ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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◆鬼哭の大地 【長編・完結】

  鬼哭

▼作品傾向:異世界ファンタジー・剣・魔法・伝説・流血注意▼


 大陸の南端に位置するロレーヌ地方――キール・イタール・カシミアの三国が『平和協定』を結び、永きに渡って平穏に治めてきた。
 だが、大陸歴一二八五年、カシミア王ラパスがキールに侵攻を開始することにより、『平和協定』が反故にされる。
 ラパスの凶行を食い止めるために、闘いの女神として祭り上げられたのは、弱冠18歳のキールの王女アーナスだった――



【INDEX】 

  ◇序章    
  ◇1.王都炎上        
  ◇2.偶像崇拝          10 11
  ◇3.黒衣の花嫁           10 11 12 13
  ◇4.二神邂逅           10 11 12 13
  ◇5.生誕――再び春    
  ◇6.月姫の花葬           10
  ◇7.夏の鎮魂歌           10 11 12
  ◇終章   


同シリーズ
◇紅蓮の大地【完結】


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2009.06.06 / Top↑
『ロレーヌ、ロレーヌ
 美しき故国よ
 私を赦したまえ


 全知全能なる神エルロラよ
 私に力を――


 私を知らずに育ちゆく子孫よ
 汝に神剣ローラを授ける


 ロレーヌ、ロレーヌ
 赦したまえ、非力な私を……


 私は、
 永遠の眠りに就く――』




       大陸暦一二八六年
        ギルバード・アーナス・エルロラ



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2009.06.06 / Top↑
 冷たい風が吹いている。
 風に誘われるようにして、無数の黄砂が宙を飛び交う。
 目の前をよぎる砂塵が、少年の輝く白金髪をフードから引っ張り出し、風に乗せた。
「……酷いな」
 風に翻弄される髪をフードの中に押し込み、マスクを鼻の上まで引き上げ直しながら、少年は率直な感想を洩らした。
 唯一フードから覗く翡翠色の双眸は、憂いに満ちている。
 辺り一面の荒涼とした風景を目の当りにしたからだ。

 見渡す限りの砂漠。

 草木の姿など何処にも見当たらず、今にも崩れ落ちそうな砂岩の群れだけが虚しく立ち並んでいる――そんな大地だった。
 ――この地は荒んでいる。
 少年は、頼りなげな砂の感触を足下に覚えながら歩を進めた。
 もう半日以上も、こうして荒廃した大地を歩き続けている。
 砂漠に足を踏み入れる直前、食料と水の補給の為に立ち寄った村では、この砂漠が以前は『緑豊かな沃土』だったと教えられた。
 二十年前ほど前に勃発した大戦の際、近隣の町や村は戦火に焼かれ、大地も炎にまみれた。
 大火は十日以上も鎮火せず、その間に町や村、人々を呑み込み、緑を食い尽くした。
 残ったのは、荒れ果てた枯れ野のみ……。
 戦乱が終結しても痩せこけた大地を復興する動きは起きず、放置された地はこの二十年足らずで急速に砂漠化したのだという。
 少年がこの世に生を享けたのは、戦争が終結する間際のことだった、と、彼は育ての親から聞かされていた。
 だから、少年はその戦争を直接知りはしない。
 大人たちの口から間接的に、曖昧な事実を入手したに過ぎないのだ。

 約二十年前に起こった大戦争。
 ロレーヌ地方で巻き起こった戦は、大陸中に驚愕と戦慄をもたらした。
 ロレーヌが、キール、イタール、カシミアの三国に分裂し、『平和協定』を締結してからおよそ千二百年後――その『平和協定』が史上初めて、公に破棄されたのである。
 カシミアがロレーヌ全土を支配しようと目論み、他の二国を裏切ったのだ。
 一年半に渡る『ロレーヌ戦争』は、カシミアの勝利によって終焉を迎える……。
 ロレーヌ三国はカシミアによって統一され、カシミア王ラパスによる冷徹で悪辣な政が、今もなお続いていた。

『血と殺戮のロレーヌ戦争』と大人たちが口を揃えて語る戦争について、少年が得た知識というのは、その程度のことである。
 一ヵ月前、少年は大陸一般で『成人』と呼ばれる一八の誕生日を迎えた。
 その日、少年は育ての親から実の両親のことと、少年の故郷がロレーヌであることを告げられた。
 養父母は、両親の遺品を少年に託すと『ロレーヌへ行きなさい。そこに、おまえの《運命》が待っている』と言い残し、この世を去った。
 少年の誕生日に、養父母は得体の知れぬ暗殺者達に襲われたのだ。彼らは生命を懸けて少年を護り、逃がしてくれた……。
 出生の秘密。
 謎の襲撃者。
 養父母の遺言。
 信じられぬような出来事を記憶に抱えて、少年はやってきた。
 己れの《運命》が待つというロレーヌに――
 だが、訪れた故国は、無残にも頽廃の道を辿っていた……。
 この滅びへと進みゆく地に、何が待っているのか、少年には見当もつなかった。



