ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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◆S・E・E・D 【完結】

  シード

▼作品傾向:ホラー(軽めです)・夏▼


 《種恐怖症》のユイの元に実家からスイカが送られてきた。
 恋人の透がそれを切った時から悪夢が始まる――

 ホラーですが、おそらく夏敷以外の誰も恐怖を感じないと思います(汗)
 ホラーとギャグは紙一重。半笑いしながらお読み下さいませ(^▽^;)



【INDEX】

           10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20  


  
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2009.07.12 / Top↑
 夏は、嫌いだ。


 ――夏はキライ。
 楠本ユイは、夕暮れの雑踏の中を歩きながら胸中で繰り返した。
 八月中旬――東京は夏真っ盛り。
 しかも、今日は最高気温三十六度を超える真夏日だった。
 生まれも育ちも北海道のユイには、かなりキツイ。
 ユイの故郷――北海道B市は、夏は三十度を超え、冬はマイナス三十度を超すという、気温差の激しい土地だ。
 暑い夏には慣れている。
 だが、東京は、ユイの知っている夏とは違う。
 北の大地のカラッとした暑さとは異なり、湿気が多く、蒸し暑い……。
「やっぱ違うよねぇ。ジメジメしていて気持ち悪い……」
 ユイは二年間通り慣れた商店街を進みながら、Tシャツの胸元をパタパタと手で扇いだ。
 当然、それくらいでは不快な暑気を払拭することなどできない。
 しつこく纏わりつく陰湿な熱気に、ユイは不機嫌そうに眉根を寄せた。
 地元の高校を卒業してすぐ、ユイは東京都中野区にある銀行に勤務した。
 豪雪地帯である田舎を脱出して、晴れて独り暮らし。
 公私ともに首尾は上々。不満はない。
 仕事も思いの外に順調だし、恋人の透とも巧くいっている。
 決して極上の幸せではないが、ひどく不幸でもない毎日。
 周りの人たちに比べて見劣りのしない平凡な日常。

 なのに――
 夏は憂鬱だ。

 何もかもが嫌になってくる。
 投げ出したくなってくる。

 異様なまでの暑さだけが原因ではない。
 ユイの過去には何か『夏』に纏わる嫌悪すべき出来事があったのだ。
 ユイにとっては、とてつもなく衝撃的で、憎悪すべき事柄が……。
 ユイ自身は、その『何か』を克明に思い出すことが出来ずにいるのだが――
 思い出せそうで、思い出せない。
 そんなもどかしさがユイの心にもやを落とし、《夏嫌い》に拍車をかけていた。
「わたし、夏生まれなのに、何で夏がキライなのかなぁ?」
 仄暗くなってきた空を仰ぎ見ながら、ユイは独白する。
 自問の言葉は、虚しく人混みに吸い込まれた――



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2009.07.12 / Top↑
 陽が完全に沈む前に、ユイはマンションへと辿り着いた。
 煉瓦造りの五階建ての小綺麗なマンション。
 三階にある1LDKに、ユイは恋人の透と一緒に住んでいた。
「ただいま」
 玄関ドアを開け、気怠げな動作で靴を脱ぎ捨てる。
 真夏の熱気にあてられたせいか、身体が妙に疲れていた。
 商店街で買い物をした白いビニール袋を片手に、リビングへと足を向ける。
 ドアを開けた瞬間、エアコンの心地好い冷気がユイの身体を通り抜けていった。
「おかえり」
 透が首だけをねじ曲げてユイをn見つめ、破顔する。
 透は、少し長めの髪を後ろで一つに束ね、Tシャツに短パンという簡素な姿でソファに寝転がっていた。
『ユイの彼氏、カッコイイね』と友人や同僚から羨ましがられる恋人の爽やかな笑顔を目にして、ユイも釣られるように微笑んだ。
「早かったのね、透」
 後ろ手でドアを閉め、ユイは透の傍らへ異動した。
「夏休みだからね。今日は、大学の図書室に本を借りに行っただけ」
 透は嬉しげに告げて、腕を伸ばした。ユイを引き寄せて、軽くキスする。
 鷹野透。ユイより一つ年上――今年で二十一歳になる痩身の青年。新宿区にあるW大学の文学部に籍を措いている現役大学生だ。
 二人の出逢いは去年の秋――透たちの主催する合コンにユイが参加したことが発端だった。
 会社にW大文学部の彼氏を持つ同僚がいて、ユイは人数合わせのために無理矢理参加させられたのである。
 乗り気ではなかったユイだが、会場で透に出逢い、一目惚れした。
 透の出身地がユイと同じ北海道であることが発覚してからは、面白いように会話が弾んだ。アルコールを呑んだ勢いも加わって、二人はその夜ホテルに直行し――付き合うことになった。
 交際を開始直後、透は自分のアパートを引き払い、ユイの部屋に転がり込んできた。そして、現在に至る。
 ありふれた出逢い、ありきたりの同棲生活だが、ユイは透と過ごす日常を大切にしていた。
 珍しく、自分から惚れた男だ。絶対に手放したくない。
 幸いなことに、透の方もユイと過ごす時間を楽しんでいるようだった。
 透と一緒にいると心が安らぐ。
 毎日顔を合わせ、特別喋ることもなく無言の時が続いても苦にならない。
 いつも透を愛しいと想う。
 東京のゴミゴミとした雑踏の中で、透と暮らすこの世界だけがユイにとって唯一のオアシスだった。
「夏休み――懐かしい響きだわ。いいよね、学生さんは」
 ユイは唇を尖らせながら、軽く透を睨む。
 夏の暑い中、毎日会社までの道のりを三十分も歩き、朝から夕方まで職場に拘束される自分。それに対して透は、単位を落とさない程度に講義に出席すれば良い上に、夏休みは一ヶ月以上もある。
気ままな透と社会人である自分を比較すると、否が応にも不平の言葉が零れてしまう。自分の選択した人生を透に八つ当たりするのは、明らかな間違いだと解っていても……。
「大変だね、OLさんは」
 透はユイの心情を見透かしたようにニヤッと意地悪な笑みを浮かべ、再びユイにキスするのだ。
 決して、露骨にユイを非難しようとはしない。
 透は、出逢ったころからそういう優しい人間だった。
「――嫌ね、夏って!」
 ユイは急に自分の発言に羞恥を感じて、慌てて透から離れた。
「きっと、暑さのせいでイライラして、僻みっぽくなってるんだわ」
 透への嫌味を夏の暑さのせいにして、ユイはキッチンへと身を移した。
 透の忍び笑いが背中を追ってきたが、敢えて無視する。
 ユイは買い物袋の中身を片付けるために冷蔵庫の扉を開けた。
 刹那、
「――――!?」
 ユイは傍目にも解るほど思い切り顔をしかめた。
 一瞬遅れて、背筋がゾッと粟立つ。
 自然と目が大きく見開かれ、身体中が総毛立った。

