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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Thu
2009.12.10[22:59]

 突如として地から生まれてきた奇怪な植物群が螺旋を描き、龍一の身体を呪縛する。
 夥しい数の蔦植物は互いに絡み合うことで強度を増しているのか、捕縛された龍一は微動だにしない。
 植物たちによって地上五メートルほどの高さまで持ち上げられた彼は、ただ唖然と地上の美女を見下ろしていた。
「ああ……我が技ながら――美しい緊縛」
 ワンピース姿の美女が全身に金緑の冷光を纏ったまま、ゆるりと龍一を振り仰ぐ。蔦植物に搦め捕られた龍一を見つめる眼差しには、妖しげな煌めきが灯っていた。
「咲姉! 見惚れている場合じゃないだろ!」
 茜は慌てて美女に駆け寄った。
「――え、どうしてよ? 折角捕らえた魔族よ。滅殺する前に少しくらい愉しんでもいいじゃない?」
「駄目だって! 滅殺なんてしたら、葵を捜す手がかりが無くなるだろ!」
 茜は必死の形相で美女に抗議した。
 本来ならば頼もしい身内だが、今は無闇に龍一に手を出されては困る。これから二人で行方知れずになっている葵を救出に行かなければならないのだから……。
「葵ちゃん? 何? この男、茜ちゃんだけじゃなく葵ちゃんにまで手を――ハッ! もしかして、《両手に花》状態を満喫したのっ!? くっ……何て羨ましいシチュエーション……!」
 清楚な美女にしか見えない彼女の唇から不可解な呻きが洩れる。
 またしても脳内で何か勝手に有り得ない妄想を生み出したらしい……。
「いや、全っ然違うからっ! とにかく、今は葵を助けるためにあいつの情報が必要で――俺たち一時的に手を組んでるんだよ! だから、早く術を解いてくれないかな、咲姉!」
 茜は矢継ぎ早に説明を施し、彼女が掲げるスケッチブックをトントンと指で突いた。
 あの短時間で一体どうやって完成させたのか――紙面には蔦植物に身を封じられる龍一の姿が詳細に描かれているのだ。
「……アラ、そうなの。残念ね」
 美女が心底ガッカリしたように呟く。
「あの……私はいつまでこのままなのかな? 出来れば、状況を説明してほしいんだけれど――」
 頭上から龍一の減なりした声が降ってくる。
 茜が目線を上げると、彼は蔦に雁字搦めにされた状態で引きつった笑みを湛えていた。
「あー、えーっと、この人は俺の従姉で有馬家の次女――有馬咲耶さん」
 とりあえず茜はワンピース姿の美女の正体を告げた。
 美女は有馬家の令嬢である咲耶(さくや)。有馬美人の姉だ。
 だが、咲耶は聖華学園の大学部ではなく、M市内にある美大に通っていた。無論、絵の才能を更に磨くためである。
「咲姉、コッチは条家だけど――何故だか聖華の臨時教師になってる一条龍一。面倒だから詳細は省くけど、訳あって葵を救出するまでは一緒に行動することになった」
「ふ~ん、一条の、ね……。一条家特有の天然金髪――間違いないわね」
 咲耶が片手で眼鏡を元の位置に戻し、スケッチブックを裏返す。それから彼女は改めて龍一を仰ぎ見た。
「茜ちゃんの先生――か。ごめんなさい。私のスケッチブックは特別で、描いたモノがそのまま現実になっちゃうのよ――って、アラ? あなた、よく見るとイイ男ね」
 咲耶の瞳が眼鏡の奥でキラリと光る。
 その右手が無意識にスケッチブックへと延びるのを見て、茜は咄嗟に彼女の手首を掴み取っていた。
 咲耶自身が述べた通り、彼女の神力が分化したものが愛用のスケッチブックであり、念じて絵を描けばそれが実現するのである。
 咲耶の能力は確かに素晴らしいが、彼女本人には少々困った趣味があるのだ。
 美少年や美青年――とにかく美形男子に目がないのである。気に入った美形を発見するなり一心不乱にスケッチし始める厄介な人物なのだ。
 美大へ進学したのも、誰に憚ることなく、大好きな美形をモデルにして思う存分に色男の絵を描きたいがためではないか――と、茜は密かにそう睨んでいる。
「咲姉、俺、結構急いでるんだけど?」
 茜は咲耶に向かって苦笑いを向けた。時間がないことを強調すると、咲耶は龍一をスケッチすることを渋々諦めたようだった。
「条家の色男を描けるなんて滅多にない機会だけれど、葵ちゃんのためなら仕方ないわね。術を解くわ」
 咲耶が溜息混じりに告げ、茜の腕をそっと引き剥がす。咲耶の技は解除する時にもスケッチブックが必要なのだ。
 再び、咲耶の全身から金と緑が融け合ったような淡い光が滲み出る。
 彼女は神速の如き手捌きでスケッチブックに筆を走らせた。
 龍一に絡みついている無数の蔦植物たちがザワザワと蠢き出す。
「――――!?」
 蔦の中で、龍一がハッと息を呑んだ。
 不気味な蔦植物たちは龍一を解放するどころか戒めを強め、更にシャツの胸元を脈絡なくはだけさせたのである。
「……スミマセン、おねーさん。さっきより酷くなってるんですけど?」
「アラ? おかしいわね? ちゃんと直してるつもりなんだけど――」
 黒髪をサラサラと揺らしながら小首を傾げ、咲耶がまた恐ろしい速さでスケッチブックに何かを描き込む。
 すると今度は、龍一のシャツが蔦植物によって一気に剥ぎ取られ、白い首筋や鎖骨――そして肩が露出した。
「――わざとやってるだろ、咲姉?」
 茜は呆れ混じりの視線を咲耶へ向けた。
 どうやら龍一は咲耶好みの美形であるらしい。そうでなければ、こんな無駄なことに時間を費やす理由がない……。
「何言ってるのよ、茜ちゃん! 久々の美青年魔族だからちゃっかり辱めようとか、うっかりセミヌードくらい披露してくれてもいいんじゃない――とか全然思ってないわよ! 真面目に闘うのが久し振りすぎて、ちょっとスケッチブックの使い方に自信がないだけだからね!」
 咲耶が言い訳めいた言葉を繰り出す。
 ……解りやすい嘘だ。
 眼鏡をかけた横顔は嬉しそうに紅潮しているのだから、故意に龍一の肌を剥き出しにしたことは間違いない。
「――ったく、もういい。俺がやる」
 茜はもう一度咲耶に冷ややかな視線を浴びせ、巨大な蔦植物群へと向けて足を踏み出した。
 と、そこへ――
「頭を下げろ、茜!」
 凜とした声が響いた。
 茜が反射的に身を屈めるのと、何者かが疾風の如く宙を駆けるのが同時だった。
 真紅の閃光と共に白刃が煌めく。
 瞬く間に咲耶の生み出した蔦植物たちは鋭利な刃によって切り刻まれ、龍一を自由にする。
 呪縛を解かれた龍一が軽やかに着地する。
 僅かに遅れて、新たに出現した人物も華麗に地表へ降り立った。
 頭の上で一つに束ねられた黒髪が美しい流線を描く。その手には、冴え冴えとした刀身を持つ長刀が握られていた。
「ナイスタイミング、智姉!」
 純白の袴を身につけた相手の姿を確認して、茜はホッと胸を撫で下ろした。
「ちょっと、智美! 私の愉しみを奪うなんて、酷いじゃない!」
 すかさず咲耶が抗議の声をあげる。
 だが、非難された相手は長刀を己の肩に乗せると、大仰に溜息をついた。
 全身から放出されていた紅い神氣がスーッと引いてゆく。
「私も男前は嫌いじゃないけれど――今は葵のことが第一優先よ」
 そう凛然と言葉を紡ぐ顔は、咲耶と全く同じ造りをしていた。
「双子――なのか?」
 乱れたシャツを直しながら、龍一が確認するように茜に視線を流す。
 茜は無言で首肯した。
 袴姿の女性は――有馬智美。有馬家の長女であり、咲耶とは一卵性の双子だった。
 榊の血族は、昔から双子が生まれやすい家系なのだ。
「智姉がいてくれて、よかった。――俺たち、もう行ってもいいかな?」
 茜は即座に咲耶のことは智美に任せることに決めた。
 咲耶の相手をしていると延々母屋に辿り着けない畏れがある。折角智美が駆けつけてきたのだから、咲耶のことは彼女に引き継いで先を急ぎたかった。
「もちろん。母は留守だけど、美人なら離れにいるわ」
 智美が簡素に有馬家の現状を説明する。
 彼女の言葉を聞いて、茜は行き先を母屋から離れへと変更した。
 有馬美人に逢うために――




