うのは、あなたの自由です。ですが、紫姫魅様は必ず天王の首を獲りますよ。水鏡殿、あなたも我が主の元へ来ませんか? 今なら紫姫魅様もあなたを味方として快く受け入れて下さるでしょう」
 悧魄が笑みを湛えたまま突拍子もない申し出を放つ。
「あの男、私の先視が余ほど邪魔なのだろうな」
 水鏡は脳裏に紫姫魅の美麗な姿を思い描き、失笑する。
 黒とも深い緑ともとれる黒緑の長い髪。闇から生まれ出でたような瞳。
 恐ろしく美しい男神――その身に孤高の影を纏わりつかせて生きてきた男が、今更味方を欲するわけもない。
 紫姫魅が水鏡を手に入れたいと願うのならば、それは先視が鬱陶しいから。ただ、それだけだ。天王と自分の間に立ちはだかる障壁を手っ取り早く除去したいだけだろう。
「折角の誘いだが、私の主は――生涯天王様だけだ」
「そんな冷たいことは仰らないで下さい。――さあ、水鏡殿、俺と一緒に紫姫魅様の元へ参りましょう」
 悧魄の灰色の瞳が水鏡を射る。
 顔は笑みの形を象っているのに、その灰色の眼精だけはゾッとするほど冷ややかだった。
 ――何……だ……?
 水鏡は不愉快さに眉を跳ね上げようとして、それが実行できないことに気がついた。
 悧魄の冷たい手が水鏡の手を握り締める。
 不快なのに、水鏡の身体は思うように拒絶反応を示せなかった。全身の力が奪い取られたかのように動けない。
 ――この男……他者を操れるのか?
 悧魄は植物を操っていた。その力が多少なりとも水鏡に影響を及ぼしているのかもしれない。
「水鏡殿――」
 悧魄の顔がスッと近寄ってくる。『水鏡を手に入れた』という勝者の笑みが満面に広がっていた。
 その他人を小馬鹿にしたような微笑みが、水鏡の怒りを再燃させた。
「ふざけるな……!」
 水鏡は押し殺した声音で吐き捨てると、下唇を自ら噛み切った。
 血の味が口内に広がる。
 同時に呪縛が解けた。
 水鏡は唇から鮮血が流れ落ちるのも構わずに、素早く青漣を握り直した。
 悧魄の手を柄で打ち、脇腹に強烈な蹴りを見舞う。
 不意を衝かれて防御の態勢をとれなかった悧魄は蹴りをまともに喰らい、派手に地面に倒れ込んだ。
 水鏡は悧魄を睥睨すると、その鼻先に青漣を突きつけた。
「おまえの負けだ、悧魄」
 冷徹に宣告する。
 しかし、悧魄は口の端を歪めてニヤリと不気味な笑みを浮かべるのだ。
 水鏡の背筋に得体の知れない悪寒が走る。
「――――!?」
 唐突に右足が物凄い力で引っ張られた。
 右の足首に太い木の枝がしっかりと巻き付いていたのだ。
「貴様っ! 卑怯だぞっ!」
「卑怯? これは俺の《力》ですよ。もうとっくにお察しでしょうが、俺は植物を自在に操れるんです」
 悧魄が薄く微笑む。
 彼の言葉を実証するかのように、足を絡め取る枝が力を増した。
「――ぐっ……!」
 木の枝がギリギリと力強く足を締め付けてくる。
 苦しさに歪む水鏡の顔を眺めて、悧魄は再び冷笑した。
 ボキッッ……!
 鈍く嫌な音が響く。
「っうっっっ……!!」
 水鏡はガクリとその場に膝を着いた。
 右足がへし折られたのだ。
 膝から下が奇妙に方向にねじ曲がっている。
「骨が折れたようですね。形勢逆転――というところですか。素直に従っていればよかったものを……。美しいあなたを殺すのは気が引けますが、紫姫魅様のためです――死んで下さい、水鏡殿」
 悧魄が懐から短刀を取り出す。
 彼は刃先を軽く水鏡の胸に当てた。
 狙いを定めた悧魄が、水鏡に止めを刺そうと短刀を高く振り上げた時、
「七天に剣を向ける愚か者が! それ以上水天を傷つけることは許さぬ」
 凛然とした声とともに天空から迸った閃光が悧魄を貫いた――