 鼓動が速まる。
 眩暈がする。
 吐き気がする。
 頭が痛い。
 息が、出来ない――

 バタンッッ!!
 無意識にユイは冷蔵庫の扉を勢いよく叩き閉めていた――



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2009.07.12 / Top↑
「何だよ、ユイ? もっと静かに閉めろよ」
 突然の大きな物音に驚いたらしく、透がギョッとしたようにソファから起き上がる。
 ユイは、震える唇を噛み締めながらゆるりと透を振り返った。
 次いで、手からビニール袋が離れ、ドサッと床に落下する。
「……と、透――」
 ユイは覚束ない足取りで透の傍へ戻った。
 血の気の失せた真っ青な顔を透へ向ける。
「顔、青いぜ。――貧血か?」
 透がユイの異変に気づいて軽く眉根を寄せた。
 不思議そうな――不審そうな眼差しが、じっとユイに注がれている。
 ユイは無言でかぶりを振った。
 力なく透の傍らに頽れる。
「……違うの……そうじゃ……ないの」
 ユイは、喉に片手を当てながら苦しげに呻いた。
「おまえ、凄い冷や汗だぞ?」
 透の指がユイの額に触れ、滲み出る冷たい汗を拭う。
 透の指の熱さが妙に気持ちよかった。
 ユイは数度深呼吸し、乱れた息を整えようと努めた。
「……透。冷蔵庫のアレ――何?」
 嫌悪の眼差しを透に向け、かたてで冷蔵庫を指差す。
「えっ? 何って……?」
 透が首を傾げる。ユイの言わんとすることが理解できないのだろう。
「あっ……!」
 数秒考えた末に、透は唐突に目をしばたたかせた。
「ひょっとして、スイカのことか?」
「そうよ。何で、アレがあるのよっっ!?」
 透の言葉を聞くなり、ユイは声を荒げた。

 西瓜。
 夏の定番。
 赤い果肉に数え切れないほどの醜く黒い種子が散らばっている、おぞましい食べ物。

 真っ二つに切り分けられ、ラップをかけられたソレが、冷蔵庫を我が物顔で占拠しているのだ。
 その姿を思い出すだけでもゾッとする。
 あの、小さく黒い種が、ユイを呪縛する。
 今にも襲いかかってきそうで――怖い。

「何、怒ってんだよ? 今日、ユイの実家から宅配便で届いたんだよ。ユイが帰ってきたら一緒に食べようと思ってさ、冷やしといたんだ」
「余計なことしないでっ!」
 ユイはキッと透を睨めつけた。
「オイ、おまえ……ちょっと変だぞ? スイカを切ったくらいで――」
「やめてっ! ダメなのよ、わたしっ!!」
 ユイは青ざめた顔で透を見つめ、彼の言葉を乱暴に遮った。
「ダメって、何が?」
 怪訝そうな透の表情と視線。
 ユイは、口内に溜まった唾液を大きく呑み込んでから、震える声で告げた。
「ダメなの、わたし……あの――種が」
「はっ? 種?」
 透が益々不可解だというように眉を跳ね上げる。
「……わたし、《種恐怖症》なの」
 ユイは縋るような眼差しで透を見上げた。
 透は《種恐怖症》という言葉が耳慣れなかったらしく、唖然と瞬きを繰り返している。
 透がその言葉を疑問に思うのは当然のことだ。
 それは、ユイが己の特異体質に勝手に命名した病名なのだから……。
「ダメなのよ、わたし……。一センチ前後の小さな種の塊を見ると、怖いの。あの、群がっているのを目にすると虫に見えて――今にも動き出しそうな気がして、気持ち悪いの……。特にスイカはダメ……。黒い種は最悪――」
 喋っているうちにまたスイカの断面を思い出して、ユイは身震いした。



