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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Sat
2009.06.13[16:54]
 久し振りに逢う兄が優しく自分を抱き締めている。
 その現実に、クラリスは自分の措かれている状況を忘れ、しばしマイトレイヤーの麗姿に陶然としていた。
「こんな怪我を負うような無茶をして……」
 シンシリアに傷つけられた頬に視線を落とし、マイトレイヤーが痛ましげに眉根を寄せる。
 彼の細く長い指が傷口にそっと触れ、唇から治癒の呪文が紡がれると、不思議なことに傷口が塞がり、肉体から痛みがフッと消失した。
 マイトレイヤーは、セイリア屈指の魔術師なのである。中でも治癒魔法はお手の物だ。
「兄上――」
 クラリスは、眼前にマイトレイヤーがいることを確かめるように、兄の顔に手を触れてみた。指先から柔らかい感触と温かさが伝わってくる。
 紛れもなく、大好きな兄が目の前に存在しているのだ。
 クラリスはマイトレイヤーを目一杯抱き締めたい衝動に駆られたが、シンシリアの手前、仕方なくグッと堪えた。
「クラリス、本当にこんなところで何をしていたのです? 唐突に姿を消すものだから、流石の私も捜すのに苦労をしましたよ。たった一言、私の名を呼べば、こんなにも簡単に見つけることができるのに――」
 マイトレイヤーが憂い顔を向けてくる。
 兄の言うとおりだ。クラリスが『兄上』と口にするだけで、マイトレイヤーは得意の魔術で自分の居所を見つけてしまうのだ。
 だからクラリスは、この半年間必死に耐えてきた。マイトレイヤーの名前はおろか『兄上』と音に成すことさえ封じていたのだ。
 その禁止事項が己にとって耐え難い苦痛であることは、クラリス自身が誰よりも知悉していた。どうしても堪えきれなくなった時にだけ『あの人』と呼んでいたのである。
 なのに、今までずっと我慢し続けてきたものが、シンシリアのおかげで全て海の藻屑と化してしまった。
「僕はただ……あんな奴に兄上を渡したくないだけです」 
 クラリスは不承不承に真実を告げた。マイトレイヤーを前にして、嘘を貫き通すことなどできやしない。兄の宝玉のような紫色の瞳に見据えられると、不思議と反論や言い訳をする気力を削がれてしまう。
「あんな奴って――まさか、アダーシャ国王の首を狙っていたのではないでしょうね?」
 驚きに瞠目し、マイトレイヤーがまじまじとクラリスを見つめる。
「……いえ、その通りです」
「ああ、何ということを……! 私が来たからには、そんな暴挙は許しませんよ。――今すぐセイリアへ帰りなさい。これは命令ですよ」
「はい。大人しく帰国します」
 ――今は、ね。
 クラリスはしおらしく頷いてみせながら、心の中でペロリと舌を出した。
 占い師の老婆は『目的は達成される』と断言したのだ。
 あの言葉が未来を示しているのならば、自分はいつの日か必ずアルディス聖王を暗殺するのだ。
 愛する兄を強奪しようと企てる不届きな輩を、この世から消し去ってしまうのだ。
「……おまえが素直に頷くと、返って疑いたくなります」
 マイトレイヤーの不安に揺らめく眼差しがクラリスの目を覗き込む。
「僕を信用して下さらないのですか?」
「そうではないですけれど――」
 マイトレイヤーが言葉を濁す。
 クラリスが天賦の二重人格者であることを、実兄であるマイトレイヤーはよく理解しているのだ。そして、頭の切れる弟がこの奇妙な人格を巧く使いこなして、世渡りをしているのも重々承知している。だからこそ、従順な態度の裏に隠された真意を深読みしてしまうのだろう。
「ところで兄上――先ほど僕に『帰りなさい』と言いましたが、もちろん兄上も一緒にセイリアへ帰るんですよね?」
 マイトレイヤーが探るように眼差しを注いでくるので、クラリスはさっさと話の矛先を逸らすことに決めた。
「シンシリア殿が、私たちを黙って帰してくれるとでも思っているのですか?」
 ふと、マイトレイヤーの視線が今まで傍観していたシンシリアへと向けられる。
「私は、ここに残ります。ですから、クラリスは一人でセイリアへ帰りなさい」
「兄上っ!? 残る――って、どういうことですかっ!?」
 クラリスは突然の兄の提案にギョッと目を剥いた。何をどう考えたら兄がそんな結論に達するのか、クラリスには皆目解らなかったのだ。
「シンシリア殿は、きっとそれで納得がいくはずですよ」
「で、でも、兄上――!」
「私があなたの手に渡ったら、私を祭祀長に差し出すのも国王へ突き出すのもご自由に」
 マイトレイヤーがシンシリアを見上げ、穏やかに微笑する。
「マイセの神託を無視して世界が破壊されては、元も子もありません。それに、生け贄と言いましても、生命を奪われるとはっきり決まったわけでもないですし……。私は引き受けても良かったのですが、伯父上が強固に反対して困りましたよ。私が生きるのも死ぬのも、全てはマイセの御心のままなのに――」
 のんびりと語るマイトレイヤーをクラリスは無表情に眺めていた。
 どうやら兄は、マイセの生け贄を引き受ける気でいるらしい。
 ――やっぱり、アダーシャ王の首は獲らせてもらう。
 クラリスは胸中で密やかに決意を固めた。
 改めて心を決めてしまえば、あとはマイトレイヤーにそれを勘付かせないように振る舞うだけだ。
「兄上……」
 クラリスは瞳に偽りの涙を溜め、潤んだ眼差しでマイトレイヤーを見つめた。
「兄上の考えは解りました。そこまで仰るのなら、僕はもう何も申しません」
「クラリス、クラリス――おまえを悲しませるつもりはなかったのですよ。ああ、泣かないで下さい」
 マイトレイヤーがクラリスの頭を抱き寄せ、髪を優しく撫でる。
 流石の兄も、長年訓練し続けてきたクラリスの嘘泣きは見破れないようだった。本気でクラリスに対して罪悪感を覚えているらしい。
 兄を騙していることに良心が痛んだが、クラリスはじっと胸を抉るようなその痛みに耐えた。何が何でもアダーシャ王を謀殺し、大好きな兄を魔手から護らなければならない。そのためなら何だって我慢できた。
「私がここへ残ることを承知してくれるのですね?」
「はい、兄上……」
 クラリスが頷くのを確認すると、マイトレイヤーは再びシンシリアを振り仰いだ。
「シンシリア殿、これで今から私はあなたのものです」
 兄の言葉にクラリスは深い嫉妬を抱いたが、努めて平静を保たせる。
 シンシリアの方は困惑気味に美しい兄弟を見比べていたが――やがて寡黙に首肯した。
 こうして魔法剣士シンシリアは、異国の居候を抱えることになったのである。


