ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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【外伝小咄】


◆ロレーヌ
 ◇春爛漫  ロレーヌ戦争前のアイラとルーク・ベイの小咄になります。



◆零治&美人
 ◇桜幻灯  零治と美人の青春の悩み……?(笑)



◆星神の都
 ◇春眠不覚暁  グラディスの酔っ払った姿と半裸に興味がある方はどうぞ。



◆WALTZで逢いましょう
 ◇蝦夷舞鮨で逢いましょう  沙羅のバイト先《蝦夷舞鮨》の物語です。
 ◇WALTZで逢いましょう Xmas Edition【80000HIT記念】
   クリスマスシーズンの《WALTZ》です(笑)



◆アヴィリオン
 ◇Terrestrial Paradise【77777HIT記念】 ラグネル・ガヴェイン・リガのその後です。



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2009.06.01 / Top↑
 もう一週間も口をきいていない。

 春の宵――満開の桜並木を眺め、曽父江零治(そふえ れいじ)はぼんやりとそんなことを思った。
 バイトを終え、先輩である紀ノ國屋と今し方別れたばかりだ。
 自宅マンションへと続く桜並木へ足を踏み入れた瞬間、ふと脳裏に幼なじみの顔が浮かんだのだ。
 白皙の美貌を持つ幼なじみ――有馬美人(ありま よしひと)。
 彼の顔を最後に見たのは、一週間も前の出来事になる。
 美しく整った顔は、完璧な無表情だった。ただ、黒曜石のような双眸にほんの一瞬だけ哀しげな光が灯ったような気がした……。
 胸がチクリと鈍い痛みを発する。
 零治はそれを誤魔化すかのようにipodのボリュームを上げた。
 折角の春休みだというのに、零治と美人は喧嘩の真っ最中なのである。聖華学園の高等部に進学して、初めての諍いかもしれない……。
 きっかけは些細なこと過ぎて、覚えていない。
 そう、いつもの下らないじゃれ合いのはずだった。それがどんどんエスカレートして、気づけば互いの悪口へと発展していったのだ。

『おまえ、俺の他にも友達作れよ』

 勢い余った零治が美人を突き放すような言葉を発した時、空気が凍り付いた。
 美人はその言葉を戯れ言とは捉えなかったのだ。
 彼はしばしの沈黙の後『……解った』と無感情に言い残し、零治の前から去っていたのだ。
 以来、幼なじみの姿を一度も見かけていない。
 胸がまた疼痛を訴える。
「……や、しょーがないだろ。実際、あいつはもっと他人との関わりを持つべきなんだよ」
 零治は盛大な溜息を吐き出すと、片手で無造作に金髪を掻き上げた。
「俺しかいないなんて――万が一、俺が明日死んだらどうする気だよ? 他に誰も寄りかかれる奴がいないなんてマズイだろ。致命的だろ」
 ブツブツと独りごちながら、桜の花びらが舞い散る道を進む。
 幼い頃からずっと甘やかしてきたツケが廻ってきたのかもしれない。時には突き放したり距離を措くことも必要なのだ――と頭では理解しながらも、幼なじみ可愛さにそれを実行できずに来たのだから、明らかに自分にも非はある。
「結局、俺の存在があいつにとってはマイナスなんだよな……。俺が依存するから、きっとあいつも俺に依存するんだ――」
 もう一度、重々しい溜息をつく。
 転瞬、頭上から降り注いでいた月光がスッと消えた。
 零治がチラと夜空を仰ぎ見ると、ちょうど月が雲に隠される瞬間だった。


   桜幻灯


 零治――


 何処からか幼なじみの声が聞こえてくる。
 零治は足を止め、注意深く辺りを窺った。
「零治」
 幼なじみの呼び声はすぐ間近で響いている。
 零治はイヤホンを耳から外すと、声のした方へと首を巡らせた。
「――ビジン?」
 すぐ脇に巨大な八重桜が誇らしげに花を咲かせていた。
 淡いオレンジの街灯に照らされ、桜の巨木は幻想的に輝いている。
 その木の下に聖華学園の制服を纏った有馬美人が佇んでいた。
「零治――」
 美人がゆるりと零治に歩み寄ってくる。
 夜風に吹かれて桜の花びらが乱舞する。それと共にサラサラと揺れる黒髪が美しかった。
「零治、僕を殺して」
 美人の形の良い唇が不吉な呪を紡ぐ。
 零治を見上げる漆黒の双眸は、常よりも憂いを孕み艶めいて見えた。
 ――なん……だ……?
 零治は反射的に眉根を寄せていた。
「僕を殺して――」
 美人が同じ台詞を繰り返す。口許に閃く微笑が妙に妖しかった。
 紛れもなく幼なじみの顔であり幼なじみの声なのに、それは零治の知る有馬美人ではないような気がした。
 ――何かが変だ……そういや花見客は何処へ行ったんだ?
 零治は渋面を深めた。
 紀ノ國屋と別れた時、時刻は午前零時を少し廻ったばかりだった。
 数多くの桜が立ち並ぶこの並木道は、毎年花を愛でる人々で賑わっている。なのに、今宵はどういうわけは零治以外の人間は一人も見当たらない。
 花見客が誰もいないなんて考えられない――異常だ。
 脳が警鐘を鳴らす。
 だが、零治はその場から動けなかった。美人の濡れたような双眸に射竦められ、微動だに出来ないのだ。
「零治――」
 美人の片手が零治の頬に伸ばされる。
「僕を殺して」
 ゾッとするほど冷たい指先が、零治の頬を滑った。
 ――見た目はビジンだけど……絶対にビジンじゃないな。
 零治は背筋が粟立つのを感じながら美人を見遣った。
『僕を殺して』
 かつて、確かにそう懇願されたことがある。

 もしも僕が人ではなくなったら――零治が僕を殺して。

 笑いながら美人はそう告げた。
 その瞳だけは、とても真摯に零治を見つめながら。
 無論、零治はそんな無茶な申し出はキッパリ拒絶したし、美人もそれ以上は執拗に約束を取りつけることを強要してこなかった。
 美人がそんなことを口走ったのは、有馬家に伝わる秘められた《力》のせいだろう……。
 零治は部外者なので、その辺りの複雑に入り組んだ事情を詳しくは知らない。
 ただ、美人が他人に対して心を開かないのも、そんな自暴自棄めいた言葉を吐いたのも――全てはその神秘の《力》のせいであることだけは確かだ。
 零治には、美人の苦悩や苦痛を受け止められるほどの度量もなければ、彼と肩を並べて闘えるような特別な《力》もない……。
 それがとてつもなく不甲斐なく、もどかしく、口惜しく――そして、腹立たしかった。

「零治が殺してくれないなら――僕が零治を殺すよ」
 不意に、美人の顔に残忍な笑みが浮かび上がる。
 ニタリと横に引かれた唇から乱杭歯が覗く。
 美人の片手が物凄い力で零治の喉を引っ掴んだ。
「――つっ……!?」
 化け物だ。
 そう察した時には、不貞不貞しくも幼なじみの姿を象った物の怪は大口を開けて零治を呑み込もうとしていた。
 無数に生えた鋭い牙が間近に迫る――

 刹那、闇夜に紫光が炸裂した。

 ぐぅおぉぉぉっっっ!
 奇怪な咆哮が物の怪の口から迸る。
 物の怪は、緑色の体液を撒き散らしながら素早く零治から離れた。
 零治は驚愕に目を瞠り、苦悶にのたうつ化け物を凝視した。
 有馬美人の麗姿を真似ていたとは思えないほど醜悪な肉の塊が蠢いている。
「零治、下がって!」
 凜とした声が耳に届けられる。
 耳に馴染む澄んだ声音は――紛うことなく本物の幼なじみのものだった。
 零治の眼前に白い袴姿の有馬美人が姿を現す。
 幼なじみの片手には愛刀――《雷師》が構えられていた。
 雷師の刀身は、美人の霊妙な《力》を顕すかのように青白く輝いている。
 物の怪が奇声を発しながら美人に襲いかかる。
 自分より遙かに巨大な化け物と対峙しても、美人はあくまでも冷静だった。
 怜悧な眼差しで物の怪を睨めつけ、雷師を真横に一閃させる。
 物の怪は実に呆気なく――そして見事に一刀両断された。
 更に美人が物の怪の眉間と思しき箇所を雷師で貫く。
 その瞬間、冴え冴えとした蒼き光が物の怪の裡から放出され、パンッと弾けた。
 コロコロコロ……と地面を青銀のビー玉のようなものが転がる。
 物の怪の姿は何処にも見当たらなかった。
 美人は青銀の玉を拾い上げると、振り向きざまにそれを胸元に忍ばせた。
「零治――怪我はない?」
 美人の心配そうな眼差しが零治に注がれる。
 美人が零治の傍までやってくる間に、雷師はその姿を銀細工の指輪へと変じ、自然に彼の左中指に納まっていた。
「大丈夫だ。……ありがとな、ビジン。それから――悪かった」
 零治が感謝の言葉の後にさり気なく謝罪を付け加えると、美人は一瞬きょとんと目をしばたたかせた。
 短い沈黙の後、小さく「ああ……」と呟く。今の今まですっかり喧嘩のことなど忘れていたらしい。
「僕は……零治が無事ならそれでいいよ」
 美人の端麗な顔に微笑が広がる。
「いや、けど――」
「悪いと思ってるなら、これからは負の感情を抱いて桜の傍を歩かないでよね。どうせマイナス思考に陥りながら夜道を歩いてたんでしょ?」
「えっ、何で解るんだよっ!?」
「その、陰気な心が妖かしを呼び寄せたんだよ」
 美人が大仰に溜息をつく。
「桜ほど日本人に愛でられる花はないからね。桜が集う場所には人も大勢集まる。だから自然とね、様々な念や想いが吹き溜まるんだ。マイナスの念が凝り固まれば――さっきのように妖かしを呼び寄せる。人間の負の感情は、奴らにとって格好の餌だからね」
「よく解らないけど、俺はそのアヤカシとやらに呑み込まれる寸前だった、ってワケだな……。ビジンが助けてくれなかったら――俺、死んでたのかもな。ビジンが来てくれて、ホントによかった」
「僕は零治のためならどんな時でも、何処へでも駆けつけるよ」
 美人の真摯な瞳がひたと零治に据えられる。
「だから――」
 ふと、美人が口を噤む。
 秀麗な顔に翳りが走り、ぐらりと美人の身体が傾く。
「ビジンッ!?」
 零治は咄嗟に美人の身体を受け止めていた。
 宵闇のせいで気づかなかったが、間近で見ると幼なじみの顔は蒼白だった。肌には小さな汗の粒がびっしりと浮かび上がっている。
「さっきの奴に何かされたのかっ!?」
「……違う。ここに来る前に一仕事終えてきたから……ちょっと疲れてるだけ。悪いけど、このまま少し休ませて――」
 掠れた声で呟き、美人は瞼を閉ざした。