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 ――どうして、スイカにはあんなにウジャウジャと種があるのだろう?
 言い表しようのない生理的嫌悪。
 他人には理解できないだろう――苦痛。
「群がる種は、大嫌い。見るだけで鳥肌が立って、頭痛がして――吐き気がする。スイカもメロンも……カボチャもダメ。ううん、群れる種だけじゃないわ。最近ではリンゴや梨の種でさえゾッとするのよ」
「……ユイの実家、農家だろ?」
 透は、珍しいものを見るような目つきでユイを見下ろしている。
 彼の問いに、ユイは小さく頷いた。
 北海道にある実家は農業を営んでいる。稲作がメインだが、西瓜もメロンも南瓜も生産していた。
 透は『どうして、農家の娘が自分の家で作っているものを嫌いなんだ?』と疑問に思ったのだろう。
「野菜や果物が嫌いなわけじゃないのよ。種がダメなの。群がる種と、黒い種が」
 ユイは、自分の主張を透に解ってほしくて頑なに繰り返した。
「ソレ、家族は知ってんだろ?」
「当たり前よ」
 ユイは再度首肯した。
 家族はユイの《種恐怖症》を知悉している。
 チラリ、と過去の嫌な映像が脳裏を掠めた。
 ユイが中学生だった頃、一つ年上の姉が『ユイ、これ、美味しいから食べてみなよ』と言いながら黒斑のある黄紅色の丸い果実を差し出したことがある。
 石榴だった。
 当時、実際に石榴を目にしたことのなかったユイは、姉の言葉を信じ、従順にその実を割った。
 中から出てきたのは、ルビィ色の無数の種だった。
 群がる種――種・種・種種種種種種種種!
 ユイは、悲鳴をあげながら石榴を放り投げた。
 怯えるユイを姉は笑って眺めていた。
 ユイの《種恐怖症》を知っていて、からかったのだ。
 その後、姉は『こんなに美味しいのに勿体ない』と事も無げに言い、石榴を囓っていた。
 身の毛のよだつような種の群れ。
 ユイには、どうしてもそれが虫に見えた。
 平然とそれを口にする姉が不気味な怪物に見えた――
「じゃ、何でわざわざスイカを送ってくるかなぁ?」
 透のボヤきに近い声。
 それが、嫌悪すべき思い出からユイを現実へと引き戻した。
 透の声は、不思議とユイの心を安らかにしてくれる。
「親心でしょ」
 幾分平静さを取り戻したユイは、軽く肩を聳やかしながら透の疑問に応じた。
「ウチの親、田舎を出て東京で独り暮らしをしている娘のことを心配してくれているの。いつも色んなものを送ってくれるわ」
「独り暮らし、ねぇ……」
 透が困ったように頬を指で掻く。
 ユイは、透と同棲していることを両親に報告してはいなかった。
 その事実に、ユイも透も多少の罪悪感を覚えているのだ。
 長く嘘をついているというのは思いの外に困難だし、何より相手に対して気が引けてしまう。
 ユイは、今度実家に帰った時には透のことをちゃんと両親に話すつもりでいた。
「わたしの《種恐怖症》のことは知ってるの。でも、一昨年も去年も『あんたは食べなくてもいいの。誰かにあげなさい』って送ってくるのよね。まっ、実際。その通りにしてるんだけど……。まさか、今年は透がスイカを切っちゃうなんて思いもしなかったわ」
 ユイは恨めしそうな視線を透に注いだ。
 透が一瞬たじろいだように頬を引きつらせ、次に大きく息を吐いた。
「……悪かった。《種恐怖症》のことは知らなかったけど、ユイ宛の荷物を勝手に解いちゃったのは、明らかにオレが悪い。ゴメンな、ユイ」
 透は心から申し訳なく思っているらしく、真摯な表情でユイを見つめ返してくる。
 ユイは一つ頷き、
「解ってるならいいのよ、透」
 ニッコリと笑みを浮かべた。
 意想外に西瓜のグロテスクな姿を目撃してしまった時の恐怖と苦痛は、既に払拭されつつある。
 嫌なことは早く忘れてしまうべきだ。
「とにかく、わたしはスイカ食べられないから、早いうちに透一人で何とかしてね。それじゃなきゃ、わたし、冷蔵庫にも近寄れないんだから」
「ハイハイ」
 冗談めかして告げたユイの頭を透の大きな手がポンポン叩く。
「ユイの親が心を込めて作ったスイカだもんな。切ったからには、ちゃんとたべなきゃな」
「ありがと、透」
 ユイは再び微笑んだ。
 釣られるように透も笑う。
「でも――」
 ふと、その透の笑顔が曇った。
「何で、種が虫に見えるんだ?」
 問いかけられて、ユイはほんの数秒言葉を失った。
『何故?』と訊かれても、返答に困る。
 それは、幼い頃に《拒絶事項》として本能に植え付けられたものなのだから。
 そう、子供時代からずっと――
 そこまで考えて、ユイは困惑した。

 幼い頃。
 子供時代。

 一体、それは、いつのことだったのだろうか?

