ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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◆紅蓮の大地 【長編・完結】

  紅蓮

▼作品傾向:異世界ファンタジー・剣・魔法・伝説・流血注意▼


 大陸の南端に位置するロレーヌ地方――キール・イタール・カシミアの三国が『平和協定』を結び、永きに渡って平穏に治めてきた。
 だが、大陸歴一二八五年、カシミア王ラパスがキールに侵攻を開始することにより、『平和協定』が反故にされる。
 覇王ラパスに捕えられたキールの第二王子アイラ――彼の存在が再び大地を揺るがす……。
 「鬼哭の大地」の続編になります。



【INDEX】 

  ◇序章   
  ◇1.魔城           10
  ◇2.火の女神の娘        
  ◇3.邂逅――胎動           10
  ◇4.魔王の刻印           10 11 12
  ◇5.死の誘い      
  ◇6.真冬の狂宴           10 11
  ◇7.紅蝶乱舞   
  ◇終章  


同シリーズ
◇鬼哭の大地【完結】

◇春爛漫【外伝】

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2009.07.05 / Top↑
『ロレーヌ、ロレーヌ

 美しき故国よ

 私を赦したまえ



 全知全能なる神エルロラよ

 私に力を――



 私を知らずに育ちゆく子孫よ

 汝に神剣ローラを授ける



 ロレーヌ、ロレーヌ

 赦したまえ、非力な私を……




 私は、

 永遠の眠りに就く――』



            大陸暦一二八六年
            ギルバード・アーナス・エルロラ





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2009.07.05 / Top↑
序章



大陸暦一二八六年・晩夏――


 蝋燭の炎が揺れている。
 暗闇にポツリと咲く橙色の花は、ひっそりと揺れていた。
 昏く、冷たい――閉ざされた部屋。
 無機質な室内で揺らめく小さな炎を、一対の蒼い瞳が凝視していた。
 唯一、この部屋で生ある者。
 乱れた銀髪から覗く蒼い眼差しは、強い意志を秘め、怜悧に輝いていた。
 蝋燭の炎を見つめる続けることだけが、己れが『ここに在る』証明だというように……。

「……あれから……どれほどの時が流れたのだろう……?」

 ――解らない。

 唇から洩れた自問に、青年は静かに首を振った。
 両手で膝を強く抱え直す。
 途端、ジャラッと金属の鳴る鈍い音が、狭い室内に響いた。
 青年の両手足には、鉛の枷が施されている。動く度に、それが重々しい音を立てるのだ。
 忌々しげに手枷を一瞥し、青年は再び対面する壁に設えられた蝋燭に見入った。
 刹那、炎が視野一面に飛散する。
 同時に、封印したはずの過去の記憶が、心の蓋を開けて飛び出してくる。

 渦巻く火炎に焼かれる街。
 逃げ惑う人々の阿鼻叫喚。
 炎の中を果敢に敵兵に向ってゆく、兵士たちの鬨の声。
 怒号――断末魔の絶叫。
 焼け爛れる皮膚の、おぞましい臭い。
 炎上する――豪奢な王城。
 容赦なく生命を奪われてゆく城の住人たち。
 父と母と兄の生気のない首――首、首、首。

「やめろっ……!」
 過去の凄惨な残滓を振り払うように、青年は激しくかぶりを振った。
 ――あんなものは見たくない。もう二度と……もう二度と!
 青年は血が滲むほど強く唇を噛み締め、キッと蝋燭の炎を見上げた。
 ――狂ってはいけない。
 決して、狂ってはいけない。
 自分だけは狂ってはならないのだ。
 それは、赦されない。
 現実から逃避することなど、自分には赦されないのだ。
 生命の灯火を強引に吹き消されてしまった、何千何万の人々のためにも――
「私は……生きる」
 青年は、己れに言い聞かせるように言葉を紡いだ。
 ――生きなければならない。
 だから、毎日繰り返される拷問にも耐え、自害の念を何度も払拭してきた。
 青年は、一歩間違えれば破綻しそうな精神を奮い立たせ、現状の認識を始めた。
 毎日、幾度となく繰り返している確認だ。
 大陸暦一二八五年の春、自分は、両親と兄――そして、故国を失った。
 ここは、ロレーヌ三国の一つカシミア。その王都アリトラの白亜宮の地下牢。
 今現在、自分は敵国カシミアの囚人なのだ。
 何もかもを失って以来、ずっとここに閉じ込められている。この冷たい石造りの牢に。
「私には失うものは……もう何一つ……ない。何一つ……。いや――」
 ――まだ、大切なものが存在している。
 愛する妹は、あの災禍に巻き込まれず、生きたまま故国を出たはずだった。
 ――妹が何処かで生きている。
 それだけが青年に残された『希望』だった。
「私は……キールの――」
 自分の名を音に成そうとして、青年はふと唇を止めた。
 ……カツン、カツン、カツン。
 地下の廊下に足音が響き始めたからだ。