     *

 夜の静寂が辺りを包み込んでいる。
 相変わらず桜並木には人の姿が見えなかった。
 もしかしたら、美人の持つ不可思議な力が一時的に世俗から零治たちを切り離しているのかもしれない……。
 いずれにしろ、今ここには桜と美人と零治しか存在していなかった。
 石畳の並木道に美人を寝かせるのは酷なので、零治は意識を失った美人を桜の根元まで抱いて移動した。
 今、美人は零治の太股を枕にして眠っている。
 再び姿を現した月が柔らかな光を美人に注いでいた。
 はらはらと薄桃色の花びらが舞い散る。
「あんまり無茶するなよ、ヨシヒト――」
 零治はそっと囁き、美人の黒髪を片手で撫でた。
 美人が零治にも言えない甚大な秘密を抱え、この細い身で何かと闘っているのは朧だが知っている。
 ――なのに、他に友達作れ、なんて俺も酷い奴だよな……。
 自責と自嘲の念に口の端が歪む。
 零治にとって、美人は単なる幼なじみでも友人でもない。
《有馬美人》という唯一特別なカテゴリーなのだ。
 おそらく美人にとっての零治もそうに違いない。
 それを知悉しているはずなのに、美人を見離すように残酷な言葉を突きつけてしまった。美人の心はきっと深く傷ついたに違いない……。
「――零治」
 漫然と指で髪を弄んでいると、いつの間にか黒曜石の双眸が零治を見上げていた。
「今日は家に帰りたくない」
「――あ?」
「そっちに泊めて」
「別にいいけど。志乃、あと四日はウチには来ませんから」
 零治が肩を竦めると、美人はほんの少しだけ意地悪そうに微笑んだ。
「志乃さん、今度は何処に行ってるの?」
「あー、何かチェコとかオーストリアとか言ってた気がするけど――覚えてねー。海外出張多すぎなんだよ、あいつ」
「……寂しいね」
「そりゃ寂しいに決まってるだろ。でも――俺にはビジンがいますから。ビジンって、絶対俺のこと好きだろ? 家に帰りたくない――なんて、俺ってホントに愛されてるよなぁ」
 零治が冗談めかして告げると、美人は露骨に嫌そうな顔をした。
「今夜は、咲耶姉さんが離れで得体の知れないオフ会を開いているからだよ」
「おー、そりゃ帰った途端に妄想の餌食だな。美少年はツライな、ビジン」
 零治は心の底から美人を気の毒に思い、グシャグシャと髪を撫でてやった。
 美人の姉の咲耶は自他共に認める腐女子なのだ。美形をこよなく愛する咲耶は、己の実弟でも情け容赦なく禁断妄想の糧にしてしまう悪癖を持ち合わせている。それに、オフ会と称して有馬家に集っているお嬢様方も、有馬家の御曹司であり超美少年である美人を一目見ようと目論んでいるに相違ない……。
「零治――」
 ふと、美人の片手が髪を撫でている零治の手を掴む。
「零治だけは、そのままでいてね」
「……何だよ、改まって?」
「何があっても、零治だけは変わらずにいて――」
 触れている美人の手が微細に震えていた。
 一仕事終えてきた――と言ってた。もしかしたら、その時に何か美人の心を激しく揺さぶる出来事が起こったのかもしれない……。
 ずっと変わらずに傍にいて。
 美人の瞳は切にそう訴えている。
 零治が無言で首肯すると、美人は安堵したのか短く息を吐いた。端整な顔に、今にも泣き出してしまいそうなほど弱々しい笑みが浮かび上がる。
 零治は幼なじみの不安や杞憂を払拭するように、彼の手を強く握り締めた。
 美人の長い指が縋るように零治の手を絡め取る。


 二人の手が強く結びつくのを、闇夜に浮かぶ月と夜桜だけが見つめていた――


     《END》



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2009.06.04 / Top↑
 大陸歴一二八四年・陽春――


 春の陽気に包まれた王城の回廊を、少年は軽やかな足取りで進んでいた。
 褐色の肌に漆黒の髪と瞳を持つ少年の名は――ルーク・ベイ。
 十三歳という若さでありながら、烈光の女神と謳われるキール王女――ギルバード・アーナス・エルロラの片腕として早くも頭角を現している少年剣士だ。
 窓から射し込む陽の光に誘われて、ルークはふと足を止めた。
 露台へと続く巨大な窓が大きく開かれていた。そこから芳しい花の薫りと微かな話し声や笑い声が流れ込んでくる。
 ルークは迷わずに露台へと足を運んだ。
 午后の光が燦々と降り注ぐ。
 その暖かさを心地好く感じながら、ルークは露台の手摺りに手をかけ、階下を覗き込んだ。
 光溢れる中庭は色取り取りの春の花々で満たされている。
 その中に銀色の輝きを発見した。
 絹の如き美しさを放つ銀髪――愛すべき王子が、数人の侍女や従者に囲まれて庭園を散策していた。
 王子の姿を確認した瞬間、ルークは心がパッと明るくなるのを感じた。
 こんなに間近で彼の姿を目撃するのは、随分久し振りのような気がする。
 ――アイラ様だ!
 声には出さずに胸中で歓喜の叫びあげる。
 すると、まるでその声が聞こえたかのようなタイミングで王子が顔を上向けた。
 深い海のような双眸が宙を彷徨い、やがてルークを捕らえる。
 ルークの姿を認識した瞬間、王子がふわりと微笑んだ。
 麗らかな春に相応しく、優しさと慈愛に満ちた美しい笑顔だった――



       春爛漫



 宝物が三つある。

 一つは、絶対的なご主人様であるギルバード・アーナス・エルロラ。
 もう一つは、密かな想い人であるイタールの《月光の美姫》――ローズ・マリィ・レイクールン王女。
 そして、最後の一つは、兄弟子に当たるギルバード・アイラ王子だ。

 ルーク・ベイは、自分の斜め前を歩く後ろ姿に真摯な眼差しを向けた。
 この三人のためなら自分は全身全霊を捧げられる――子供心にもそう強く想う。
 もちろん国王や王妃や王太子のことも他の城の住人たちも大好きだが、この三人は別格。ルークの裡では他者とは次元の異なる特別な位置に属している。
 中でもキールの第二王子アイラは、ルークにとって実の兄のような存在だ。深い親愛の情を抱いている。
 歩く度にサラサラと揺れる銀髪を目で追うだけで、ルークの胸は不思議な昂揚感と幸福感に包まれた。
 アイラは、本来ならば決してルークのような庶民が近づくことも傍にいることも許されぬ高貴な存在だ。
 ルークの両親は彼が幼い頃に戦死している。以後、ルークは両親の友人である剣士に育てられるのだが――その剣士に師事していたのがアイラだったのである。
 ルークとアイラは師匠の元で共に学び、剣技を磨いてきた。ゆえに、現主人のアーナスに対するものとは別種の情愛をアイラには抱いている。
 ルークの剣の腕を見込んだアイラと師匠の計らいによりアーナスの従者となかったが、それは即ち彼からの巣立ち――独り立ちでもあった。
 アーナスという光輝く宝珠の傍らに立ち、彼女を護り、彼女に尽くすことは、とても誇らしく、嬉しくもある。かなりやり甲斐のある使命だ。
 だが、以前のように気軽にアイラや師匠に逢えなくなったことは、やはり少々寂しい……。アーナスには口が裂けても言えないが。
「ルーク――いつまで後をついてくる気だ?」
 不意にアイラが立ち止まり、身体を振り向ける。危うく王子にぶつかりそうになり、ルークは慌ててうつつに立ち返った。
「えっ? ずっとついて歩いちゃ駄目ですか?」
 ルークは恐る恐るアイラを見上げた。庭でアイラの姿を発見してから、何をするわけでもなく彼の後を追い続けていたのだ。流石に普段は穏和なアイラも鬱陶しく感じたに違いない……。
 アイラの冴え冴えとした蒼い双眸がじっとルークを見下ろす。
 主人であるアーナスとよく似た面差しをしているのに、何故だかアイラに見据えられると心臓が高鳴り、血液がざわめく。おそらく、アイラ以上に美しい男を見たことがないからだろう。アイラの美貌は、同性のルークから見ても頗る魅力的なのだ。
「アーナスが不在だから暇なのは解るけど――私はこれでも多忙の身なんだよ」
 アイラの目元がフッと緩む。だが、彼の口から漏れたのは困ったような溜息だった。
 王子を困らせている。
 その事実にルークの胸は小さな痛みを発した。
 だが、暇だからつきまとっているわけではない。
 アーナスは婚約者であるミロ王子に逢うためにイタールへ赴いている。この度のイタール訪問にルークは連れて行ってもらえなかったのだ。
 当然、意中のローズ・マリィにも逢うことが出来ずにふて腐れていた――心がささくれ立っている。
 そんな時に久し振りにアイラの姿を視野に納めることが出来、更には傍に寄れる機会が訪れたのだ。可能な限り王子と一緒にいたかった。アイラの傍にいるだけで、アーナスに置いていかれた不満や不安――寂しさが見事に払拭されるのだ。
「ルーク、時間を持て余しているのなら剣の腕を研磨――」
 ルークが押し黙っていると、アイラはやや厳しい口調で言葉を紡ぎ始める。
 だが――
「子供にはもっと優しくしろ、アイラ」
 予期せずして、それを別の声が遮った。