 思い出せない。

「さあ、どうしてかしら――」
 ユイは釈然としない面持ちで首を捻った。



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 昏い光が周囲を照らし出している。
 延々と続くかのような平地に、ユイは一人ポツンと立っていた。
 キョロキョロと辺りを見回してみるが、自分の他には誰もいないし、何もない。
 仄昏い闇が立ち込めているだけだ……。
 妖異な世界に、闇と同じような光が射している。
 暗い光――黒い光。
 光のはずなのに少しも輝いてはいない、奇怪な光彩。
 ――これは、夢……ね……?
 とても現実の世界だとは考えられなかった。
 ユイは、この奇妙な世界を勝手に『夢の世界』と決めつけた。
 自分の裡の夢世界――ならば、何も畏れることはない。
 己に言い聞かせ、ユイは足を踏み出した。
 直後、
『――ユイ』
 背後から声をかけられた。
 ユイはビクッと身体を震わせて立ち止まる。
『ユイ』
 声が迫ってくる。
 驚愕に心臓が縮む思いをしたが、よくよく反芻してみると、それは自分がよく知っている青年の声だった。
 優しい恋人の透。
 ユイはホッと安堵の息を吐くと振り返った。
 闇の中に透の顔が白く浮かび上がっている。
「透……」
 微笑を湛える恋人を確認して、ユイは再度胸を撫で下ろした。
 だが、それはほんの束の間のこと――
『ユイ。ホラ、見てごらん』
 透は白い微笑みを浮かべたまま、両手をスッとユイの目前に差し出したのだ。
 彼の手の中にあるのは、赤い果肉をさらけ出した西瓜。
 艶々と濡れ光りする漆黒の種が、強烈に存在をアピールしている。
「――――!?」
 ユイは大きく息を呑んだ。
「と、とっ、とおっ……る……!?」
 あげようとした悲鳴は喉に逆流し、上手く言葉にならない。
『どうした?』
 仮面のような笑顔を貼り付けた透が、更にズイッと西瓜を前に押し出す。
 ゾワッ。
 幾多もの種たちが一斉に動いた。
 目の錯覚ではない。
 種は、自らの意思を持って果肉の中を泳ぐように蠢き始めたのだ。
 ……ドクンッ……ドクンッ!
 心臓が高鳴る。
 鼓動が速まる。
「い……やっ……! やめて、透っっ!!」
 額から冷たい汗を流し、全身の毛を波立たせながら、ユイは必死の思いで叫んだ。
『変な奴だな。うまいぜ。コレ』
 透が西瓜を口許へ持ってゆき、一気にかぶりつく。
 ムシャムシャと透は事も無げに種いっぱいの果肉を咀嚼する。
 唇の両端からだらしくなく赤い果汁が垂れ、小さな黒い種が溢れ出る。
 種は、這うようにして透の顔の上を自由自在に動き回っていた。
「――とお……る……」
 ユイは顔面が強張るのを禁じ得なかった。
 気持ちが悪い。
 ――吐き気がする。
 透は何故、あんなものを平気で食べているのだろうか?
 信じがたい出来事だ。
「や、やめてっ……! やめて、やめて、やめてぇぇぇぇぇっっっっっ!!」
 ユイは絶叫した。
 無意識に閉じた双眸から熱い液体が零れ落ちる。
 嫌悪と恐怖がユイの全てを支配していた。


『ユイちゃん』
 唐突に透の気配が消え、新たな声がユイの耳をくすぐった。
『どうしたの、ユイちゃん?』
 声は低い位置から聞こえてくる。
『ユイちゃん?』
 変声期前の――高めのボーイソプラノ。
 聞き覚えがあるようでないような、少年の声。
 ユイは勇気を振り絞り、恐る恐る瞼をこじ開けた。
『ユイちゃん』
 眼前に小学生くらいの男の子が立っていた。
 穏和な面立ちをした、華奢な少年。
 見覚えがあるような、ないような……。
 少年の顔へ視線を落とし、
「――ひっ!」
 ユイは小さな悲鳴をあげた。
 少年も透と同じように西瓜を手にしていたのだ。
『ユイちゃん、スイカ大好きでしょ』
 少年はあどけない笑顔をユイに向け、西瓜を差し出した。
「あっ……ちがっ……わたし、スイカなんて……大嫌い……!」
 ユイは後退りしながら震える声で抗議した。
『何、言ってるの? ユイちゃんはスイカが大好きだったんだよ』
 少年は黒い種がビッシリと詰まった西瓜を掲げ、ズイズイとユイに接近してくる。
 ユイは拒絶の意を込めて首を横に振っ ――大好きだったんだよ。
『だった』――過去形。
 それは一体、いつまでの過去のことなのか?
 ユイには微塵も見当がつかなかった。
『ユイちゃんは、スイカもボクのことも大好きだったんだ』
 少年が容赦なくユイに西瓜を突き出す。
「いやっ!」
 反射的にユイは少年の手を振り払っていた。
 少年の手から西瓜が弾け飛び、地面に激突する。
 グシャッと音を立ててひしゃげた西瓜から、ゾロゾロと黒い種たちが這い出してきた。
『ユイちゃん』
 少年が一歩ユイに近づくにつれ、種の群れも一緒になってついてくる。
「いやっ! こっちに来ないでっ! 大体、あなた、誰なのよっっっ!?」
 ユイは蒼白な顔で少年を凝視し、激しく誰何した。
『ユイちゃん……ボクのこと忘れちゃったの?』
 疑問をぶつけた瞬間、少年の顔がひどく哀しそうに――寂しそうに歪んだ。
「わ、わたし……あなたのことなんか、知らない」
『……ヒドイよ、ユイちゃん』
 少年が泣き出しそうな表情でユイを見上げる。
 つと、腕がユイへと伸ばされた。
 ユイは咄嗟に身を引こうとしたが、少年の行動の方が僅かに速かった。
 子供とは思えない力強い手が、ユイの手首をギュッと握り締める。
『ヒドイよ』
 繰り返される言葉。
『ボクの身体をこんなにしたのに、ボクのことを忘れちゃうなんて!』
 少年の顔から哀愁が消え失せ、代わりに怒りが具現される。
 ユイに――ユイだけに向けられた、計り知れぬ激昂。
 少年の双眸からボロボロと涙が溢れ出した。
 黒い涙だった。
 滂沱と化し、止めどなく流れ落ちる黒き涙。
 ――涙?
 いや、違う。
「いっ……いやぁぁぁぁぁっっっっっっ!!」
 ソレの正体を悟るなり、ユイは喉の奥から絶叫を迸らせていた。
 少年の瞳から流れているのは、決して涙などではない。
 厭わしき――黒き種だ。
 ユイが真実に気づいた刹那、少年の肌にプツプツと黒点が生み出された。
 瞬く間に、少年の全身が真っ黒い種で覆い尽くされる。
 人の形をした――種の化け物。
 しかも、一粒一粒が細かく震えるように蠢いている。
 ユイの首を掴む少年の手も例外ではない。
 おぞましい種の怪物が、ユイを呪縛している。
 ゾゾッ……ゾゾゾゾソッ……。
 種の群れは、物凄い速度でユイの腕を這い上がり、更に全身に広がろうとしている。
 種から発せられる明確な悪意と殺意を感じて、ユイは恟然と目を瞠った。
 原因不明のままに向けられた憎悪の念、そして生理的恐怖ゆえに身体が硬直する。
 ――どうして……わたしなの?
 答えを模索する余地はなかった。
 生を得た黒き種たちが、ユイの顔にまで侵攻してくる。
『ユイちゃん、ヒドイよ』
 全ての種たちが、少年の声で同時に恨み言を放つ。
「いっ、いやぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!」
 狂気に侵されたユイの悪夢は、唐突にブラックアウトした――



