ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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◆ブラッディムーン  【長編・完結】

  ブラッディムーン

▼作品傾向:伝承・民話・吸血鬼・幼なじみ・美少年▼


 両親を亡くした莉は、父の故郷である緋月村へと移り住むことになった。
 山々に囲まれた美しい村――そこは、吸血鬼伝説が残る謎めいた村だった。
 村を支配する神栖家。何を祀っているか解らぬ須要神社。土葬の仕来り――
 長閑なはずの山村で、莉が目にしたものは……。

 ファンタジーのつもりで書きましたけれど(汗)、やっぱりホラーテイスト……。
 流血シーンが多いので苦手な方はご遠慮下さい!



【INDEX】 

  ◇序  
  ◇一.緋月村   
  ◇二.鬼    
  ◇三.神栖玲      
  ◇四.須玖里家     
  ◇五.蒼月   
  ◇六.悪夢   
  ◇七.戒厳令    
  ◇八.異邦人       
  ◇九.鎮めの儀式    
  ◇十.生贄   
  ◇十一.地下牢     
  ◇十二.緋い月      
  ◇跋  




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2009.07.16 / Top↑
 序


 月が紅い夜だった。

 山際に浮かぶ巨大な満月は、小さな村を不吉に照らし出している。
 赤味がかった月光を浴びながら、少年は山の中を歩いていた。
 手を引く叔母の足取りが速いせいで、必然的に少年の歩調も強まる。
 行く手を阻むように突き出た木の枝が時折素肌の腕を引っ掻いてゆくが、痛みを訴えることや足を止めることはできなかった。叔母がひどく真摯な顔で前を見据えているからだ。
 鬱蒼と木の生い茂る夏の山。
 木立の隙間に赤々とした炎が見え隠れし、人の声が響いた瞬間、叔母が足を止めた。
「須要(しゅよう)の神様の祟りだ」
「アサの怒りを鎮めろ。犠牲者を増やすな!」
「生贄だ。贄を捧げろっ!」
 男たちの怒号が山中に響く。
 彼らの動揺と怒りを表すかのように、木々の間から覗く無数の炎が激しく揺らめいた。
 松明を持った男たちが、凄まじい勢いで山を登っているのだ。
 その事実に気づき、少年は不安げに叔母を見上げた。
 叔母は口惜しげに眉根を寄せ、松明の群れを眺めていた。
 少年が軽く手を引くと、彼女は我に返ったように瞬きをし、ゆっくりと少年を見下ろした。
「下のお屋敷に行きなさい」
「叔母さんは?」
 少年は、自分と同じ名を持つ叔母を怪訝な眼差しで見返した。
「わたしは行けないのよ。これから大人だけで大事な話し合いが行われるの。それが終わるまで下のお屋敷で待ってなさい」
 叔母の手がそっと少年の背中を押し出す。
 少年は素直に従った。
 話し合いの場に自分がいては邪魔なのだろう。
 山を登ってくる男たちの怒声から、深刻な話し合いが行われることは予測できた。
 ここ数日、村では人死にが続いている。
 大人たちは相次ぐ人死にを祟りだと信じ、畏れているのだ。
 異変が早く収まるように、これから村の神に祈祷を捧げるのだろう。その証拠に、松明の炎は神社のある方角を目指している。
 少年は、松明の群れを避けるように山を下り始めた。
 途中、叔母が気になり一度だけ振り返る。
 叔母の姿はひしめく枝葉に遮られ、完全に視界から消えていた。
 まるで叔母そのものが初めから存在していなかったような錯覚に陥り、少年の胸はざわついた。
 天に浮かぶ紅い月が、恐怖心を煽る。
 少年は裡に生じた戦きを払拭するようにかぶりを振ると、一目散に駆け出した。



 無我夢中で山を走り抜け、少年は平地に飛び出した。
 視界に人家の灯火を発見して、ホッと安堵の息をつく。
 目の前に巨大な日本家屋が姿を現していた。
 この山村の村長宅であり、少年の幼なじみが住む家でもあった。
 少年は大きな門を潜り、正面の玄関から屋内へと足を踏み入れた。
 屋敷はしんと静まり返っている。大人たちは皆、山へ登ってしまったのだろう。
 一人広大な邸宅に残されているであろう幼なじみの心細さを思い、少年は急ぎ足で廊下を進んだ。
 幼なじみの名を呼びながら、広い室内を駆け回る。
 程なくして、廊下に洩れる光を発見した。
 和室の一つから煌々とした明かりが洩れている。
 開け放たれた障子――その奥に人の気配を感じた。幼なじみに違いない。
 少年は喜色を顔に滲ませ、何の躊躇いもなくその部屋へ向かった。
「……るな。来るな!」
 不意に、幼なじみの悲鳴じみた声が響く。
「どうしたの? 叔母さんがこっちにいろって――」
 少年は何気なく和室を覗き――絶句した。
 身体が恐怖に凍りつく。
 少年の視界は瞬く間に真紅に彩られた。
 夜空に浮かぶ月よりも遙かに禍々しい紅が一面に広がっている。
 畳を覆い尽くす真っ赤な液体。
 それが血であることを認識した途端、少年の全身は総毛立った。
 戦慄が胸の奥から迫り上がってくる。

 血の海の中に、人間が一人転がっている。

 見慣れた顔だった。
 少年のことを息子のように可愛がってくれた女性が、無惨な姿で横たわっているのだ。
 信じられない光景だ。
 女性の全身は血で汚されている。
 左胸――心臓には鋭い刃を持つ草刈り鎌が突き立てられていた。
 無意識に視線が鎌の姿をなぞる。
 柄にかけられた手を確認した刹那、少年は更なる恐怖に襲われた。
「うっ……あっ……ああ……」
 言葉にならない声が喉の奥から洩れる。
 嘔吐感が込み上げてきた。
 草刈り鎌を手にしているのは、大好きな幼なじみだったのだ。
 少年の頭は一気に混乱を来した。
 畳に座り込み、頭から血飛沫をかぶっているのは幼なじみ。
 そして、彼が持つ鎌に胸を抉られている女性は――幼なじみの実母だった。
 目にした状況が理解できず、また受け入れ難くて少年の思考は停止した。
 あまりのおぞましさに身体を震わせ、血の海を凝視することしかできない。
「……たす……けて――」
 ふと、幼なじみが鎌から手を離し、少年を見上げた。
 幼なじみの双眸から透明な雫が溢れ出す。
 涙は顔に付着した血飛沫と混ざり合い、幼なじみの頬に幾つもの紅い筋を作った。
「助けて……」
 幼なじみが血の海を這うようにして少年の方へやってくる。
「おまえしかいない……。おまえだけが味方なんだ。だから、助けて……助けてくれよ!」
 幼なじみが懇願の叫びをあげ、片手を伸ばす。
 少年は無意識に後ずさっていた。
 凄惨な場面に遭遇した衝撃に、少年の理性は完全に麻痺していた。
 身体だけが勝手に拒絶反応を引き起こす。
 今夜は何もかもがおかしい。

 山を登る男たちの異様なまでの興奮。

 諦観したような叔母の儚げな笑み。

 血塗れの幼なじみとその母。

 村を照らす不気味な紅い月――

 この村は呪われている。
 
 狂気に侵されている。

「……助けて」
 幼なじみが縋るように手を伸ばしてくる。
 少年が引きつった顔で首を横に振ると、幼なじみの手は急激に力を失い、畳の上に落ちた。
 幼なじみの全身が哀しみに打ち震える。
「おまえしか……いないのに――」
 幼なじみが愕然とした面持ちで少年を見上げた。
 彼の蒼く澄んだ瞳が、じっと少年を見つめる。
 宝石のような蒼い双眸は、激しく揺らめいていた。
 拒まれた怒り、突き放された哀しみ――様々な感情が瞳の中で忙しなく交錯している。
 僅かな時の流れの後、幼なじみの両眼から活力が失せた。
 蒼い目が急速に濁りを帯びてゆく。
 最後に幼なじみの目に浮かんだのは、信じていた者に裏切られた絶望だった……。
 少年は未だ恐怖から抜け出せずに、悚然と立ち竦んでいた。
 俺にはおまえしかいない――と、心から助けを求めてきた幼なじみを少年は見捨てたのだ。
 縋る手を拒絶してしまったのだ。