 この時、彼らはまだ訪れる運命の残酷さを欠片も知らなかった。
 運命の悪戯というものを全く念頭にいれていなかったのである――


     「4.魅惑の刻」へ続く



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Sat
2009.06.13[16:57]
 マイトレイヤーがシンシリアの屋敷に棲み着いて、早くも一ヶ月が過ぎようとしていた。
 世界は刻一刻と変化し続けているというのに、マイトレイヤーは相も変わらずのんびりしている。穏やかというか、神経が図太いというか――とにかく、彼はシンシリアの屋敷で平然と日常生活を営んでいた。
 弟のクラリスをセイリアへ帰した後は、『サーデンライト公爵』という肩書きも『マイセの生け贄』という強いられた名誉も忘れたかのような緩やかな毎日を送っているのだ。
 屋敷の主であるシンシリアは、どういう訳か中々この居候を祭祀長なり国王なりに突き出そうとはしない。常と変わらぬ様子で王宮勤めをこなしている。
 マイトレイヤーは、屋敷の一室で寝台に寝そべっていた。
 両肘を立て、頬杖をつく。
 目の前には、鍛えられた――美しいとも表現できる見事な肢体が晒されていた。ここはシンシリアの寝室であり、当然のことながら寝台を使用しているのは彼本人である。
 シンシリアは安らかな寝息を立てて眠っていた。
 久し振りにシンシリアが屋敷へ帰ってきたというから、マイトレイヤーは弾む心のままに彼の私室を訪れてみたのだ。
 だが、折角やって来たのにシンシリアは眠っていた。
 仕方なく、マイトレイヤーは寝台に転がり、彼の寝顔に見入っていたのである。
 ――つまらない。
 五分ほどシンシリアの寝顔を眺めていたが、退屈にも程がある。
 マイトレイヤーはそっとシンシリアに擦り寄った。
 シンシリアの濃紺の髪を手で弄び、躊躇いがちに彼の唇に自分の唇を重ね合わせてみる。
「……う……ん……?」
 シンシリアの睫毛が微かに震え、やがて瞼がゆっくりと押し上げられる。
 シンシリアの双眸がマイトレイヤーを捕らえ、驚いたように見開かれる。彼は弾かれたように身を起こした。
「マイトレイヤー、来てたのか……」
「お邪魔でしたか?」
 シンシリアの唇から溜息が零れるのを見て、マイトレイヤーの胸は急に締め付けられるような痛みを発した。彼に鬱陶しく思われたのではないか、と不安がよぎったのだ。
「そんなことはない。ただ、おまえに気づかずに熟睡していた自分を不甲斐なく感じただけだ」
 シンシリアが苦笑混じりに告げ、片手で髪を掻き上げる。
 マイトレイヤーはその顔を覗き込んだ。
「最近、屋敷にも帰って来ませんが――忙しいのですか?」
「ああ、まあ……。ここ数日、祭祀長が国王に謁見に来てるせいだ。おかげで我ら魔法剣士はその護衛につかされている」
 シンシリアが説明するのも面倒臭そうな口調で告げる。
 マイトレイヤーの気配を察知できないほど爆睡していたのだ。心底疲弊しきっているのだろう。
 それは解っているつもりだが、いざシンシリアに無愛想な応対をされると、マイトレイヤーの心は不思議と痛んだ。
「久々に帰ってこられたからな――土産だ」
 マイトレイヤーの顔に刻まれた翳りを察したのか、シンシリアが静かに話題を変えた。
「おまえに渡すモノがある」
「……何ですか?」
 マイトレイヤーは訝しげに首を傾げた。
 シンシリアは片手の指を鳴らし、小魔法でポンッと何かを空中から出現させた。それを無造作に掴むと、マイトレイヤーへ手渡す。
 マイトレイヤーは渡されたモノをしげしげと見つめた。
 黄金細工の首飾りだった。
 決して派手な造りではないが、美しい。随所に施されている繊細な細工が、首飾りを幻想的かつ魅惑的に彩っていた。
 首飾りの中央には、見事なクロスフォーカットにされた碧玉が一つ填め込まれている。シンプルな意匠が、余計に首飾りの高貴さを引き立てていた。
「これを私に?」
「ああ、おまえに似合いそうだと思ったから、何となく買ってしまった――」
 シンシリアがぶっきらぼうに告白する。
「いいのですか、こんな高価なものを……」
 ただの居候がこんなものを贈られていいはずがない。
 マイトレイヤーは探るような眼差しで、じっとシンシリアを見据えた。
「構わない。おまえのために買ったと言っただろ」
「ありがとうございます。――付けてくれますか?」
 マイトレイヤーは思い切って首飾りを差し出した。
 シンシリアが無言で首飾りを受け取り、マイトレイヤーの細くしなやかな首にそれを装着する。
 そして、そのまま彼はマイトレイヤーの肩に手を乗せたまま動かなくなった。マイトレイヤーの鎖骨の辺りに視線を定め、微動だにしない。
「……そんなに似合いませんか?」
 マイトレイヤーが訊ねると、シンシリアは慌てて我に返ったように身を震わせた。
「い、いやっ……似合ってる」
 簡素に言葉を放ち、シンシリアはマイトレイヤーから視線を逸らすと、再び寝台に寝転がった。
 毛布を顔まで引き上げて、マイトレイヤーを拒絶してしまう。
 たったそれだけの仕種なのに、マイトレイヤーは泣きたい衝動に駆られた。
 シンシリアの考えが解らない。
 彼の心が何処にあるのか、マイトレイヤーには見定めることか出来なかった。
「どうして、あなたはいつもそんなに素っ気ないのですか?」
 マイトレイヤーはシンシリアの顔を覆う毛布をずらすと、彼の顔を悲しげに見つめた。
「……これが地だ」
 目を合わせずにシンシリアが応じる。
 マイトレイヤーの胸は、またズキンッと疼痛を発した。
「あなたは私の心に楔を刺しておいて、平然と放置するのですね」
 震える声で呟く。
 シンシリアの屋敷で暮らすようになって数日後――彼はマイトレイヤーの躰を奪ったのだ。それは、マイトレイヤーにとって世界が激変するような衝撃を伴った体験だった。
「マイト――」
 シンシリアがようやくマイトレイヤーに視線を戻す。
 マイトレイヤーは彼の頬を白い手で捕らえて口づけた。
「私は……寂しかったと言っているのです」
「――来い」
 余計な言葉を何一つ言わずに、シンシリアの手がマイトレイヤー腕を掴む。強い力が、あっという間にマイトレイヤーを毛布の中へと引き込んだ。
 シンシリアが素早く身体の位置をすり替え、逞しい腕にマイトレイヤーの細い身体を抱き締める。シンシリアが深く口づけてくると、マイトレイヤーの胸は瞬く間に温かい気持ちで満たされた。
「シン……シン――」
 唇が離された隙に、必死にシンシリアの名を呼び、身体を仰け反らせて彼にしがみつく。
 どうしてこのような関係に発展したのか――正直よく解らない。
 ふと気がつくと、自然とこうなっていたのだ。マイトレイヤーにはシンシリアを拒む理由は全くなかったし、彼とその行為に耽るのが嫌でもなかった。
 シンシリアの腕に抱かれていると妙に落ち着くし、居心地がよい。
 そして、彼が一日たりとも王宮から帰って来なければ、胸がモヤモヤと黒い霧のようなもので包まれ、何故だか不快な気分に陥ってしまうのだ。
 マイトレイヤーには、それがどんな感情であるのか理解できなかった。
 何故なら、彼は二十一年間生きてきて、一度も恋をしたことがなかったのである……。



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Sat
2009.06.13[17:01]
 屋敷の様子がおかしい。
 マイトレイヤーがそう感じ取ったのは、シンシリアが再び王宮へ出向いてから五日ほど経過した時のことだった。
 侍従や侍女たちが自分に出会す度に顔をしかめ、剣呑な眼差しを向けてくるのだ。
 端から異端者であることは承知だが、これまでそれを露骨に顔に表す者などいなかった。
 なのに、この急変は何なのだろう?
 屋敷の主が不在であることが要因なのは解っている。シンシリアが何の音沙汰もなしに五日も家を空けるなど、稀有なことだ。
 正直、マイトレイヤーは寂しいし、不安でもあった。
 一体、自分の宿主はどうしてしまったのだろうか?
 身の回りの世話をしてくれる従者に訊ねても、みな無言で首を横に振るだけなのだ。シンシリア不在の理由を何かしら知っているのだろうが、マイトレイヤーには堅く口を閉ざしてしまう。
 屋敷の気まずい雰囲気に耐え兼ねて、マイトレイヤーは今夜シンシリアを探すことを決意したのだ。
 マイトレイヤーは室内に誰もいないことを確認すると、窓を開け放った。
 暗闇の中に両手を差し出し、深呼吸する。
「精霊よ……。風に宿りし誇り高き精霊よ――どうか、私をあの人のところへ運んで下さい」
 魔術師であるマイトレイヤーは、数種類の精霊を扱うことが可能であった。極端に位の高い精霊は呼びかけに応えてはくれないが、身近にいるごく一般的な精霊はマイトレイヤーに従い、彼を助けてくれるのである。
 闇の中で、サワサワと目に視えぬ何かが動いた。
 いつのまにか無数の精霊が周囲を取り巻いていた。
 敵意は感じられない。
 マイトレイヤーは精霊に身を任せ、瞳を閉ざした。
 何も考えずに心を空白にさせる。
 突如として芽生える浮遊感――だが、マイトレイヤーは特別驚きはしなかった。この不可思議な感覚には慣れている。風の精霊たちがマイトレイヤーの身体を目的地へと運んでいるのだ。