← NEXT
→ BACK

ブログパーツ
2009.06.03 / Top↑
「――――!?」
 思わぬ攻撃を受け、悧魄の身体が弾け飛ぶ。
 彼は数メートル後退ったところで辛うじて体勢を立て直した。顔には驚愕と畏怖が貼りついている。
「引け! 次は手加減なしで心臓を撃ち抜くぞ」
 再び凛とした声音が森の中に響く。
「貴様っ……何者だっ!?」
 悧魄が苦悶の表情を浮かべながらも叫ぶ。
「おまえ如きに名乗ることもなかろう。引けというのが解らぬのか?」
「――チッ……! 一度に七天を二人も相手にするのは、流石に俺も御免ですね」
 悧魄が忌々しげに舌打ちを鳴らす。
 転瞬、彼の姿は忽然と消え失せていた。
 声の主に気圧されたのか、勝つ算段がつかなかったのか――とにかく悧魄は空間を歪めて瞬間移動したらしい。
「オーイ、大丈夫か、水鏡?」
 声の主が、緊張感の欠片もない言葉を発しながら傍にやって来る。
 水鏡は、先ほどまでとは打って変わったように飄々と喋る男の正体に思い至り、苦笑いを洩らした。
 折れた右足の痛みに耐えながら彼の方へ顔を向ける。
 見事なほどに純粋な黄金色の髪に、嫌でも目が惹きつけられる。
 青緑の双眸を持つ華麗な男が立っていた。水鏡を見下ろす顔には掴み所のない笑顔が浮かんでいる。
 男の姿を確認し、水鏡は思い切り眉根を寄せてやった。彼に助けられた事実が嬉しくもあり、癪でもあったのだ。
 現れたのは、七天が一人――雷天・瑠櫻(るおう)だ。
「瑠櫻……何故、ここへ?」
 水鏡の質問に、瑠櫻は形の良い唇をつり上げて悪戯っぽく微笑んだ。
「愛しの姫君の後を追ってきたら、ここへ来るのは当然。未来の妃に何かあっては大変だからね」
「だっ、誰が妃だ、瑠櫻っ!?」
「水鏡に決まってるだろ。他に誰がいる? あっ、彩雅ちゃんでもいいけど、彩雅ちゃん胸ないしなぁ……」
 冗談とも本気ともつかないような口調で述べ、瑠櫻は両手にヒョイと水鏡を抱き上げる。
「私はおまえの妃になるつもりはないぞっ! 無論、兄者もだ! 離せ、瑠櫻っ!」
 水鏡は瑠櫻の腕の中でじたばたと藻掻く。
 勝手に懸想するのは構わないが、それをこちらにまで押し付けられてはたまらない。
「離してもいいのか? 足の骨を折ったんだろ?」
 瑠櫻が瞳を輝かせて水鏡を見つめる。この状況を愉しんでいるらしい。
 水鏡は暴れるのを止めて、口許を戦慄かせながら瑠櫻を睨めつけた。
「貴様、どうせ骨が折れるまで隠れて見ていたのだろう!」
「アレ、見透かされちゃった? いや、悪い悪い。てっきり彩雅ちゃんだと思ったから、しばらく放っておいても大丈夫かなぁ、なんて――」 
 悪びれた様子もなく瑠櫻が破顔する。
「兄者だったら助けなかったのか?」
