ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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◆水幻灯  【長編・完結】

  幻灯

▼作品傾向:山奥・幽霊・愛憎・幼なじみ・美少年▼


  一年前、クラスメイトの佐渡黎子が奥多摩の山中で忽然と姿を消した。
  友人の和泉隆生から「別荘に黎子の幽霊が出る」と助けを求められた曽父江零治は、
  幼馴染みの有馬美人とともに和泉家の別荘がある奥多摩へ向こうことに――
            
  山奥ファンタジー。ホラーテイストです(汗)
  流血シーンは殆どありませんが、暗い話ですので苦手な方はご遠慮下さい。
  
 

【INDEX】 

  ◇序  
  ◇一章        
  ◇二章           10
  ◇三章         
  ◇四章     
  ◇五章           10 11 
  ◇跋   



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2009.07.28 / Top↑
 序



 緑の輝きが四方を取り囲んでいる。
 少女は、美しい夏の森をゆっくりと散策していた。
 立ち並ぶ杉や檜の合間を縫うようにして奥へと進む。
 時折、森を吹き抜けてゆく夏風が、少女の豊かな黒髪と白いワンピースの裾を翻してゆく。だが、少女は乱れた髪や衣服に頓着することなく歩き続けた。
 やがて、フッと樹林が途切れる。
 拓けた場所に出た途端、少女の顔に自然と笑みが浮かんだ。
 目の前に池が出現したのだ。
 鮮烈な夏の陽射しを受けて水面はキラキラと輝いている。
 池の対岸には四阿があり、散歩の途中で休憩がとれるように配慮されていた。
 首を巡らせれば、力強く聳える幾つもの山々が視界に飛び込んでくる。
 この絶妙な風景を少女は好いていた。
 その中でも殊に心を惹きつけられるのは、眼前に広がる池だ。水は驚くほど透き通っており、水面は陽を弾いて明澄な煌めきを放っている。
 人里離れた山奥に存在しているせいか、澄んだ水面は神秘的だった。
 誰かが『この池には水の神様が棲んでいるんだよ』と言えば、少女は素直にそれを信じるだろう。
 少女は池の淵に屈み込み、片手を伸ばした。
 水中に指を浸す――冷たい感触が心地よかった。
 小さな波紋が指を中心に広がり、静かに消えてゆく。
 穏やかになった水面には、鏡に相対した時のように自分の顔がはっきりと映し出されていた。
「ねえ、聞いて。あの人が好きなの」
 少女は水に映るもう一人の自分に呼びかけた。
 脳裏には、ある少年の姿が描かれている。
「あの人のことが大好きなの」
 少年のことを想うだけで胸が高鳴り、切なさが込み上げてくる。
 僅か数ヶ月前に出逢ったばかりの少年。
 入学した高校で、たまたま同じクラスになっただけの少年だ。
 初めて視線が合った時、『あんた美人だな。オレとつき合わない?』と彼はからかうように言った。値踏みするような眼差しでこちらを眺めながら。
 第一印象は最悪だった。
 表向きは愛想笑いで受け流し、胸中では『女好きで軽薄で嫌な男だ』と彼を侮蔑した。
 だが、一緒に過ごす時間が長くなるにつれ、徐々に彼に対する見方が変わってきた。
 彼は女好きなのではなく、女嫌いなのだ。
 だから、彼の外見を目当てに言い寄ってくる女たちを軽蔑の眼差しで見つめ、遊んでは捨てる。
 けれど彼は、それ以外の女性に対しては驚くほど優しかった。
 そう、優しい上に親身なのだ。
《友人》や《クラスメイト》という枠を超えない限り、彼は少女を一個人として認め、真摯な優しさをもって接してくれる。
「でも、駄目なの。それはもう嫌なの――耐えられない」
 少女は胸に去来した苦痛に眉をひそめた。
 水の中で、もう一人の自分も顔を歪めている。
「物分かりのいい友達の振りをするのは、もう嫌なの。でも、彼に群がる愚かな女の一人にはなりたくない。……なりたくないわ、群れの中の一人なんて。どうしたらいいのかしらね?」
 少女は途方に暮れたように水面に映る己に問いかけた。
「あの人が好き。大好きなの。だから、誰にも渡したくない。そう、誰にも……。誰にも、誰にも、誰にも――」
 他人から『綺麗だね』と褒められる容貌が、今は醜く歪んでいた。
 少年への恋慕と、他の女性に対する嫉妬が心を醜悪にさせている。
 鬼のような己の形相に気づき、少女は慌ててかぶりを振った。
「大好きなあの人を振り向かせるには、一体どうしたらいいのかしらね……」
 心を落ち着かせるように片手を胸に当て、少女は掠れた声で呟いた。
 鬼気漲る表情が消えた代わりに、気弱な笑みが口元に閃く。
 水面に映り込む少女の顔は実物よりも歪で、浮かべた笑みは自嘲めいていた。
「ねえ、お願い。あの人が欲しいの。彼の心を手に入れさせて下さい、水神様。彼の心を射止められるなら何でもします。あの人が振り向いてくれるのなら、鬼にも夜叉にもなります。だから水神様――どうか彼の心を下さい」
 少女は熱っぽい口調で言葉を紡いだ。
 当然のことながら、少女の声に応えるものはない。
 泉も森林もひどく静穏だった。
 少女は大きく息を吐き出すと肩を竦めた。
「――なんてね。ここに水の神様がいたとしても、恋の成就を願うのはお門違いよね」
 馬鹿げたことをした、と己の行為を笑い飛ばし、少女は池から手を引き抜いた。
 そのまま立ち上がろうとして、不意に動きを止める。
 誰かが自分の名を呼んだ気がしたのだ。
 少女は不審に思い、首を傾げた。
 耳を澄ますが、虫の音以外は何も聞こえない。
 今のは空耳だったのだろう。
 少女は気を取り直すように微笑し、改めて池に視線を投げた。
 手を引き抜いた反動で水面は波立ち、幾重もの波紋がゆっくりと広がっている。
 何とはなしに波紋の動きを目で追いながら今度こそ立ち上がる。
 直後、背中に大きな衝撃を感じた。
 驚く間もなく身体が前につんのめる。
 バランスを崩した身体は、呆気なく池へと投げ出された。
 全身が容赦なく水面に叩きつけられる。
 冷たい水の感触が肌を包み込んだ。
 何が起こったのか理解できない――頭が一気に混乱を来す。
 少女は無意識に藻掻いていた。
 しかし、浮上しようとする意志に反して身体はどんどん沈んでゆく。
 四肢を蠢かしているうちに身体が仰向けになった。
 刹那、視線が凍りつく。
 水面が遠い。
 身体は確実に池底へと沈み続けているのだ。
 ようやく、少女は自分が溺れている事実を認識した。
 恐怖に身体が竦む。
 ――どうして……。
 少女は遠ざかる水面を愕然と見上げた。
 透明だった水は、激しく藻掻いたせいで濁りを帯び始めている。
 視界は次第に不鮮明になり、ついには何も見えなくなった。
 ――どうして?
 息苦しさに意識が遠くなる。
 自分の口と鼻から吐き出される気泡の音だけが、やけに大きく響いていた。
 水が全身に絡みついて重い。
 長い黒髪が藻のように水中を漂い、視界を奪ってゆく。
 少女は渾身の力を込めて足で水を掻き、片手を思い切り水面へと向けて伸ばした。掴む物を求めて自然と拳が握り締められる。
 だが、掴めるような物など何一つありはしなかった。
 握った拳の隙間から水が虚しく逃げてゆく。
 ――どうして……?
 心と身体が水に呑まれてゆく。
 生まれて初めて『絶望』という言葉が脳裏をよぎった。
 ――何故なの? どうして、どうして、どうして……どう……して……!?
 水に絡め取られて沈みゆく中、少女は絶叫した。