 先ほど食事が運ばれてきたばかりだから、食事係ではないだろう。
 誰か物好きな人間が地下に降りてきたのだ。
 ……カツン、カツン…………カツン。
 足音はピタリと牢の前で止まった。
 施錠を外すガチャガチャとした忙しない音。
 次いで、ギギギ……と重い軋みを立てて、鉄の扉がゆっくりと開かれた。
 燭台を手にした黒い影が、滑るように室内に侵入してくる。
「久しぶりだな」
 入室してきた長身の黒い影は、臆した様子もなく青年に歩みより、酷薄に微笑んだ。
 黒い髪と瞳の若い男だ。
「護衛もつけずに単身の訪問とは随分大胆だな」
 青年は揶揄するように言葉を口にし、挑むように男を見上げた。
 男の顔には冷笑が刻まれたままだ。
 男は燭台を床に置き、しげしげと青年の顔を見つめた。
「……血が出ている」
 男の冷たい指先が、青年の唇に触れる。
 青年の顔が不快に歪んだ。ゾッとするほど冷たい肌だった。
 ――この国には、魔王が棲んでいる。
 それが、目の前のこの男――カシミア王ラパスだ。
「報告だ、アイラ。余はロレーヌ全土の王となった」
 ラパスの言葉に、青年は更に顔をしかめた。
 疑惑の眼差しをラパスへと注ぐ。
「イタールは滅んだ。おまえの妹も死んだ」
「な……に……?」
 青年は瞬きをするのも忘我し、ラパスを凝視した。
 ラパスの一言が胸を鋭利に抉った。
 ――今、ラパスは何と言った?
『妹が死んだ』と、告げなかっただろうか?
「おまえの妹は死んだ。余が――この手で殺した」
 ラパスの両手が妙に優しく、労わるように青年の頬と銀髪を愛撫する。
「……嘘……だ……」
 青年は強い衝撃を感じ、それ以上の言葉を吐き出すことができなかった。
「嘘ではない、事実だ。首級は賊に奪われてしまったが、おまえへのせめてもの手向けとして切っておいた髪が残っている」
 ラパスは淡々と述べながら、懐から一つの紙包みを取り出す。
 開かれた包みの中身を見た瞬間、青年の全身から血の気が失せた。
 黄金の髪が一束、無造作に放り出されている。
「……嘘だ……嘘だ、嘘だ、嘘だっ!」
 青年の口から絶叫が迸った。
 鉛の枷がついた手で、がむしゃらに黄金に輝く髪を掴み取る。
 太陽の如く眩い輝きを発する髪の束は、微かな血の臭いと――妹の香りがした。
 明るく微笑み、いつも自分の後をついて廻った、利発な妹の姿が脳裏をよぎる。
「……アーナス……アーナス、アーナスッ!!」
 青年は、我知らず妹の名を連呼していた。
 瞳から滂沱のように涙が溢れ出す。抑えることは不可能だった。
 妹の死――それは、この大地の一つの時代が終焉を迎えたことを意味する。
「おまえでも泣くことがあるのだな」
 ラパスの口から意外そうな言葉が零れる。
 青年は今までどんな拷問にも屈しなかった。
 泣くことはおろか、呻き声一つあげずに耐えてきたのだ。
 これまで耐えてきたのは、妹が生きていると信じていたからだ。
 だが、妹は黒衣の魔王に生命を摘まれてしまった。
「――殺せ」
 押し殺した声を咽喉の奥から発し、青年は鋭くラパスを睨めつけた。
「殺せ……私を殺せっ! 我が妹を手にかけた、その魔剣ザハークで!」
「それは、できぬな。おまえにはまだ利用価値がある。おまえは、この世でただ一人生き残ったキール王家の者。ギルバード王朝最後の王子だ」
「黙れっ!」
 青年はラパスの言葉を遮るように叫んだ。
 キール・ギルバード王朝最後の――その言葉が、今は酷く胸に重い。
 心が悲鳴をあげる。
「私は……私はっ――」
 青年は妹の髪を必死に握り締めながら、拳を石の床に打ちつけた。
 拳が切れ、ジワリと血が床に滲み出す。
 そのまま床に崩れ落ちそうになった青年の髪を、ラパスが力任せに引き上げた。
「おまえは――ギルバード・アイラ」
 涙に濡れた視界の中で、ラパスの双眸だけがじっと自分を見つめている。
 見つめていると魂まで吸い取られてしまいそうな、深い深い闇の色……。
「キールの第二王子だ」
 闇のような双眸が、青年を呪縛した――


     「1.魔城」へ続く



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2009.07.05 / Top↑
1.魔城



 大陸暦一二八六年・初秋――


 大陸の南端には、ロレーヌと呼ばれる肥沃な大地が存在していた。
 キール、イタール、カシミアの三国が『平和協定』を結び、外見上は平穏に大地を治めていたのである。
 約千二百年前――ロレーヌ地方は『ロレーヌ』という一つの国であり、初代ロレーヌ王の統治下にあった。
 王には三人の仲睦まじい王子が在り、王は玉座を明渡す際に非常に頭を悩ませたと伝えられている。
 悩んだ末に王が発案したのは、国領の分化であった。
 王は国を三つに分割し、それぞれを三人の王子に譲渡した。

 キール、イタール、カシミアの誕生である。

 三国の兄弟王は、決して互いの国を攻めぬこと、一国に災厄が降りかかれば必ず助け合うことを誓い、『平和協定』を締結した。
 兄弟王の取り決めた『平和協定』は、三国の緊密な結びつきにより、永き間破られることはなかった。
 先年、カシミア王ラパスが、キールに奇襲をかけるまでは……。
 史上初、ラパスは公に『平和協定』を破棄したのである。
 そして彼は、キール・イタールを制圧し、見事ロレーヌ三国を掌中にした。
 自国の王が偉業を成し遂げたことに、カシミア国民は沸き立っていた。
 それが一方的な武力を駆使した結果であっても、ロレーヌ再統一という祭りに、人々はかつてない興奮と熱狂振りを発揮していた。
 その影に潜む、血に塗れた殺戮や略奪。家人・知人・友人、家や町――そして、国を奪い取られたキール・イタール人の怨嗟の念を、無理矢理心の奥底に封印してしまおうというように……。
 カシミアの人々は、自国の発展と王の栄華に酔いしれていた。
 王の住まうアリトラの白亜宮が、熱狂の中枢であるのは、当然の理であった。