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Wed
2009.12.16[22:59]
 母屋を通過して更に奥へ進むと、ようやく有馬家の離れに辿り着いた。
 母屋よりも二回りほど小さい日本家屋だ。
 茜は庭に面した縁側から屋内に侵入すると、慣れた足取りで廊下を進んだ。龍一も無言で後を着いてくる。
 よく磨かれた廊下を一分ほど歩いた頃、
「――何度言ったら解るんだ!」
 何の前触れもなく、奥の部屋から凄まじい怒鳴り声が聞こえてきた。
 次いで、バシッ! と何かを叩くような不快な音が響く。
 茜は眉間に皺を寄せて、奥の部屋を睨めつけた。
「いいか、よく聞け! 美城(よしき)が不在の今、有馬家の当主はおまえだ!」
 荒々しさを伴った若い男の声が谺する。
 美城というのは、有馬姉弟の父親の名だ。
 本来ならば、有馬家の大黒柱として――そして、榊を支える分家筆頭として使命を全うしなければいけない立場にある男は、今現在有馬家にはいなかった。
 長男である美人が誕生した直後に出奔し、以来行方知れずのままなのである。
 美城の所在は杳として掴めず、もう十数年――血族の中で彼の姿を目撃した者もいない……。
 榊本家から嫁いできた妻の桐子が当主代理として、未成年の子供たちを庇護しつつ有馬家を切り盛りしているのが現状だった。
「榊など放っておけと言っているだろっ! ――葵がいないだと? 好都合じゃないか。おまえの何処があの双子に劣る!? この隙に本家を乗っ取ってしまえ!」
 また怒声と共に激しい物音が響き渡る。
「何だ、アレは?」
 龍一が怪訝そうに訊ねてくる。
「如月の叔父だ。桐子叔母さんが居ないのをいいことに、美人で遊んでやがる」
 茜は舌打ちを鳴らし、吐き捨てるように告げた。
 胸の奥底から怒りが沸々と込み上げてくる。
「如月――って、もしかして榊グループと事業提携している如月製薬のことかな?」
「そう……父の末の妹――鞠生(まりお)叔母さんが嫁いでいる。相手は如月祐介。如月製薬の取締役社長だ」
 茜は感情の籠もらぬ平淡な声音で説明すると、奥の部屋へと向かった。
「おまえが一つ頷きさえすれば、この有馬家だけではなく榊家の財産も名声も手に入るというのに! こんなにも私が目をかけてやっているのに、もどかしい奴だな、美人! 私はおまえを気に入っている。だからこそ余計に憎くもある。いっそのこと、その白い首――へし折ってやろうか」
 険のある如月の声。
 争うような物音が続いた後――突如として静寂が訪れた。
「――あっ……殺したいのなら殺せばいいでしょう。葵さんたちの両親を殺した時のように――」
 美人の苦しげな声がしたが、それすぐに凄まじい殴打の嵐によって掻き消された。
 龍一がハッとしたように茜に視線を流す。
「……証拠はない。けど、俺は事実だと思ってる」
 茜は冷ややかに応じた。
 二年前に交通事故で他界した父・保(たもつ)と母・志輝子(しきこ)。
 単なる交通事故でないことは一族の誰もが知っている。先代天主である保が交通事故などで死ぬはずがない。
 真相は定かではないが、保の友人であった如月が裏で暗殺を企て、父は友から与えられる死を享受したのだ――と大人たちはそう囁き合っている。 
 如月が両親の死に関与している確率は高かった……。
 脳裏に両親の顔が浮かんだが、茜はそれを打ち消すようにギュッと拳を握り締めた。
 わざと音を立てて廊下を進み、奥の間の障子を勢いよく開ける。
「こんにちは、叔父さん」
 茜は断りもなくズカズカと室内に足を踏み入れた。



ご来訪、ありがとうございます♪
現在、不定期&短め更新実施中です(汗) スミマセン……。

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Sat
2009.12.19[22:59]
 
 広い和室の中には、袴姿の美人と彼の胸倉を掴んでいるスーツの男が存在していた。
 二人は揉み合っていたようだが、茜の出現にピタリとその動きを止めた。
「有馬に遊びに来ているなんて、ちっとも知りませんでしたよ」
 茜は形だけの笑顔を浮かべて、スーツ姿の男を見下ろした。
 銀縁眼鏡の似合う三十代半ばの男――彼が如月祐介である。如月は冷淡に見える端整な顔立ちをしていた。
「それは、こっちの台詞だ」
 如月は臆することなく茜を見返すと、急に興味を失ったようにパッと美人から手を離した。神経質そうに眼鏡を片手で直し、茜と美人に視線を流す。
「来たばかりで悪いが、私は帰らせてもらうよ」
 至極冷静に告げ、如月は茜の横を通り過ぎようとする。
「どうぞ。でも――桐子叔母さんがいない時を見計らって美人をいたぶるのは、いい趣味とは言えませんね」
「おや、アレは私なりの最大限の愛情表現のつもりだが? いつからそんな葵みたいに嫌味な物言いをするようになったんだ、茜? 兄弟そろって可愛げのない……。ああ、そうだ。いい加減に私を後見人にしたらどうだ、と葵に伝えておいてくれ。では、失礼――」
 如月が口の端に冷笑を刻み、眼鏡の奥から鋭い眼光を浴びせてくる。
 彼は軽く鼻を鳴らすと茜の隣に立つ龍一に剣呑な一瞥を与え、部屋を出て行った。
「二度と来るな、サディスト野郎! 金に目が眩んだ下衆が……!」
 心の底からの罵りを吐き出し、茜は畳の上で顔をしかめている美人へ近寄った。
「……何者なんだ、あの男は?」
 思わぬ内輪揉めに遭遇して驚いたのか、龍一が茫然と呟く。
「おまえの同類だ」
「――どういう意味だ?」
「最低のヘンタイ」
 冷徹に茜は断言した。
 途端、龍一の唇から溜息が零れ落ちる。彼は不服そうに目を眇めて茜を見遣った。
「酷いな……。せめて私のことは純粋なヘンタイと呼んでほしいね」
「そこにだけはピュアさを求めたくない。――美人、大丈夫か?」
 龍一のボヤきをすげなく斬り捨て、茜は美人の傍らに膝を着いた。
 かなり強打されたのか美人の頬は紅く腫れ、唇からは血が滴り落ちていた。
 従弟の痛々しい姿を見て茜は眉をひそめる。
 同時に背後で龍一が大きく喉を鳴らした。
「それ以上、近寄るなよ。美人に手を出したら、即刻息の根止めてやるからな」
 すかさず茜は龍一を牽制した。
 魔族の好物は人間。殊に神族の血は彼らにとって至高の悦びをもたらすらしいのだ。
 龍一は美人の血の匂いを嗅ぎ、魔性の本能が疼き始めたのだろう。
「……承知している。少し――離れさせてもらうよ」
 龍一が苦しげに言葉を紡ぎ、部屋の入口まで身を退ける。
 鎌首を擡げ始めた魔族の性を理性で抑え込めるとは、流石は一条家の一員だ。下位の魔族なら本能に逆らえず、牙を剥き出しにしている頃だろう……。
 龍一が離れたのを確認してから、茜は美人の唇から流れる血を指で拭った。もう一方の手を従弟の肩に伸ばしかけた時、
「待って下さい、茜さん!」
 美人がハッと目を瞠り、慌てて身を引いた。
「関節が外れています」
 ひどく淡々と述べて、美人は右手を己の左肘へと運んだ。慣れた手つきで肘の辺りを何度か動かす。
「――あ、はまった。如月の叔父さんは加減というものを知らないから――困りますね」
 美人が関節の具合を確かめように軽く左腕を振る。『困りますね』と口にする割りには、従弟の顔は妙に涼しげだ。
 美人は如月に暴力を振るわれたことなどまるでなかったかのように流麗な仕種で和服の乱れを正すと、茜の方を向いてきちんと正座した。
 そんな従弟を改めて見つめ、茜は苦笑を湛えた。
「どうして、あんな奴の言いなりになる? 少しは《力》を使って逆襲してもいいんだぞ? 鞠生叔母さんに遠慮することもない」
「遠慮しているつもりはありませんが――普通の人には《力》を使うな、と母に言われていますので」
「お人好しすぎるんだよ、おまえは。あんな男が鞠生叔母さんの夫だなんて、考えただけでゾッとする。桐子叔母さんだって、あいつに対してなら力を駆使しても怒らないよ、きっと」
 茜は従弟に諭すように告げ、溜息を落とした。
 根が真面目すぎるのか、美人には一度決めたことを中々覆さない頑固な面があるのだ。おそらく余ほどのことがない限り、従弟が如月に神力を行使して鉄槌を下すことはないだろう……。
「桐子叔母さんは留守みたいだし、時間もないから手短に話すけど――いいな?」
 茜は如月のことを脳裏から追い遣ると、改めて従弟の端麗な顔を見つめた。
「はい」
 美人は入口にいる龍一にチラと視線を流したが、深く詮索をすることはなかった。
 余計なことを口にしない従弟の配慮に感謝しながら、茜は葵と風巳が誘拐された経緯を説明した。