 不意に、精霊たちがピタリと停止した。
 静かに身体が地に降ろされる。
「ありがとう」
 マイトレイヤーが感謝の言葉を口ずさむと、精霊たちは彼の周囲を旋回し、スーッと姿を消した。
 マイトレイヤーは精霊の気配が消失すると、ゆっくりと瞼を押し上げた。
 刹那、その場に釘付けにされ、動けなくなった。
 訪れた驚愕と衝撃に目を瞠る。
 叫ぼうとして口を開けたが、言葉は音にはならなかった。
 自然と身体が震える。
 これが、現実でなければいい、と痛切に思った。
 しかし、自分は精霊に『あの人のところへ運んで』と確かに頼んだのだ。精霊が自分の願いを聞き間違えるなんて有り得ない。そうだとすれば、やはり眼前の光景は現実のものであり、自分はそれを認めなくてはならないようだ。
 マイトレイヤーが今いるのは、暗闇に近い一室だった。
 石造りの小さな部屋――ひんやりとした空気が室内を満たしている。
 蝋燭の頼りない明かりだけが、唯一の光源……。
 セイリア王宮の地下にもここと同じような部屋が幾つもあったので、マイトレイヤーはここが何の目的で造られた部屋なのか瞬時に理解することができた。
 拷問部屋だ。
 部屋の奥に一人の男が囚われている。
 上半身を裸に剥かれ、手には太い枷を課せられている。枷は天井からぶら下がっている鎖に繋がっていた。
「……シン――」
 虜囚となっているのは、紛れもなく自分の宿主であった。
 鍛えられた逞しい身体には、残酷な傷痕が無数に刻印されている。
 刃物で斬り付けられた痕や鞭で滅茶苦茶に乱打された痕――
「シン……シンシリア……」
 掠れた声音で呟き、マイトレイヤーはよろめくようにして気高き魔法剣士に歩み寄った。
 アダーシャの魔法剣士がアダーシャの地下牢に繋がれている原因が、マイトレイヤーの胸を痛ませた。
 ――私のせいだ。
 シンシリアがマイトレイヤーを屋敷に匿っていたことが、国王か祭祀長に露見してしまったのだろう……。
 マイトレイヤーの両の瞳からは自然と涙が溢れ出していた。
 自分のために囚われているシンシリアを目の当たりにして、マイトレイヤーはようやく己の裡に芽吹いた感情に気がついた。
「……クラリス……クラリス、許して下さい。私は彼を――」
 彼を愛してしまった。
 最愛であったはずの弟よりも。
 そう悟った時、マイトレイヤーはここにはいない弟に必死に謝罪していた――



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Sat
2009.06.13[17:03]
 恋愛などというものとは、一生無縁だと思っていた。
 幼い頃より伯父である国王からは帝王学を叩き込まれ、父からは剣術や武術を仕込まれ、そして母からは魔術を教えられて育ってきた。
 恋などする暇もなかった。
 十八歳の時、父が病に斃れた。国王の実妹である母は、宮廷魔術師として王宮へ戻されることになり――必然的にマイトレイヤーがサーデンライト公爵家を継ぐことになったのだ。
 爵位を継承してからは、以前よりも増して多忙になった。
 ふと気がつくと、いつの間にか己の背には、伯父と母の重すぎる期待がのし掛かっていた……。
 マイトレイヤーに対する周囲の過剰な期待や叱咤、嫉妬や羨望を目の当たりにしてきたせいか、弟は周りの人間を信用しなくなった。兄である自分以外には全く懐かないのだ。
 可哀想な弟。
 可哀想な自分。
 弟以外に愛することの出来る人間など、最早この世には存在してはいないと思い込んでいた。
 自分にかけられた期待は想像以上に重く大きく、自分一人の肩では支えられない、ということに誰も気がついてはくれない。
 どうせ婚姻も伯父と母が手際よく取り纏めて、愛情の欠片もない女性とするのだろう、とすっかり諦観していた。
 サーデンライト・マイトレイヤーという人間は『次期セイリア国王候補』という肩書きと『類い稀な美貌』という外見のみで構成されているのだ。
 他には何もない。中身は空っぽだ。
 たとえあったとしても、人々が関心を持ち、愛するのは地位と外見だけに他ならない……。
 お飾り人形として生きるだけの日々に嫌気がさし、鬱屈したどす黒い感情だけが胸の奥深くで蜷局を巻いていた。
 いっそのこと自我を放棄してしまいたい――何度そう痛切に思ったか解らない。
 何年も芳しくない状態が続いていた。そんな日常を壊すように転がってきたのが『マイセの生け贄』だったのである。
 その話を聞いた時、絶望よりも歓喜が先に立った。
 生け贄として人生の終焉を迎えるのも悪くない、と切実に思った。だから、クラリスを追い返してまでアダーシャへ残る決心をしたのだ。
 なのに――このまま死ねると思った矢先に、自分は目の前にいる決して優しいとは言えない異国の青年に心を奪われてしまった。
「シンシリア――私のせいであなたはこんな酷い仕打ちを……あなたはアダーシャの魔法剣士なのに……」
 マイトレイヤーはシンシリアの腰にそっと腕を回した。
「どうして、こんな屈辱を甘んじて受けているのです? どうして……さっさと私を祭祀長に突き出してしまわないのですか?」
 瞳から熱い液体が零れ落ちる。マイトレイヤーは頬を伝う涙をそのままにシンシリアを見上げた。
 シンシリアの双眸が微かに開かれる。
「――マイト……?」
 彼はマイトレイヤーの姿を確認するなり、勢いよく瞼を跳ね上げた。驚きを孕んだ眼差しがマイトレイヤーに向けられる。
「マイトレイヤー、何故ここへ?」
「あなたに逢いたかっただけです」
 簡素に告白したから、マイトレイヤーはシンシリアの自由を奪っている枷に手をかけた。触れた瞬間、電流のような刺激が走ったが、構わずにギュッと枷を握り締める。
「よせ。祭祀長の魔法がかかっている。帰るんだ」
 シンシリアの険しい制止の声。
 だが、マイトレイヤーは静かにかぶりを振った。
「私とて――魔術師です」
 大きく息を吸い込んで、魔法力を掌に集中させる。
 手が青白い光を発した刹那――パンッと枷が弾け、砕け散った。
 同時にマイトレイヤーの手からも鮮血が飛び散る。しかし、そんなことは気にも留めずに、枷から解き放たれ、自由になったシンシリアの身体を素早く支えた。
ゆっくりとシンシリアをその場に座らせ、頬を優しく撫でる。拘禁されていたせいで、少しやつれた気がした。
「マイトレイヤー、手は? 早く止血しろ!」
 灰色の瞳に怒気を孕ませ、シンシリアが軽く睨めつけてくる。
「いいえ。あなたの方が酷い怪我をしています」
 シンシリアの鋭い眼光を微笑みで受け流す。自分のことよりもシンシリアを助けたい想いの方が遙かに勝った。
「大地母神リイザザよ、私に力を――かの者を苛む傷を癒したまえ」
 ひっそりと治癒の呪文を唱える。
 軽度のものはそれだけで簡単に消えたが、シンシリアの身体にはまだ深くて痛々しい傷がしっかりと刻印されていた。
 それらを綺麗に払拭するためには、己の精気を注ぎ込むしかない。
 無論、マイトレイヤーの心は既に決まっていた。
 それを実行に移しかけた瞬間、
「要らぬことはするな」
 シンシリアが低い声音でマイトレイヤーを制した。
「枷が破砕されたことを祭祀長はお見通しだ。すぐにここへ来るぞ」
 だから、今すぐ逃げろ。
 シンシリアの怜悧な双眸はそう告げている。
 マイトレイヤーには到底受け入れられない提案だ。それに、シンシリアの言葉を聞き、胸には新たな決意が芽生えてしまっている。
 マイトレイヤーは微笑を浮かべ、真摯な眼差しでシンシリアを見つめた。
 緩く波打つ濃紺の髪も冷たい印象を与える灰色の眼精も――シンシリアの何もかもが愛おしかった。一緒に過ごした時は短いのに、確かに自分の胸の裡には彼の存在が強く深く根づいている……。
 再び、双眼から涙が溢れ出した。
「……マイトレイヤー?」
 怪訝そうに訊ねてくるシンシリアの唇に、マイトレイヤーは己の唇を重ね合わせた。
 唇を離し、指先でシンシリアの頬に触れる。
「もう少し……あなたの傍にいたかった――」
 掠れるような声で囁き、マイトレイヤーは何かを断ち切るようにシンシリアから離れた。
「どういう意味だっ!?」
 シンシリアが目を瞠り、声を荒げる。
 だが、マイトレイヤーは応えなかった。
 無言で牢の入口に顔を向ける。
 すると、ちょうど牢の堅固な扉が開かれるところだった。
 肥満体をのさのさと揺らして、白衣の中年男が中へと入ってくる。
 白い長衣の胸部には、金色の双頭の竜が描かれていた――マイセ神殿に遣える者の制服だ。
 とても聖職者には見えない好色そうな顔をしたこの男が、アダーシャのマイセ神殿祭祀長デメオラであった。
「おやおや、囚人が一人増えている。これはどうしたことかな?」
 異様にゆっくりとした口調でデメオラが喋る。
 マイトレイヤーは蝋燭の傍へ寄り、自分の姿がデメオラにはっきりと見えるようにした。「やめろ!」とシンシリアの非難めいた言葉が飛んできたが、心を殺して聞こえない振りをした。
「ほうほう、これはこれは――」
 マイトレイヤーの姿を目に入れた瞬間、デメオラは呆気にとられたように口を開け、次いで喜色満面に微笑んだ。マイトレイヤーが何者であるのか瞬時に察したらしい。
「初めまして、マイセの祭祀長デメオラ殿。私がセイリアの――サーデンライト公爵マイトレイヤーです」
 デメオラが上から下まで舐めるように視線を這わせているが、それを無視してマイトレイヤーは毅然と言葉を紡いだ。
「貴殿の信仰心を信じて、お願い申し上げます。この罪なき者を今すぐ解放して下さい。そして――私を連れて行きなさい」
 マイトレイヤーは有無を問わさぬ口調でそう告げた。言葉遣いこそ丁寧だが、明らかに内容はデメオラに対する命令だった。
 デメオラが気圧されたように、何度も頷く。
 それを見届け、マイトレイヤーはデメオラへと歩み寄った。
 途中、一度だけシンシリアを振り返る。
 誇り高き魔法剣士は、憤怒と悲哀が綯い交ぜになったような奇妙な表情を湛えていた。灰色の双眼が鋭い光を宿し、真っ直ぐにマイトレイヤーを射抜く。
 ――ありがとうございます、シンシリア。
 胸中で密やかに呟く。
 たとえ、一時の気の迷いでもシンシリアは自分を抱き、自分のために虜囚となってくれたのだ。それだけで充分だ。シンシリアにとっては戯れだったのかもしれないが、自分は紛れもなく彼に恋し、他人を好きになる悦びを知ることができたのだから……。
 マイトレイヤーは最後に極上の笑みをシンシリアへ向けると、両手をデメオラへ差し出した。
 デメオラがその手首を鷲掴みにし、マイトレイヤーを乱暴に引っ張る。
 牢を出る間際、マイトレイヤーの首飾りが蝋燭の灯りに反射してキラリと輝いた。
 美しい碧玉が填め込まれた首飾り。
 それが、マイトレイヤーがシンシリアから受け取った最初で最後の贈り物となった――


