ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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◆天魔来襲 【長編・完結】

  天魔

▼作品傾向:現代ファンタジー・悪魔・堕天使・魔術・美形▼


  桔梗屋敷――冬子の通う大学の隣には、桔梗の園に包まれた不可思議な洋館が存在していた。
  そこは、『化け物屋敷』として学生たちから畏れられる奇怪な屋敷でもあった。
  両親不在の夏休み――冬子はひょんなことから桔梗屋敷に住むことになる。
  そこで、冬子が目にしたものは――
  女子大生と悪魔オタクが主役の現代ファンタジーです。       
 


【INDEX】 

  ◇プロローグ   
  ◇Ⅰ.桔梗屋敷         
  ◇Ⅱ.悪魔学       
  ◇Ⅲ.真夏の雪      
  ◇Ⅳ.天魔狂宴       
  ◇Ⅴ.吹雪の痕         
  ◇Ⅵ.魔道書の行方         
  ◇Ⅶ.桔梗の柩     
  ◇Ⅷ.ソロモンの剣       
  ◇Ⅸ.失われた魔道書       
  ◇Ⅹ.真実の名    
  ◇エピローグ   



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2009.06.26 / Top↑
プロローグ



 地に描いた不可思議な紋様が、黄金色の燐光を発していた。
 少年は目を見開き、光を発する地面――魔法陣を凝視した。
 自分で始めた儀式のはずなのに、驚愕の度合いは大きい。

 魔法陣が反応を示している――やはり悪魔は実在するのだ。

 少年は畏怖と驚喜に乱された心を落ち着かせようと、大きく息を呑み込んだ。
「……バアルよ。我は至高の権威をよろいて、汝に強く命ず……。我は神の姿に似せて創られ、神の御意に添いて神の力を授けられたる者なれば、神の御名によりて命ずる……」
 乾いた唇を懸命に動かし、呪文を唱える。
 転瞬、魔法陣の光が大きく渦巻いた。
 魔法円を中心に光が激しく渦を巻き、風を起こす。
 突風が少年を襲った。
 咄嗟に両手で顔を庇う。
 腕の隙間から眩い光の柱が垣間見えた。
 魔法陣から光の柱が立ち上り、天空目がけて迸ったのだ。
 一瞬後、光の柱は夜空に吸い込まれるようにしてスーッと消えた……。
『我が王を執拗に喚んだのは、そなたか?』
 不意に、高く澄んだ女性の声が少年の耳を掠めた。
 慌てて眼前から両手を払い、魔法陣に視点を定める。
 魔法陣の中心に、一人の女性が立っていた。
 深紅のドレスを纏った、美しい女性だ。
 一目見て、少年の心は彼女に強く惹き付けられた。
 超然とした眼差しで自分を見つめる女性。
 宝石のような青紫色の双眸が、少年を捕らえて離さない。
『我が王を喚んだは、そなたか?』
「俺が……喚んだ。貴女がバアルか?」
『我は地獄の東界王に遣える者。……我が王は来ぬ。そなたの未熟な《力》では、我が王を喚ぶことは到底不可能……。我がこうして喚び出されたのも何かの縁。我が王に代わり、そなたに遣えよう。我の名は――』
「ユーリ! ユーリだろ? 俺には解る」
 少年は得意満面に微笑んだ。
 女が虚を衝かれたように目を瞠る。
 だが、やがて彼女は眼差しを和らげ、静かに首肯した。
『我が主よ。我に何を望む?』
「ずっと……ずっと俺の傍に、ユーリ――」
『我が主の御心のままに』
 女は冷たい美貌に微かな笑みを刻んだ。

 出逢いは奇異な状況の中――それでも運命だと信じた。

 始まりは、単なる好奇心だった。




 そして終幕は、己れの無能ゆえに……。
 別れは呆気なく訪れ、少年と女を引き裂いた。
 幸せな日々は、脆く儚く崩れ去る。
「ユーリ……ユーリ……!」
 動かなくなった女の身体を抱き締め、少年は激しく嗚咽した。
 失ったものの大きさに胸が痛み発する。
 耐えきれない衝撃に心が哭く。
「殺してやる……。俺は赦さない。俺からユーリを奪った奴らを! 殺してやる……あいつらみんな、殺してやる――」
 少年は女を愛していた。
 女が何者であろうとも――たとえ人外の存在であろうとも、心から愛していた。

《真実の名》さえ知らぬ女を、少年は確かに愛していた……。


     *


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2009.06.26 / Top↑
     *


「お父様は永き眠りに就きました。わたくしも、もう疲れました……」
 弱々しい声音で告げ、母は悲嘆に暮れた眼差しを少女に注いできた。
 少女は言葉の意味が理解できず、何度か目をしばたたかせる。
「わたくしも、しばし眠りに就きます。貴女はわたくしの手許に残された最後のリリム。……貴女に大切なものを授けますわ」
 母は囁くように告げ、少女の手に一冊の書物を押し付けた。
 金の刺繍が施された、豪奢な装丁の書物――深紅の書物だ。
「お父様やわたくしを苦しめる元凶……。ですが、いずれはお父様の役に立つ書物です。お父様が目醒める、その日まで――貴女が大切にお護りなさい」
 母に言い付けられ、少女は意味も解らずに大きく頷いた。
 これは大切な本なのだ。
「星の導きがあれば、地上に降りているわたくしの妹とも出逢えるでしょう。それまでは、この書を誰の目にも触れさせてはいけません。これは、それほどまでに大切なものなのです。天の命運を分かつ、重要な鍵なのです」
 母は執拗なほどに『大切だ』と繰り返す。
 その度に、少女は何度も何度も頷いた。
 母から託された、この赤い書物を護り通さなければならない。
 いつしか少女の心には、そんな使命感のようなものが芽生え始めていた。

