ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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狭間



 闇の中を金と銀の糸が乱舞していた。

 漆黒の空間を漂う無数の糸――その中に埋もれるようにして女は座り、一本の糸を手繰り寄せていた。
 ひどく丁寧に、慎重に、女は糸を引き続ける。

 絡み、もつれ合った糸を解くこと。

 それが女に与えられた責務――贖罪だった。
 女はもう何百年もこの場所で糸を解き続けている。
 暗闇にも孤独にも疾うに慣れた。
 だが、肝心の糸が解れる気配は微塵もない。どんなに注意を払っても、糸はいずれ手の施しようがないほどにもつれ合い、動きを止めてしまうのだ。
 女の怠慢でも過失でもない。
 予め糸はそのように仕組まれているのだから。
 そうと知っていても、女には手を止めることなどできなかった。糸を紡ぎ続けるしか術はないのだ。
 白い指で糸を掴んだ瞬間、違和感が女を襲った。

 糸が動かない。

 つい先ほどまで緩やかに闇をたゆたっていたはずの糸が、ピンと張りつめている。
 女は愕然と糸を凝視した。
 何度引っ張っても糸は微動だにしない。
 完全に流れが止まっている。遂に修復不能の状態に陥ってしまったのだ。
 女の頬を冷たい汗が滑り落ちる。

『ククッ、失敗したの?』
『また誤ったのか。情けない』
 不意に何処からともなく声が聞こえてきた。
「――失敗したわけではない」
 女は糸をきつく握り締め、得体の知れぬ声に向かって反発した。
 途端、幾つもの笑い声が闇に谺する。
『おまえの過ちではなくても、糸は止まった』
『また扉が開く。久しぶりの戦じゃ』
『いつの世でも運命の扉を開くのはおぬしだ。我らはそれに乗じて、人界へ乗り込むだけ』
「黙れ。異形の者どもが」
 女は糸を掴んだまま、すっくと立ち上がった。
『人界までの道中、今度こそ我らがおまえを喰らってやろうぞ』
『おぬしの血と肉があれば、人界を手中に出来るやもしれんな』
『そうだ。まずはおまえだ。おまえを喰わせろ』
『糸の結界が消失した今、この闇世界にいるのはおぬしと我らのみ――』
『頭から喰らってやろう』
『我らがおまえを骨の髄まで味わってやろう』
 女の周囲で無数の影が蠢く。

 さわさわ。

 がさがさ。

 闇の中を何かが近寄ってくる。
 女は闇に紛れて接近してくる者ども冷静に見回した。
 女を取り巻いていた糸の流れが止まるやいなや襲いかかってこようとする低俗な輩たち。
 それまでは女に近づくことはおろか、糸の束に触れることさえできなかった無能な異形ども。
 力無き故に女が受けた罰の余波を受け、この闇へ身を堕とすしかなかった哀れな魔性たち――
「下賤な鬼どもめ。退くがよい」
 女は闇に向かってカッと目を見開いた。
 刹那、無数の断末魔が響き、闇に蠢く異形のものたちが霧散した。
「妾を喰らおうなど笑止千万。身の程知らずの無礼者が――」
 女は口の端に微笑を刻み、ゆっくりと糸から手を離した。
 女の手から滑り落ちるなり、金と銀の糸は生き物のように動き出した。先刻まで凍りついたようにビクともしなかったのが嘘のようだ。

 糸は流麗な動きでその姿を変化させ、巨大な扉を造り上げた。
 
 余った金糸と銀糸が、今度はそれぞれ書物と化す。

 暗闇に浮かぶ対の書物を目にした瞬間、女の唇から笑みが消失した。
「まだ繰り返せと仰るのか」
 女は、哀切のこもった眼差しで二つの書物を眺めた。
「それが妾の咎であり、妾に課せられた罰ならば――潔く引き受けよう」
 女は書物へ向けて両手を伸ばした。
「だが、それも今生まで。この次は輪廻も転生もなしだ」
 決意を込めて言葉を紡ぎ、女はしっかりと二冊の書物を掴み取った。
「行こう、おまえたちは妾とともに最後の仕事だ」
 女は二冊の書物を胸に抱き、扉と歩を進めた。
 扉が静かに開く。
 扉の向こうには眩い光が溢れていた。
「妾は今度こそ全てを終わらせる」
 女は決然と面を上げ、扉を潜った。
 光の中に身を委ねる女の足取りに迷いはなかった――


     

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2009.09.27 / Top↑
いつの時代にも魔性の血を引く《魔族》と、

それを封印する狩人――則ち《神族》が存在するものである。

                     
                                  
                            『榊妖鬼伝』より 




     「鏡月魔境」へ続く



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2009.09.27 / Top↑
一.鏡月魔境



 眩い朝陽が大きな窓から射し込んでいる。
 光に溢れたダイニングには、コーヒーの芳しい薫りが漂っていた。
「サラダ、トースト、ベーコンエッグ――準備完了!」
 榊夏生(さかき なつお)は、三人分の朝食が並んだテーブルを見回すと満足げに頷いた。
 栗色の髪を纏めていたシュシュを外し、ダイニングのドアを勢いよく開け放つ。
 一度天井を仰ぎ見てから、夏生は大きく息を吸い込んだ。
「葵ちゃん、茜ちゃん、朝ご飯よっ! 起きてー!!」
 榊家の日常は長女・夏生のこの叫び声で始まる。
 夏生の大声に反応したのか、二階でガタンッッ! と激しい物音が響く。
 それには構わずに、夏生は笑みを浮かべたままダイニングへ引き返した。
「あと二分で葵ちゃん、五分で茜ちゃんね」
 淹れたてのコーヒーをサイフォンからカップへと注ぐ。
 ソーサーに載せたカップをテーブルに置いたところで、トントントンと階段を降りてくる音が聞こえてきた。
 ダイニングのドアが開き、渋い緑色の制服を着た少年が姿を現す。
 黒曜石を思わせる切れ長の双眸と、背中で一つに束ねられたストレートの黒髪が印象的だ。
「おはよう、夏生」
 榊家の若き当主――葵は、屈託のない笑みを妹の夏生へ向けた。
「おはよう。――茜ちゃんは?」
「まだ寝てる」
「さっきの激しい物音は何なの?」
「さあ? 寝返りを打った拍子にベッドから転落でもしたんじゃないかな。茜のことだから、そのまま熟睡してると思うけど」
 葵が肩を聳やかし、着席する。
「もうっ、茜ちゃんたら!」
 夏生は頬を膨らませると、物凄い勢いでダイニングを飛び出していった。