     *


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2009.07.06 / Top↑
    *


 人々の狂おしいまでの熱気と喧騒とは裏腹に、白亜宮の深層部はひっそりと静まり返っていた。
 特に、豪華な両開きの扉がある二階最奥の一室は、人の気配が感じられないほど森閑としていた。
 扉の両端に立つ屈強の男たちは微動だにせず、磨かれた大理石の廊下をひたすらに睨んでいる。
 その扉の内側――室内も更なる静寂を漂わせていた。
 さして広くはない部屋だが、設えられた調度は一目にして高級品と解るものばかりだ。
 決して華美ではなく、落ち着いた青で統一されている室内。
 豪奢な天蓋付きの寝台に、天鵞絨のソファ。テーブルや鏡台などは、全て大理石で揃えられている。
 高位の者の部屋であることは、一目瞭然だ。
 だが、室内は高貴さが感じられるにも関わらず、どこか異質だった。
 原因は、窓にある。
 白雲母で造られた窓の桟には、直径五センチほどもある黒い鉄格子が填め込まれているのである。
 窓の格子と扉の番人のことを考慮すると、この部屋の住人は、貴人であるのに幽閉されているとしか思えなかった。

 問題の部屋の主は、天鵞絨のソファに深く腰かけ、分厚い書物に視線を走らせていた。
 銀の髪と蒼い双眸が美しい青年だ。
 目前のテーブルには、既に大量の書物が積み上げられている。
「……つまらない」
 ふと、青年は溜息を吐き出し、無造作に書物をテーブルの上に放り投げた。
 長い銀髪を細い指で掻き上げ、もう一度吐息する。
 ほぼ同時に、扉が向こう側から叩かれた。
 来訪者らしいが、青年に返答する意志はない。
 どうせ扉は外側から施錠され、こちらからは開けられないのだ。
 内側から外界に出ることは、赦されていない。
 ここを訪れる者は皆、勝手に扉を開けて入ってくる。
「失礼します」
 若い男の声と共に扉が開き、一人の青年が入室してきた。
 黒い髪と茶色の瞳を持つ男は、片手に薬湯や薬草の乗った盆を掲げている。
 全身黒ずくめの出で立ちから、すぐにラパス王の親衛隊であることが解る。
 黒は、カシミアの国色だ。
「お加減はいかがですか、アイラ殿下」
 背後で鍵が施されるのを確認してから、若い男は微笑みを湛えながら歩み寄ってきた。
 日に一度は見る顔――ラパスの親衛隊長を務めるルシティナだ。
 ルシティナに声をかけられ、青年――ギルバード・アイラは、整った柳眉をひそめた。
「《殿下》は不要だ。……私の国は、もう存在してはいないのだから」
 投げ遣りに言葉を放ち、アイラは氷のような眼差しでルシティナを見遣った。
 祖国キールは、去年の晩春、この国の王ラパスによって滅ぼされている。
 アイラは、キールの第二王子だった。
 キール・ギルバード王朝直系唯一の生存者。
 キールの正統な王位継承権を持つ、最後の王子。
 だが、今は帰る故国さえ存在していない。
 亡国の王子だ。
 かつての肩書きなど無に等しい。何の役にも立ちはしないのだ。
 故国と民を失ってしまえば、王族といえども無力な一個人。
 しかも、憎き敵国であるカシミアの囚われ人となっている……。
 ――皮肉なものだ。
 ラパス本人の口からロレーヌ三国統一の報を受けた。
 爾来、アイラの胸には自嘲と自責の念が深く根づいていた。
「ですが、アイラ殿下は我が王の大切な客人ですから」
 苦笑でアイラの言葉を受け止め、ルシティナはテーブルの上に薬草の匂いが漂う盆を置いた。その手が銀盃を掴み取る。
「客人――というよりも、囚人だけどな」
 ルシティナの手から銀盃を受け取りながら、アイラは鋭利な言葉を繰り出した。
 ルシティナの顔に困ったような笑みが浮かぶ。
 彼は、アイラに優しく接する奇特な人物だった。
 カシミアに対して多大な憎しみと恨みを持っている亡国の王子の扱いを、他の従者は持て余している様子がある。
 だが、ルシティナはアイラの存在を忌々しく思うどころか、限りなく丁重に接し、心から労わっているようなのだ。
 アイラにとっては甚だ不思議でならない。
 ルシティナはラパスの親衛隊長だ。
 戦場では、ラパスの間近で幾多ものキール人を斬り殺してきたに違いない。
 最愛の妹――ギルバード・アーナス・エルロラが息絶える瞬間も、しかとその目で見届けたはずだ。
 それを考えると、ルシティナの顔を見る度に怒りと憎しみが込み上げてくる。
 仄暗い殺意が芽生える。
 だが、ルシティナ一人を殺害したところで、事態は何も変わりはしない。
 それは、痛いほどよく解っている。
 何をしても、何を願っても、何を祈っても――もう還ってはこないのだ。
 勤労で陽気なキールの民。
 優しい両親。
 尊敬する兄。
 目に入れても痛くないほど可愛がっていた妹。
 城の臣下たち――
 かつて愛したものは、もう二度とは還ってはこない。
 幸せだった時間は疾うに流れ去り、必死に掴もうとしても、掌から零れ落ちる砂のように、永遠に掴むことはできない……。