 これは誰にも見せてはいけない禁断の書。

 母の言い付け通りに、しっかりと護るのだ。

 少女は、手にした赤い書をそっと胸に抱き締めた――


      「Ⅰ.桔梗屋敷」へ続く



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2009.06.26 / Top↑
Ⅰ.桔梗屋敷



 夏の眩い陽射しが、緑溢れるオープン・カフェに降り注いでいる。
 七月下旬の東京は嫌になるほど暑い。
 うだるような熱気と苛烈な陽射しが、容赦なく全身に纏わりついてくる。
 緑に囲まれたカフェの一角で、砂波冬子(さなみ とうこ)はストローでアイス・ティーを啜りながら、正面に座る親友を上目遣いに見つめていた。
 親友――宮森早紀は、面食らったように目を丸め、ポカンと口を大きく開けている。
「今……何て言ったの、冬子?」
「だから、あたし――桔梗屋敷に住むことになったの」
「何、バカなこと言ってるのよ。桔梗屋敷って、あの桔梗屋敷でしょ? 有名な化け物屋敷じゃない!」
 鬱陶しい夏の熱気を振り払う勢いで、早紀が叫ぶ。
 甲高い声と冬子に向けられた鋭い視線が、彼女の『信じられない』という思いを如実に表していた。
「うん。あの幽霊屋敷なのよね」
 冬子は悪びれもせずに淡々と告げた。
 冬子と早紀は、大学の同級生だ。
 二人の通う青蘭女子短期大学は、杉並区の閑静な住宅街の中に位置している。
 そして、その大学の隣に問題の『桔梗屋敷』が存在しているのである。
 大学のキャンバスに劣らぬ広大な敷地を有する豪邸――二階建ての豪奢な白い洋館だ。
 屋敷を取り囲む巨大な庭は、夏から秋にかけて青紫色の美しい桔梗の園と化す。
 咲き乱れる桔梗の印象が強いためか、青蘭の学生たちは白い洋館を『桔梗屋敷』と呼称していた。
 青紫の桔梗に囲まれた白い洋館は、幻想的で美しい。
 だが、生徒の中で屋敷に近寄る者は誰一人としていなかった。
 青蘭の生徒なら誰でも知っている、ある噂があるからだ。

 桔梗屋敷には幽霊が出る。

 桔梗屋敷の住人は物の怪だ。

 そんな類の信憑性に欠ける噂だ。
「やめときなさいよ。本当に出るらしいわよ」
 早紀が芳しくない表情で冬子を窘める。
「出る――って、幽霊? 真夜中に聞こえる女の啜り泣き。宙を飛ぶ火の玉の群れや生首。……単なる噂よ。あたし、一度も見たことないもん。まっ、屋敷の住人にも遭遇したことないけどね」
 冬子は早紀を安心させるように明るく笑った。
 青蘭に通い始めて約一年半――冬子は一度として屋敷の住人と出逢ったことがない。
 誰かが住んでいるのは確かなようだが、表札の出ていない門は常に堅く閉ざされている。
 まるで外界を遮断し、来訪者を拒んでいるようだ、と屋敷の前を通る度に冬子は思う。
「桔梗屋敷、ねぇ……」
 重い溜息を吐き出しながら、早紀が煙草を手に取る。
 妙に落ち着かない手付きで煙草を口にし、火を点けた。
「パパが勝手に決めちゃったのよ。桔梗屋敷の主人って、椎名雅(しいな みやび)さんっていう人らしいんだけど……。その人の父親とウチのパパ、凄く仲が良かったんだって。W大で同じ考古学を教えてたみたい」
 冬子の父・隆一は、都内にあるW大学で考古学の講師をしている。
 父のかつての同僚が、元々の桔梗屋敷の主――椎名幸らしいのだ。
 隆一の話によると、椎名氏は既に故人であり、屋敷は子供である雅に受け継がれたのだという。
「で、パパとママは、大学の休講を利用して今日から優雅に北海道旅行。一ヶ月は帰ってこないつもりだってさ」
 今現在、夏休みなのは冬子も同じだ。
 だが、夫婦水入らずの旅に同行する気は元よりなかった。
 冬子が東京に残ることを隆一は渋々認めてくれた。
 但し、その条件として『留守の間は桔梗屋敷にお世話になること』を提示されたのである。
 唐突に父の口から出てきた桔梗屋敷云々の話には随分と驚かされた。
 幽霊屋敷に住むなんて冗談じゃない――と、激しく抗議した。
 だが結局、父の熱心な説得に気圧され、冬子には頷くしか術がなかったのである。
 今は諦めを通り越し、状況を楽しんでさえいる。
 桔梗屋敷に住むことが避けられないのならば、それを楽しむより他はない。
「なるほどね。大切な一人娘を家に置いていくのは心配だ。じゃあ、懇意にしている椎名家に預けてしまおう、ってわけね」
「そういうこと。あたし、もう十九で、そんなに子供じゃないんだけどねぇ……」
「――で、いつから桔梗屋敷に行くの?」
 事情を納得したように頷きながら、早紀が煙草を灰皿押しつけて火を消す。
「今日。それも今からよ」
 ニッコリと微笑み、冬子は椅子の横に置いてあったボストンバッグを指差した。
 財布から取り出した千円札をテーブルの上に置き、立ち上がる。
 バッグに手を伸ばした瞬間、
「事情は解ったわ。でも……それでも、わたしは反対だわね」
 早紀が剣呑な口調で告げた。
 冬子を見つめる眼差しには陰鬱な光が灯る。
「わたし、屋敷の住人を一度だけ見たことがあるのよ。綺麗な……とても綺麗な男の人だったわ。あんな綺麗な人、見たことがなかった。同じ人間だとは思えないわ……」
 記憶を手繰るように、早紀が双眸を細める。
 妙に強張った声音に、冬子は首を傾いだ。
「凄く綺麗だった。でも、それ以上に怖かった。見た瞬間、背筋に悪寒が走ったのよ。訳もなく凄く怖いと思ったのよ。この人は普通じゃない、って瞬間的に察したわ」
 抑揚のない声で告げ、早紀は忙しなく煙草を取り出して口に運ぶ。
 煙草を挟む指先が微かに震えていた……。
「桔梗屋敷なんて、やめときなさいよ」
「早紀はパパに負けず劣らずの心配性ね。心配してくれて、ありがとう。でも、大丈夫よ。あたし、幽霊とか全く信じないタイプだから」
 冬子は優しく微笑んだ。
 早紀の気持ちはとても有り難いし、無碍にする気もない。
 だが、冬子が桔梗屋敷に行かなければならない事実は変わりはしないのだ。
「じゃ、あたし行くね」
 別れを告げ、クルリと踵を返す。
 刹那、