     「5.憂鬱な夜【1】」へ続く



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Sat
2009.06.13[17:05]
 アダーシャの遊郭は、いつも通り華やかな夜を迎えていた。
 通りの至る所で、艶やかなドレスと化粧で身を引き立てた娼婦たちが男たちに声をかけ、とびっきりの笑顔を振りまいている。悩ましくも、活気の溢れる光景だ。
 酒場へはひっきりなしに客が出入りしていた。地元のならず者から裕福そうな旅客まで、多種多様な人々で雑然としている。
 時折、見目麗しい青少年を連れた男たちが足早に宿屋へと吸い込まれてゆく。
 呪い、占いを商いとする妖しげな露店も数多く立ち並んでいた。
 生け贄として選ばれたサーデンライト公爵マイトレイヤーがマイセ神殿へと連行されてから、既に五日が経過している。
 だが、この秩序皆無に等しき乱れた世界では、表で何が起ころうが全く関係なかった。
 街は、毎夜と変わらぬ妖冶な享楽と饗宴に耽っていた。


 様々な騒音や下卑た悪口雑言が飛び交う中を、少年は颯爽と歩いていた。
 歩を進める度に、豪奢な金色の髪が揺れる。
「――よお、クラリス!」
 突然後ろから抱き竦められ、少年――クラリスは驚いて足を止めた。
 顔を振り向けると、しつこく自分につきまとう褐色の肌の男が至近距離で笑っていた。
「今まで何処へ行ってたんだ? ……なあ、ちょっと遊んで行こうぜ。すっげぇ媚薬を手に入れたから、愉しませてやる。久し振りにヤらせろよ?」
 男がクラリスの耳元で熱く囁く。クラリスを抱き締める腕にじんわりと力が加わった。
 クラリスは内心で激しく舌打ちを鳴らし、困ったような上目遣いで男を見つめてやった。男の喉がゴクリと上下する。
 男をからかうのはそこそこ楽しいが、生憎今日は遊びに来たわけではないのだ。男にはさっさと退散してもらうしかない。
「――嫌だよ」
 ニッコリ微笑んで男を拒絶し、顔を背ける。
 そのまま男の腕を引き剥がそうとして――クラリスは、ふと思い留まった。慌てて顔を男の方へと戻す。
「ねえ、即死する毒って持ってない?」
「即死する毒、ねえ……。何に使うのか知らねぇが、急ぐんなら無理だな。麻薬・媚薬の類なら手に入れるのは簡単だけど――劇薬は時間がかかる」
 男が渋い表情で応える。
「ふーん、残念だな。それじゃあ、即効性のある睡眠薬は?」
「ああ、それなら今、持ってる」
「ソレ、僕に売ってよ」
 クラリスがそう告げると、男の双眸に意地の悪い光が浮かんだ。
「いいぜ。おまえの頼みなら喜んで売ってやる」
 男の片手がクラリスの髪を撫で、もう一方の手が太股から臀部の辺りを這いずり始める。
「急いでるから、今夜は絶対にしないよ。――で、代金は?」
 身体のあちこちを男が愛撫する。クラリスは仕方なくそれを許し――だが、寝る意志はないことだけはきっぱりと前置きしておいた。今夜は何事にも変えられない大切な仕事があるのだ。男に時間を割いているわけにはいかない。
「急いでるのかよ? じゃ、大負けに負けて――キス一つ」
 男の提案にクラリスは一瞬、顔をしかめてしまった。
 が、これも必要経費――と割り切ることに決め、コクンと頷く。
 どうしても薬がほしい。
 男が白い包みをクラリスの手の中へ押し込む。そのままクラリスの手を強く握り締めると、空いている方の手でクラリスの顎を掴み、強引に上向かせた。
 直ぐさま、男の唇がクラリスのそれに覆い被さる。
「――んっ……」
 歯を綴じ合わせる暇もなく、舌を挿し込まれた。
 男の舌が口内を蹂躙する。
 長い長い接吻の末に、男はようやくクラリスを解放した。
 満足したのか、男がアッサリとクラリスから離れる。
「ありがとよ、クラリス。次はもっと派手にやろうぜ。いや、用事が済んだら戻ってこいよ。声が嗄れるまで啼かせてやるから。――じゃあな!」
 男はヒラヒラと片手を振りながら、人の渦の中へと姿を消してゆく。
「……どうして僕が、おまえなんかのために啼かなきゃいけないんだよ。僕を本気で喘がせようなんて、図々しい男だな」
 クラリスは男の姿が見えなくなったのを確認すると、手の甲でごしごしと唇を拭った。
 ――絶対に戻るもんかっ。
 胸中で吐き捨て、クラリスは再び足を動かし始めた。
 急ごう。
 心の裡から決意を燃え立たせる衝動が突き上げてくる。
 クラリスは己を急き立てる心に忠実に、地を蹴って駆け出した――



