ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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一.暗夜


 男は仄暗い室内に佇み、じっとある一点を見つめていた。
 視線の先にはデスクがあり、その上にはデジタルフォトフレームがポツンと飾られている。
 男は陰鬱な眼差しを液晶に注いだ。
 被写体は、若き日の自分と掛け替えのない友人二人――
 青春を謳歌していた頃の自分が、他の二人と共に屈託のない笑顔をカメラに向けている様がとてつもなく懐かしく――そして、ひどく滑稽だった……。
「とうとう……魔王が覚醒する。終わらせるためとはいえ――虚しいな」
 男は銀縁眼鏡の奥でスッと双眸を細めた。
「どれが正しい道かなんて、最早我々には判らない……。だが、おまえの遺志は尊重すると約束したからな、保――」
 男は画面の中央に映る長髪の青年に昏い眼差しを向けた。
 その人物は二年前に他界している。
 男の友人であり、妻の実兄でもあった――榊保(さかき たもつ)だ。
「榊も有馬も条家も――さっさと消えて無くなってしまえばいいのにな」
 酷薄な台詞を唇に乗せると、背後で小さな物音がした。
 もしかしたら『有馬』という家名に反応を示したのかもしれない。
 神氣がユラユラと揺れ始めたのを感じて、男は静かに背を返した。
 薄闇に包まれた部屋の隅には、ベッドが一つ置かれている。その上に半裸の青年が横たわっていた。青年の顔は、デジタルフォトに映る三番目の人物と同じ顔をしていた。
「……そんな状態でも、まだ意識があるのか?」
 男はベッドに歩み寄り、青年を見下ろして僅かに眉をひそめた。
 十二年前から変わぬ姿のまま眠り続ける青年――純和風の整った顔立ちをしている。
 だが、彼の胸には幅広の太刀が突き刺さっており、両手足からは無数の管が伸びていた。管を通っている真紅の液体は、青年の血液だ。
「おまえの血から魔魅(まみ)が創られていると知ったら、神族の連中はどう感じるかな、美城?」
 答えが返ってこないことを承知で問いかけ、男は青年の整った顔を覗き込んだ。
 その昔、青年は己の分身である愛刀を自ら胸に突き刺した。
 以来、彼が目を醒ましたことは一度としてない。
 死ぬことも生きることも叶わぬ状態で、青年は微睡み続けている。
 長き間、行方不明とされている有馬家の当主・有馬美城(ありま よしき)。
 それが眠り続けている青年の正体だ。
「美しい城と書いてヨシキ――だが、おまえの真名は《美しい器》と綴るのが正しいのだろうな。おまえほど多くの神を降ろせる者は、榊の本家にもいない。おまえは……最高の《器》だった――いや、《器》になるはずだった、か……」
 男は片手を伸ばして、眠る青年の額に触れた。指先から微かな体温が伝わってくる。
「美城、おまえは人として生きることを放棄した。ならば、後任は夏生か美人しかいないだろう。おまえより劣るが、おまえの息子も神降ろしができるからな――」
 脳裏に一人の少年の姿を思い描き、男は双眼に鋭利な光を閃かせた。
 直後、青年の瞼が何かを訴えるように微細に震える。
「美しい人と書いてヨシヒトか……。息子には《人》であってほしいと、《人》であれ――と、そう願ったのか? 儚く、愚かな願いだな。おまえがどれだけ言祝ごうとも、アレは……紛れもなくおまえの血を引く化け物だ」
 男は冷徹な声音で言葉を紡ぐと、青年から視線を引き剥がし、身を翻した。
 深い深い闇の中で青年が何を想っているのかは、最早知る術はない。
 そもそも、何を嘆き何を憂いたところで、青年が目を醒ますことは有り得ないのだ。
「心配するな。神族も魔族も妖鬼族も――化け物どもを一掃したら、おまえのこともちゃんと逝かせてやる。だから、もう少しだけおまえの身体を貸してくれ、美城――」
 男は真摯に告げると、机上のフォトフレームを静かに伏せた。
 だが、網膜にはしっかりと喜びと希望に満ちた若き日の己と友の姿が焼きついている。
 男は過去の残滓を名残惜しむように、ゆっくりと一度瞼を閉ざした。
 再び瞼を押し上げた時には、男の顔からは郷愁めいた愛惜の色はすっかり消え失せている。
 闇のような双眸だけが、この世の全てを憎悪しているかのように烈々とした輝きを灯していた――