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2009.07.12 / Top↑
「――イ……ユイ?」
 意識の遙か上層部で、自分を呼ぶ声が聞こえる。
「ユイ?」
 今度はもっとはっきりと――力強く。
 ユイは水中を浮上するような感覚の中で、呼び声に応えようと必死に意識の覚醒に努めた。
「ユイ? ――ユイ!」
 身体が――本体が軽く揺さぶられている。
 しかし、水面はまで見えない。
「ユイ、目を醒ませよ!」
 ペチペチと数度頬が叩かれたようだ。
 微かな痛みを感じる。
 その刺激が妙心地好かった。
 意識の水面が見える。
 ユイは躊躇わずに水面を突き破り、そこから顔を出した。


「ユイッ!」
「――ん……」
 ユイは、声に導かれるようにして瞼を押し上げた。
 朧な視界に、愛する透の顔が見える。
「透……?」
 恋人の心配そうな表情を確認して、ユイはハッと我に返った。
 急激に意識が覚醒する。
「透!」
 ユイは、頬に添えられた透の手をやにわに掴んだ。
 何かから逃れるように、透に縋りつく。
「大丈夫か? おまえ、酷くうなされてたぞ?」
 透の両手がユイを包み込むように抱き締めてくれる。
 透の温もりが、ユイを現実へと引き戻した。
 しっかりと自分を抱き留めてくる透の存在に安息を感じた。
 あの、おぞましい種の襲撃は全て夢だったのだ。
「夢を……見ていたの」
 透の胸に顔を埋めながら、ユイは弱々しく呟いた。
「思い出すのも嫌な――悪夢よ」
 喋りながらもユイは寒気を覚えて、ブルッと身体を震わせた。
 全身が冷や汗で濡れている事実に、初めて気がついた。
「そっか。怖い目に遭ったんだな。でも、もう大丈夫だ。オレが傍にいる」
 透の手がユイの髪を撫で、優しく頭を引き寄せる。
「わたし……」
 ユイはゆっくりと透を見上げた。
 透が『何?』というように軽く首を傾げる。
「わたし、種に……種が――」
 ユイは説明しようとしたが適切な言葉を探せずに、結局口籠もってしまった。
「――種?」
 透の眉間に皺が寄る。
「ああ。スイカを見ちゃったから、夢にまでそれが現れたんだろ? おまえ、ホントに《種恐怖症》なんだな」
 透は、納得したような、何処かホッとしたような口調で述べた。
 ユイの悪夢を『大したことではない』と判断したのだろう。
「そんな不安そうな顔するなって。ただの夢だろ? それに、種は何もしないさ」
「……そう……かな? でも、種は……わたし、きっと……種に――」
 ユイはフッと表情を翳らせた。
 得体の知れない恐怖と戦慄が、まだ全身に纏わりついている。
「何だよ? 心配性だな」
 透は屈託なく微笑む。
 その心強い笑顔を見ていると、先に続く言葉が言えなくなってしまった。
 ――わたしは、いつか種に殺される。
 ユイは、喉元まで出かけた言葉を強引に呑み込み、唇を噛み締めた。
 夢の中の種は、紛うことなき殺意を持っていた。
 ユイに対する恨み、妬み、憎しみ、怒り――あらゆる負の感情を孕み、種は襲いかかってきたのだ。
 ――どうして、わたしなの?
 ユイは、知らず知らずのうちに夢に出現した少年に胸中で問いかけていた。
 種から発せられた怨嗟と殺気は、そのまま少年の心情を反映したものだろう。
 ――わたしは……種に殺される。
 何の根拠も確証もなかったが、ユイは漠然とそう思った。
「わたし……少しだけ思い出したの」 
 ユイは、透を見つめながら掠れる声で呟いた。
「何を?」
 透が不思議そうにユイを見返してくる。
「わたし、昔は食べられたのよね――スイカ。凄く好きだった……」
 そう。夢の中で少年が告白したように、自分は子供の頃、西瓜が大好きだったのだ。
 夢を見て、思い出した。
「でもね、ある日……突然食べられなくなったの。どうしてなのか、解らないけれど――」
 ユイは緩慢に言葉を紡いだ。
 記憶を掘り出そうとすると、頭に鈍痛が生じる。
 自分の裡のもう一人の自分が『思い出すな』と、警告しているようだった。
 ――あの子、わたしのことを知っていた。わたしは覚えてないのに……誰なの?
 少年の儚げな顔が脳裏に甦る。
 何故だか、少年のことを考えると胸がキリキリと痛んだ。
 またしても別の自分が『封印した過去の蓋を開けるな』と注意を促す。
「わたし……大好きだったはずのスイカが食べられなくなったの。小学校五年の時に――」
 ユイは茫然自失の体で唇から言葉を吐き出した。
 十歳の時、自分を大きく変えてしまうような『何か』があったことは間違いない。
 好物の西瓜が食べられなくなり、《種恐怖症》に陥る原因となった『何か』が。
 その時、同時に心に楔を打ち込まれ、背に十字架を負ったはずだ……。
 だが、依然として記憶は蘇生されない。
 生涯忘れてはならぬはずのことを、自分はすっかり消却しているのだ。
 だからこそ、少年はユイを憎んでいる。
『何か』を忘却の彼方へ押し遣ってしまった自分を、少年は絶対に赦さないだろう。
 ――わたしは殺される。
 全身が冷たくなってゆくのを感じながら、ユイは正体不明の殺意に怯えた。
 謎めいた少年のことは、何一つ――塵ほども思い出せない。



