FC2ブログ
管理画面
ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Sun
2011.05.08[09:27]

     *


 一条遙は眠っていた。 
 肉体は確かに現(うつつ)に留まっているのに、精神だけが深い闇の底に沈む過去世に微睡んでいる。

 りん――

 と、何処か遠くで鈴の音が鳴った。
 それは途轍もなく懐かしく、そして物悲しい音色だった。

 夢の中の世界は靄のようなものに包まれ、全てを見通すことは出来ない。
 靄の中心部に黄金色輝きがぼんやりと視える。
 豪奢な着物に身を包んだ影の背から翼が生えているのを確認し、遙はそれがかつて己であったモノだと朧な意識の中で判断した。

『今宵の舞は、また格別に美しかったな。流石は我が一族が誇る美姫だ。祝祭の儀には欠かせぬな』
 不意に、靄の中から若い男の声が響いてくる。
 それに対して、過去世の自分は深々と頭を垂れた。
『有り難きお言葉にございます』
 長い金髪がサラサラと揺れ動く。
 それを靄の中から伸びてきた手が掴み、愛おしげに弄ぶ。
 
 ――ああ、私は……あの手を知っている……。

 金の髪を掴む手を眺め、遙は強烈な郷愁に駆られた。
 夢の中のはずなのに――何故だか胸が痛む。

『もうじき余の妻となるおまえの白き翼と黄金の髪を讃えて、褒美を遣わそう』

 りん――

 鈴の音が今一度鳴り響く。
 男の手が髪から離れ、靄の中へと消える。再び出現した時には、その手は美しい黄金色の鈴を掴んでいた。
『この黄金の鈴には、余の念が込めてある。来世でも余とおまえを繋ぐ絆となるだろう』
 男の手が過去世の遙に鈴を握らせる。

 ――あれは……誰の手だったろう?

 何時の時代の過去なのか――前世の記憶は時折ひどく曖昧で、遙の心を煩わせる。

 不鮮明な記憶。

 けれども、確かに自分はあの鈴の持ち主を知っており、彼を慕っていたのだ。
 そう、胸を焦がすほどの恋情を抑えきれず、天主の手を振り払ってまで彼の元へと走ったのだ。

 ――天主……? 

 夢世界で、ふと遙は首を捻った。
 何故、《天主》という言葉が思い浮かんだのか、自分でもよく理解出来なかった。
 天主と言うからには、それは魔族と対立関係にある神族の長のことを指すのだろう。

『天主の許嫁でありながら、おまえはアレを裏切り、余を選んだ。……後悔はさせぬ。今生も来世も――永遠(とわ)におまえは余のものだ』

 静かな決意を秘めた声音で男が言葉を紡ぐ。

 ――そうだ、思い出した……。

 ズキンッと胸が一際強い痛みを発する。

 大切に慈しんでくれた天主を切り捨て、自分は人の血を啜って生きる漆黒の魔王の手を取ったのだ。

 遠い遠い昔の出来事――
 なのに、心を蝕む罪悪感とそれを上回るほどの恋慕の念は未だに色褪せない。

 魔王に魅せられ、身も心も搦め捕られた瞬間から自分は天主の傍にいる資格を失った。
 誰よりも天主に近く、天主の寵愛を一身に受けていたにも拘わらず、赦されざる大罪を犯したのだ。

 夢の中――過去世の遙は魔王から授けられた鈴を見つめている。

 ――私は天主の心を踏みにじり、神族の尊さと誇りを穢した……。

 鈴をひしと握り締め、魔王を見つめる顔に晴れやかな笑みが浮かび上がる。
 
 ――私は彼を愛し、そして堕天と化した。

 純粋な喜色を露わにするかつての己を目にした瞬間、遙の胸は剣で貫かれたような激痛を発した。

 ――たった一人の妹を道連れに……。


 何度生まれ変わっても、決してその罪咎が浄化されることはない――


     *




← NEXT
→ BACK
※【妖鬼伝】INDEXへ

ブログパーツ  
編集[管理者用] このページのトップへ

 

Sun
2011.05.22[10:25]
     *

 常よりも青ざめた顔を縁取る金髪が微かに揺れる。
 一条遙の眩い髪を漫然と眺めていたことに気づき、三条風巳はハッと我に返った。
 遙の金髪に龍一の姿を無意識に重ね合わせていた。兄弟なのでそれなりに顔立ちは似ているのだが、何よりも黄金の輝きが久しく姿を見ていない龍一を想起させる。
 如月祐介の魔魅によって殺められ、遙の《反魂の術》で甦った龍一。
 蘇生してからもう幾日も経過しているのに、遙が自分を龍一と引き合わせてくれる気配は感じられない。
 痺れを切らせた風巳は、遙が逗留している日本家屋の一室へと自ら足を運んだのである。
 だが、遙を訪ねてきたものの、当の本人は床に臥せっていた。
《反魂の術》を駆使したことに加え、先日は叛乱分子である魔魅遣いたちに襲われた……。
 敵襲のタイミングが余ほど悪かったのか、それ以来遙は体調を崩し、横になっている時間が増えた。
 今も勝手に入室してきた風巳に反応するわけでもなく、血の気の失せた白い顔で眠り続けている。
「――んっ……」
 ふと、遙の柳眉がひそめられ、唇から苦しげな呻きが洩れた。
「遙様?」
 反射的に遙の顔を覗き込み、風巳は渋面を作った。
 遙の端麗な顔には数多もの玉のような汗が浮かび上がっているのだ。もしかしたら夢見が悪く、うなされているのかもしれない。
「……おう……様――」
 またしても遙の唇から痛切な声が洩れる。
 掠れてはいたが、遙は『魔王様』と呟いたように聞こえた。
 敬愛すべき魔王を夢に見て、遙が苦悶の表情を浮かべる理由が解せない。
 だが、あまりにも遙が痛々しかったので風巳は反射的に彼の肩を軽く揺すっていた。
「……遙様? 大丈夫ですか、遙様?」
 呼びかけると、遙の細い身体が震え――次いで、弾かれたように瞼が跳ね上がった。
「――風……巳……?」
 宝玉のような蒼い双眸が風巳を捉え、不安げに揺らめく。
「す……ず……鈴は?」
「――すず? 何か悪い夢でも見られてたのですか?」
 遙の質問の意図を解せずに風巳が首を傾げると、遙の瞳がまた落ち着きなく揺れ動く。
 ――珍しい。
 いつもは冷静沈着な遙が人前に取り乱した姿を晒すなんて、稀有な出来事だ。それだけ魔王に纏わる夢中は、彼の心を動揺させるものだったのだろう……。
「鈴は――何処にあるのでしょうか?」
 遙が再び鈴を求める。
「鈴……ですか? いつかの過去世で、遙様が魔王様から賜った黄金の鈴のことですか?」
「ああ……そうでしたね。あれは、あの方から授かったのですね。私は――そんな大事なものを喪くしてしまったようです……」
 遙の唇が悄然と言葉を紡ぐ。
 彼は重苦しい溜息を一つ吐くと、ゆっくりと褥から上体を起こした。片手が億劫そうに長い金髪を掻き上げる。
 サラサラと金髪が流れ、元の位置に戻った時には、遙の双眸からは焦燥のようなものは消失していた。
 常と変わらぬ聡明な眼差しが改めて風巳へ向けられる。
 澄んだ瞳でまっすぐに見つめられ、風巳は思わず居住まいを正していた。
 他の条家もの者はともかく、風巳はこの遙に対してだけは敬意を払っている。何となく、遙にはどう足掻いても敵いそうにないからかもしれない。力――戦闘では、おそらく自分が勝つだろう。あくまでも推量なのは、風巳をはじめ殆どの者が遙が暴力を振るったり、闘ったりする姿を見たことがないからである。それでいて遙は一族の者を魅了し、敬慕されているのだから、やはり只者ではない。もしかしたら神族の《力》の名残なのかもしれないが、それを口外するのは条家の間では禁忌だった。過去世で遙を魔族に引き入れ、一条の名を与えたのは、他ならぬ魔王なのだから……。