 ――わたし……方が……先だったのに……。

「えっ?」
 突如として脳に不思議な声が響いた。
 耳に入ってきたというより、直接脳に訴えかけてくるような奇妙な女の声だった。
 反射的に早紀を振り返る。
「今、何か言った?」
「何も言ってないわよ」
「そう……。なら、いいんだけど」
 釈然としない気持ちで、冬子は顔をしかめた。
 女性の声を聞いたような気がした。
 傍にいるのは早紀だけだ。
 その彼女に否定されたとなれば、自分の聞き間違いだということになる。
 今のは幻聴だったのだろうか?
 怪訝そうに自分を眺めている早紀の態度を見ると、その可能性の方が高そうだった。
「桔梗屋敷にどんな人たちが住んでるのか知らないけれど、変なのに目を付けられないようにね。冬子は美人なんだから」
「……了解! あたしが幽霊に遭遇しないこと、祈っててよね」
 快活に言葉を投げ、冬子は今度こそ早紀に背を向けた。
 
 目指すは、桔梗屋敷だ。


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2009.06.27 / Top↑
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 開け放たれた巨大な門の前に立ち、冬子は大きく息を吸い込んだ。
 門の向こう側では色鮮やかな青紫の群れが揺れている――桔梗だ。
 吸った時と同じ勢いで息を吐き出し、冬子は決心したように門の内側へと歩を進めた。
 桔梗の花園に足を踏み入れた途端、強い夏風が吹き、青紫色の花弁を宙へ舞わせる。
 飛び交う花弁に圧倒されたように、自然と足が止まった。
 目を見開き、右手で胸を押さえる。
 妙に胸がざわついた。
 ――ここは異世界への入り口だ。
 乱舞する桔梗を凝視しながら、漠然とそう思った。
 ――幼い頃の記憶は、欠片も残っていない。
 不意に胸がきりきりとした痛みを発する。
「あたし……知ってる。この花、この色――」
 冬子は泣きたい衝動を堪えるように唇を引き締めた。
 郷愁に似た想いが胸の中で渦巻いている。
 何とも不思議な感覚に囚われていた。
 ギギ……ギギギッ……。
 重い軋みに、冬子はハッと現実に立ち返った。
 驚いて背後を振り返る。
 丁度、白い門が閉ざされたところだった。
 ガタンッという重々しい音に、冬子は軽く眉根を寄せた。
 屋敷の中から操作できる仕組みになっているのだろうが、そうと解っていても気味が悪い……。
 白い扉は、外界から冬子を隔絶するかのように堅く口を閉ざしている。
「スゴイ……というか、ちょっと不気味」
 低く呟き、冬子は身を反転させた。
 風に煽られて宙を舞っていた花弁の姿はない。
 桔梗の花園は平静を取り戻していた。
「きっと、この桔梗の色が悪いのね」
 屋敷へと続く一本道――足下に散らばった花弁に視線を落としながら、深い溜息をつく。
 ――花弁の色が、あたしの目と同じ色をしているからだ。
 思いついた事実に微かに身体を震わせ、冬子は花弁から視線を引き剥がした。
 毅然と前を見据え、ゆっくりと歩き出す。
 屋敷までは二百メートルほどの距離がある。
 その全てが桔梗で埋め尽くされていた。
 庭園中央に据えられた大きな噴水以外は、全て桔梗なのだ。
 その花園の奥に、純白の瀟洒な洋館が建っている。
 美しい眺めに感嘆しながら、冬子は慎重に桔梗の園を進んだ。

『冬子は美人だから』

 ふと、早紀の言葉が脳裏に甦る。
 ――あたしは、あたしが『砂波冬子』ではないことを知っている。
 だから、冬子は己れの容姿が殊の外嫌いだった。
 自分の顔を綺麗だと思ったこともない。
 成長するにつれ、色素を失ってゆく頭髪。
 青みがかってくる眼睛。
 中学を卒業する頃には、髪は金に近い茶色へ、瞳は青紫色に変貌を遂げていた。

『冬子は私たちの大切な娘だけれど、あなたを産んだのは別の人なのだよ』

 中学卒業と同時に、父からそう宣告された。
 刻々と変貌する冬子の容姿に、両親も真実を打ち明ける気になったのだろう。
 父・隆一と母・雪子の間に子供はいない。
 冬子は養子として砂波家に迎え入れられたのだ。
 今まで自分を愛し、育ててくれた隆一と雪子を、冬子も愛し、感謝している。
 冬子にとって『両親』という存在は、隆一と雪子以外に考えられない。
 真実を告白された時には衝撃を受けたが、不幸だと感じたことはない。
 自分は充分に幸せなのだ。
 ただ一つの疑問――胸に生じた翳りを除いては……。
 実の両親については、隆一も雪子も全く知らないのだと言う。
 雪の降る夜、冬子は砂波家の玄関前に立っていたらしいのだ。
 警察に連絡したものの該当する両親はおらず、施設に入れるのも忍びないということで、子供のいなかった二人が引き取る次第となった。
 当時、冬子は五、六歳の外見をしていたという。
 冬子自身は、その時の記憶はないに等しい。
 それ以前の記憶は、全く欠如していた。
 ――あたしは誰なんだろう?
 時折、フッと脳裏を掠める疑問だ。
 年を重ねる度に変容してゆく外見のことを考慮すると、そもそも純然たる日本人ではないのかもしれない。
 異国の血を引いている可能性は高かった。
「髪も目も真っ黒だったら、パパとママに申し訳ない気持ちを抱くこともないのにね」
 自嘲気味に唇の端を歪め、冬子は力無く笑った。
 隆一と雪子と自分の間には深い絆が存在していると信じている。
 だから、外見だけで他人に『親子ではない』と決めつけられるのは至極不愉快だった。
 そんな時は、快活な冬子でも流石にいたたまれない気分に陥る。
「いけない。ネガティヴになってるわ」
 昏い思考に囚われそうになり、冬子は慌てて首を横に振った。
 気を強く持ち、目指す洋館を挑むように見つめる。
 そこで冬子は、噴水の前まで辿り着いている事実にようやく気づいた。
 直径十メートルはありそうな巨大な噴水が、目前に聳えている。
 聳えている――と感じたのは、噴水の中央に設えられた彫像が黒い影を落としていたからである。
 冬子は興味をそそられ、小走りで噴水の縁に駆け寄った。
 高さ二メートルはありそうな青銅の女性が、優しく微笑んでいる。
 その手には桔梗の花束が抱えられていた。
「桔梗の花を持ってる――ってことは、屋敷の主人が特別に造らせたのかな?」
 独り言ちながら、像を上から下までしげしげと眺める。
 そうしている内に、台座部分に何かの銘が刻まれているのを発見した。