     *


巻ノ弐終了から一年ぶりの「妖鬼伝」更新です(;´▽`A``
相変わらずの不定期更新ですが、気長におつき合い下されば幸いです。

 
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2011.03.02 / Top↑

     *


 星一つない夜だった。
 心なしか、M市南部に位置する住宅街もひっそりと静まり返っているように感じられる。
 洒落た手摺りに囲まれたベランダに立ち、少年は昏い空を仰ぎ見た。
 深夜の冴えた空気は、少年の肌を粟立たせる。
「星は……出てないのか。星術でもしようと思ったのに……」
 溜息を一つつき、少年――榊茜(さかき あかね)は、あからさまに落胆した。
 ほぼ同時に、開け放った窓の向こうから自分と同じ声が聞こえてくる。
「星術? 何を占おうと思ったの、茜?」
「あー、うん……いや、ちょっと――」
 茜は手摺りの上で頬杖をつき、己の半身に対して曖昧な返事をした。
「風邪をひくから、いい加減戻っておいでよ」
 室内から気遣わしげな声が流れてきたが、茜はその場を離れようとはしなかった。
 すると、根負けしたのか双子の兄――葵(あおい)がベランダへ姿を現した。
「解ってるよ。一条先生のことを……気に病んでいるんだね?」
 弱冠十八歳にして不可思議な能力を秘めた神族を束ねる天主(てんしゅ)は、静穏な声音をで告げ、そっと弟の肩に手をかけた。
「ん……。あんなにも簡単に死ぬモノなんだな、俺たちって」
 茜は苦虫を噛み潰したような渋い表情で頷いた。
 つい先日、魔魅に襲われて生命を落とした一条龍一の凄惨な姿が脳裏に甦る。
 ほんの短い時間ではあるが行動を共にした龍一の死に対して、不思議と憐れみの感情と幾ばくかの哀しみが胸に湧き上がってくるのだ。
 敵であるはずの存在なのに、憎みきれない。
 条家の中でも高位である一条家の魔族――その彼がいとも容易く下級魔である魔魅に生命を奪われたことが、ひどくショックでもあった。
 普通の人間と何ら変わることなく、致命傷を負えば当然自分たちも生命を失う。
 遙かな昔、神族と魔族は同じ血を分けた一族だった――と伝えられている。
 魔族である龍一に呆気なく死が訪れるのならば、自分たち神族にも同様のことが言えるのだ。
 葵や夏生――有馬家を筆頭とする血族の《死》に直面した時、茜には自分が正気でいられる自信がなかった。胸は張り裂けんばかりの苦痛と憤怒に苛まれるに違いない。
 三条風巳(さんじょう かざみ)に龍一を殺害したのは叔父である如月祐介(きさらぎ ゆうすけ)だと思わず洩らしてしまったのは、風巳の立場を己に置き換えてしまったからだ……。
 風巳がそれをどう受け止めたかは解らないが、少なくとも如月に対する憎悪の炎が掻き消されるまでは、龍一の後を追って彼が生命を投げ出すことはないだろう。
「彼の場合は……死を望んでいたんだと思うよ。――可哀想に。前世の記憶をしっかり持っていたんだ」
 葵が悄然と言葉を紡ぐ。
 一条龍一と同じく前世の記憶を持つ葵は、別の時代に龍一の身に降りかかった厄災を思い出し、胸を痛めているのかもしれない。
 葵の横顔には苦悩の影が張りついている。
 転生者には、転生した者にしか解らぬ悩みや心痛があるのだ。
 茜には、それを理解してあげることが出来ない。時折その事実が歯痒く、口惜しくもあった。
「風巳の傍にいるのは喜びであり、苦行でもあっただろうね……。僕たちは……虚しい生き物だよ。ねえ、茜、僕たちは一体何のために転生するんだろうね? 幾度となく繰り返し生を受けても――想う相手とは心を分かち合えないのに……。きっと、どんなに足掻いても、シナリオは書き換えられないように出来てるんだ――」
 自嘲気味に告げる兄を怪訝に思い、茜はまじまじ葵の顔を見返した。
 胸がチクリ……と小さな痛みを発する。
 一卵性の双子なのに、転生の話をする時の葵はひどく遠い存在に感じられて嫌だった。
「葵も……そう想ってるのか? こんなに近くに半身がいるのに――」
「双子といえども別々の個体だよ。僕は――時々茜が解らなくなる」
 フイッと葵が顔を逸らす。
 その些細な仕種にまた胸が不快な痛みを発した。
 茜は肩に添えられた双子の兄の手を強く掴むようにして身体の位置を変え、正面から葵と向き合った。
「随分、弱気だな。――どうしたんだ?」
「ごめん……。少し……疲れてるだけだと思う。茜が魔族に襲われたり、風巳が転校してきたり、二条の姫に拉致されたり――立て続けに嫌なことが起こったからかもしれない」
 葵の漆黒の双眸がゆっくりと茜へ戻ってくる。
「自分でもどうかしてると思うけれど、ここ数日……どうしようもないくらい苛々するんだ。自分に――腹が立つ。気づくと、《天晶》で自分の胸を突いたり、手首を斬り割こうかな、って本気で考えてる自分が――」
「そんなことは許さない!」
 葵の言葉を最後まで聴かずに、茜は荒々しく遮った。
「俺から離れるなんて、絶対に許さない!」
 苛烈な眼差しで双子の兄を射る。
 葵は掛け替えのない半身だ。
 彼と引き離されることなんて到底耐えられない。ましてや自害など――論外だ。
「僕たちは……何のために戦うの? 誰のために戦ってる? 天主である僕が……考えてはいけないことだけど、何のための戦いなのか――僕には判らない……」
 葵の双眸に暗鬱な翳りがよぎる。
「俺は――少なくとも俺は、おまえのために戦ってる。それだけじゃ……ダメなのか?」
「……判らないよ。魔族にだって、彼らなりの生きる理由があるのだろうし――それを僕たちが断ち切っていいのか……解らなくなってる。お父さんが生きてた頃は、こんなこと……考えなくて良かったのにね……」
 気弱な微笑を閃かせる葵を茜は咄嗟に抱き締めていた。
 思い返せば、両親を喪った二年前から表向きは榊グループの後継者として、そしてその裏では神族の天主として様々な責務を負い、皆から決断を下すことを強いられてきたのだ。
 そんな日々の積み重ねが、精神的にも肉体的にも葵を疲弊させているのかもしれない。
 そして、そんな葵を受け止め、彼の不安を取り除いてあげるのが自分の役割だと茜は自負していた。
「葵……疲れがピークに達してるんだ。少し休んだ方がいい。こんな状態が続けば、おまえの心がズタズタになっちまう」
 茜は有無を問わさず葵の身体を腕に抱き上げると、急いで部屋の中へと移動した。
 ベッドに葵の身体を横たえ、その額に軽く手を添える。
 葵の肌は通常よりも熱く感じられた。もしかしたら発熱しているのかもしれない。
 茜を見上げる双眸は精彩に欠け、昏く沈み込んでいる。
 そんな兄を見下ろし、茜は唇を噛み締めた。
 己の半身がこんなにも弱っていたなんて、一緒に住んでいるのに全く気がつかなかった……。龍一や風巳の行く末に気を奪われるよりも何よりも――葵のことを最優先して慮らなければならないのに、迂闊すぎる。
「酒、取ってくるから大人しくしてるんだぞ? 今夜は何も考えずに眠れよ、葵。大丈夫だ。すぐに寝付けるし、ずっと傍にいるから――」
 茜は愛おしげに頬を撫で、葵に微笑を向けると、アルコールを取りに行くために階下へ向かった。