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2009.07.06 / Top↑
 沈みかけた心を誤魔化すように、アイラは手にした銀盃の中身を一気に呑み干した。
 薬湯の苦い味が、ジワリと口内に広がる。
 微かに眉根を寄せながら、アイラは銀盃をルシティナに差し出した。
「この部屋には、もう慣れましたか?」
 銀盃を盆に戻し、ルシティナが先ほどのアイラの言葉を流すように話題を転じた。
「地下の牢よりは」
 アイラは皮肉げに唇を歪めた。
 キール・イタールを攻め滅ぼし、ラパスがアリトラに凱旋した翌日、アイラは幽閉されていた暗い地下牢から出され、この部屋に移されたのだ。
 あれから二週間ほど経つが、冷たい地下牢に比べれば、ここは天国だった。
 外に出られないこと以外、自由が利く。
 両手足から枷の重みが消失したことが、何より快適だった。
「だが、この鳥籠はつまらない。たまには、外に出て遠出をしたり、剣の鍛錬をしたいな」
 アイラは不可能を承知の上で、わざとルシティナを困らせるような言葉を紡いだ。
 ラパスは、決してアイラをこの部屋から出そうとはしない。
 仮にラパスがそれを赦したとしても、乗馬や剣の稽古は到底無理だ。一年もの幽閉生活のおかげで、全身の筋肉は削げ落ちてしまっている。
 牢から出されて二週間――顔色は良くなったのものの、足取りは未だ危うい。立ち上がった瞬間によろめき、ルシティナに支えられることもしばしばだった……。
「殿下、残念ながら、それは――」
 アイラの手首を覆う包帯を解いていたルシティナは、言い難そうに口籠もった。
 アイラの視線を避けるように黙々と包帯を解き、そこに現れたものを見て痛々しげに目を細める。
「……中々治りませんね」
 長い地下牢生活のせいで透けるように白くなったアイラの肌には、赤紫色の痣と血の塊がこびり付いていた。
 重い鉛の枷が填められていたことの証明――癒えぬ傷痕だ。
「一年も拘置されていれば、誰だってこうなる」
 アイラが事も無げに告げると、ルシティナはますます痛ましげな表情を見せた。
 アイラを気遣うように、そっと磨り潰した薬草を傷に塗り込み、新しい清潔な包帯を巻き直す。その仕種はひどく鄭重だ。
「あまり私に情を移すとラパスの不興をかうぞ」
「陛下も殿下のことを気に入っているようですが?」
 ルシティナは微笑し、アイラの左手の治療に取りかかった。
「やはり、あの方に似ているからでしょうか?」
 ルシティナの言葉に、アイラは大きく息を吐き出した。
 誰に似ているのかは、訊き返すまでもない。
 髪の色を黄金に、瞳を明るい青色に、そして顔立ちをもっと女性らしくすれば、アイラは《英雄》と称賛されるある人物にひどく似ている。
「……兄妹だからな」
『ギルバード・アーナス・エルロラに』だ。
 年功順に言えば『アーナスがアイラに似ている』のだが、知名度ではエルロラの申し子であるアーナスの方が俄然高い。
 大陸の創世神エルロラから神剣ローラを賜った王女。
 彼女の勇名は、現在も大陸全土を縦横無尽に駆け回っていることだろう――ラパス王に最期まで果敢に挑んだ黄金の女神、として。
 ――だが、妹は……。
 アイラは胸に怒りと哀しみが芽生えるのを禁じえなかった。
 ――妹は英雄であるがゆえに、ラパスに殺されたのだ。
 無意識に歯が下唇を噛み締めた。
 エルロラがアーナスを選ばなかったら、神の奇跡を起こさなければ、彼女は一国の王女として幸せな一生を送ることが可能であっただろう。
 しかし、彼女には神から与えられた宝剣ローラがあった。
 人々は、彼女にエルロラ神の名に恥じぬ戦士であることを強い、彼女はそれに応えた。
 応えたがゆえに、神から力を授かったもう一人の人物――邪神シリアの魔剣ザハークを持つラパスと対峙し、敗れることになったのだ。