 ――僕は一生後悔するのだろう。

 頭では解っているのに、少年は幼なじみに手を差し伸べることができなかった。
 実母を殺めた血塗れの手を握り、共に地獄に堕ちる度胸がなかった……。
 全ては紅い月が見せた悪夢。
 夢なら早く醒めてほしい。
 深紅に染められた世界に佇み、少年は切に願った。



     「一.緋月村」へ続く



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2009.07.16 / Top↑
一.緋月村



 緑萌ゆる山がぐるりと村を取り囲んでいる。
 新緑の輝きに覆われた山は美しい。
 山の懐に抱かれた盆地には、田植えを終えたばかりの田圃が敷き詰められている。田圃の合間を流れる幾つもの小川が、太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。
 蕪木莉緒(かぶらぎ りお)は、春の緑に覆われた清々しい山村の光景を飽くことなく窓から眺めていた。

 東京からこの山間の小さな村に来て、およそ一ヶ月。

 それまで知ることのなかった自然溢れる大地と触れ合うことで、莉緒の心は慰められ、また癒されてきた。
 都会に比べるとゆっくり感じられる時間の流れと素朴な村人たち、そして豊かな自然を莉緒は好きになり始めていた。
「悪い、莉緒。待たせたね。退屈だったろ?」
 不意に教室のドアが開き、ショートカットの少女が飛び込んできた。
 クラスメイトの坂瑞穂(こうさか みずほ)だ。
 彼女はテストの結果が悪かったがために、担任に呼び出されていたのだ。
 放課後の教室で莉緒は一人、友人の帰りを待っていたところである。
「そんなことないよ。景色を見てるだけでも楽しいから」
 莉緒は瑞穂を見上げ、首を振った。
 瑞穂はこの村に来て初めてできた友人だ。
 クラスの中でも一番仲がいい。
 とは言っても、クラスメイト自体、十二人しかいないのだが……。

 私立青蘭学園分校高等部二年クラス――それが今現在の莉緒の所属だ。
 山梨県の南アルプスに近い山間部に、莉緒の住む緋月(ひづき)村は存在している。
 人口七百人にも満たない小さな山村。
 最も近い街である韮崎市から車で二時間近くもかかる僻地だ。
 山に囲まれた閉塞的な環境のためか、村民たちは村の外へあまり出たがらない。
 子供たちも同様だ。毎日片道二時間もかけて韮崎市の学校へ通うことを嫌がる。
 その辺りを考慮して建てられたのが、青蘭学園分校だった。
 村の名士であり、村長でもある神栖倫太郎(かみす りんたろう)が二十年ほど前に私財を投じて開校したのである。元々、韮崎市にある青蘭本校を経営していた倫太郎にとって、分校設置など造作もないことであったらしい。

 分校は村で唯一の学舎だった。
 三階建ての校舎に小学校から高校まで入っている。生徒数百人未満の小さな学校だが、村民にとっては有り難い代物である。分校ができたおかげで、往復四時間もかかる通学時間から逃れることができたのだ。

「やっぱり田舎は珍しいか?」
 瑞穂が悪戯っぽい眼差しを向けてくる。
 莉緒はそれを微笑で受け止めた。
「まあね。こんなに緑に恵まれたことなんてなかったもん。初めて知る世界だから新鮮よ」
「へえ、そんな顔もできるようになったんだ」
 瑞穂が驚いたように目を丸め、まじまじと莉緒を見返してくる。
「村に来た頃は無口で可愛げがなかったのに、随分変わったね」
「可愛くなくて、悪かったですね」
 莉緒が大袈裟に唇を尖らせると、瑞穂は快活な笑い声を立てた。
「ごめん。でも、本当に心配してたんだ。初めて逢った時の莉緒は、この世の終わりに直面したような悲惨な顔してた。それが、こんな風に笑えるようになるなんて目覚ましい進歩だよ」
「うん。村の自然と瑞穂たちのおかげよ」
 莉緒は屈託なく微笑んだ。
 以前に比べると、素直に感情を表現できるようになったと自分でも思う。
 少しずつではあるが、本来の自分を取り戻している。
 あの忌まわしい出来事の衝撃から立ち直りつつあるのだ。

 二ヶ月前――高校一年の終わりに、交通事故で父親を失った。
 父の運転する乗用車に大型トレーラーが衝突したのだ。
 トレーラーの運転手は軽傷で済んだが、父・正隆(まさたか)は即死だった。事故の原因は相手ドライバーの居眠り運転だった。

 莉緒にとっては思い出すのも辛い事故だ。
 やり切れない想いが未だに胸中で燻っている。
 警察に父の死を報された時も、葬儀の時も、頭に浮かんだのは『どうして?』という言葉だけだった。なぜ父が死ななければならなかったのか理解できなかった。
 ショックが甚大すぎて全ての神経が麻痺していた。
 父を亡くした喪失感、それに伴う怒りや哀しみが湧いてきたのは、父の死から数日も経過した頃だった。
 父はもう二度と還ってこないのだ――とようやく理解した。
 幼い頃、母の莉津子(りつこ)を病気で失った。
 それ以来、莉緒を育て、支えてきてくれたのは正隆だけだった。
 その父の突然に死に、莉緒は深刻な痛手を負い、自分の殻に閉じこもるようになってしまったのだ。
 誰の慰めも励ましも受け入れられず、人々の好奇や憐れみに満ちた視線から自分を護るように心を閉ざした。
 そんな莉緒を引き取ってくれたのが、緋月村で診療所を営んでいる父の弟――蕪木亮介だった。
 彼に誘われ、莉緒は一ヶ月前に村へと越してきたのである。
 分校に編入したての頃は、暗鬱な雰囲気を漂わせ、無表情だった莉緒だが、今ではそれなりに喜怒哀楽を表現できるようになった。
 緑豊かな村の自然が心を解し、亮介や瑞穂たちが根気よく接し続けてくれたおかげだ。
 村人たちが憐憫の眼差しを向けることなく、ごく普通に自分と相対してくれたことが、莉緒にはとても有り難かった。