 取り残された葵は溜息を一つ零すと、テーブルの上に置いてあった朝刊を引き寄せた。
 コーヒーを飲みながら何気なく紙面に目を走らせる。
『如月製薬 榊グループと提携してドラッグストア業界に新規参入。都内二十カ所に巨大店舗を展開――』
 そんな見出しに注意を引かれた時、夏生がダイニングへ戻ってきた。
「信じられない! 茜ちゃんたらイスごと床にひっくり返って、そのまま眠ってるのよっ! 絶対おかしいわよ。――ちょっと葵ちゃん、新聞はご飯の後にしてね」
 夏生の手が素早く朝刊をもぎ取ってゆく。
 葵は記事を読むのを諦め、再びコーヒーに口をつけた。
「イスごと転倒? 状況が把握できないな」
「オンラインゲームに没頭してたみたいよ。不眠不休でプレイしたものの疲労には勝てず、座ったまま爆睡しちゃったんじゃないの? 詳しいことは本人に訊いてよ」 
 夏生が呆れ混じりに肩を聳やかす。
 ちょうどその時、階段を降りてくる音がしてダイニングに制服姿の少年が現れた――榊家の次男・茜である。
「いや、全くその通りで……。おはよう、葵」
 寝癖だらけのボサボサの髪を片手で掻き上げ、茜が大きな欠伸を漏らす。
「おはよう。最近部屋に籠もりきりだと思ったら――また新しいゲームにはまったの?」
 葵は、自分と同じ顔をした弟に苦笑を向けた。
「そうそう。《鏡月魔境(きょうげつまきょう)》っていうオンラインゲームなんだよ」
 茜が眠そうに応えながら、双子の兄の向かいの席に腰を下ろす。
「ゲームに熱中するのはいいけど、身体だけは壊さないでね。――ハイ、茜ちゃんは野菜ジュースよ」
 夏生は茜の前にグラスを置くと自分の席に座った。
「げっ、俺、野菜嫌い。コーヒーだけでいい」
「ダメ。どうせ寝不足でご飯食べる気なんてないんでしょ? だから、ささやかだけど野菜ジュースで栄養を補うの。ノルマだからね。それじゃあ、いただきます」
 夏生は横目で茜を睨み、両手を合わせてお辞儀する。
 夏生の号令とともに榊家の朝食はスタートするのである。

 十八歳の双子の兄弟・葵と茜。
 十六歳の長女・夏生。

 今現在、榊家に住んでいるのはこの三兄妹しかいなかった。
 彼らの両親は二年前に交通事故で他界している。
 父・榊保は、日本有数の複合企業『榊グループ』の若き会長だった。
 後継者である葵は未成年ということもあり『大学を卒業するまで』という条件付きでグループの経営を親族に委任している状態だ。
 それでも彼らが富豪の子息であることに変わりはない。
 榊家の子供たちは、都内M市郊外にある邸宅で不自由なく暮らしていた。
 全ては両親が遺してくれた莫大な遺産と保険金のおかげである。



「ブラックリスト」にも登場している茜ですが……兄妹が一緒だとうっかり度が増します(汗)
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2009.09.28 / Top↑
「ねえ、《鏡月魔境》って――眠りを忘れるほど面白いゲームなの?」
 夏生が興味津々の体で訊ねる。
「あー、普通のオンラインゲームだと思うけど? 確か、《AYA》っていう人が製作したんじゃなかったかな……。ゲームの世界にはドラゴンとか妖精とか鬼とか人魚とか――とにかく、そういうファンタジックな種族がいて、国盗り合戦をしてるだけだよ」
「茜ちゃんのキャラは?」
「俺は海賊」
「海賊? 架空の種族だけじゃなくて人間もいるのね」
「人間も何種類かはいるみたいだな。――で、昨日は俺の船に《RYU》っていう吸血鬼が乗り込んできやがってさ、そいつと延々闘ってたわけだ。そいつ、ムカつくことに物凄く強いんだよ。何度リベンジしても勝てなくて、血を吸われまくったな……」
 ゲームの内容を反芻しているのか、茜が眉間に皺を寄せる。
「俺、プレイヤー名《SAKAKI》で遊んでるんだけど、あいつ出逢った瞬間に『こんばんわ、榊茜くん。やっと逢えたね』って話しかけてきたんだ。アレ、絶対知り合いだぜ。学校の奴らか会社の連中に決まってる。あー、思い出したらまたムカついてきた。次に遭遇したら、必ず叩きのめしてやる」
 茜が野菜ジュース片手に力説する。
 負けず嫌いの茜にとって、昨夜ゲーム内で起こった出来事は許せないものであるらしい。
「本当に知り合いで、偶然ゲームの中で出逢っただけならいいけどね」
 ふと、葵が表情を曇らせる。
 茜は眉間の皺を深めて、双子の兄を見遣った。
「どういう意味だよ? 何も心配することなんかないぜ」
「でも、その《RYU》って人は、茜に遭った時『やっと』と言ったんだよね? それって、ずっと茜を捜していた――ってことになるんじゃないのかな」
「俺が《鏡月魔境》愛好者なのを知ってる奴なら、プレイヤー名からすぐに勘づくんじゃないか? 俺、クラスメイトにはプレイしてるって明言してるし」
「……そうだね。考えすぎだね。今度、僕も参加してみるよ。話を聞いたら興味が湧いてきたな。何だか不思議なゲームみたいだし」
「だから、ただのオンラインゲームだって。――っと、そういえば不思議というか奇妙なことが一つだけあったな」
 野菜ジュースを一口呑み込んだ後、茜がフッと真顔になる。
「オープニングが暗闇なんだ。闇の中を金と銀の糸が舞っていてさ、そのうちに平安時代のお姫様みたいな格好をした《織姫》ってキャラクターが出て来るんだよ」
「へえ、闇に金銀に織姫ね。星空がモチーフだなんて素敵!」
 夏生は素直に感嘆した。幻想的なものを好む夏生の脳裏では、ゲーム画面がハリウッド映画並に壮大なスケールで展開されている。
「その織姫が『糸を紡ぎますか? 切りますか?』って訊いてくるわけだ」
「変わった質問だね。何の意図があるのかな?」
 葵が解せないように首を傾げる。
「さあ。意味が解らないから適当に『切ります』を選択したら、次は金銀どっちの糸を切るか訊いてくる。俺は金を選んだ。でもって、最後に扉が出現するんだ。そこでまた金と銀どちらの扉を選ぶか訊かれるわけだな」
「それも金を選んだんだね」
 単純明快な弟の性格を踏まえて、葵が微苦笑を湛える。
「もちろん。面倒なのは苦手だから同じ色で通す。選んだ扉を開けて《鏡月魔境》に足を踏み入れればゲームはスタート。織姫からの質問はプレイヤーの属性や能力を決定するためのものだろ。ただ、クラスの連中に訊いたら扉を選択するところまでは一緒だけど、開けた瞬間の織姫の台詞がちょっと違うみたいなんだな、俺……」
「茜ちゃんだけ特別なんて、何だか狡いわね」
「俺だけ最悪の属性かもしれないだろ? とにかく、クラスの奴らは『ようこそ、鏡月魔境へ』と笑顔で迎えられるらしいんだけど、俺は違った。……織姫は物凄く哀しそうな顔で俺が選んだ扉を開けたんだ。ゲームのキャラとは思えないほど、リアルな泣き笑いの表情だったな」
 茜の顔に翳りが射す。
 そんな弟を不安げに見つめながら、葵は先を促した。
「茜は彼女に何て言われたの?」
「お帰りなさい、鏡月魔境へ――」