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2009.07.06 / Top↑
「……殿下の方が、穏やかな顔つきをしていますけどね」
 ルシティナの声で、アイラはハッと我に返った。
「あれは、兄妹の中で一番気性が荒かった」
「でしょうね……最期の時――」
 言いかけて、ルシティナは決まり悪げに口を噤んだ。
「そういえば、訊いたことがなかったな。あれの最期は……。どうだった?」
 アイラが問いを発するとルシティナは溜息をつき、覚悟したように口を開いた。
「アーナス殿下は、夫であるイタール第三王子ミロ殿下と共に、我が王の傍近くまで乗り込んできました。先に亡くなったミロ殿下の首を片手に抱え、もう片方の手に神剣ローラを掲げ、陛下と対峙しました」
「それで?」
 アイラは先を促し、そっと瞼を閉ざした。
 瞼の裏に、血塗れになりながら愛する夫を抱き、ローラを掲げ、ラパスに挑みかかる妹の修羅の如き姿が容易に浮かび上がった。
「周知の通り、陛下の前に斃れました。陛下に向って高々とローラを翳し、ミロ殿下の首を抱えたままの態勢で、息を引き取りました」
 告げ終わると同時にルシティナはアイラから顔を背け、右足の手当てに移る。
「あれらしい死に様だな」
 抑揚のない声音で呟き、アイラは瞼を開いた。
 死ぬ瞬間まで妹は己れの信念を曲げず、意志を貫き通したらしい。
「……自慢の妹だった。大切な親友だった」
「親友――ですか?」
 何を指しているのか理解できない様子で、ルシティナが顔を上げる。
「ミロは私の親友だった」
 イタールの第三王子ミロ・レイクールンは、アイラにとって信頼できる友であった。
 同じ年に生まれた王子同士ということもあり、互いの間には幼少の頃から親近感が芽生え、交流は深かった。
 妹が彼と婚約を結んだという話を、手放しで喜んだこともあった……。
 それも、もう遙か遠い日の出来事のように感じられる。
「何故、妹はラパスに敗れた? 全知全能の神エルロラの加護がありながら、何故……? 私には、アーナスのローラがラパスのザハークに勝てぬとは到底思えない」
 アイラは苦渋に満ちた表情を浮かべた。
 現場にいたルシティナを前にしても、今は怒りが沸いてこない。
 怒りよりも――哀しみと絶望の色が濃かった。
「俺が言うのも妙な話ですが――」
 ルシティナは手早く左足の手当ても終わらせ、正面からアイラを見返してきた。
「あの時、ギルバード・アーナスが手にしていたのは、神の剣ではなく――それに似せて造られた贋物だそうです。だからでしょう」
「ローラじゃない……?」
 アイラは驚愕を隠せずに目を見瞠った。
 アーナスが神剣ローラを手放したことなど、アイラの知る限り一度もなかった。
 そのアーナスが、ローラの贋物を掲げてラパスに挑むとは、一体どういうことなのだろうか?
「はい。同じ神の剣を持つ陛下が断言しましたので、間違いないでしょう」
「では、本物は?」
「アーナス殿下とミロ殿下の間には王子が一人存在しています」
「あの二人に……?」
 アイラは更なる驚愕にしばし茫然とした。
「そうか……あの二人に皇子が」
 アイラの表情が、強張ったものから綻んだものに変化する。
 キール・ギルバード王朝の血が自分以外にも残されている。
 愛する妹と友の子供が、この世界の何処かで生きている。
 その事実は、ささやかではあるがアイラの胸中に希望の光を植えつけた。
 ――まだ、全てを諦めるのは早い。
 強く自身に言い聞かせる。
「推論でしかありませんが、アーナス殿下は王子にローラを譲り渡したのではないか――と。現在、双方の行方を追っています」
「そうか……見つかっていないのか」
 アイラは安堵の息を吐き出した。
 ラパスに見つかるのは、まだ早い。
 発見されたら最後、王子は抹殺され、ローラは封印されてしまうだろう。
 ラパスは、自分を脅かしたギルギード・アーナス・エルロラの存在を認めはしない。彼女の血を引く子供など目障りに違いない。
 ギルバード・アーナスの皇子と神剣ローラ。
 この二つの要素があれば、皇子は第二のギルバード・アーナス・エルロラになれる。
 神の剣を掲げる救世主に。
 神の剣は、神の剣にしか斃せない。
 ザハークに対抗できるのは、ローラだけなのだ。
 あと二十年――せめて十五年、皇子がローラを駆使できるほど成長するまでは、ラパスの包囲網を無事潜り抜けてほしい。
「アーナスの子供とローラ、か。ラパスの心中は穏やかではないだろうな」
 アイラが皮肉げに告げると、ルシティナは僅かに不服そうな表情を見せた。
「必ず見つけてみせますよ」
 常とは異なる厳しい戦士の表情で、ルシティナが断言する。
 直後、トントンと扉が叩かれた。
「ルシティナ様、王からの伝達です」
 扉の外から届けられた声に、ルシティナが立ち上がる。彼は敏捷な動作で扉へと向かった。
 扉の影で外の兵士と何事かを囁き合い、すぐにアイラの元へ戻ってくる。
「アイラ殿下、陛下がお呼びです」
 言いながら、彼は腰に携えた頑丈そうな鉛の手錠を取り出すのだ。
「ラパスが、ね……」
 アイラは唇を歪めた。
 手錠の意味は『この部屋から出る』ということだろう。
 この鳥籠に閉じ込められて以来、初めての外出だ。
 単調な毎日――その変化の第一歩。
「何を企んでいるのか――」
 薄く微笑みながら、アイラは従順に両手をルシティナに向けて差し出す。
 その手に枷がかけられるのを、アイラは他人事のように見つめていた――