「ああ、それで一条先生と一緒にいるんですね」
 龍一が魔族であることに対しては僅か一瞬柳眉をひそめたが、美人は事情を素早く呑み、彼と行動を共にしなければならない茜の事情も察してくれた。
「もしかしたら……如月の叔父さんが絡んでいるのかもしれません。あの人――葵さんがいないことを知っていましたよ。いきなり押しかけてきて僕をけしかけるから変だと思ったんです。なので、ちょっと鎌をかけてみたら、あの通りムキになって怒ったし――絶対に何か訳ありですよ」
 美人が冷ややかに言葉を紡ぎ、唇に微笑を刻む。その静かな微笑みには、如月に対する嫌悪が潜んでいた。
「探りを入れるのはいいけど――頼むから、あいつと二人きりの時には絶対に無茶はするな。美人に何かあったら、俺が智姉と咲姉に八つ裂きにされる……」
 茜は正面から美人を見据え、真摯に告げた。
 有馬家の双子の姉妹は、唯一の弟である美人をとても可愛がり、大切に護り続けているのだ。あの二人を本気で怒らせたら、血祭りに上げられることは必至だ……。
「如月の叔父さんか……。どうせ、あいつのことだから葵を二条繭羅に売ったんだろうな。それくらい平然とやる男だ。まあ、誰が相手でも葵は必ず取り戻してみせるけど。――美人、おまえは夏生のことを頼む」
「僕は……連れて行ってはくれないのですね?」
 ふと、美人が表情を曇らせる。
 黒曜石の双眸には『葵を助けたい』という強い訴えが宿っていた。
「如月の叔父さんじゃないけど――万が一、葵と俺が戻らなかったら、一族の長はおまえだ」
「ですが、茜さんはまだ体調も――」
「おまえしかいない」
 不服げに反論しようとする美人の声を遮り、茜は彼の頭を軽く撫でた。
「夏生と一族を任せられるのは、美人しかいない。もしも朝までに俺も葵も帰ってこなかったら――後のことは頼む」
「茜さん、僕は……」
 美人が不安げに茜を見上げ、口籠もる。
 そんな従弟の頭をわざと乱暴に撫で回し、茜は唇に弧を描かせた。
「北の冷泉(れいぜい)も南の円融(えんゆう)も美人になら従う。――まっ、俺は絶対に戻ってくるけどな。ちゃんと葵と一緒に帰って来るから、それまで夏生の傍にいてやってくれ」
 努めて明るい声音で告げ、茜は美人の頭から手を離した。
 榊の本家に有事があった際には、有馬家が天主代行を務める。それは遙か昔からの慣わしであり、他の二大分家――冷泉家と円融家も了承済みだ。
「……解りました」
 素直な美人にしては珍しく、不承不承に首肯する。
「話はついたみたいだね。そろそろ風巳様を助けに行きたいんだけど、いいかな?」
 茜たちの遣り取りを静観していた龍一が、ようやく口を挟む。
「まあ、今回は風巳様と葵を救出したらお互い速やかに撤収――って決まりだからね。君の大切なお兄様方はちゃんと無傷で返すから、あまり心配しないように」
 龍一が柔和な笑みを美人へと向ける。
「それじゃあ、美人――行ってくるから」
 まだ納得のいかないような表情を湛えている美人から視線を引き剥がし、茜はゆっくりと立ち上がった。
 身を翻し、龍一の元へ移動する。
「茜さん、どうかお気をつけて。――榊の家で待っています」
 部屋を後にする直前、気遣わしげな従弟の声が耳に届けられる。
 茜は振り向かずに頷くと、龍一と共に有馬家を辞した。



     「五.一条」へ続く



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Sat
2009.12.26[22:59]
五.一条



 龍一の運転するブルーシルバーのアウディに乗り、茜は同じM市にある如月家へと向かっていた。
 有馬家と如月家はさほど遠くはない。
 地図上での距離は直線にしてたかだか二キロ程度だろう。
 なのに、いつまで経っても龍一のアウディは如月家へ辿り着くことはなかった。
 塀に囲まれた如月家が視界に入った途端、空間がグニャリと歪曲し、アウディは否応なしにそこに呑み込まれたのである。
 一瞬、ジェットコースターで落下している時のような気持ちの悪さが車中の茜を襲った。
 思わず瞼を閉じ、再びそれを押し上げた時には、フロントガラスに向こう側に広がる世界は闇に包まれていた。
 何者かの紡ぎ出す異空間に引きずり込まれたことは明白だった。
「まいったね。繭羅(まゆら)の結界に引き込まれたらしい。行けども行けども――辺りは漆黒の闇だ」
 ハンドルを握る龍一が肩を聳やかす。しかし、言葉とは裏腹に大して困窮しているようには見えなかった。サングラスをかけた横顔には微かな笑みすら浮かんでいる。
「……みたいだな。ちょうどいい。疲れてるから仮眠する。――襲うなよ」
 龍一に釘を刺し、茜は大きな欠伸をしながらシートを倒した。
 昨夜から一睡もしていない。その上に葵の身を心配するあまりに精神的な疲労も溜まっている。
 どうせ結界内で身動きが取れないのなら、今のうちに少しでも身体を休めておきたかった。ただ、魔族である龍一が隣にいることだけが不安要素だ。無防備に眠りに就いている最中に血を啜られたりしてはたまらない。
「それは……色んな意味で難しいけれど――善処はするよ。まあ、確かに、お迎えの敵が来るまでは暇だし、こちらから出て行くのも癪だしね。休めるうちに休んだ方がいい。さっき君の従弟が懸念していたけれど――本調子じゃないのか?」
 龍一がアウディを停車させ、茜に倣ってシートを倒す。
「おまえのご主人様が俺の血をガッツリ吸ったからだろっ……! おかげで、俺は未だに貧血気味だ」
 茜は仏頂面で嫌味を投げつけると、龍一から顔が視界に入らないように背を向けた。
「あの人には、まだまだ血が必要なんでね」
 悪びれた様子もなく龍一は告げる。魔族にとって血は必須エネルギーなので、吸血行為に罪悪感を抱くことはないたのだろう……。
 古き時代から生き延び、強力な力を得た高位の魔物は血を呑まなくても生命活動に支障を来さないと云われている。だが、若い三条風巳は魔族として未だ成長過程にあり、多くの血液を必要としてるのかもしれない。
「どうして、一条家のおまえが三条家の風巳に遣えている?」
 思わず、茜は胸につかえていた疑問を唇に乗せていた。
 静かな異空間で魔族と二人きり――という面妖なシチュエーションが常よりも口を軽くしているのかもしれない。
 それに、魔族の内部事情など知ったことではないが、同じ魔族でも他家に従事することは殆どないはずなので珍しく感じていたのは事実だ。
「おや? それは私に興味を抱いてくれたと受け取っていいのかな、茜?」
 龍一が楽しげに笑う。
「茶化すなよ。まあ、興味はある――というか、訊きたいことは山ほどある」
 茜は再び寝返りを打ち、改めて龍一の方へと向き直った。
 視界の中、龍一の豪奢な金髪が輝いている。
「一条家の始祖は――神族だって聞いたことがある。一条家特有の金髪は神力の名残だとも……。そもそも神族だった一族が、どうして魔族に寝返ったのか知りたいね」
「……私も知りたいよ。祖先は祖先でも、何せ古の時代の出来事だからね。真相は闇の中――というか妖魅王が綴る《妖鬼伝》には記されているんだろうけど……。あの孤高の女王は書の在処をひた隠しにしているから知りようがない」
 龍一が微笑を湛えたまま淡々と言葉を紡ぐ。
「妖魅王の《妖鬼伝》か……。ああ、あのゲームを作ったのは糸紡ぎの女王なのか! なるほどね、だから制作者が《AYA》でNPCが《織姫》なんだな」
 突如閃いた答えに茜がハッと目を見開くと、龍一は無言で首肯した。
 茜と龍一が出逢うことになったオンラインゲーム《鏡月魔境》――あのゲームを構築したのは、魔族にも神族にも与せずに中立を保っている妖鬼族の王であるらしい。
 女だけの妖鬼族を束ねるているのが妖魅王だ。
 妖魅王の役目は神族と魔族の闘いを記録することにあると伝えられている。
 遙かな昔より妖魅王が記し続けているのが、神族と魔族のことを詳細に書き記した《榊妖鬼伝》と《条家妖鬼伝》という二冊の書なのである。
 運命の糸を紡ぐかのようにひたすら書を綴り続けることから、彼女はしばしば《綾織の女王》や《糸紡ぎの王》などと呼ばれる。
「妖魅王が現代に生まれ落ちているとすれば、目的は一つ――闘いの記録……か」
 茜は自分で導き出した結論に我知らず顔をしかめていた。
 現在、妖魅王がこの世に存在しているということは、即ち――大きな戦が勃発するということに他ならない。
「二十一世紀にもなって《戦》なんてどうかと思うけれど――運命の糸に操られて、そういう方向へ流れていくんだろうね、私たち魔族も君たちも」
「まだ大戦になると決まったわけじゃない。俺はそんなの御免だね。葵が天主の時に生まれてくるなよな、妖魅王も」
「葵が天主になることが解っていたから、生まれてきたんじゃないのか?」
 ふと、龍一の声に探るような色が織り交ぜられる。
「……おまえの名前、《一》で始まり《一》で結んであるよな。同じ文字で循環させて、輪廻転生がスムーズに行くように呪が施してある。――転生組なのか?」
 茜は龍一の問いには応えずに、質問で切り返した。
「そう、私は転生者だよ。前世の記憶は疎らに刻まれている状態だけど……。生まれ変わる度に、あまりいい死に方をしないみたいだね。だから、心配性の兄が私の身を案じて、現世では名前にまで術をかけたみたいなんだ。君は――転生組じゃないのか?」
 今度は龍一が訊ねてくる。
 神族にも魔族にも共通しているのは、時折前世の記憶を持った者が生まれてくるという点だ。
 血を繋ぐための人間とは異なり、彼らは前世から引き継いだ記憶や使命や信念に則り行動する傾向にある。
 また、時として前世に縛られ、翻弄され――悲しい結末を辿ることも珍しくはなかった……。
「俺は違う。多分、祖母も父も夏生も美人も転生組じゃない。俺たちは榊の血を絶やさないための《繋ぎ》のパーツだ。けど――葵は前世の記憶を持っている。生まれ変わる前のことは、俺にも滅多に話さないけど」
 最後の部分だけ不満げに呟き、茜は挑戦的な眼差しで龍一を見据えた。
「ああ、やっぱりね……。私は、君の双子の兄は、この世で最初に《天主》と呼ばれた存在の転生した姿なんじゃないかと踏んでいるんだけど? つまり榊家の当主を表す意味での天主ではなく――純粋な《天主》そのものだ」
「だったら、どうだって――」
 龍一の真意が掴めずに眉根を寄せた茜だが、突如として不吉な影が脳裏をよぎった。
「まさか、そっちの御大も原初の魔王の転生――とか云うんじゃないだろうな?」
「さあ? まだ私もお逢いしていないので即答はしかねるけど――転生者であることは間違いないね。もしも、魔王様も天主も妖魅王もみんな《繋ぎ》ではなくオリジナルの生まれ変わりだとすれば、今生はさぞかし熾烈で不毛な闘いに発展するだろうな――と、少し嫌気が差しているだけだ」
「俺たちの間に不毛じゃない闘いなんてあるのかよ?」
 茜が揶揄たっぷりに吐き捨てると、龍一は苦笑を閃かせた。
「――ないね。まあ、風巳様が無事であれば、戦の勝敗など私にはどうでもいいことだけれど……。有馬家で面白いものを見せてもらったから、茜には特別にさっきの質問の答えを教えてあげよう。私が風巳様に遣えているのは、風巳様の魔性を引き出したのが私だからだよ」
 龍一が茜から顔を逸らし、打ち明ける。サングラスに隠されて表情は窺えないが、彼の言葉には幾ばくかの寂寥と後悔が滲んでいた。
「私は……死にかけていた風巳様の生命を繋ぐために自らの喉を裂き、風巳様に血を与えたんだ。その時、あの人は生まれて初めて血の味を知った。だから、私には責任がある。あの人の傍にいて、あの人を護り――生涯を共にする役目がね」
 龍一が静かに語る。
 詳しいことはかなり省かれているようだが――とにかく龍一と風巳の間には複雑な事情が絡んでいるらしい。
 特別な結びつきのようなものがあるのだろう。
 そうでなければ、三条風巳と一条龍一という異例の主従が生まれるはずはない。
 思いがけず風巳のことを茜に吐露して感傷や自責の念が芽生えたのか、それきり龍一はピタリと口を閉ざしてしまった。
 奇妙な静寂が車内に充満する。
 無言の時がしばし流れる。
 仮眠をとるどころか気まずさを感じ始めた茜が口を開きかけた瞬間、ガタンッ! と派手な音を立てて車体が大きく傾いた。