【Demon Maiden  Juli 】


「えーっと……『デーモン・メイデン』……はぁ? 『悪魔の乙女』ってこと? 変なの。悪魔の像を造るなんて変わってるわね。その下は、この悪魔さんの名前……かな? ジュリ? う~ん……ジュリ……ユリ――ユーリ。よく解んないや」
 この屋敷の趣味が信じ難く、冬子は僅かに顔をしかめた。
 冬子の知る限り、噴水の像というものは天使かギリシア神話の女神を象ったものが多い。
 悪魔の彫像など初めて見た。
 名前らしき文字も読み方が判然としない。
 深く考えるのはやめて、冬子は悪魔像を見上げた。
 物言わぬ像に向かい笑顔を贈る。
「とりあえず今日からよろしくね、悪魔さん」


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2009.06.27 / Top↑
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 白い洋館の玄関まで進み、冬子は気後れしたように一歩後ずさった。
 遠くにいる時には気づかなかったが、庭に面した壁の大部分がガラス張りなのだ。一階も二階も、である。
 ほぼ一面に張られたガラスには妙な迫力があった。『窓』という次元ではなく、正しく『壁』である。
「……金持ちのすることは理解できないわね」
 苦々しく呟きながら冬子は躊躇う心を捨て去り、玄関ポーチへと進んだ。
 白い扉の脇にあるインターホンを指で押す。
 しばしの静寂を措いて、中から扉が開けられた。
「砂波……冬子さん?」
 開かれた扉から姿を現したのは、一人の美しい女性だった。
 腰まである長い艶やかな黒髪に、濃い蒼色の双眸を持つ佳人だ。
 ――この人が桔梗屋敷の主人かな?
 隆一が『雅さん、雅さん』と崇拝するような口振りで熱心に語っていたことが思い出される。
 目前の女性が『雅さん』なら、父の熱意も頷ける気がした。
「はい。今日から、こちらでお世話になる砂波冬子です。――椎名さんですか?」
「いいえ。わたくしはこの館の居候ですわ。美月木蓮(みつき もくれん)と申します。以後、よしなに」
 美女――木蓮が微笑む。
 ふと、その笑顔が消え去り、深い海のような双眸が細められた。
「何故かしら。不思議な気が致しますわ。昔、何処かでお逢いしたことがあるような……」
「はぁ。でも、初対面……ですよね?」
 怪訝な表情で、冬子は木蓮を見返した。
「ええ、初対面ですわね。――雅から話は聞いていますわ。どうぞ、中へ」
 木蓮が流れるような仕種で片手を動かし、掌で玄関の中を示す。
 優雅な白い手に導かれるようにして、冬子は玄関へ足を踏み入れた。
「こちらですわ」
 木蓮が玄関からホールへと身を移す。
 冬子は素直に従った。
 冬子の視線は無意識に木蓮の足許へと吸い寄せられていた。
 ちゃんと足がある。
 足音もしているし、影だってある。
 ――誰よ、桔梗屋敷の住人は幽霊だなんて言ったの!
 心の中で苦々しく毒突く。
 大学に蔓延する噂は、やはり身勝手な想像の産物なのだ。
 現に木蓮は幽霊などには見えない。
 玄関ホールを抜けたところは、二階まで吹き抜けになった壮麗な空間だ。
 正面には両開きの木扉がどんと構え、その左右に二階へと続く緩い曲線を描く階段が設置されていた。
「雅を呼んできますわ。それまで、大広間でお待ち下さいませ」
 木蓮が正面の大きな扉を開く。
 彼女は呆気にとられている冬子を残し、颯爽と階段を上っていってしまうのだ。