     *



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2009.07.06 / Top↑
    *


 白亜宮の中枢部に位置する一室では、深刻な討議が繰り広げられていた。
 室内には緊迫した空気が漲っている。
「我々はどのように処せられるのでしょうか、ラパス王」
 痩身の男が額に汗の玉を浮かばせ、怖々と玉座に座る人物を見上げた。
 黄金の玉座に腰かけた黒衣の男――カシミア王ラパスは、眼下のテーブルに座する五人の男たちを無感動に睥睨した。
 二年前、若干二十四歳にして実兄を謀殺し、カシミアの玉座を略奪した冷徹な男。
 そして、つい最近、『平和協定』を堂々と破棄し、キール・イタールを攻め滅ぼしてロレーヌ全土の覇王となった、冷酷な無比な男。
 ラパス・エンキルド。
 その冷徹さから《魔王》と恐れられる男は、見慣れぬ五人の男たちを眺めていた。
 男たちは円卓に座り、一様に恐縮したような表情を浮かべている。
 彼らの周囲には、多数のカシミア兵が控えていた。
 やがて、男たちを値踏みするように眺めていたラパスの唇がゆっくりと孤を描く。
「咎めはせぬ」
 低いが張りのある声が、薄笑みを象った唇から発せられた。
 ザワッと空気が揺れ、複数の人間が大きく息を呑む気配が室内を駆け抜ける。
「処罰はない――と、そう仰るのか? 我らはキールの……かつての重臣ですぞ?」
 信じられない様子で確認の問いを発したのは、先ほどの痩せた男だ。
 キール副宰相。それが男――レンボスの肩書きだった。
 今現在、旧キール国民から『卑小な男ゆえに宰相になれず、国王夫妻を見捨てて生き残った』と痛烈に批判されている男でもある。
 レンボスの横に座る四人の男たちも、キールにおいて要所に就き、先の戦禍を逃れて生き延びた者ばかりだった。
「懲罰は与えぬ」
 黒曜石の双眸に冷ややかな光を宿して、ラパスが繰り返す。
 五人の男たちは再び息を呑んだ。
「但し、無条件というわけにはいかぬ。諸卿らには、余の忠実な部下となっていただく」
 有無を問わせぬ口調でラパスは提言した。
「我らに、キールの誇りを捨てよ、と……そう仰るのか?」
 歯切れ悪く呟いたのは、白髪に隆々とした体躯の壮年の男。
 キール禁軍の要――パゼッタ将軍である。
 パゼッタは渋面をラパスへと向けた。
 長年キール国王に遣えてきたパゼッタとしては、素直に頷けない提案である。
『カシミアの臣下としてラパスに遣えるか、キールの良臣として処刑されるか、どちらを選べ』と、目前の若い王は決断を迫っているのだ。
「キールは滅んだ国だ。今は、余のもの。だが、余はキールに関して詳しい知識を持ち合わせてはおらぬ。……キール領を速やかに統治統括するためには、諸卿らの助けが必要だ。パゼッタ将軍、そなたは人民に信望篤い人物だと聞く。余に力を貸してはくれぬか?」
 ラパスは口許に冷笑を浮かべたままパゼッタを見返した。
 口調は丁寧かつ下手に出たものであるが、闇を凝縮したような双眼は嘲弄するように不気味な輝きを湛えている。
「……わしは政のことは解らぬ」
 パゼッタは絶望を吐き出すように、深い溜息をついた。
「だが、長年尽くしてきたギル・ハーン陛下への忠義だけは、生涯忘れぬつもりだ」
「パ、パゼッタ将軍! 貴殿はラパス王に忠義は尽くさぬと?」
 目くじらを立てるようにしてパゼッタを遮ったのは、レンボスだった。
「ラパス王は、ギル・ハーン陛下、リネミリア妃陛下、ランシェ王太子殿下、アーナス殿下の御生命をもぎ取った方だ。……わしには到底遣えることはできぬ」
 パゼッタは決意を秘めた眼差しをレンボスへと注いだ。
 武将として、護るべきものを護れなかった後悔と自責の念が、ひしひしと押し寄せてくる。今の自分にできることは、亡き主人への忠義を貫き通し、ラパスを拒むことだけだ。
「何故だ? ラパス王に礼を尽くせば、我らはキールの地へ戻り、以前と変わらぬように振る舞うことができるのだぞ!」
 レンボスは責めるような眼差しでパゼッタを射た。
「キールへ帰ったとしても、そこは最早、わしの知るキールではない」
「パゼッタ将軍!」
 一際高くレンボスの怒声が室内に響き渡る。
 その後に、クックッという押し殺した笑いが続いた。
「凄い怒りようですね、副宰相殿。その態度から察するに、副宰相殿は既にラパス王に従順することを決められているようだ」
「フェノナイゼッ!」
 レンボスのきつい視線が、パゼッタから笑い声の主へと鋭敏に移動する。
 笑いの発生源は、五人の真ん中に座する若い男だった。
「副宰相殿は、初めからカシミアとつるんでいたとお見受けする」
 青い衣を纏った若い男は、軽蔑の眼差しをレンボスに注いだ。
 フェノナイゼと呼ばれた三十代前半の男は、キールの宮廷魔術師の称号を持つ人物である。
 十年ほど前に宮廷に上がり、五年前から師団長を務めていた。
「どういうことですかな、フェノナイゼ殿」
 四番目の男が胡乱な目付きでレンボスを一瞥し、次にフェノナイゼに問いかけた。
 優に六十を越えているだろう老人の名を、リーシェンタ・マロイという。
 キール最大の貴族――リーシェンタ公爵家。その当代がマロイなのである。
「簡単なことです、公爵。副宰相殿は、戦の前から我がキールの敵だったのですよ」
 フェノナイゼがマロイに向って苦笑する。
「副宰相が、王都マデンリアにカシミア軍を手引いた、と?」
「おそらく。……カシミア軍の奇襲を受けた我々は、籠城を余儀なくされました。王妃を筆頭に、我ら魔術部隊が城に魔法防壁を張って、ね……。城内には、俺や王妃、他の精鋭魔術師が詰めていた。少なくとも、魔法防御だけで城は十日はもつはずでした」
「しかし、カシミア軍により強行開城されたのは、僅か三日後の出来事だった」
 呟くようにパゼッタが相槌を打つ。
 転瞬、マロイの両眼が大きく見開かれた。
「内部から誰かが故意に城門を開いた――そういうことですかな?」
「そういうことです。おかしいとは思っていたけど……まさか副宰相殿だったとは、ね」
 皮肉たっぷりに述べて、フェノナイゼは自嘲するように唇を歪めた。
「根も葉もないことを言うな!」
 レンボスが凄まじい勢いでフェノナイゼを非難する。
「失礼。あくまでも俺の推論ですよ、副宰相殿」
 フェノナイゼが悪びれた様子もなくヒョイと肩を聳やかす。
「国王陛下や妃陛下を売ったか……」
 マロイが深い溜息を吐き出す。表情には怒りよりも嘆きが強く滲み出ていた。
「売国奴が」
 心底軽蔑し切った声はパゼッタのものだ。
「詮無いことを言うな、貴殿ら! わたしが陛下を裏切ったという証拠などないではないか! フェノナイゼの言葉は、わたしに対する誹謗中傷に他ならない」
 憤然とレンボスが一同を見回す。
 焦燥したように一気に言葉を捲くし立てるその態度が、彼の動揺を表しているようだった。
 証拠はない。
 確かに歴然とした証拠はないのだが、彼の狼狽振りは、一同にそれを確信させるに充分だった。
「――で、おまえはどうするのだ、フェノナイゼ?」
 レンボスが怒りを押し殺したような声音で言を紡ぎ、フェノナイゼを睨めつける。
「俺は一介の魔術師ですよ。ラパス王の役に立てるとは思えませんが?」
 フェノナイゼは、レンボスではなく玉座のラパスに視線を馳せんじた。
 視線を受け、今まで一同のやりとりを静観していたラパスが緩やかに口を開く。
「カシミアには魔術師が少ない。フェノナイゼ殿は、キールの宮廷魔術師だったと聞く。配下の魔術師も沢山いることだろう」
「開城の際、多くの魔術師を失いましたけどね、俺は」
「余は、そなたとそなたの魔術師団の力を借りたいのだが?」
「……そんなに魔術師を集めてどうするのか知りませんけど、キールの魔術師が大人しく王に従うとは思えませんね。開城後、真っ先に惨殺の餌食にされたのが、俺たち魔術師団だということをお忘れなく」
 素っ気なく述べ、フェノナイゼはそれ以上の発言を拒むようにピタリと口を閉ざした。
「申し訳ありません、ラパス王。フェノナイゼは口の利き方がなっていないもので……。リーシェンタ公爵、貴殿の考えは如何なものですかな?」
 額に汗を滲ませ、レンボスがラパスに深々と頭を垂れる。
 彼はフェノナイゼを憎々しげに睨んでから、マロイに話題を振った。
「私の帰る大地はキールしかない。キールは今、焦土と化している。民に活気を持たせ、大地を再興せねばなるまい」
 マロイは重い口を開くようにして訥々と述べる。
「戦禍の傷痕に、民は深い痛手を負っている。民には、食と財と住居を支援する存在が必要だ。幸い、私にはその力がある。我がリーシェンタ公爵家の富と財、そして土地が……。もっとも、ラパス王がそれらを私に返還して下さるのならばの話だが……」
「公爵が余に忠誠を誓うというのなら、すぐにでも返還してやろう。公爵には、我がキール領の民と共に大地を再建していただきたい」
「では……そのように。民には、老いぼれた私は必要ではなくとも衣食住が必要でしょうから」
 ラパスの言葉に、マロイはひどく緩慢な動作で頷いた。
 キールが滅亡した今、公爵の地位など無に等しい。
 それでも、これまで築き上げてきた富と財は、微弱ながらキール国民の役に立つだろう。
 自分がラパスの臣に下ることで民への支援が可能になるのなら、それで異存はなかった。
「では、後ほど返還の手続を行う」
 ラパスが軽く頷く。
 その黒曜石の瞳が、五人の男の最端に据えられた。
 廉潔さを表すような純白の衣を纏った、青年。金の髪は、頭の高い位置で結わえられていた。
「……何か?」
 青年の薄い菫色の双眸が、ラパスの視線に気付いたように動く。
「そなたは先ほどから討議に加わっていないようだが、どのような意見かな、大神官」
 ラパスが鄭重な口調で青年に尋ねる。
「私は――いえ、私たちエルロラ大神殿は、ラパス陛下の意には従いません」
 静かだがはっきりとした意志を秘めた声で、青年はラパスを拒絶した。