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Sat
2009.06.13[17:09]
 見慣れた遊郭をスイスイと駆け抜ける。
 途中、大通りから横に逸れ、細い裏路地へと歩を進めた。
 石造りの家々に囲まれた昏い路地を五分ほど走ると、目的の場所へ辿り着く。
 古めかしい一軒家だ。
 クラリスは古家の前で足を止めた。こきゅうを整えてから断りも入れずに扉を開け、中へ侵入する。
 迷わずに奥にある階段を目指す。足早に階段を下りると、長靴の踵がカン、カン、カンッと小気味よい音を響かせた。
 すっかり馴染み深くなってしまった地下室――蝋燭の炎が揺れる薄暗い室内には、いつもの如く安楽椅子に身を埋めた老婆が待ち構えていた。
「こんばんは、婆様。また来たよ」
 クラリスは椅子の前まで歩み寄ると、軽く身を屈めた。
 老婆の濁りかけた眼精がゆるりとクラリスを見上げる。
「今度は何じゃ?」
 深い皺に包まれた顔が奇怪に歪む――笑ったのだろう。
「別に特別な用はないけれど……ただ、少し顔を見たかっただけ」
「ほっほっほっ。たまには可愛いことも言うんじゃな。――今まで何処へ行っておった?」
 妙に愉しげな口調で老婆が訊ねてくる。そこには、クラリスに対する好感と興味が込められていた。
「セイリアへ帰ってたんだよ。……伯父上の奴、僕を部屋に閉じ込めて出してくれないんだ。酷いよね」
「ほう、ぬしはその伯父の色子なのか?」
「ち、違うよっ! 冗談じゃないっ!」
 クラリスは顔を真っ赤にして反論した。それが事実なら、とんでもないことだ。セイリア国王は男色家ということになってしまう。伯父がアダーシャ国王レノビアと同類同列に並べられるのは、とてつもなく不愉快だった。
「僕が勝手をしすぎるからとうとうブチ切れたみたい。一ヶ月も軟禁されたよ。その間、寝台を共にする相手も用意してくれないし、あの人は進んで生け贄の道を選んだみたいだし――最悪だよ」
 クラリスは憮然と言い放った。実際、一ヶ月もの禁欲生活は辛苦以外の何ものでもなかった。兄に纏わる全てのことが解決した暁には、思い切り羽根を伸ばして享楽に耽ろうと一瞬本気で思ったほどだ。
「ねえ、お婆――あの人、捕まっちゃったよ」
 ふと、クラリスは声の調子を落とした。秀麗な顔に翳りがサッと走る。
「お婆の力でどうにかならないの?」
「あの人、あの人と言われても、わしとぬしは赤の他人だから誰のことだか、さーっぱり解らん。ついでに、わしはただの占い婆で魔術師ではないぞ」
 フォッフォッフォッ、と老婆が奇妙な笑い声をたてる。
「嘘つき。ただの占い婆じゃないことくらい知ってるよ。そうじゃなきゃ、僕はここへは来ない」
「婆は、あくまで老いぼれた占い師じゃ。それ以外のことは、耄碌のせいで全て忘れてしまったのう」
「……いいよ、もうお婆を頼らないから。自分で強行突破する」
 クラリスは諦観したように溜息を洩らした。
 老婆の笑い声を避けるように、曲げていた腰を起こす。
 相手は老獪な占い師――クラリス如きの若造には、おいそれと正体を明かしてはくれないらしい……。
 クラリスは老婆か情報を引き出すことを諦め、素早く気を切り換えた。せめて、セイリア国内では誰にも口外できぬ愚痴を聞いてもらおうと考えたのだ。
「でもね……あの人、誰も愛さない、って言ったんだ。それなのに愛したんだよ。……狡いよ。約束破るなんて。あいつに惚れたから、わざと捕まったに決まってるんだ。あの人は残酷だよ。こんなに僕の心を独占したくせに――」
 愚痴を吐き出すつもりが、不覚にも双眸から涙が込み上げてきた。ボロボロと溢れ出す涙を拭おうともせずに、クラスは先を続けた。
「だけど……だけど、助けなきゃ。愛されなくても生きていてほしいから――僕は全身全霊を懸けて、あの人を助けに行かなければならないんだ」
 馬鹿だと罵られても、愚かだと嘲られても、構わない。
 それが事実なのだから。
 世界で唯一信じていた人に裏切られた。
 その現実は鋭い痛みを伴って、クラリスの心臓を抉った。
 この世から消えてしまいたい――死んでしまいたい。
 だが、どうせ死ぬのなら愛する人のために死にたい……。
「……だから言ったじゃろう。おぬしの後ろに視えるのは諦観と悲愴だけだと」
「もう……そんなことは、どうでもいいんだ。僕がこれからやるべきことは一つしかないんだから」
 クラリスは無理矢理涙を押し留めると、背を返した。


「そんなに慌てて散り急ぐこともないじゃろ」
 背後から老婆の静かな声が追いかけてくる。
「ぬしは《黄昏の宝玉》というものを知っておるか?」
「その、言葉だけなら。最早伝説の宝珠と化し、実物は存在しないと噂されてるよね?」
 クラリスは今一度老婆を振り返った。何故、唐突に老婆が《黄昏の宝玉》の話を持ち出したのか不思議に思ったのだ。無論、好奇心も湧いた。
 創世神マイセが国生みの際に人界に落とした彼の分身、もしくはマイセ自身が特別に人間に下賜した秘宝――それからの神宝の一つが《黄昏の宝玉》なのだ。
「今からおよそ千年前――マイセが深い眠りに就く前に、《黄昏の宝玉》は一人の尊き賢者に授けられた。賢者の名はシュタルデン。異世界からやってきて魔王を封印した、五大英雄の一人じゃ」
「それくらい知ってるよ。シュタルデンは今のセイリアがあった辺りの出身だったよね? 昔の地理も当時の国名も全く覚えないけど」
 クラリスが肩を聳やかすと、老婆はまた愉快そうに皺を揺らせた笑った。どうにも彼女は、クラリスの悪びれない物言いが好みであるらしい。
「この魔王というのが中々の強者でな、眠りに就く寸前だったマイセの力では奴を抑えることしか出来ず――そこでマイセに選ばれし五人の勇者が立ち上がるわけじゃ。彼らは力を合わせ、共に苦難を乗り越え、ついには魔王を封じることに成功したのじゃ」
「賢者シュタルデン、剣士ブランカ、妖術師カーランダ、戦士マグノイ――あと一人、誰だっけ?」
「アダーシャの王女で魔導士でもあったシルヴィア様じゃ」
「ああ、そうそう。で、そのシルヴィア王女とブランカが結婚して――生まれた子供が最初の魔法剣士になったんだよね?」
「よく識っておるな」
「……魔法剣士のことを最近ちょっと調べただけ――すぐ飽きたけど」
 クラリスは憤然と唇を尖らせた。
 兄の心をあっさりと奪った男がどれほどの者なのか、単純に識りたかったのだ。だが、クラリスは直ぐさま魔法剣士について調べることを放棄した。どの書物や文献を見ても、魔法剣士は大陸最高峰の剣士であり魔法使いだと絶賛しているのだ。
 性格や性癖はともかく、あの男はそれだけの実力を兼ね備えているのだ。そんな恐ろしい男が相手では、手も足も出ない。対抗する気も激しく削がれた。
「まあ、少し話が逸れたが……マイセは五人の勇者たちを讃え、それぞれに神宝を授けたのじゃ。シュタルデンが賜った《黄昏の宝玉》というのはな、美しい碧色をした玉じゃ。ある時は海よりも深い色を湛え、またあるときは澄み渡った蒼空の如く明るい蒼色をしておるんだと。そして、宝玉が本来の力を発揮する時のみ、それはそれは見事な紫紺の輝きを放つそうじゃ。その名の通りの黄昏色らしいのう」
 老婆の瞳に僅か一瞬精気が漲った。その宝玉の姿を脳裏に思い描き、恍惚としているようにも見える。まるで、その目で神宝を見たことがあるかのようだ。
「お婆、本来の効力って、なに?」
「シュタルデンがそれを授かってから千年以上も経っておる。今では、それは玉の形を成していないそうじゃ」
 老婆が強い光を宿したままの瞳でクラリスを見上げる。
 彼女の言葉にも仕種にも、これまでにない真摯が滲み出ていた。
「宝玉の効力は――死人を甦らせる」
 告げた瞬間、老婆の瞳から鋭利な輝きが消失した。いつもの白濁した眼差しがクラリスを眺めているだけだ。
「どうにもマイセの生け贄の件には、《黄昏の宝玉》が関わっているらしいぞ。アレはシュタルデンの血を引く者に、自然と吸い寄せられていく性質を持っておる。セイリア王家の祖――そのまた祖は、間違いなくシュタルデンじゃ。ぬしも重々気をつけてな、クリーエルディス坊や」
 最後の一言に、クラリスは恟然とした。
 老婆は知っていたのだ。自分の正体も何もかも。
 その上で自分に協力し、助言を与えてくれていたらしい。
 ――やっぱり凄いな。とってもじゃないけど敵わないや。
 クラリスは苦笑に近い笑顔で老婆を見返した。
 老婆がフォッフォッフォッと不気味に笑う。
「ありがとう、婆様――いえ、カーランダ様」
 クラリスは感謝の意を込めて深々と頭を垂れると、今度こそ身を翻して昏い地下室を後にした。