     「一章」へ続く



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2009.07.28 / Top↑
一章



 うだるような夏の熱気が全身に纏わりついている。
 それだけでも充分鬱陶しいのに、追い打ちをかけるようにインターホンのチャイムが鳴り響いていた。
「うぜぇ……」
 曽父江零治(そふえ れいじ)は唸るように一声発し、寝返りを打った。
 目を開けると見慣れたリビングが飛び込んでくる。
 ブラインドの下りていない大きな窓からは、容赦なく陽光が射し込んでいた。
 光に脳が刺激された瞬間、昨夜から今朝にかけてずっと映画を鑑賞していたことを思い出した。レンタルDVDを五本観終えたところで睡魔に負け、そのままリビングのソファで眠りに就いてしまったのだ。
 眩しさに目を細めながらソファから身を起こす。
 インターホンのチャイムはしつこく鳴り続けていた。途絶える様子は全くない。
「……解ったよ、出ればいいんだろ」
 零治は眠りを妨げられた不愉快さに舌打ちを鳴らし、渋々立ち上がった。
 壁時計に視線を走らせる――時刻は正午を示していた。
 折角の夏休みだというのに、たったの四時間しか寝ていない。その事実に新たな不快感を覚え、零治は苛々と片手で髪を掻き上げた。
 鮮やかな黄金色の髪が陽光を受けてキラキラと輝く。
 真夏の鮮烈な陽射しに目を眇めたところで、またチャイムが鳴った。
「ハイハイ。今、出るよ」
 零治は半ば自棄になりながら独り言ち、壁面に設えられたインターホンへ歩み寄った。面倒臭いので監視カメラは作動させていない。真っ黒な液晶を一瞥し、受話器を手に取った。
『居留守なんて使うなよ。さんざん待たせやがって。早く開けろ』
 零治が一言も発しないうちに受話口から陽気な声が飛び出してくる。
 相手は名乗りもしない。声を聞かせるだけで、自分が何者であるのか判別できると勝手に決めつけているらしい。
 実際、零治はすぐに相手を特定できたのだが、安眠をぶち壊された腹いせに無言で受話器をフックに戻してやった。
 直ぐ様、抗議するようにチャイムが鳴り響く。
 零治は機械的な動作で再び受話器を持ち上げた。
『オイ、切るなよっ!』
 受話口から微かな怒気を孕んだ声が流れてくる。友人の和泉隆生(いずみ たかお)だ。
「夏休みが始まって、まだ一週間だぞ。隆生の顔なんて見たくもないね」
『冷たいヤツだな。二学期が始まるまで、オレと遊ばない気かよ? とにかく開けろ』
「――勝手にしろ」
 素っ気なく応じ、零治はオートロックの解除ボタンを押した。
 受話器を戻し、玄関まで足を運ぶ。
 チェーンを外し、シリンダーを回していると、階段を昇る軽快な足音が近づいてきた。
 程なくして、玄関ドアが勢いよく開かれる。
「よっ、零治!」
 コンビニの袋を得意気に差し出し、和泉隆生が満面の笑みを浮かべた。