     「二.羽」へ続く



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2009.10.03 / Top↑
二.羽



 M市中心部の大通りを濃い緑色の集団が埋め尽くしていた。
 私立聖華学園に向かう生徒たちの群れである。
 都内有数の学校密集地帯であるM市の中でも聖華の生徒たちは一際目立つ。制服にしては渋すぎる学園独特の緑色が原因である。
 榊家の三兄妹は、緑の流れに乗って聖華学園への道程を歩いていた。JR駅を目指す他校生やサラリーマンたちを器用に避けながら、流れに逆らうようにして先へ進む。
 学園の一つ手前の通りで、タイミング悪く信号が赤に変わった。
 三人は横断歩道の手前で立ち止まることを余儀なくされる。
「茜ちゃんたら結局寝癖ついたままなのね。わたし、また友達にからかわれるじゃない」
 双子の兄たちの間で夏生が不満げに頬を膨らませる。
「葵ちゃんと同じ顔なんだから元は良いはずなのに、茜ちゃんは大雑把すぎる性格のせいで損してるわよね」
 夏生は呆れ混じりに茜を見上げるが、当の本人は大口を開けて欠伸をしていた。
「髪なんてどーでもいい。この眠気が消えるなら俺は坊主にだってなるね。――っと、何だ、コレ? 羽根か?」
 涙目で空を仰いでいた茜が、ふと真顔になる。
 葵と夏生が釣られて天を見上げると、真っ白な羽根がヒラヒラと宙を舞っていた。
 茜が片手を伸ばし、浮遊物を掴み取る。彼の手の中で純白の大きな羽が優雅に揺れた。
「綺麗! 天使の羽根みたい」
「そうか? ただの羽毛だろ。女ってよく一々感動できるよなぁ。――ほら、プレゼント」
 茜が無造作に夏生に羽根を手渡す。
 夏生が嬉しそうに羽根を受け取った瞬間、目前の信号が赤から青へと変わった。

 人の群れが動き出す。

 先頭集団が車道や足を踏み入れた途端、けたたましいエンジン音が鳴り響いた。
 人々の眼前を物凄いスピードで一台のスポーツカーが駆け抜けてゆく。
 突然の出来事に驚き、慌てふためいた先頭集団の幾人かがその場に転倒した。
 直ぐ様、サイレンが唸りをあげ、パトカーが暴走車の後を追ってゆく。近くを巡回していたパトカーが信号無視をしっかりと目撃していたらしい。
「朝から心臓に悪いな」
「信号無視なんてサイテー! 飲酒運転なのかしら」
「うわっ、掌が擦り剥けてるよ……!」
 信号が再び赤になると、茫然自失状態から抜け出した人々が口々に騒ぎ出した。
 誰もが遠のく二台の車を恨めしそうに眺めながら、不満と文句を吐き出す。一頻り悪態をつくと多少は落ち着いたのか、人々は信号や時計を気にし始めた。
 尻餅をついていた先頭集団も徐々に立ち上がり始める。
 信号が青に変化するなり、人々は先ほどの出来事など何もなかったかのように足早に横断歩道を渡っていった。
 しかし、その中で、依然として歩道に座り込んでいる人物がいた。
 白のパンツスーツを纏った二十代後半と思しき女性だ。
 艶やかな黒髪に縁取られた彼女の顔は、ひどく青ざめている。
 葵は、その女性がショックで動けずにいるのだろうと判断し、彼女に駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ……。ちょっと驚いただけです」
 葵が手を差し出すと、女は反射的にその手を掴んで立ち上がった。
「怪我はありませんか?」
「いいえ、平気です。お気遣いなく。私は何ともありま――」
 女の双眸が葵を捕らえる。
 刹那、彼女は口を噤み、動きを止めた。
 青ざめていた顔から更に血の気が失せ、張り裂けんばかりに目が見開かれる。
 驚愕に揺れる眼差しが葵を凝視し、次に茜と夏生へと向けられた。
「――は……ね……」
 女の視線が夏生の持つ羽根へと吸い寄せられる。
「この羽根がどうかしました?」
 夏生が首を傾げながら羽根を女の前に出すと、彼女は微かに頬を引きつらせた。
 葵の手を握る女の手が小刻みに震え出す。
「それは…………王のための翼――」
「オイ、ホントに大丈夫かよ?」
 急に意味不明なことを口走った女を見て、茜が眉をひそめる。
「触れては駄目。何故、よりによってあなたたちが――」
 女は更に不可解な言葉を連ねると、忌々しげに葵の手を振り払った。そのままの勢いで夏生の手から純白の羽根を奪い取る。
「ちょっと何するんですか!?」
 夏生がムッとしながら女を睨むと、相手はそれ以上の気迫で睨み返してきた。
「これに触れてはいけないのよ。忘れなさい。この羽根も私のことも。その方が――」
「姉さん! ――綾姉さんっ!」
 女が凄みを孕んだ声音で告げるのと同時に、横断歩道を大学生らしき青年が駆けてきた。
 女が弾かれたように面を上げ、後ろを顧みる。
 青年の姿を確認するなり女は羽根を握り潰し、その手をそっと背へ隠した。
「姉さん、渡ってこないから心配したじゃないか!」
 青年が女の肩に手を置き、安堵の息をつく。どうやら青年は女の弟であるらしい。人の流れとともに横断歩道を渡ったものの姉の姿が傍にないことに気づき、慌てて引き返してきたのだろう。
「ごめんなさい。人波に乗り遅れただけよ。――講義に遅れるわ。行きましょう、遼」
 女は榊兄妹の存在を無視して弟の腕を掴むと、信号が点滅し始めたのを見計らったように横断歩道を突き進んでいった。

「――何なの、あの人? 葵ちゃんにお礼も言わないなんて、随分失礼じゃない!」
 さっさと道の向こう側に消えてしまった姉弟を見つめながら、夏生は憤然と唇を尖らせた。
 女の態度は不自然かつ不愉快なものでもあり、そして何より不気味だった。
「あの人……何を伝えたかったのかな?」
 ふと、葵が呟く。彼は女に払われた手をじっと眺めていた。
「あの女、よっぽど気が動転してたんだな。言ってることがサッパリ理解できなかった。葵は何も悪くないからな」
 茜は葵の背中を軽く叩いた。優しい葵のことだから助けた女性に手をはね除けられたことを気に病んでいるのではないか、と心配になったのだ。
「……うん。それにしても不思議な女性だったね。手を振り解かれた瞬間、何だかとても心地良い――というか、懐かしい気がした」
 片手を見つめたまま葵が首を捻る。
「え? 片割れがマゾだなんて嫌だからな、俺」
 茜が冗談めかして言うと、葵は苦笑でそれ受け流した。
「了解。そっちの趣味には目醒めないように気をつけるよ。――さて、そろそろ僕たちも学校へ向かおうか」
 葵の一言で兄妹たちはようやく先へ進み始めた。
 先ほどのアクシデントで十分ほど時間をロスしている。始業時間までには学園に辿り着きたかった。