中々戦闘まで進まない……(汗)
もしかしたら年内最後の更新になるかもしれません(滝汗)
亀更新続行中にも拘わらず、ご来訪下る皆様、本当にありがとうございます♪

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Wed
2010.01.06[22:59]
 バランスを崩した茜の腕を龍一が咄嗟に掴む。
 シートベルトを締めていないので、急激な車体の傾斜に身体がシートから浮いたのだ。龍一が機転を利かせて腕を掴んでくれなければ、側頭部か後頭部を窓ガラスに激突させていたことだろう。
 龍一は茜を支えていない方の手でハンドルを握り、辛うじて体勢を保っている。
 数度激しい揺れが続き――車体は急にピタリと動きを止めた。
 奇妙で不吉な静寂が車内を満たす。
 茜は困惑の眼差しで龍一を見上げた。すぐには何が起こったのか理解できなかったのだ。
「どうやらお迎えが来たみたいだね」
 茜の視線を受けて、龍一が唇に苦笑を刻む。彼が顎で背後を示すので、茜はつられるように首をねじ曲げた。
 助手席の窓にヌメヌメと光る奇怪な物体がへばりついていた。
「――うわっ、気色悪い……!」
 茜は恟然と目を瞠った。
 吸盤の付いた若紫色をした蛸の足のようなものが、車体を持ち上げているのだ。
 触手の直系は一メートル以上あるように見える……。
「潰される前に――跳ぶよ、茜」
 龍一が淡然と告げ、ハンドルを握っていた手を運転席のドアへと移動させた。
「オイ、ちょっ――!?」
 再び身体が傾斜する。
 茜の懸念を察したのか、繋がれた龍一の手に力がこもった。
 次いで、大きな爆音を轟かせて運転席のドアが吹き飛ぶ。
 外の空間への脱出口を確保したのだ。
 龍一は茜の腕を力強く引き寄せると、躊躇いもせずに運転席から外へと身を投じた。彼に手を掴まれている茜も当然後に続く。
 アウディの車体はいつの間にか地上から五十メートルほど離れた高みへと持ち上げられていたようだ。
 身体が急降下する。
 闇の底に着地した直後、龍一が素早く茜の腕を解放した。
 間髪入れずに、薄墨を溶かしたような闇の中から奇怪な触手が襲ってくる。
 茜は反射的にそれを手刀で払い除けながら、後方へ飛び退いていた。
 至極不愉快な《お迎え》が現れたせいなのか、気づけば先刻まで真っ暗闇だった世界はぼんやりとした灰色の景色に塗り替えられていた。
 暗闇の中で闘うことは相手も不得手であるらしい。
 闇が薄れたおかげで、敵の正体も容易く肉眼で捉えることができた。
 体長二十メートルはありそうな巨大な化け物だ。
 潰れた蛙のような胴体から蛸の足の如き触手が伸び、うねっている。
「……蛙と蛸の混合かよ」
 巨大魔魅をしかめっ面で見上げ、茜はボヤいた。
「下級魔だね。しかも、繰魔だ」
 巨体を引き摺るようにしてこちらへ向かってくる魔魅を一瞥し、龍一がフンと鼻を鳴らす。
「――繰魔?」
 茜は柳眉をひそめ、説明を求めて龍一に視線を流した。
「魔物の匂いがしない。それに、繭羅はこんなちゃちな玩具も部下も持ってはいないよ。さっき君と前世や転生について話した時に、チラッと思い出したんだけれど――如月祐介、私とは前世の何処かで逢ってるみたいだね」
 龍一が面白くなさそうに言葉を紡ぐ。
 ――そういえば、龍一と擦れ違う時、やけに険しい顔してたな、あの人……。
 ふと、脳裏に有馬家での何気ないワンシーンが甦る。
 茜の隣に佇んでいた龍一に対して、如月は明らかに敵意を向けていた。
「私の記憶が正しければ――過去の何処かで……私は彼に殺されているね。つまり彼は普通の人間どころか、私たちと同じ能力者であり転生者だということだ。彼が普通の人間だなんて――嘘を吐いたね、茜」
 龍一が不満げに声のトーンを落とす。
「普通の人――って言ったのは、俺じゃなくて美人だし……」
 龍一から非難の眼差しを向けられ、茜は言い訳がましい言葉を口にした。
 龍一を謀るつもりはなかったが、積極的に真実を告げる気にもなれなかっただけだ。
 だが、過去世で龍一と如月に接点があるのなら、如月の血筋のことを隠蔽するのは不可能だし――無意味だ。
 茜は溜息を吐きながら片手で髪を掻き上げ、改めて龍一に視線を据えた。
「いや、別に嘘を吐いたつもりも騙すつもりも隠すつもりもない。アレは俺たち神族にとっても厄介な存在だからな。妖鬼族が第三勢力なら、アレは第四の勢力ってことになるのかな。魔魅遣い――混沌(カオス)の一族だ」
「ああ……元は我らの同胞か。魔魅を増殖させ、調教する役目を担っていた下級魔たちが、戦国の混乱に乗じて魔王様を裏切り、離反したんだったね、確か……」
 龍一が胸の奥深くに仕舞われた記憶を手繰り寄せるように眉根を寄せる。
「そう、魔族とは異なる道を歩むことに決めた魔魅遣いの一族たちだ。血を繋ぐために神族、魔族、妖鬼族――全ての一族と子を成してきた奴らは、今ではかなりの力を有している。その力を榊家にも取り込もうと目論んだのか、お祖母様は鞠生叔母さんを如月祐介に嫁がせた。幸か不幸か、二人の間にはまだ子供はいないけどな」
「私たちのいいところ取りをした結果かが――アレとはね」
 龍一がひどく不愉快そうに、蛙と蛸の合わさったような魔魅を見遣る。
 綺麗なものに惹かれる彼には、醜悪な魔魅の存在が心底耐えられないのだろう。
「如月氏の美的感覚は最悪だね」
「残念だけど、そうでもないみたいだ。鞠生叔母さんて三十を過ぎたばかりなんだけど、それはそれは綺麗で少女みたいな人なんだ。あいつは昔から叔母さんに惚れてたみたいだけど、叔母さんの方は全く相手にしない。結婚した今も拒絶し続けている。だから、美人に暴力を振るう――」
「如月氏がそれなりの美意識の持ち主だということは解ったけれど、どうしてそれが君の従弟に繋がるのか――教えてほしいね」
 龍一が興味津々の体で言葉を紡ぐ。
 茜は口の端に微笑を刻むと、不気味な魔魅を冷ややかな眼差しで見つめた。
「美人が鞠生叔母さんにそっくりだからだよ。あいつは自分の妻に拒まれ続け、けれど面と向かって文句を言うこともできないから、瓜二つな美人に八つ当たりするんだ。――ねえ、叔父さん、どこか間違ってるかな、俺?」
 刺々しい言葉を放ち、茜は鋭い眼差しで魔魅の上空を睨めつけた。
 転瞬、
「黙れ、茜っっ!!」
 ヒステリックな声が頭上から降り注ぎ、灰色の世界に如月祐介が姿を現した。