「緋月村って、ホントにいいところよね。パパが自分の生まれ育ったこの村を嫌っていたなんて、信じられない。物凄く不思議だわ」
 莉緒は窓外に視線を流し、村の緑を眺めた。
 思わず微苦笑が浮かぶ。
 心優しい村人たちと南アルプスの懐に抱かれた大自然のどこに父が不満を感じていたのか、全く理解できない。
 正隆は両親を亡くした直後に村を飛び出し、以後二十年近くも故郷に帰らなかったのだという。
 莉緒が疑問に思うほど意固地に父は帰郷することを拒んでいた。
「お父さんが村のことを嫌ってたのは、何故だろう」
 瑞穂が隣の席で荷物を鞄に突っ込みながら首を捻る。
「さあ? でも、嫌ってたというよりも怖がってた感じかな……。何だか、村に帰るともう二度と生きて出てこられないみたいに言ってたの。変な被害妄想よ」
「田舎暮らしが嫌だったんだよ、きっと。一度都会に出ると、田舎の暮らしには耐えられなくなりそうだしね。それにしても、嫌いを通り越して怖がるなんて、ちょっと普通じゃないね。自分が生まれた村なのにさ」
「同感。度を超してるわ」
「村にいた頃、よっぽど嫌な目に遭ったのかも。山で迷子になったとか、狐に化かされたりとか、熊に追いかけられたとか」
「どうかしら?」
 瑞穂の冗談に莉緒はヒョイと肩を聳やかした。
 正隆の村時代の想い出など聞かされたこともない。
「そういえば、パパが一つだけ教えてくれたことがあったな。何があっても緋月村には近寄るな、って」
 ふと、脳裏に古い記憶が甦ってきて、莉緒は眉をひそめた。
 母を亡くした直後、莉緒は寂しさを紛らわすために正隆に母との想い出話をねだったことがあるのだ。その時、確かに緋月村の話題も出た。
 父は生まれ故郷に纏わる不可解な伝承を打ち明けた後、『村には近寄るな』と告げたのだ。
「村には――近寄るな?」
 瑞穂が怪訝な表情で莉緒を見返してくる。
「パパね、緋月村に残る伝説のことを話してくれたのよ。この村には、古くから吸血鬼伝説が残されてるんでしょう?」
「は?」
 瑞穂が虚を衝かれたように目を丸める。
 口を開けたまましばし莉緒を凝視した後、彼女は大きな笑い声を立てた。
「莉緒はそれを真に受けてるのか? あれはただの伝説だ」
「でも、吸血鬼が存在したっていう伝説は残ってるのよね」
 莉緒は大笑いされたことに羞恥を覚えながらも言い返した。
「ああ、残ってるよ。月が血のように紅く染まると、吸血鬼が現れるんだってさ。その吸血鬼が夜な夜な村を徘徊し、村人の血を啜る――という信憑性のない話だ」
「瑞穂は信じてないの?」
「信じてないね。村には吸血鬼なんていない。この村に実在したのは――殺人鬼だよ」
 瑞穂が妙に怖い表情で言葉を紡ぐ。
「吸血鬼じゃなくて殺人鬼……?」
「村人を大量虐殺した殺人鬼がいたんだ。大昔のことだけどね」
「じゃあ、吸血鬼はいないの?」
「残念ながら。そんなに気になるなら、公民館で村の史料に目を通してみればいいさ。吸血鬼なんていないこと、すぐに解るよ」
 瑞穂が笑い混じりに告げ、話に終止符を打つように鞄を手に取る。
「そうしてみる。パパがあんなに真剣だったのが気に懸かるし、伝説が嘘なら嘘で自分の目で確かめてみたいしね」
 莉緒も鞄を掴み、席を立った。
 吸血鬼伝説についてこれ以上訊ねても、瑞穂から詳しい話を得ることはできないだろう。
 彼女は塵ほども伝説を信じていないのだ。更に追及すれば呆れられるだけだ。
 ――公民館に行ってみるしかないわね。
 莉緒は密かに心を決めた。
 今になってようやく父の昔話を思い出した。
 記憶が甦った後に芽生えたのは好奇心だ。
 村に残る吸血鬼伝説に興味が湧いた。
 父が帰郷を拒むほど畏れた吸血鬼、もしくは殺人鬼とやらの存在が急に気になり始めてしまった。
 ――何かに興味を持てるようになったのは、立ち直りかけている証拠ね。
 都合の良い方向に考え、莉緒は一人頷いた。
 正隆は緋月村には近寄るなと言ったが、現に莉緒は問題の村に住んでしまっている。
 正隆が急死しなければ、おそらく一生訪れることはなかっただろう緋月村。
 長閑な山村に似つかわしくない吸血鬼伝承に、莉緒の心は急激に惹きつけられていった。



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2009.07.16 / Top↑
 瑞穂と揃って教室を後にしようとしたところで、思いがけずドアが開いた。
 濃紺の学生服を纏った少年が、颯爽と教室に入ってくる。
 彼は莉緒と瑞穂に気づくなり足を止め、微かに首を傾げた。
「あれ、まだ帰ってなかったの? 瑞穂は先生に呼び出されたんだろうけど――蕪木さんは?」
 少年の理知的な双眸が莉緒に据えられる。
 莉緒は笑みで応じた。
「わたしは瑞穂を待ってたのよ」
「要こそ、何をしてたんだ?」
 瑞穂が憮然と少年を見返す。
「僕も呼び出しを喰らったんだよ。教頭に」
 少年――須玖里要(すぐり かなめ)が苦々しげに微笑む。
 このクラスの委員長を務めているせいか、彼は常に知的な雰囲気を纏っている。
 村の少年たちが陽に焼けて健康的な肌をしている中、要だけが白い。そのせいで、よりいっそう彼は生真面目に見えた。
「で、教頭は何だって?」
「……玲のことだよ」
 瑞穂の問いに、要は奇妙な間を措いてから応えた。
「玲はいつ登校してくるのか、週に一度は登校させろ――そんな類のことを言われた。僕に言われても、どうしようもないんだけどね」
 額にかかる前髪を神経質そうに指で払い、要は吐き捨てる。
 莉緒は自然と真後ろの席を振り返っていた。
 莉緒が転校してきて以来、窓際最後列の机はずっと空席のままだ。
 席の主は、神栖玲(かみす れい)。
 村長・神栖倫太郎の孫。
 東の山裾にある大きな屋敷に住んでいるらしいが、莉緒は一度もその姿を見たことがなかった。

「神栖くん、いつ出てくるのかしら?」
 莉緒が何気なく口にした途端、要の切れ長の双眸がスッと細められた。
 暗鬱な眼差しを莉緒に注いだかと思うと、彼は急に目を逸らし、自分の席へと歩き始めてしまう。
 ――あれ、もしかして無視されちゃったのかな?
 莉緒の声が聞こえていたにもかかわらず、要は故意に応えようとはしなかったのだ。
「要の馬鹿」
 瑞穂が小さく舌打ちを鳴らし、莉緒の制服の袖を引っ張った。
 莉緒の耳に口を寄せ、抑えた声で囁く。
「ごめん。要の前で、玲の話は禁句だ」
「瑞穂は話してたじゃない?」
「あたしたちはこの小さな村で一緒に育ったから、姉弟みたいなものなんだよ」
「他人は口を挟むな――ってわけね」
 莉緒は溜息を洩らした。
 村人たちがいくら優しくても、住み始めて一ヶ月しか経っていない莉緒は未だに余所者――異分子なのだ。
 完全に打ち解けるにはまだ時間が必要らしい。
「要と玲のことは特にね」
 瑞穂の顔に淋しげな微笑が浮かび上がる。
「二人はとても仲が良かったんだよ。けど――五年前に仲がこじれ、中学・高校と殆ど言葉を交わしてない状態だ」
「瑞穂、無駄口叩いてないで帰るよ」
 要が鞄を片手にこちらを振り返る。
 瑞穂はピタリと口を閉ざし、無言で頷いた。
「蕪木さんも、たまには一緒に帰ろう」
 先ほどのことなど何もなかったかのように、要が柔和な笑みを湛える。
 ――要くんと神栖くんは訳有り、か……。
 莉緒はまだ見ぬ神栖玲と要の関係を疑問に思いながら、曖昧な笑顔を返した。


     「二.鬼」へ続く



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2009.07.16 / Top↑
二.鬼



 午後三時。太陽は西に傾きかけている。
 春の陽射しを浴びながら、畦道で農家の人々が休憩をとっていた。のんびりと菓子を食べながら、茶を啜っている。
 その光景を横目で眺めながら、莉緒は舗装された道を瑞穂たちと歩いていた。
 緋月村で舗装されている道路は、村役場前を通るこの道と、それと交差する道の二本しかない。
 十字路は、そのまま村の東西南北を示していた。
 村役場を中心に、東に須要(しゅよう)神社や神栖家、西には郵便局と保健所、南に青蘭学園分校や駐在所、北に診療所と農協――といった具合に配置されている。
 莉緒たちは、村の南北に伸びる舗装路を北へと向かって歩いていた。