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2009.07.29 / Top↑
「マンションで一人暮らしなんて、羨ましいよな」
 ソファでくつろぎながら隆生が室内に視線を巡らせる。
「悠々自適。酒もタバコも自由。おまけに女を連れ込むのも好き放題」
「おまえと一緒にするな」
 零治はウーロン茶の入ったグラスを乱暴に差し出し、冷たく言い放った。不健全な生活を楽しむために一人暮らしをしているわけではない。
「親が不動産屋の社長だと何かと便利だよな」
 隆生は零治の言葉をあっさり無視して、心底羨ましそうに呟く。
「嫌味を言いに来ただけなら帰れよ」
 零治は溜息を落とし、隆生の対面にあるソファに身を落ち着けた。
 零治は、都内M市にあるマンションで一人暮らしをしている。
 マンションそのものが曽父江家の所有物なのだ。
 中学までは家族と共に最上階にある部屋に住んでいたが、高校進学を機に三階の一室へと追いやられた。
 零治には兄が三人、弟が一人いる。
 男ばかりの五人兄弟では最上階の5LDKは狭苦しい。
 そこで両親は、息子たちが高校生になったらそれぞれにマンションの一室を与える、という大胆な決断をしたらしいのだ。気前のいい両親のおかげで、零治は去年の春から2LDKの部屋で一人暮らしを営んでいる。もっとも、他の家族も同じマンション内にいるので純粋な一人暮らしとは言えないのだが……。
 それでも、ここが零治の城であることは間違いない。
 ただで贅沢するわけにもいかないので、毎月のアルバイト代から三万円を両親に支払っている。高校生の身には大金だが、一人暮らしをする上での必要経費として割り切っていた。
「俺のところより和泉家の方が裕福だろ。宝石商なんだから」
 零治はウーロン茶を一口啜ってから、改めて隆生に視線を向ける。
「成り上がりだけどな。聖華じゃ中の下くらいだろ」
 隆生が自嘲気味に口の端を吊り上げる。
 零治と隆生は、市内にある私立聖華学園に通っていた。
 資産家や旧財閥・旧華族などの子息令嬢が生徒として名を連ねている、伝統ある名門校だ。
 自宅から学園が近いということもあり、零治は幼稚部から聖華学園に在籍している。
 高等部に上がった時、同じクラスになったのが和泉隆生だ。
 彼は、入試を受けて高等部に編入してきた外部組だった。エスカレータ組が多いクラスだったが、隆生は持ち前の陽気さであっという間にクラスの男子に馴染んだ。端整な顔立ちと気さくさが幸いし、女子ともすんなり打ち解けた。
 そして一学期が終わる頃には、零治にとって彼は気の合う友人の一人になっていた。
 二年に進級してクラスは別々になったが、隆生は時折こうして勝手にマンションに転がり込んでくる。
「夏休みなんだから、鬱陶しい学校の話なんてやめようぜ。オレ、もっと明るくて華やかで色気のある話がいいな」
 ふと、隆生が気を取り直すように弾んだ声で告げる。
「女の話題なら即却下」
 すかさず零治は一蹴した。
 陽気な友人のことは嫌いではないが、彼の女癖の悪さにだけは辟易してしまう。顔の造作が整っているのでモテるのは当然なのだろうが、見る度に違う女性を連れて歩いているのは勘弁してほしかった。
 一年の頃から『隆生にフラれた』『隆生が浮気をしてる』などという女子たちの愚痴や泣き言を、『隆生の友達だから』という些細な理由で散々聞かされてきたのだ。
 正直、これ以上は隆生の目まぐるしい女遍歴など聞きたくもないし、知りたくもなかった。
「女の話は禁止ね。了解。――じゃ、本題に入ろうかな」
「本題? 何か真面目な話でもあるのかよ」
 零治は思わず目をしばたたいていた。
 隆生が遊びに来るのは暇を持て余している時だけだ。しかし『本題』と言うからには、今日は単なる暇潰しに来たわけではないのだろう。彼が明確な目的を持って自分を訪ねてきたことが意外だった。
「そっ、本題だよ、本題」
 零治がまじまじと隆生を見つめると、彼は幾分自棄になりながら頷いた。カラーコンタクトのせいでブルーに見える双眸が、珍しく真摯な光を宿している。何やら切羽詰まった事情があるらしい。
「おまえに頼みがあるんだ」
 隆生の真剣な眼差し。
 零治は友人の深刻さに応じようと居住まいを正した。
「……オレと一緒に来てほしいんだ」
 一拍の沈黙を措き、隆生が口を開く。
「は?」
 告げられた言葉の意味を掴み損ねて、零治は軽く眉根を寄せた。
「だから、ウチの別荘に来てほしいんだ」
「何だ、それ? 単なる遊びの誘いかよ」
 零治は拍子抜けして溜息をついた。
 真面目な顔をして何を言うかと思えば、別荘へのお誘いだ。姿勢を正した労力を返して欲しくなる。
「そ、そうなんだけどさ。避暑を兼ねて、奥多摩にあるウチの別荘に行かないかな、と。ホラ、零治が一緒だとオレも退屈しないし」
 隆生は笑顔でそう告げるが、どうにも言葉の歯切れが悪い。
「奥多摩――ね」
 零治は隆生の態度に不審なものを感じながら、思案するように目を細めた。
 奥多摩。東京都西端部に位置する自然溢れる大地。
 埼玉と山梨――二つの県と隣接する地点でもある。幾つもの急峻な山々が聳え、多摩川上流には小河内ダムで堰き止めた人造の奥多摩湖が広がっている。登山やハイキング目的で訪れる人が多い景勝地だ。
 八月上旬――夏真っ盛りの今、奥多摩の緑は美しく萌えあがっていることだろう。
「行ってもいいよ。休み中、これといった予定もないしな」
 零治はさして熟考しもせずに頷いた。
 都会の喧噪から離れ、奥深い山中で夏を満喫するのも悪くない。一日中家に籠もり、大量レンタルしてきたDVDに見入っているよりは遙かに健全だろう。
「じゃ、決まりだな! 零治が来てくれるなら心強い。ついでに有馬も誘ってくれると、もっと嬉しいんだけどな」
「ちょっと待て。何で、そこでビジンが出てくるんだよ?」
 唐突に話が思いもよらぬ方向へ飛んだので、零治は驚いた。
 説明を求めて鋭い視線を隆生に浴びせる。
「どうしても――有馬が必要なんだ」
 零治の険しい視線に射竦められ、隆生は僅かに怯んだようだった。それでも、意を決したように言葉を繰り返す。
 零治は隆生に睨みを利かせたまま再び思考を巡らせた。
 有馬美人(ありま よしひと)――零治の幼少時代からの親友だ。
『美人』という仰々しい名前を親から与えられた幼なじみは、その名に負けることなく容姿端麗に育った。男にしておくのが惜しいほどの美貌の持ち主なのだ。
 その幼なじみを別荘へ誘う理由が皆目解らない。同じ聖華学園の生徒だというだけで、隆生と美人の間に接点は見当たらない。あるとすれば、零治自身の存在だけだ。
「なるほどね。俺を誘ったのは、ビジンを引っ張り出すための口実か。――で、どうして別荘に行くのにビジンが必要なんだ?」
「奥多摩の別荘ってさ……黎子がいなくなった場所なんだよ」
 隆生の口から悄然とした声が洩れる。
 それを聞いて、零治は暗澹たる気分に陥った。
「そういえば佐渡が行方不明になったのは、おまえの別荘だったよな」
 一年前の夏、クラスメイトだった佐渡黎子(さわたり れいこ)が姿を消した。
 夏休みの数日間、隆生を含む数人の同級生が和泉家の別荘へ遊びに行っていた。
 零治は都合がつかずに不参加だったが、十人近くのクラスメイトが参加したはずだ。その中の一人が佐渡黎子だった。
 一行が別荘へ到着して五日後、黎子は忽然と姿を消したのだ。
 直ちに警察による捜索が開始されたが、彼女が保護されることはなかった。何らかの事件に巻き込まれた畏れもある、と警察は躍起になって別荘周辺や山中を捜し続けた。
 しかし、黎子が遺体として発見されることもなかった……。
 佐渡黎子は、神隠しに遭ったかのように消失してしまったのだ。
 夏が終わり、秋が過ぎ、冬を越えて春が訪れても、黎子が姿を現すことはなかった。
 黎子が行方を眩ました問題の場所というのが、和泉家の別荘がある奥多摩なのだ。