 取り残された冬子には、大広間で待つ以外に術がなかった。
 バッグ片手に、開かれた扉から室内に侵入する。
「――げっ!」
 瞬時、冬子は顔を引きつらせた。
 視界には、四十畳はゆうに越えるであろう豪華な室内が広がっている。
 白を基調としたアンティークな調度や装飾で彩られた美しい部屋だ。
「な、なるほど『大広間』ね……。驚かない、驚かない。ここは、そういう家なのよ」
 ブツブツと独り言ちながら手近にあったソファにバッグを置く。
 部屋の大きさに一々衝撃を受けていたのでは、身が保たない。
 これから一ヶ月、この屋敷で暮らさなければならないのだ。早く慣れるに越したことはない。
「凄いっ! あっちも全部桔梗なんだ!」
 冬子は窓際に視線を馳せ、不意に弾けるように駆け出した。
 巨大なガラス窓が並ぶ向こう側にも桔梗畑が広がっているのだ。
 窓から外を窺い、冬子はいつの日か大学の屋上から観た光景を思い出した。
 今、目にしているのは中庭に当たる部分だろう。
 桔梗屋敷は『コ』の字型をした建造物なのだ。
 正門を基準にして考えると、屋敷は『コ』の字を右に九十度回転させた形で建てられていることになる。その証拠に、大広間の窓からは左右に伸びる長い建物が見えていた。
「ホントに桔梗が好きなのね、ここの主人。――っと、中庭にも噴水が……」
 ふと視線がある一点に引き寄せられる。
 表の庭と同じく、中庭にも噴水があるのだ。
 無論、彫像もだ。
 だが、飾られた彫像は『悪魔の乙女』ではない。翼を広げた男の像だった。
「……天使? それとも、また悪魔?」
 距離が遠くて、台座のプレートまでは見えない。
 冬子はそれを勝手に天使だと決めつけることにし、背を返した。
 その瞬間――
「うわっ!?」
 冬子は口から悲鳴を発していた。
 自分の真横に二つのブロンズ像が並んでいたからだ。
「ど、銅像っ!? こんなところにあったかな?」
 震えを帯びた声で、冬子は自問した。
 広間の何処に何があったかなど、明確に覚えてはいない。
 ただ漠然と『こんな至近距離に像があるのはおかしい』と感じた。
 これほど近くにあれば、その存在を認識していたはずだ。
「嫌だ……気味が悪い――」
 渋面を造り、二つの像を見比べる。
 一つは、二本足で立ち、衣を纏っているヒトコブラクダだ。
 もう一体は、見たこともない奇怪な生物だった。
 狼に似た胴体部分――その背からは鷲のような翼が生え、尾は蛇のそれと酷似していた。
 どう見ても、実在する動物ではない。
「……さっきまでは絶対無かったのに」
 愕然としながらも、冬子は薄気味の悪い銅像に歩み寄っていた。
 恐怖や驚きよりも興味心が先に立った。
 得体の知れない獣よりはラクダの方が馴染みがある。
 慎重に手を伸ばし、ラクダの頭にそっと触れる。
 冷ややかな金属の感触に、ホッと安堵の吐息が洩れた。
「銅像が動くわけ……ない――」
 言いかけた言葉を、冬子は咄嗟に呑み込んでいた。
 熱いものに触れたようにパッとラクダの頭から手を離し、驚異に満ちた眼差しで銅像を凝視する。
 動くはずのない銅像――その瞳がギョロッと動き、冬子を見上げたのだ。
 瞬きをする大きな丸い瞳に、冬子の頭は混乱を来した。
 じわじわと心の底から怯えと恐怖がせり上がってくる。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁっっっっっ!!」
 無意識に唇から絶叫が迸っていた。



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2009.06.28 / Top↑
「いやっ! な、な、何なのっ――!?」
 訳も解らずに立ち竦み、冬子はパクパクと口を開閉させた。
 直後、ガバッと背後から口を塞がれる。
 一気に混乱の度合いが増した。
「木蓮。この騒々しい生き物は何だ?」
 すぐ間近で冷静な男の声が囁く。
 そこで冬子は初めて、自分の口許を覆っているのが人間の手だという事実に気がついた。
「まあ、砂波冬子さんですわよ、雅」
 雅――瞬時にその名の持ち主に思い当たり、冬子は慌てて顔を上向かせた。
 少し長めの黒髪が、サラサラと冬子の額にかかる。
 頗る端正な顔立ちの青年が、不機嫌そうに自分を見下ろしていた。
 銀縁眼鏡の奥で、黒曜石の双眸が冷たく輝いている。
 目が合った瞬間、冬子は勢いよく青年の手を振り払っていた。
 素早く身を転じ、青年と相対する。
「椎名雅……! 女じゃなかったのっっ!?」
 青年に向かって、ビシッと人差し指を突きつける。
 冬子はずっと『雅』を女性だと思い込んでいたのだ。
 だから、桔梗屋敷に住むことも承諾したというのに……。
 目の前に佇む人物は紛れもなく男性だ。
 二十代前半の若い青年。
 しかも、切れ長の瞳が印象的な美青年だ。
「生憎、正真正銘の男だ。砂波教授の娘だな。俺が屋敷の主――椎名雅だ」
 悠然と冬子を見返し、青年――椎名雅は淡々と告げた。
「ああ、えっと……砂波冬子です。よ、よろしくお願いしま……す」
 挑戦的な眼差しで睥睨され、冬子は口許を引きつらせながら言葉を返した。
 雅の不遜な態度に少しだけムッとした。
 それに彼は、さっき冬子のことを『生き物』呼ばわりしたのだ。
 初対面相手に失礼な話である。
「――で、君は何故、我が家でけたたましい悲鳴をあげていたんだ?」
 雅の探るような視線が冬子に注がれる。
 闇のような瞳だ――と冬子は思った。
 鋭い視線を浴びた途端、身体が竦んだ。
 本能が『怖い』と警鐘を鳴らした。
 ――早紀が見たのは、雅さんかもしれない。
 そんな考えが脳裏をよぎったが、その思考は木蓮の声によってすぐに遮られた。
「雅、その仏頂面はどうにかなさった方がよろしいですわよ。冬子さんが怯えていますわ」
 木蓮が窘めるように告げる。
 彼女は、フンッと鼻を鳴らす雅に溜息をついてから、優しい笑顔を冬子に向けてきた。
「悲鳴の原因は何ですの?」
「あっ……その、銅像が動いたんですけど?」
 躊躇いがちに応じる。
 その言葉に、木蓮は哀しげに表情を翳らせ、雅は不愉快そうに眉根を寄せた。
「まあまあ、そんなはずはないのですけれど……。でも、もしかしたら、冬子さんのことを気に入ったのかもしれませんわね、この子たち」
 木蓮が銅像の頭をそれぞれ撫でる。
 どこまで本気で言っているのか解らない、柔らかな口調だ。
「馬鹿馬鹿しい。銅像が動くわけないだろ。――屋敷を案内するからついてこい」
 冷たく吐き捨て、雅が踵を返す。
 正に『一蹴』である……。
「そういえば、冬子は青蘭の学生だったな」
 勝手に冬子を呼び捨てにしながら、雅が思い出したように足を止め、振り向く。
 冬子が無言で頷くと、雅は形の良い唇の端をつり上げて笑った。
「ようこそ『桔梗屋敷』へ――」
 初めて見る雅の笑顔には、意地悪と皮肉がたっぷりと含まれていた。