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2009.07.12 / Top↑

 アイラの背後から長身の青年が姿を現す。
 彼は持っていた書物で気安くアイラの頭を小突くと、口の端に苦笑を浮かべた。
 王子であるアイラにそんな真似を出来る人間は限られている。
「兄上っ!?」
「王太子殿下……!」
 現れた青年を認識して、アイラとルークは同時に驚きの声をあげていた。
 書物片手に佇んでいるのは、この国の王太子ギルバード・ランシェだったのである。
 長い金髪を緩く三つ編みにし、優雅に肩から垂らしている。柔和な光を湛える双眸は明澄な青紫色をしていた。
 ランシェの後ろには、やはり書物を抱えた側近が数人控えている。
「悪いね、ルーク。どうにもコレは無愛想――というか、感情を表現するのが苦手なようで」
 ランシェが端整な顔に笑みを広げ、大きな片手でアイラの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「でも、おまえがルークのことをとっても心配していること、おにーちゃんはちゃんと知ってるから安心しろ」
「兄上っ……悪ふざけは嫌いですよ」
 アイラが白皙の頬を朱に染め、恨めしそうに兄を見上げる。
 そんな弟のささやかな反抗を、ランシェは満面の笑みでサラリと受け流す。
 ルークとは一回りほど歳が離れているせいか、ランシェはとても大人に見える。アイラは兄のような感じだが、ランシェは親戚の叔父さんのような不思議な感覚だ。一国の王太子を相手に失礼な話だが、ランシェの鷹揚な性格がそんな印象をルークの胸に植え付けているのだろう。
 普段は滅多に崩れることのないアイラの涼しげな表情も、ランシェの前では容易く崩壊してしまう。ルークから見てもそれは微笑ましく、好ましい光景だった。アイラはもっと肩の力を抜いて、楽に生きるべきなのだと思う。
 心なしか、最近アイラから笑顔が減ったような気がする……。
 顔を合わす機会が少ないルークが懸念するほどだから、ランシェはとっくに気がついているに違いない。
「えー、おにーちゃんはもっと触れ合いたいけどなぁ」
「……私は嫌です」
「うん、そう言われると思ったよ。――あっ、今日は天気もいいし、アイラはルークと一緒にお師匠様のところへでも泊まりに行きなさい」
 嫌がるアイラの頭をまだ撫で続けながら、ランシェが唐突に宣告する。
「……意味が解りません、兄上。それに、先刻カシミアのサマリ王の密使が来ていませんでしたか? 何か火急の事態でも起こったのでは?」
 アイラが兄の手を掴んで強引に自分の頭から引き剥がす。怜悧な光を宿した眼差しがランシェを射たが、兄は笑みを浮かべたまま表情を崩さない。
 カシミアというのはロレーヌ三国の一つであり、キールの西に位置する国のことだ。現在は、勇猛果敢な獅子王として名高いサマリが国を統治している。
「大したことじゃないよ。陛下とラパス王弟殿下がね、ちょっと兄弟喧嘩をしちゃったみたい。まっ、ウチじゃ到底考えられないけどね。おにーちゃん、アイラのこともアーナスのこともこんなに愛してるし」
 ランシェが軽い口調で述べ、いきなりガバッとアイラに抱き着く。
 想像もしていなかったらしく、アイラは恥ずかしさゆえか更に頬を赤らめた。
「いい歳して、何するんですか!? ルークも側近たちも笑ってますよっ!」
 ランシェの従者たちがクスクス笑い声を立てていることに羞恥心を煽られたらしい。本当に珍しいことに、アイラは耳まで真っ赤になっていた。
「俺はいくら笑われても平気だよ。アイラがお師匠様のところに遊びに行く、って言うまで何が何でも離したくないなぁ」
「公務はどうするんです?」
「可愛い弟の分までおにーちゃんが頑張って働きます。最近、根を詰めて執務しすぎて睡眠も食事もまともにとってない、って小耳に挟んだから――おにーちゃん、夜も眠れないくらい心配してるんですけど? ……近くで見ると、ホントに顔色か悪いな、アイラ」
 フッとランシェが真顔になる。
 彼は弟の頬に手を添えて、その肌の青白さに改めて懸念を抱いたようだった。
「……平気です。師匠のところへ行きますから、離して下さい」
 アイラが兄の手から逃れるように顔を背ける。
「そうしてくれると嬉しいな。うるさいアーナスとアイラが揃って留守だと、おにーちゃんは仕事が捗って、とっても助かります」
 アイラの返答を聞いて、ランシェがまた満面の笑みを湛える。
「ルークと二人でゆっくり羽根を伸ばしておいで。――エルロラのご加護がありますように」
 優しい声で囁き、ランシェがアイラの額にそっと口づける。
「何ですか、今の?」
「おまえの《封印》が解けませように、っておまじない。心が疲弊しきって、力が暴走したら困るだろう? おまえが暴走したら、おにーちゃんじゃ手に負えませんから」
「解きませんよ。コレを解き放つ時は――死を覚悟した時だけですから」
 アイラがぶっきらぼうに告げると、ランシェはもう一度弟の額に口づけを捧げ、ようやく彼を解放した。
「そんな可愛げのない言葉を吐かなくても済むように、お師匠様とルークに癒してもらいなさい。――じゃあ、困った弟だけどよろしく頼むよ、ルーク」
 ランシェが朗らかに微笑む。彼はルークの頭を軽く撫でると、側近たちとともに去って行ってしまった。
 遠ざかる兄の背中を眺め、アイラが溜息をひとつ洩らす。
「行くよ、ルーク」
 アイラは何かを払拭するようにかぶりを振ると、端的に告げて身を翻した。
 言葉の意味を掴み損ねてルークがキョトンとしていると、アイラは数歩進んだところでこちらを顧みた。
「今から師匠のところへ行くよ。おいで、ルーク――」
 そっと片手が差し伸べられる。
 同時に、アイラの顔に艶やかな微笑みが浮かび上がる。
 純粋に自分だけに向けられた笑みを目の当たりにして、ルークはパッと顔を輝かせた。
 アイラの笑顔には他人を惹きつけ、心を弾ませる不可思議な力が備わっている。
 ――やっぱり、アイラ様にはいつも笑っていてほしいな。
 密かにそんなことを思いつつ、ルークは差し出されたアイラの掌を素直に握り締めた――


     *


 城を後にして小一時間ほど馬を駆らせると、師匠の棲まう山へと辿り着く。
 おそらく師匠以外の誰も棲んでいないであろう小さな山は、萌え立つような鮮やかな緑と淡い色彩の草花で埋め尽くされていた。
 天から降り注ぐ太陽が、更に春の世界を明るく照らし出している。
 ルークとアイラは細い山道を馬で進み、師匠の家までやって来た。とは言っても、実際にルークは馬を操ってはいない。アイラの前に乗せてもらったのだ。単なるルークの我が儘であり甘えだったのだが、アイラは苦笑一つでそれを許してくれた。
 師匠の棲む簡素な館の前で、アイラは馬を止めた。
 軽やかに馬の背から降り、着地する。
「着いたよ」
 アイラが馬上のルークを仰ぎ見、流麗な仕種でまた手を差し伸べる。
「女の子じゃありませんから、一人で降りられます」
 ルークが唇を尖らせると、アイラは唇に綺麗な弧を描かせた。
「おや? 今日は一日ずっと私に甘えたいのかと思ったけど――違うのか?」
「……違いません! じゃ、遠慮なく――」
 ルークは頬を膨らませると、アイラの手を取り、馬の背から地上へと降り立った。馬など乗り慣れているが、折角アイラが甘えさせてくれるというのだから大いに甘えることに決めた。
「寂しい想いをさせて――すまない」
 手を離しながら、アイラがポツリと低く呟く。
 アイラは忙しい身でありながら、それでもちゃんと兄弟弟子であるルークのことを念頭に置いてくれていたらしい。アーナスに置いてけぼりを喰らっていじけているのも、アイラに構ってもらえず寂寥感を胸に抱えていることも――聡明な王子は全て見抜いているのだ。
「今、こうしていられるので寂しくなんかありませんよ。――ここへ来るのも久し振りですね」
 ルークが明るい声音で告げると、アイラは端麗な顔にまた微笑を湛えた。
「すっかりご無沙汰していたからね。春の芳香と――懐かしい匂いがする」
 アイラが双眸を細め、大きく息を吸い込む。
 ルークとアイラは、ここで師匠と共に暮らしていた時期があるのだ。アイラが郷愁を覚えるのは当然のことだ。
「流石に城よりも解放感があるな。少し庭を歩こうかな?」
 アイラの嬉しそうな視線が花々の咲き乱れる庭へと向けられる。
 王子という立場上、城の中では心の底から寛ぐことができないのだろう。それが、心許せる師匠の元へやってきたことで解れ、多少なりとも胸の鼓動を速めているらしい。
 アイラが王城にいる時よりも豊かな表情を見せるのは、ルークにとっても喜ばしい出来事だった。
 ――ランシェ様って、ああ見えてもしっかり《おにーちゃん》してるんだなぁ。
 ランシェに対する妙な感慨まで湧いてくる。
 何事にも慎重かつ丁寧に臨むアイラ。
 生真面目で几帳面な分だけ、無意識のうちに精神が摩耗し、疲弊してしまうのだろう。
 本人が気づかない変調を、ランシェは目敏く見抜く。そして、そんな時の特効薬が何であるかも知っていて、さっさとアイラをルークと一緒に師匠の元へ送り出したに相違ない。
「じゃあ、僕は師匠を呼んできます。アイラ様の姿を見たら、きっと大喜びしますよ、師匠!」
 ルークはアイラにそう告げると、山の清澄な空気の中を館へと向かって勢いよく駆け出した。


 ルークが師匠を連れて庭へ戻ってくると、アイラは花園中で眠りに落ちていた。
 心身ともによほど披露していたのだろう。
 ちょっと足を休めるつもりが、ルークを待っている間にうっかり睡魔に誘われてしまったらしい。
 白・黄・若紫・薄紅――春花に囲まれて眠る青年は、喩えようもなく美しかった。緑の上に流れるように広がる銀の髪が、また一際雅やかだ。
 まるで一枚の絵から抜け出し来たように、幻想的で魅惑的な光景だった。
「うわーっ、いつ見ても綺麗だなぁ。お姫様みたい!」
 ルークが感嘆の声をあげると、師匠は唇に人差し指を当て、静かにするように注意した。
「本人が聞いたら烈火の如く怒りますよ」
「うん。でも、綺麗なんだもん。似たような顔をしていても、アーナス様に対してはそんなこと思わないのに、不思議ですよね? ローズ・マリィ様とどっちが綺麗かな、師匠?」
 ルークの脳裏に、アイラと同じ銀の髪を持つ王女の姿が鮮やかに浮かび上がる。まだ幼いが《月光の美姫》と讃えられるほどに楚々とした美しさを放つ少女だ。
「さあ? ローズ王女はあと数年経てば、紛れもなく大陸全土に知れ渡るほどの美女に成長するでしょうね」
「えーっ、それも何かヤダなぁ」
「アイラ様は……アイラ様の美しさは、きっと限りがあるから――――いえ、春の日にそぐわぬ邪推は止めましょう」
 ふと、師匠が哀しげに瞼を閉ざす。
 師匠の声は掠れるような小声だったので、ルークにはその全てを耳に入れることは不可能だった……。
「アイラ様は高潔なお方ですから、身の裡から輝きを発しているのですよ。この人が女性だったら、アーナス様より殿方を惑わせるんじゃないでしょうかね」
 師匠が気を取り直したように笑顔を浮かべ、冗談を放つ。
「ソレ、今度はアーナス様が怒りますよ、師匠。でも、アーナス様は男をバッサバッサ力任せに薙ぎ倒し、アイラ様は冷徹かつ冷酷に心臓を一突きにする感じですよね。うわーっ、僕、どっちに惚れるのも嫌だなぁ。怖い怖い」
 ルークは笑いながら師匠に軽口を叩き返した。
 同時に、春の微風が庭園を通り抜けてゆく。
 鮮やかな花びらが宙を舞い、アイラの長い銀髪を軽く靡かせる。
「風が出てきましたね。中へ入りましょうか」
「でも、アイラ様を起こすのはもったいない気がします」
「起きませんよ。これだけ他人を傍に寄せても目を醒まさないなんて、いつものアイラ様なら考えられません。よほど神経が磨り減っていたのでしょうね。アイラ様の最大の欠点は――我慢しすぎることです。まあ、それがまた健気というか可愛くもあるんですけどね」
 師匠が微笑みながら、アイラの身体をそっと抱き上げる。
 師匠の言葉通り、アイラは微動だにしなかった。起きる気配はない。
「ルークもアイラ様も、今夜は美味しいものをたくさん食べて、ゆっくり寝て下さいね」
 アイラを腕に抱いた師匠が踵を返し、館へと向かう。
「はーい」と従順に返事をして、ルークは師匠の隣に並んだ。
「今日は、師匠とアイラ様と三人で一緒に寝てもいい?」
「……甘えん坊ですね」
 師匠がチラとルークを横目で眺める。
「たまには、そういうのも悪くはないですね」
 短い沈黙の後に、師匠が照れ臭そうに破顔する。
 師匠のそんな顔を見た瞬間、和やかで穏やかな気持ちがルークの胸を満たした。
 昏く澱んでいた心が嘘のように晴れ渡る。
「うん。僕、やっぱり師匠もアイラ様も大好きだな!」
 ルークは師匠を仰ぎ見ると、最上級の笑顔を浮かべた。
 