 水鏡は額に青筋を浮き立たせ、再度瑠櫻を非難した。
「えーっ、だって、彩雅ちゃんを助けても、オレに何の利点もないもん。それに、彩雅ちゃんなら寧ろもっと大怪我するまでこっそり見てたいな、オレ。責め苦に耐え忍ぶ彩雅ちゃんて、きっと魅力的だと思うよ」
「……馬鹿だな、貴様は。後で兄者に伝えておくからな。いや、綺璃に告げ口してやる」
 水鏡がニヤリと笑うと、瑠櫻は心底嫌そうに溜息を洩らした。
「そっちこそ告げ口なんて大人げないな。頼むから、それだけは勘弁して下さい。あの、彩雅ちゃん大好き熱血火の玉男とやり合ったら――オレ、死んじゃいますから。……お兄さんははね、君たちより少しばかり長生きしてるから、体力的にどう足掻いても敵いません。なので、全力疾走の青春とか火傷しそうなほど熱い友情とか――そういうのにオレを巻き込むのは、ナシの方向でお願いします」
 捕らえどころのない軽い調子で瑠櫻が告げる。
 だが、僅か一瞬、瑠櫻の眼差しに寂しさと孤独の影がよぎったような気がした。それは水鏡の錯覚ではないはずだ。実際、彼は癒されぬことのない疵を独りで抱え、永き刻をたゆたってきたのだろうから……。
「……了解。綺璃には言わぬ。大体、私と兄者は髪の色が違うのに、間違える方がおかしいのだ」
 水鏡はさり気なく逸れかけた話題の軌道を修正した。
「顔が全く同じなんだよ、君たちは。――ところで、腕は離してもいいんでしたっけ、お姫様?」
 瑠櫻の柔和な笑みが水鏡の視界を独占する。
 急に接近してきた端整な顔に驚き、水鏡は慌てて彼から顔を背けた。
「……勝手にしろ!」
「ハイハイ。勝手にさせていただきます。水滸城までお送りしますよ。大切な妃ですから」
「妃じゃないっ!」
「じゃあ、妃にするまでさ」
「呆れた男だな……」
 水鏡は大仰に溜息をついた。
 結局自分は、いつも瑠櫻の粘り強さには太刀打ちできないのだ……。
「それは、しつこくもなるさ。こんなに素っ気なくされるのだから――」
「…………」
 瑠櫻の言葉に対して水鏡は何も応えず、沈黙を保った。
 瑠櫻の胸中くらい理解している。
 彼は、確かに自分に愛情を注いでくれている。
 だが、それは幻想だ。
 水鏡の碧い髪と瞳が、瑠櫻の心を乱し、惹きつけているのだ。
 何故なら、四百年前に没した瑠櫻の先の妻――久摩利(くまり)が、水鏡と同じように碧い髪と双眸の持ち主だったのだ。
 可憐な花のように繊細な美しさを備えていた久摩利天。
 瑠櫻は、単に水鏡に久摩利の幻影を重ねているに過ぎない。もっとも瑠櫻本人は、それに気がついていないのかもしれないが……。
 それが、水鏡の心をひどく憂鬱にさせているとも知らずに。
 ――私は……久摩利天ではない。
 水鏡はもう一度深い溜息を落とすと、瑠櫻の腕の中で静かに瞼を閉ざした――