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2009.06.28 / Top↑
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 冬子の私室は、一階左翼部分に設けられていた。
 玄関前の廊下を左に進み、垂直に折れた部分の奥である。
 八畳ほどの洋間に、バスとトイレが別個についていた。
 与えられた部屋に荷物を置くと、冬子は廊下で待つ雅と木蓮の元へ急いだ。
 この短時間で一つ解ったことがある。
 それは、雅が『短気な性分』だということだ。
 他人がもたついてるのを見ると、苛立ちや鬱陶しさを感じる質らしい。
 冬子は彼の怒りを買わないように、何事も迅速に行わなければならなかった。
「遅い。一番奥が木蓮の部屋だ」
 部屋から出てきた冬子を軽く睨み、雅が隣室を指差す。
 ――そんなに怒らなくてもいいのに……。
 相変わらず不機嫌な面持ちの雅からツンと顔を逸らし、冬子は木蓮の傍へと歩み寄った。
 木蓮は、雅とは対照的に穏やかな表情を湛えていることが多い。
 同じ女性ということもあり、冬子は自然と好意を抱くようになっていた。
「気兼ねなく遊びにいらして下さいね、冬子」
 雅に感化されたのか、いつの間にか木蓮までもが『冬子』と呼ぶようになっていた。
「あとの二つは空き部屋で、今は物置として使っている」
 冬子のささやかな反抗を意に介さず、雅は颯爽と身を翻す。
「あっ、雅さん。あたし、パパから家事を手伝うように言われてるんだけど?」
 スタスタと歩く雅の隣に並び、冬子は思い出した父の言葉を繰り出した。
「必要ない。ウチの住人は、いつ起きるていつ寝るのか解らない連中ばかりだ。お互いプライベートにも干渉しない。だから、食事の用意も部屋の掃除も無用だ」
 雅から返ってくる答えはにべもない。
 矢継ぎ早に言われて、冬子は軽く眉根を寄せた。
 この屋敷の住人は、同じ家に住んでいるのに食事を共にすることもなければ、滅多に顔を合わせることもないらしい。
 それでは一緒に住んでいる意味がないようなものだ。
「寂しい暮らしね。せめて夕食くらい一緒に食卓を囲めばいいのに」
 思わず率直な見解が口をついて出てしまう。
 すかさず雅の鋭利な眼差しが冬子を射た。
「家主の方針にケチをつけるな」
「でも、冬子の言う通りかもしれませんわ、雅。冬子が滞在している間だけでも、夕食はご一緒しませんこと?」
「――木蓮」
「わたくしは冬子の意見に賛成ですわ」
 雅の目つきの悪さには慣れているのか、木蓮は臆した様子もなく柔和に微笑む。
 短い沈黙の後、雅の口から大きな溜息が落とされた。
「……夕食は午後七時。それから、住人の私室以外なら勝手に掃除してもいい」
 木蓮の笑顔に毒気を抜かれたのか、雅はアッサリと『家主の方針』を翻した。
 もっとも、その声には渋々といった響きが含まれていたが。
「じゃ、決まりね! あたし、これでも料理は得意なのよね。ところで、桔梗屋敷に住んでいるのは、全部で何人なの?」
 冬子は、雅が自分の意志を曲げたことに小気味よさを覚えながら明るく問いかけた。
「五人だ。今は三人だけどな」
 簡潔に応えながら、雅が身体の向きを転じる。
 話をしているうちにホールに辿り着いたのだ。
 雅が躊躇わずに階段に足をかけたので、冬子は小首を傾げた。
「雅さん、右翼棟は?」
 怪訝な面持ちで雅を見上げる。
 まだ一階右翼部分を案内してもらっていない。
「あっちは図書室と碧(みどり)とセイの部屋しかない」
 雅が足を止め、愛想のない声音で告げる。
「ミドリさんとセイさん?」
「ウチの住人だ」
「へえ。二人とも女性?」
「残念だが、どっちも男だ。ついでに二人ともしばらくは留守だ」
「碧は、連城(れんじょう)碧。セイは、篝(かがり)セイと言いますのよ。碧は今、ご自分の愛馬を探しに海外へ出かけていますわ」
 雅の説明を補うように、木蓮が言葉を紡ぐ。
「セイは私用がありまして、ご自分の住処に帰っていますのよ」
「住処? ああ……実家のことね」
 木蓮の言葉に、冬子は曖昧な微笑を浮かべた。
 留守だという二人がどんな人物だか知らないが、雅のように偏屈で無愛想な男性ではないことを願いたい。



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2009.06.28 / Top↑
 二階の造りは一階とほぼ同じだった。
 大広間の上に当たる部分は、食堂と厨房とに部屋が二分されている。
 そこを手早く案内すると、雅は二階左翼棟へと足を運んだ。
「ああ、言い忘れていたが――中庭には大広間のバルコニーからしか行けない」
 廊下を歩きながら、雅が思い出したように説明する。
 冬子は、即座に大広間の様子を脳裏に描いた。
 中庭に面した部分は大きなガラス窓が並んでいた。
 よくよく思い返してみると、その中の一つが把手のついたガラス扉だったような気がする。
 それがバルコニーへと続く『扉』なのだろう。
「こっちには、俺の部屋と書斎しかない」
 左翼棟に着いた途端、雅が如何にも面倒臭そうに人差し指で並ぶ扉を差す。
 長い廊下には扉が二つしか存在していない。
 雅の言う通り、彼の書斎と自室しかないのだろう。
「次は右翼棟だ――」
 雅が踵を返した瞬間、遠くの方からドタンバタンッと荒々しい物音が聞こえてきた。