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2009.07.12 / Top↑
 何なんだ、あの怯えようは?
 鷹野透は、閑散とした学食でAランチを口に運びながらきつく眉根を寄せた。
 昨夜から恋人である楠本ユイの言動が気になって仕方がない。
 西瓜を目にした瞬間から、ユイは酷く『何か』に怯えるようになった。
『種が怖い』と震え、喚き、泣く――蒼白な顔の恋人。
 あんなに狼狽えるユイを、透は初めて目にした。
 まるで別人のようだ――
「たかが種じゃないか。種の何に畏怖してるのか、オレには全く理解できないね」
 ボソッと独りごちる。
 転瞬、
「独り言は怖いぞ、透」
 慣れ親しんだ声が頭上から降ってきた。
 同時に、目の前に同じAランチを乗せたトレーが静かに置かれる。
 透は慌てて物思いから脱し、目だけで声の主を見遣った。
「何だ、木戸か」
 自分の向かいに腰を下ろした人物を確認して、透は小さく息を吐いた。
 背の高い、ヒョロリとした痩身の青年は、透の親友――木戸雅人だった。
「いきなり声かけるなよ。ビックリするだろ」
 透は非難の眼差しを木戸に注ぎながら、野菜サラダのトマトにフォークを突き刺した。
「おまえの独り言の方が不気味だよ」
 木戸は薄く笑い、エビピラフをスプーンですくい上げる。
「――で、種って何のこと?」
 ピラフを一口食べ終えると、木戸は徐に質問を繰り出してきた。
「ユイがさ、ちょっと変なんだ。種に過敏な反応を示すんだよ。本人曰く《種恐怖症》だってさ」
 透は困惑気味に木戸を見つめ、幾分投げ遣りに告げた。
「種――恐怖症?」
 木戸がスッと双眸を眇める。思いがけず友人は興味を抱いたらしい。
 フレームレスの眼鏡の奥で、瞳が怜悧な輝きを発していた。
 木戸は微笑んでいることが多いが、いつも目だけは本気で笑っていない。
 透は長年のつき合いでそれを悟っている。
 木戸は、頼りなげな外見とは裏腹に芯が強く、鋭い洞察力を持ち合わせている、頭のキレる男なのだ。
 透は、この聡明な友人を殊の外気に入っていた。大学の中で、唯一本音で話の出来る信頼すべき人物だった。
 透は、躊躇わずに昨日のユイの奇異な言動について木戸に打ち明けた。
「マジで酷い怯えようなんだ。顔なんか真っ青で、冷や汗はダラダラだし……」
 透は苦虫を噛み潰したような顔で吐露する。
 ユイの恐怖に引き攣れた表情が脳裏から離れない。
「夢にまで種の群れが出てきてユイを襲った、って言うんだぜ? 幽霊にでも遭遇したみたいに凍り付いた顔でさ。なんか、見ちゃいけないものを見ちゃった、感じ……。オレ、どーしていいのか解んねぇ」
「へえ……ユイちゃんに、そんなアレルギーがあったとはねぇ」
 途方に暮れる透に、木戸が気の毒そうな視線を投げて寄越す。
「なあ、あいつ、ノイローゼかな?」
「う~ん……いや、だから一種のアレルギーなんじゃないか? ユイちゃん、子供の頃は確かにスイカやメロンを食べられた、って言ってたんだろ?」
 木戸が考えに耽るように顎に片手を添える。
「ああ。小学五年の時にイキナリ食べられなくなったんだってさ。見てるだけでも気持ち悪くなるくらい、ダメらしいよ」
「先天性じゃなくて後天性のアレルギーか。――じゃ、その直前に何か《種恐怖症》になるような衝撃的事件が起こったんだな。種に恐怖を抱かずにはいられなくなるような事件か……見当もつかないな」
「オレにも想像がつかない」
 木戸の真摯な眼差しを正面から受け止めながら、透は重い溜息をついた。
 どうしてなのか解らない――昨夜、ユイはそう述べていた。
 原因不明。
 微塵も思い出せない、と……。
「そもそもユイ本人が《種恐怖症》になった理由が思い起こせない、って言ってたからな」
「厄介だな」
 木戸の表情が微かに曇り、眼鏡の奥の双眸が暗い光を湛えた。
「とりあえず、ユイちゃんには頑張って契機になった出来事を思い出してもらうしかないよな。記憶が甦り、発端が何だったのか判明すれば、アレルギーへの対処方法も見つかるだろ。まあ、ユイちゃんの症状があんまり酷いようだったら、ちゃんと心療内科に診てもらえよ、透」
「…………」
「そんなに心配するなって」
 透は露骨に不安げな表情を浮かべていたのだろう。すぐに木戸から励ましの言葉が返ってきた。
「原因が判れば何とかなるさ。透まで暗くなるなよ。ユイちゃんを支えてやるのが、おまえの役目なんだから」
 慰めの言葉を付加して、木戸はコーヒーカップに手を伸ばした。
「ああ、そうだ。誰かにお裾分けしようと思ってさ、持ってきたんだ――スイカ。オレ一人じゃ食べきれないから、木戸にやるよ」
 不意に、透は大事なことを思い出し、隣の椅子に載せていた白いビニール袋を手に取った。
 中には、ユイの実家から送られてきた西瓜の四分の一が入っている。
 ユイが早急に処分してくれと懇願するので、少し切り分けて大学まで持ってきたのだ。折角実家から送られてきたものなので、捨てるのは流石に気が引けた……。
「ありがとう」
 木戸は嬉しそうに笑い、袋を受け取った。
 彼の手に袋が握られるのを見届けながら、
「ユイの過去、か……」
 透は独り言のように呟いた。
 突如として《種恐怖症》に陥ったユイ。
 小学校五年生。
 十一歳の時の出来事が胸に蟠っているらしい。
 ユイは今年二十一歳――
「ちょうど十年か」
 十年という歳月に妙な重みを感じて、透は我知らず身震いした。