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2009.07.29 / Top↑

 時の経過と共に薄れてしまった記憶を手繰り寄せ、零治は渋面を造った。
 隆生にとっても零治にとっても辛く哀しい出来事だ。
 黎子が自ら失踪したのか、不慮の事故に遭遇したのか、それすらも未だに判明していない。
 理由も原因も解明されることなく、零治たちは一人の友人を失ったのだ。
「その別荘にご招待ってことは、何か特別な訳があるんだろ?」
 零治が猜疑の眼差しを向けると、隆生は居心地が悪そうにソファの上で身体を揺らした。そうかと思うと急に煙草を取り出し、火を点けるるのだ。
 心を落ち着かせようというのか、彼は幾度か煙草を吹かし
てから零治に視線を戻した。
「言っても信じないだろうし、オレもホントは信じたくないんだけどさ――出るんだ」
「もっと要領よく話せ。何が出るんだよ?」
「出るって言ったら、アレに決まってるだろ。出るんだよ、幽霊が。奥多摩の別荘に」
 隆生が口にするのもおぞましいというように早口で告げる。
「……幽霊ね。そんな厄介なところに俺を誘うなんて、いい度胸だな。別荘へのお誘いは聞かなかったことにさせてもらう」
「オイ、零治! オレは誠心誠意、真剣に頼んでるんだぜ」
 隆生が焦燥混じりに言葉を繰り出す。
 心なしか彼の顔は青ざめていた。幽霊が出るというのは、冗談や笑い話の類ではないらしい。
「本当に出るのか?」
「奥多摩の別荘ってさ、夏と秋しか利用してないんだ。使ってない間は、不動産会社に空気の入れ換えや掃除を頼んでるんだよ。その不動産屋の管理人が、もう何度も目撃してるって言うんだよ」
「幽霊を?」
「そう、幽霊を。去年の秋くらいから出没し始めたみたいなんだ。白いワンピースを着た少女が別荘周辺を徘徊してるから、不審に思って声をかけたんだってさ。そしたら、空気に溶けるようにしてスーッて消えたらしい。それからも時々視るって言うんだよ」
 隆生が火の点いた煙草を指で弄びながら苦い表情で告白する。
「オレ、考えたんだけどさ――その幽霊、黎子じゃないかって思うんだ」
「佐渡は行方不明なだけだ。まだ死んだと決まったわけじゃない」
「けど、もう一年も発見されてないんだぞ。死んでいても……おかしくない。それに、ユキと翠も例の幽霊を視たらしいんだ。『黎子に似てた』って、電話で言ってた」
「電話って――まさか古市と真野は今、奥多摩なのか?」
 古市ユキ(こいち ゆき)というのは隆生の同じ歳の従妹で、真野翠(まの みどり)というのは彼女の親友だ。
 二人とも一年の時のクラスメイトであり、去年別荘へ赴いたメンバーでもある。
「あいつら黎子と仲が良かっただろ。ユキも翠も『黎子は生きてる』って信じてるんだ。今年も夏にあの別荘に行けば黎子に逢える――って、妙な希望を持ってるんだよ」
「希望を持つのは構わないけど、何をどう考えて別荘に行けば逢えるなんて結論に至ったのか、さっぱり理解できないな」
「オレが知るかよ。あいつら、警察も万能じゃないから捜査に見落としがあったのかもしれない、とまで言いやがった。黎子が生きている痕跡は何か必ず残されているはずだ、警察は当てにならないから自分たちで手がかりを捜すんだって……。それで夏休みに入ってすぐに奥多摩に行ったんだよ」
「止めなかったのか」
「とても止められるような雰囲気じゃなかったんだよ。翠はともかく、ユキは一度言い出したら実行しないと気が済まない質だからな。あいつが頑固なのは知ってるだろ」
「確かに……」
 零治は苦笑混じりに相槌を打った。
 古市ユキは明るく溌剌とした少女だが、少々我の強いところがある。その押しの強さに隆生は根負けしたのだろう。
「とにかく古市と真野は奥多摩の別荘にいて幽霊を目撃した、と。――それは、本当に佐渡だったのか?」
「さあね。遠目から見ただけだから黎子だという確証はない、って言ってた。何にせよ、別荘周辺に幽霊が出没するって話は事実らしい。あいつら、その幽霊が黎子かどうなのか真偽を確かめたいから、オレにも別荘に来いってさ」
「女二人じゃ心細いから男手が欲しいのか。それで隆生が駆り出されて、俺はおまけ、と」
「頼むよ、零治。オレ、幽霊なんて半信半疑だけどさ、やっぱり黎子のことは気になってるんだよ。黎子は――大事な仲間だったしな」
「何だよ、今の微妙な間は? おまえ……まさか佐渡とつき合ってたのか」
 零治が探るような眼差しを向けると、隆生は驚いたように動きを止めた。
「つき合っては……いない」
 短い沈黙の後、隆生が消え入りそうな声で呟く。
 零治は思い切り顔を引きつらせた。
 つき合ってはいなかったが、クラスメイト以上の関係ではあったらしい……。
「でも、放っておけないんだよ」
 隆生が黎子の失踪を気に懸けているのは事実なのだろう。
 自分が別荘に誘わなかったら黎子は行方不明になどならなかった――と、この一年間、悔やみ、己を責め続けてきたのかもしれない。黎子失踪の原因が、自分にあるような気がしてならないのだろう。
「別荘には行ってやってもいい」
 零治が改めて別荘行きを承諾すると、隆生はあからさまに顔に喜色を滲ませた。煙草を灰皿に捨て、嬉しさに輝く双眸を零治に向けてくる。
「やっぱ頼もしいよな、零治って!」
「行くのはいいけど、幽霊の正体を確かめて一体どうする気だよ?」
「その霊が黎子だったらさ、あいつは死んでるってことだろ? それなら供養してやりたいし、黎子じゃないなら気味が悪いからお祓いしたい。悪霊だったら困るだろ」
 隆生は冗談とも本気ともつかない飄々とした口調で告げる。
「幽霊――供養、お祓い。それでビジンか」
 零治は内心げんなりしながら独り言ちた。
 ようやく話が有馬美人へと繋がった。
 しかも零治にとっては非常に面白くない展開で。
「そうそう。有馬家って霊能一家なんだろ?」
「期待を裏切って悪いけど、ビジンは霊能者でも霊媒師でもない」
 隣の有馬家は、戦国時代から続く家柄であり、江戸時代から今の屋敷にずっと住んでいるという名旧家だ。
 連綿と続く家系という辺りに興味を引かれるのか、有馬家はしばしば生徒たちの噂に上る。
 有馬家の広大な敷地は、表門を有する正面部の幅が五百メートル強、奥行きがおよそ一.五キロメートル。それらを取り囲む築地塀は優に二メートルの高さがあり、敷地内は松や桜などの木々に遮られて容易に伺い知ることはできない。
 そんな巨大屋敷の外観が、人々に威圧感と好奇心を植えつけるのだろう。
 いつしか生徒たちの間では、有馬家は新興宗教の教祖、もしくは霊媒を生業としている、というとんでもない定説が出来上がってしまったのだ。
 誰が流したのかも定かではない噂が、真実として浸透しているのだから困ったものである。
 有馬家の嫡男である美人が、その噂を否定しないのもなお悪い。
 女生徒たちには『有馬くんのあの美貌は、裡に宿る神秘の力の顕れだ』とまで囁かれる始末だ。
「でもさ、有馬家が霊能を生業にしてるのは周知の事実だろ」
「事実じゃなくて噂だ、噂! 馬鹿げた噂なんて鵜呑みにするなよ。ビジンは霊能者じゃない。幼なじみの俺が保証する」
 零治は苦々しく言葉を吐いた。
 隆生も『有馬美人=霊能者』という噂を信じ切っている一人であるらしい。
「大体、ビジンの家は一部上場の貿易企業だって、みんな知ってるくせに。なんで霊能関係の噂が出てくるのか、俺には理解できないね」
「そりゃあ、有馬の綺麗な顔が人間のオカルト心をくすぐるんだろ」
「何だよ、それ」
「貿易会社はカモフラージュで、本業は霊媒かもしれないだろ。噂には、噂になるだけの根拠があるはずだ」
 妙に力説する隆生を零治は冷めた眼差しで見つめていた。
「馬鹿らしくて反論する気も失せた。ビジンは霊能者じゃないけど、それでも別荘に誘いたいなら自分で口説けよ」
 零治が投げ遣りに言うと、隆生はギョッとしたように目を丸めた。
「オレが有馬を? 冗談だろ。あの屋敷に一人で行けっていうのかよ? オレ、有馬と喋ったこともないんだぜ」
 直ぐ様、非難の言葉が浴びせられる。
 零治は大きく息を吐いた。
「……解った。隣にもつき合えばいいんだろ」
「やっぱり持つべきものは頼りになる友人だよな」
 予定通りに事が運んで満足したのか、隆生はにこやかな笑顔を浮かべる。
 そんな隆生に冷たい一瞥を与え、零治は不承不承に立ち上がった。
 ――できることなら、ビジンを厄介事に巻き込みたくないんだけどな。
 零治は胸中で幼なじみの身を案じながら、視線を窓外へと向けた。
 有馬家の広大な敷地は、都会の雑多な街並みとは一線を画しているように静謐な雰囲気を醸し出していた。