 村役場前の十字路まで来て、莉緒はふっと足を止めた。
 東西を貫く道に、見慣れぬものを発見したのだ。
 西から東へと向かって人の列ができていた。
 白装束に身を包んだ人々が、黙々と東を目指して歩いている。
「葬列だよ」
 莉緒の見ているものに気づき、要が簡素に告げる。
「西で、金井の房雄さんが亡くなったって聞いたな」
 瑞穂が目を眇め、白い葬列に視線を馳せる。
 莉緒は近づいてくる葬列をぼんやりと眺めていた。
 緋月村に来て初めて見る葬儀だ。
 葬列の先頭は松明を持った少年。その後ろに花を持った少女、位牌と遺影を持った女たち、棺桶を担いだ男たちと続いている。
 あとは、莉緒が見ても解らぬ小道具を持った者たちが葬列に加わっていた。
 葬列が進むたびに振り鳴らされる鈴の音が物悲しい。
「お葬式なのね……」
 莉緒は眉間に皺を寄せた。
 父の葬儀が脳裏をよぎる。
 同時に胸が締めつけられるような痛みを発した。
 父を喪った哀しみがまざまざと甦ってくる。目頭が熱くなったが、涙が零れ落ちるのは唇を噛み締めて耐えた。
「大丈夫か?」
 瑞穂が心配そうに訊ねてくる。
「うん、平気。――ねえ、あの人たちはどこへ向かってるの? 村にお寺はなかったはずよね」
 莉緒は父の死を頭から締め出し、気になったことを口にした。
 葬列の先頭は、莉緒たちの前に差し掛かっている。
 緋月村に来て間もない莉緒には、彼らがどこを目指しているのか全く見当もつかなかった。
「須要神社さ」
 瑞穂が意味深な視線を要へ注ぐ。
 それを受けて、要は口元に苦笑を閃かせた。
「つまり僕の家だよ」
 そう言われて、莉緒は須玖里家が神社の神主を務めていることを思い出した。
 要は神主の一人息子であり、境内にある家屋に住んでいるのだ。
「この村には寺がないから、葬儀はウチが全て取り仕切ってる。神社だからって、真っ当な神葬祭でもないんだけどね」
「真っ当じゃない?」
 莉緒が訊き返すと、要は苦笑を深めた。
「この村には昔から土葬の仕来りがあるんだ」
「えっ、土葬っ!? それって、法律で禁止されてるんじゃなかった?」
「そうなんだけど、山間部では未だに土葬の習わしが残っているところもあるんだよ」
「へえ、何だか凄い話ね」
 莉緒は素直に驚嘆した。
 噂には聞いたことはあるが、実際に土葬を続けている地域があるとは思ってもみなかった。
「昔から続く土葬の儀式を神主が受け持ってるだけなんだ。だから、お葬式は、仏式でも神式でもない村独特のものってこと」
 葬列を目で追いながら瑞穂が肩を竦める。
「神社の上が埋葬地になってるんだよ」
 要が東を指差す。釣られて莉緒は東を向いた。
 山裾には、神栖屋敷がその巨大さを誇示するように広がっている。
 神栖家の背後には鳥居。
 そこから階段らしき灰色の筋が伸び、山の中腹部でまた鳥居に突き当たる。
 第二の鳥居の奥に社殿らしき建物が見えた――須要神社だ。
 要の言葉から察するに、神殿から山頂までが死者の埋葬地になっているのだろう。
「土葬が現在まで続いているなんて、信じられない」
「この村では、それが現実。莉緒が気にしていた吸血鬼伝説も、土葬という因習が生んだものなんだよ」
 瑞穂が莉緒に向き直り、唇に弧を描かせる。
 要も莉緒に視線を向けてきた。
「蕪木さんは伝説に興味があるの?」
「少しね。要くんは伝説を信じてるの?」
「信じて――ないよ」
 答える要の声は微かに震えていた。彼自身も己の声音に驚いたように、ハッと息を呑む。
 莉緒が怪訝な眼差しを注ぐと、彼は取り繕ったように微笑んだ。
「蕪木さんは信じてるの?」
「頭から信じてるわけじゃないけど、言い伝えが残されているなら、それなりの根拠はあったはずよね。それに近い事実があったとか」
「緋月村の場合は、土葬が原因でいい加減な伝説が発祥しただけだよ。昔は、死亡と判断されてから埋葬までの時間が短かったし、医学も発達してなかったからね。誤って、生き埋めにされた人もいたと思うんだ」
「うわっ、想像したくもないわね」
 莉緒は生き埋めにされた自分を想像してしまい、顔を引きつらせた。
「でも、昔は実際にあったらしいよ。仮死状態のまま埋葬された人が、地中で息を吹き返す。その人は死にたくない一心で必死に棺桶を壊し、土をはね除け、地上に這い出てくるだろうね。けれど、村人たちはその人が死んだと思い込んでるから、動き回ってる姿を見て驚倒する。『屍鬼だ』『起き上がりだ』『不死者だ』と村中大騒ぎになったはずだよ」
「そういう不幸にして生き埋めにされた人たちの話が、形を変え、吸血鬼として今日まで伝わってるだけ――これが吸血鬼伝説の真相」
 瑞穂が話を締め括り、莉緒の反応を愉しむように顔を覗き込んでくる。
 莉緒は肩すかしを喰らったような気分に陥り、苦笑した。
 父が畏れた吸血鬼伝説とやらは、土葬が生んだ悲劇であったらしい。
 死亡したと信じていた人間が墓から這い出てくれば、誰だって驚くだろう。
 昔は、その人が仮死状態にあったとは思いもよらず、幽霊や物の怪の類だと考えてしまったに違いない。
 医学の発達していない時代、山に囲まれた閉鎖的な村では、きっとそれ以外の説明がつかなかったのだ。



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2009.07.18 / Top↑
 りん――と、鈴が鳴った。

 それを合図に、莉緒たちは葬列に視線を戻した。
 白い葬列は、いつの間にか莉緒たちの眼前を通過し終えようとしている。
 最後尾に並ぶ老婆が、また鈴を鳴らした。
 老婆の前を歩く二人の老人が、鈴の音に触発されたかのようにこちらを振り向いた。
「房雄が死んだ晩、月が紅かったな」
「余所者が村に居座っておるせいじゃ」
 老人たちが莉緒を見、憎々しげに告げる。
 唐突に敵意を向けられ、莉緒は胸に鈍い痛みを覚えた。
 村の中には自分の存在を快く思わない人々もいるのだ、と改めて痛感させられる。
 いたたまれなさと屈辱に、唇が震えた。
 村で生まれ育った人間ではない、というだけの理由で嫌悪されるのは理不尽だ。
「頭の堅い人たちの言うことなんて気にするな、莉緒」
 瑞穂が明瞭な声で莉緒を擁護する。
 老人たちにもその声は届いたはずだが、彼らが視線を逸らすことはなかった。
「余所者のせいで月が狂った」
 老人に賛同するように鈴が鳴り響く。
 莉緒は眉根を寄せ、唇を噛み締めた。
 老人たちの真意は掴めぬが、その声音に織り交ぜられた怒りと侮蔑はひしひしと伝わってきた。
「房雄の代わりに、おまえが死ねばよかったんだ」
 憎悪に溢れた一言を最後に、老人たちは何食わぬ顔で再び葬列の中に溶け込んでゆく。

 死ねばよかったんだ。

 胸中で復誦した途端、頭にカッと血が上った。
 怒りに頬が紅潮する。
 いくらなんでも、そこまで言われる筋合いはない。
 莉緒は葬列へ向かって憤然と足を踏み出した。その瞬間――
「違う。今のは君に言ったんじゃない」
 要が莉緒の手首を強く引いた。
「あれは、僕に向けられた言葉だ」
 血の気を失った顔で葬列を見据え、要は掠れた声で呟く。
 莉緒は老人たちへの怒りも忘れ、唖然と要を見つめた。ますます状況が理解できない。
「馬鹿なこと言うな」
 瑞穂が硬い表情で要を見据える。
「ごめんね、蕪木さん」
 要は急に現実に引き戻されたように、慌てて莉緒の手を離した。
「要も莉緒も、爺様たちの戯言なんか気にすることないよ。みんな、親しい人を亡くしたばかりで気が立ってるだけだ」
 気まずい雰囲気を解すように、瑞穂がやけに明るい声で告げる。
「そうよね。わたしもパパを喪った時は、周りのもの全てが煩わしかったもの。何かに怒りをぶつけなきゃ、哀しみを紛らわせなかった。あの人たちも、きっと同じなのね」
 莉緒は己に言い聞かせるように言葉を紡いだ。
 老人たちの鋭利な言葉の数々も、かつての自分の姿に重ね合わせてみれば納得できるような気がする。
 莉緒は遠ざかる白い群れを眺めた。
 哀しげな鈴の音を響かせて、葬列は東の山へと行進を続けている。
「あれ、神社で葬儀――って、要くんは参加しなくていいの?」
 ふと、疑問が芽生えた。
 要は須要神社の一人息子なのだ。神葬祭や様々な神事に携わるのが当然だろう。
 だが、莉緒の予想とは裏腹に彼は緩やかにかぶりを振った。
「神社のことは僕には関係ない。跡取りじゃないからね」
「一人息子なのに?」
「一人息子でも、僕が神主になることは――生涯有り得ない」
 要の口元を自嘲めいた笑みが彩る。
「さてと――このまま葬列に続いて帰っても気まずいし、僕は図書室に寄ってくよ」
 後継者問題についてはあまり触れられたくないのか、要は早々に話を切り上げた。
 彼は莉緒と瑞穂に向けて軽く手を振ると、足早にその場を立ち去ってしまったのだ。村役場の隣――公民館の玄関へと吸い込まれるようにして姿を消す。
「わたし、また余計なこと言っちゃった?」
 要が消えた公民館を茫然と眺め、莉緒は瑞穂に問いかけた。
 要の立ち去り方は物凄く不自然だ。理由があるとすれば、莉緒の質問が彼を傷つけたか不快にさせたかのどちらかだろう。
 神栖玲に関することと同様、要に対する禁忌を犯してしまったのかもしれない。
「本人の言った通り、あの葬列と一緒に帰宅するのが嫌なだけだ」
 瑞穂が莉緒を励ますように肩をポンと叩き、軽やかな足取りで歩き始める。
 瑞穂は北へ伸びる道へと足を踏み入れた。彼女の家も村の北に位置しているのだ。
 莉緒は、不吉な老人の言葉や腑に落ちない要の態度を強引に脳裏から締め出すと、瑞穂の後を追った。