 春の芽吹きのように胸の裡にも鮮麗な花が咲く。
 
 春爛漫――



               《了》



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2009.07.12 / Top↑
春眠不覚暁




 その宴は、悪夢の始まりだった。


「ただいま、ユージン」
 扉を開けて入ってきた瞬間から、グラディスの様子はどことなくいつもと異なっていた。
 女性と見紛うような美貌には、いつもの彼らしからぬ少しばかり緩んだ微笑が浮かび上がっている。気のせいか白磁のような肌にも微かな赤みが差しているようだ……。
「留守中、変わりはなかったかい?」
 ユージンの傍まで来て、グラディスが優雅に首を傾げる。肩からサラサラと流れ落ちる濃紺の髪が美しい。
「あ、まあ、特に何も――」
 ユージンは怪訝な眼差しでグラディスを見返し、気のない返事をした。

 相棒であるグラディスの本名は、クローディア・ロンデル。
 大陸最大最古の国アダーシャの貴族。
 しかも、アルディス聖王家の血を濃く受け継ぐロンデル公爵家の当主であり、第二王位継承権を持つ貴人だ。
 ユージンが彼の正体を知ったのは、晩秋の出来事だ。
 隣国シアで行われた新王を選定する《星戦》の際に、思いがけず知れた真実だった。
 三年間、盗賊として共に旅をしてきたグラディスが、まさかそんな大貴族だとは予想だにしていなかったので大いに驚倒した。
 だが、今は、どんな肩書きや地位を背負おうともグラディスはグラディスなんだ、としっかり認識している。相棒である『グラディス』の本質が変わらなければ、それでいい。
 ユージンは迷うことなく彼に剣を捧げることが出来る。

 シアを離れ、故国アダーシャへと戻ったグラディスは、ロンデル公爵として日々忙しない毎日を送っている。
 グラディスより僅かに遅れてシアを脱したユージンとレイジィは、彼の好意で護衛としてロンデル公爵家に雇われていた。
 グラディスが外出する時には、必ずユージンかレイジィが同行する決まりになっている。そして、残された一方はグラディスの私室で見張り役を担うのである。
 グラディスほどの大物になると、留守を狙って不逞の輩が侵入し、隙あらば暗殺のための罠を仕掛けてゆくらしいのだ。
 殊にグラディスの場合は、長年公の場から姿を消していたので、再び飄々と表舞台に立った彼を疎んじている政敵が多い。事実、ユージンがこの屋敷に来てから捕縛した不審者は幾人もいる……。グラディスが貴族であることに嫌気が差し、出奔したのも頷けるような有様なのだ。
 本日はレイジィが護衛で、ユージンが留守番役だった。
 従って、ユージンは日がな一日グラディスの部屋でまったりとした時間を過ごしていたのである。
 無論、賊が現れれば迅速に対処するが、今日はそんな気配は微塵もない。時折、食事や間食を用意しに部屋を訪れるイル・アナンと談笑する以外することもなかった。
 今もテーブルを囲んで、アナンと軽食を楽しんでいたところだ。
「やあ、アナン、目の調子はどうだい?」
 グラディスの視線がユージンからアナンへと移された。
「おかえりなさい、グラディス。目の方は順調に馴染んでいますわ」
 アナンが柔和な笑みを恋人へと返す。
 かつては《神の眼》と呼ばれた彼女の左目には今、右目と寸分違わぬ緑色の眼が填められていた。アダーシャが誇る最強の剣士であり最高の魔術師――《魔法剣士》ガレルが主人の想い人のために、特別な魔術を施したのだ。グラディスを蘇生させることが出来る彼には、眼球を再生することなど造作もないことなのかもしれない。
 とにかく、彼の魔法のおかげで、アナンの左目は右目と同じく普通に機能しているのである。
「それは良かった。もう少し落ち着いたら、一緒に陛下に逢いに行こう」
 グラディスがアナンの両頬に口づけを捧げ、幸せそうに笑む。
 陛下――つまり千年王国アダーシャの現国王アルディス・アノン・ラータネイルのことだ。
 グラディスの伯父でもある彼にアナンを引き合わせるということは、彼は真剣にアナンとの婚姻を考えているのだろう。
「まあ……。あら、今宵は少し呑んでいますのね?」
 グラディスの真意を察したのか、アナンが頬を朱に染める。彼女は照れ隠しのように急に話題を変えた。
「――だろ。やっぱり、どう考えても呑んでるよな? それも、『少し』じゃなくて『かなり』だ、きっと。グラディスが酔いの片鱗を窺わせるなんて、すっげぇ珍しいんだぜ」
 すかさずユージンはアナンの言葉に食いついた。
 グラディスは滅法酒に強い。
 今現在のようにユージンが『あ、酔ってるかも』と気がつくのは稀有なことなのだ。無論、彼の泥酔している姿など一度もお目にかかったことがない。
「ああ、今夜は城で――」
 グラディスが上機嫌に口を開きかけた時、バタンッ!! と勢いよく扉が開け放たれた。