 閉ざされるドアを眺めた後、葵は気怠げに瞼を閉ざした。
 すぐに瞼の裏にある映像が浮かび上がってくる。
 鮮血が飛び散っている。
 その中に青年が一人、佇んでいた。
 長い髪も鋭利な眼光を宿す双眸も、暗く冷たく――まるで闇のようだ。
 青年の周囲には凍てついた空気が張り巡らされている。
 ――ああ……目醒める……のか……?
 突如として、葵は悟った。
 ハッと瞼を跳ね上げる。
 あの男が覚醒したのだ。
 だから、自分はこんなにも無気力に――全てを投げ出したくなっているのだろう……。
 あの男が、自分の神力を奪うような勢いで現世に甦ったから、相反する性質を持つ自分は一時的に脆弱になっているのしもしれない。
「――茜……」
 葵は震えだした己の身体を何かから護るように身を丸め、きつく毛布を握り締めた。
 いつの間にか額にはびっしりと玉のような汗が浮かんでいる。
 茜はまだ戻ってこない。
「……やめろ……魔王――」
 苦悶の呻きを洩らした直後、葵の意識と唐突に闇へと向かって失墜した――


     *


 
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2011.03.05 / Top↑

     *
 
 
 M市に隣接するS市郊外には、和洋折衷の巨大な屋敷が存在していた。
 元々あった日本家屋に石造りの洋館を強引に増築させたものなので、その姿は少々異様であり、見る者に不気味な違和感と威圧感を与える。
 久我条家――S市民なら誰でも知っている資産家であり、幾人もの市議を輩出している地元の名士でもあった。
 