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2009.07.29 / Top↑
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 延々と続くかのように思われる石塀が、眼前に立ちはだかっている。
 零治には見慣れた光景だが、隆生にとってはそれだけで驚愕に値するらしい。零治と並んで歩きながら、隆生はしきりに感嘆の声をあげている。
「ホラ、ここが表門だ」
 零治が青銅で造られた門扉を指差すと、隆生は固唾を呑み、目を見開いた。
 無理もない。堅く閉ざされた青銅の門は、五メートル近い高さがあるのだ。
「ど、どっかの寺みたいだな。じゃなきゃ、城だ、城っ! どうして、一般家庭にこんな大門があるんだよ?」
「気にするな。ビジンの家はどこもこんな感じだ。さっさと行くぞ」
 驚く隆生の腕を引き、零治は表門の前を通過した。
「ここから入らないのか?」
「裏へ回った方がビジンの部屋に近い」
 零治は簡素に応じ、先を急いだ。
 しばらく歩くと、塀が右方向へ直角に折れ曲がる。
 零治はそれに倣って右へ曲がり、細い路地へと入った。
 再び壁伝いに歩く。
 三百メートルほど進んだところで、ようやく足を止めた。
「ここが三つある裏門のうちの一つだ」
 零治は、石塀の中に填め込まれた両開きの木戸を顎で示した。
 扉の脇にあるインターホンを鳴らしもせずに把手を掴む。古めかしい扉を押し開けると、有馬家の敷地へ侵入した。
「勝手に入ったりして、いいのかよ?」
 背後で隆生が不安げな声をあげる。
 振り返ると、隆生は情けない表情で門を眺めていた。有馬家のスケールの大きさに怖じ気づいているらしい。
「幼なじみの特権。ここは俺の庭みたいなもんだからな」
 零治は肩を竦めてみせてから、動かぬ隆生の腕を引っ張った。彼を敷地内に引きずり込み、木戸を閉める。
「凄い光景だな。今が二十一世紀だってことを忘れさせてくれる」
 隆生が眼前に広がる日本庭園を見つめ、呆けたように呟く。
 綺麗に手入れされた純和風の庭園は、清廉かつ荘厳だ。
 美しく整えられた松の木に、足下から長く延びる御影石の小道。石畳の先には巨大な池があり、その中央には緩やかな弧を描く朱塗りの橋が架けられていた。
「気にするな、って言っただろ。この庭だって有馬家のほんの一部だ」
 零治は立ち尽くす隆生の肩を軽く叩き、歩き始めた。
 隆生が慌てて後を追ってくる。
「あっちが母屋で、向こうが離れ」
 石畳を池の方へと進みながら、視界に入る建築物を簡潔に説明する。右手に見える大きな日本家屋が母屋で、前方に見える小さい家屋が離れだった。
 有馬美人は母屋よりも離れの方を好んで使用している。彼がいる確率は俄然離れの方が高い。零治の足は自然と離れの方角へ向いた。
「おや、零治さん――」
 池に架かる橋を渡りきったところで、思いがけず呼び止められた。
 萌葱色の着流しを纏った青年が、橋の袂に佇んでいる。
「お久しぶりですね。相も変わらず男前で」
 青年がキセル片手に零治を見つめ、ニッコリと微笑む。
「先生もね。――ビジン、離れにいる?」
「若さんなら道場ですよ」
「サンキュー。じゃ、先生、また後で」
 青年に向かって気軽に手を振ると、零治は隆生を従えて方向を転じた。
 幾筋にも分岐している石畳の一つを迷わず選択し、スタスタと歩き出す。
「今の誰?」
 隆生が不思議そうに尋ねてくる。
「ここに住み込んでる華道の先生」
「へえ……『若』に着流しにキセルね。時代錯誤だよな。ここはホントに現代のニッポンなのか?」
「間違いなくな。だから気にするなよ。ここには、自称忍者の末裔とか今でも侍やってる変わった人たちがいるから、一々驚いてたらキリがない」
「ニンジャにサムライ? つくづく変な家だな。――で、さっき言ってた道場っていうのは?」
「道場は道場に決まってるだろ。もう少しで着く」
 零治は素っ気なく応じた。隆生には物珍しいことばかりかもしれないが、零治にとっては馴染みの場所だ。物心ついた頃から有馬家に入り浸っていたので免疫はあるし、特別驚く要素はない。
「――オイ、零治」
 しばし無言で歩いていると、急に隆生に腕を掴まれた。
「何だよ?」
 零治はやむを得ず足を止め、隆生を顧みた。
 隆生は目を大きく見開き、ある一点を凝視している。
「どうして一般家庭に鳥居があるんだよ!?」
 震える隆生の指が示した物は、紛うことなく石造りの鳥居だった。その両脇には立派な狛犬が鎮座している。
 鳥居の奥には、樹齢数百年は経っているだろうと思われる巨木が聳え、太い幹に注連縄を巻きつかせていた。御神木の背後には神殿が設けられている。
「どう見たって、神社だよな? 普通は家に神社なんてないだろ……。やっぱり有馬のウチって霊能一家なんだぜ」
「違う――って何度言えば解るんだよ」
「だって神社だぜ、神社! 絶対、普通じゃないってっ!」
「じゃ、普通じゃないんだろ。アレが何の神社か知らないけど、俺が子供の頃からここに在った。あの椿に登って遊んだりしたけど、祟られたことは一度もないから心配するな」
「おまえ、順応しすぎ……」
「仕方ないだろ。昔から当然のように在ったんだから。十年もここに通ってたら、おまえだって嫌でも順応すのさ。それより、無駄口叩く暇があったら足を動かせよ。ここは建物間を移動するだけでも重労働なんだからな」
 零治は、未だに驚愕から抜け出せずにいる隆生の腕を掴み返し、強引に前進を開始した。
 目指す道場は、神社を過ぎたところにある。
 何に対してでも素直に驚きを示し、質問をぶつけてくる隆生の相手をするのも疲れてきた。
 早く道場に辿り着いて解放されたい。
 それに、久しぶりに幼馴染みの顔を見てくつろぎたかった。
 夏休みが始まってから、一度も有馬美人とは顔を合わせていない。
 早く逢いたいという気持ちが、零治の足取りを軽くしていた。