「あーあ、綺麗な羽根だったのになぁ。ホントに感じ悪い」
 聖華学園の近くまで来ても、夏生はまで不満を連ねていた。
 見ず知らずの女性に手に入れたばかりの羽根を奪われたことが、相当頭に来ているらしい。
「あっ、『感じ悪い』で思い出した!」
 唐突に夏生が足を止める。必然的に葵と茜も足を止める羽目になった。
「わたし、今日嫌な夢を視ちゃったの」
「おっ、久しぶりにタマが夢に出てきたのか?」
 茜がからかうように夏生の顔を覗き込む。
 夏生は呆れ混じりの溜息で応じた。
「タマなんて呼んだら依姫(よりひめ)が怒るわよ。――あのね、葵ちゃんの髪が切られちゃうの」
 夏生が顔をしかめながら葵を見遣る。
「気をつけろよ、葵。タマ出演の先視は外れたことがないんだからな」
 茜が珍しく真摯な眼差しを葵に向けてきた。
 弟たちの心遣いを感じ取って、葵は深く頷いた。
 茜の言う通り夏生の先視――予知夢は外れたことがない。
 彼女の夢の中には、しばしば《玉依(たまより)》という姫が現れて、未来に起こる出来事を予言してゆくのだ。
 その優れた予知能力ゆえに、夏生は一族の中でも巫女的存在だった。裡に秘めたる《力》――魔物を封じる力も強い。
 榊一族は常人ではないのだ。

 亜空間から抜け出し、この世に棲みついた闇の住人――《魔族》
 その魔族を封じることを運命とする狩人――《神族》

 榊家は神族の頂点に立つ家柄だった。
 何百年、いや、それ以上の永い刻を神秘の力を駆使して魔族と闘い続けてきた。
 全国各地に散らばった神族たちの長が榊家であり、今現在一族を束ねるのは弱冠十八歳になったばかりの天主(てんしゅ)――榊葵であった。
「用心するよ。最近は魔魅(まみ)すら視なかったからね。そろそろ魔物たちも動き出すかもしれない」
 己に言い聞かせるように告げ、葵はそれきり口を噤んだ。
 気がつけば、聖華学園が目前に迫っている。
 魔族や神族の話が生徒たちの耳に入れば、変人扱いされてしまう恐れがある。他者が聞いても理解不能な内容だとは思うが、祖母の名に傷がつくのは嫌なので、学園が近くなるとその手の話はしないことに決めているのだ。
 聖華学園の創立者の名は榊総子。
 榊兄妹はその直系だった――



     「三.血」へ続く



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2009.10.06 / Top↑
三.血



 榊葵は何気なしに彼を見た。
 彼――三条風巳(さんじょう かざみ)。
 本日、このクラスに転校してきたばかりの少年。
 GWも疾うに明けた五月中旬に編入生が来るなんて珍しい。
 普通なら新学年スタート同時か、切りのいいところで二学期からの編入を希望するだろう。そもそも三年になってから編入してくる生徒なんて皆無に等しいのだ。
 なのに、三条風巳は都内の高校から同じ都内にある聖華学園に編入してきたのだ。
 千代田区にある名門私立からM市の聖華にわざわざ転校してくる理由も必要性も、葵には全く見出せなかった。
 時期外れの転校生。
 三条風巳が気になるのは、それだけが原因ではない。 
 自己紹介の時、風巳はクラスメイトたちに笑顔を向けていた。だが、その双眸だけは他人を嘲笑うかのように冷ややかだったのだ。
 他者を見下し、従えることに慣れた冷酷な眼差し。
 それに気づいてしまったから、葵は彼の存在を無視できずにいる。
 単純に彼の心の裡を覗いてみたいと思った。笑顔の裏で何を考え、何を企んでいるのか興味を抱いたのだ。
 更に、彼の姓である『三条』にも引っかかりを覚えていてる。
 家名に『条』が入る人物は要注意だ。
 神族と敵対関係にある魔族に多いのが、名字に『条』がつく家なのである。かといって、『条』がつく家が全て魔族であるとは限らない。当然、三条風巳に面と向かって『魔族なのか?』と訊ねることなど出来るはずもなかった……。

 葵は小さな溜息を落とし、黒板に視線を戻した。
 教壇では世界史の教師が熱弁を揮っている。
 しばらく教師の声を漫然と聞いていると、急に隣から強い視線を感じた。
 先ほどの自分同様、三条風巳もこちらを窺っているらしい。
 視線だけではなく、ひどく間近に彼の熱を感じて葵は戸惑った。
 チラと視線を流すと、教科書の上に置いた葵の左手のすぐ傍に風巳の右手が存在していた。
 葵の在籍する三年A組は、二つずつ机を密着させる席割りになっている。クラス委員長であるというだけで、担任は転校生を葵の隣席に座らせたのだ。葵にとっては迷惑な話である。何故だか、転校生の方も自分に好奇心を持ってしまったらしい。
 三条風巳の右手は、葵の左手に触れるか触れないかの距離にある。
 彼の長い指はもう一歩踏み込みたいのを堪えているかのように、忙しなく蠢いていた。程なくして、彼は何かを決断するように一度動きを止めた。そうかと思うと、唐突に人差し指を伸ばして葵の手の甲を撫でるのだ。
 何をするのだろうと見守っていた葵だが、流石にこれにはゾッとした。
 驚きとともに風巳に鋭い視線を向ける。
「何か?」
 小声ながらも不快感をしっかり含めた口調で訊ねる。
 相手は頬杖をついた状態で葵を見つめていた。葵と目が合うと、端整な顔に薄笑みを浮かべる。
「いや、綺麗な血管だな、と思って」
「――は?」
 葵は予測もしなかった風巳の返答に面食らい、眉根を寄せた。
 その間にも、風巳の指は葵の手の甲に浮かぶ静脈を嬉しそうになぞっている。
 ――けっ、血管フェチ!? それとも……ゲイ!?
 葵は一瞬パニックに陥った。
 転校生の言動が理解できない。
 とにかく触れられている事実に嫌悪を覚え、慌てて手を引こうとした。だが、風巳が葵の手を押さえつける方が速かった。
「静脈も美しいけど、持ち主はもっと綺麗だな」
 風巳の唇が笑みを刻む。
 しかし、笑顔とは裏腹に葵の左手には強い重圧がかかっていた。
「素晴らしいね、榊は。惚れ惚れする」
「……ふざけるな」
 葵はようやくそれだけを言い返した。ここが学校でなければ、今すぐにでも《力》で彼をはね除けてしまいたい。
「あれ、俺は本気だけど? 隣人が美形だなんて物凄くツイてるな」
 風巳の顔に満面の笑みが広がる。
 葵が無言で睨むと、彼はパッと手の力を緩めた。葵はすかさず彼の手を振り払い、左手を彼から遠ざけた。
「ホント、転校してきてよかったな」
 風巳はニヤニヤと葵を眺め続けている。
 葵は変わり者の転校生を無視することに決め、教壇へと視線を転じた。
 風巳が同性愛者でも血管ヲタクでも構わないが、その趣向を自分に向けるのだけは遠慮してほしい。
 ――何だか、妙な奴が隣に来たな……。
 葵は再び溜息をつき、左手を庇うように右手で包み込んだ。
 三条風巳に掴まれた左手は熱を帯び、じんじんと疼いていた。


     *



……スミマセン。この話、変な人――というかヘンタイさんが多いんです(汗)
ちなみに世界史の教師は黒井馨サンですけど、この話には無関係なので名前すら省略(笑)