     *



← NEXT
→ BACK
2009.06.04 / Top↑
     *

 水天居城――水滸城 


 深い湖の底に、精緻で精巧な造りの城が沈んでいた。
 外壁が水晶で覆われている美しい建造物だ。特殊な細工が施されているのか、水底の城は自ら仄白い輝きを発している。
 幽玄と夢幻の美を兼ね備えた水宮。
 水に護られている金城湯池――それが、水天・水鏡と《水の一族》が住まう水滸城である。

「――瑠櫻様!? おいでになるのでしたら、お迎えに参りましたのに!」
 水鏡の第一側近である霖(りん)は、城内に姿を現した金髪青年の姿を見て、驚きに目を瞠った。
 雷天・瑠櫻の神々しい姿が前触れもなしに出現すれば、誰だって驚くだろう。加えて、彼の腕の中には何故だか負傷している主の姿もある。
「いいんだよ、霖。瑠櫻が勝手にきたのだから」
 水鏡が冷たく言い放つ。
「しかし、王――」
「オレのことは気にしなくていいよ。それよりも水鏡の手当てを頼む」
 水鏡に反論しかけた霖を素早く遮り、瑠櫻は柔和な笑みを浮かべる。
「右足が折れている。オレがついていながら――悪いね」
「いいえ。――霞!」
 霖は軽く首を横に振ると、何もない虚空に向かって声を放った。
 直後、空が裂け、そこから一人の女性が姿を現した。霖と同じく水鏡の側近である霞(かすみ)だ。
 彼女は瑠櫻の前に着地すると、優雅な身のこなしで跪き、頭を垂れた。
「お久しゅうございます、雷天様」
「やあ、相変わらず綺麗だね。この城は美人揃いだから、来る度に癒されるなぁ、オレ」
 瑠櫻が脳天気な声音で告げ、更に顔を綻ばせる。
「貴様、私の一族に手を出したら――殺すぞ」
 水鏡が鋭い一睨みを与えると、瑠櫻の笑顔は苦笑へと変じた。
「ハイハイ。嫉妬しないの。オレには水鏡だけだから安心しろ」
「だっ、誰が嫉妬などするものかっ!」
 水鏡がギョッと目を剥き、頬を紅潮させる。
 主の顕著な反応が怒りゆえなのか羞恥心ゆえなのか、霖には判別がつかなかった。ただ、瑠櫻を相手にする時だけは、水鏡が常より可愛らしく見えることは確かだ。
「水鏡様、興奮なさっては怪我に障りますわ。お部屋へ参りましょう」
 霞がすっくと立ち上がり、今にも瑠櫻に掴みかかりそうな水鏡を嗜める。
「では、雷天様、失礼致します――」
 霞の白い手が水鏡の腕を取る。
 転瞬、二人の姿はその場から切り取られたかのように綺麗さっぱり消えていた。
「――瑠櫻様、《地の一族》の女王が紫姫魅天に闇討ちされた、と聞きましたが、本当なのでしょうか?」
 女性陣の姿がなくなり、周囲に誰もいないことを確認すると、霖は瑠櫻に懸念たっぷりの眼差しを向けた。
「おや、情報が早いね。まっ、隠しても仕方ないしな。それは――事実だよ」
 瑠櫻が軽く肩を竦め、霖を見返してくる。宝玉のような青緑色の双眸には、真摯な光が灯っていた。
「でも、オレは納得できずにいる。蘭麗が紫姫魅の手下にやられたなんて、到底信じられないね。瀕死の状態で発見されたらしい……。アレはそう簡単にヘマするような女じゃないんだけどな」