「フザけんなよっ! 何考えてんだよ? オイ、コラッ、碧っ――!!」
 激しい騒音に何かを罵るような叫びが混じる。
 少年の声のようだ。
 突然の叫びに、冬子は驚いて立ち竦み、不安そうに雅を見上げた。
「操(みさお)の癇癪ですわね」
 困ったように呟く木蓮。
 雅は大仰に溜息を吐き出した。
「……みたいだな。しょうがない奴だ」
 低く告げ、止まっていた足を動かし始める。
 その後ろを木蓮が追ったので、冬子も自然と彼らに倣った。
 何が起こっているのか想像もつかないが、ついて行けば事情は判明するだろう。
 雅は右翼棟へ向かっているようだった。
「ちくしょう! ちくしょう、ちくしょうっ!!」
 ガチャンッ! ガラガラッッ!!
 右翼棟に近づくにつれ、物音は激しくなる。
 右翼棟のある一室の前で、雅は足を止めた。
「入るぞ、操」
 雅が無感情に告げ、中からの返答も待たずに扉を引き開ける。
 転瞬、視界を真っ白な物体が埋め尽くした――宙を舞う白い羽根だ。
「勝手に入ってくんなよっ!」
 荒い罵声と共に、白い物体が物凄い速度で飛来してくる。
 雅はヒョイと首を傾け、難無くそれを躱わした。
「えっ!?」
 直後、雅の避けたソレが冬子の顔面に直撃する。
 痛みや衝撃はなかった。
 驚きに、顔面を打ちつけた物体を慌てて手に取る。
 純白の枕だった。
 引き裂かれた枕からは柔らかい羽毛が飛び出している。
 室内を飛び交っているのは、この残骸だろう。
 改めて室内をまじまじと見回す。
 床に時計や電話などが散乱していた。
 どれも激しく破損している。
 先ほどの物音は、これらを床に叩きつけた時に発生したものらしい。
「操、その破壊癖は何とかしろ」
 唖然とする冬子の眼前で、雅が冷たい視線を部屋の中央へ投げる。
 純白の羽毛が舞う室内に、一つだけ鮮やかな赤が浮かび上がっていた。
「だってよぉ、雅――」
 赤い物体が、飛び散る羽根を掻き分けるようにして接近してくる。
 短い髪が燃えるような赤色に染まっている少年だ。
 雅を見上げる双眸も、カラーコンタクトでも入れているのか同じ赤だった。
 冬子はボロボロの枕を両手に抱えたまま、派手な少年と雅とを交互に見比べた。
「碧が帰ってこなかったら、どーすんだよ?」
 少年の顔が悲痛に歪む。
 彼は今にも泣きそうな表情で雅を見つめていた。
「碧が旅に出てから、ずっとこうなのですわ」
 冬子の耳元で、木蓮がそっと囁く。
 碧という名は先刻耳にしたばかりだ。
 確か一階右翼棟の住人で、現在留守だという男の名だ。
「なあ、碧の奴、ちゃんと帰ってくるよな?」
「さあな。直接、本人に訊けばいいだろう」
「訊いたら、電話を切られた」
 少年――操が憮然と唇を尖らせる。
 先刻の罵声の相手は碧だったらしい。
 電話を切られた腹いせに、操は室内で暴れていたようだ。
「そのうち帰ってくるだろう。心配するな。――それより、我が家の新しい住人だ。砂波教授の娘、冬子だ」
 宥めるようにポンと操の頭に片手を乗せ、雅が冬子を振り返る。
「砂波冬子です。よろしくね」
「へえ、あんたが砂波教授の娘か。オレは椎名操だ。よろしくな」
 冬子が挨拶を述べた途端、操はそれまでの苛立ちや悲嘆が嘘のように表情を明るくさせた。
 冬子を見つめる双眸には、悪戯っぽい輝きさえ浮かんでいる。
「椎名?」
 雅と同じ姓だ。
 反射的に、冬子は説明を求めるように雅に視線を転じていた。
「操は俺の弟だ。今年、十六になる」
「オレ、砂波教授の娘に逢えるの、楽しみにしてたんだ」
 嬉しげに破顔し、操は冬子に歩み寄ってきた。
 冬子の手から枕を取り上げ、見分するように顔を覗き込んでくる。
 瞬時、彼の顔から笑みが消失した。
「日本人なのに変わった目をしてるな」
「えっ……」
 冬子はきつく眉根を寄せた。
 容姿のことを言われるのは嫌いだ。
 自分自身、髪と瞳の色には多大な疑問を抱いている。
 他人に指摘されるまでもないことだ。
「操――」
 雅が咎めるように弟をジロリと睨む。
「悪い悪い。冗談だよ。オレ、他人のこと言える立場じゃないもんな。オレの髪と瞳――生まれ付きなんだぜ。スゴイだろ?」
 冗談めかした口調で告げ、操はニヤリと唇の端を吊り上げた。
 先ほどの言葉に悪意が含まれていないことは、操の明るい態度が示している。
 操は率直な性格の持ち主なのだ。
 感じたこと、思ったことを、素直に口にする性分なのだろう。
 邪気のない操の物言いと笑顔に、冬子は釣られて微笑んだ。
「ミサオくん、あたし、部屋の片付け――手伝おうか?」
 あちこちに物が散乱している操の部屋の惨状を見て、提案する。
「平気平気! こんなの一秒あれば、すぐ元通りになるぜ」
 快活に笑い飛ばし、操は闊達な足取りで自室へと引き返しゆく。
「操。夕食は冬子が用意してくれるそうだ。七時には食堂にいろ」
「りょーかい!」
 雅の言葉に片手を挙げて応え、操は部屋の扉を閉めた。
「ホントに手伝わなくていいのかな?」
 あの惨状では、片付けるのに半日ほどかかりそうな気がする。
 冬子は閉ざされた扉に視線を馳せながら、大きく首を捻った。
「操のことは放っておいてよろしいですわよ。浮き沈みの激しい気分屋さんですから」
 木蓮が呆れを含んだ声で囁く。
 その隣で、雅も軽く首肯した。
「操はああいう性格だ。気にするな。――これで屋敷の案内は終了だな」
 お役目御免だ、と言わんばかりに清々と言い放ち、雅が背を返す。
「あっ、雅さん! あそこの奥の部屋は?」
 冬子は咄嗟に雅の腕を掴んでいた。
 残る一方の手で、操の私室の隣を指差す。
「ああ……忘れてた――」
 虚を衝かれたように、雅がその部屋の扉を凝視する。
 僅か一瞬、雅の身体が強張った。
 それを誤魔化すように素早く冬子の腕を外し、雅は口許に自嘲気味な笑みを忍ばせる。
「あそこは《開かずの間》だ。開かないとは思うが、万が一開いた時には無闇に中に入らないように」
「どうしてよ?」
「化け物が住み着いてる可能性がある」
 至極真面目な口調で告げた後、雅は唇に綺麗な弧を描かせて笑った。
 微笑みに嫌味な感じを織り交ぜ、更にからかうように言葉を連ねる。
「ここは、幽霊が出るという『桔梗屋敷』だからな」