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2009.06.06 / Top↑
 ひたすらに砂漠を歩き続けていた少年は、ふと足を止めた。
 延々と広がるように見えた不毛の地が、唐突に終わりを告げたのである。
 前方に、村らしき小さな集落が見えた。
 村や町の存在は、砂漠の終着点を示す。
 少年の顔は、我知らず綻んだ。
 ようやく砂まみれの徒歩から解放されるのだ。
 少年は、心を埋め尽くそうとしていた『養父母の死』という哀しみを払拭するように、立ち止まっていた足を大きく前へ突き出した。
 そのまま駆け出そうとした時、
「――待つがよい」
 嗄れた声が、少年を引き止めたのである。
 少年は驚きと共に再び足を止め、キョロキョロと辺りを見回した。
 自分以外の人の気配など、微塵も感じなかった。
 それに、つい先刻までは、確かにこの砂漠には自分一人しか存在していなかったはずだ。
「待たれ、若いの」
 不思議がる少年に、声は呼び掛け続ける。
 だが、少年には、声の持ち主が何処にいるのか捜し当てることが出来なかった。
「ここじゃよ、ここ」
 少年の困惑に気付いたのか、次の声は幾分優しげに響いた。
 すぐ傍で聞こえる声。
 頭上から降り注いでいるようだ。
 声に誘われるように、少年は顔を上げた。
「――あっ……!」
 ほんの僅かな時間、驚愕に目を瞠る。
 少年の隣にある砂岩の上に、何者かが座っていたのだ。
 少年は、初め『それ』を人間だとは見極められなかった。
 岩と同じような色褪せた外套を纏った小さな塊――だが、よくよく目を凝らして見ると、砂岩と同化しているかに見える物体は、皺だらけの老人だったのである。
 声の主は、間違いなく老人だろう。
 深い皺を刻んだ顔の中で怜悧な光を宿す双眸と、両手に大事そうに抱える一メートル強の細長い包みが印象的だった。
「僕に……何か用ですか?」
 少年は多少の気味悪さを感じながら、怖ず怖ずと老人に声を掛けた。
 いくら村が近いとはいえ、砂岩の上に座り込んでいるなど狂気の沙汰だ。
 炎天下の砂漠では自殺行為。干からびて死んでしまう。
 だが少年の見る限り、老人は至って元気そうだった。
 常人ではなく魔物か何かの類いかもしれない、と本能が警告を発した。
 少年の声に含まれる緊張と警戒を、老人は悟っているのかいないのか、
「美しい声じゃの……」
 少年の質問とは全く見当違いな返答を述べたのである。
 その声音に、懐かしむような、愛しむような響きを感じて、少年は怪訝そうに小首を傾げた。
 記憶の中に、この老人の姿はない。
「若いの、何処へ行く気じゃ?」
 老人は少年の戸惑いを無視して、問い掛けてくる。
「ロレーヌのイタール国です」
「そんな国は、この先にはないぞ。十八年前に滅んだ国じゃ……いや、滅ばされた国じゃ」
 老人の眼差しが、探るように少年を射た。
「……言い方を間違えました。僕は、カシミア国イタール領へ行きたいのです」
 少年は素早く訂正した。
 間を空けずに、老人の口から妙に疲れ切った溜め息が吐き出される。
「十九年前にキールが……そして、十八年前にはイタールがカシミアによって滅ぼされた。滅んだ地に、何の用じゃ?」
 老人の嗄れた声は、重々しく苦渋に満ちている。
 双眼に垣間見えた暗い光は、憎悪の炎だろうか……?
「僕が生まれたのはイタールだ、と両親に聞かされましたので……」
 生命を捨ててまで自分を守ってくれた養父母のことを想うと、胸が痛んだ。
「――それより、どうして僕を引き止めたのですか?」
 脳裏から優しい養父母の姿を締め出すように、少年は急に話題を転換させた。
 老人が自分に用がないのなら、早々に失礼して村に辿り着きたかった。
 不用意に老人に付き合って、厄介事に巻き込まれてはたまったものではない。
「なに……大したことではないのじゃ。わしは、もう二十年近くも、ここに一人でいるのでな、久し振りに話し相手が欲しかっただけじゃよ」
 老人の皺だらけの顔が奇妙に歪んだ。
 少年は、老人の言葉に恟然とした。
「二十年って……そんなに長い間、この岩の上に座っていたのですか!?」
 知らずの内に、声が高くなってしまう。
 二十年もの間、この場所に飲まず食わずで座り込んでいるのだとしたら、やはり、この老人は普通の人間ではないのだ。
「まあ、そうゆうことになるかな? これでも、わしは魔術師なのじゃよ。その魔法力も、もうすぐ尽きてしまうがな……。だから、力尽きてしまう前に最期の話し相手が欲しかったのじゃ」
 老人の表情は、とても真摯なものだった。
「……いいですよ。僕でよければ話し相手になります」
 少年には、老人を冷たく突き放すことなど出来なかった。
 老人の瞳が切々と訴えてくるのだ――話を聞いて欲しい、と。
「嬉しいことじゃな。では、おぬしには、とっておきの話を聞かせてやろう。……この老いぼれが誰かに聞いて欲しかった話しじゃ。今まで誰にも語ったことのない、大切な……あの方の――」
 不意に老人の言葉が途切れた。
 視線は少年に当てられているが、その眼差しは何処か遠くを――何か別のものを見つめていた。哀しくも、慈愛に満ちた眼差しで。
「誰も知らない……後世に伝えることすら禁じられた、愛しいあの方の……」
 老人の瞳が、記憶の底に眠った思い出を呼び覚ますかのように、ゆっくりと閉じられる。
「あの方――とは、誰なのですか?」
 少年が問うと、老人の瞼が跳ね上がった。
 迷いのない澄んだ双眸が、少年を捉える。
「若いおぬしも、名前ぐらいは耳にしたことがあるじゃろう。アーナス様――ギルバード・アーナス・エルロラ様のことじゃよ」
「――――!」
 少年は、老人の言葉に言い表し様のない衝撃を受けた。
 ギルバード・アーナス・エルロラ。
 このロレーヌで、いや、大陸中の誰もが知らぬはずのない偉大な名。
 キール・ギルバード王朝最後の王女――ギルバード・アーナス。
 ロレーヌ戦争に於いて、果敢にカシミアと戦った勇ましい烈光の女神。
 その神々しい姿と、戦場における実績は、彼女が若干十九歳でこの世を去った後も人々の話題から絶えることがなかった。
 故に、戦争の勝利者であるカシミア王ラパスにより、その名を口にすることすら禁じられた人物。
 伝説の英雄。
 その人物を、この老人は知っているというのだ。
 驚くな――という方が無理な話しである。
 少年は驚愕の面持ちで老人を見つめ返した。
 少年の視線を受けて、老人が緩やかに頷く。
「アーナス様は、一二六七年、キールの王女としてこの世に誕生する。その際、天空から稲妻が迸り、王妃リネミリア様の枕許に一振りの宝剣を突き刺したのじゃ。剣の刃は、水晶の如く透明で美しい輝きを放ち、最強部には銘が刻まれておった。『我、エルロラ、汝を祝福す』とな。王女は誕生と同時に、大陸の創世主にして全知全能の神――エルロラの加護を受けたというわけじゃ。王女はエルロラ神の名を戴き『ギルバード・アーナス・エルロラ』と命名され、神剣は『ローラ』と名付けられる……。そして、あの方の輝かしくも儚い人生は始まった――」