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2009.07.12 / Top↑
 コポッ……。
 コポ、コポ、コポッ……。
 楠本ユイは、コーヒーメーカーの中で揺れる琥珀色の液体をぼんやりと眺めていた。
 職場の給湯室で、アイスコーヒーの作り置き作業をしている最中である。
 ――昨日の夢……何だったんだろう?
 大好きなブルーマウンテンの芳香が漂う中、ユイは昨夜の夢を反芻していた。
 仕事中も脳裏から離れてくれない映像――
 見覚えのない少年。
 虫のように蠢き回る、西瓜の種。
 そして、西瓜を好きだったという自分……。
 何もかもが不条理で不可思議。
 ――あの子、わたしを知っていた。何故だろう?
 着々と増してゆくコーヒーを見つめながら、ユイは軽く眉根を寄せた。
 何度思い出そうとしても、記憶の中の《過去》に少年の姿を見出すことは出来ない。
「どうしたの、しかめっ面なんかしちゃって?」
 意識を過去に飛ばしていると、不意に正面から声がかかった。
「――あっ! なんだ……恵か」
 唐突に現実に引き戻され、ユイは数度目をしばたたいた。
 目の前には、制服姿の女性が立っている。同僚の桜庭恵だ。
 ユイは軽く安堵の息を吐いた。
 恵とは、同期な上に同じ窓口担当ということもあり、行内では一番仲がよい。
「何でもないよ。コーヒーを落とすのに、ちょっと時間がかかっちゃって……。ボーッとしてただけ」
「そう。――もうすぐ終わりそうね」
 恵がコーヒーメーカに視線を落とし、進行具合を確認する。
「うん。後は粗熱を取って、冷蔵庫で冷やしたらお終い。お役ご免だわ」
「そっか、じゃあ、ナイス・タイミングね! お得意様からメロンをいただいたのよ。課長がみんなで食べなさい、って」
 恵が『夕張メロン』と記された白い箱を見せ、嬉しそうに微笑む。
『メロン』という言葉を見聞きしただけで、ユイの肌は早くもゾクリと粟立った。
「切るの手伝ってよ、ユイ」
 そんなユイの心情を知らずに、恵が明るく告げる。
「あっ、ゴメン……。わたし、メロンは――」
 ユイは申し訳なさを感じながらも、言葉を濁すことで恵に訴えた。
 恵が怪訝そうにユイに視線を馳せる。一瞬後、彼女は何かに思い当たったらしく、軽く瞠目した。
「ああ、そっか……。ユイ、メロン嫌いだったもんね。ゴメンゴメン。うっかりしてたわ」
 恵は素早く謝罪し、白い箱をシンク脇の調理台に乗せる。
「あたし、コーヒーの方も一緒にやっておくから、先に戻ってなよ」
 恵が箱の蓋を開け、中からマスクメロンを取り出す。
 甘い薫りが鼻先を掠め、ユイは思わず顔をしかめてしまった。匂いから連想してしまうのは、やはり密集したオレンジの種だ。
「うん、でも――」
「いいの。コーヒーもメロンもあたしに任せておきなさいって。だって、見るだけで吐き気がするんでしょ? 《種恐怖症》も楽じゃないわね」
 恵が用意したまな板の上にメロンをセットし、包丁をあてがう。
 ここは恵の言葉に甘えることに決め、ユイは微笑みで感謝の意を表すと、大人しく給湯室を後にした。
 あれ以上の光景は正視に耐えない。
 包丁で真っ二つに切った瞬間、中からおぞましい種の群れが顔を覗かせるなんて、想像しただけでも鳥肌が立つ。
 種は――嫌い。
 ――わたしの裡の恐怖を呼び醒ますから。
 ユイは脳裏で描いたメロンの種子に寒気を覚え、両の二の腕を代わる代わる掌でさすった。
 ――わたしが《種恐怖症》に陥ったのは、小五の時。……あの子も、それくらいの歳に見えた。
『ユイちゃん、ボクのこと忘れちゃったの?』
 哀しげにそう問いかけた少年の顔が、思考の波間に浮かんでは消える――
 女の子のように愛くるしい顔をした、優しげな少年。
 ――わたし、あの子のことホントに知らないの?
 ユイは困惑気味に自問した。
 だが、いくら考えても答えは『解らない』としか導き出されない。
 小学生の時、当然のことだがユイは北海道B市に住んでいた。
 とすると、やはりあの少年とは地元の小学校で逢っていることになる。
 小学五年の時、自分に――自分を取り巻く環境に、何が起こったのだろうか?
 その頃の思い出はあやふやで、正直あまり鮮明に記憶に残されてはいない。
 十年という歳月の経過と共に色褪せ、薄れつつあるのだ。
 ――当時のことを思い出せば、必然的にあの子のことも解るはずよ。
 ユイは物思いに耽りながら一人頷いた。
 ――今日、帰ったら、お母さんに電話で訊いてみよう。
 畏れていては――謎を謎のまま放置しておくのは、得策ではないように思われた。
 自分には、甦らせなければならない《記憶》が確かにあるのだ。
 ――でも、どうして……わたしは、そんな大事なことを忘れてしまったんだろう……?
 胸中に芽生えた疑問に頭を悩ませながら、ユイはバックオフィスへと向かった。
 自分のデスクに座ると、正面に巨大な窓が見える。
 ガラス越しの外界は、今日も恐ろしいほどよく晴れている。
 夏の熱気が陽炎を起こし、世界を奇妙に歪めていた――