「遙様――繭羅が言っていたのですが、龍一があの男に攫われたって本当ですか?」
 遙の蒼き輝きに見入りかけていた己に気づき、風巳は慌ててうつつに立ち返った。本来の目的を思い出し、ストレートに切り込んでみる。
「二条の姫にも困ったものだね」
 遙の顔に微苦笑が浮かぶ。二条繭羅の勝ち気な姿を脳裏に思い描いているのかもしれない。
「それから風巳もお遊びは止めなさい。後々二条の姫に恨まれても知りませんよ」
「……はい」
 風巳は僅かに頬を上気させ、従順に頷いた。遙は風巳が時折繭羅と戯れていたことを指摘しているのだ。
「龍一のことは否定しません」
 遙が傍の座卓からミネラルウォーターのペットボトルを引き寄せ、口をつける。
 だが、一口嚥下した直後、彼の身体が大きく震え、その手からペットボトルが滑り落ちた。
 畳に衝突したペットボトルから水が噴き出し、水溜まりを作る。
 同時に遙が胸を押さえ、苦しげに半身を折った。
「遙様っ!?」
 驚いた風巳が呼びかけるが、返事はない。
 明らかに尋常ではない荒れた呼吸音だけが、風巳の耳に届けられる。
「大丈夫ですか、遙様!?」
 無意識に遙に手を伸ばしかけ、風巳は寸でのところで思い留まった。遙が身を苛まれている原因が皆目解らない。迂闊に触れたせいで容態が悪化することを懸念したのだ。
 龍一が逝った時も唐突だった。遙もこのまま消えてしまうのではないか――という恐怖がジワジワと腹の底から迫り上がってくる。
「遙様……くそっ……! 蓮! 蓮、いないのかっ!?」
 咄嗟に風巳はこの屋敷の主を呼んでいた。
 一分もしないうちに慌ただしく駆けてくる足音が接近してくる。
「どうかしたのか、風巳?」
 勢いよく障子が開かれ、久我条蓮が颯爽と姿を現す。
「――遅い」
 蓮の掴み所のないような顔を目にした途端、安堵が芽生える。だが、風巳の口からは心とは裏腹に彼を非難する言葉が飛び出していた。
「え? これでも超速で飛んで来たんだけど――っと……うわっ、まだ痛いな……」
 蓮が風巳に向けた苦笑をすぐに解き、顔をしかめる。彼の手は何故だか腹部を摩っていた。
「変なモノ喰って腹でも壊したのかよ、蓮?」
「あー、コレは……ちょっと予想外の攻撃を喰らっただけ……。いや、まあ、獲物を喰おうとしたのは確かだけど――」
「ふーん……女遊びもほどほどにしとけよ」
「アレ? 風巳にだけは言われたくないな」
「…………」
 先ほど遙に釘を刺されてたことを思い出し、風巳は口元を引きつらせた。蓮にも繭羅との関係が洩れているのは面白くないし、己の幼稚さが浮き彫りになっているようでやはり少しばかり恥ずかしかった。
「うるさいな。それより――遙様の様子がおかしいんだ」
 風巳は小さく舌打ちを鳴らすと不毛な話題に終止符を打ち、遙へと視線を流した。
「遙様――」
 遙の異変を察知した蓮が素早く傍へ寄る。彼はとそっと遙の肩を掴み、丁寧に上半身を起こした。
「しっかりして下さい、遙様」
 蓮が呼びかけると、閉ざされたいた瞼が押し上げられた。
「……ああ、蓮……また心配をかけてしまいましたね……」
 血の気の失せた遙の顔が蓮を見て、皮肉げな微笑を湛える。
 そんな遙に対して蓮は一瞬だけ咎めるような眼差しを向け、それから何事もなかったかのように遙の額に手を当て、更には脈を測る。
「熱もないし、脈もそれほど乱れてません。ここは濡れてしまったので、とりあえず隣の部屋へ移ります」
 蓮が遙の身体を慎重に抱き上げる。
 遙や風巳が口を挟む隙すらないほど迅速に蓮は隣室へと移動した。 
 隣は洋室であるらしく奥にベッドが設置されている。蓮がそこへ遙を横たえるのを後に
着いてきた風巳は無言で見守っていた。
「まだ《反魂の術》の疲労から回復されていないんじゃないですか? 遙様は働き過ぎなんですよ。――よく眠れるように薬を処方してもらいます」
 遙を宥めるように柔和な口調で告げ、蓮が踵を返す。
「風巳――」
 蓮に続いて立ち去ろうとした風巳の服を遙が弱々しく掴む。風巳は足を止め、ゆるりとベッドへ向き直った。
「龍一のことは心配せずに。私が必ずあなたの元へ連れて帰ってきますから……」
 遙の真摯な眼差しがひたと風巳を見上げる。
「でも、遙様は身体の調子が――」
「私は、これ以上は良くなりません」
 風巳の声を遮るようにして遙が言葉を紡ぐ。
 意想外の語調の強さとその内容に風巳はハッと息を呑み、驚きの表情で遙を見返した。
 良くならない――治らない。
 遙はそう断言したのだ。
「今生の身体は限界が近づいているようです」
「それは、俺のために《反魂の術》で龍一を強引に甦らせたからですか!?」
 風巳は思わず詰問するように言葉を浴びせていた。遙の肉体を蝕むものが何であれ、龍一の蘇生が最大の理由ならば、そもそもの責任は龍一を死なせた風巳にあるのだ……。
「あなたのためではありません。自分のためです。龍一の幸せが、今生での私の何より願いであり、そして私自身の幸せでもあるのです」
 頑なな面持ちで風巳を見つめ、遙は切々と訴えてくる。
「私に残された時間も力も僅かでしょう。ですが、龍一を如月の魔手から取り戻すくらいの余力はあります」
「それでは――遙様が死んでしまいます」
 喉の奥から声を絞り出し、風巳は唇を噛み締めた。龍一のことは大事だが、三条家の反発を退けてまで自分を庇護してくれた遙に対してももちろん格別な想い入れがある。その遙が『風巳は手を出すな』と暗に言っているのだ。不満と口惜しさが自然と湧いてきた。
「それでいいのです。私は度重なる転生で、少し……疲れてしまったようです。それに、おそらく如月の目的は、一条の――私の肉体を手に入れることでしょう。今生の器では長い時間は生きられそうにありませんし――ならば、せめてこの生命くらいは唯一の肉親である龍一にあげたいのです」
 風巳の心情を汲み取ったのか、遙が穏やかな微笑を湛える。
「……ねえ、風巳、あの人に逢ったら伝えておいてくれるかな? 鈴を喪くしてしまった――と。だから今生では廻り逢えなかったのだと……」
「そんなこと嫌です! 俺は知りません! 自分で魔王様に謝罪して下さいっ!」
 風巳は声を荒げ、フイッと遙から顔を背けた。
 やはり――何度思考を巡らせても、元を辿れば自分のせいだ。
 龍一を殺められた時、自力で解決しなかった。遙に頼った。自分は《反魂の術》なんて使えないから、遙に甘えた。
 遙かがこんなに疲弊しているなんて知らなかった。
 いや、心の片隅では知っていたはずなのだ。魔王不在の一族を束ねてきたのは遙なのだから……。
 だが、風巳は無意識に気づかない振りをしたのだ。遙なら必ず何とかしてくれると思ったから。遙なら救いの手を差し伸べてくれることをよく理解していたから、らしくもなく彼の優しさに寄りかかったのだ。
 ――嫌いだ。お人好しすぎる遙様なんて。
 不平一つ言わずに風巳に慈愛の眼差しを向けてくる遙の蒼き双眸をとても直視出来なかった。
 ――嫌いだ。
 風巳は更に唇の戒めを強めた。
 一番嫌いなのは、情けなくも龍一を救えず、遙にこんな痛々しい姿を晒させた自分だ。
「蓮、風巳、私は明日、如月の所へ行きますから――」
「――――!? 認めません!」
 風巳は勢いよく遙を顧み、激しく反論した。
「俺は絶対に認めませんからねっ!」
「よせ、風巳!」
 すかさず蓮が風巳を抑止する。
「騒々しくてすみません、遙様。オレたちは退出しますので、ゆっくり休んで下さい」
 蓮は遙に向かって柔和に微笑むと、風巳の手を力任せに引っ張り部屋の外へと連れ出した。

「離せよ、蓮っ!」
 遙の部屋から少し離れたところで、風巳は憤懣たっぷりに抗議する。
 腕を振り払おうとすると蓮がピタリと脚を止め、こちらに向き直った。
「いい加減にしろ、風巳」
 静かな声と共に左の頬を引っぱたかれる。
 蓮の双眸に普段は見られぬ苛立ちが宿っている事実に気づき、風巳は目を瞠った。
「考えてもみろ。遙様が魔王様に逢うことを望んでいると思っているのか? 遙様が魔王から授かった鈴をどうして喪くしたのか知っているか? ――如月だよ」
 蓮の顔に昏い翳りが走る。
「オレたちは、あの忌々しい魔魅遣いに昔も今も振り回される……。奴らの叛乱があった時代――遙様は死ぬ間際にあの鈴を呑み込んだんだ。大切なものだったからね。如月は『それほど大事なものなのか?』としつこく問い質したよ。けれど、遙様は頑なに答えなかった。そうしたら、あの男――」
 僅か一瞬、前世を反芻するように遠くに視線を馳せ、蓮が悔しげに拳を握り締める。
「遙様の腹を割きやがったんだ。遙様は、まだ生きていた。生きていたんだよ、風巳。如月は腹の中から黄金の鈴を取りだして、満足げに嗤ったよ。それから、遙様の首を斬り捨てた……。おまえが死んでから間もなくの出来事だった」
 蓮が掴んでいた風巳の腕を解放し、その手で自ら殴った風巳の頬をそっと撫でた。
「オレは……オレは目の前で見たよ。おまえが殺されるところも遙様が嬲り殺されるところも……。その次はオレの番だったけど。――とにかく、遙様は魔王様に逢いたくないんだよ。逢えないんだ。今生の遙様は、如月から鈴を取り戻し、奴を抹殺するまでは魔王様に逢わない――と誓ったんだ」
「もう……いい……蓮。嫌なコトを思い出させて悪かった。前世を引き出すのは止めよう。自分がどんなに愚かだったか改めて思い知らされるだけだから――」
 風巳は眉根を寄せ、顔を俯かせた。
 蓮が言っている前世とは、魔族と神族の闘いが激化していた戦国時代のことだろう。
 あの時代、魔族と神族の抗争はなかなか決着がつかずにいた。
 結局、勝利を得たのはどちらでもない。如月が率いる魔魅遣いの一族だった。
 魔族も神族も主立った人物は、如月一族によって虐殺されている。
 苦くて痛烈な前世の記憶だ……。
 風巳と蓮はしばし無言で、胸中に複雑な想いを巡らせていた。
 漠然とした不安が募る。