40000HIT ありがとうございます♪

茜、葵と夏生が一緒じゃないと若干毒舌気味に……(汗)
次こそ戦闘シーンに突入できると思います←

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Mon
2010.01.11[09:38]

 蛙と蛸のキメラのような魔魅の真上に、如月が浮いていた。
 主人の出現を喜ぶように、吸盤のついた太い触手がさわさわと揺れる。
「小僧の分際で生意気なっ! 生粋の神族に、我ら異端のものの心情など解るものか!」
 如月が銀縁眼鏡の奥で双眸に憎悪の灯火を点け、茜を睥睨する。
「そんな歪み捻れた気持ちなんて――解りたくもないね」
 臆せずに茜が棘のある言葉を返すと、如月は心底口惜しそうに歯噛みした。
 強い仇視の視線が茜を射る。
「鞠生のことは――どうでもいい。神族など一人残らず滅んでしまえばいいのだ! 夏生も智美も咲耶――皆、餌として魔魅にくれてやる。最後に、葵とおまえを慕っている美人を我々が魔魅を従える要領で調教し、私の操り人形にしてやる!」
 如月の口から呪詛の如き下劣な言葉が飛び出す。
 彼の怒りに呼応するように魔魅の触手が激しく揺れ動いた。
「随分と彼に嫌われてるようだね」
 如月の怒り具合に辟易したように、龍一が揶揄混じりの視線を茜に流す。
「欲しいものが手に入らないから癇癪を起こしてるだけだろ。あいつは神族になりたいくせいに、俺たちのことが大嫌いなんだよ……」
「憧憬と嫉妬――か。混沌の一族らしい二律背反だね。ところで、彼の嗜虐リストに私は入っていないみたいだけど?」
「魔族――っていうか、年増は趣味じゃないんだろ」
「年増? 失礼な。私はまだ二十四だぞ」
 龍一が不本意そうに眉根を寄せる。
 茜は無言で肩を竦めた。如月の思惑も趣向も茜の興味の対象ではない。
 そもそも鞠生の夫でなければ、一生言葉を交わすこともなかっただろう相手だ。
「何をごちゃごちゃ言っている! ――フンッ。行け、魔魅。あいつらを八つ裂きにしろ!」
 怒りに燃える眼差しを茜と龍一に注ぎ、如月は鋭い声で魔魅に命じた。
 魔魅が奇声をあげ、主に応えるようにひしゃげた蛙のような巨体を震わせる。
 魔魅が歩を進める度に灰色の世界が震動し、ヌメヌメと輝く触手が獲物を求めて蠢く。
「やっぱり美人か夏生を連れて来ればよかったかな……。俺、この手の魔魅はどうも苦手で――」
 茜が嘆息すると、龍一は口の端に笑みを刻んだ。
「苦手なんじゃなくて――体力を温存させておきたいだけじゃないのか?」
「だから、おまえのご主人様が容赦なく吸血したから悪いんだろ……!」
「仕方ないね。茜は下がっていていいよ」
 龍一が苦笑を湛え、サングラスを取り外す。
 その双眸は黄金色に輝いていた。
 臨戦体勢に入ったのだろう。
 龍一が一歩前に進み出た瞬間、魔魅の紫色の触手が一斉に彼に躍りかかった。
 数多の触手が龍一の身体に巻き付き、動きを封じる。
 だが、龍一特別抵抗するとこもなく、触手に身を預けている。
 ――自ら囚われて、どうする気なんだよ……!?
 茜は猜疑の眼差しを龍一へ向けた。
 龍一には魔魅を攻撃する意志がないようにさえ見える。
 しかし、そう思ったのは茜の早合点で、龍一が緩慢な動きで触手を片手に握ると、彼の黄金の髪はますます眩さを増した。
 魔魅に身を戒められているにも拘わらず、龍一の顔には笑みが広がり、瞳が喜びを表すように濡れた輝きを放つ。
 そこでようやく茜は、龍一が魔魅から生体エネルギーを吸い上げているのだ、ということを理解した。直接獲物に牙を突き立てなくても、触れた肌から魔力や生体エネルギーを吸収することが龍一には可能であるらしい。
 触手を掴んだ龍一の指に力が込められる。
 長く鋭く変化した爪が魔魅の触手を突き破った刹那、金色の髪がパッと一気に伸びた。
 二十メートルほどに成長した目にも鮮やかな金糸が、蠱惑的に宙を舞う。
 ――綺麗だな。
 乱舞する金の髪を眺め、茜は僅かに目を細めた。
 いまだかつて、これほどまでに完全な人間体で――しかも美しい魔族にお目にかかったことはない。
 龍一が魔族の中でも高位に位置する一条家の者であることの証だ。
 彼は『風巳を助けるために茜の力がほしい』と言っていたが、本当はそんな必要など端からなかったのかもしれない……。彼はただ、確実に風巳を救出するための保険として茜に協力を求めただけなのだろう。
 龍一が黄金色に煌めく瞳で魔魅の本体を見据えた。
 瞬時、怯んだように魔魅の巨体が大きく震え、触手がピタリと動きを止める。
 その隙を狙ったように、龍一の髪が魔魅の触手を搦め捕った。
 直後、醜悪な蛙のような胴体から全ての触手が勢いよく引き抜かれる。
 ぐえぇぇぇぇっっっっっっ!!
 身体中の触手を強奪された魔魅が奇怪な叫びをあげ、地をのたうち回る。
 緑色の体液が四方八方に飛び散った。
 龍一は切り離した触手群を無造作に投げ捨てると、断末魔の叫びをあげ続けている魔魅に冷たい一瞥を与え、次に頭上の如月を振り仰いだ。
「魔族に堕ちた分際で、未だにその形(ナリ)とは笑わせるな……」
 龍一と目が合った瞬間、如月が忌々しげに眉を跳ね上げ、舌打ちを鳴らす。
 如月の皮肉を冷笑で跳ね返し、龍一は彼が逃げ出す前にその身に髪を巻き付け、捕縛した。そのままゆっくりと――如月の恐怖を煽るかのように丁寧に彼を引き寄せる。
「繭羅の本拠地は何処だ? 風巳様を何処へ隠した?」
「――知らないな」
 フイッと如月が顔を逸らす。
 龍一は髪を操って更に如月を間近まで寄せると、唇に綺麗な弧を描かせて微笑んだ。
 鋭く変形した二本の犬歯がチラと覗く。
「血を吸われたいのか?」
「私は……二条の姫の行方など知らない。ただ……西の方に館があるとしか――」
 苦しげに言葉を紡ぐ如月。
 それだけ聞くと、龍一は呆気なく如月を解放した。
 緊縛されていた苦痛にむせぶ如月を尻目に、龍一は踵を返した。
「この世界の西に繭羅の拠点があるようだよ」
 長い髪を艶やかに舞わせたままの姿で、龍一が茜の傍へ戻ってくる。
「魔族のくせに如月の叔父さんは殺さないんだな?」
「今は昔とは違うからね。殺せば――即逮捕だし、如月氏は表の世界でも名の通った企業家だから、隠蔽するにも色々と面倒がかかる」
 龍一が困ったような微笑を湛える。
 今の世は、生物の血液を好む魔族にとっては非常に生きにくいのだろう。普通の人間に紛れて生活を営むために、彼らは細心の注意を払って獲物を物色し、殺さぬ程度に血を啜ることで現代を生き延びているのかもしれない……。
「……まあ、いいさ。殺したって利は少ないし、コレに懲りてしばらくは叔父さんも大人しくしてるだろ。それにしても――その髪、凄いな」
 自由自在に乱舞する長い金髪を見上げ、茜は素直に感嘆の声を洩らした。
 二十メートルもある髪が地に着かずに、風もないのに靡いているいるのだから不思議だ。
 金糸をはためかせ、金色の双眸を輝かせる姿は、魔族だというのに妙に神々しい。
「これは――風巳様にだってあまり見せたことはないんだよ。この姿は嫌いだからね」
「何で?」
「この姿になると嫌でも思い出す。我ら一条家が神族を裏切った堕天であることを――」
 ひどく静穏に告げ、龍一はあっという間に元の姿に戻ってしまった。いや、先ほどまでの姿こそが生来のものなのだろうが……。
「昔話をしている暇はないね。早く風巳様を助けに行かなければ――」
 金から鳶色へと変色した双眸に切実な想いを閃かせ、龍一は西の方角へと身体を向け、歩き始めてしまう。
「忠犬ハチ公みたいな奴だな」
 三条風巳に対する龍一の忠義に半ば感心しながら、茜は何気なく魔魅を見遣った。
 触手をもぎ取られた本体は、仰向けに引っ繰り返った状態で痙攣している。
 だが、その傍らにも灰色の世界の何処にも如月の姿はなかった。
 悶絶する下僕を見捨てて、さっさと身を潜めたらしい。
 ――あいつは心底榊一族を嫌っているようだけど、流石に葵を手にかけてはいないだろう。
 妻である鞠生の逆鱗に触れるような真似は、如月には出来ないはずだ。口では何と言おうと、如月は惚れ込んでいる鞠生には弱い。
 ――葵、頼むから無事でいてくれ。
 茜は脳裏に己の半身を思い浮かべると、身を翻して龍一の後を追った。