     「1.王都炎上」へ続く


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2009.06.06 / Top↑
 大陸暦一二八五年――


 紅蓮の炎が、春の夜空に舞い上がっている。
 聞こえるのは、兵士達の鬨の声と逃げ惑う人々の絶叫や泣き声。
 大気に充満するのは、物体が焼け焦げる不快な匂い。
 むせ返るほどの血の匂い……。
 心地好いはずの春の夜――キールの王都マデンリアは炎上していた。


     *


 誰も私を愛さない。
 私も誰も愛さない……。

 
 闇を思わせる漆黒の双眸で、彼は夜空に舞っては散る火の粉を見つめていた。
 感情というものを一片も露呈しない、人形めいた凍て付く眼差しだった。
 ――私は、誰も愛さない。
 燃え上がる都市を眺めながら、彼は心の中で言葉を繰り返した。
 建国から約千二百年――何人にも侵されたことのない国・キール。
 その王都であるマデンリアが、今、彼の眼前で激しい炎を噴き上げていた。
 創始以来、血にまみれることのなかった由緒正しき古都は、初めての敵襲に驚愕し、狼狽え、泣き、叫び、怒っていた。
 だが、その都の悲鳴も苦悶も彼には届いてはいない――聞こえない。
 ――私は誰も愛さない。
 ――愛すれば……滅びてしまう。
 事実、彼の愛した人々は悉くこの世を去っていた。
 忌まわしき彼自身の《力》ゆえに。
 彼は、己れが呪われていることを知悉していた。
 この身には魔性が宿っている。
 そう、己が半身を手にした、あの日から……。
 ――私は、世界に滅びをもたらすために生まれた。
 ――だから、誰も私を愛さない。
 ――私も誰も愛さない。
 ――愛すれば滅んでしまう。
 ――滅んでしまう……。
 呪文のように、彼は胸中で言葉を紡いだ。
 ――滅びるのならば、いっそ全て滅んでしまえばいい。
 ――世界など消えて無くなってしまえばいいのだ。
 ――どうせ誰も私を愛さず、私も誰も愛さないのだから……。
 彼は、炎を上げる都を馬上から無感動に見つめ続けている。

「陛下っ! ――陛下!」
 ふと、誰かが彼を呼ぶ。
 彼は緩慢な動作で、声の主へと首をねじ曲げた。
 常に彼の傍らにいる近衛兵が真摯な表情で、彼を見つめていた。
 瞬時、彼の心は現に戻り、自身が何者であるかを克明に思い出していた。
「陛下、キール城から第二王子アイラの軍が出てきた模様です。我が軍も新たな兵を投入する時機かと――」
「……解った」
 短く応え、視線を燃え上がる都へと戻す。
 この地に――都に火を放ったのは、彼だった。
 戦乱の火蓋を切って落としたのは、紛れもなく彼自身だった。
 ――私は、世界に破滅をもたらすために、天から地上へ降りた魔の化身。
「余は、ラパス・エンキルド。直に、世界の覇王となる――」
 低く呟く彼の口許には、他者を戦慄させるような残酷で凄惨な薄笑みが刻み込まれていた。
 目前の血のような紅い炎に包まれる都を、初めて『美しい』と感じた。
 これは宴だ。
 遊戯だ。
 誰かが彼を殺すその瞬間までの、ちょっとした戯れだ。
 彼は、静かに腰に帯びた剣の柄に手を伸ばした。
 愛おしげに指で柄を撫でる。
 愛する者の生命を奪ってゆく、忌々しき剣。
 だが、同時にそれは、切っても切れぬ彼の大切な半身でもあった。
「ゆくか、ザハーク。あの城に、おまえのつがいが待っている――」
 彼は半身に語り掛け、その身を鞘から抜き払った。
 闇から創られたような黒々とした刀身が不吉に輝くのを、彼は笑みを浮かべて見つめた。
 誰かが彼に滅びをもたらす、その日が来ることを、切に願って――