 明日は不吉な夜になりそうだ――
 


     「三.狂夜」へ続く




← NEXT
→ BACK
※【妖鬼伝】INDEXへ

ブログパーツ
 
編集[管理者用] このページのトップへ

 

Sat
2011.05.28[10:22]
三.狂夜


 冴え冴えとした蒼い月が夜空に浮かんでいる。

 仕事を終えて帰路についた氷上綾は、天を仰ぎ、ふと眉根を寄せた。
 中空では大きな満月が輝いている。
 ――今宵は満月だったかしら?
 ここしばらく曇天が続いていたせいか、久し振りに月を視野に認めたような気がする。なので、急に月が真円を描いたような錯覚に陥り、綾の心は落ち着きをなくした。
 単なる自分の思い違いなのだが、妙に胸がざわめく。
 綾は漠然とした懸念を払拭するように空から視線を引き剥がすと、長い髪を翻して住宅街を歩き始めた。
 程なくして二階建ての自宅へ辿り着く。
 解錠し、玄関ドアを開いた所で綾は一瞬足を止め、片眉を跳ね上げた。
 ――血の匂いがする。
 直ぐさま、鼻腔を不快な香りがくすぐったのだ。
 空気中に微かに漂う血液の匂いが、胸の裡の危惧を増大させる。
 綾はハイヒールを脱ぎ捨て、足早に血の匂いを辿った。どうやら、それはリビングから漂ってきているらしい。
 綾は真摯な眼差しでリビングのドアを睨めつけると、ショルダーバッグを床に投げ捨てた。
 ドアに片手をかけ、もう一方の手を軽やかに翻す。
 己の手の裡に檜扇が出現したのを確かめると、綾は躊躇わずにドアを開き、リビングの中へと飛び込んだ。

 煌々と照った照明の下――現世における母と弟がいた。
 ただし、母親は首筋から血を流しており、弟は母のその首に長く変形した爪を立てているところだった。
 弟の髪は腰の辺りまで伸び、双眸は血のような紅に変じている。
 以前と同じだ。弟は《氷上遼》という借宿から脱して、堂々と表層に出てきてしまったのだ。
「母さんを離しなさい、遼」
 綾は檜扇を弟に向けて容赦なく投じた。
 物凄い勢いで飛んで来た檜扇を躱し、弟が心外そうに綾を振り返る。
「母さんの血を吸ったのか?」
 綾は母の青ざめた顔を眺め、目を眇めた。
 母は意識を失っている。実の息子のあまりの変貌振りに驚愕し、ショックで気絶してしまったのだろう……。
「血を啜ってやろうと思ったところに、姉上が帰って来られた」
 弟が綾の姿を視界に納め、冷ややかな笑みを唇に刻む。
「妾に弟はおらぬ――と、何度言えば理解するのだ?」
 綾は口調を改めると、右手を心臓の上に押し当てた。
「なるほど。姉上は未だ余のしでかしたことを嘆き――怒っておられるのか?」
「……貴様の愚行が妾を糸の檻に閉じ込めているのだ。下らぬ戦に延々とつき合わせおって……! 貴様に《姉上》などと呼ばれるだけで反吐が出る」
 綾は憤りを隠しもせずに、遼であったモノに言葉の刃を向けた。
 弟の顔がほんの一瞬だけ苦痛に歪む。
 だが、彼はすぐにその感情を押し殺し、再び整った顔に冷笑を浮かべた。
「それにしては、この《器》のことは大層可愛がっていたようですが?」
「遼は可愛いが、貴様は塵ほども可愛くなどないわ……! それに、魔王として目醒めた今となっては、最早妾の知る遼は何処にも存在しておらぬ」
「では、余と対極にあるあちらの弟妹のことも等しく憎いのか、姉上?」
「妾には弟も妹もおらぬ」
 冷徹な声音で告げると、綾は瞼を閉ざした。
 深呼吸を一つし、次に瞼を跳ね上げた時、綾の瞳はこの世のものとは思えぬ輝きを放っていた。
 右目が金色、左目が銀色――と、それぞれ異なる虹彩を持っているのだ。
「《白菊(しらぎく)》――」
 綾は低い声で己の裡に喚びかける。
 すると心臓の辺りから金の柄が飛び出した。
 逡巡することなく柄を握り、一息に己の裡から生えたものを抜き取る。
 姿を現したのは、一振りの太刀だ。
「……本気か、姉上?」
 刀を手にした綾を見て、弟が僅かに顔をしかめる。
「遼ではなく、魔王と化した貴様を野放しにしておける訳がなかろう」
「妖鬼族は、中立の立場では?」
「妾もいい加減飽きたのだ。ただひたすらに糸を紡ぎ、書を綴り続けることに。だから、妾は決めたのだ。今生こそ二冊の《妖鬼伝》に《了》の文字を刻んでやろう――と」
 挑戦的に言い放つと、綾は刀を構え直し、弟との間合いを一気に詰めた。
「この器の《遼》という名は、本当は《了》の意という訳か……。余は、生まれ落ちた時から妖魅王の呪をかけられていたのだな。覚醒が遅くなったのも、そのためか?」
「大人しく遼が死す時まで遼の裡で眠っておればよかったものを……!」
 綾は愛刀《白菊》の切っ先を下から上へと跳ね上げた。
 寸でのところで弟がそれを軽やかに躱し、母を手放す。
 床に落下する母の身体を綾は咄嗟に片手で受け止めていた。
 その隙に弟が俊敏に窓際へと移動する。
「――闘わずして逃げるのか?」
 弟が開け放たれた窓の桟に飛び乗るのを見て、綾は慌てて母を床に横たえた。
「血を啜ったこともないこの肉体では、到底姉上には敵わぬ。余もそこまで愚かではない。それに――遙に逢う前に姉上に殺されては、転生した意味がないのでな」
 余裕の笑みを綾に向けると、弟は漆黒の髪を翻して夜の闇へと身を投じた。
 潔く退いた弟に対して舌打ちを鳴らし、綾は窓辺へ駆け寄った。
 冷たい夜風が弟の残り香と共にリビングに吹き込んでくる。
 だが、彼の姿は既に何処にも見当たらなかった。
 つと、窓外を眺めると月が視界に飛び込んでくる。

 天空を彩る満月は、不吉な前兆のように蒼から薄紅へと色を変えていた――


     * 



← NEXT
→ BACK
※【妖鬼伝】INDEXへ

ブログパーツ
 
編集[管理者用] このページのトップへ

 