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2009.10.10 / Top↑
「たっだいまーっ!!」
 グラディスを更に上回る上機嫌振りで室内に姿を現したのは、ラナ・レイジィだ。
 癖のある銀髪を弾ませるようにスキップしながら、ユージンたちの方へやって来る。己の身の丈ほどもある大剣を背負っているとは思えないほどの軽やかさだ。
 彼女の頬はほんのり薔薇色に染まっている。
 こちらもグラディス同様、酒気を帯びているらしい。
 ますます珍しい。
 レイジィも驚くほどの酒豪なのだ。
 二大酒魔神が揃いも揃って、微酔状態を晒すとは異常事態だ。
 ユージンの胸の裡で、嫌な予感が膨らむ。
「さあ、呑むわよ! アナンもユージンも早くあたしたちに追いついてよねっ!」
 レイジィは両手に抱えていた酒類をテーブルの上に乱雑に並べ、大剣を背から外すと、やはりドカッと乱暴に椅子に腰かけた。
「追いついてと言われましても――わ、私も呑むのですか?」
 アナンが戸惑い気味に質問を発する。
 すると、レイジィもグラディスも大きく頷いた。
「あたしたち、もう清く正しく美しく――そして、超お堅い星守人(セリルダ)じゃないのよ! お酒くらい好きなだけ煽ったっていいじゃない。何のために星守人を辞めたの、アナン? これは、祝いよ、祝い! ちょっと遅くなったけど、脱星守人にカンパーイッ!」
 レイジィは明らかに酔っ払い独特の陽気さで、片手に握った酒瓶から直接喉に酒を流し込んだ。濃い青色をした液体は、見るからに酒精度数が高そうだ。
 ――スゲェ……女の呑み方じゃねーよ!
 ユージンは密やかに胸中でツッコんだ。口に出せば、今なら百倍は嫌味が返ってきそうなのでグッと堪える。
「ユージンはコレにするといい。アナンは――そうだね、口当たりがよくて軽めのものにしておこうか」
 酔い始めてはいても、グラディスはアナンに対する配慮を怠らないようだ。備え付けの棚から銀杯を運んできた彼は、魅惑的な黄玉色の液体が揺れる瓶を手に取った。
「あっ、アナンにはコッチがオススメよ」
 レイジィが素早くグラディスの手から瓶をもぎ取り、別の瓶を持たせる。
「呑むと、お肌がプリプリのモチモチになるんだって!」
「プ、プリプリのモチモチ……? そ、そう――じゃあ、こっちにしようか、アナン」
 鮮やかな桃色の瓶とアナンをしばし交互に眺め、グラディスはその酒を振る舞うことを決意したようだ。
「オイ、今、何か妙な妄想しただろ?」
「――うるさいよ、ユージン。君は早くそれを呑み干しなよ」
 ユージンの冷やかしの言葉をサラリとはね除け、グラディスは流麗な動作でアナンの杯に酒を注いでいる。
 言われて、ユージンは先ほど手渡された酒瓶を眺めた。
 ……紫と黒を混ぜ合わせたような、見るからに妖しい液体が詰まっている。しかも、粘り気があるようだ。とても口にしようとは思えない。
「……何だよ、コレ? 俺を殺す気かよ?」
 ユージンが不満たっぷりに唇を尖らせると、向かいでレイジィが大口を開けてゲラゲラと笑った。
「死なないわよ! それ、幻の珍獣の生き血を混ぜ合わせて造った、十年物の稀少酒なんだって!」
「幻の珍獣ってとこが、物凄く怪しいだろっ! 何て生き物だよ?」
「知らなーい。だって、幻の珍獣だもん。確か、エリ……なんとか……アレ? ハタザベスだっけ? とにかく、何かそんな感じのヤツよ」
「すっげー適当だな、おまえ。――俺、普通の果実酒でいいや」
 ユージンはこめかみの辺りを引きつらせながらレイジィを一睨みし、得体の知れない酒を手放すと正統な果実酒を手元に引き寄せた。レイジィとグラディスから文句が飛んでくる前に、さっさと蓋を開けて喉を潤す。
 やはり、気味の悪い珍奇な酒より、庶民に広く知れ渡る果実酒の方が安心できる。
「それで――二人してほろ酔いなのは、どういう訳ですの?」
 アナンが申し訳程度に杯に口をつけ、グラディスとレイジィに視線を配る。
「今日は宮殿で急遽花見の宴が開かれたのよ!」
 レイジィが心底嬉しそうに声を弾ませる。大食漢の上に大酒飲みである彼女にとって、宴や祭りは至上の悦びなのだ。
「その土産に陛下が山ほど酒をくれたんだよ。ああ、こんなに少ない量だと僕とレイジィですぐに呑み干してしまうね。――ガレル、遅いよ」
 グラディスが何もない空間に向かって声を放つ。
 すると、間髪入れずに緋色の物体が出現した。
 空間を割くようにして姿を現したのは、魔法剣士ガレルだ。
「私の魔術をこんなことに利用するなんて……」
 ガレルが憮然と呟きながら、深紅のマントを軽く翻す。
 今度は、突如として室内に巨大な木箱が登場した。しかも一つではない。十箱以上はありそうだった……。積み上げられた高さは、長身のガレルより遙かに高い。彼は、如何にも渋々といった様子で、魔法でそれらの箱を一つ一つ床に降ろしてゆく。
 グラディスの言葉から察するに、箱の中身は全て陛下から下賜された酒なのだろう……。
「酒屋でも開く気かよ? どーするんだよ、コレ?」
 ユージンはあまりにも大量すぎる酒に驚倒し、目を丸めた。
「もちろん呑むよ」
「アハハッ、バッカねーっ! あたしを誰だと思ってんの?」
 直ぐさま、酔っぱらい二人組から冷ややかな声とけたたましい笑い声が返ってくる。
「何か……ムカつく。大体、陛下もどうしてこんなに酒ばっかり寄越すんだよ?」
「そうですわね。これは少し……やりすぎですわよね」
 ユージンのボヤきにアナンが頷く。彼女の頬は早くも紅く色づいていた。ユージン以上に酒に弱いのがアナンなのだ。
「今宵は、隣国セイリアからサーデンライト公爵が弟君と一緒にお見えになっている。だから、陛下の機嫌は頗るいい」
 テーブルの脇に立つガレルがポツリと告げる。何故だか、彼の口許には思い出し笑いが刻み込まれていた。
「あっ、やっらしー! ガレルさん、今、絶対に公爵の姿を思い浮かべて、赤くなったでしょう!」
 レイジィが酒をかっ喰らいながらガレルを指差す。
 隣国セイリアはシア同様小さな国だが、アダーシャとの交流は深い。
 セイリア王家の血を濃く受け継ぐサーデンライト公爵マイトレイヤーが、アダーシャ国王ラータネイルと昵懇の間柄なのである。
「若かりし頃のあの方は、今のクローディア様と同じく大陸全土に知れ渡るほどの美青年だったのですよ。ああ、今ももちろん美しいですけれど」
「僕より知名度は高いよ。何せ、あちらは創世以来初めて《マイセの生け贄》に選ばれた人だからね」
 グラディスが苦笑混じりに告げる。
「マイセに生け贄を捧げるなんて、有り得ないだろ?」
 ユージンは眉根を寄せて質問を繰り出した。
 邪教ならともかく、創世神マイセが人身御供を求めるだなんて聞いたことがない。
 おそらく、サーデンライト公爵に纏わる話は、ユージンらが生まれる以前に起こった出来事なのだろう。
「うん。だから、アルディス聖王家の汚点だね。僕も記録書に綴られた内容しか知らないけれど――未だにどうしてあんな事態が起こったのか理解に苦しむね。ああ、つまらないことを思い出した……。とにかく、陛下は久し振りに公爵兄弟に逢えて大はしゃぎの上に、この通りの物凄い大盤振る舞いだ」
 グラディスが喜々とした眼差しを酒瓶の詰まった箱に向ける。
 酒の魔力なのか、言葉を紡ぐグラディス本人も大いにはしゃいでいるように見えた。
「さっ、グラディス、約束よ。あなた、王宮での呑み比べであたしに負けたんだから、潔く脱ぎなさいよねっ!」
 不意に、レイジィが昂揚した声を放つ。
 ユージンとアナンはほぼ同時に酒を喉に詰まらせ――派手に噎せた。
 グラディスとそんな約束を交わすことができるなんて、レイジィ一人だけだろう。
 この世の中に酒の呑み比べでグラディスに勝てる人間なんて、そうそういない。その上、脱衣を賭けて勝負を挑むなんて、恐ろしすぎる挑戦だ。
「おまえ、自分が女だってコト完全に忘れてるだろっ!!」
「まあ、レイジィ! グラディスは公爵家の当主ですわよ! それを脱がせるなんて――脱がせるだなんてっ……!」
 ユージンとアナンの非難の声が重なる。
 だが、レイジィはギラギラと輝く双眸で苛烈に二人を睨めつけるのだ。
「勝負は勝負、負けは負けよっ!」
「そう、これは純粋な勝負だよ。ユージンもアナンも口出しは遠慮してもらおうか――」
 グラディスがすっくと立ち上がる。
「悪いけれど、酔った時の僕は――脱ぐのは嫌いじゃない」
 いつもの如く冷静な声。
 なのに、グラディスは指で上衣の胸元を自らはだけさせている。
 ――脱ぐのは嫌いじゃない、だと? ……ヤバイ、酔ってる! 完全に酔ってるっ!!
 ユージンは口の端を引きつらせ、グラディスを凝視した。
 グラディスの全身からは他者の介入を拒む、どす黒い氣のようなものが立ち上っているような気さえしてくる。
 酒への飽くなき執着――そして、密かな負けず嫌いの性分が、珍しくグラディスを熱くさせているらしい。
「ここは王宮じゃないからね。僕もそろそろ本気を出させてもらうよ」
 瞳に冴え冴えとした輝きを煌めかせ、グラディスはバッと一気に上着を剥ぎ取った。
 均整のとれた上半身が露わになる。
 胸の傷痕はそのままだが、それを含めても彼の裸身は神話の登場人物の如く美しい。
 グラディスは長い髪を頭の高い位置で一纏めにすると、首飾りの一つを外し、器用にそれで髪を結わえた。
 普段は見えることのない白く細いうなじが惜しげもなく晒される。
 長年のつき合いからグラディスの酔い方を知り尽くしているのか、主人大好きガレルは平然と彼を見守っていた。
「さあ、レイジィ、勝負の続きを始めようか」
 唖然としているユージンとアナンを尻目に、グラディスは唇に三日月を描かせて不敵に微笑んだ――




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2009.10.10 / Top↑
 その光景は、凄惨かつ凄絶としか言い表しようがなかった。

 半裸のグラディスと肌着姿のレイジィが、果実酒の瓶を片手にいつ終わるとも知れぬ酒盛りを繰り広げているのだ。
 あれから一時間――床に積み上げられた酒瓶は既に小山と化している。無論、次々と瓶を空にしていったのは、グラディスとレイジィだ。
 ユージンとアナンの五倍は上回る速度で、彼らはまるで水の如く喉に酒を流し込んでゆくのだ。酒精度の高低は全く意に介さないらしい。

 とにかく呑む。

 二人の飲みっぷりは、観ているユージンの方が吐き気を催すほどの豪快さだった。
「わ、私……ちょっと気分が……。少し休ませていただきますわ」
 真っ先に音を上げたのは、アナンだ。これまで酒とは無縁の生活を送ってきた彼女にとって、飲酒はただの苦行でしかないらしい。青ざめた顔で椅子から立ち上がると、フラフラとソファへ足を向ける。
 大きな天鵞絨のソファに辿り着くなり、彼女はパタンと横になった。おそらく瞬時に気絶したのだろう。
 そんな恋人の様子を見て、グラディスが席を立つ。彼は部屋の奥にある寝台から薄手の毛布を取ってくると、静かにそれをアナンの身体へとかけた。
「おやすみ、アナン」
 限りなく優しい声音で囁き、グラディスがアナンの額に口づける。
 愛しげな眼差しでアナンの寝顔を見つめ、その頬を撫でるとグラディスはまたテーブルへと舞い戻ってきた。
 その瞳は、アナンに向けられていた時とは打って変わり、苛烈な輝きを灯している。まるで戦場に赴く兵士のような決然とした顔つきだ。
 ――何で、酒を呑むだけなのに、無駄に凛々しくなってんだよっ!?
 ユージンは顔を引きつらせて、グラディスを見遣った。
 微かに歪み始めた視界の中、グラディスが均整のとれた綺麗な上半身が近寄ってくる。
「オイ、グラディス、おまえ……今にも下まで脱げそうだぞ」
 ユージンはグラディスの腰に視線を据え、苦々しく言葉を吐き出した。
 グラディスの下衣は腰のかなり下の位置で辛うじて引っかかっている感じなのだ。先ほど腰帯を取っ払ってしまったからだろう……。
 既に臀部が垣間見えているような気がするのは、酔っ払ったユージンの錯覚ではないだろう。背中から細い腰――そして臀部へと繋がる一本の筋が、妙に悩ましい。
「ああ、アナンが眠ったから、もう全部脱いじゃってもいいんだけどね」
 ユージンの指摘に慌てる素振りもなく、美貌の公爵様はサラリとそう言ってのけた。
「えっ、じゃあ、あたしも脱いじゃおうかなっ!」
 グラディスの言葉に何かが刺激されたらしく、レイジィが無邪気にゲラゲラと笑う。彼女は肩紐のない丈の短い肌着を身につけている。ピタリとした肌着の中央は細い紐で編み上げられており、レイジの指は今にもそれを解こうと蠢いていた。
「うわっ! 止めろっ! それ以上は脱ぐなっ!!」
 ユージンはギョッと目を剥くと、慌てて身を乗り出し、レイジィの手を叩き落とした。
 ほんの一瞬だけ酔いが醒めた。
 だが、すぐに大量に摂取した酒精が体内を駆け巡り、ついでに世界を回す。
 ユージンは情けない呻きを発しながら、テーブルに突っ伏した。
 気持ちが悪い。吐き気がする。
「どうして邪魔するのよっ!?」
 レイジィの張りのある怒声がまた頭痛を増長させる。
「……おまえらさ、もう勝負になってないだろ、ソレ?」
 ユージンはガンガンと病む頭を懸命に起こすと、恨みがましい目でレイジィとグラディスを見遣った。
 勝負に勝っても負けても脱ぐのなら――それは最早勝負ではない。
 ただの『脱ぎ癖のある質の悪い酔っぱらい』だ。
 つまるところ、グラディスとレイジィは、酩酊すると解放感を求めて躊躇いもなく服を脱ぎ捨てる裸族なのだ。
 まさか、自分の身近に二人も裸族がいようとは思ってもみなかった。
 この先、酒宴が開かれる度に二人の脱ぎっぷりを心配しなければならないことを想起すると、急に心が重くなった。
 はっきり言って心臓に悪い。
「いいんだよ。僕とレイジィは性別を超えた盟友――裸なんて一々気にしてられないね」
「よくないっ! 気にしろよっ!!」
 裸の肩を優雅に聳やかすグラディスに大して、ユージンはすかさず抗議した。大声を出した途端、またズキリと側頭部が痛みを発する。
「あんたも黙ってないで、何とか言ってやれよ。大事なご主人様が全裸になってもいいのかよ!」
 ユージンは額を片手で押さえ、ずっと静観している魔法剣士に視線を流した。グラディス至上主義のガレルなら、主人の乱心を止めてくれると信じて助けを求めたのだ。
 だが――
「別に構わない。クローディア様が生きてさえいてくれれば、それでいい」
 ガレルは僅かに首を傾げると、そんな返答を投げて寄越したのだ。
 ――くそっ、こいつもホントはグラディスの裸が見たいだけなんじゃないのかっ!? きっと、夜ごとグラディスの裸で色んな妄想してるに違いない!
 ユージンはすっかり当てが外れたことに腹が立ち、心の中でガレルを変態に仕立て上げてやった。
 もちろん声には出さない。何せ相手は魔法剣士だ。まともにやり合えば、ものの数秒で床にねじ伏せられてしまう。
「クローディア様、どれだけ酔ってもいいですが――明日は、夕方から陛下と食事なので、それだけは忘れずにいて下さい。では、私はそろそろ失礼させていただきます」
 ガレルが生真面目な表情で告げる。
 グラディスは了解を示すように無言で頷いただけだが、何故だかレイジィの方が彼に食いついた。
「えーっ、ガレルさん、帰っちゃうの? たまには一緒に呑もうよっ! あたし、そのスッポリ身体を覆う深紅のマントの下がどうなってるのか、とっても興味があるのよね! やっぱり全裸なの? それとも異次元空間っっ!?」
 レイジィの双眸が好奇心に輝く。
 対照的にガレルの表情は引き攣れた。
「――国家機密だ。とにかく、もう一ヶ月近くも恋人を放置しているので、今日は帰らせてもらう」
 ガレルが渋々と言葉を紡ぐ。
 ――あっ、変態説アッサリ崩された上に、さっさと逃げる気だな!
 ユージンは内心でひどく焦ったが、酔って気持ちが悪い上に、そもそも魔法剣士を引き止める勇気がなかった。一ヶ月も恋人をほったらかしにしているのなら、それは胸中穏やかではないだろう。気が立っているガレルに突っかかるなんて、負け戦に敢えて挑むようなものだ。
「それではクローディア様、明日の夕方にはお迎えにあがります――」
 丁寧すぎるほど丁寧にグラディスに向かって頭を垂れ、そのままの体勢でスーッと空気に溶け込むようにして姿を消した。
 直後、グラディスとレイジィの視線が同時にユージンに注がれる。
「残ったのは君だけだね、ユージン。じゃあ、呑み直そうか」
「まだまだ大丈夫よね? あたし、ユージンはやればもっと呑める男だと思ってたのよね! あー、楽しみっ!」
 酒精に支配された二対の瞳が、ユージンを絡め取る。
 つと、ユージンの背を冷たい汗が滑り落ちた。