     *


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2009.06.07 / Top↑
     *


 ……カツン……カツン、カツン、カツンッ!
 湿気の多い地下道に、忙しげに踵を打ち鳴らす音が響く。
 細く暗く狭い通路を、二人の人間が足速に歩いていた。
 唯一の灯りである松明を手にするのは、背骨の折れ曲がった白髪の老人。
 もう一人は豪奢な金の髪を靡かせた、少年とも少女ともとれる美貌の持ち主だった。
「――あの馬鹿っ! 何を考えている!?」
 黄金の麗人の唇から、不意に苛立たしげな声が吐き出された。
 揺れる松明の炎が、美しい顔を照らし出す。
 研ぎ澄まされた碧い双眸が、怜悧に輝いた。
 その瞳の奥に宿るのは、明らかな憎悪だった。
「お静かに。カシミア兵に見つかりますぞ」
 嗜めるように、老人が低く呟く。
「解ってる! ――くそっ!」
 老人の声を遮るように、黄金の麗人はブーツの踵を激しく打ち鳴らした。
「アガシャ、父上や母上は、無事に城を抜け出せたのだろうな?」
「……解りませぬ。爺は、あなた様の脱出を承っただけですので」
 老人――アガシャは、皺だらけの顔に何の表情も浮かべずに淡々と述べた。
「何……だと?」
 ピタリ、と麗人の足が止まる。
「地下道の出口で落ち合う手筈になっている、と言ったのは、おまえだぞ?」
「城を抜け出すのは、あなた様お一人です」
「騙したな。――城へ引き返す!」
 あくまでも冷静なアガシャの言葉に業を煮やしたのか、黄金の麗人は長い髪を翻して踵を返した。
「なりませぬっ!」
 その様子に、初めて老人の声に焦燥が宿る。
「黙れっ! 私に、父上と母上を見捨てろと言うのかっ!? 兄上たちは、どうなるっ?」
 憤怒の叫びが地下に響き渡る。だが、アガシャは引かなかった。
「どうか、そのことは考えませぬよう――」
「うるさいっ! 城へ戻り、私が……あのラパスの首を獲ってやるっ!」
「なりませぬっ! 姫様、どうか、どうか――」
 今にも駆け出しそうな麗人の腕に、アガシャの腕が絡み付いた。
「姫様、これは王命でございます。姫様には、今宵王城を脱出し、イタールへ赴き、イタール王に援軍を要請する、という大役がございます」
「私に……この私に、キールを捨てろ、と言うのかっ!?」
「姫様! ……姫様、どうか冷静におなり下さい。ご自分が何者であるのか、よくお考え下さい。姫様、あなた様は誰ですか?」
 アガシャが掴んだ腕を放すまい、と手に力を加えてくる。
「私は……私は、ギルバード・アーナス・エルロラ――キールの王女だ」
 苦々しげに、麗人――アーナスは言葉を紡いだ。
「そうです。姫様はキールの王女殿下であられます。そして、父上である陛下の命令には絶対服従のはずです。……陛下も王妃様も、姫様に生き延びてほしいとお望みです。キールは、姫様を失うわけにはゆかないのですよ。姫様は、キールの希望――全能神エルロラの恩寵を賜った女神なのですから」
「…………」
 アガシャの諭すような言葉に、アーナスは唇を噛み締めた。