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2009.10.10 / Top↑
     *


 放課後の校舎は下校を急ぐ生徒たちでごった返している。
 渋い緑色の集団の中で、三条風巳が身に纏うグレーのブレザーはひどく目立っていた。
 風巳は、擦れ違う生徒たちや窓外の風景を物珍しげに眺めながら廊下を進んでいる。
 榊葵は、彼の後ろを浮かない表情で歩いていた。
 クラス委員の使命として、転校生の校舎案内を担任から押し付けられてしまったのである。
 普段なら何でもないことなのに、今日はやけに気が重たかった。
 無論、原因は変わり者の転校生だ。
 ――三条風巳、彼は苦手だ。
 初対面だというのに授業中でも平気でちょっかいを出してくるし、休み時間も葵にべったり張りついて離れない。どうやら風巳は、聖華学園での最初の友人を何が何でも葵にしたいようなのだ。葵にとっては傍迷惑な話である。
「葵――オイ、葵、あれは何だ?」
 風巳が立ち止まり、窓の外を指差す。
 ――葵?
 葵は微かな苛立ちを感じながら、風巳の隣に並んだ。
 いつの間にか呼び名が『榊』から『葵』に変化している。
 身近で『葵』と呼び捨てにするのは、双子の弟である茜しかいない。茜は鈴の音のような軽やかさで『葵、葵』と自分を呼ぶ。葵はそれをとても気に入っていた。茜に名を紡がれると心地よいのだ。それとは正反対に、風巳に呼ばれると奇妙な不快感と違和感を覚える。背中の一部がゾクリと粟立つような感覚だ。
 ――まあ、いい……。直に慣れるだろう。
 葵は諦めに似た境地で、風巳の示す物体を眺めた。
 校庭の隅から顔を覗かせているのは、八角形の変わった建造物――武道館だった。
「あれは武道館だよ。中等部と高等部が共同で使用している」
「へえ。あのデッカイ木は?」
 風巳の指がスッと真横に流れる。その先は、旧校舎の脇にある枯れた巨木を示していた。
「あの木は《月光樹》――十年に一度だけ花を咲かせるらしい。その時、異世界への道が開くとか、あの木の下で告白すると恋が成就するとか――色々噂されてる。よくある学校の七不思議みたいなものだよ。実際は、ただの枯れ木なんだけどね」
「学校の七不思議、ね。聖華の伝説はうちの学校にもたまに伝わってきたな。水の化け物が出る噴水があるとか、地獄へ続く教室があるとか、旧校舎で鬼が踊る、とか――」
 風巳が薄笑いを口元に閃かせ、意味深に告げる。
「それらは全て、学園の創立者である榊総子が原因だとか……。榊総子は魔女で、魔法でこの学園を建てた――って伝説はホントなのかな?」
「……お祖母様は聖華を開校させるのに、大変な苦労をしたと聞いているけど。資金集めや教育委員会の説得に東奔西走したらしいよ。本当に魔法が使えたら楽だったろうね」
「おっと、それは失礼。榊総子は葵のお祖母様で、葵は榊グループの御曹司だったな」
「それが何か?」
「恵まれていて羨ましいな、と思って。それと――よく我慢してるな、と。俺が葵だったらとっくに家から逃げ出してる」
「生憎……逃げ出す理由がないもので」
 葵は風巳の横顔を見上げ、僅かに目を細めた。
 どうも、この珍妙な転校生はものの言い方に一癖も二癖もあるらしい。高校生としての単純な感想なのか嫌味なのか――何にせよ祖母のことまで持ち出してくるなんてかなりの執着心だ。
 余ほど榊グループに恨みや反抗心があるのか、やはり敵対する一族なのか――

「おっ、凄いものを発見! 葵、あれは誰だ?」
 不意に、風巳の目がパッと輝く。彼は嬉しげに校庭を指差した。
 視線は、窓の外を脱兎の如く駆けていったある一人の人物に固定されている。
 必死の形相で校庭を走っているのは、葵の半身だった。
「あれは?」
 風巳が質問を重ねる。『あれ』とは、もちろん葵の双子の弟・茜のことである。
「――茜だ。双子の弟だよ」
 幾分素っ気なく葵は応えた。
 知らない――とでも応えればよかったかな、と胸中で毒突く。何故だか、風巳に茜の存在を教えてはいけないような気がしたのだ。
「ふーん、なるほど。双子、ね。葵と同じ顔をしてるわけだ。二人兄弟なんだな」
「違う。三人だよ。下に妹がいる」
 葵が簡潔に訂正すると、風巳は再び口の端に笑みを刻み込んだ。
「へえ、妹もいるなんてツイてるな。彼女、美人?」
 風巳が葵の方へ向き直り、興味津々の体で訊いてくる。しかし、関心があるのは確かなようだが、彼の双眸は冷ややかな光を湛えていた。
「さあ、普通じゃないのかな?」
「葵の妹なんだから普通ってことはないだろ。いつか紹介してくれよ」
「……いつか、ね――」
 葵は風巳の視線を正面から受け止め、冷淡な声音で彼の申し出をはね除けた。大事な妹を怪しげな男に引き合わせる気に微塵もない。
「次は特別教室棟を案内するよ」
 身内に関する話題を早々に打ち切り、葵は風巳を拒むように踵を返した。
 三条風巳。
 彼は危険だ。
 血の匂いがする――



 三条風巳は、自分に背を向けた榊葵をじっと見据えていた。
「聖華の文字はホントは『聖化』――魔女が封じた物の怪たちの墓場、か」 
 我知らず、顔に冷笑が広がる。
「全部封印を解いたら、困るかな? 困るよなぁ? 本筋からは逸れるけど、やりたいな。見たいな――物の怪たちに八つ裂きにされる葵の姿」
 口角がつり上がった唇は、男だというのに紅を塗ったように紅かった。今にも唇の端から血が滴り落ちそうな妖しい雰囲気を醸し出している。
 なまじ顔立ちが整っているだけに、彼の姿は人間離れしているように見えた。
「美しく、綺麗な血――あれが榊の直系か」
 歩く度に葵の長い髪が揺れるのを風巳は愉しげに眺めた。
 脳裏に茜の姿を思い描き、更に冷笑を深める。
「榊の血は絶やさないとな――」
 僅か一瞬、風巳の双眸が血の色に染まる。
 だが、彼の酷薄な囁きが葵に聞こえることはなかった。



     「四.魔魅」へ続く



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2009.10.12 / Top↑
四.魔魅



 陽が傾きかけている。

 榊夏生は、聖華学園の近くにある公園で一人佇んでいた。
 双子の兄の一人――茜と買い物に行く約束をしているのだが、当の本人が約束の時間を過ぎても姿を現さないのだ。
 約束の時間は四時ジャスト。
 だが、今はもう四時二十分を廻っていた。
「……ったく、茜ちゃんたらルーズなんだから」
 夏生は腕時計を眺めて嘆息し、薄っぺらい鞄を抱え直した。
 茜は携帯電話を所持することを頑なに拒否しているので、連絡の取りようもない。PCのオンラインゲームは超がつくほどの愛好者なのに、携帯電話に関しては『面倒臭い』の一点張りで全く興味が湧かないらしいのだ。
 いつも待たされる側になる夏生としては、是非とも携帯電話を所有して欲しい。しかし、願いは虚しく、未だに叶ってはいない……。
 夕暮れ時の園内には、現在、夏生一人しかいない。
 先ほどまで遊具で戯れていた子供たちは、いつの間にか姿を消している。公園に面した道路を行き交う人々も疎らである。
 静寂の中にポツンと取り残されたような気がして、夏生の胸の裡にフッと寂寥感が芽生えた。
「何してるのよ、茜ちゃん――」
 茜に待たされることには慣れている。
 昔から茜には約束をポッカリ忘れてしまうという悪癖があるのだ。去年のクリスマスなど、冬の寒い中を二時間も待たされた覚えがある。
 それにも懲りずに、こうしてまた茜と約束を交わしてしまう自分は一体何なのだろうか?
 我が身の報われぬ健気さを思い、夏生は深い溜息を落とした。
 その時――

 ズズッ……ズッ……ズルッッ……。

 ふと、耳障りな音が聴覚を刺激した。
 夏生はハッと表情を引き締め、素早く辺りに視線を配った。

 ズズズッ……ズズッ……。

 音は近い。
 何が地面を這いずり回っているような奇妙な音だ。

 シュッ!