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 木造平屋建ての道場に着いたのは、神社を過ぎてから一分ほど経過した頃だった。
 松林が唐突に竹林へと変化し、その竹に囲まれるようにして道場は建っていた。
「竹……。都内の一般家庭に竹林っ!?」
 隆生は相も変わらず驚きの声を連発している。
 零治は呆気にとられている隆生の腕を引き、道場の玄関を開けた。
 玄関で靴を脱ぎ捨て、中へ上がり込む。
 正面にある重々しい木戸を引き開けると、そこが本道場だった。
 磨き上げられた檜の床の上に、袴姿の少年が立っている――有馬美人だ。
 零治たちと相対するように佇んでいる美人の両手には、美しく輝く日本刀が握られていた。
 青眼に構えられた刀の向こうに、双眸を閉じた美人の顔がある。
 精神統一を行っているのか、零治たちの訪れにも微動だにしない。
 瞳を閉じていても秀麗だと判る整った顔は、無表情。
 全身からは清廉な氣が立ち上っているように見える。美人の周囲だけ空気が研ぎ澄まされているような感じがした。
 その廉潔な立ち姿にしばし見入ってると、
「アレって、有馬だよな?」
 傍で隆生が囁いた。彼は茫然と美人を眺めている。
「そっ、噂の有馬美人だよ。ますます霊能者っぽいだろ?」
 零治はからかいを含んだ笑みを隆生に向けてから、美人へ視線を戻した。
「よお、ビジン」
 零治が気さくに呼びかけると、美人の閉ざされていた瞼が跳ね上がった。
「零治――」
 黒曜石のような双眸が零治の姿を認めて嬉しげに輝く。
 一瞬にして、美人を包み込んでいた不可思議な空気が消失した。
 彼は刀を降ろすと、滑らかな足取りでこちらへ歩み寄ってきた。
「オイ、真剣を振り回しながら来るなよ」
「ああ、ごめん」
 零治が注意すると、美人はすぐに身を翻した。
 道場の隅に置いてあった鞘を取り上げ、慣れた手つきで日本刀を納める。それから、彼は改めてこちらへ接近してきた。
「どうしたの?」
 真夏に袴姿だというのに汗一つかいていない美人の顔が、零治を見上げる。
 切れ長の双眸が澄んだ輝きを放っていた。睫毛は女性のように長く、薄目の唇は紅を塗ったように赤い。
 純和風かつ中性的な容貌――それが、女生徒たちに様々な妄想を抱かせている有馬美人だった。
「遊びのお誘い」
 零治は口の端に微笑を刻み、美人を見返した。
「すげぇな。ソレ、本物の刀なんだ」
 心の奥底から感嘆しているような隆生の声に、美人が彼の方を見遣る。今初めて、隆生の存在に気づいたような感じだ。
「こいつ、A組の和泉隆生」
 零治が隆生を紹介すると、美人は静かに頷いた。
「知ってる。よく零治と一緒にいるから」
「じゃ、詳しい紹介は要らないよな。奥多摩にある和泉家の別荘に遊びに行くことになったんだけど、おまえも行かないか? 隆生がどうしても一緒に来てほしいんだってさ」
「僕に?」
 美人が解せない様子で小首を傾げる。怪訝な眼差しが零治と隆生に交互に向けられた。
「話せば長くなるんだけど、とにかくおまえが必要らしい」
「――解った。とりあえず着替えてくるから、少し待ってて」
 思いの外すんなりと首肯し、美人が踵を返す。更衣室へと向かったのだろう。
「あいつ、やけに素直だな。何か……嫌な予感がする」
 零治は、背筋の伸びた幼なじみの後ろ姿を見つめながら溜息を落とした。
「何だよ、有馬が来てくれれば万々歳だろ。オレにとっては万事オッケーだ」
「万事オッケーじゃなくなるんだよ。幽霊だか何か知らないけど――事態がより重く、より深刻になるに決まってる」
「やっぱり有馬は霊能者で、霊媒体質だから霊が集まってくるとか、そういうことか?」
 隆生が好奇心に瞳を輝かせる。
 零治はガックリと肩を落とした。
「おまえは気楽でいいよな。下手すると、幽霊どころの話じゃなくなるのによ……」
 ブツブツと隆生にも聞こえないような小声で呟く。
「有馬が来てくれると嬉しいな。初めて間近で見たけど、有馬って他人とは何か違うオーラが出てるよな。ホントに悪霊祓いとかできそうな雰囲気だし、楽しみだな」
 期待に満ちた眼差しで美人が消えた更衣室を眺め、隆生が笑顔を浮かべる。
 零治は隆生の顔を恨めしげに見つめ、もう一度溜息を吐き出した。