Wed
2011.06.08[11:03]
     *


 黄金色の輝きがドアの隙間から洩れている。
 それを目視した瞬間、榊茜は脚を止めていた。驚きと焦り――そして、不安が一気に胸に押し寄せる。
 光の流出源は、双子の兄の私室だったのだ。
 金色の光輝は葵の神氣を顕している。
「――葵? 《天晶(てんしょう)》を制御できないのか……!?」
 思わず驚愕の声が洩れる。
 葵は神族を統べる天主だ。
 一族の中で誰よりも高い能力を秘めているはずの葵が、身の裡に宿る神氣をコントロール出来ていない。
 茜の記憶違いでなければ、こんなことは今まで一度もなかったはずだ。
 大切な兄の身に何事か良からぬことが起こっている。
 そう察するなり茜は再び足を動かし始めていた。
「葵?」
 双子の名を呼びながらドアノブに手を伸ばす。
 次の瞬間、バチッと指先に電流のような刺激を感じて、茜は咄嗟に手を引っ込めていた。ほぼ同時にドアが独りでにバタンッと開き、そこから勢いよく黄金色の光が射出される。
「――う…わっ……!?」
 茜は反射的に身を躱していた。
 室内から溢れ出た光が壁に衝突して、散り散りに弾ける。
 キラキラと輝く黄金の粒子は傍目には美しいが、連発されては家が崩壊してしまう。
 べっこりと凹んだ廊下の壁を見遣り、茜は口元を引きつらせていた。
「ちょっと茜ちゃん! どうしたのっっ!?」
 階下で慌ただしくドアが開閉する音と妹の甲高い叫びが響く。
 階段を駆け上る荒い足音が近づいてきたかと思うと、フワフワの髪を靡かせて末っ子の夏生が廊下に飛び込んできた。
「キャアッ! 何なの、この壁のヘコみ!? ――あっ、まさか、茜ちゃんが殴ったんじゃないでしょうね!?」
 夏生の疑惑の眼差しが鋭く茜に突き刺さる。
 葵よりも茜の方が雑で短絡的なイメージがあるらしく、妹には何かにつけて茜を疑う悪癖があるのだ。日頃の行いが悪いからだ――と言われればそれまでだが、茜にとっては釈然としない話である……。
「いや、俺じゃないからな――」
 慌てて妹の誤解を正そうとして、茜はハッと口を噤んだ。
 再び葵の部屋から強い神氣を感じたからだ。
「夏生っ!」
 茜は夏生の腕を取り、力任せに引き寄せた。
 夏生を腕に抱いた直後、黄金色の輝きが廊下を射る。
 先ほどと同じ場所に的中した氣の塊は、またしても壁をザックリと抉り――消散した。
「ええっ、コレ、葵ちゃんの《天晶》なのっ!?」
「そう……何でか暴走中です」
「ちょっ……次、当てられたら壁を貫通して隣の家まで破壊しちゃうんじゃないのっ!?」
 ようやく事態を呑み込んだらしく、夏生が逼迫した表情で茜を見上げる。『多分な』と茜が簡素に応じると、妹は勢いよく茜の腕から飛び出した。
 スカートのポケットから愛用のカードを取り出し、夏生は開け放たれたドアから葵の私室を覗き込む。
 茜も妹に倣って室内に視線を巡らせた。
 葵はベッドに俯せなり、苦しげな表情でシーツを握り締めていた。
「うわぁぁっっっ、葵ちゃん! 《天晶》が翼になってるんだけどっ!?」
 夏生が目を見開き、恟然と裏返った声をあげる。
 妹の言葉通り、葵の背からは金色の翼が四枚生えていた。葵の嗜好なのか、元々《天晶》は鳥の姿で具現化されることが多い。だから、制御不能に陥っている今でも自然とそれに近い姿をとっているのだろう。
 全身に淡い輝きを纏い、背から光の翼を突き出している葵は神々しいが、同時に何処かグロテスクでもあった……。
「依姫(よりひめ)、葵ちゃんのアレ――暴走止められる?」
 夏生がフッと手にしたカードに視線を落とし、問いかける。
 すると真っ白だった紙面に、十二単を纏った美しい女性が浮かび上がった。夏生の神力の分身である《玉依》だ。
『……口惜しいが、妾では無理ぞえ』
 開いた扇で口元を隠し、玉依が面目なさそうに告げる。
「え? タマでも無理なのかよ!?」
 茜が驚いた顔でカードに視線を流すと、玉依の美しい眉が勢いよく跳ね上がった。
『また妾を《タマ》と呼びおったな! いい加減にせぬと、いくら穏和な妾でも榊の血筋を見限るぞえ』
「あー、悪い……。タマ――ヨリ様でも無理なことがあるんだな、って意外に感じただけだよ。俺たちいっつも玉依様に助けて貰ってるし、物凄く頼りにしてるからさ」
 妹の目が無言で『謝れ』と訴えてくるので、茜は『どこが穏和なんだよ!?』とツッコミたい衝動をグッと堪えて、玉依に謝罪した。
 すると、呆気なく玉依の柳眉が元の位置に戻り、スッと扇が下がる。
『よく解ってるではないかえ。茜も愛いところがあるのじゃな』
 茜を見つめて玉依の朱唇が嬉しげに弧を描く。だが、それはすぐに引っ込められた。
『しかし――《天晶》が相手では妾の出る幕はないぞえ。正直、ここから出ることさえ嫌じゃ』
 真摯な眼差しが茜と夏生に向けられる。
 どうやら暴走した《天晶》を止めるには至難の業であるらしい……。
「誰か――神降ろしした方がいい?」
 夏生が困惑気味に玉依に訊ねる。
『……《天晶》が相手だと知れれば、力添えしてくれる神は一柱もないと思うぞえ。それよりも――すぐそこに最高の適任者がおるじゃろう』
 玉依の視線が迷わずに茜を見据える。
「やっぱ――俺が行くしかないよな。……まあ、そのための俺だし」
 茜は玉依に向かって溜息を一つ落とすと、葵の私室へ足を踏み出した。
「あっ、そっか! 《朔(さく)》を《望(ぼう)》に変えるの、茜ちゃん!?」
 茜の真意を素早く汲み取ったらしく、夏生が声を弾ませる。
「今夜は満月みたいだし、たまには《朔》も輝かせてやらないとな。――神氣が外に洩れないように、結界は任せたからな、二人とも」
『――承知』
「りょーかい! 行くわよ、依姫!」
 夏生が手首を翻すと、手の中のカードは一瞬にして増殖していた。
 夏生が鮮やかな手つきで、己の神力を込めたカードを部屋の四方八方へと飛ばす。
 室内の十六方位に配されたカードから金色の光が陽炎のように立ち上る。夏生の力が葵の部屋を包み込み、外界からそこだけを隔絶させたのだ。
 これで葵の力が暴発しても隣近所に迷惑をかけることはないし、茜も心置きなく《朔》を振るうことが出来る。
 茜は右手を口へ運ぶと、躊躇わずに親指の腹を噛んだ。
 血の味が口内にジワリと広がる。
「――《朔》」
 唇から指を離し、茜は己の分身の名を呼んだ。
 間髪入れずに掌が青紫の冷光を宿し、親指から滴る血液が漆黒の刀へと姿を変える。
 茜が黒塗りの柄を握った時には、不思議と指の流血は止まっていた。
 手の中に慣れ親しんだ刀の存在を感じるなり、茜は葵が臥せるベッドに向かって駆け出していた。
 葵の背から突き出た四枚の羽が不吉に揺らめく。
 転瞬、黄金の神氣が茜目がけて撃ち出された。
「茜ちゃんっっっ!!」
 背後で夏生の悲鳴があがる。
 茜は咄嗟に《朔》跳ね上げ、金色の輝きを刀身で弾き飛ばしていた。
 軌跡を変えた光の筋が天井へ激突し、派手に金の粒子を撒き散らして――消える。
『何という光の強さじゃ……! 妾でもあと二つ三つ受けるのが限度ぞえ、茜』
 夏生が張り巡らせた結界が激しく波打ち、何処からともなく玉依の苦り切った声が響いてくる。
「解ってる! すぐに終わらせる」
 茜は一つ頷いてから床を蹴り、一気にベッドへと跳躍した。
 葵の身を突き破らんばかりの勢いで生えている翼を《朔》で斬り落とす。
 だが、それらは消滅することなく、直ぐさま《朔》の刀身に絡みついてくるのだ。
「――つッ……くそっ!」
 柄を握る掌がビリビリと震え、肩がギシッと小さな悲鳴をあげる。
「……葵っ! 大丈夫か、葵!?」
 茜は身を襲う苦痛に耐えながら双子の兄に左手を伸ばし、その肩に触れた。
「……あ……かね……?」
 葵の瞼が震え、次いで潤んだ眼差しが茜を捉える。
 ――よかった。意識はある。
 茜はホッと胸を撫で下ろした。
 片割れはまだ自分の知っている葵のままだ。
「葵――半分寄越せ」
 茜は片手だけで葵の身体を仰向けると、そっとその上に乗り上がった。
「……茜、《天晶》が――!?」
 額に冷や汗を浮かべた茜を見上げ、葵が驚きに目を見開く。己の神力の分化である《天晶》が、茜を攻撃している状況が信じられないのだろう。
「どっかで嫌な奴が目醒めたせいで、荒れ狂ってるみたいだな」
「ああ……そうか、魔王が起きたから……調子悪いのか……」
 葵が眉根を寄せる。
 その唇から苦悶の呻きが洩れるを聞いて、茜も眉をひそめた。双子の片割れが自分以外の者に心を煩わせたり奪われたりするのは、決して面白いものではない。はっきり言うと、至極不快で腹立たしかった。相手が対立する魔族の長なら尚更だ。
「調子悪い――ってレベルじゃないだろ? アイツのせいで制御できないなら、俺に半分移せよ」
 茜は空いている左手を葵の右手に重ね合わせた。繋いだ手を離さぬように、キュッと指を絡ませる。
「けど、それじゃ茜が――」
「《朔》に吸わせるから問題ない。半分くらいなら神氣を移しても平気だろ」
「ごめん、茜……」
「謝るな。葵が苦しむのを目の当たりにするくらいなら、痛みを分かち合った方が遙かにマシだ」
 茜は揺るぎない決意を秘めた眼差しで真っ直ぐに葵を見つめ、絡めた指に力を込めた。
 一拍の間を措き、葵の手がゆっくりと茜の手を握りかえしてくる。
「《朔》――吸収しろ」
 茜が簡素に言葉を紡ぐと、《朔》に絡みついていた《天晶》の輝きがスーッと刀身に吸い込まれてゆく。
「――くっ……!」
 手にした柄から《天晶》の凄まじい光の波動が伝わってくる。茜は奥歯を噛み締めて、その衝撃に耐えた。一族の天主である葵の力は強大で、双子の茜でさえも受け止めるのはかなりの苦痛を伴う。
「茜、やっぱり無理なんじゃ――」
 手を引こうとする葵を軽く睨めつけ、茜は握り合わせた手をしっかりとシーツの上に固定した。
「無理じゃない。おまえを護る鞘――それが俺の存在意義だ」
 茜はきっぱりと断言すると、《朔》に意識を集中させた。
《朔》の最大の利点――それは、他者の神力を吸収し、己の力として使用出来ることにある。神氣を吸収した時の《朔》は、漆黒から金色へと変貌するために茜は月の満ち欠けに擬えて《望》と呼び改めていた。
《朔》の黒き刀身が見る間に金色に染められてゆく。
「俺は大丈夫だから、おまえの神氣――たっぷり喰わせろよ、葵」
 茜は不敵に微笑んでみせると、より一層繋いだ手に力を加えた。
 ふと、ベッド脇の窓に視線を流すと、夜空に浮かぶ大きな満月が見えた。
 不可思議なことに月はほんのりと朱色に染められている。
 まるで血に彩られた魔王の復活を祝福しているかのようだ……。
 ――悪いけど、あんたに葵は渡さない。
 茜は決然と満月を睨み据えると、神氣を受け続ける激痛に耐えるために金色の光輝を放つ愛刀をベッドに突き刺した――


     *


90000打、ありがとうございます.゚+.(´∀`*).+゚.