     「六.最果ての契り」へ続く



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Wed
2010.01.13[22:59]
六.最果ての契り



 トクン、と心臓が跳ねた。
 金色の輝きを視野の端に捉えた途端、訳もなく胸が高鳴り、全身の血がざわついた。
 ――何故だろう?
 氷上遼(ひかみ りょう)は、少し離れた場所を歩く後ろ姿を眺め、眉をひそめた。
 長い金髪がサラサラと揺れている。
 陽の光を浴びて金髪がより一層美しい光輝を放っている。
 大学の構内――人目を引く金髪を靡かせながら歩いているのは、確か『一条』とかいう名前の院生だったような気がする。
 彼がどの学部に所属し、どの教授の下で研究に勤しんでいるのかは不思議なことに判然としない。
 周りの友人らに訊ねても『そんな派手な人、院にいたっけ?』と首を傾げられる始末だ。
 だが、最近キャンパス内でよく見かけるし、今もこうして自分の前を歩いているのだから、彼が同じ大学の先輩であることは間違いないだろう。
 この頃、よく彼の姿が目につく。
 数週間前に姉と喋っているのを見かけた瞬間から、何故だか遼はその青年に興味を惹かれていた。
 金髪に縁取られたその顔が、男性とは思えぬほど綺麗だったからかもしれない。
 ゲームの製作会社に勤務する姉の綾は、自らが手がけたオンラインゲーム《鏡月魔境》のスマッシュヒットのおかけで多忙を極めている。
 忙しさゆえか、綾は気難しい顔や思い詰めたような表情をすることが多くなった。
 ふと気がつくと険しい眼差しで宙を睨んだり、放心したように遼を凝視していることさえあるのだ。
 姉想いの弟としては、綾のそんな憔悴した姿は見るに耐えなかった。かといって、大学生である自分が仕事に関して何を手助けしてあげられるわけでもない……。
 そっと見守るだけの日々が続いたある日――大学の近くで綾と喋っている金髪青年を見かけた。
 遠目からでも二人が深刻な表情で会話を交わしているのが解った。
 二人の間には静かな緊迫感が漂っており、非常に声をかけづらい雰囲気だった。
 結局、遼は金髪青年が立ち去るまで姉の名を呼ぶことは出来なかったのである。
 青年が去った後に遼が姉を呼び止めると、彼女はひどく驚いたような顔で遼を振り返った。
『今の人、誰?』
 単刀直入に訊ねた遼に対して、綾は曖昧な笑みを浮かべこう言ったのだ。
『一条遙。古い友人よ』
 応えた姉の声には何処か苦々しさが滲み出ていた。
 勝手な憶測でしかないが、もしかしたら中学か高校で交際していた相手なのかもしれない。金髪青年は、遼よりは年上――つまりは綾と同年代に見えた。
 その時は『派手な美形とつき合ってたんだな』くらいの感想しか抱かなかった。
 だが、大学の構内で一条遙の姿を目撃した時、胸を鷲掴みにされたような衝撃が全身に迸った。
 同じ大学に属していたことに驚いただけではない。
 行き交う学生たちの中に、一条遙の横顔を発見した刹那、心の奥底から郷愁にも似た切なさが込み上げてきたのだ。

 以来――夢を見る。

 闇の中を彷徨い、乱舞する羽に包まれた金色の佳人の夢を。
 一条遙と思しき人物を彼が見つけた途端に、世界は血の色に塗り替えられ、唐突に夢は終わりを告げる――
 
 夜ごと不可思議な夢を見るせいか、現実世界でも自然と黄金色の髪を目で追うようになっていた。
 今もまた遙の姿を無意識に視野に納めている。
 姉の知り合いの男性を急に意識し出すなんて、自分でもどうかしていると思う。
 なのに、遼は一条遙から目を離すことが出来なかった。
 
 りん――

 と、何処かで鈴の音が響いた。

 不意に、前を歩いていた遙が歩みを止める。
 その手から鞄が離れ、スローモーションのように地面に落下する。
 遙の右手が心臓の辺りを押さえ、細身の身体がゆらりと傾く。
 遼は反射的に駆け寄り、彼の肩を抱くようにして支えていた。
「――大丈夫ですか?」
 支えた身体の軽さと薄さに驚きながら遼は遙の顔を覗き込んだ。
「ええ――」
 青ざめた顔が遼を見上げる。
 視線が合致した瞬間、

 りん――

 再び遠くで鈴が鳴った。

 カラーコンタクトでも使用しているのか冴え冴えとしたブルーに輝く遙の双眸が遼を見つめ――次いで大きく瞠られた。
「どこか具合でも悪いんじゃないですか?」
「……少し眩暈がしただけです。心配は要りませんので、離して下さい」
 遙に指摘されて、遼はそっと彼の肩から手を離した。
 想像していたよりも冷淡な声音に妙な焦燥を覚えて、遼は離した手を地面に伸ばして遙の鞄を拾い上げた。
「ありがとうございます」
 遙が遼から鞄を受け取り、軽く頭を下げる。
 そのまま踵を返しかけた遙の手を、遼は自分でも不思議なほど自然に掴み取っていた。
「――何か?」
 遙が渋々といった様子で足を止め、冷ややかな眼差しで遼を振り返る。
「いえ、あの、昔――何処かで逢いませんでしたか?」
 自分でも彼を引き止めた理由が解せずに、遼は脈絡もなくそんな質問を浴びせていた。
「いいえ」
 何の逡巡もなく遙が応じる。
 ふと、その蒼き眼差しが遼から逸れ、虚空を見上げた。
「……りゅう……いち――」
 形の良い唇が小さな呟きを発する。
 直後、青ざめた顔からは更に血の気が失せた。
「急用がありますので、失礼させていただきます」
 一条遙は硬質な声音でそう告げると遼の手を振り払い、足早に去っていく。
 遼が唖然としている間に彼の金髪は人混みの中へと消えていった。
「俺……何やってんだろ?」
 遼は遙に振り払われた己の手を見下ろし、茫然と独りごちた。

 また逢えた。

 遙の双眸を正面から捉えた瞬間、心の中でそう強く思った。
 彼に触れた時、確かに言い表しようのない懐かしさと感慨――そして、愛おしさを感じた。
 
 再び巡り逢った。
 だから、目醒めなければならない。

 強烈な想いが胸を衝く。

 ドクンッ。
 心臓が昂ぶりを示すように大きく跳ねる。

 意識の奥深くで眠りに就いていたはずの《何か》が力強く鼓動し始めた――


     *



アレ? 後半、女の子が殆どいません……orz
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Sat
2010.01.16[22:59]

     *


 次の世でお待ちしております。

 そう云って女は笑った。
 朗らかで、誇らしげな笑顔だった。

 金色の髪と瞳が美しい女だった。
 ようやく主の許しを得た男は、戦が終結した暁には女と婚儀を結ぶ手筈となっていた。
 宿敵である神族との闘いは、魔族側の圧倒的勝利でもうじき幕を下ろす。

 血生臭い戦国の世は、魔族にとっては有利に事が運んでいた。

 余裕だった。
 楽勝だった。

 なのに――肝心なところで謀反が起こった。

 魔魅を飼育し、調教する役目を担っていた下っ端の一族が魔王に叛旗を翻し、離反を企てたのだ。
 彼らは密かに繁殖させていた魔魅を使って、同族であるはずの条家に牙を剥いた。
 