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 有馬美人の唇から溜息が零れた。
 彼の視線は手にした麦茶のグラスへ落とされている。
 離れの一室に案内された零治と隆生は、そこで美人に別荘に赴くことになった経緯を掻い摘んで説明した。その間、美人は静かに話に耳を傾けていた。
 一通り話が終わったところで、彼は思案するように視線を落とし、溜息を発したのである。
「佐渡黎子さん、か……。一年の時、零治と同じC組だった人だよね?」
 美人が零治に視線を投げてくる。
 零治は無言で首肯した。
 一年C組――零治、隆生、ユキ、翠、黎子が在籍していた問題のクラスだ。
 美人とは今は同じクラスだが、一年の時は別々のクラスだったのである。
「あの騒ぎは覚えてるよ。あれが、和泉君の別荘で起こった事件だとは知らなかったけれど……。幽霊が出るというのは確かなの?」
「オレは視てないけど目撃者が何人もいる。――で、有馬は一緒に来てくれるのか?」
 隆生が結論を急ぐように早口で告げる。
 ――断れ、ビジン。
 零治は胸中で強く願った。
 途端、美人の視線が零治を捕らえる。
「零治も行くんだよね?」
「行くけど。単なる避暑だよ、避暑」
 ――断れ!
 もう一度、心で念じる。
 心の声が美人に届くわけもないのだが、それに呼応するように彼の柳眉がひそめられた。
 麦茶のグラスをテーブルに置き、更に顔をしかめる。怜悧な光を宿す双眸は、己の左手に向けられていた。左手の中指には銀細工の指輪が填められている。
 美人はしばしそれを眺めた後、顔を上げて隆生を正面から見つめた。
「僕は、みんなが噂するような霊能者でも霊媒師でもないです。それでも構わないなら、喜んで遊びに行かせてもらいますけど」
「ホントか! いや、来てくれるだけで嬉しいよ」
 隆生が喜色満面に笑う。美人の参加決定に心底浮かれている様子だ。
「じゃ、出発は明日っと――」
 不意に、隆生のはしゃぐ声を甲高い電子音が遮った。
 携帯電話の着信音だ。
「悪い。オレだ」
 隆生が簡潔に断りを入れて、ジーンズのポケットから携帯電話を取り出す。
 彼が電話を耳に当てた瞬間、
『ちょっと隆生、何やってんのよっ!? 今、どこなの?』
 部屋中に響き渡るような怒鳴り声が受話口から洩れてきた。若い女の声だ。
 その烈しい口調に、零治と美人は思わず顔を見合わせてしまった。
「いきなり怒鳴るなよ、ユキ」
 隆生が零治と美人に向かって申し訳なさそうに苦笑する。
 電話の相手は、彼の従妹――古市ユキであるらしい。
『何だ、じゃないでしょう。こっちに来るって話は、どうなったのよ?』
「それなら今、零治と話がついたところだ」
『曽父江も来るの?』
「零治だけじゃなくて、有馬もね」
『ありま? ……有馬って、B組の有馬くん? あの霊能者のっ!? ――ちょっと、翠っ! 何だか解らないけど、有馬美人もこっちに来るって!』
 ユキの声が室内に響く。
 零治と美人はもう一度顔を見合わせた。
 奥多摩にいる女性陣も美人のことを霊能者だと頭から信じ込んでいるらしい。
「とにかく明日にはそっちに行くから、今日は無茶しないで早く寝ろよ。じゃあな」
 ユキのテンションの高さに辟易したのか、隆生は携帯電話を耳から遠ざけると従妹の返事を待たずに通話を切った。
 携帯電話をポケットにしまい、隆生が零治と美人を見回す。
「まっ、そういうわけなんで、出発は明日の朝だからよろしく」
 隆生の顔には、肩の荷が下りた、と言わんばかりに清々しい笑みが浮かんでいた。