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2009.06.28 / Top↑
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 夜の静寂が屋敷全体を取り巻いていた。
 広い空間を有している屋敷は、その広大さを誇示するように、しんと静まり返っている。
 与えられた部屋のベッドに横になりながら、冬子は枕許の置き時計にチラリと視線を走らせた。
 時刻は午前二時。
 なのに、依然として冬子は眠りに就けなかった。
 新しい環境と『桔梗屋敷=お化け屋敷』という拭えぬ先入観に、心が騒ついてるせいかもしれない。
「うう……眠れない」
 大きく寝返りを打ち、冬子はベッドの脇にある小さなスタンドの明かりを点けた。
 夕食時に木蓮から手渡された紙片を開く。
 この屋敷の簡単な見取り図と、住人たちの名前を記したものだ。
「椎名雅、二十四歳。性格悪し。顔はイイけど、無愛想で意地悪で嫌味。椎名操、十六歳。雅さんの弟。操くんは破天荒な性格さえ除けば、いい子よね。美月木蓮。二十二歳。木蓮さんは何も言うことなしね」
 身を起こし、ブツブツと独り言ちる。
 現在留守だという二人は、『連城碧』『篝セイ』という文字を当てるらしい。
「セイさんは二十六歳ね。あっ、碧くんは同じ歳だわ! ――って、こんなことしても、眠れな~い……」
 不意に、冬子は馬鹿らしくなって紙片を手放した。
「冷たい飲み物でも取りに行こう」
 気分を切り替えるようにベッドを抜け出し、廊下へと出る。
 廊下も静謐な空気に包まれていた。
 壁に設置されたランプ型の照明が、仄かな明かりで廊下を照らしている。
 二階の厨房までずっとこの薄明かりの中を歩くのかと思うと、少なからずゾッとする。
 昼間は何も感じなかったが、夜の微睡みの中では巨大な洋館は一種独特の雰囲気を醸し出している。
 要するに不気味なのだ。
「怖くない、怖くない。そのうち慣れるわ」
 自身を勇気づけるように言葉を繰り返し、冬子は廊下を歩き始めた。
 慣れるまで時間がかかるかもしれないが、意地でも慣れなければならない。
 両親が帰る日まで、ずっとここで暮らさなければならないのだから。
「そういえば、昼間はうまくはぐらかされたような気がするけど……。あの銅像、確かに動いてたわよね?」
 階段の下に辿り着いたところで、冬子はふと思い出した。
 雅と木蓮は否定したが、ヒトコブラクダの目が動いたのを冬子はしっかりと見てしまっている。
 冬子は恐る恐る大広間の方へと視線を流した。
 直後、大広間の扉が僅かに開き、そこから光が洩れているのを発見した――誰か起きているのだ。


「……わたくし、不思議と冬子とは初対面の気がしませんのよ」
 静かな声音が扉の隙間から流れ出てくる。
 木蓮の声だ。
 声の主を確定するなり、冬子は大広間へと歩み寄った。
 木蓮に厨房まで付き合ってもらおう、と咄嗟に思ったのだ。
 扉の把手に手をかけようとした、その瞬間――
「俺もそう思う。彼女の瞳は似ている」
「わたしも同意見ですな。あの少女、《月の方》に似ておいでです」
 木蓮とは別の声が、冬子の聴覚を刺激した。
 どちらも聞き覚えのない声だ。
 雅でも操でもない。
 驚きに手を引き戻す。
 息を潜め、冬子は隙間から中を窺った。
 木蓮の話し相手が非常に気になったのだ。
 だが一瞬後、冬子は部屋を覗いたことをひどく後悔した。
「――――!?」
 悲鳴をあげそうになる口を慌てて手で塞ぐ。
 大広間には木蓮以外に人間の姿はなかった。
 代わりに奇妙な生物が存在していたのだ。
 ――な、なっ、何なのよっ!?
 驚倒のあまりに瞼が瞬きを停止した。
 木蓮が話しかけているのは、あの銅像たちなのだ。
 しかも、昼間見た時のように動いているだけではない。
 ちゃんと色彩があるのだ。
 ラクダも翼ある獣も、血が通っているとしか思えない。
 体毛のフサフサとした感じが遠目にもはっきりと見て取れるのだ。
 その上、人語まで喋っている。
 とても信じられない光景だ。
「貴方たちもそう思うのですね。では、やはり……冬子はわたくしに縁のある者なのですわね。もしかしたら、姉上の――」
 木蓮は至極当たり前のように話しかけている。
 彼女の言葉を最後まで聞き終えないうちに、冬子は身を翻していた。
 ――何なのよ、何なのよ、何なのよっっっ!?
 疑問が胸中で激しく渦巻く。
 遭遇した光景が、とても現実のものとは思えなかった。
 ――銅像が実は生きていて、動いて、喋って……。木蓮さんは、それを認めている。
 何がなんだかさっぱり解らなかった。
 恐怖と驚愕に頭はパニックを引き起こしかけている。
 慌てて自室へ逃げ帰り、冬子は一目散にベッドに滑り込んだ。
 早紀の言う通り、やはり桔梗屋敷は『幽霊屋敷』なのかもしれない。
「あ、あたしは……何も見てない。これは、きっと悪い夢よ」
 脳裏を掠める悪い考えを打ち消すように激しくかぶりを振り、冬子は布団にくるまった。
 ――これは夢だ。明日になれば、きっと銅像は銅像のままだ。
 冬子は堅く瞼を閉ざした。
 さっき目撃したものは全て夢か、錯覚に違いない。
 ――もしかしたら、あたしは足を踏み入れてはいけない異世界へ飛び込んでしまったのかもしれない。

 でも、もう二度と引き返せない。

 ふと、そんな不吉な予感が頭をよぎった。
「あたし、知ってる。今は、まだ思い出せないけど……あたしは木蓮さんを知ってる。ううん……木蓮さんに似た人を知ってる――」
 震える唇で言葉を紡ぎ、冬子は頭から布団を被り直した。
 ――これは、失われた記憶の断片だ。
 この不可思議な桔梗屋敷には、失われたはずの記憶が眠っている。
 急速に薄らいでゆく意識の中で、冬子は漠然とそう思った――


     「Ⅱ.悪魔学」へ続く


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