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2009.06.07 / Top↑
 ギルバード・アーナス・エルロラ。
 誕生と同時に、大陸の創世主であり全知全能の神であるエルロラから、神剣『ローラ』を授かったキールの王女。
 隣国ブレアとの国境争いの際、初陣を飾ったのが僅か十四の時。
 それ以来、四年間、戦では負け知らず。
 類い稀な美貌。
 戦闘時における素晴らしい指揮・統率能力。
 そして、エルロラ神の恩恵。
 美しく聡明な王女は、すぐにキールの象徴として祭り上げられ、現在その勇名は大陸全土に響き渡っていた。
 しかし、その勇ましい彼女も今ばかりは無力だった。
 ロレーヌ三国の一つ――カシミアが『平和協定』を破り棄て、夜の闇に乗じて王都に奇襲攻撃を仕掛けてきたのである。
 瞬く間に、華やかな王都は血と殺戮の渦に巻き込まれた。
 王都にはカシミア兵が溢れ、傲慢に戦火を広げている。
 王城は固く扉を閉ざしているが、いつカシミア軍が侵攻してきてもおかしくない状況だった。
 そんな最中を、アーナスは教育係であるアガシャに半ば騙される形で城から連れ出されたのだ。
「……行くぞ」
 アーナスは、全ての感情を押し殺したような声音でアガシャに告げた。
 王都からの脱出が王命であるのならば、それに従うざるを得ない。
 それに、今のキールにとって、確かにイタールの援軍は欠かせないものだ。
 宣戦布告もなくカシミアの夜襲にあったキール軍は、右往左往。
 烏合の衆も同然で、半数ほどがカシミア軍に蹴散らされた。
 城を抜け出す際、アーナスが耳にした戦況は、そんな惨々たるものだった……。
「城は、どれぐらいもつ?」
 アーナスは再び身を反転させて、細長い地下道を歩み始める。
 安堵したような吐息を洩らし、アガシャが隣に並んだ。
「キール軍本隊と第一王子ランシェ様の軍が、マデンリア内でカシミア兵に応戦しています。第二王子アイラ様の軍は、王城の周囲を。城内には陛下の近衛兵のみですが、王妃様を筆頭に、魔術師団が魔法で城にシールドをかけております」
「魔法力が尽きた時、もしくはカシミアが強力な魔術師を派遣してきた時が――終わりか」
「恐れながら……。一週間か十日が潮時、もって二週間だと……」
 非常に言い難そうに、アガシャが応じる。
 誰だって、祖国の滅亡の日など推定したくはない。
「間に合わせよう」
 簡潔にアーナスは告げた。
 歩調を強めながら、頬にかかる癖のない金髪を鬱陶しげに手で払い除ける。
「全ては、あのラパスの馬鹿が悪い! 実の兄から王位を簒奪した次は、このキールだと? 図々しいというか、身の程知らずの無法者だ、奴はっ!」
「余程、姫様に求婚を断られたことが癪に障ったの――」
「アガシャ! その話しはするな。不愉快だ……!」
 アーナスは素早くアガシャの言葉を遮断した。
 厳しい目つきで、己れの教育係を睨めつける。
 現在、カシミアの玉座には、ラパスという二十代半ばの若い男が就いていた。
 半年前に実兄であるサマリに叛旗を翻し、彼を殺害することで強引に玉座と王冠を奪い取った、危険な野心家である。
 ラパス即位の報がキールとイタールに届いた時点で、両国は彼がロレーヌ全土を掌中にしようと目論んでいるのではないか、と懸念した。
 その危惧は見事に的を射、カシミアは『平和協定』を無視してキールに攻め入ってきたのだ。
 ロレーヌ支配の手始めに、キール王女アーナスと婚姻関係を結び、間接的にキールを操ろうとしたのだろうが、キール王とアーナスが求婚を断ったために計画は御破算となった。
 どうせなら、それを口実に一気にキールを攻め滅ぼし、直接支配下に置こう、という魂胆なのだろう。
 ロレーヌ支配のためなら、長年守られてきた平和と均衡をあっさり捨てる。
 狡猾というか、浅ましい。
 アーナスは、会ったこともないラパス王に深い憤りを感じていた。
「私は、この国が――ロレーヌが好きだ。ラパスの好きなようにはさせない」
 両の拳にギュッと力を込めて、アーナスは断言した。
「ええ。姫様は、ご自分の望む通りに前へお進みなさい。ラパス王を討つもよし。きっと、エルロラ神が力を貸して下さる。あなた様は、この世で唯一人、エルロラ神の加護を賜った貴い御方なのですから」
「……私は――」
 アガシャの言葉に、アーナスは微かに眉根を寄せた。
 美しい瞳が瞬時に翳る。
「確かに、私はエルロラから神剣『ローラ』をいただいた。おまえや民が私を神格化し、祭り上げるのは勝手だが、それは虚像――幻に過ぎない。私は神ではない。人間だ。特別な力もないし、いずれは死ぬ」
「……姫様?」
 アガシャは、そっとアーナスを盗み見、それ以上の言葉を口に出すのを断念した。
 凛とした王女の横顔に、滅多に見られぬ苦悩の影が貼り着いていたからだ。
 一生涯その身に纏わりつくであろう『エルロラ』という名の重圧に、歯痒さと嫌悪を感じているのかもしれない……。
「私はこれまで、ただの一度もエルロラが私の運命を定めてきたと考えたことはない」
 アーナスの左手が、腰に携えた剣の柄を無意識に握り締めた。
 見事な黄金細工の柄――鞘の中には輝かしい宝刀が秘められている。
 捨てることも他人に譲渡することも赦されぬ、自分をエルロラに縛り付ける見えない鎖――神剣『ローラ』が。
「私は己が手で人生を切り開き、己が心で生き方を決めてきた。これから先も、それが変わることはない。私は、私の意志でラパスを討つ」
 揺るぎない決意を胸に抱き、アーナスは宣言した。
 唇をしっかりと引き結び、顔を上げ前を見据える。
 宝石のような碧い双眼が、毅然と暗い地下道を睨んでいた――