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「泊まっていけば?」
 テーブルのグラスをお盆に載せながら有馬美人が告げる。
 零治は麦茶を呑むのを中断させて、幼なじみに視線を向けた。
 既に隆生は有馬家を辞している。和室には零治と美人しか残っていなかった。
「今日は帰る。夕方からバイトなんだ。明日の準備もあるし、DVDも返却しないといけないしな」
「そう。それで――何を怒ってるの?」
 美人が片付けの手を止め、顔を上げる。
 零治が黙っていると、整った柳眉が苛立ちを表すようにひそめられた。テーブル越しに白い手が伸びてきて、零治の手からグラスを奪い取る。美人はそれを幾分乱暴にお盆の上へ置いた。
 美人の黒曜石の瞳は、鋭く零治を射抜いている。
「……決まってるだろ。どうして断らなかったんだよ?」
 溜息を一つ落とし、零治は逆に訊き返した。
「断る必要がなかったから。それに、零治と旅行なんて久しぶりだしね」
「旅行って言っても都内だけどな。おまけに厄介事付きだ」
「厄介だからだよ」
 ふと、美人の言葉が真摯な響きを宿す。
「解ってるなら、断ればよかったんだよ」
 怒りを孕んだ眼差しで美人を見返すと、彼は零治から視線を逸らし、左手の指輪を見つめた。
「零治が和泉君の別荘へ行くのなら、僕は同行すべきなんだ」
「何でだよ?」
「視えたんだ」
 右手で銀細工の指輪をさすりながら、美人がポツリと呟く。
「水の神様」
「――は?」
「和泉君の後ろに水の神様が視えた。視えたからには、放っておくわけにはいかないよね」
 零治の困惑を無視するように告げ、美人は意味深に微笑む。
「幽霊は専門外だけど、神様なら僕の管轄だからね」
「嫌な予感的中か」
 零治は大仰に息を吐き出した。
 有馬美人は霊能者や霊媒師ではない。
 その点に関しては、零治は隆生に嘘をついてはいない。
 だが、真実を告げてもいなかった。
 有馬美人は霊能者ではないが、それとは異なる不可思議な能力を裡に宿している。それこそが有馬家の秘事――零治だけが知る美人の秘密だ。
「頼むから無茶しないでくれよ」
 懸念たっぷりの眼差しで美人を見遣る。
「零治こそ、万が一大事に至っても、僕を助けようとか馬鹿なことは考えないでよね」
「大事に至るのかよ?」
 零治が眉間に皺を寄せて尋ねると、美人は肩を聳やかした。
「さあ。僕は零治に厄災が降りかからないように、ついて行くだけだよ。本当に幽霊が出没するとしても、僕には何もできない。幽霊は専門外だから、出たら『成仏して下さい』って祈るしかないね」
「幽霊が視えても、何とかする気はないってだけだろ」
「どうかな? 奥多摩の景勝を観たら、気が変わるかもしれないけれど」
 美人は首を捻り、見当違いとしか思えない台詞を吐く。
「とにかく、僕は零治が心配だから一緒に行くだけだよ」
「隆生たちはどうでもいいのかよ? おまえって時々冷たいよな」
「零治には充分優しいと思うけれど?」
 飄々とした口調で美人が告げる。
 零治は、もう幾度目になるか解らない溜息を落とした。
 美人は穏和な性格の持ち主だが、時としてひどく冷淡に見えることがある。
 この幼なじみは、他人に対する興味心が極端に薄いのだ。
 昔から他人に関心を抱くことは殆どなかった。
 敢えて他人と深い繋がりを持つことを避けているのだ、と零治は理解している。
 身に宿る不思議な力が発覚した時、忌避されることを畏れているのだ。
 だから、彼は他人と距離を措いて接する。努めて特別な感情を抱かないようにしている。
 幼い頃から自然と身についた彼なりの処世術なのだろう。
 それが時折、美人を酷薄かつ非情に見せるのだ。
 そう理解していても、幼なじみとしては辛い。これから先も、美人が誰とも深いつき合いを持たないというのは考えたくない。美人は零治以外にも友人を作るべきだし、恋愛だってするべきなのだ。
「別荘周辺を彷徨しているものが何であれ、零治に害を及ぼすようなら容赦はしないよ」
 美人の双眸が冷ややかな光を宿す。
 零治は思考を中断させ、彼を見返した。
「和泉家の別荘に出るなら、危ないのは隆生だろ」
「解ってるよ。零治の友達も危険な目には遭わせない。気になることがあるから、和泉君には注意を払うつもりだし――」
「気になることって?」
「だから、水の神様」
 美人が笑顔で即答する。
 続けて、形の良い唇が不可解な言葉を紡いだ。
「もしかしたら、佐渡黎子さんは本当に神隠しに遭ったのかもしれないね」


     「二章」へ続く



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二章



 爽やかな森の薫りが満ちている。
 額から流れる汗を片手で拭うと、曽父江零治は天を仰ぎ見た。
 空は快晴――緑溢れる木々の隙間から太陽の光が燦々と降り注いでいる。
 初めて訪れる奥多摩の山中は、夏の陽射しに照らされて美しく輝いていた。
「オイ、いつになったら別荘とやらに辿り着くんだよ?」
 零治は空から視線を引き剥がすと、前を歩く和泉隆生に訊ねた。
 隆生が足を止め、こちらを振り返る。
「もう少しだよ」
「もう少し、もう少し――って、さっきからソレばっかりだろ」
 思わず、げんなりとした言葉が口から零れる。
 朝九時にJR吉祥寺駅に集合し、中央線に乗って立川駅へ。そこで青梅線に乗り換えて、奥多摩駅で下車。更に奥多摩駅から東日原行きのバスに乗り、川乗谷というところでバスを降りた。一緒に下車した観光客や登山客は百尋の滝へと続く林道に消えていったが、隆生が零治たちを導いたのは林道から逸れた細く険しい山道だったのである。
 一行は、人気のない森の中を西へ向かってひたすら歩き続けていた。
 腕時計に視線を落とす――時刻は既に正午を回っていた。
 バスを降りてから一時間ほど山中を彷徨っていることになる。
 普段からあまり身体を動かさないせいか、零治の疲労はピークに達していた。
 歩いても歩いても別荘の影すらも見えてこない現状に苛立ちも募り始めている。
「ホントに別荘なんかあるのかよ?」
 肩で息をしながら疑惑の眼差しを隆生に投げる。
「道はコレしかないんだから、間違いなく辿り着けるさ」
 隆生が気軽な口調で応える。
「焦ることはないよ。散策だと思ってゆっくり進めばいいんだ」
 隣で、有馬美人が笑い混じりに告げる。
 零治は美人に視線を流し、深い溜息をついた。
 長時間の徒歩や真夏の猛暑にもかかわらず、友人の顔は涼しげだ。汗一つ流さずに平然としている。
 華奢な見かけからは想像もつかないが、美人は武道の達人なのだ。剣道、弓道、長刀、空手、合気道――その他諸々の武道を幼い頃から嗜んでいる。ゆえに、零治より遙かに体力も気力も勝っているのだ。
「一時間も歩いて息切れしないなんて、信じられない奴だな」
「零治の体力がなさすぎるんだよ。夜更かしのしすぎだね、きっと。不規則で不健全で不摂生な生活を送ってるんだから、体力が低下していて当たり前――奥多摩に来たことは生活習慣を改善するいい契機かもね。神氣漂う森の空気を味わえば、夜明けと同時に目覚められるようになるかもよ」
 淡々と告げて、美人は歩き出してしまう。
 仕方なく零治も後に続いた。
 文句や愚痴をたれている暇があったら足を動かした方が賢明だ。
 別荘は、決して向こうからはやって来てくれないのだから。



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