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2009.07.06 / Top↑
 青年の名はシザハン。
 二十代後半の若い男だが、キール王都マデンリアに聳えるエルロラ大神殿の最高権威――大神官の尊称を与えられた人物である。
「余が、そなたらの女神――エルロラの寵童であるギルバード・アーナス・エルロラを亡き者としたからか?」
 ラパスはシザハンの返答を予期していたのか、特別驚いた様子もなく平然と訊き返す。
「当然です。我らエルロラ神殿にとって、アーナス王女は正しく神でした。ラパス陛下、貴方は私たちが崇拝するエルロラの分身を、その手で殺めてしまったのです。その報いは受けねばなりません」
 シザハンはラパスから視線を背けることなく断言した。

 元来、マデンリアにあったエルロラ神殿は、大陸各処に点在する神殿と同じく、ごく普通の神殿だった。
 だが、十九年前、王女の誕生と共に大きく変容した。
 王女誕生の際、天空から稲妻が迸り、王妃リネミリアの枕許に一振りの宝剣を突き刺した。
 透明な刀身には『我、エルロラ、汝を祝福す』と銘が刻まれていた。
 王女は、エルロラ神の名を戴き『ギルバード・アーナス・エルロラ』と命名され、神の剣は『ローラ』と名付けられた。
 王女がエルロラ神に祝福を与えられたことにより、マデンリアは聖地と化したのだ。
 大陸の創世神であり全知全能の神エルロラ。
 その神から、恩恵と加護を賜った王女アーナス。
 王女を讃えるために神殿は新築された。
 完成と同時に、神殿は『エルロラ大神殿』と名を改め、大陸全土のエルロラ神殿の総本山となったのである。
 エルロラを信仰する人々にとって、かの神の天恵を賜った王女は、正しく『神』だった。
 眩い黄金の髪と澄んだ碧眼を持つ王女の姿は、神々しいとしか言い様がなく、人々は神の降臨を王女に夢見た……。
 そのエルロラの申し子である王女を、漆黒の魔王ラパスは殺したのだ。
 エルロラ大神殿は、決してラパスを赦さない。
 聖地を血と殺戮で穢し、彼らの手から烈光の女神を永遠に奪い取った罪は重い。
 史上例をみない大罪として、永劫に歴史に刻み込まれるだろう。