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2009.07.12 / Top↑
 エアコンから吹き出す冷風が、今が真夏であることを束の間だが忘れさせてくれる。
 ユイは、リビングのソファで涼しい空気を浴びながらテレビを観ていた。
 画面には、人気バラエティ番組が映し出されている。
 いつもなら容易く笑いの渦に巻き込まれるユイだが、今夜は少しも笑えなかった。
 浮かない表情で画面を眺めていると、
「ユイ、飯。どうせ、まだ食ってないんだろ?」
 目前のテーブルに、トマトのたくさん載ったパスタサラダが差し出された。
 透の優しげな微笑みが、ユイの視界を占領する。
「――あっ……うん……」 
 ユイはソファから身を起こすと、気怠げに透を見上げた。
「ゴメンね、透。冷蔵庫、どうしても開けられなくて――」
 言いながらも、ユイの頭には不快なビジョンが浮かび上がっていた。無意識にグッと眉間に皺が寄る。
 冷蔵庫の中には、まだ西瓜が残されている。
 その姿を目にするのも穢らわしかった。
「気にするなって。オレもたまには料理しないいと腕が鈍るからさ」
 透はあくまでも優しい。ユイに対して余裕の笑顔さえ向けてみせるのだ。
「じゃ、オレ、バイト行ってくるな」
 透の手がテーブルに投げ出してあったバイクのキーを掴む。
 透は、午後九時から翌午前三時まで近くのバーでウェイターのアルバイトをしているのだ。
「うん。気をつけてね」
 ユイは頬の筋肉を僅かに動かして、辛うじて言葉を紡いだ。
 その精彩の欠けた声音に気づいたのか、リビングのドアに手をかけた透が不安そうに振り返った。
「ユイ、おまえさ……あんまり酷かったら、一度病院へ行った方がいいぞ。もちろん、オレも一緒に行くけど」
「病……院……?」
 告げられた瞬間、ユイは透の真意を掴みあぐねた。
 だが、彼の言葉を反芻すると徐々にそれが何を示唆しているのか理解し、表情を曇らせた。
 透は、ユイの《種恐怖症》を気遣い、『心療内科で診てもらった方がいい』と告げているのだ。
 純粋のユイの身を案じているだけで、彼に悪意はない。
 それは知悉している。
 だが、ユイは『心療内科』という響きに戸惑いを覚えずにはいられなかった。
 自分が抱えている種への生理的嫌悪は、他人からしてみるとそんなに異質で理解し難いものなのだろうか?
「種に対する強烈なトラウマがあるんじゃないか、って木戸が言ってた。過去に種に関する嫌な出来事があって、そうなったんじゃないのか? 催眠療法とかで、昔、何があったのか判明すれば、克服する手段も見つかるかもしれないしさ」
「……うん」
 ユイは曖昧に頷いた。
 そんなことは、透に指摘されなくても解っている。
 自分には、十年前にあの少年と種に纏わる『何事か』があったはずなのだ。
 それを思い出せずに、強い焦燥と苛立ちを感じているのは、他でもない自分だ。
 焦りは、恐怖へと移行する。
「ねえ、透。もし……もしもわたしが死んだら、どうする?」
 ふと、ユイは怯えと不安を透へぶつけてみた。
「その時は――オレもユイの後を追って死ぬよ」
 透が引き返してきて、ユイの頬を手で撫でる。
「……バカね」
「だって、バカだもん、オレ。でも――嘘じゃない。約束する。ユイ一人を死なせるなんてことは、絶対にしない」
 透がゆっくりと唇を重ねてくる。
 彼の想いがひしひしと伝わってくるような、優しいキスだった。
「ありがとう、透。病院の件は頭にいれておくわ。――そろそろ行かないと、バイトに遅れるわよ」
 ユイは、透という恋人の存在を有り難く感じながら、彼に微笑みを向けた。
「おうっ。じゃ、ホントに行ってくるわ!」
 透は簡素に挨拶すると、軽やかな身のこなしでリビングを出て行ってしまう。
 透が玄関から飛び出す物音を聞きながら、ユイはテーブルへと視線を戻した。
 彩りのよいパスタサラダが、ユイに食べられるのを待っている。
 数秒それを見つめ、ユイは唐突に視線を逸らした。
 ――食欲がない。
 ひどく緩慢な動作でテーブルに手を伸ばすと、ユイはフォークの代わりにケータイ電話を取った。
 自然に指がアドレス帳から実家のナンバーを選出し、コールしていた――



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