 突如として、夏生の左手首に光沢のある奇怪なものが巻き付いた。
 ぬるぬるとした太く白い蔦のようなものだ。
「――魔魅っ!?」
 それを目にした瞬間、夏生は音の発生源に思い至った。
 魔魅(まみ)――つまり下級魔だ。
 手首に絡んだ蔦のような触手を目で追うと、公園の一角に歪んだ空間を発見した。
 どす黒い霧のようなものが漂う中に、巨大な異形が姿を現している。
 崩れた毛糸玉のようにグチャグチャと無数の触手が絡まり合っている。
 体高は優に五メートルはありそうだ。
「わたしが狙い――よね?」
 夏生は引きつった笑顔で魔魅を見遣った。
 シュッ!
 ひっそりとした呟きに応えるように、魔魅が勢いよく触手を飛ばしてくる。
 夏生は咄嗟に鞄を触手に向けて放った。触手が鞄を絡め取る。
 その隙に右手を制服の胸ポケットへ忍ばせ、トランプのようなカードを取り出した。
 人差し指と中指の間に挟んたカードを鋭く閃かせ、左の手首にしつこく巻き付いている触手を切り刻む。
 だが、細切れになりながらも魔魅は夏生に触手を伸ばしてくるのだ。
「邪鬼滅殺――」
 夏生は臆することなくソレに向かってフッと息を吹きかけた。
 すると、不思議なことに触手は瞬く間に灰と化した。
 そのまま呆気なく本体まで灰燼と化すだろう。
 これまで幾度なく魔族と闘ってきた。経験上、この程度の魔魅ならば念の籠もった氣を送るだけで容易く滅ぶはずだ。
 だが、夏生の予想は悪い方向へとアッサリ裏切られた。
 氣を吹きかけた触手は灰となったが、ミミズの集合体のような本体そのものは全くの無傷なのだ。
 間髪入れずに、粘液だらけの触手が一気に数十本も夏生に向けて繰り出される。
 流石に、夏生もこれにはギョッとした。
「あれっ!? ……おかしいな。――依姫(よりひめ)、起きてる?」
 夏生は触手の攻撃を避けるために後方に飛び去りながら、カードの枚数を増やした。
「ねえ、ちょっと依姫、聞いてるっ!? 闘えるのっっ!?」
 チラとカードに視線を走らせ、夏生は焦燥混じりの声を放った。
 程なくして、真っ白だったカードにボンヤリと人影が浮かび上がってくる。
『……なんじゃえ? 妾は寝起きで機嫌が悪いぞえ』
 豪華絢爛な着物を纏った美女がカードの中から夏生をギロリに睨む。
 夏生の神族としての特殊能力――神力の分身。それがカードの中で生きた人間のように動く《玉依姫(たまよりひめ)》だ。
「ええっ!? お願いだから、今すぐ目を醒ましてっ! 何だか、変な魔魅に当たっちゃったみたい!」
 夏生は左手にもカードを構え、物凄い早業で襲い来る触手に向かってカードを投げ続けた。
 カードの攻撃で触手は散り散りになるものの、やはり本体には掠り傷一つついていなようだ。
『おぬしのうすらぼけ兄貴が妾のことを《タマ》と呼ぶからいけなのじゃ。おかけで妾の繊細な玻璃の心は粉々に砕け散り――数日は病床から起き上がれぬ酷い有様じゃ』
 玉依が袖で顔を覆いながら切々と訴えてくる。
 嘘泣きだ。
 先ほどまで素晴らしい眼力で夏生を睨めつけていたのだから。
 今朝、茜に《タマ》呼ばわれされたことを根に持っているだけだ。
 ――だから、《タマ》って呼ぶな、っていつも言ってんのにっ! 茜ちゃんのバカッッ!
 夏生は険しく片眉を跳ね上げると、次々と飛んでくる触手に両手のカードを豪快に放った。
 緑色の不気味な体液を撒き散らして、触手が地に落ちる。
「それだけ喋れるんだから、もう頭は冴えてるでしょ!? 手伝ってくれたら――特別にヨシヒトの裡に降ろしてあげるからっ!」
『えっ、そりゃあ本当かえ!? よし、夏生のために妾が一肌脱いでやろうぞ!』
 玉依が現金にもパッと顔を輝かせ、愉しげに檜扇を舞わせる。
「わたしの神氣――依姫に移すからね」
『――承知』 
 玉依が不敵に微笑むと、夏生の手持ちのカードが金色に輝き始めた。夏生と玉依と神氣が融合し、カードに込められた破邪の力が強まったのだ。

 夏生は魔魅の本体へと向かって、疾駆を開始した。
 凄まじいスピードで触手の攻撃を躱し、時にカードで破砕し――本体に肉迫する。
 本体の眼前まで来ると、夏生はピタリと足を止めた。
 左手に重ねた黄金色に輝くカードの束を右手で掴む。
 それを鞘から刀を抜くような動きで下から上へと放った。
 眩い光を纏ったカードが、白刃の如き軌跡を描き、魔魅を縦に切り裂く。
 緑色の体液を頭上から浴びる前に、夏生は俊敏に後方へ飛び去っていた。
 崩れ落ちる魔魅を眺め、夏生は不意に眉間に皺を寄せた。
 滅びるはずの魔魅は、切断面を癒着させて再生を試みているようなのだ。
 驚異的な速度で分断したはずの本体が繋がり、触手が忙しなく蠢き始める。
「ちょっ、ちょっと依姫……やっぱり変じゃない?」
 夏生は制服から新たなカードを取り出すと、怖々と玉依に話しかけた。
『……はて? 妾が寝起きじゃからかのう? 神氣が満ち足りてないのかもしれぬな。そもそも、妾とおぬしの力は元来攻撃主体のものではないゆえ……困ったものじゃな』
 返ってくる玉依の声音にも怪訝な響きが宿っている。
 あっという間に再生を果たした魔魅が、懲りずに触手攻撃を仕掛けてくる。
「げっ……う、嘘でしょっっっっっ!?」
 夏生は慌てて飛び退いた。
「ヤダッ、何なのよ、コイツッ!? 誰か降ろしたいけど――そんな暇ないよねっ!?」
『うむ、ないぞえ』
 玉依がやけにあっけらかんと即答する。
「ぞえ――じゃないわよ! わたし、今、もしかして、物凄くピンチなんじゃないっ!?」
 カードで何度切り落としても、触手は尽きることを知らぬように縦横無尽に襲いかかってくるのだ。いくら夏生でも、その全てを防ぎきることは不可能だ。
 案の上、触手が夏生の左腕に巻き付き、強引に身体を引っ張り上げた。
「――っ痛っっ!!」
 左肩が激痛を発する。
 首にもヌメヌメとした触手が絡みつき、頸動脈と気道を絞めにかかる。
 直ぐさま息が苦しくなり、視界が不鮮明になった。
 ――ちょっと本気でヤバイかも……。
 夏生の胸に諦めに似たマイナスの感情が芽生えた刹那――
 青白い冷光が炸裂した。