     *



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2009.07.18 / Top↑
     *


 西で金井の倅が死んだ。
 瑞穂と別れ、帰宅した莉緒の耳に飛び込んできたのは、またしても人死についての会話だった。
 診療所の待合室――長椅子に老人たちが顔を突き合わせて座している。
 牧野文江、篠田絹代、坂源二の三人だ。
 源二は、瑞穂の祖父である。
「おお、莉緒ちゃんか。お帰り」
 莉緒の帰宅に気づいた源二が、笑顔で迎えてくれる。
「こんにちは」
「うちのじゃじゃ馬姫は、もう帰ったかな?」
 源二が相好を崩したまま尋ねてくる。
「今、表で別れたばかりよ」
「そうか。たまには孫と帰るかな。まだ追いつけるだろう。――それじゃあ、わしは先に失礼させてもらうよ」
 源二がすっくと立ち上がる。
 早く瑞穂に追いつきたいのか、彼は敏捷に莉緒の脇を擦り抜けて行った。とても七十歳を越えているとは思えないほど、源二の身のこなしは軽い。
「源さん、また明日な」
 文江と絹代が声を揃える。
 それに片手を挙げて応えると、源二は待合室から姿を消した。
 ドアの開閉する音が響き、静寂が訪れる。
 文江と絹代は口を閉じたまま、待合室の出入口を眺めていた。
 おそらく、お喋りするには莉緒の存在が邪魔なのだろう。
 素早くそう察し、莉緒は胸中で苦笑いを零した。
「じゃあ、わたしも失礼します」
 会釈し、診察室のある方へと歩き出す。
 莉緒が通過した途端、文江と絹代のお喋りが再開した。
「金井の倅が死んだ夜、お月さんが紅かったなぁ」
「文江さんも気になったか。やはり、あれのせいかの。月が狂うたのは五年ぶりだ」
 二人のヒソヒソ話が、否応なしに莉緒の耳を掠める。
 ――月が紅かった?
 莉緒は思わず足を止めていた。
 葬儀に参列していた老人たちも似たようなことを口走っていた。
 そして、この村で『紅い月』と言えば吸血鬼伝説に繋がる。
 瑞穂や要は信じていないようだが、もしかしたら老人たちは未だに伝承を真に受けているのかもしれない。
「あの忌々しいお月さんのせいで、また死人が出るかもしれん」
「須要の神様がお怒りだ」
「早く鎮めんと大変なことになるぞ。アサがまた村に災いを招く」
「おお、怖い怖い。アサの祟りほど恐ろしいもんはない」
 老女二人の緊迫感に満ちた声は、莉緒の心に得体の知れない不安を植えつけた。
 彼女たちが口にする『アサ』という言葉が、妙に胸をざわつかせる。
 アサ――村に来てから初めて聞く言葉だ。
 吸血鬼伝説の中にも出てこなかったはずである。
 しかし、紅い月云々の流れから推測すると、あながち関係なくもないようだ。
「ねえ、アサって何のこと?」
 莉緒は振り返り、思い切って訊ねてみた。
 文江と絹代が驚いたように莉緒を仰ぎ見る。
 半ば皺に埋もれた二対の目が、鋭く莉緒を射抜いた。

「アサとは――鬼だ」
 やがて、絹代がひっそりと告げた。
 隣で文江が狼狽も露わに顔を青ざめさせる。
「絹代さん、余所者に教えるなんて……」
「莉緒ちゃんは蕪木先生の姪っ子だよ。この村に住むなら知っておいた方がいいだろう」
 絹代が素早く文江を制する。
 絹代の真摯な眼差しがひたと莉緒に向けられた。
「この村には鬼が棲んでおる。それがアサだ」
「鬼……?」
 莉緒は首を傾げた。
 いきなり『鬼』と言われてもピンとこない。
 吸血鬼、殺人鬼と話を聞いて、今度は鬼だ。
 鬼と言えば、昔話の絵本で見た赤鬼や青鬼のような姿しか想像できない。絹代が述べているのも、そういった類の鬼なのだろうか……。
「えーっと、緋月村には鬼がいるの?」
 莉緒の問いに絹代は神妙な面持ちで頷く。
「鬼には近寄るな。捕まれば最後、そこに待っているのは死だけだ」
「それって、どういう――」
「莉緒! おまえ、また表から入ってきたのかっ!?」
 莉緒が呆気に取られながら訊き返そうとした時、奥の診察室から叔父の声が響いてきた。
 待合室の右手――診察室のドアから蕪木亮介が顔を覗かせていた。
 四十代前半の男だが、痩身で童顔なせいか実年齢よりも若く見える。
「だって、こっちの方が近いんだもん」
 莉緒は悪びれもせずに言い返した。
 蕪木家は通りに面した一階部分が診療所、裏半分と二階が自宅という具合になっているのだ。蕪木家の玄関は診療所の側面をぐるりと回った裏側にある。一々そちらに回るのが面倒で、莉緒は診療所からの出入りを好んでいた。
「まったく……。まあ、いいや。診察の邪魔になるから、早く家に行きなさい」
 亮介が苦笑を湛え、廊下の奥を指差す。
 廊下の突き当たりにあるドアが、診療所と蕪木家を隔てる些細な仕切りなのだ。
「はーい。――絹代さん、文江さん、邪魔してごめんなさい」
 莉緒は老人たちに頭を下げてから、素直に身を翻した。
 アサという鬼について詳細を聞けなかったことは残念だが、亮介に見咎められてしまっては仕方がない。
 ――吸血鬼も殺人鬼も『鬼』には違いないわよね。
 緋月村には幾つもの伝承と謎が存在しているらしい。
 ――公民館へ行ってみよう。
 自宅へ続くドアを潜りながら莉緒は決心した。
 公民館の閉館は五時。
 充分に間に合う。
 今日一日で耳にした数々の伝承が、莉緒の好奇心を駆り立てていた。


     「三.神栖玲」へ続く


ジュヴナイルなはずですが……山村が舞台のためご年輩率が上がっております(笑) スミマセン。
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2009.07.19 / Top↑
三.神栖玲



 閉館一時間前の公民館は森閑としていた。
 一階にある事務室には職員の姿があったが、図書室のある二階は異様なほど静まり返っていた。この時間に図書室を利用する人間は少ないのだろう。
 莉緒が図書室に到着した時、そこには誰の姿もなかった。
 下校時、ここに寄ったはずの須玖里要の姿もない。とっくに帰宅してしまったようだ。
「貸し切りね」
 莉緒は笑い混じりに呟き、図書室に足を踏み入れた。
 小さな村の規模から想像していたよりも蔵書は多い。背の高い書架がズラリと並んでいる。書架と書架の間には読書用のテーブルと椅子が配置されていた。
 莉緒はザッと室内を見回した。
 天井からぶら下げられたプレートの中に『郷土史料』という文字を発見するなり、そちらへ移動する。
 書架の前で立ち止まり、上から下までしげしげと眺める。
 緋月村を被写体にした写真集や村出身の県議会議員の著作、郷土史料誌などが、やや乱雑に並べられていた。
 その中に『緋月村』というシンプルな題字が刻まれた背表紙を見つけた。著者は甲府にある大学の民俗学研究会となっている。
 莉緒はそれを書架から抜き出し、裏表紙を開いてみた。
 奥付には、今から二十年ほど前の日付が刻印されている。
 著者経歴の欄に視線を流し、莉緒は驚いた。
 代表著者に『由利莉津子』と明記されていたのだ。
「やだっ、ママじゃない!?」
『由利』とは間違いなく母の旧姓だ。
 母の若い頃の話などあまり聞いたことはないが、どうやら莉津子は甲府の大学で民俗学を研究していたらしい。
「パパとママはこの村で出逢った、ってことね」
 その昔、民俗学の研究で緋月村を訪れた莉津子は、ここで父と出逢い、恋に落ちたのだろう。
 脳裏に浮かび上がった単純明快な図式に、莉緒は苦笑を零した。
「親の恋愛をこんな風に知るなんて、何だか恥ずかしいわね」
 パラパラとページを捲る。
 書物の内容は、村人から聞き集めた民話や伝承を纏めたもののようだった。