 残された老婆は、また珍奇な笑いを漏らした。
 カーランダ。
 魔王を封じた五大英雄の一人――偉大なる妖術師の名であった。
 その真名で呼ばれたのは、実に二百年振りの出来事だ。
「やれやれ……千年以上も生きておると、時たま面白い人間に出逢うものじゃな」
 彼女は椅子に身を埋めたまま、愛用の水晶球に視線を馳せた――


     「6.暗殺夜行【1】」へ続く



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Sat
2009.06.13[17:17]
 満天の星辰が夜空に輝いている。
 星神セラに愛されるシアの国が隣接しているせいか、大国アダーシャの夜空も冴え冴えとした光を放つ星々で埋め尽くされていた。
 老婆の家から通りへと身を移したクラリスは、何とはなしに星空を見上げていた。
 クラリスがこれから行おうとしていることに反して、視界には清廉な星月夜が広がっている。
 宝石を散らしたように綺麗な夜空でさえも、今は何の慰めにもならなかった。
 すぐに天から視線を引き剥がし、足を進め始める。
 目的地は、夜でも華々しく明かりを灯しているリージャナータ宮殿。
 クラリスの目途は重大な犯罪――世界を敵に回すような大それたことなのかもしれない。だが、止める訳にはいなかった。
 愛する兄のために何としてでも遂行しなければならない。
 クラリスは決然とリージャナータ宮殿を見据え、通りを右へと折れた。
 途端、喧騒が耳に流れ込んでくる
 遊郭の中でもかなり賑わっている大通りへと出たのだ。大通りを真っ直ぐ突き進んだ先には、城へと続く巨大な門が聳え立っている。
 人混みを掻き分けながら先を急いでいると、唐突に腕をグイッと乱暴に掴まれた。
「――――!?」
 否応なしに歩みを止められ、強引に通りの中央へと引き摺り出される。掴まれた腕が酷く痛んだ。
「よしっ! 勝った者に、この坊やを景品としてくれてやろう! えらく別嬪だぞっ!」
「――えっ!?」
 ――よくないっ!
 クラリスはギョッと目を剥いた。勝手に景品なんかにされてはたまらない。
 だが、何が起こってもおかしくないのが遊郭だ。ここでは、一般的な常識も法も全く通じない。
「銀貨二十枚で勝者に一晩つき合ってやってくれ」
 クラリスの腕を掴んでいる男が、耳元でボソッと囁く。
 よく見てみると、周りには人の輪が築き上げられていた。
 その中央で得物を手にした二人の男が対峙している。
 どうやら、賭決闘が回されていたらしい。
 ――冗談じゃない! どうして、僕が……!?
 クラリスは引きつった顔で辺りを見回した。
 こんな道を選択するのではなかった。リージャナータに近いと思って通ったのが間違いだったらしい。後悔が沸々と湧き上がってくる。
「嫌だよ。何で、この僕がたった銀貨二十枚ぽっちで――」
 主催者の男に抗議しかけたクラリスの声は、野次馬たちの歓声によって呆気なく掻き消された。
 納得していないクラリスを余所に、男たちが決闘を開始したのだ。
 一人は筋骨隆々とした斧を掲げた戦士、もう一人は蛇のように残忍な目をした槍遣いだ。
 ――えーっ……どっちも好みじゃないんだけど……!
 一瞬、場違いにもそんな感想を抱いてしまい、クラリスは慌てて己を戒めた。今は好み云々を気にしている場合ではない。折角決意を固めたのに、こんな下らないことで心を折らされるのは、御免だった。
 ――どうしよう? どっちも一回じゃ離してくれなさそうだし……。
 なのに、焦れば焦るほど危地を乗り切る妙案は思い浮かばず、また下らない不安が脳裏をよぎる。
 そうこうしている間に、勝敗が決した。
 勝ったのは、槍遣いだった。彼はクラリスの前までやってくると、その目に嗜虐的な光を灯し、全身を舐めるように見つめてた。
 ――いや、やっぱり絶対……ムリッ!
 男の全身から早くも凄まじい情欲の念が立ち上っている気がして、クラリスは頬を強張らせた。
 反射的に身を捩るが、主催者の男ががっしりと腕を鷲掴みにして逃げられない。
「景品は貰っていくぜ」
 槍遣いがクラリスの頬に手を伸ばしかけてた時、男の肩を何者かが力任せに引っ張った。
「勝った者が貰えるのだろう? 俺が貴様の相手をしてやろう」
 いつの間にか、槍遣いの背後に長身の影が現れていた。
 槍遣いを睥睨する灰色の双眸は、鋭利な光を放っている。
 濃紺の髪を片手で掻き上げると、彼は腰に帯びた鞘から流れるような動きで剣を抜き払った。
 ――あれ? 何処かで見た顔だけど……。
 クラリスは渋面で闖入してきた男を見遣った。その顔に見覚えはあるのだが、男の名前も何処で出逢ったのかもすぐには思い出すことが出来ない。
 男は、恐ろしく剣術に長けた手練れだった。
 たったの一撃で、槍遣いの手から得物を弾き飛ばし、更には彼を気絶させてしまったのである。
 観衆たちから感嘆と驚嘆のどよめきがわき起こる。
 男は剣を鞘に納めると、悠然とクラリスに歩み寄った。
 主催者からクラリスの身柄を奪い取り、クラリスの手首を掴んで人気のない路地へと連れて行く。
 薄暗い路地の奥で、男はようやく足を止めた。
「ちょっと、こんなとこで抱かれるのは、物凄く嫌なんですけど?」
 クラリスは不機嫌な顔をで男を睨めつけた。好きでもない相手に外で躰を弄ばれるなんて、想像しただけでも吐き気がする。
 男がクラリスを見返し、苦笑を湛える。
「オイ――まさか俺のことが解らないのか?」
 男の問いにクラリスは力強く頷いた。
 すると男が大仰に肩を聳やかす。
「まあ、仕方ないか。緋色のマントと額の金環がないからな。――それにしても鈍感だ。その可愛い顔を石榴のように斬り割いてやりたいくらいだ」
 男の唇が皮肉げに歪められる。
 ――緋色のマント? 額の金環? 顔を石榴のように?
 クラリスは改めて男をしげしげと見つめた。その台詞は確かに聞き覚えがある。
「――あっ……!」
 初めてあった時、男は己のことを『私』と呼んでいた。なのに、今は『俺』に変わっているので、中々その正体に思い至らなかったのだ。
 だが、今の彼の台詞で記憶が鮮明に甦ってきた。
 もっとも彼に剣を突きつけながら寝台に組み敷かれた――という非常に不本意で反芻したくもない思い出だったが……。
 クラリスは驚愕に目を瞠り、恐る恐る男の顔を指差した。
「まさか――魔法剣士シンシリアッ!?」
 クラリスの狼狽を愉しむように、男――シンシリアは口許に冷ややかな笑みを閃かせた。