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2009.10.10 / Top↑
「大体ねえ、ユージンは度胸が足りないのよ、度胸がっ!」
 自分を罵るレイジィの声が響く。
 あれから更に一時間――二大酒豪につき合ったユージンは、完全に沈酔していた。
 浴びるほど酒を呑ませられ、テーブルに突っ伏している。
 限界だ。
 もう、酒を口にするどころか、喋るのも起き上がるのも到底不可能な状態だ。
 目を開ければ奇妙に歪んだ世界がグルグルと巡っているし、レイジィとグラディスの声はやけに遠くから聞こえてくる。
「ねえ、いつになったら色んなコト経験させてくれるのよっ?」
 レイジィが何やら喚いているが、ユージンには答える気力は微塵もなかった。頭の回転が著しく低下しているので、彼女が何を言わんとしているのかも全く解せない……。
「……何? 君たち、もしかして《星戦》の頃から何一つ進展していないの?」
 グラディスの声に驚きが含まれる。
「そうよ! ファーゴの宿で『遠慮しない』『期待に応えたい』って言ってたのに、結局何にも変わってないのよ! あたし、ユージンと色んなコトするの物っ凄く楽しみにしてたのに、どーすればいいのっ!?」
「可哀想に……。あれから、もう何ヶ月も経ってるのに。――まったく、君ときたら本当に馬鹿だね、ユージン」
 今度はグラディスの声音に呆れが織り込まれた。
「あたしって、そんなに女としての魅力が致命的にに欠けてるっ!? 何か、あたしからユージンを誘うなんて嫌だし! よく考えてみれば、ファーゴでキスしたのもあたしからだし――またあたしから迫ったら、飢えた野獣みたいにがっついてると思われそうだし――」
 レイジィの吐露はまだまだ続く。
 ユージンが聞いていないと思って、ここぞとばかりに言葉を捲し立てているのかもしれない。もっともユージンに聞かれていても、彼女の弁舌が止まることはないだろうが……。
 ――ああ、そういや、何となく有耶無耶になって……結局、あれから何にもしてなかったっけ?
 混濁する意識の中で、ユージンはボンヤリとアダーシャへ来てからの日々を反芻した。
 グラディスの元で護衛としての新生活が始まってからは、とにかくアルディス聖王家に伝わる礼儀作法などを徹底的に仕込まれ、ガレルから剣術を叩き込まれる――といった具合に多忙を極めていたのだ。
 そんな忙しない毎日だったので、レイジィの期待に応える気力が削がれていた。レイジィとて条件は同じなのに、それでも彼女は胸を期待に膨らませ、ユージンを待っていてくれたらしい。
 ――俺的には、野獣でも、がっつかれても全然構わないんだけどな……。
 レイジィを愛しく想う気持ちに変わりはない。
 ただ、あまりにも彼女が天真爛漫すぎて、あと一歩を踏み出すことが出来ずにいただけだ。
 ユージンが求めるものは、星神の神殿の中で彼女が思い描いていた夢や理想とは異なるかもしれない。彼女を傷つけるかもしれない、と畏れていたのも事実だ。
 ――けど、難しく考えるのはもう止めだ。次に機会があったら、高熱があっても泥酔していても、我慢しない。最後までやり遂げてやるっ!
 ユージンは途切れかけた意識の中で、密やかにそう堅く誓った。
「君は充分魅力的だよ」
 ユージンの言葉を代弁するように、グラディスが告げる。
「ユージンは馬鹿だけれど、好きな相手の心の機微を察せられないほど愚鈍でも無骨でもないよ。ただ、馬鹿で不器用だから一つのことを真っ直ぐに見つめるのが精一杯で、同時に幾つものことがこなせないだけ――もう少し余裕ができたら、嫌でも夜這いに来ると思うよ」
 グラディスの笑い声が遠くに聞こえる。
 もう意識が朦朧とし、世界は完全に超高速回転木馬の域に達していた。
「でも、女性を長く待たせるのは、確かに失礼だね。腹立たしいから、ユージンも脱がせてやろう――」
 グラディスの声に悪戯っぽさが宿る。
 だが、それさえも遙か遠くの空から聞こえてくるようで、現実味が全くない。
 ――とにかく、レイジィを待たせることは……もう止めよう。
 目覚めた時にレイジィが傍にいたら、思い切り彼女を抱き締めてあげよう。
 そう思った瞬間、急速の意識が闇に引きずり込まれた――


     *


 眩い光が降り注いでいる。
 ユージンは黄金色の輝きに触発され、瞼を震わせた。
「ん……」
 瞼に暖かな光を感じながら寝返りを打つ。
 柔らかな寝具と滑らかな肌の感触を全身に覚えた。
 ――あれ? レイジィ……?
 ユージンは無意識に手を動かして、自分の隣で寝ているであろう人物の肌を撫でた。レイジィにしては骨が太いような気がする……。
 訝しさに眉根を寄せると、二日酔い特有の嫌な頭痛が連続して起こった。
 ほぼ同時に、少し離れたところから豪快な鼾と寝息が聞こえてくる。
 それを耳にした途端、ユージンは勢いよく上体を跳ね起こしていた。
 鳴り響く頭痛を堪えて、鼾の発生源へと目を向ける。
 昨夜宴を繰り広げていたテーブル近くの床に、レイジィが仰向けに転がっていた。耳慣れた鼾は紛れもなく彼女のものだ。
 ソファに視線を流すと、イル・アナンもまだ熟睡しているようだった。
 ――ってコトは、まさか……!?
 ユージンは恐る恐る自分の隣に視線戻した。
 寝台では長い髪を散らして、グラディスが眠っていた。
 窓から射し込む陽光が剥き出しになった彼の肩を照らしている。
 ――グラディスか……って、待て待て、何で俺、裸なんだっっっ!?
 グラディスの白い肌を何気なく見て、はたと自分も衣服を着ていない事実に気がついた。
 焦燥のあまり勢いよく毛布を剥ぐ。
 そして、ユージンは驚愕に目を丸めた――全裸だったのだ。
 どうりで寝具の感触が全身にあったわけだ……。
 再びグラディスに視線を戻すと、やはり彼も一糸纏わぬ裸身だった。
 ――うわっ……何がどうして、こうなったんだっ!?
 ユージンの頭は一気に混乱を来した。
 昨夜は調子に乗って呑みすぎたので、ガレルが帰った辺りからの記憶があやふや――というか、記憶の全てが欠如しているに等しい。
「え? 何!? 何で、男二人が裸で寝てるワケ? ――あれ? 何だよ、この瓶?」
 ユージンは青ざめた顔で、自分とグラディスとの間に転がる細長い酒瓶を手に取った。
 確かコレは、幻の珍獣ハタザベスの生き血を云々……の稀少酒だったはずだ。
 中身が空のところを見ると、グラディスかユージンか、または双方があの気味の悪い紫色の液体を呑み干したらしい。
「嘘、呑んだのかよ? いや、それ以前に俺、記憶が全くないんだけど? え? ええっ!? まさか、俺――ヤッたの? それとも、ヤられたのかっっ!? うわっ……何にも思い出せねぇ――」
 ユージンはますます蒼白になって、怖々とグラディスの身体に視線を配った。
 気のせいか、白い肌に幾つか紅い痣が浮いているように見えなくもない。
「俺……身体に違和感何にもないし――やっぱり、酔った勢いで俺がグラディスを……!? 嘘だろ? ナイナイ、ぜーったいナイッ! 有り得ないっっっ!」
「――何が有り得ないんだ、小僧」
 ユージンの喚きと同時に、低く威圧的な男の声が響いた。
 瞬く間に室内の温度が凍り付く。
 ユージンは振り向きたくなかったが、何か磁石のようなものに引きつけられるようにして声の主の方へ首を巡らせていた。
 深紅のマントが鮮やかに視界に飛び込んでくる。
 魔法剣士ガレルが鬼のような形相でユージンを睨めつけていた。
「小僧、貴様という男は……! クローディア様を……私のクローディア様を――」
「ごっ、誤解だ! 酒を呑んでただけだって! 何もない。疚しいことは何一つない――多分……」
 ユージンは慌てて言い訳を連ねた。
 実際、自分では何も覚えていないのだから、明確な否定も肯定も出来なかった。
「多分――だと? その瓶、ハタザベスだな。それを一本呑んでおいて、何もない訳がないだろ!」
 ガレルの忌々しげな眼差しが、ユージンが手にした空瓶に注がれる。
「だから、誤解だって! コレを呑んだら――何が起こるんだよ? 俺が教えて欲しいくらいだ!」
「その、ハタザベス酒は――超強力感度増幅精力剤だ。世界中の国王が喉から手が出るほど欲している、幻の珍酒。それを呑んで、クローディア様と全裸で寝台を共にしているのに、何もないわけがないだろう!」
 ガレルが容赦なく猜疑と憎悪の相俟った視線でユージンを貫いた。
「……や、やっぱり、そう考える方がフツーなのか? うっわーっ、どどどどどうしようっっ!? 物凄く気まずいんですけどっっっ! もう一度眠って起きたら、ちゃんと服着て爽やかに目覚められる――って都合良くならないかな、あんたの魔法で!」
 ユージンが強張った笑顔で提案すると、ガレルからは氷よりも冷たく鋭利な視線が返ってきた。
「安心しろ。しっかり眠らせてやる」
 地獄の底から湧き出てきたようなガレルの声。
 風もないのにゆらゆらと彼の髪が揺らめく。
「だから、二度と目覚めるな――」
 ガレルの唇が呪を紡いだ刹那、遙か上空で春雷が轟き、稲妻が迸った。