← NEXT
→ BACK
※【妖鬼伝】INDEXへ

ブログパーツ

 
編集[管理者用] このページのトップへ

 

Wed
2011.06.15[23:28]

     *


「……はい、解りました。夏生はこちらでお預かりします。……はい、おやすみなさい、茜さん――」
 秀麗な顔に翳りを落とし、有馬美人は静かに電話の受話器を置いた。
 ――面倒なことになったな……。
 重苦しい溜息を吐き出し、くるりと踵を返す。
 面を上げると、リビングのソファーには姉の咲耶が腰かけ、優雅に紅茶を嗜んでいた。
「今の茜ちゃん? 何? デートにでも誘われたの?」
 ティーカップをソーサーに戻し、咲耶が興味津々だという眼差しを送ってくる。
 顔は美人の方へ向いているのに、片手は膝に載せられたスケッチブックにしっかりとペンを走らせていた。美形男子同士の恋愛を妄想することが何より大好きな咲耶は、暇さえあれば美少年や美青年を描く練習をしているのである。
「……違います」
 咲耶の手が凄まじい速度で紙面を滑るのを眺めながら、美人は苦々しく応じた。何でもかんでも自分が愛して止まない禁断の世界へ引き摺り込もうとするのが、咲耶の悪い癖だ。
「智美姉さんは?」
 リビングをザッと見回した美人は、もう一人の姉――智美の姿が見えないことに気づき、首を傾げた。
「智ちゃんは、裏山の滝に精神統一しに行ってるわよ」
「えっ、こんな時間にですか?」
 美人は軽い驚きを覚え、目をしばたたいた。
 M市有数の資産家である有馬家は、本邸から少し離れたところに小さな山を所有しているのである。小ぶりの山だが、見事な竹林と清廉な滝が美しい。
 武芸の鍛錬や滝に打たれるには最適な山だが、今はもう夜の十時過ぎだ。暗い山中など、うら若き女性が一人でいるべき場所ではない。
「心配しなくも大丈夫よ。智ちゃんに勝てる男は、このM市じゃ葵ちゃんと茜ちゃんだけ――あー、もしかしたら茜ちゃんも本気の智ちゃんには負けちゃうのかなぁ? 智ちゃん、女にしておくのはもったいないくらい超絶カッコイイしねぇ」
 咲耶が口の端に微笑を刻み、冗談とも本気ともつかない口調で告げる。
「自分と同じ顔の姉をよくそこまで待ち上げられますね? とにかく、しばらくして帰って来なかったら、必ず誰かを迎えに行かせて下さいね」
 美人は咲耶の双子愛に少々辟易としながら言葉を紡いだ。
 咲耶がBL好きの腐女子に成長したのは、男勝りな智美が常に傍にいたのも一因しているのかもしれない。物心ついた時から男よりも漢気のある智美がいたのでは、現実世界の男子に興味を抱けなくなるのも頷ける気がする……。
「――アラ? 美人は迎えに行ってくれないの?」
 咲耶が鉛筆を握る手を止め、不思議そうに訊ねてくる。
「僕は別の用事がありますので……。咲耶姉さんは車を榊家に手配してくれませんか?」
「本家に車?」
「はい。夏生をしばらく預かります。葵さんが情緒不安定で……巧く力を制御できないようです。茜さんや夏生にまで《天晶》が攻撃をしかけてくるみたいです。何者かに心を惑わされ、混乱させられているとしか思えませんね」
 美人は神妙な顔で咲耶に事情を説明した。声音は自然と渋いものになってしまう。
 葵を惑乱させることが出来る者など、ごく少数に限られる。
 メリットからいけば如月祐介だが、彼が今更そんなことをするとも思えない。
 魔族の中でも強い力を有する条家の者たちも目立った動きを見せていない。
 魔王の側近である一条遙は、魔族にしては珍しく温厚な性格であり、争いごとを好まないと聞く。
 女だけの一族――妖鬼族の妖魅王にも葵を陥れる利点はないはずだ。
 無論、茜は論外だ。
 そうすると、残りはただ一人――
「ここ数日、市内の氣が乱れてましたし――魔王が覚醒したのかもしれませんね」
 美人が推測を口にすると、咲耶は真顔で頷いた。智美は精神統一のために滝へ向かったというし、姉たちも神族の鋭敏な神経で不穏な気配を掴み取っていたのだろう。
「咲耶姉さんは夏生を迎えに行ってあげて下さい」
「だから、美人は何処へ行くのよ?」
「如月の叔父さんの所へ行ってきます。やっぱり例の離れが気になりますから」
 淡々と告げて身を転じる。
『気をつけて』という咲耶の声を背に、美人は有馬家を後にした――




← NEXT
→ BACK
※【妖鬼伝】INDEXへ

ブログパーツ
 
編集[管理者用] このページのトップへ

 

Wed
2011.06.22[22:07]
 