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2009.10.17 / Top↑
 突如として、視界が眩い輝きに包まれる。
 夏生は弾けそうになる意識を必死に現へ留め、目前の光景を確認した。
 巨大な魔魅の天辺に、一人の少年が立っていた。
 聖華学園の制服を身につけた端麗な容貌の少年。
 彼の右手には冴え冴えと輝く日本刀が握られている。
『おお、この神氣は――!』
 玉依が心底嬉しそうに甲高い声を発する。
 夏生は少年の姿を見て、安堵に胸を撫で下ろした。玉依同様、喜びが込み上げてくる。

 少年は手にした日本刀を容赦なく魔魅へ突き刺した。
 手早く刀を抜くと、彼は鮮やかに地面へ着地し、次いで敏捷に駆け出した。
 夏生を絡め取る触手を流れるような動作で、次々と斬り落としてゆく。
 彼は難なく夏生を捕縛している触手を払うと、落下する夏生の身体を片腕で抱き留めた。
 そのまま背を返し、振り向きざまに日本刀を鋭く突き出す。
 いつの間に再生していたのか、魔魅がすぐ間近まで迫っていたのだ。
 少年の刀が再び神秘的な閃光を纏う。
 彼の繰り出したただの一撃によって、魔魅は数十メートルも吹き飛ばされた。
 形勢不利と判断したのか、毛糸玉のような化け物は出現した時と同じくどす黒い霧のようなものに身を隠すようにして――消えた。

「大丈夫かい、夏生?」
 少年が夏生の身体をそっと地に降ろし、心配そうに顔を覗き込んでくる。
「うん。ありがとう、美人!」
 夏生は心からの謝意とともに笑顔を少年へ向けた。
 少年が微笑を湛えて夏生を見返してくる。切れ長の双眸が榊家の双子とよく似ていた。
 少年の名は、有馬美人(ありま よしひと)。
『美人』と書いて『よしひと』と読むのだ。美人自身にとっては苦々しく笑うしかない名前である。
 彼の母親の旧姓を『榊』という。夏生たちの父の妹が美人の実母に当たるのだ。
 美人は、夏生の一つ年上の従兄。
 無論、彼も榊家の血を引く神族――狩人であった。
『美人殿、お久しゅうございます! その神氣――いつになったら妾に喰わしてくれるのじゃ? 夏生が特別に美人殿の裡に妾を降ろしてくれると言うたぞえ』
 玉依の興奮気味の声が響く。
 美人に疑惑の眼差しを向けられ、夏生は慌てふためいてカードを両手に包み込んだ。
「言ったけど、結局魔魅を追い払ったのは美人だもん。だから、さっきのアレは無効よ」
「夏生――君は一族の中で唯一神霊を他人の身体に降ろせる力を持っている。けれど、それは安易に使ってはいけないものだよ」
「……解ってるわ。ごめんなさい」
 美人に諫められ、夏生はしゅんと項垂れた。
 契約を交わした神霊を肉体に宿らせる――神降ろし。
 美人をはじめ、神族の中には自分の肉体に限り神霊を宿すことの可能な者もいる。
 だが、降ろした神霊を他者の裡に植え換える荒業を行使できるのは、今のところ夏生しか存在していなかった。
 神降ろしは受け入れる側の準備が出来ていなければ、肉体と精神に甚大な衝撃をもたらすのだ。夏生に何の予告もなく神霊を植え付けられれば、相手は神霊の放つ神氣に耐えきれずに自我を崩壊してしまう畏れもある……。
 夏生の力は諸刃の剣――稀有で強大だが危険を伴うものだ。
 術者である夏生自身がそれを知悉していなければ元も子もない。軽はずみで、そんな約束を玉依と交わしてはいけないのだ。
「反省してるならいいよ。――夏生が無事でよかった」
 美人の片手が夏生の頭を優しく撫でる。
 夏生がパッと顔を上げると、従兄は美しい顔にやはり美しい笑みを浮かべて夏生を見つめていた。  基本的にこの美貌の従兄は、夏生に物凄く甘く、優しいのだ。
「依姫も――僕は今のところ《雷師(らいし)》だけで手一杯ですから、僕のことは諦めて下さいね」
 美人が日本刀を軽く翻す。
 すると、それは瞬時に銀細工の指輪へと姿を変じ、美人の左中指に納まった。普段は指輪の形をしているこの刀が美人の神力の分身――《雷師》なのである。
『あい解った。――妾は疲れたから、もう眠るぞえ』
 玉依が聞き分けの良い返事をし、スーッとカードから姿を消す。
 ――ああ……呼びかけても一週間は起きて来ないわね。
 夏生は玉依がいなくなったカードを制服のポケットにしまいながら、苦笑いを浮かべた。
 何故だか玉依は、榊一族の男子にけなされたり、叱られたり、そつなくされると、非常に落ち込み、挙げ句臍を曲げるのだ。それだけ葵や茜や美人のことが大好きなのだろうが、その度にご機嫌を取らなければならない夏生の苦労は耐えない。
「本当にありがとう。美人が来てくれなかったら、わたし――どうなっていたか解らないわ」
「とりあえずは追い払っただけだよ。あの魔魅はちょっと変な感じだったな。雷師で貫いたのに、手応えがなかった」
 美人が不思議そうに小首を傾げる。
「うん。雷師で封じられないなんて、絶対おかしいわよね」
「しばらくは大人しくしているだろうけど……。帰ったら、葵さんに報告しておいた方がいいね。――ところで夏生、どうしてこんな所に一人でいたのかな?」
「茜ちゃんを待ってたの」
 従兄の質問にハッと本来の目的を思い出し、夏生はむくむくと迫り上がってきた怒りに唇を尖らせた。
 茜が約束の時間にちゃんと姿を現していれば、魔魅に襲われることもなかったはずだ。仮に襲われたとしても、茜がいるなら夏生一人だけの時とは異なりスムーズに魔魅を滅殺できただろう……。
「茜さんを? ――あれ? 茜さんなら、さっき見知らぬ男の人と一緒にいたけれど?」
 美人が数度目をしばたたかせ、またしても納得できないように首を捻る。
「男の人?」
 夏生はグッと眉根を寄せた。
 可愛い妹との約束をすっぽかして男と遊んでいるなんて――許せない。
「そう、金髪の男の人。結構ハンサムな人で――茜さんと一緒だから目立ってたよ。……急用が出来たんじゃないのかな?」
「ふ~ん。でも……見かけたのなら、茜ちゃんに一声かけてくれればよかったのに」
「そうだね。やっぱり声をかければよかったかな――」
 美人は夏生に微苦笑を向けた。
 茜が夏生と待ち合わせをしているのを前もって知っていれば声をかけただろうが、もう過ぎてしまったことなのでどうしようもない。
 だが、やはり美人は茜を見かけた時に声をかけるべきだったのかもしれない。
 たった一言『茜さん』と呼びかけなかったために、彼は数時間後ひどく後悔する羽目に陥るのである――