 麗らかな春の午后。
 突如としてロンデル公爵邸のみを襲った春嵐の真相は、永久に歴史の闇に葬られることになる――



                 《了》



……こ、こんなオチでスミマセン(汗)
グラディスを脱がせてみたかっただけ……というのは、ナイショの話です(笑)
テンプレ表紙をご覧の方はお気づきかもしれませんが、管理人は恥ずかしげもなく『半裸萌え』を主張しております。激しく主張しております←
同志の方は是非名乗り出て下さい(笑)

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2009.10.10 / Top↑
77777HIT ありがとうございます♪
この記事を上げている時点で、80000HIT超えていますけれど――こちらは77777HIT記念の「アヴィリオン」小咄になります(;´▽`A``
「幸せなその後」的なリクエストをいただきましたが、ちっともほのぼのしてません←
本編ネタバレが満載ですので(汗)未読の方はコチラからどうぞ→「アヴィリオン」



Terrestrial Paradise


 冷たい霧雨の降る夜だった。

「ラグネル・パンドラ――」
 いつものように夜の散歩に出かけている最中、突如として背後から呼び止められた。
 グレートブリテンの要であるシティ・オブ・ロンドン――人気のない裏通りで思いがけず本名を呼ばれ、ラグネルは足を止めた。
 浮き浮きと回していた傘を止め、胸に警戒心と緊張を抱く。
 太平洋上に浮かぶ巨大人工島ブロスリアンドを出てからおよそ半年――表向きにはモリガンが用意してくれた偽IDを使用し、偽名で暮らし続けてきた。
 なので、このグレートブリテンで自分が『ラグネル・パンドラ』であることに知る人間は、生活を共にしているガウェインとリガだけだ。
 グレートブリテン以外の人間では、霊長類研究機関《アヴィリオン》の特殊エージェントであったガラハッドとモリガン、ブロスリアンドの議長であるアキラ・ウサミ氏――
 それ以外に考えられるのは、どこか大国の諜報員か巨大研究機関の手の者くらいだ。

「ラグネル・パンドラ――忌々しい人間の出来損ない」
 憎悪と侮蔑の籠もった低い声を聴き、ラグネルは眉をひそめた。
 どうやら歓迎できぬ来訪者は、明確な敵愾心と怨恨を持ってラグネルを捜し当てたらしい。
 ラグネルを人工生命体だと知った上で追跡してきたのだ。
 ラグネルは《アヴィリオン》で創られたバイオ・ヒューマノイドだ。
 遺伝子工学と生命工学の天才――ミユキ・クルミザワを筆頭とした五人の博士たちのよって生み出されたのである。ラグネルの身体には、高度な人工知能と人工臓器、そして博士たちの優秀な頭脳と溢れんばかりの知識が搭載されていた。
 外見はどこからどう見ても人間そのものだし、思考回路も独自のものだとラグネルは自負している。
 自分が博士たちの夢を結晶させたアンドロイドだということは重々承知しているが、無関係の他人からそれを指摘されるのは不愉快だった。侮辱されているのならば尚更だ。
「出来損ないじゃないわ。わたしはラグネル・パンドラ――人間よ」
 ラグネルはゆっくりと身を反転させ、真っ直ぐに相手を見つめた。
 そして、相手を確認して――目を眇めた。
 霧雨の中、こちらに銃口を向けているのはプラチナブロンドの美しい女性だったのだ。
 低い声から勝手に男性を想像していたので、相手が若い女性である事実に小さな驚きを覚えた。
「ミユキ――――!?」
 街灯に照らされたラグネルの顔を目の当たりにして、女の方もハッと息を呑んだ。
 青紫の双眸が驚愕に瞠られ、次いで哀しみと怒りに揺らいだ。
「本当にミユキ・ウサミにそっくりなのね……」
 女の唇に冷笑が刻まれる。
 ラグネルの脳内では『ミユキ・ウサミ』という言葉が即座に『宇佐美深雪』という和名に変換された。
 宇佐美深雪――ウサミ議長の愛娘であり、ラグネルのモデルとなった人物だ。
 そもそもラグネルがこの世に生まれることになったきっかけは、亡き姉を慕う弟のフレイの妄執だ。フレイが最愛の姉を甦らせようと企てたことに端を発するのである……。
「そっくりなだけで、中身は別人よ。ところで――あなたは誰なの?」
「私は、ベリッド。フレイ・ウサミの大学時代の同期で元同僚。もちろん、本物のドクター・ミユキとも同級生よ」
 女――ベリッドは挑戦的にラグネルを見据え、冷ややかに告げた。
 彼女は、アヴィリオンにいたドクター・ミユキの正体がヒューマノイドであることを知っている。
 フレイとミユキ・クルミザワの同期で同僚だったというのは、真実なのだろう。それは即ち――彼女もアンドロイドの創生が可能な科学者であることを意味していた。
「あなたは、フレイとクルミザワが生み出した最高傑作。だから、私が譲り受けるわ」
「残念だけれど、わたしを生んでくれたのはアヴィリオンの博士たちよ。クルミザワ博士はともかく――フレイ・ウサミは関係ないわ」
 ラグネルは、姉への盲愛に取り憑かれたフレイの姿を思い出し、きつく眉根を寄せた。
 彼の異様な愛情と狂気は、五人の博士たちの人生を狂わせ、アヴィリオンに住んでいた特殊エージェントたちの生命を奪い、ガウェインたちを奈落の底へ突き落としたのだ。

 アヴィリオン――アーサー王が最期の刻を過ごしたとされるアヴァロンの別名。
 一説によると、そこは『楽園』の島だったと言われている……。
 だが、ガウェインたちが博士たちと蜜月を過ごした『楽園』は、もうこの世の何処にも存在していない。
 蚕の繭のような奇怪な研究所は完全に取り壊され、美術館に生まれ変わったと先日テレビで報道されていた。

「ミユキ・ウサミと同じ顔をしてフレイとは無縁だなんて、よくも言えるわね」
 ベリットの唇が弧を描き、酷薄な笑みを象る。
「フレイの生命を奪ったあなたはのことは憎いけれど、その肉体とプログラムに詰め込まれた奇才五人分の頭脳に免じて――殺すのは止めてあげる。ああ、殺すなんて言い方も相応しくないわね。機能を停止させて、これまでのメモリを全消去して――再起動させてあげる。次に目醒めた時、あなたの裡にはフレイの子供が宿っていることになるわね」
 ベリットが銃を構え直し、青紫色の双眸をスッと細める。
 彼女の言葉は、悪意の塊としか思えなかった。一言一言が鋭利な刃物のようにラグネルの胸を突き刺す。
 おそらくベリットは、研究仲間としてでも同期としてでもなく一人の異性としてフレイに好意を寄せ、愛情を抱いていたのだろう。
 ラグネルを射る剣呑な眼差しが、それを如実に物語っていた。
「何よ、それ? フレイの子供って、どういうこと? あの人は、確かにわたしが銃弾を撃ち込んだし、ガウェインの炎に焼かれて肉体も消滅したはずよ」
 ラグネルは負けじとベリットを睨み返した。
 フレイの名前を口にするだけでもおぞましい。
 半年前のあの日――フレイ本人にも告げられたことだが、彼の子供を宿すなんて想像しただけでもおぞけがする。
「私たちは科学者であり探求者よ。フレイの目的は、生殖機能を有するヒューマノイドを完成させること。開発に乗り出した時から、精子も卵子も冷凍保存してあるに決まってるでしょう。民間人に提供してもらうより研究者のものを使用した方が面倒もないから――当然あるわよ、フレイのものも」
「研究のために、わたしの身体を使う――ってことね?」
 ラグネルはますます顔をしかめた。
 自分が創られた第一目的はミユキ・ウサミを甦らせることであり、フレイは姉の姿をしたラグネルと自分の子供がミユキ・ウサミの生まれ変わりになる――と信じて疑わなかったのだ。
 妄想を飛び越えて、彼は狂乱の渦の中に身も心も沈めてしまった……。
「当然でしょう。この地上で完成体はあなたは一人だけだし、あなたはそのために創られたのだもの。フレイの遺志を継ぎ、私が研究を続行してあげるのよ。有り難く思いなさい。あなた――この世にフレイを再生させる大役を担うことになるのよ」
 ベリットが凄惨な笑みを湛える。
 血走った青紫の双眸は、いつの日か目にしたフレイの瞳と同じ――狂気に侵されていた。
「結局は……あなたもそこに行き着いたってわけね……。可哀想な人。けれど、わたしはあなたには従わないし、フレイの子供なんて宿さない。再起動なんて――冗談じゃないわ! 今のわたしの記憶はわたしのものだし、ガウェインとリガを失うなんて、とても考えられない」
 ラグネルは毅然と言い放った。
 ――わたしは今、きっと幸せなんだ。
 この非常時に、場違いにもそんなことを実感した。