 夜空を満月が彩っている。
 その輝きが赤味を帯びていることに幾ばくかの憂慮を抱きながら、有馬美人は如月家の前までやって来た。見ようによっては、月が裡側から血に染められているようにも感じられる。今宵の月は、何故だか常よりも禍々しい光を放っているようだった……。
 ――魔王覚醒のせいかな……。
 神族と対立する魔族の長――魔王が現世に甦ったことは間違いない。しかも、榊の本家がある同じM市内で。
 おかげで静穏だった街は目に見えぬ不快な瘴気に包まれている。運悪くそれに当てられた鋭敏な感覚の持ち主は、心身に多少なりとも影響を受けているはずだ。榊葵や自分のように……。
 ――葵さんと茜さんに大事がありませんように。
 胸中で大切な従兄たちの無事を祈り、美人は月から視線を外した。
 如月家を取り囲む塀伝いに裏門を目指す。
 離れの真裏辺りまで来て、不意に美人はハッと息を呑み、足を止めた。
 薄暗い路地に人影を発見したのだ。
 月明かりに照らされる端整な横顔には見覚えがあった。
 数日前に同じ場所で遭遇した不可思議な青年――久我条蓮だ。
 彼に女性と間違えられた挙げ句ナンパされたことを思い出し、美人は柳眉をひそめた。
 魔族の中でも高位に位置するだろう青年は、今宵もそれらしい雰囲気を全く醸し出していない。
 つと、蓮がこちらに首を向ける。
 蓮の瞳が真っ直ぐに美人を射た瞬間、ビクリと身体が震えてしまった。焦りが胸から全身へと広がってゆく。
 だが、冷静に考えてみると、今の美人は女装ではなくちゃんと男の格好をしているのだ。あの時の姉たちのメイクと衣装による変身は完璧だった。いつぞやの女装姿と現在の美人の姿を結びつけることは容易ではないだろう。
 ――大丈夫。あの夜の僕は、僕であって僕ではないし……向こうは気づいてないはず。
 美人は深呼吸を一つし、固まっていた足を動かし始めた。
 仮に気づかれていたのだとしても白を切り通せばいい。
 素知らぬ態度で蓮の脇を通り過ぎる。
「やあ――」
 だが、一瞬後には後ろから腕を捕まえられていた。
「また遭ったね、有馬美人くん」
 笑みを含んだ蓮の声が耳に浸透する。
 美人は正体を見抜かれた驚きに、勢いよく蓮の手を振り払い、彼を振り返っていた。
 蓮の整った顔には美人の反応を愉しむような微笑が広がっている。
「どうして――判ったんですか?」
「調べたから。聖華学園高等部所属。有馬家の嫡男で、天主・榊葵の従弟。そして、如月祐介氏の甥っ子に当たる。――違うかい?」
 悪びれもせずに蓮はサラリと告げる。
「違いません。ですが、あなたが僕のことを知っていて、僕があなたのことを知らないのは、少し不愉快な状況です」
 美人が冷ややかな言葉を返すと、蓮は大仰に肩を聳やかした。
「名刺、ちゃんと渡したはずだけど? もしかして――この前のことを根に持っているのかな? アレは君がまさか男だなんて思わなかったからだよ。もうしないから安心していい。――オレは、久我条蓮。今更名乗るのも変な気分だけど、条家久我条の当主だ」
 蓮が堂々と身分を明かした直後、
「――《雷師》」
 美人は半ば反射的に己が分身の名を口ずさんでいた。
 転瞬、左手の中指に填めていたヘマタイトの指輪が日本刀へと姿を変える。
 美人が柄を握った途端、刀――《雷師》の刃は青白い冷光に包まれた。
「ア……レ……? ちょっ……ソレ、普通の刀じゃないよねっ!?」
《雷師》を一目見るなり蓮がギョッと目を見開き、身軽に後方へ飛び退ける。
「オレの気のせいなのかな? その刀、《魔封じの剣》に見えるんだけど? 先々代天主・聡子――君のお祖母さんの愛刀じゃなかったかな?」
 蓮の視線は《雷師》に据えられている。その口元が微かに引きつっていた。
「気のせいじゃありません。永らくお祖母様の愛刀でしたが、今は――巡り巡って僕が主です。《魔封じの剣》やお祖母様のことを知ってるなんて、本当に連綿と続く久我条家の当主なんですね……」
 美人は黒曜石のような双眸をひたと蓮に向けた。
 榊本家の先々代当主――榊聡子は、母方の祖母に当たる。
 彼女が魔族退治のために使用していたのが、美人が手にしている《魔封じの剣》なのだ。今は主である美人の雷系の神力が反映されているため、《雷師》と呼称されることが多い。美人は聡子が闘っている姿を目にしたことはないが、おそらく祖母が操っていた時には別の属性を備えていたのだろう。
 しかし、属性は異なるが根本的な能力は同一だ。
 魔封じ――その名の通り《魔族を封じる》ために生まれ、鍛えられてきた刀なのである。
 持ち主によって《魔封じの剣》は姿を変える。なので、瞬時に美人の刀が《魔封じの剣》だと悟れる魔族は滅多にいない。
 一見しただけで正体を見抜けるのだから、やはり蓮は強い能力を秘めた魔族なのだ。
 立ち居振る舞いも喋り方も何処となく飄々としているが、それは久我条蓮の本質ではないのだろう。見かけ通りの軟派で軽薄な男だと思っていると、痛い目に遭う畏れがある。
 美人は気を引き締め直し、《雷師》を青眼に構えた。
「えっ? いや、オレ、君と闘う気なんてないし――確か、その刀に心臓貫かれると変な珠に封じ込められて、永久に出て来られなくなっちゃうんだよね? それは困るな」
 蓮の頬が更にピクリと引きつる。
「本当によくご存じで……」
 美人はやにわに蓮との距離を詰めると、《雷師》を振り下ろした。
「うわっ! だから、君と争うつもりはないって言っただろ!」
 蓮が俊敏な身のこなしで美人の攻撃をヒラリと躱す。
「あなたが魔族だと判ったからには、このまま見過ごすわけにはいきません」
 蓮が逃げた先を狙って、美人は《雷師》を水平に薙いだ。
「そこを何とか見逃してほしんだけどな!」
 青白く輝く刀身を受け止めようと蓮が片腕を上げる。
 刃が蓮に触れる直前、ズンッと《雷師》が重くなった気がして、美人は恟然と動きを止めた。
 ――《雷師》が嫌がってる? 彼を斬るな……と?
 美人は胸中で自問した。
 斬るのを躊躇ったのは明らかに《雷師》の意思――延いては美人の潜在意識だ。
「おっ、やっと言葉が通じたのかな?」
 袖に触れるだけに留まっている《雷師》を見下ろし、蓮が安堵の息を吐く。
「何度も言うけど、オレに闘う意思はない。君はここに用事があるんだろ? 邪魔ならオレは退散するよ」
 蓮の端整な顔に微苦笑が閃く。
《雷師》が攻撃を思い留まったということは、久我条蓮には美人に対する敵意も殺意もないのだろう。少なくとも今のところは。
 美人は《雷師》の判断を信じることに決め、不承不承ながらも刀を降ろした。
 瞬く間に《雷師》は指輪へと変化し、自ら左の中指に納まる。
 美人は無言で身を翻すと、二メートルはある塀を軽々と跳び越えて如月邸へ侵入した。





← NEXT
→ BACK
※【妖鬼伝】INDEXへ

ブログパーツ

 
編集[管理者用] このページのトップへ

 

Wed
2011.07.06[22:12]


 宙を舞う有馬美人の後ろ姿を見送り、久我条蓮は唇に弧を描かせた。
 無言で蓮を射た時に見せた真摯で気高い表情を思い返すと微笑ましくてならない。
 月光を浴びて煌めく黒曜石の双眸が美しかった。
 敵対する神族であろうと、欲を満たすためだけに喰い殺すには惜しい素材だ。
「真面目だね……。もう少しオトナになったら血管を斬り割いてみたい気もするけど――今はまだいいや。遙様の方が心配だしね」
 蓮は如月邸の高い塀から視線を外すと踵を返した。
 今宵は、ここを訪れるという一条遙の身を案じて先回りしていたのだ。
 意想外に有馬美人と遭遇してしまったが、無用な争いも無駄な騒ぎも起こしたくはない。美人には彼なりの思惑があるのだろうし、遙にとってマイナス要素にならなければそれでいい。美人には申し訳ないが、如月祐介の意識が美人の侵入によって分散され、遙に危険が迫る確率が低くなるなら尚好都合だ。
「意外と芯は強そうだけど、大丈夫かな? 如月氏の術中に填らないといいね、有馬くん」
 独り言ちると蓮は如月邸の脇に駐めてある愛車へと歩み寄り、運転席へ滑り込んだ。
 直ぐさま、探るような視線が助手席から浴びせられる。
「――今のは?」
 助手席には三条風巳が座している。彼の声音には幾ばくかの不満が織り交ぜられていた。
「天主の従弟らしいね。学校で遭ってないのか?」
「ああ……学園では一度も見かけなかったな。へえ、アレが有馬家の跡取りね。何となく葵に似てるワケだ」
「綺麗な子だろ。ホント惜しいなぁ。アレが女だったら迷わず口説き落とすんだけど」
「迷わず押し倒す――の間違いだろ」
 声を弾ませる蓮に冷たい一瞥を与え、風巳が毒突く。
「欲しいモノはどんな手段を用いても我が物にする――コレ、魔族の本能だからね」
「本能って、便利な言葉だな。――で、始末しなくていいのか?」
「まだ必要ないだろ? 何故だか知らないけど、彼は如月祐介氏を嫌っているみたいだしね。彼が如月氏を消してくれるなら万々歳だ」
「フンッ……俺と蓮がいるのに、あの忌々しい男を殺しに行けないなんて歯痒いな」
 風巳の声にまた不服げな響きが宿る。
 その想いは蓮にもよく解る。条家当主が二人も揃っているのに、憎き相手に手を出せないなんて口惜しすぎる。
「仕方ないさ。遙様の命令は、魔王様の次に絶対だ」
「……遙様も死んでしまうのかな? 龍一と同じように、あっさりと――」
 風巳の唇が不吉な言葉を紡ぐ。
 それに対して蓮は何も応えなかった。
 無言で風巳を見つめると、彼は馬鹿なことを口走ったと後悔したのか、蓮の視線を避けるようにシートを倒し、瞼を閉ざした。
 蓮は風巳から窓へと視線を移し、如月邸をじっと見つめた。
 ――遙様、どうかご無事で……。

 夜空には巨大な満月。
 赤みがかった月影に包まれ、如月邸は静かな不気味さを醸し出していた――


     *


今回は短め更新です。スミマセン(;´Д`A ```

← NEXT
→ BACK
※【妖鬼伝】INDEXへ

ブログパーツ

 
編集[管理者用] このページのトップへ

 

Sat
2011.07.09[15:06]

      *


 有馬美人は如月邸離れの入口で一度立ち止まった。
 家屋や庭を含め、如月家全体が奇妙な静寂に包まれている。
 屋敷を警護しているガードマンの気配が微塵も感じられない。当然、離れの玄関にも見張りの者は立っていなかった。
 まるで誰かが来るのを待っているかのようだ……。
 美人は首を巡らせ、周囲を窺った。
 やはり、しんと静まり返っている。
 魔族である久我条蓮が屋敷を観察しているので迂闊に行動を起こせないのかもしれない。もしかしたら如月祐介が留守だということも有り得る。
 静かすぎる点は些か気に懸かるが、離れにすんなりと侵入できることに対しては何ら不満はなかった。
 美人は玄関ドアに手をかけた。軽く取っ手を引いたり押したりしてみるが、ドアが動く様子はない。
 ドア脇の壁には小さなコンソールパネルが埋め込まれている。暗証番号を入力し、指紋照合をクリアしなければドアは開かない仕組みなのだろう……。
「まあ、僕らにとってはセキュリティにもなりませんけど――」
 独り言ち、美人は深呼吸を一つした。
 左手をコンソールパネルにそっと押し当てると、指輪の填められた中指を中心に黄金色の燐光が広がる。
 すると、不思議なことに小さな電子音がコンソールパネルから響き、カチャリとドアが開いた。普段は駆使することもないが、美人には念動力に近い能力が備わっているのである。
 美人はドアの隙間から身を滑り込ませると易々と離れへ侵入した。
 如月家の離れに足を踏み入れるのは初めてだが、難しい造りにはなっていないようだ。パッと見、ごく普通の民家に見える。
 最小限照明は灯っているが、人の気配は感じられない。
 何処かから低いモーター音のようなものが聞こえてくるだけで、屋内はひっそりとしている……。
「誰もいないのかな? ――いや、でも、姉さんたちが目撃してるから誰かは運び込まれてるはずなんだけど……」
 美人は慎重に歩を進め、離れの奥へと向かった。
 一階の最奥には何の変哲もないドアが一つあるだけだ。
 そこで美人は脚を止め、フッと両眼を細めた。
 ドアの向こう側から微かな息遣いが聞こえてきたのだ。
 神経を研ぎ澄ませると、何者かの気配と苦しげな呼吸音をはっきりとキャッチすることが出来た。
 やはり咲耶が見たものは人間だったのだ。
 美人は躊躇わずにドアの取っ手を握った。
 こちらの部屋は施錠すらされていないらしく、ドアは容易くスッと開いた。
 途端、暗闇の中から苦悶の呻きが届けられる。
 しかし、迂闊に明かりを点けるわけにもいかない。
 美人は呼吸を整えて氣を高めると、神力を眼に集中させた。
 直ぐさま、視界が明瞭になり、昼間とほぼ変わらないくらいに視野が拓ける。
 部屋の奥に視線を馳せ、美人は恟然と目を瞠った。
 美しい黄金色の輝きが、部屋の奥に広がっている。
 その中心にいるのは、想像すらしていなかった人物だ。
「一条先生――!?」
 思わず美人は驚き声を発していた。
 奥のベッドに横たわっているのは、一条龍一の変わり果てた姿だったのである。