 瑠櫻の秀麗な顔に困惑の色が浮かび上がる。
 霖も彼と同意見だった。
 地天・蘭麗は、思慮深く聡明で――そして優れた武将でもある。
 いくら闇討ちに遭ったとはいえ、蘭麗が虫の息になるまで徹底的に叩きのめされるとは信じがたい出来事だ。
「では、やはり――ご病気だというのは真実なのでしょうか?」
 霖は痛ましげに目を細め、再び不安を瑠櫻にぶつけた。
「病気? アレが病に侵されているなんて、聞いたことないけど――ああ、いや……噂を耳にしたことがあったような、ないような……。えー、でもアレッて、もう百年だか二百年前に聞いた気がするけどなぁ? 最近、五十年以上前の出来事は忘れるようにしてるんだよね、オレ」
 瑠櫻が不思議そうに首を捻る。
「私が聞いた噂は割と最近のものですよ。地天様の善地城に赴いた時に、懇意にしている側近仲間から入手したのです。地天様はかなり以前から重い病気に罹られているとかで、もう長くはないかもしれない、と……。七天の皆様方はご存知ないのですか?」
「本人の口から聞いたことはないね。アレの性格を考えると、絶対にオレたちには言わないと思うけど。あいつは七天一の意地っ張りだからね。水鏡が可愛く見えるほど、素晴らしい意地の張りっぷりだよ。――そんな蘭麗が死ぬなんて……いや、不吉な想像は止めておこう」
 瑠櫻が何かを打ち消そうとするかのように、小さくかぶりを振る。
 溜息を一つ零した後、瑠櫻は気を取り直したようにいつもの微笑を口許に閃かせた。
「今の話は二人だけの秘密ってことで――よろしく」
「……かしこまりました」
「じゃ、オレはこれで失礼するよ。水鏡に『愛してる』って、百回くらい伝えといてくれ」
 適当な言葉とともにニッコリ微笑み、瑠櫻がクルリと踵を返す。
「百回くらい――って、『くらい』って何ですか? 私が殴られますから」
「それじゃ、二百回に増やしといて」
「間違いなく、殺されますから。――お送りしますよ、瑠櫻様」
 霖は苦笑いを浮かべると、瑠櫻の軽口を強引にぶった切った。彼の言葉を一々真に受けていたら身が保たない……。
「いや、遠慮するよ。霖は水鏡の傍にいてやってくれ」
 瑠櫻は簡素に告げ、こちらを振り向きもせずにヒラヒラと片手を振る。
「はい。――では、お気をつけて」
 去り行く瑠櫻の背に向かって、霖は丁寧に頭を下げた。
 瑠櫻の姿が見えなくなる頃合いを見計らって、面を上げる。
 霖は憂う瞳で城内に視線を巡らせた。
 紫姫魅天による地天の闇討ち。
 天王に召された後、負傷して帰還した大切な主――
 何かが少しずつ悪しき方向へ流れている気がしてならなかった。
 暗暗とした胸騒ぎが芽生える。
 と、そこへ――
「霖様っ!」
 バタバタバタッと足音を響かせて侍女が駆け寄ってきた。
「どうした?」
「水鏡様がお呼びです」
「解った。すぐに向かう」
 霖は一つ頷き、優雅に身を翻す。
《水の一族》特有の碧い髪が流れるように尾を引いた――