「なるほどな」
 シザハンの拒絶に、ラパスは軽く頷く。その顔には余裕の笑みさえ浮かんでいた。
 シザハンは怪訝な面持ちで見遣った。
 エルロラ大神殿がラパスの庇護下に入らないということは、大陸全土に散らばるエルロラ神殿もラパスのロレーヌ三国統治を認めない、ということだ。
 それなのに、当の本人は平静を保っている。
 ――何か、神殿を懐柔する秘策でもあるのだろうか?
 そう疑心を抱かずにはいられない。
「それに、ラパス陛下は――シリア神の天意を受けていらっしゃる」
 シザハンは意味深な視線を、ラパスの帯剣――魔剣ザハークに投じた。
 ラパスも神から宝剣を授かった人物だ。
 アーナスのローラが《神剣》と呼ばれるに対し、ラパスのザハークは《魔剣》と呼ばれている。
 これは、ラパスに恩寵を与えた神が、闇の女神シリアであることに由来していた。
 闇の女神――即ちシリアは邪神なのだ。
 シリアはエルロラの妹であり、元来は光の女神であったと伝えられている。
 たが、ある時、エルロラの不興と激怒をかい、天上界を追放され闇世界へと堕とされた。彼女は光の神力を失ったが、代償として闇の力を得た。
 その瞬間、光の女神は闇の女神へと転身したのである。
 邪悪と暗黒を司る女神シリア。
 彼女は、エルロラにとって最愛の妹であると同時に、最も赦しがたく憎い邪神だと神話に残されている……。
 先々代のカシミア王――ラパスの父親は、王子が邪神の祝福を受けたことを公表しなかった。
 大陸の大半が創世神エルロラを奉っている。そして、シリアはエルロラに相反する神だ。王子が、邪神の申し子として人々から忌み嫌われることを不憫に思っての隠蔽だったのだろう。
 ラパスが魔剣ザハークの主人であることは、先のロレーヌ戦争で大陸全土に知れたばかりである。
「シリアとエルロラは、相容れぬ神同士。私たちエルロラ神に遣える者は、女神シリアの恩恵ある陛下の統治は受けられません」
 再度、シザハンはラパスを拒んだ。静穏な物言いだが、内容はラパスがエルロラ大神殿に介入することを明確に忌避していた。
「当然だろうな。だが――マデンリアのエルロラ大神殿には、余の味方になってもらう」
 ラパスは命令に近い口調で言い切った。
「先ほど余に与しないと表明した、パゼッタ将軍とフェノナイゼ殿にもな」
 次の一言には、シザハンのみならずパゼッタとフェノナイゼも驚愕の表情を浮かべた。
 ラパスは余裕綽々の笑みを口許に刻み、一同を眺め回す。
「諸卿らには是が非でも余の臣になってもらう。――素晴らしいものを見せてやろう。衛兵、ルシティナにあれを連れて来るように伝えろ」
 ラパスは手近にいた兵士に簡潔に命を下す。
 兵士はラパスに一礼し、敏捷な動作で部屋を出て行った。
「ラパス王、わたしたちに一体何を見せようと?」
 一同を代表するように質問を繰り出したのは、レンボスだった。
 五対の視線がラパスに集中する。
「直に判る。卿らを喜ばせる類のものだ。安心しろ」
 酷薄に笑い、ラパスは『待ち遠しくてならない』というように扉に視線を馳せた。
 釣られるように、五対の視線も移動する。
 固唾を呑むような雰囲気が室内に漂った。



 数分後、注目の扉が開かれた。
 刹那、旧キールの要職たちはあまりの衝撃に目を丸め、次いで一斉に椅子から立ち上がっていた。
「殿下……!」
 囁くような呟きは、誰のものであったのか定かではない。
「……王子!」
「アイラ殿下――」
 掠れるような声が口々から出ずる。
 彼らの目の前で、長い銀の髪が揺れた。
 深い海の色をした双眸が一同を認識し、僅かに見瞠られる。
 昨年の晩春、戦場で姿を消し、そのまま行方知れずとなっていた彼らの主――貴き第二王子の姿が確かにそこに在った。


     *


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2009.07.06 / Top↑
     *


 開け放たれた扉から室内に足を踏み入れた途端、アイラは衝撃に目を瞠った。
 玉座にはラパスが悠然と腰かけている。
 そのラパスの眼前――円卓に座する五人の人物を見た瞬間、アイラは己れの身体が硬直するのを感じた。
「殿下……!」
 ひどく懐かしい声がアイラを呼ぶ。
「……王子!」
「アイラ殿下――」
 自分に注がれる五対の熱い眼差しに、アイラは恟然とした。
 自然と唇が震えを帯びる。
「アーナス……。まだ私に生きろ、と――?」
 誰にも聞こえぬような小さな声で、アイラは妹の名を口ずさんだ。
「あ、あ……アイラ――殿下。み、皆の者、殿下の御前ぞ!」
 呆けたように呟き、慌てて床に跪いたのは、キールの副宰相であったレンボスだ。
 レンボスに倣うように他の四人も床に膝を着き、深々と頭を垂れる。
 その光景に、ラパスが愉快そうにクックッと喉を鳴らした。
 アイラは幽霊でも見るような目つきで、平伏した五人の男たちを見下ろした。
 かつての家臣が、敵国カシミアで自分の前に傅いている。
 何とも奇妙な光景だった。
 予期せぬ展開だ。
 アイラは全身を雷で貫かれたように、その場にから動けなかった。



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