毎日何故にこんなに暑いのか……(o´д`o)=3  もう少しだけヨシヒトのターンが続きます(汗)

← NEXT
→ BACK
※【妖鬼伝】INDEXへ
 
編集[管理者用] このページのトップへ

 

Thu
2011.07.14[00:10]


 一条龍一。
 聖華学園高等部 臨時数学教師。
 そして、条家筆頭一条家の直系――
 授業以外で龍一と会話を交わしたのは、彼が臨時教師として聖華学園に赴任してきた当日だけだ。
 それでも龍一の端整な顔はしかと脳裏に刻まれているし、派手な金髪は見間違えようがない。
 ただ、驚くべきことに龍一のトレードマークとも言えるその金髪が、今はかなりの長さに成長しているのだ。
 美しい金糸のような髪がベッドをから垂れ落ち、床を這っている。
 おそらく、これが魔族としての彼本来の姿なのだろう。
 人の世に紛れて暮らすための仮姿を維持できていない――それはつまり龍一が己の魔力をコントロール出来ぬ状態に陥ってるということだ。その証拠に、金髪に包まれた龍一の顔はやけに青ざめている。
「一条先生……?」
 美人は、相手が敵であることも忘れてベッドに歩み寄っていた。
 龍一は血の気の失せた顔でベッドに横たわっている。
 如月家の離れに拉致されている以上、龍一をこんな目に遭わせているのは如月祐介に違いない。それを考えると、心が不愉快な靄に包まれた。
 美人には如月の行動心理は解せないし、常から彼に嫌悪感を抱いている。なので、魔族であるのに龍一に対して同情心が働いてしまった。
 天主である榊葵が行方知れずになった際には、龍一は茜と協力して葵を如月の魔手から助けてくれだ。
 そのせいで彼は一度肉体を喪った――そう聞いている。
 神族として、龍一には借りがある。
 だからこそ余計に彼が如月に苦痛を与えられていることが許せなかった。
「大丈夫ですか、先生?」
 美人が声をかけると、龍一は酷く億劫そうに瞼を開いた。
「……ああ、君は――確か……茜の従弟……だったね?」
 美人を見上げる双眸は、彼が普通の人間ではないことを示すように金色に輝いている。しかし、その瞳は精彩を欠き、活力は失われていた。かなり衰弱しているらしい……。
「はい――」
 頷きながら美人は視線を降下させ、ベッドから力なく投げ出されている腕を眺めた。
 右腕に点滴時に使用するような針が刺さっているのを確認して、不快感に眉をひそめる。針に繋がる透明のチューブを満たしているのは血液のようだ。龍一の疲弊具合から察するに、単純に体力回復のための輸血だとは思えなかった……。
「……すみません」
 無意識にそんな言葉が唇から滑り落ちていた。
 美人の呟きを拾い、龍一が意外そうに目をしばたたかせる。
「何故……君が謝るのかな?」
「あの人は――あんな人でも一応僕の叔父ですから……」
 申し訳なさで胸が締めつけられるような痛みを発する。
「君が……気に病むことはないよ……。彼が嗜虐的な性質は、古からのものだしね……。蘇生直後とはいえ如月に容易く攫われたのは、誰のせいでもない――私の落ち度だよ」
 時折苦しげな息を吐きながらも龍一が静かに微笑む。弱々しい笑みではあるが、彼が美人を安心させようとする意図は充分に伝わってきた。
 ――本調子じゃない敵に気を遣わせるなんて……。
 忸怩たる想いが込み上げてきて、美人はキュッと拳を握り締めた。
 龍一は魔族にしては優しすぎる。
「前から不思議に思っていたのですが――先生はあまり魔族という感じがしませんね」
 美人が率直な感想を述べると、龍一は驚いたように目を丸め、次いで困惑気味に微苦笑を湛えた。
「君は――知らないのか? それとも知らされていないのかな?」
「何をですか?」
「私たち一条家の者が、神族にとって裏切り者である過去を……。遙かな昔、私たちは天主に背を向け、魔王と血の契りを交わしたのだよ。以来、魔に堕ちた」
「それは……初めて聞きました。その髪と瞳は――神力の名残なんですね……」
「そう……。当時は女性だった兄が、天主よりも魔王に惹かれてしまったんだよ……。私たちは堕天と化し、罪を背負った。あの時より兄上は、幾度転生しても女性として生まれ変わることはなくなった……。天主を欺いた、罰――なんだろうね……? どれだけ想っても、兄上が魔王様と添い遂げることは決してない」
 龍一の黄金色の双眸が何処か遠くに馳せられる。もしかしたら、遠い昔の兄と己の姿を懐かしんでいるのかもしれない……。
「……知りませんでした」
「まあ、知らなくてもいい事実だよ。恐ろしく昔の出来事だし、今は――すっかり魔族だからね……。私たち一条が神族であったことの残滓は、この金色の髪と瞳と――兄上だけが持つ純白の翼だけだ。皮肉だね……どれだけ刻が経とうとも、このド派手な髪と瞳だけは古より変わらない……」
 穏やかな口調で述べ、龍一が自嘲気味に口の端を歪める。
「知らないままの方が……良かったのかもしれませんね。僕は――先生を討ち取れなくなりました」
 美人は真摯な眼差しで龍一を見返した。先刻遭遇した久我条蓮といい、条家にはこちらの戦意を喪失させることが得意な者が多いようだ……。
「榊三大分家の一つ――有馬家当主の言葉とは思えないね」
 龍一がまた苦笑を閃かせる。
「僕は当主ではありません」
 美人はやんわりと訂正した。
 有馬家の現当主は父である美城(よしき)だ。彼が長年行方を眩ましていようともそれは変わらないし、継ぐとしても自分より長姉・智美の方が相応しいだろう。
「それに、聖華学園創立者である榊総子の孫として言わせてもらえば――お祖母様の大事な学園に教師として赴任されている方を無碍には出来ません。手にかけるなんて以ての外です」
「君の……変わった趣味を持ってる二番目のお姉さんも中々大したものだけど――君も意外としたたかだね、有馬くん」
 龍一の顔に苦笑いが広がる。以前、茜とともに有馬家を訪れた際、次女・咲耶の美形男子を愛するあまりの変態じみた攻撃の餌食になったのだろう……。
「私は結構魔族であることを気に入ってるし、兄上はそれを割り切れないような愚かな人ではないよ……。だから、君も神族としての使命を果たすと――」
「自力で起き上がれないほど衰弱した相手をいたぶるのは、趣味ではありません」
 龍一の言葉を遮り、美人は彼の右腕から延びるチューブを目で追った。
 チューブは隣接する部屋から続いているようだ。僅かに開かれた襖からチューブが伸ばされている。
「先生と闘うのは、先生が聖華から立ち去り、改めて魔族として再会してからにします。その時は、心置きなく《魔封じの剣》を振るわせていただきますから――ご心配なく」
 静穏な声音で宣告し、美人はチューブを流れるモノの正体を見極めようと隣室へ足を向けた。
「――何をする気なのかな?」
 龍一が何かを畏れたように鋭い声音で問いかけてくる。
「表だって先生を助けることは出来ませんが、今、あなたを苦しめているこの点滴を取り外すことくらいは構わないでしょう。あとは自力で脱出してもらうしかありませんが――」
「いや、駄目だ。君は――そっちへ行ってはいけない」
 何故だか解らないが、龍一の声は急に厳しさを増した。
「止めるんだ。君はまだ――そちら側に立ってはいけない! 榊の双子が哀しむ――――」
 背中に制止の声が飛んでくるが、その時には美人の両手は襖を開いていた。
 凍てつくような冷気のようなものが隣室から流れ込んでくる。
「――――!?」
 その冷ややかに怖じ気づいたわけではないが、美人の脚は竦み、身体は驚愕に固まってしまった。
 隣室では一人の青年が眠っていた。
 ベッドで眠る青年の身体からは無数の管が延び、裸の胸には一振りの日本刀が突き刺さっている――衝撃的な光景だった。
 何よりも美人を怯ませたのは、非人間的にさえ見える青年の整った寝顔だ。
 記憶の一部が刺激される。
 最後に青年を見たのは――おそらく美人が五歳か六歳の頃……。
 その時から変わらぬままの姿で青年は眠っていた。
「……あっ……嘘……だ――」
 喉の奥から自分のものではないような震えた声が洩れる。
 青年の顔から胸へと視線を彷徨わせ、美人は最終的に青年の胸を貫く刀剣へと目を据えた。
「これは……まさか《火竜(かりゅう)》……?」
 美人の視線を感知したのか、美しい刀身は青年の血潮を吸い上げているかのように鮮やかな紅色に輝いた。
「嘘だ……。《火竜》は――アレは、永らく喪われていたはず……」
 父の失踪と同時に。
《火竜》は父の愛刀だったと母から聞かされている。
 身体が底知れぬ恐怖に震え出す。
 美人は怖々と青年の顔を見つめた。
 鼓動が早鐘のように鳴り響き、全身の血がざわめく。
「お父さん――」
 美人は愕然と呟いた。
 ベッドで眠る青年は、長い間杳として消息の掴めなかった有馬美城――父その人だった。