     *



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2009.06.07 / Top↑
     *


「アーナス様、アガシャ様! こちらです!」
 地下道を抜け出たアーナスとアガシャを待っていてたのは、一人の少年だった。
 健康そうな褐色の肌に漆黒の髪と瞳がよく映えている。
 腰にはしっかりと剣が二本携えられ、その手には三頭の馬の手綱が握られていた。
「待たせたな、ルーク」
 地下の出口から外界へと飛び出したアーナスは、少年の姿を確認し、微笑した。
 少年の名は、ルーク・ベイ。
 アーナスが信頼する従者だ。
 弱冠十四歳のルークだが、アーナスへの敬愛の念と剣の腕は確かなものだった。
「本当ですよ、アーナス様。僕、来ないんじゃないかと思って、気が気じゃなかったんですから!」
 ルークは早口で言いながら、アーナスに手綱を引き渡す。
 口調は幾分非難めいているが、顔はアーナスの登場を心から喜ぶように綻んでいた。
「いやいや、すまんな、ルーク。この爺が、姫様の足を引っ張ってしまったようじゃ」
「いいんですよ、アガシャ様。二人ともご無事だったんですから」
 申し訳なさそうに言葉を口にするアガシャを馬に乗せながら、ルークはまた早口で告げた。
 一刻も早く、しかもカシミア兵に見つからぬようにこの場を去り、イタールへ赴かなければならないのだ。
 否が応でも心が急いてしまう。
「王都から離れているとはいえ、油断は出来ません。先を急ぎましょう」
 ルークが馬に飛び乗り、アーナスを振り返る。
 だが、アーナスは返答しなかった。
 馬上で目を見開き、瞬きもせずにじっと遠くを見つめていた。
「王都が――マデンリアが燃えている」
 唇が、独白めいた呟きを洩らした。
 王城から続く地下通路は、王都から五キロほど離れた森が出口となっている。
 その森の中からでも、赤々と燃える炎が見えたのだ。
 巨大な炎が、王都を包み込んでいた。
 夜空に火の粉が舞い上がっては、闇に溶けるようにスーッと消えてゆく。
 遠目には美しいが、それは紛れもなく全てを焼き尽くす悪魔の炎だった。
 美しい分、残酷――
「……キールが……ロレーヌが……」
 ――ラパスに蹂躙されてゆく……!
 言い様のない激怒が、アーナスの胸中で渦巻いていた。
 愛する故国と人々が無残にも踏みにじられている。
 しかし、今の自分には、それを手をこまねいて見ていることしか出来ないのだ。
 そんな自分が不甲斐なく、情けない。
「アーナス様、早く!」
 ルークが、動かないアーナスを叱咤するように声を大きくする。
「解ってる! だが、マデンリアが――」
 燃え盛る炎が、アーナスを呪縛して離さなかった。
 援軍を頼みにイタールへ行くのだと頭では理解していても、その傍らで『おまえはマンデリアの人々を見殺しにするのだ』と、鋭く自分を責める感情が存在していた。
「今、姫様一人がお戻りなっても、状況は何も変わりはしませんよ」
 アーナスの心情を汲み取ったのか、アガシャが宥めるように告げた。
 アーナスはアガシャに視線を流し、一つ頷く。
 ――アガシャの言っていることは、正しいのだ。
 そう自分自身に強く言い聞かせ、アーナスは再び王都を顧みた。
 相変わらず、深紅の炎が夜空を踊り狂っている。
「私は、絶対にこの光景を忘れはしない」
 低く呟き、アーナスは馬首を巡らせた。
 もう、後ろは振り返らない。
 後戻りは出来ないのだ。
「行きましょう、アーナス様。カシミアの奴らに見付かったら、厄介で――」
 促すルークの声に、
「そこにいるのは、誰だっ!?」
 突如として、野太い男の声が重なった。
 三人は、一斉に声の聞こえた方角に視線を馳せた。
 林立する木々の隙間から、松明の赤い炎がチラチラと覗いている。
 更に松明は、鎧を身に付けた複数の人間の姿を朧げに照らし出した。
「何者だっ!?」
 鋭く誰何しながら、兵士達が接近してくる。
 旗手がはためかせているのは、カシミア国旗。
「あ~あ。言った傍から、これだもんなぁ」
 翻る忌まわしい旗を目にした瞬間、面倒臭そうにルークがボヤいた。
 だが、双眼は真摯な輝きを帯び、両の手が音も立てずに鞘から剣を抜き取っていた。