『須要神社とアサ』

 その見出しが視界に飛び込んできた瞬間、莉緒は軽く息を呑んだ。
 文江や絹代が語っていたのは、この『アサ』のことだろう。
 莉緒は問題のページを指で押さえると、近くのテーブルに移動し、椅子に腰かけた。
 逸る心のままに紙面に目を走らせる。
『須玖里アサは、緋月村に実在した殺人鬼である』
 そんな書き出しで文章は始まっていた。
「須玖里って、要くんに関係あるの?」
 莉緒は出だしから大いに困惑した。
 老人たちの言う『アサ』とは、鬼でも吸血鬼でもなく一個人の名前であるらしい。
 しかも要と同じ須玖里姓を名乗っていたようだ。
 おまえが死ねばよかったんだ――要に向けられた不吉な言葉が甦る。
 殺人鬼の子孫であるから、村人たちは須玖里の者を快く思っていないのだろうか……。
 不安を感じながらも、莉緒は続く文章に目を通した。


 江戸時代後期・一八六一年(文久元年)に、アサと名乗る迷い人が村に流れ着いたことに事件は端を発する。
 大昔のことであり、アサがどこからやって来たのかは現在では知る術はないようだ。ただ『迷い人』としか記されていない。
 アサは奇天烈な風体の大男であったが、優しく温厚な性格が幸いし、村人たちに快く受け入れられた。
 当時の村の権力者・神栖正太郎にも気に入られ、彼は緋月村に定住することになる。
 その際、アサの面倒を率先してみていた須玖里家に養子として迎え入れられ、以後、彼は須玖里アサを名乗ることとなった。
 二年ほど平和な日常が続いた後、突如として村に悲劇が訪れる。
 アサ乱心。
 穏和なはずのアサが、ある日突然、凶暴化したのだと文面は伝えていた。
 アサは飢えた野獣のように村民に襲いかかり、殺戮を繰り返した。
 延べ三十人もの死者を出したのだという。
 村人たちはアサを畏れた。
 しかし、殺人鬼と化したアサを放置しておけば更なる犠牲者が出る。
 そこで、村の若者たちが勇気を振り絞ってアサに挑んだのだ。
 アサは、現在須要神社が建っている山中で、坂龍之介という武士によって討ち取られる――


「坂龍之介――瑞穂の先祖かしら? とにかく、瑞穂の言った通り、この村にはかつて殺人鬼が存在してたってわけね」
 莉緒は記された真実に愕然とした。
 だが、話にはまだ続きがある。
 莉緒はアサという大昔の殺戮者に戦慄を覚えながらも、次のページを捲った。


 アサを退治したものの、村人たちは彼を鬼と信じて死後も畏怖した。
 その恐怖心から逃れるため、またアサの祟りが村に降りかからないようにするために、彼を葬った場所に神社を建てて祀ったのだという。
 それが須要神社の起源だ。
 神主の役目は、アサと懇意にしていた須玖里家が引き受けたらしい。
 アサが村人を虐殺した夜、月が赤味がかっていたことや夥しい血が流されたことから、後世殺人鬼アサの話は事実から大きく逸れ、吸血鬼伝説として語られるようになった――


 莉緒が父から聞いた『月が紅くなると吸血鬼が現れて、村人を襲う』という話は、全くの出鱈目だったのだ。
 母が記した書物でも『緋月村に残る吸血鬼伝説は、アサの犯した殺人と誤った土葬の悲劇が混合されたために生まれた寓話である』と文を締め括っている。
「吸血鬼伝説は大昔の殺人事件から発生したお伽話、か……。やっぱり吸血鬼は映画や小説の中にしか存在しないのね」
 苦々しく呟きながら本を閉じる。
 村人たちが語る吸血鬼や須要の神の祟りとやらは、全てアサの話から派生していたのだ。
 この村には吸血鬼も鬼も存在していない。
 殺人鬼アサとて百年以上も前の人物だ。
「なのに、どうしてご老人たちは紅い月や祟りを未だに畏れるのかしらね?」
 疑問を音に成してみるが、答えが出るはずもない。
「まっ、それだけ村人たちが信心深くて迷信深いってことね。とりあえず、要くんがアサの血を引いていなくてよかった」
 我知らず、安堵の息が洩れる。
 文中に『須玖里アサ』の文字を見つけた時には仰天したが、アサは養子であり要と血の繋がりは全くないのだ。
「あれ? じゃあ、あのお爺さんは何であんなこと口走ったのかな?」
 葬列に加わっていた老人だって、須玖里家が殺人鬼の系譜ではないことを知っていたはずだ。それなのに『おまえが死ねばよかったんだ』とは、一体どういうことなのだろうか。
「解んないなぁ。まだまだ謎がいっぱいじゃない。こんな小さな村なのに――」
 いくら考えても解らないことは解らない。
 村に関する知識が乏しいので、推測することもままならなかった。
 莉緒は溜息を一つ落とすと、椅子から立ち上がった。
 郷土資料の棚に書物を戻す。
 その時、風が吹いた。
 自分の長い髪が風に揺られたことに驚き、莉緒は背後を振り返った。
 ――窓、開いてたかな?
 図書室に足を踏み入れた時の記憶を辿ってみるが、窓に関しては曖昧だった。開いていたような気もすれば、閉まっていたような気もする……。
 とりあえず、確認のために窓際に移動してみることにした。
 書架の合間を進み、突き当たりで首を左右に振る。
 窓は開いていた。
 そこから春風が室内に吹き込んでいる。
 莉緒は風に弄ばれる髪を片手で押さえ、思わずそちらを凝視してしまった。

 夕陽が照らす窓の桟に肘をつき、一人の少年が佇んでいたのだ。



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2009.07.20 / Top↑
 白い、透き通るような肌に視線が惹きつけられる。
 突然の少年の出現に、莉緒の心臓は大きく跳ね上がった。
 少年がいつ入室し、いつからそこに佇んでいたのか全く解らない。
 莉緒が図書室を訪れた時には、人の気配など全くなかった。
 なのに少年は、平然とそこに存在している。
 読書に夢中で気づかなかっただけかもしれないが、少年の登場は莉緒をひどく驚かせた。
 莉緒の接近を察しているだろうに、少年は身じろぎせずに窓外を眺めている。
 その横顔は恐ろしいほど整っていた。少し長めの黒髪は風を浴びて乱れている。髪の隙間から高い鼻梁を持つ端整な顔が覗いていた。
 ――村の人じゃないのかしら?
 日本人離れした彫りの深い顔を見て、莉緒は咄嗟にそう思った。
 夕陽に反射して輝く瞳の色が、綺麗なブルーだったせいもある。