← NEXT
→ BACK
※【妖鬼伝】INDEXへ

 
編集[管理者用] このページのトップへ

 

Wed
2011.07.20[23:11]

 美人は張り裂けんばかりに見開いた目で、父を凝視していた。
 父と呼ぶには、美城の寝顔は若すぎる。
 失踪したのは十数年前――美人が小学生に上がるか上がらないかの頃だったはずだ。
 父親との想い出はあまり残されていないが、記憶の中の美城は目の前にいる青年と寸分違わないような気がする。
 行方を眩ましてから姿形が殆ど変化していない。
 成長していないのだ。
 まるで彼一人だけ刻の流れから弾かれてしまったかのように……。
「どうして……お父さんが……ここに――――?」
 美人は茫然と呟いた。
 自ら消息を絶ったはずの父は、実はこんなに有馬家と近しいところで眠っていた。
 何とも奇妙な現実だ。
 この家の主である如月祐介は、妻である鞠生(まりお)にも気づかせることなく美城の存在を長年秘匿してきたらしい。
 父が生きていた。
 心の何処かで『生きている父に逢うことは、もうないだろう』と半ば諦めていた。それ故に、眼前の光景が俄には信じられない。
 父の生存を確認できたことは嬉しい。
 だが、歳を経ないまま胸に刀を突き刺し、ベッドに横たわっているだけの状態を『生きている』と認識してよいものなのか判断がつかない。
 美城の外見は明らかに異様だ。
 再び父と廻り逢えたことは喜ばしい。
 同時に、胸には戸惑いと懸念が生じていた。
 如月の元にいるということは、美城が神族を見限り、魔魅遣い――混沌の一族に与している可能性も大いにあるのだ。如月の暴挙によって、このような目に遭わされているのならば救出すればよいだけの話だが、前者の場合は最悪この場で父と剣を交えることになりかねない……。
 父が失踪に至るまでの詳しい経緯は知らないが、母・桐子は格別慌てるわけでも泣き喚いたり嘆いたりもしていなかった覚えがある。だから、おそらく父は何かしらの事故や事件に巻き込まれたのではなく、自ら姿を眩ましたのだろう――と、幼心にも感じたのだ。
 美城は己の意志で出奔したのだ。

「お父さん……あなたはまだ僕らのことを覚えてますか?」
 美人は痛切な眼差しで美城を眺め、ゆっくりとベッドへ歩み寄った。
 改めて美城の全身を観察する。
 おそらく二十代後半で刻が止まっているであろう肉体には、夥しい数のチューブが突き刺さっていた。管の中を通っているのは全て血液であり、その内の一本が隣室の龍一へと繋げられているようだった……。
 父の血が何に用いられているのかは判然としないが、如月の考えることだから決して善行ではないだろう。
 美城の胸を貫いている日本刀――《火竜》が時折刀身を紅色に輝かせるのも気に懸かる。《火竜》そのものが生きているかのように艶めいた煌めきを放つのだ。
 ――《火竜》を引き抜けば、目醒めるのだろうか?
 ふと、そんな疑問が浮かぶ。
 美城の意識を奪い、肉体の衰えを阻止しているのが《火竜》の力なのだとすれば、単純に刀を抜いてしまえば父が目醒めるような気がした。
 美人は深呼吸すると《火竜》の柄に両手をかけた。
「よせ、有馬くん……」
 ふと、龍一の弱々しい声が背に届けられる。
「ソレにはおそらく――《カグツチ》が降りてる」
 美人は驚いて手を止めた。
 カグツチという言葉が、すぐに脳内で《迦具土》という漢字に変換される。
 父の愛刀《火竜》は、その名の通り炎属性の刀だ。
 龍一が示唆しているカグツチとは即ち――《火之迦具土神(ほのかぐづちのかみ)》のことに相違ない。
「まさか……失踪してからずっと父は《火之迦具土神》を《火竜》に降ろし続けている――ってこと……ですか?」
 美人は恟然と目を瞠った。
 契約を交わした神霊を肉体に宿らせる――神降ろし。
 今現在、能力が開花している巫覡は、本家の夏生、南の神族を束ねる円融家の次女まどか、そして美人を含めた僅か数人だ。
 一世代前の主たる術者の中では、美城は神降ろしの出来る最強の《器》だったと言われている。
 美人自身は父が神降ろしを行っている姿を目撃したことは殆どない。
 だが、一族の者の口から洩れる美城に対する称讃と畏怖は散々耳にしてきた。
 美城は一度に五柱の神を勧請できるほどの逸材だったのだという。
 そんな父ならば、十年以上も神霊の力を身の裡に留めることが可能なのかもしれない。
「おそらくは……。君の父上が飲まず食わずで眠り続け、更には若さを保ったままなのは――カグツチの神氣を喰らって生きているからだろうね……」
 背後から聞こえてくる龍一の声には苦々しい響きが宿っている。
 神族と魔族――双方の過去世を歩んできた龍一にも、美城の措かれている状況が信じがたいのだろう。
「何故……こんなことに――」
「それは……判らない……。ただ、君の父上は――もう……人ではないのかもしれない……」
「父は……人ではなく……何に変じた――と?」
 美人は震える唇をそっと噛み締めた。
 十年以上も膨大な神氣を身に宿し、喰らい続けることが、どれほど心身ともに負担がかかることなのか同じ巫覡である美人にも解る。
 おそらく、正気など疾うの昔に喪ってしまっているだろう……。

「もう……僕らのことは判らないんですか、お父さん?」
 美人は痛切な眼差しで昏々と眠る父を見つめた。
 母・桐子と双子の姉たちの顔が脳裏をよぎる。
 彼女たちが父の現状を知った時、どんなに嘆き悲しむことか……。
 それを想像しただけで美人の胸は鋭利な痛みを発した。
「起きて……起きて下さい、お父さん」
 美人は柄にかけた手に力を込めた。
 このまま父が目醒めないなんて認めたくない。
 願わくば、もう一度――たった一度でいいからその目で美人を認識し、その腕で抱き締めて欲しかった。
「駄目だ……。君では駄目なんだ、有馬くん……!」
 龍一の切羽詰まった声が飛んでくる。
「どうして……です?」
「有馬美城が目醒めた時――君の《魔封じの剣》じゃ彼を斬れない……。より神に近くなった彼のことを、君の《魔封じの剣》は邪なものや魔として認めず、斬ることを厭うだろう。そもそも、その《魔封じの剣》は……君の祖母である榊聡子が《魔を絶つ》ためだけに鍛えたものなんだ。基本的には神聖なものは斬れない。傷を負わすことは可能かもしれないけど――封印することはできないはずだ」
「……万が一、父が正気を喪っていて暴走したら――僕では太刀打ち出来ない……と?」
「残念ながら……。君が父上より多くの神霊を降ろすことが出来るなら……また話は違ってくるけど……」
「父は……かつてないほど優れた巫覡だと聞いています。僕一人では……相手にもならないでしょうね……」
 美人は口惜しさを堪えるために眉根を寄せた。
 己の力量不足に対して忸怩たる想いが込み上げてくる。
 目の前に長年捜し求めてきた父がいるというのに、何もせずに見守るしかない。
 目醒めさせて会話を交わすことも、今の状態から解放させることもできないのは、歯痒くてならなかった……。
「今は……このまま立ち去るしかないということですか? 父が生きていたのに、何もしてあげることができないなんて――」
 悔しさに再び歯噛みした時、
「気にするな、美人」
 冷淡な声が隣室から流れきた。
「――――!?」
 その声に不快感を煽られ、美人は勢いよく振り返っていた。
 直ぐさま、何の感情も窺えぬ双眸に遭遇する。
「ソレは、美城が自ら選んだことだ」
 いつの間に忍び寄ってきたのか、すぐ傍に如月祐介が佇んでいた―― 




← NEXT
→ BACK
※【妖鬼伝】INDEXへ

 
編集[管理者用] このページのトップへ

 

 
Copyright © 2020 言葉のさざなみ, all rights reserved.