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Sat
2009.06.13[17:19]
「その称号は正しくないな。今の俺は――ただのシンシリアだ」
 口の端を歪め、シンシリアは緩く波打つ濃紺の髪を片手で掻き上げた。
「どういうこと?」
 クラリスは、驚きと不審の相俟った眼差しでシンシリアを見つめた。シンシリアが自分を助けてくれたことには感謝するが、彼にはクラリスを手助けする所以は何もないはずなのだ。
「魔法剣士の位を剥奪されただけのことだ。だからといって、俺の実力が損なわれるわけではないのにな。頭の悪い国王だ」
 シンシリアが何でもないことのようにアッサリ告げ、更には自国の王を侮蔑する。
「……兄上を庇ったから?」
 クラリスは眉根を寄せた。
 彼が栄誉ある魔法剣士の称号を捨て去ったとすれば、それはクラリスの兄・マイトレイヤーのためだろう。大方、マイトレイヤーを匿っていたことが祭祀長なり国王なりに露見して、その罪を問われたに違いない。
「好きでしたことだ。それに、位など無意味なものだと言っただろう。あの変態国王に仕えなくていいことを考えると――逆に清々する。まあ、ラータネイル様をからかって遊べなくなったことだけが、悔やまれるな」
 シンシリアが口角をつり上げて笑う。
 仰々しい緋色のマントで身を飾り立てていないせいか、彼は以前逢った時よりもほんの少しだけ穏やかに――そして、頼もしく感じられた。
「さっ、行くぞ、クラリス」
 シンシリアがクラリスの意志などお構いなしに、手首を掴んで歩き始める。
「えっ、何処にっ!?」
 クラリスは狼狽した。まさか、決闘勝者としての権利を履行しようとしているのでは、と疑念が浮かぶ。おそらく、シンシリアは兄と肌を合わせているだろう。そんな相手に抱かれるのは、絶対に御免だった。
「何処って――決まってるだろ。リージャナータ宮殿だ」
 慌てて身を引こうとするクラリスを、シンシリアの醒めた眼差しが射抜く。
「王を暗殺しに行くのだろう? おまえなど危なっかしくて一人で行かせられん」
「……随分とはっきり言ってくれますね」
「本当のことだろう」
 フン、と鼻で笑い、シンシリアが話を打ち切る。
 また、強く手首を引かれたので、仕方なくクラリスはシンシリアの後に着いて行く。彼のことは特別嫌いではないが、初対面の印象が悪かったので二人きりでいるのは妙に気まずかった。
 夜の闇に浮かび上がるリージャナータ宮殿は、確実に近づいている。
 クラリスは思わず身震いしてしまった。
 自分は一国の王――それも千年王国の主を殺めようとしているのだ。
 平静を保っているのは難しい。
「――怖いのか?」
 シンシリアがまたしても軽くせせら笑う。
 掴まれた手首から震えが伝わったのだろう。
「怖くなんかない!」
 クラリスはムッとして、シンシリアの後ろ頭を睨めつけた。
「――だろうな。可愛い顔をして、俺に剣を向けたこともあるのだからな。さぞかし図太い神経を持っているのだろう」
「あんたには負けるけどね。っていうか、あんたが宮殿に乗り込むなら――僕、不必要じゃない? 瞬殺してきてよ、あのいけ好かない王様」
「俺は内部に顔が知れ渡っているからな。色々と不都合が生じる。それに、俺はマイトレイヤーを助けに行かなければならない」
「兄上は僕が助けに行くよ」
「いや、それは諦めろ。マイトレイヤーが待っているのは――俺だ」
 シンシリアの声音には妙な確信と力強さが込められていた。
 彼は、マイトレイヤーに愛情を抱いてはいるらしい。兄が弄ばれただけではないこと知ってホッとしたが、その一方でそう易々と兄を奪われたくない意地のようなものもまだ確かに存在していた……。
「弟の出る幕はないな」
 クラリスの胸中を察したように、シンシリアが鋭利な言葉を突きつけてくる。
「あんた――僕に何か恨みでもあるの?」
 クラリスは胸に生じた苛立ちと焦燥を隠しもせずに、尖った声を返した。
「……おまえを見ていると、マイトレイヤーを思い出す。だから、つい苛めたくなる」
「あっ、そうですか。よかったですね、兄上と相思相愛で」
 クラリスは抑揚のない声音で言い捨てた。
 愛する兄を掻っ攫った憎き男にからかわれて、目くじらを立てている自分が急に馬鹿らしくなってきた。ムキになればなるほど、シンシリアの悪戯心に火を点けるだけだ。
 シンシリアはクラリスが喚かないことを不思議に思ったのか、不意に足を止めた。
 クラリスの腕を力任せに引き寄せ、両手でギュッと強くクラリスを抱き締める。
「ぎゃっっ!?」
 クラリスは驚倒し、反射的に身を捩った。
 ――やっぱり、勝ちは勝ちってことで……ここでヤる気なのっ!?
 焦りと危惧が心の芯から迫り上がってくる。
「静かにしろ。精神統一出来ないだろ」
 シンシリアが低く囁く。焦慮するクラリスとは逆に彼は至極冷静だった。その声にも真摯な響きが宿っている。
「跳ぶぞ」
 藻掻くクラリスをきつく抱き、シンシリアは何やら妖しい呪文を唱え始める。
 シンシリアの声が途切れた瞬間、周囲の景色がフッと消え失せた。
 奇妙な浮遊感と嘔吐感が込み上げてくる。
 何が何だか理解できずに、クラリスは必死の思いでシンシリアにしがみついた――



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Sat
2009.06.13[17:21]
 不快な感覚がフッと途切れる。
「――着いたぞ」
 シンシリアの声が耳朶に触れた。
 クラリスはホッと安堵の息を吐き、身体の力を抜いた。シンシリアから手を離しながら、辺りを見回す。
 どうやら建物の内部にいるようだった。
 弓形を描く高い天井や細かい彫刻が施された円柱――回廊も壁も全て青みがかった大理石で造られている。贅を尽くした建築様式だ。
「着いたって――何処に?」
「リージャナータ宮殿。面倒臭いから空間移動した」
 シンシリアが事も無げに告げる。
 伊達に《魔法剣士》の称号を得ていた訳ではないらしい。空間と空間を繋げて自在にそこを往き来することは、きっと彼にとって歩く行為と同じくらい造作もないことなのだろう。
「俺は、これから神殿へ行ってマイトレイヤーを取り返してくる。おまえは国王を始末しに行け。二時間後に裏の城門で待ち合わせだ」
 シンシリアは一方的に指示を出し、再び呪文を唱え始める。
 クラリスは慌ててシンシリアの腕に飛びついた。
「ちょっ、ちょっと待って! 国王を殺すと言っても方法が――」
 狼狽の眼差しでシンシリアを見上げると、彼は意味深にニヤリと口角をつり上げた。
「遊郭で強力な睡眠薬を買っただろう――その唇と引き替えに」
「……見てたの? ホント、悪趣味だなぁ」
 クラリスは掴んでいたシンシリアの腕を乱暴に放すと、思い切り唇を尖らせた。
 察するに、シンシリアはかなり早い段階でクラリスを発見したが、わざと声をかけずに動向を窺っていたのだろう。クラリスが男に唇を奪われるのも賭の景品にされるのも――単純に『面白いから』という理由で放置し、クラリスが焦燥する様を眺めて密かに愉しんでいたに違いないのだ。
 俗悪な趣味――としか言えない。
 だが、シンシリアは不機嫌なクラリスを全く意に介さず、スッと耳元に唇を寄せてくるのだ。
 微かな笑いを含んだ声が、クラリスの耳に国王暗殺の手順を吹き込む。
 聞いているうちに、クラリスますます不愉快になり、渋面を作った。
 シンシリアが示した暗殺手段は、クラリスにとっては少々――いや、かなり不本意で気に食わないものだったのだ。しかし、彼の推測通りに事を運べば、クラリスでも楽に国王の生命を奪うことが可能であることも確かだった。
「……解りました」
 不承不承に首肯する。
「では、決まりだな。王の寝室は二階の突き当たりだ。――失敗するなよ。では、二時間後にまた逢おう」
 言いたいことだけを勝手に並べ立て、シンシリアは歪めた空間の中へとさっさと姿を消してしまう。
 クラリスは大仰に溜息を吐くと、渋々と身を翻した。
 首飾りなどの装飾品を正し、髪を手櫛で整える。
 王宮の仕来りなど、セイリアで嫌というほど叩き込まれて育った。何より自分は、小国ではあるが紛れもなく王族の一員だ。それなりに気品と威厳を醸し出しているはずだ。大国アダーシャの宮殿に勤める優れた従者たちでも、パッと見ただけではクラリスが王宮の者ではないことに気づかないだろう。
 クラリスは凛然と面を上げ、颯爽と歩き出した。
 目指すは、国王レノビアの寝所だ。