 失いたくない大切なものがある。

 ランスロットを喪って一時は悲嘆に暮れていたラグネルだが、アヴィリオンで知り合ったガウェインとリガと共に暮らすうちに――必然的に彼らの占める割合が大きくなっていた。
 失うのは怖いし、彼らと離れ離れになることを想像するだけで畏れを感じる。
 裏を返せば、それは『今』が満たされていることの証だ。
 ――ああ、またちょっとガウェインの気持ちが解っちゃったかも……。
 ふと、また余計な感慨が湧いてくる。
 ガウェインが弟のように愛情を注いでるリガに対して過保護になるのは、リガと共に丁寧かつ大事に育んできた平穏と絆を失いたくないからなのだろう。
「わたしは、あなたとは一緒に行かないわ」
「あなたは死なない人形だけれど、戦闘能力はゼロに等しいのよね。是が非でも研究所に連れて帰るわ」
「諦めた方が賢明よ、ベリット。わたしに手を出した瞬間、白い死神があなたの生命を奪いに来るわよ」
 ラグネルが強気な眼差しでベリットを睨めつけると、彼女はさもおかしげに唇を歪めて笑った。
「ああ、あなたのあの――アルビノの彼ね。ドクター・ランスロットが可愛がっていた白い悪魔。アレが何なのか調査していないとでも思うの? 何のために、わざわざこんな寒い雨の夜を選んだと思ってるのよ? あなたの彼氏――自由に《力》を発揮できないんじゃない?」
 ベリットが銃を持たない手をわざとらしく広げ、掌に天に向ける。
 彼女の悪意に応えるように、夜空から降り注ぐ雨が唐突に強さを増した。

 霧雨が激しい雷雨へと転じる。

 ラグネルは恟然と目を瞠り、唇を噛み締めた。
 ベリットはラグネルの傍にいるのが何者であり、どんな異能力を保持しているのかしっかり調査済みなのだ。
 ガウェインの特殊能力は――発火。
 ベリットの予測通り、この雨ではガウェインの炎は掻き消されてしまうだろう。
「まあ、役に立たない彼氏が来ても問題ないわね。むしろ彼氏も生け捕りにして、アヴィリオンで行われていたように人体実験してみたいわ。それにアルビノって――フフッ、とっても高く売れるそうじゃない? あなたを楯にしたら、研究費用を稼いできてくれるかもしれないわね。私にとっては一石二鳥だわ」
「最低っ……! 科学者としても女性としても低俗で最悪ね、あなた!」
 ラグネルは怒りに燃える瞳でベリットを見据えた。
 人生の半分以上を昏く澱んだ裏世界で生きてきたガウェイン――彼を再び汚泥の中に引き摺り込むことは許せないし、耐えられない。
 絶対に阻止しなければならない。
 最近、ようやくラグネルに対しても普通に接し、笑いかけてくれるようになったのだ。
 彼から笑顔を奪うことも、リガからガウェインを奪うような真似もさせてはならない。
 楽園を追われたガウェインとリガを不幸にさせないこと――それが五人の博士たちの遺言であり、ガラハッドとモリガンから託された願いであるのだろうから……。
「私からフレイを奪ったあなたたちが悪いのよ」
 ベリットが正気の眼差しでラグネルを睨み、冷徹に言葉を紡ぐ。
 彼女が天へ向けていた片手を振ると、それを合図に建物の影から黒ずくめの男たちが姿を現した。
 気づけば、辺り一帯は武装した男たちによって包囲されている。
 不利な状況に立ち竦んでいると、迂闊なラグネルを嘲笑うかのように雨足が激しくなった――


     *


改めまして、77777&80000HIT、ありがとうございます(´∀`)
5話以内には完結する予定です←

 
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2010.11.27 / Top↑
     *
 
 
 窓に当たる雨がガラスを伝い落ちる。
 先程まで霧雨だった雨は、少しばかり強さを増したようだ。
ガラス窓に生じる水の筋が太くなったのを確認して、ガウェインは僅かに眉根を寄せた。
 ラグネルが夜の散歩に出ていることを思い出したからだ。
 ランスロットと一緒に暮らしていた時からの習慣らしく、ラグネルはグレートブリテンに移住してからも独りで夜の街を徘徊することを日課としていた。
「――ったく、あのバカ女、いつまでほっつき歩いてるつもりだ?」
 ポツポツと窓にぶつかる雨粒を眺めながら、ガウェインは無意識に文句を垂れていた。
『ああ、ラグネルは散歩中なのか』
 苦笑混じりの声が耳に届き、ガウェインは視線を窓から巨大モニターへと移動させた。
 壁に設えられたモニターには、長い黒髪を一つに束ねた青年の姿が映し出されている。
 世界的に有名なマジシャン――ガラハッドだ。
 ガウェインたちと同じくアヴィリオンの住人だった彼は、バラバラに暮らすようになってからも時折こうして連絡を入れてくる。
 年長者であるガラハッドにとっては、ガウェインもリガもまだまだ子供で、危なっかしい弟にしか見えないのだろう。
「あいつ、自分が研究機関や国家組織に狙われる対象だって自覚がなさすぎるんだよ」
 ガウェインが不満を吐き出すと、モニターの中のガラハッドは煙草を口に咥えたまま再び苦笑を湛えた。
『天才博士五人分の頭脳を搭載し、尚かつ生殖機能を有するスーパーバイオヒューマノイドだもんな……。正体がバレたら各国の研究機関がほっとかないだろうな。博士たちとウサミ議長の秘密主義が幸いして、今のところ情報は漏洩していないようだが……』
 ガラハッドの唇から大量の紫煙が吐き出される。彼のヘビースモーカー振りも以前と何ら変化はないらしい……。
『――リガは?』
「ん? 今、フロに入ってる。最近、フロに入るとしばらく出て来ないんだよ」
 ガラハッドの質問に対して、今度はガウェインが苦笑いを零す番だった。
「ラグネルがさ、マメにサイボーグ部分を調整してくれるから、今は――成長抑止剤を使ってないんだ。だから、日々変化してゆく左半身を眺めるのが楽しいし、嬉しいらしい。この半年で二センチも身長が伸びたんだ、リガのヤツ」
『成長期に強引に発育を止めてたから――その反動で急成長してるのかもな。まあ、元気ならそれでいいけどな』
「ビックリするくらい元気だよ。だから、あのバカ女には……感謝してる」
 ガウェインは低い声音で呟き、口元に微笑を閃かせた。
 照れ臭いし、素直じゃない性格が災いして面と向かって礼を告げることは中々出来ずにいるが、ラグネルに対しては言葉では表せないほどの深謝の念を抱いている。

 ウサミ邸が炎上したあの日――復讐を終えたリガは、ガウェインの前から消えた。
 狼狽え、悲嘆に暮れるガウェインの頬を引っぱたいて正気に戻してくれたのは、ラグネルだ。
 彼女の『わたしがリガを死なせたりしない』という言葉に勇気づけられ、ガウェインはリガの生家があるグレートブリテンにやって来たのだ。
 廃墟と化したイゾルデ家で、衰弱している金髪の少年を発見した。
 ラグネルと二人で手厚く看護し、もう成長を止める必要もないし、マーリンの処方やサイボーグパーツの件もラグネルがいるから心配ないのだと切々と説くと――リガは泣きじゃくりながら『ありがとう』と告げ、ガウェインとラグネルに抱き着いた。

 以来、リガは涙を流していない。
 代わりによく笑うようになった。
 今はロンドンに小さな家を借り、三人でひっそりと穏やかな暮らしを営んでいる。
 ブロスリアンドで暮らしていた頃に比べれば、神経を尖らせることも少なくなったし、特殊能力を駆使する必要は全くと言っていいほどなくなった。
 リガがいて、ラグネルがいて――笑い合い、喧嘩したり、からかい合ったりしながら食卓を囲み、共に食事する。
 些細なことだが、それは紛れもなく安穏とした日常であり、今まで知り得るはずのなかった幸せだった。
 奇妙な縁で繋がった絆だが、今ではすっかり三人でいることが当たり前になっている。
 ガラハッドがこうして連絡を寄越してくれることも、素直に嬉しかった。
 未だマジシャン・ガラハッドとしてたまにテレビなどに出演している姿を観るが、やはり素の彼と言葉を交わすと郷愁めいた温かさを感じる。
「――アレ? いういや……モリガンは?」
 ふと、もう一人の年長者のことを思い出し、ガウェインは疑問をそのまま唇に乗せていた。
 ブロスリアンドで別れた後、一度も顔を見ていないのはモリガンだけだ。
『あー、まあ……遅い青春を謳歌してる――っていうか派手に恋愛ごっこしてるっていうか……とにかく愉しんでるみたいだな』
 ガラハッドは歯切れ悪く応じ、またしても苦々しい笑みを浮かべる。
『おっ、ちょうどテレビに映ってるんじゃないか?』
「――は? テレビ?」
『チャンネル889に合わせてみろ』
 状況を理解できないままガウェインはリモコンを手に取り、言われるままにチャンネルを操作した。
 直ぐさま画面が二分割され、左側にガラハッド、右側にワイドショーと思しき映像が出現する。
 テロップには『カリブのリゾートプリンス、謎の美女と豪遊!』と打たれていた。
 世界的に有名なホテル王の息子が、妖艶美女との熱愛を報道されているらしい。
 そのセレブの相手というのが――モリガンだった。
 画面に映る派手な巻き毛と見事すぎる肢体は、モリガン以外の何者でもなかった。
「あいつも……人目を忍ぶとか慎み深く生きる、とか――そういうのとは相変わらず無縁みたいだな……」
 ガウェインは神経質に頬を引きつらせ、冷ややかな眼差しでワイドショーを眺めた。
 育ちの良さそうなブロンド美青年に腕を絡め、モリガンが非常に愉しげに顔を綻ばせている。
 彼女は、新しい人生を着実に歩み始めているのだ。
 艶やかな笑顔には、何処か吹っ切れたような清々しさがあった。
『自由奔放に生きるのが、モリガンにはお似合いだからな』
「まっ、確かに――」
 ガラハッドの言葉に大きく頷き、ガウェインはリモコンを操ってワイドショーを消した。
 モリガンが外の世界で自由に羽根を伸ばしているのを確認できただけでも嬉しい。
 気紛れな彼女のことだから、きっとそのうち何の前触れもなくここにも遊びに来てくれるだろう。
 モニターいっぱいにガラハッドの姿が広がった瞬間、
「ガヴィ!」
 バタンッと勢いよくドアが開き、眩い金色の輝きが室内に飛び込んで来た。



モ、モリガンはもう出ません(((゜д゜;)))
 
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2010.11.29 / Top↑
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