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2009.06.07 / Top↑
「貴様ら、何者だっ!? 名を名乗れっ!」
 カシミア兵の誰何が続く。
 無数の松明が、夜の森を不吉に照らしていた。
「……上等だ」
 僅かに唇を動かして、アーナスは低く呟いた。
 現れたカシミア兵は、歩兵ばかりの一個小隊――十人ばかりの数だ。
 これぐらいの人数なら恐れることはない。
 それに、マデンリア炎上の怒りを何かにぶつけたかったところだ。丁度いい。
 カシミアの赦されざるキール侵攻に、アーナスの激怒は沸点に達していた。
「どうした? 名乗らなければ、無条件に殺すぞ!」
 カシミア兵の傲慢な叫びが、アーナスを刺激した。
「ふざけるなっ……。名を知りたいのならば、名乗ってやる! 私は、キールが王女――ギルバード・アーナスだ!」
 叫びながら、アーナスは剣を鞘から抜き払っていた。
 透明に輝く剣の切っ先をカシミア兵へ向けて突き付ける。
 瞬間、カシミア兵の間に動揺の波紋が広がった。
「……ギルバード・アーナスだぁ?」
「王女様が何でこんな処に……」
「影武者じゃないのか?」
「本物なのか? こんな小娘が」
 侮蔑と軽視の囁きが、カシミア兵の間を飛び交う。
 彼らとしては、一国の王女――しかも、戦場の女神として誉れの高いキールの王女が、前線であるキール城を離れているとは考えにくかったのだ。
「小娘で悪かったな!」
 アーナスはムッと顔をしかめた。
「貴様らが私を偽物だと思うのは構わん。――だが、この神剣ローラは本物だぞ!」
 碧玉のような双眼がカッと見開かれる。
「あっ、アーナス様――!」
 ルークがアーナスに制止の声を投げた時には、既に彼女は馬を走らせていた。
 松明の灯りの中を黄金の髪が舞う。
 白刃が煌めいた――と、思った瞬間、一人のカシミア兵の首が宙を跳んだ。
 突然のアーナスの攻撃にカシミア兵たちは、怯んだようだった。
 だが、彼らとて兵士だ。すぐに事態を把握して、剣や槍を片手にアーナスに応戦し始める。
 群がるカシミア兵を巧みな馬術で躱わしながら、剣を振るっているアーナスの姿を見て、ルークは諦めの溜め息を洩らした。
「ありゃ……僕より早いんだもんなぁ。あれは相当怒ってるな。――アガシャ様、援護頼みますよ」
 隣に馬を並べるアガシャを一瞥し、ルークは身軽に馬から飛び降りた。
 着地と同時に、両手に細身の剣――レイピアを構え、疾走を開始する。
「子供は引っ込んでろっ!」
 ルークに気付いた兵士が数人、飛び掛かってくる。
 打ち下ろされた剣をルークは片方のレイピアで受け止め、弾き返す。
「子供と老人は大切に――って、親から教わったでしょっ!」
 態勢を崩した兵士の頸動脈を鮮やかに切り裂き、ルークは不敵に微笑んだ。
 地面に倒れ込む兵士を蹴って吹き飛ばし、先を急ぐ。
「ガキがっ!」
「なめやがってっ!」
 仲間の死にいきり立った二人の兵士が、ルークを挟む込むようにして剣を振りかざす。
 カシャーンッ!
 刃と刃がぶつかり合い、火花が散る。
 ルークは左右から襲ってきた剣を、両のレイピアでそれぞれ器用に受け止めていた。
「残念! 僕、両利き! 見て解んないの?」
 揶揄するように言葉を吐き棄て、ルークは素早く二人の間を通り抜けた。
 二人の背後に回り、思い切り肘で背中を押し出してやる。
 そして――
「アガシャ様、後は任せました!」
 振り向きもせずに叫び、一路アーナスを目指してゆくのだ。
 混戦に飛び込んでいった少年を馬上から眺めていたアガシャは、皺だらけの顔に苦笑を浮かべた。
「この爺に三人も押し付けてゆくとは……。ほっほっ……奴も少しは成長したのぅ」
「ジジィ! 何をブツブツ言ってやがるっ!」
 馬に乗ったまま動こうとしないアガシャに、カシミア兵の怒声が浴びせられた。
 アガシャは、大儀そうに自分を取り囲む兵士たちに視線を流した。
 ルークが押しつけていった二人と血気盛んな若者が一人――忌々しげにアガシャを睨みつけている。
「老いぼれは、とっとと死にやがれっ!」
 血走った目の若者が、アガシャに斬りかかってくる。
「わしは、これでも若い頃は名うての魔術師だったんじゃがのう……」
 のんびりと言いながら、アガシャは若者に向けて手を差し出した。
「風の精霊シレンよ、我に護りを――」
 呪文を唱えた瞬間、アガシャの周囲に突如として竜巻が出現した。
「うわぁぁぁっっっっ!!」
 鋭い風に衝突して、若い兵が情けなく弾け跳ぶ。
 兵士の身体が地面に叩き付けられるのを見届けてから、アガシャは両手を組み合せ、目を閉じて次の呪文を繰り出した。
「大地の女神アルヴィナスよ、汝と盟約せし我に力を! 精霊シレン、汝にはアルヴィナスに共鳴することを命ずる。――地よ、割け! 風よ、裂け!」
 アガシャは組んだ手を頭上高く掲げた。
 閉じた瞼を開いた直後――
 ビュンッ!
 風のシールドが一陣の矢と化した。
「うおぉぉっっ!」
「なっ、何だ、これはっ!?」
「か、風に、身体が――!」
 瞬く間に、三人の兵士の身体が疾風に攫われる。
 風の矢が兵士たちを乗せたまま高く舞い上がると、今度は、ゴゴゴゴッ……と鈍い音を立てて、真下の地面がポッカリと口を開けた。
 そこへ向けて、疾風は急落下してゆく。
 風は、兵士たちを引き連れたまま裂けた大地に吸い込まれるようにして――消えた。
 一瞬にして兵士らを呑み込んだ大地は、再び音を立てて口を閉じた。
 僅か数秒の出来事である。
 馬上で冷静に事の成り行きを見つめていたアガシャは、長い白髪の顎髭を指で撫でながら満足げに頷いた。
「ほっほっほっ。爺の魔法も、まだまだ捨てたものではないのぅ」