「あなた、誰?」
 無意識に莉緒はそう口走っていた。
「あんたこそ誰だよ?」
 少年がゆっくりと莉緒を振り返り、薄い唇に嘲るような笑みを刻む。
 逆に訊き返されてしまい、莉緒は戸惑った。
 少年の口から日本語が飛び出したことに妙な安堵を覚えつつ、渋面で彼を見返す。
「変な顔」
 莉緒が口を開く前に、少年がまた薄笑みを浮かべた。
 莉緒は慌てて我に返り、片手で額をほぐした。少年を凝視するあまり眉間に深い皺が寄ってしまったらしい。
 莉緒の慌て振りを見て、少年が笑い声を立てる。
「俺、あんたのこと知ってる。蕪木先生のところの居候だろ」
「居候じゃないわ。叔父さんはパパの弟だから――」
 そこまで告げて、莉緒はハッとした。
 少年は亮介のことを『蕪木先生』と呼んだ。亮介が診療所の医師であることを知っているのだ。つまり、村の住民だという結論に達する。
 同じ年頃の少年は、みな分校で一度は顔を合わせている。
 初めて逢う人間といえば、ただ一人しかいなかった。
「もしかして――神栖くん?」
 莉緒は控え目に訊ねてみた。
 どう考えても正解はそれしかないのだが、本人に確かめてみなければ気が済まなかった。
 想像していた『神栖玲』と実物がうまく合致しなかったせいもある。
 莉緒は、不登校の少年ことを心の荒んだ問題児だと勝手に決めつけていたのだ。
 ところが、目の前にいる少年には悪童の片鱗すらない。白いシャツから伸びる手もジーンズに包まれた足も、スラリと長く華奢だ。喧嘩や暴力とは無縁のように感じられる。
「あんたの想像を裏切って悪いけど、俺が神栖玲だよ」
 玲が冷笑混じりに告げる。
 心の中を見透かされているような言葉に、莉緒はギョッとした。だが、読心されているはずなどない。
 莉緒は内心の驚きを隠し、愛想笑いを浮かべた。
「改めて言うのも変な感じだけど――はじめまして。わたしは蕪木莉緒よ。よろしくね」
「よろしく。まあ、学校で逢うことはないと思うけど」
「どうして学校に出てこないの?」
 莉緒が不躾な質問を投げると、玲はひどく面倒臭げに手招きした。
 莉は招きに応じて玲の傍に移動する。
「アレのせい」
 玲が窓の下を指差す。
 その先に、須玖里要の姿があった。
 公民館の裏庭――大木に背を預ける形で彼は芝生に座していた。膝の上には書物が乗せられている。だが、要の手がページを捲ることはない。どうやら彼は、庭で読書をしているうちに睡魔に誘われてしまったらしい。
「俺の姿が視界に入ると、要は普段の冷静さが嘘のように挙動不審になる。だから、学校には行かない。要が怯えるから――行けない」
 僅か一瞬だが、玲の白磁のような頬がいびつに引きつれた。
 苦痛を堪えるように蒼い双眸が眇められる。
 ――もしかして、ずっと要くんを見てたのかしら?
 ふと、そんな疑問が莉緒の脳裏をよぎった。
 不登校の玲に、それほど要と逢う機会があるとは思えない。正面切って逢えないから、玲は外で要を見かけるとこうして遠巻きに眺めているのではないだろうか。
 ――なんか変な感じ。
 五年前までは仲が良かった、と瑞穂は言っていた。
 過去に何が起こったのか知らないが、二人の間に生じた亀裂は今もなお修復できていないらしい。
 玲の口振りから察するに、彼は要を嫌っているわけではない。それどころか要にひどく気を遣ってさえいる。要のために学校には行かない、と明言したのだ。
 そこまで要を思いやる気持ちがあるなら、さっさと仲直りしてしまえばいいのに、と莉緒は単純な発想を抱いてしまう。
「あのね、神栖くん。図々しいこと言うけど、仲直りした方がいいんじゃない」
「ホントに図々しいな」
 玲が横目で莉緒を一瞥する。
「で、でも、瑞穂が心配してたわよ」
「……瑞穂の気持ちは解るし、あんたが俺と要のことを奇妙に感じるのも解るけど、こればかりはどうにもならない。要は俺を避けてる。俺が歩み寄ろうとしても無理だろ」
「無理かどうかは、やってみなきゃ解らないじゃない」
「無理――なんだよ」
 硬質な声音で告げ、玲は視線を要へ戻した。蒼い双眸が冷たい輝きを灯す。
 彫像のように微動だにしたなくなった玲を見て、莉緒は小さく溜息をついた。
 玲と要を隔てる壁は、かなり分厚く高いらしい。
「要くんはあなたを避けてるの?」
「あんた、東京から来たんだよな」
 莉緒の質問には答えずに、玲はポツリと呟く。
 端整な顔がゆっくりと莉緒の方を向いた。
「この村に来て、どれくらい?」
「えっ? ああ……一ヶ月になるかな」
「じゃ、まだ間に合うな。今なら引き返せる。あんた、村から出て行けよ」
「は? 何言ってるのよ」
 出て行けと言われたことにムッとしながら、莉緒は玲を睨んだ。
 玲の真摯な眼差しがそれを臆することなく受け止める。
「東京に帰れ」
「帰れるわけないじゃない。東京にはもう帰る場所なんてないのよ。わたし、両親を失ったから叔父さんに引き取られたのよ」
「……悪い。そうだったな。でも、できることなら村を出た方がいい」
「どうして?」
「お節介ついでに要も連れて行ってくれないかな、と思っただけ」
 自嘲気味に唇を歪め、玲は軽く肩を竦めた。
「ますます意味が解らないわね」
「外の世界から来たあんたなら、要を村から連れ出すことも可能なんじゃないか、と俺は期待してるわけだ」
 玲の理解不能な発言に、莉緒は眉をひそめた。彼が何を言おうとしているのか、全く把握できない。
「このまま村にいれば、要はいずれ殺される」
 ひどく真摯な声音が玲の唇から洩れる。
「五年前、要の叔母さんが亡くなった。次は要の番だ。解ってるから、助けたい。けど、俺じゃ駄目なんだ。要は俺の助けを拒む。だから、要を――」
 玲のひたむきな眼差しが莉緒に向けられる。彼の双眸は切実に訴えていた。

 要を助けてくれ――と。

 莉緒は思いもよらぬ展開に唖然とした。
 事情がさっぱり呑み込めない。
 玲が心底要の身を案じているのは伝わってくるが、いきなり助けを求められても無茶というものだ。要に危険が迫っているのなら、もちろん彼を助けたい。
 だが、一体自分に何ができるというのだろうか?
 玲は、村の外から来たという理由だけで、莉緒に過剰な期待をかけている。それほどまでに、玲は、要は――緋月村は、逼迫した事態に直面しているのだろうか……。
 莉緒は困窮しきって、渋い表情のまま玲を見上げた。
 途端、彼が何かに驚いたように小さく身体を震わせる。
「要が起きる」
 窓外には目もくれずに玲が呟く。
 莉緒はその声に導かれるようにして、窓から裏庭を覗いた。
 要は相変わらず木に背を凭せかけて眠っている。なのに玲は、要の目醒めを確信しているような言葉を吐いた。不思議でならない。
「初対面なのに、変なこと言って悪かったな。さっきの話は忘れてくれ。――じゃあな」
 玲が素早く窓から離れる。
「待って、神栖くん!」
 足早に自分の脇を通り過ぎた玲を、莉緒は咄嗟に呼び止めていた。
 自分でも、どうしてそうしたのか解らない。ただ、玲とこのまま別れるのが嫌だった。この機を逃すと、もう二度と彼に逢えなくなるような不安が胸に去来したのだ。
「――何?」
 玲が首だけをねじ曲げて振り返る。
 蒼い瞳に見つめられて、莉緒は我に返った。
 呼び止めたものの、彼を留めておく特別な理由などない。
 自分の衝動的な行為に戸惑いながら、莉緒は懸命に気の利く言葉を探した。
「神栖くんはハーフなの?」
 だが結局、口から出たのはひどく間抜けな質問だった。
「ああ、この目が気になるのか」
 玲の視線が思案するように宙を漂い、しばらくした後に莉緒へと戻ってくる。その時には、彼の顔にはからかうような微笑が湛えられていた。
「まっ、ハーフには違いないな。もっとも俺の場合、人間と化け物の混血だけど」
 冗談とも本気ともつかない口調で告げ、玲は口の端を吊り上げる。
 莉緒は返答に困り、目をしばたたかせた。
 どうも彼とは会話が噛み合っていないような気がする。
「この村には、吸血鬼や殺人鬼や化け物やら――色んなものが棲息してるのね」
 莉緒の呆けた声を聞いて、玲が喉を鳴らすようにして笑う。
「だから、村を出て行った方がいい。この村には、本当に化け物が住みついてるんだ。蕪木さん、あんたの父親がとった行動は正しい」
「パパのことを知ってるの?」
「あんたも村に来なければよかったんだ」
 問いかけには応えずに、玲は身体ごと莉緒の方へ向き直った。
 シャツの胸ポケットから紙を取り出し、莉緒の手を掴んで掌に乗せる。
「あんたにやるよ」
 端的に告げ、玲は唇に弧を描かせた。
「緋月村には化け物が棲んでる――それが俺だ」
 意味深な言葉を残し、玲は今度こそ踵を返した。
 颯爽とした足取りで狭い通路を進んで行く。
 莉緒は彼の後ろ姿を茫然と眺めていた。
 玲が去り際に見せた笑み――そこに滲んだ冷ややかさが莉緒の足を竦ませていた。
 ぞっとするほど美しく、冷たい微笑だった。
「ちょっ、ちょっと神栖くん!」
 玲の姿が書架の影に隠れた時、莉緒はようやく現実に立ち返った。
 手の中の折り畳まれた紙を一瞥してから駆け出す。
 ほぼ同時に、窓から勢いよく春風が吹き込んできた。
 反射的に足を止め、紙が飛ばされぬように掌を握り締める。
 風が通り過ぎると、自然と目が窓へと向いた。閉館時間は近い。図書室を利用した者の義務として窓は閉めておくべきだろう。
 莉緒は玲を追いかけるのを断念し、窓へと歩み寄った。
 何気なく裏庭に視線を注ぎ――軽い衝撃を受けた。
 さっきまで熟睡していたはずの要が起き上がり、自分の荷物を整理していた。
 神栖玲の予言通り、要は目醒めたのだ。