     *



← NEXT
→ BACK
2009.06.04 / Top↑
    *

 水鏡の私室は、城のほぼ中央に位置している。
 扉の両脇に立つ近衛に目礼すると、霖は躊躇わずに王の居室へと足を踏み入れた。
「水鏡様、何か御用ですか?」
 室内を進みながら、水鏡の姿を素早く目で探す。
 水鏡は、柔らかい天鵞絨の長椅子に半ば身を埋めるようにして横たわっていた。
 霖はチラと水鏡の右足に視線を流した。有り得ぬ方向へ折れ曲がっていた足は、正常に戻っている。不自然なところは見受けられない。霞の治癒能力で完治したのだろう。
 それでも少しばかり痛むのか、水鏡の眉間には微かな皺が寄っていた。
「紫姫魅が――天王様に叛旗を翻した」
 長椅子からゆっくりと身を起こし、水鏡が明瞭な口調で告げる。
「紫姫魅天が――!?」
 霖は素直に驚きの声を発した。
 先ほど瑠櫻から地天を襲ったのは紫姫魅天の部下だと聞いてはいたものの、まさか彼が天王にまで牙を剥くとは想像だにしていなかったのだ。
 紫姫魅が地天を襲撃したのは個人的なものではなく、天王に対する紛れもない宣戦布告――つまりは、そういうことなのだろう。
 しかし、紫姫魅が天王を裏切ったなど、俄には信じられない。
 二人の仲の良さは周知の事実なのだから……。
「そうだ。七天に『紫姫魅討伐』の命が下った。私は、奥の間で《水鏡(すいきょう)》を視なければならない」
 水鏡は真摯な眼差しを霖に向けてくる。彼女の怜悧な双眸が事の重大さを物語っていた。
「私が奥の間へ入っている間は、一族のことはおまえに任せる」
「水鏡様!?」
「《水鏡》を覗いている間は、私は夢うつつの状態だからな。とてもじゃないが、一族のことまでは気が回らない。だから、おまえにお願いしたいのだよ」
 水滸城の奥の間――そこには先視の神宝である《水鏡》が設置されている。
 代々の水天だけが扱うことを許された、未来と真実を映し出す鏡。
 水天は鏡と精神を繋げて、鏡が示すものを視る。並外れた集中力と精神力を必要とするため、鏡を覗いている間の水天は意識が飛び、放心状態に陥ってしまうのだ。
 視えた未来に対して、水天は直接関与することを許されてはいない。傍観者に徹することを定められている。だが、助言を与え、未来をよりよい方向へと導くことは可能だ。《水鏡》を覗くことは、何らかの形で必ず天王の役に立つ。
「《水鏡》を覗いている間に、不逞の輩が忍び込んできたらどうするのですか? 水鏡様といえども容易く生命を獲られてしまいますよ」
「だから、そうならないように霖に頼んでいるのだろう。――私にしかできぬのだ。天王様を護るためには、私が未来を視なければならいのだよ」
 霖の反論に対して、水鏡は諭すように静かに語りかけてくる。
 霖は憮然と片眉を跳ね上げた。
「私は、天王様のために生きているのではありません。我らが女王のために存在しているのです」
 霖が低い声音で告げると、水鏡の顔には苦笑が広がった。
「私は、七天が一人――水天なのだよ。守護闘神として天王様をお護りするのが本来の使命だ。そして、この《水の一族》を護ることもな……。おまえなら解ってくれるだろう? 霖、少しの間、おまえに城と一族を預けていいな?」
 水鏡の清廉とした声が、霖の耳に深く浸透する。
 水天は《水鏡》の一部なのだ。水天なしでは神宝もただの鏡でしかない。
 それは重々承知している。
 当代水天である水鏡以外に《水鏡》を操ることのできる人物がいないことも。
 霖は、主人に反駁することを止めて、理解を示すように一つ頷いた。
「……了解致しました。この生命に代えても我が主・水鏡様と水滸城、そして一族を護ってみせます。ですから、安心して奥の間へお入り下さい」
「ありがとう、霖」
 霖の返答を耳にした瞬間、水鏡の顔に晴れやかな笑顔を花開いた。
 主の心からの謝意を受け取り、霖は彼女に微笑み返そうとした。

 ――リーン、リーン……。

 だが、何処からともなく聞こえてきた金属音が、霖の動きを止めた。
 
 ――リーン、リーン……。
 
 耳障りの良い高音が響き渡る。
「これは……鈴の音ですか? 一体、何処から――」
 霖は室内を見渡し、小首を傾げた。
 音は確かに聞こえるのに、その発生源はこの部屋にはないようなのだ。
 水鏡にも不可思議な金属音は聞こえているらしい。
 彼女の碧い瞳は、何処か遠くに馳せられていた。
「……《地》が――震えている」
 水鏡の唇が掠れたような呟きを発する。
「水鏡様、今、何と仰ったのですか?」
「《地》が震えている――」
 もう一度同じ言葉を繰り返すと、水鏡はもっとよく音に集中するためにそっと瞼を閉ざした。

 ――リーン、リーン……。

 静寂の中に美しい玲瓏だけが漂う。
 物悲しく、そして儚い旋律――




 この日、誰の胸の裡にも暗澹とした不安が芽吹いた。
 それは同時に、静かな乱の幕開けでもあった――


     「一の章」へ続く




← NEXT
→ BACK

ブログパーツ
2009.06.04 / Top↑
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。