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2009.06.07 / Top↑
 一方、アーナスとルークは、まだ戦闘の渦中にあった。
 ――とは言っても、既に大半が片付き、後は主格とそれを護衛する二人を残すのみとなっている。
「アーナス様、一人で突っ走るのはやめて下さい――ねっ!」
 語尾に格別力を込めながらルークは叫んだ。
 叫びつつ、向かってくる護衛の攻撃を右のレイピアで受け止め、左のレイピアで恐ろしいほど正確に心臓を一突きにする。
「ぐあぁぁぁっっっ!!」
 護衛の口から悲鳴と鮮血が迸る。
 ルークは絶息した護衛の身体を容赦なく蹴飛ばし、突き刺したレイピアを男から引き抜いた。
 ブシュッッッ!
 男の胸から噴水のように血飛沫が噴き上がる。
 間一髪、頭から血の雨が降り注ぐのを躱わし、ルークはアーナスに視線を馳せんじた。
「小言は後だ、ルーク!」
 アーナスは馬の背に乗ったまま、残る一人の護衛の相手をしていた。
 カシャン……!
 カンッ、カンッ、ガツッ!
 剣と剣の打ち合う音が高く低く響く。
「貴様ぁっ! 不貞不貞しくギルバード・アーナスの名など騙りおって!」
 護衛が罵りながら剣を打ち出す。
 瞬時、アーナスは嫌悪に眉を顰めた。
 敵であるカシミア兵ですら噂の中のアーナスに夢見ている。
 幻想を抱いている。
 一体、どのような人物なら『ギルバード・アーナス・エルロラ』に相応しいというのだろうか?
「不愉快だ。名乗れと言ったのはそっちだろっ! 自分の名を告げて、何が悪いっ! ローラ、その力、見せてやるがいい!」
 アーナスは無造作に剣を振るった。
 アーナスの呼びかけに応じるように、透明な刃は澄んだ青い冷光を纏う。
 転瞬、刀身から半月を描く青い光の刃が放たれた。
「ぎゃあぁぁっっ!」
 予期せぬ攻撃に護衛は驚き、咄嗟に地面に尻餅をつく。
 男の頭上を光の刃が神速の如く駆け抜け、背後の木を数本薙ぎ倒し、消散した。
「情けはかけぬ!」
 アーナスは素早く馬から飛び降りていた。
 宙を降下する短い間に剣を逆手に持ち替え、尖端を護衛の胸へと狙いつける。
 ドスッッ!
 落下速度と体重が加わり、重く鋭い剣は見事に護衛の心臓を打ち抜いた。
「ぎえぇぇぇぇっっっっっ!!」
 護衛の口から断末魔の叫びが飛び出し、すぐに途切れる。
「……身の程知らずが」
 ピクリとも動かなくなった護衛を冷たい眼差しで見下ろし、アーナスは酷薄に言い放った。
 返り血を浴びるのも構わずに剣を引き抜く。
 まだ温かい血液が、アーナスの全身を朱に染めた。
「残るは、おまえ一人だな」
 アーナスは、護衛との戦いを茫然と見つめていたらしい男に視線を当てる。
 ローラを水平に一振りし、刃を濡らす血を払拭すると、ゆっくりと男に近付いてゆく。
「あっ……あ……黄金の髪……碧い双眸……光り輝く宝剣――きっ、貴様、本当に、あの伝説の……エルロラ神の申し子……ギルバード・アーナス・エルロラなのかっ!?」
 男は、恟然と目を見開いてアーナスを凝視していた。
 自分が今、目にしているものの存在をすぐには信じられないようだった。
「だから、一番最初に名乗っただろう!」
 苛立たしげに男を睨めつけ、アーナスは男の咽喉元に剣を突きつけた。
「まっ、待てっ! 貴殿が本物のアーナス殿下なら、我々が殺し合う必要はない。ラパス陛下は、貴殿だけは『生きて捕らえよ』と命じられた。きっと、陛下は快く貴殿を迎え入れて下さることだろう。だから、どうか……剣を――」
 男は狼狽も露に、顔を引きつらせながら後退るのだ。
「……貴様、頭が悪いのか?」
 アーナスの唇の端が小刻みに震える。
「生きて捕らえよ? 快く迎える――だと? これから死にゆく男が何を世迷言を! 生命乞いするならまだしも、この期に及んで慇懃無礼なっ! そのような言葉は、己れが有利な時に使うものだ! それに、私は――死んでもラパスのものにはならぬっ!」
 空を揺るがす怒号がアーナスの口から放たれる。
 鋭利な眼光を宿した碧い双眼が、男を射抜いた。
 その、あまりの凄絶さに男は身を竦めて震えた。
 女神の逆鱗に触れたことを悟ったが、時既に遅し……。
 男の目の前では、神剣ローラが青白く輝き始めていた。
「ついでに言っておくが、私は、我がキールの人々を無残に焼き殺しているカシミアを――絶対に赦しはしないっ! あの世で、言葉の遣い方をもう一度習ってくるんだな!」
 シュッ!
 言い終えると同時に、アーナスはローラを真横に薙ぎっていた。
 ガツンッ!
 鈍い音がして、男の首が胴から離れ、回転しながら宙を飛ぶ。
 半瞬遅れて、首の断面から血の柱が噴出される。
 次に、緩やかに男の身体が仰向けに地面に倒れ、切り離された首がその傍らに虚しく転がった。



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