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Sat
2009.06.13[17:24]
 石造りの廊下を闊歩する。
 澱みのない足取りで階段を上り、二階の奥の部屋の前で立ち止まった。
 外の警護に余ほどの自信があるのか、王の寝室前には衛兵は一人もいない。いくら外の警備を堅固にしても、内情を知り尽くしている元魔法剣士に城内へと手引きされては、その全てが無意味だった。
 クラリスは、心の準備を整えるために深呼吸し、静かに扉を引いた。
 僅かに出来た隙間に細身の身体をねじ込ませ、中へ侵入する。音を立てないように扉を閉めると、注意深く歩を進めた。
 豪華な調度品で囲まれた室内には、いくつかの洋燈が灯されている。そのおかげで、広い室内の奥にある寝台には容易く辿り着くことが出来た。
 天蓋付きの寝台の中で、四十代半ばと思しき男が眠っていた。
 アダーシャ国王レノビアである。
 クラリスは慎重に身を乗り出し、レノビアの顔を覗き込んだ。
 黒髪に神経質そうな口髭を蓄えた壮年の男――想像よりも整った顔をしている。いや、ラータの父親なのだから見目が良くて当たり前なのかもしれない……。
 クラリスは遊郭で入手した睡眠薬を左手に隠すと、右手を伸ばしてそっとレノビアの頬に触れた。
 レノビアの頬が微かに震える。次いで、瞼が勢いよく跳ね上げられ、胡乱げな眼差しがクラリスを射た。
「――何者だ?」
 流石に大国の王だけあって、慌てた様子は全くない。威厳のある声音で訊ねてきた。
 クラリスは悪びれもせずに満面の笑顔を彼へ向けた。
「祭祀長様が、今宵は陛下の元へ行きなさい、と……。光栄にも陛下の夜伽を仰せつかりました――」
 伏せ目がちにレノビアの顔を見つめる。
 シンシリアの話によると、男色家であるレノビアは、祭祀長であるデメオラから美しい少年や青年を調達してもらっているのだという。日によっては、三、四人も呼びつけるというのだから、かなりの好色家であるらしい。胸糞の悪くなる事実だ。
 ――ああ、そうか。思う存分愉しみたいから、部屋前に護衛を置かないのか。
 クラリスはふとそう思い至り、心の中で苦々しく呟いた。
 レノビアの夜の営みなど想像したくもないが、かなり派手で激しいのだろう。
「おや、今夜はもう誰も来ぬものと思っていたが――美しいな」
 レノビアは、すぐにクラリスがデメオラからの貢ぎ物であると勘違いしてくれた。クラリスを見分する漆黒の瞳に、欲望の影が渦巻く。
「ここ数ヶ月の中で一、二を争うくらいの美貌だ。啼かせ甲斐がありそうだな。――こちらへ来い」
 レノビアがクラリスの手首を掴む。
 ――シンシリアの馬鹿っ! こんな男に啼かされてたまるかっ!
 胸中でここにはいない元魔法剣士を罵しった。いくら簡単に事が運ぶ可能性が高いからといって、人の躰を犠牲にする作戦を立てるなんて赦せない。全て巧くいったら、最低二発は殴らせてもうおう――そう密やかに決めた。
「お待ち下さい、陛下。何か飲み物をいただけませんか?」
 頬が引きつるのを懸命に堪え、クラリスは如何にも申し訳なさそうに微笑んでみせた。
「お休みになっている陛下を起こすのは気が引けて、三十分もここで待っていたのです。緊張のあまり喉が渇いてしまいました」
 いけしゃあしゃあとクラリスは嘘を連ねた。
 頬を朱に染めてレノビアに懇願する。
 か弱い少年を演じるのは得意なので、恥じらうことや気のある振りをすることなど苦にもならない。
「それは悪かったな。気にせずに起こしてくれればよかったものを。おまえと愉しむ時間が三十分も減ってしまったではないか」
 レノビアが意味深に微笑み、クラリスを寝台へ残して部屋の隅へと向かう。
 ――愉しむ時間なんて、どんどん減ればいいのに……。
 クラリスにはレノビアと肌を合わせる気など更々ないのだ。
 レノビアが背を向けているのをいいことに、クラリスは思い切り口許を引きつらせた。
 レノビア自身は、割と単純な性格らしい。クラリスの嘘の願いを聞き入れて、何やら果実酒を見繕っているようだ。欲望を前にすると、大国の王もただの男に成り下がるかもしれない……。
 レノビアは赤紫色に染め上げられた酒瓶と銀の杯を持ってくると、クラリスの脇に腰かけた。
「南のカレリアから取り寄せた逸品だ。程よい渋みで――呑みやすいぞ」
 銀杯に果実酒を注ぎ、レノビアがクラリスにそれを手渡す。
「ありがとうございます」
 クラリスはそれを両手で受け取り、左手に握っていた睡眠薬の包みを巧妙に杯の中へ落とし込んだ。
 薬を包み込んでいた紙は特殊なもので、液体に触れるなり瞬時に溶けて消えた。
 クラリスは銀杯を口許へと運び、一度呑む振りをした。それから上目遣いにレノビアを見つめる。
「……陛下は呑まれないのですか?」
「杯を一つしか持ってこなかったからな。おまえが呑ませてくれると嬉しいな」
 レノビアの瞳にまた欲情の炎が灯る。レノビアの片手がクラリスの顎を掴み、自分の方へと向けさせた。
 ――くそっ……我慢だ、我慢。どのみち一度はキスしなきゃいけなんだし……!
 クラリスは辛うじて微笑を保ちながら、心の中で激しく毒突いた。
 シンシリアの言葉に嘘はなかったようだ。レノビア国王は大変な好色漢で、無力で儚げで従順な美しい青少年が大好物であるらしい。
『少なくとも、おまえは外見だけはそう見えるのだから、張り切って誑し込んでこい』と、底意地の悪い元魔法剣士は無情にもクラリスに言い放ったのだ。
 ――髭の親爺なんて、僕の趣味から激しく外れてるのに……!
 頭の中でシンシリアに対して舌打ちを鳴らし、クラリスは果実酒を口に含んだ。
 可能な限りレノビアを直視しないように心懸け、彼の唇に自分の唇を重ね合わせる。睡眠薬入りの酒を飲み込んでしまわないように注意し、レノビアの口内に酒を注ぎ込んだ。
 レノビアが薬入りの果実酒を嚥下する。口内が自由になった途端、レノビアは舌を挿し入れてきた。
「――――!?」
 レノビアが力任せにクラリスを寝台へ押し倒す。
 ――シンシリアの大馬鹿野郎っ!!
 クラリスは、自分だけ英雄気取りで兄を救出に向かった一時的な相棒を罵倒した。心の奥底から怒りが込み上げてくる。
 長い接吻の後、ようやく唇が離される。レノビアの欲望にたぎった眼差しがクラリスの全身を舐め回し、指がゆっくりと金髪を愛撫する。
 クラリスは背筋に悪寒が走るのを禁じ得なかった。
 突如として、レノビアの顔が迫ってくる。
 また唇を奪われるのか、とビクッと身体を震わせた。
 だが、レノビアの顔はクラリスには触れずに寝台へと埋まった。
 沈黙が訪れる。
 耳を澄ますと、規則正しい寝息が聞こえてきた。
 瞬く間に安堵と可笑しさがわき上がり、クラリスはクスクスと笑った。
「本当に――よく効く薬」
 レノビアの身体を押し退け、寝台から這い出る。
 長靴の内側に隠し持っていた短剣を取り出すと、鞘から抜き払い、寝台に横たわるレノビアを無感情に眺めた。
「変な趣味、持ってたのが間違いだったね。強欲にも兄上を手に入れようとしたのが、運の尽きだ――」
 レノビアの身体を仰向けにさせ、短剣を翳す。先端には金色の塗料が光っていた――毒物だ。
「さよなら、アルディス聖王様――」
 淡々と呟き、クラリスは昏睡しているレノビアの左胸に渾身の力を込めて剣を突き刺した。
 鮮血が飛び散る。
 構わずに剣で深く心臓を貫いた。
 返り血がクラリスの顔を打つ。
 呼吸が停止しているのを確認すると、クラリスは短剣から手を離した。
 叫びもあげずに絶息した王の亡骸へ冷たい一瞥を与え、部屋を後にした。
 国王暗殺という大それたことを成し遂げた達成感と畏れが心を占拠し、クラリスは何処か夢心地だった。
 身を隠す場所を求めて宮廷内部を彷徨うが、足取りも思考も覚束ない。
 途中、血まみれのクラリスを発見して、見回りの衛兵たちが騒ぎ出した。
 ――まずいな。
 衛兵たちの怒声が、クラリスの意識をうつつへと引き戻した。無意識にクラリスは駆け出していた。
 今更ながら、リージャナータ宮殿の見取り図を手に入れていなかったことを後悔する。レノビアを殺害できれば、後は自分もどうなっていいと思っていたので特別入手しなかったのだ。だが、愛する兄のマイトレイヤーがまだ生け贄になっておらず、シンシリアが彼を救出してくれるというのなら――やはり、もう一度逢いたかった。
 逢って、兄を抱き締めたかった。
 兄の柔らかい微笑みを脳裏に思い浮かべながら、クラリスはとにかく人のいないところへと走り続けた。
 しかし、幾度か角を折れたところで、クラリスは絶望をした。
 行き止まりだったのだ。
 ――もうダメかな。
 そう諦観しかけた時、
「こっちよっ!」
 誰かがクラリスの腕を強く引いた。


    「7.王太子」へ続く


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