     「五.条家」へ続く



……何の捻りもなくビジンでした(汗)
ちなみに茜と一緒にいる金髪男は……もちろんレージではありませんよ!(笑)

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2009.10.18 / Top↑
五.条家 



 今日は乗物関係に災いの相が出ているのかもしれない。
 榊茜は、初めて訪れた室内を何とはなしに見回し、コーヒーカップに口をつけた。
 今朝の暴走車に続き、放課後にも危うくブルーシルバーのアウディに轢かれそうになったのだ。
 聖華学園を出て幾ばくも経たないうちに、十字路でアウディと接触しそうになった。
 寸でのところで躱したはいいが、慌ててハンドルを切ったらしい相手の車体は近くにあった水溜まりで急停止した。おかげで物凄い勢いで泥水の飛沫が舞ったのだ。何とか頭から泥水を浴びる失態は免れたが、聖華学園の高級制服は泥水の餌食になってしまった……。
 ツイてない――としか言い様がない。
 聖華学園は資産家の子息令嬢が通うだけあり、その制服もかなり高額なものなのだ。
 制服一着泥塗れになったと知ったら、榊家の家計を預かる妹の夏生は額に青筋を立てて激怒することだろう……。
 瞬時に妹に怒られる己を想起し、茜は派手なアウディに向かって思わず「馬鹿野郎!」と怒鳴っていた。
 茜の怒りが実際に聞こえたわけではないだろうが、車中からは金髪の派手な男が慌てて降りてきた。相手は、制服を一目見て茜が聖華学園の生徒であることを理解し、更にギョッとしたように目を丸めていた。
 それが、この高級マンションに居を構えている一条龍一という青年だったのである。
 龍一は、茜が名門私立学園の生徒だと知るなり、ひたすら謝罪の言葉を繰り返し、茜が引くくらい丁寧かつ強引に『制服の弁償』を訴えたのだ。
 相手の苗字が『一条』ということもあり、敵対する魔族である可能性も一瞬脳裏をよぎったが――名前に『条』がつく人間の全てを疑っていてはキリがないし、精神的に疲れる。それに龍一が単なる善意の人であった場合、彼に対しても失礼だ。
 立ち話の末に、近くにある龍一のマンションで制服を洗う、という結論に落ち着いた。もっとも龍一がさっさと話をまとめ、戸惑っている茜を半ば強制的にアウディに乗せてしまったのだが……。
 夏生と待ち合わせしているのは重々承知だったが、ずぶ濡れの制服を纏ったまま妹と連れ立って歩くのも気が引ける。制服が乾くまでは一時間もかからないはずだ、と腹を括り、茜は龍一の勧めに従った。
 そして――現在に至る。

 乾燥機から出されたばかりの制服を改めて身につけ、さっさと帰ろうとしたのに、龍一はコーヒーを差し出してきて、つらつらと取り留めのない話をするのだ。
 彼が教員免許を取得している塾講師だとか、M市には最近引っ越してきたばかりなので道路状況をちゃんと把握していなかった――とか、そんなどうでもいい情報が右の耳から左の耳へと通り抜けてゆく。
 茜はコーヒーを啜りながら、テーブルを挟んだ向かいのソファに座する一条龍一という青年を眺めた。
 少し長めの金髪。片方だけ露出している右の耳朶には、血のような輝きを放つ真紅のピアスが一つだけ飾られていた。顔は端整な部類に属するだろう。
 茜はさり気なく腕時計に目を落とし、心の裡で溜息を洩らした。
 時刻は午後四時五十八分。
 夏生との約束は四時だ。
 ――夏生、怒ってるだろうな……。
 かなりの頻度で夏生に待ちぼうけを食らわせている不肖の身としては、妹の顔を思い出すだけでいたたまれなくなった。
「あの――俺、帰ります」
 茜はカップをソーサーに戻すと、そそくさと立ち上がった。
「制服、ありがとうございました」
 こちらが被害者なのだが、制服の件については礼を述べておく。
 茜が軽く頭を下げると、龍一もカップを置いて席を立った。流麗な動作で歩み寄ってくる。
「おや、まだ早いじゃないか」
 龍一の片手が伸びてきて、はっしと茜の手首を掴み取る。
 彼に触れられた瞬間、背筋に悪寒が走るのを茜は感じた。
「夕食までにはちゃんと送り届けるよ」
「い、いえ、結構です」
 手首を握る手に力が加わったような気がして、茜は微かに顔をひきつらせた。
 ――男を送って、何が楽しい……!?
 茜は龍一の腕をやんわりと引き剥がそうと、自由になる方の手で彼の腕を掴んだ。
 瞬時、物凄く速さでその手を逆に掴み返される。
「まあ、そう遠慮せずに。君のように綺麗な子をこのまま帰すわけにはいかないんだ」
 龍一が端整な顔に妖冶な笑みを浮かべる。
 ――げっ……こいつ、ソッチの趣味かよっ!?
 茜は慌てて手を引いた。
 だが、龍一の方が遙かに強い握力を有しているらしい。彼の手は頑として茜を離さなかった。
「お、俺、妹と待ち合わせしてますからっ!」
「おやおや、私より妹の方が大事なのかな? 昨夜はあんなに激しく互いを求め合ったのに――」
 龍一の片手が茜の顎を捕らえ、からかうように顔を覗き込んでくる。
「何のことを言っているのか――解らないな」
 茜が怪訝な眼差しで龍一を見上げると、彼は挑戦的な視線を返してきた。
「解らない? そう? 私は昨夜のことは全て覚えているよ。――こんばんわ、榊茜くん。やっと逢えたね」
 龍一が低く囁く。
 弧を描いた唇の端に、僅か一瞬牙のような鋭い犬歯が覗いた。
「――――!?」
 即座に茜は理解した。
 ――こいつ、昨日の吸血鬼っ!?
 オンラインゲーム《鏡月魔境》の中で、茜は一晩中《RYU》という吸血鬼と激闘を繰り広げていたのだ。
 どうやらリアルワールドでの《RYU》は目の前の青年であり、おそらく彼はこちらの世界でも《血を啜るもの》であるらしい……。
 察した瞬間、自分と故意に引き離されたであろう妹の身を案じ、茜は険しい双眸で龍一を睨めつけた。
「夏生……!」
「ああ、妹のことら何も心配しなくていい。もう魔魅が始末しているはずだから安心しろ。そう――魔魅がね」
 驚愕に目を見開く茜を愉快そうに眺め、龍一が艶笑を湛える。
 刹那、茜は鳩尾に強烈な衝撃を感じた。
 目の奥で激しく火花が散る。
 言い表しようのない痛みが腹部から全身へと蔓延する。
「……ごめっ……ん……夏……生――――」
 意識を失う寸前、脳裏をよぎったのは無邪気に笑う妹の姿だった……。




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2009.10.26 / Top↑
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