 四条・六条・九条・上条・下条・久我条――と次々と名だたる条家の者が魔魅たちに喰い荒らされていった。

 おぞけを催すような凄惨で醜い共喰い――

 魔魅遣いたちの凶行は、無論男や女の家にも及んだ。

『――さま……三条様、急ぎお逃げ下さい』
 紫紺の着物を翻しながら女は男を屋敷の裏口へと導いた。
『姫! どうか姫も共に――』
 懇願する男に対して、女はゆるやかに首を横に振った。
『魔王様をお護りするのがあなた様の使命です。そして、わたくしにはこの屋敷の家人を護る役目がございます』
 女の黄金色の双眸に迷いはなかった。
『もしも……もしも、来世で邂逅することがあれば、その時はまた――』
 女の白い手が男の手に重ねられる。
『ああ、生まれ変わったその時は、必ずやまた契りを交わそう』
 男は細い指に己の指を絡めると、力強く女を抱き寄せた。
 眩い金の髪に顔を埋め、女に対する全ての想いを込めて耳元で囁く。
『俺の妻は――未来永劫、姫だけだ』
『そのお言葉だけで充分でございます』
 女がそっと身を引き剥がす。
 男は、女の指先が離れるのを痛切な想いで眺めていた。

 屋敷の中から絶叫が迸る。
 屋敷の随所で火の手が上がり、巨大な魔魅たちが我が物顔で暴れ回っている。

『心よりお慕い申し上げております』
 女の金色の髪がさわさわと揺れ、宙を舞う。
 同時に、女の背後――屋敷の裏手に三つの頭を持つ大蛇が姿を現した。

『あなた様より少しだけ早く――次の世でお待ちしております』
 女が心底幸せそうに微笑む。
 長く伸びた金色の髪が勢いよく男の胸を突き、屋敷の外へと弾き飛ばす。
 
 迅速に閉ざされる裏門――

 それが、己が目で女を見た最後の瞬間だった。


     *



 
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Sun
2010.01.17[00:00]
     *


 鈍色の世界に雨音が響く。

「……雨が降っている」
 太い鉄格子の填められた窓から外を覗き、榊葵は何とはなしに呟いた。
 二条繭羅の隠れ家と思しき結界内の屋敷に連れてこられてから、丸一日が経過しようとしている。
 葵は牢のような部屋に三条風巳と共に幽閉されていた。
 繭羅の結界内に閉じ込められてはいるが、部屋から出られないこと以外は特に不自由はない。室内には生活必需品が備えられているし、食事は三食きちんと運ばれてくる。
 今のところ二条繭羅に葵を抹殺する意志はないようだ。
「――ったく、俺まで一緒に牢に入れやがって……!」
 背後で小さな罵りが聞こえたので、葵は窓外から視線を外し、振り返った。
 壁際に設えられたベッドの上で、三条風巳が窮屈そうに長い手足を放り出している。
「俺に葵を喰えって言ってんのかよ、繭羅の奴……!」
 天井を見上げながら毒づく風巳の横顔は、常よりも血色が悪かった。
 繭羅に拉致されて以降、どうやら彼はずっと気分も体調も優れないらしい……。出された食事にも殆ど手をつけず、脱力したようにベッドに横になっている。
「食されるのは困るよ。普通の食事でもエネルギーを摂取できるんだから、次に出された食事は無理にでも喉に通した方がいい」
「食べたくない」
 葵が親切心から告げた言葉は、風巳のにべもない一言によってはね除けられた。
 仇敵である魔族に対して親切心を出すこと自体が間違っているのだが、不思議と葵には彼を邪険に扱うことが出来なかった。クラスメイトとして過ごす内に、妙な情が芽生えてしまったのかもしれない……。
「風巳――本当に具合が悪そうだけど、何か病気でも患っているの?」
 葵は溜息を落としながらベッドへと歩み寄った。
 魔族や神族といえども怪我もすれば病気にも罹る。ただ、常人より少しばかり抵抗力と回復力が強いだけだ。
「知らねー。風邪だろ。身体が怠い。重い。熱い。……心配なら血の一滴でもくれよ、葵」
 ベッドの上で首だけを動かし、風巳が葵を見遣る。口の端には皮肉げな笑みが刻まれているが、その双眸は真摯な光を湛えていた。時折、眼睛にチラと赤光が走り、彼の裡に潜む魔性を覗かせる。
「残念だけど、二条さんの蝶に神氣を吸われたのか、僕も自分の裡を整えるのであまり余力はないよ。万全なら今頃風巳を連れて脱出している」
 ベッドの端に腰かけ、葵は風巳の青白い顔を見下ろした。
「へえ、俺のことも助けてくれるんだ? 敵なのに――」
 風巳の唇にまた薄笑みが浮かぶ。
「敵だけど、一応クラスメイトでもあるからね。それに僕は、自分の仲間すら平然と巻き込み、傷つけるような二条さんのやり方は好きじゃない」
「……甘いな」
「甘いね。だから、よく弟や妹に叱られる――」
 葵は自嘲気味に笑み、脳裏に茜と夏生の姿を描いた。
 きっと二人とも帰宅しない葵の身を案じて、じりじりしているに違いない。早く二人に無事な姿を見せるためにも喪った神力の回復を待ち、繭羅の結界を打破しなければならない。身体の不調を訴えている風巳には申し訳ないが、血の一滴すら無駄にはできなかった。
「叱ってくれる相手がいるだけマシだろ」
 ふと、風巳が葵から視線を逸らし、再び天井を見つめる。
 含んだ物言いが気になった。
 まるで風巳には彼の身を心配したり、過ちを正してくれるような身内が存在しないかのような口振りだ。
 だが、葵がそれを追及するよりも早く、
「――遅い」
 風巳が片手で髪を掻き上げながらポツリと呟いた。
「何が?」
「龍一」
 天井を見つめたまま風巳は素っ気なく応じる。
 龍一というのは、確か風巳の傍に遣えている一条家の者だったはずだ。一条家の龍一が三条家の風巳に従っているのには、何か複雑な事情があるのだろう……。
「いつまで、こんな退屈な場所で待たせる気だ」
「彼を信じてるんだね?」
「――信じる? 俺が? 龍一を……?」
 何気なく放った葵の質問に、思いがけず風巳が過敏に反応を示した。
 戸惑ったように視線を宙に彷徨わせ、やがて諦念したように重苦しい溜息を吐いた。
「確かに……そうなのかもしれない。あれと一緒にいると妙に落ち着くし、知らずの内に本心まで明かしてしまう。基本、俺は他人を信用しないけど――龍一だけは別みたいだな。日常の一部になってる感じがする……」
 風巳が淡々と語る。体調が芳しくないせいで気も弱っているのか、今の風巳はとても無防備で素直に己の心情を吐露している。
 こうして静かに会話をしていると、本当にただの同級生のような錯覚を抱いてしまう。
「でも、全てを晒したわけでも委ねたわけでもない。龍一が邪魔になれば、この手で始末する。魔王の地位を手に入れるためならば――俺にはそれができる」
 何の感情も籠もらない声音で風巳が断言する。
 ――本当にできるだろうか?
 葵は声には出さずに心の中に疑問を落とした。
 いくら次期魔王候補である風巳でも、一つくらいは弱味があるはずだ。
 そして、おそらくそれは、今、彼の口から訥々と語られている一条龍一の存在に他ならない。
 葵にとっての最大の弱点が双子の弟・茜であるように……。
 その、掛け替えのない相手でも邪魔であれば殺す――と風巳は告げた。
 自分に茜を殺害することなどできるだろうか?
 考えて――葵は身震いした。
 できるはずがない。
 茜は己が半身だ。
 喪う痛みも苦しみも哀しみも――何一つ味わいたくない。
「魔王の座を手に入れても、一番大事なものが指の隙間から零れ落ちてしまったら、それは、とても……虚しいね」
 葵は微かな憐れみを込めて風巳を見下ろした。
 直ぐさま、風巳の剣呑な眼差しが返ってくる。
「……どういう意味だ?」
「魔王は、本当は魔王になんかなりたくなかったんじゃないかな? そして、僕なら――天主の立場よりも茜を選ぶってこと」
「――天主失格だな」
「そうだね。失格だよね」
 呆れ混じりの風巳の宣告に、葵は微苦笑で応じる。
 直後、鍵が外される音が響き、ドアが開いた。
 開け放たれたドアから二条繭羅が姿を現す。
 彼女は純白のセーラーを華麗に翻し、颯爽とした足取りで入室してきた。
「王子様がお迎えに来たみたいよ」
 繭羅は葵と風巳を見回すと不愉快そうに告白した。
 葵は怪訝な眼差しを繭羅へ注ぎ、風巳はフンとつまらなそうに鼻を鳴らした。
 繭羅の言葉から察するに何者かが、この結界の内に侵入したらしい。葵か風巳を救出するためだろうが、侵入者が誰なのかまでは繭羅は情報を開示してはくれない。
「あなたには別の部屋へ移ってもらうわ」
 繭羅の視線が葵を射る。
「万が一、彼らがここを発見して、二人まとめて助けられたら困るもの。――さあ、神族の天主を連れて行きなさい」
 繭羅の命令を機に三人の男が部屋に入ってくる。
 男たちは葵の腕を両側から掴み取ると、強い力で部屋から連れ出した。
 一瞬、葵は風巳に視線を投げたが、男たちに抗うことはしなかった。
 繭羅は『彼ら』『二人まとめて』と確かにそう口走った。
 それはつまり侵入者が複数で、しかも葵と風巳の双方を捜しているということだろう。
 ――茜……。
 葵は胸中でそっと双子の弟の名を紡いだ。
 転瞬、身体の奥深くで眠りについてた神氣の塊――金色の神鳥《天晶》がゆるり鎌首をもたげた。
 ――茜が近くまで来ている。
 おそらく天晶は誰よりも近しい神氣を感じ、それに呼応して目を醒ましたのだ。
 葵は身近に弟の存在を感じて、安堵と嬉しさに思わず口元を綻ばせていた。
 繭羅に奪われた神力が戻り始め、尚かつ茜が傍にいるのならば――葵には何も怖いものはなかった。