     *


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2009.07.21 / Top↑
     *


 須玖里要が起きたのを確認して、莉緒は図書室を飛び出した。
 ざっと館内を見回すが、神栖玲の姿はどこにも見当たらない。
「神栖くんは要くんのことを今でも親友だと思ってる。何で仲違いしてるのか解らないけど、問題は要くんの方にあるってことよね」
 独り言ちながら階段を降りる。
 一階に到着すると、莉緒は玲から渡された紙をジーンズのポケットに突っ込み、玄関へと急いだ。
 外へ出た途端、須玖里要の後ろ姿が視野に飛び込んでくる。
「要くん!」
 莉緒は躊躇することなく要の背に声を投げた。
 玲の言った通り、自分のしていることは要らぬお節介なのだろう。
 しかし、玲の自嘲的な笑みや瑞穂の苦渋に満ちた顔を思い出すと、放っておくこともできなかった。
「あれ、わざわざ出直してきたの?」
 公民館の門を抜けようとしていた要が足を止め、振り返る。
 彼は私服姿の莉緒を見て、驚いたように目を丸めた。
「うん。急に図書室に来てみたくなったの。――さっき、神栖くんに逢ったわよ」
 莉緒は努めてさり気なく事実を告げた。
 だがそれは、爆弾を投げつけられたに等しい衝撃を要に与えてしまったらしい。
「玲に? 玲が今、ここにいるの!?」
 要が顔を強張らせ、忙しない視線を周囲に巡らせる。警戒と畏怖の相俟った眼差しだ。
「もう、いないと思うわ。わたしより先に図書室を出たから」
 要の怯えた反応を見て、莉緒は急に悲しくなった。
 要がそこまで玲を避け、畏れる理由を見出せない。
 神栖玲は少々変わり者のようだが、特別他人に嫌悪感や恐怖心を植えつけるような人物には見えなかった。
「そ、そう。もう帰ったのか」
 要はあからさまに安堵の息を吐いた。
 全身を包んでいた緊張が解け、顔に微笑らしきものが浮かぶ。
「玲は……どうだった?」
「どうだ、と訊かれても……。そうね、想像していた素行不良な少年と違って、物凄い美形だったからびっくりしちゃった」
 莉緒は率直に答えた。学校では黙殺された玲の話題に要が進んで乗ってきてくれていることが嬉しかった。
 要は玲を避けているようだが、心の片隅では彼のことを気に懸けてもいるのだ。
 玲の存在を完全に無視しているわけではない――まだ修復の余地が残されているということだ。
「少し変わった――というか不思議な人ね。言葉を交わしてるのに、喋ったという実感が殆どないの。わたし、神栖くんとは会話を成立させるのが下手くそみたい。彼の言ったことの半分も理解できなかったわ」
 莉緒は笑い混じりに告げ、大仰に肩を竦めてみせた。
 すると要の顔に苦笑が生まれる。
「玲は他人とは違う視点から世界を見てるんだ。だから、あいつの言葉には不可解な点が多い」
「不可解なことばかりだったわよ。でも、要くんのことをとても大切に想っているのは伝わってきたわ」
 莉緒がそう告げた直後、要の顔から苦笑が消え失せた。
 双眸が仄暗い翳りを帯びる。
「玲に近づくな」
「――どうして? 神栖くんは、あなたのことを本当に心配しているのよ。初対面のわたしに、要くんを連れて村から逃げてくれ、と頼むほどあなたの身を案じてるわ」
「玲がそんなこと言ったの?」
 要が目を見開く。漆黒の瞳には純粋な驚愕が浮かび上がっていた。
「そうよ。ねえ、この村どうなってるの? それ以前に、要くんと神栖くんの仲はどうなっちゃってるの? 昔は仲がよかったのに、なぜ今は神栖くんのことを嫌ってるの?」
 莉緒は矢継ぎ早に質問を重ねた。
 そうしている間に、要の顔はどんどん歪んでいった。
 今にも泣き出しそうな顔が莉緒を見下ろす。
「嫌ってるわけじゃない。ただ……怖いんだ。だから、昔には戻れない」
「五年前、要くんの叔母さんが亡くなった、って聞いたわ。それが喧嘩の原因?」
「それは、玲とのことに直接関係ない。僕が玲を畏れるのは――」
 言いかけて、要はハッとしたように面を上げた。
 鋭い視線を周囲に配る。
 傍に誰もいないのを確認すると、彼は意を決したように莉緒の手を引き、庭の隅に連れて行った。
 途方に暮れたような視線が莉緒に注がれる。
「玲は殺人鬼なんだ」
 唐突にそう告白されて、莉緒は当惑した。
「村長――神栖倫太郎には、蘭さんという一人娘がいた」
「つまり、神栖くんの母親ってことね」
「そう。僕は幼い頃から神栖家に入り浸っていたから、玲のお母さんにはとても可愛がってもらったし、僕も彼女を慕っていた。その彼女が、五年前に死んだ。玲が殺したんだ」
「えっ!? ホントに神栖くんが殺したの? だって、実の母親でしょ?」
 莉緒は大きく息を呑んだ。
 俄には信じられない話だ。
 あの繊細な美しさを持つ少年が実母を殺害したなど想像もできない。
「僕は現場を見た。僕だけがそこにいたんだ」
 要の全身が小刻みに震える。
 五年前の惨劇を思い出しているのだろう。
「神栖家の和室で、血の海に横たわる蘭さんを見た。蘭さんの心臓には深々と草刈り鎌が突き刺さっていた。その鎌の柄を……玲が握っていたんだ」
 訥々と要が語る。
 莉緒は背筋に悪寒を感じた。
 五年前の玲――まだ小学生の玲が、草刈り鎌を実母に振り翳しているシーンが頭の中で勝手に構築されてゆく。
「僕は怖くて、ただその場に立ち竦んでいることしかできなかった。血塗れの玲が泣きながら鎌を持つ姿が恐ろしくて……。あれは、僕の知ってる玲じゃなかった。僕の幼なじみじゃなかった。僕の玲じゃ――」
 青ざめた顔で要は譫言のように呟く。
 莉緒は咄嗟に彼の腕を掴み、軽く身体を揺さぶった。
 要の生気の感じられない虚ろな眼差しを見て、自分が訊いてはいけないことを訊いてしまったのだ、とようやく悟った。
 諍いの原因がこれほど深刻なものだと知らなかったとはいえ、お節介も度が過ぎる。
 瑞穂が述べたように、要にとって神栖玲の話は禁忌だったのだ。
 莉緒の行為は、要の裡に封じられた忌まわしい記憶を掘り起こしてしまっただけにすぎない。
 浅慮な愚行だ。

「僕の……玲じゃなかった」

 つと、要の双眸から透明な雫が零れ落ちた――



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2009.07.22 / Top↑
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