 
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Fri
2010.01.22[22:59]
 三条風巳は、繭羅の部下たちによって榊葵が連れ去られるのを阻止する訳でもなくただ漫然と眺めていた。
 繭羅の蝶によって意識を奪われ、再び目を開けた時から酷く頭が痛い。
 全身も絶えず火照っているような感じだ。
 重い疲労感に苛まれているせいか、思考は鈍く、集中力にも欠いている。
 頭頂から爪先まで大量の砂をかけられたかのように重苦しかった。
 血が足りていないわけではないだろう。
 昨日の朝にちゃんと龍一から血を分けてもらったし、貧血なら喉の渇きに耐えられずに葵を襲ってその喉笛に噛みついていたはずだ。
 魔力を駆使するための血液は足りている。
 この異様なまでの倦怠感と疲労感は、何か変化の兆しなのだろうか――
「思い出したくない――と、本能が無意識に前世の記憶を封じ込めているから、肉体に負担がかかってるんじゃないの、風巳?」
 ベッドの傍に歩み寄ってきた繭羅が、渋面で風巳を見下ろす。
「……何のことだ?」
「自分が転生者だってこと、薄々気づいているんでしょ?」
「…………」
 繭羅に探るような眼差しを向けられて、風巳はきつく眉根を寄せた。
 条家に生まれる者は転生者が多い。三条家の直系である自分も十中八九そうなのだろう。
 自分が本来の力を発揮できていないのは、熟知している。
 他者に比して魔力が劣っているのは、前世の記憶を取り戻しておらず、未だ覚醒していないことが原因であることも重々承知している。
 風巳本人は早く覚醒したくて幼い頃からずっともどかしく感じてきた。なのに、繭羅は風巳がいつまでも覚醒しないのは風巳自身の『無意識の意識』だと指摘しているのだ。
「わたしは子供の頃にさっさと前世の記憶を取り戻したから、それほど苦しまなかった。風巳だって本当はきっかけなんて幾らでもあったのに――自ら覚醒を拒んでいるのよ。前世の記憶を取り戻すことを畏れているのよ」
「誰よりも次期魔王の地位を欲している、この俺が?」
 風巳が双眸に剣呑な輝きを灯すと、繭羅はほんの少し哀しげに微笑んだ。
「風巳はね、そう思い込みたいだけなの。あなたのソレは――建前なのよ」
「……何の?」
「前世の記憶のない風巳に、わたしが答えを告げたところで何の意味もないわ。覚醒を拒否し続けるにもそろそろ限界が来ているようだし――そうね、思い切って龍一さんにでも訊いてみれば?」
「――龍一?」
 どうしてそこで龍一の名が挙がるのか解せずに、風巳は更に眉をひそめた。
 何故自分が思い切らなければならないのかも皆目理解できない。
 説明を求める視線を繭羅に向けたが、彼女は掴み所のない微笑を浮かべると、そのまま背を返して部屋を出て行ってしまった。


 独り残された風巳は、緩慢な動作で寝返りを打った。
「龍一、遅いな……」
 横向きのまま両手で膝を抱えるようにして身体を丸める。
 目を瞑れば、瞼の裏に金髪の青年が浮かび上がる。
 昨日、登校前に顔を合わせた。離れてからまだ丸二日も経過していないのに、何故だかもう随分長い時間――龍一に逢っていない気がした。
 ――龍一と初めて逢ったのは、いつのことだ……?
 ふと、小さな疑問が浮かぶ。
 ――思い出せない……。
 風巳は目を閉じたまま眉をひそめた。頭痛が酷すぎて記憶を手繰ることさえ困難だ。
 風巳が中学に上がる前には、既に龍一は自分の傍にいたような気がする。
 ずっと傍にいるのが当たり前になっていたから、ほんの少し顔を見ないだけで一週間も逢っていないような錯覚に陥るのかもしれない……。

『風巳は――あいつはどうして三条家の跡取りだというのに、目醒めない?』
 頭の奥で冷ややかな男の声が響く。
『アレは本当に俺の子か?』
 猜疑と失望の相俟った声。
 忘れもしない――実父の声だ。
 しばらく顔を合わせていない親なのに、頭蓋に響くような声は妙に生々しかった。
『魔族として覚醒しないのならば、邪魔なだけだ。捨ててしまえ』
 酷薄に宣告したのは紛れもなく父親で、確かに自分は捨てられた。
 そう、捨てられたのだ――

「龍一、今……何処なんだ……?」
 風巳は甦ってきた忌々しい過去を払拭しようと龍一の名を呼んだ。
 脳裏から父親の姿を締め出し、金髪に縁取られた龍一の顔を思い出す。
 転瞬、
 ――目醒メル……。
 突如として、頭の中で自分ではない何か別の意志が動いた。
 ――魔王ガ……目醒メル……。
 風巳は驚きにビクッと身体を震わせ、瞼を跳ね上げた。
 ――魔王ノ復活ダ。ダカラ、オマエモ……起キロヨ……。
 自分の裡でもう一人の自分が蠢いている。
 ――早ク……目醒メロ……!
 心の奥底に閉じ込めていたはずなのに、封印を解こうと藻掻いている。

「嫌だ……!」
 風巳は激しくかぶりを振った。
 目醒める?
 何に?
 起きたくない――起こさないでほしい。
 魔王が目醒める?
 だから、どうした。
 魔王の覚醒に便乗して、引き摺り込むな。
 自分は今のままでいい。
 眠っていたいのだ。このままずっと。
 もう、昔のようにヒトを狩るのも殺めるのも――嫌だ。
 ――起キロ。永キ眠リカラノ、解放ダ……。
 頭の中の声は、風巳の意志を無視して更に大きく響く。

『あなたが――――する時まで、私はあなたと共にいます』

 微笑みながら、そう優しく囁いたのは誰だったろう?
 記憶の果てに封じられた声――

「……りゅう……いち……?」

 龍一。
 それは《誰》の名前だったろう?
 解らない。
 思い出せない。
 自分が何者であるのかも。

 ――目醒メロ……!

「いやだっっっ!!」
 風巳は大声で叫んだ。

 自分の裡からもう一つの声が消え、代わりに驚くほどすんなりと龍一の笑顔が記憶の表層へと浮かび上がってくる。

『あなたが覚醒する時まで、私はあなたと共にいます』

 囁いたのは、確かに龍一。
 そうだ。だから、いつもでも眠っていたかった。
 三条家の当主――前世の記憶を持つ強力な魔族として目醒めたくはなかった。
 覚醒すれば、彼は自分の傍からいなくなってしまう。最悪、二度と自分の眼前に姿を現してくれなくなる。自分は三条で、彼は一条なのだから。
 いずれ――彼は一条家へ戻る。
 解っていた。だが、認めたくない事実だった。

 目醒めたくない。
 もう二度と彼を喪いたくない。
 覚醒なんてしなくたっていい。
 遙かな昔より彼しか見てこなかった。
 彼を何百年も待ってきた。
 そして、ようやく廻り逢ったのが今生――

「喪いたくない――だと? 廻り逢った……? 何百年って……何だよ……? 何を言ってるんだ、俺は……誰の思考だ、コレは……? 過去世の俺……なのか……。龍一、頭が……変になりそうだ――」
 風巳は頭痛を堪えて立ち上がった。
 身体が熱い。
 まるで炎の中にいるようだ。
 陽炎のように揺らめく世界を覚束ない足取りで進み、風巳はドアに触れた。
 刹那、ドアそのものが造作もなく砕け散る。
 風巳は熱に冒された身体を引き摺るようにして部屋を出た。
 無性に龍一に逢いたかった――



     「七.廻り逢い」へ続く


ご来訪ありがとうございます♪
巻ノ弐もラストスパートです。相変わらず亀更新でスミマセン(汗)

 
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