 久我条家の洋館の一室では、一人の少年がベッドに横たわっていた。
 寝顔を見ただけでも端整な顔立ちであることが判る。
 普段は他人を小馬鹿にしたような薄笑みを浮かべていることが多いが、少年の顔は今、痛々しげに歪められていた。
「……りゅ…………ち――」
 薄目の唇が小さな寝言を洩らす。
「……りゅ……いち…………龍一……」
 紅い唇がはっきりとした名を紡ぐ。
 それを耳にした瞬間、ベッドの傍らに立って少年を見つめていた少女は思いきり眉をひそめた。心に嫉妬が芽生える。
 眠っているのは、少女が恋心を抱く三条風巳なのだ。
「……寝ても覚めても、風巳の頭の中は龍一さんでいっぱいなのね――」
 少女――二条繭羅(にじょう まゆら)は、ベッドに片膝を乗せ、眠っている風巳の方へと身を乗り出した。
 風巳の耳朶を飾る真紅のピアスを忌々しげに見据え、繭羅は軽く舌打ちを鳴らした。
 手を伸ばして、ピアスを引き抜こうと紅玉の煌めきに指で触れる。
 転瞬、風巳の身体がビクッと大きく震え、弾かれたように瞼が開いた。


「止めろ、繭羅! ――触るなっ……!」
 眠りから醒めた途端、風巳は繭羅の手を払い除け、語気も荒く叫んだ。
 険しい眼差しで繭羅を睨めつけ、片手を素早く左耳に当てる。耳たぶにピアスがあるのを確認すると、風巳は安堵の息を漏らした。
 これだけは誰にも触らせたくない。
 自分と一条龍一とを繋ぐ唯一の代物なのだ。
 このピアスがなければ、『龍一』という存在が幻と化してしまいそうで怖い。
 一条龍一が自分の傍にいたという現実――それが喪われてしまうことが、今の風巳にとっては何よりも恐怖だった……。
 あの日、如月祐介の魔魅が龍一の身体を貫いた瞬間から風巳の刻は止まっていた。
 龍一無くして、どうして生きていると言えよう……。
 あれ以来、龍一の姿は見ていない。
 龍一に実兄である遙(はるか)に久我条家に連れてこられ、龍一がいつも耳に飾っていたピアスを手渡された。
 遙は《反魂の術》で龍一の魂を喚び戻すと言っていたが、その結果はまだ教えてもらっていない。遙ほどの魔力の持ち主なら失敗する確率も低いとは思うが……。
 ただ、未だに遙が龍一ついて何も伝えに来てくれないことがもどかしく、焦燥と不安ばかりが募る。
 久我条家を訪れて以来、風巳は煩悶とした日々を送っていた。
「……何よ、龍一さんなんて遙様の弟というだけじゃない? わたしは二条の姫で、あなたは三条家の跡取りよ。一族の決定で、いずれ風巳とわたしは結婚する――強い能力を持つ子孫を残すためだもの。当然よね」
 繭羅が嫌な言葉を吐き出しながら、ひどくゆっくりと風巳の上に覆い被さってくる。
 肩の上で前下がりに切り揃えられた艶やかな黒髪がハラリと落ち、風巳の頬をくすぐった。
「そんなこと、俺は認めてない。おまえと結婚するなんて、一生お断りだ」
 風巳は冷ややかな眼差しで間近に迫った繭羅の顔を見返し、フンッと小さく鼻を鳴らした。
「おまえと結婚するくらいなら、他の女とするさ。……葵の妹なんてどうだ? おまえより美人だし、能力も高いし――魔族と神族の混血が産まれるのも面白いだろ?」
 わざと挑発するように告げたのに、繭羅は動じた様子もなく風巳の首に手を伸ばして絡みついてきた。
「……わたしだって、強制的に結婚させられるのなんて御免だわ。でも、あなたのことは好きよ、風巳。あなたは強くて、綺麗だもの――」
 繭羅の唇がゆっくりと風巳の唇に重ねられる。
 温かく柔らかな唇だが――それだけだった。
 何の感慨もなければ、もちろん愛おしさなど湧いてくるはずもない……。
 繭羅が深く口づけてくるほどに、風巳は醒めた気持ちになる。だが、感情とは裏腹に若い身体は繭羅の愛撫や白い肌に反応し始めていた。
 風巳は片手を伸ばして繭羅の髪に指を差し入れると、躊躇わずに彼女の細い肢体を抱き寄せた。
 遠くで『遙様っ!』という叫び声が聞こえた気がしたが、それはすぐに繭羅の熱烈な口づけによって掻き消された――


     *


M市の隣はS市になりました(笑)
 
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2011.03.09 / Top↑


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 久我条家の当主――久我条蓮(くがじょう れん)は、洋館から日本家屋へと続く渡り廊下を大股に歩いていた。
 二十二歳になったばかりの青年は、切れ長の鋭い瞳で辺りを注意深く探り、日本家屋の方からやってきた使用人に訊ねた。
「遙様は?」
「奥の間におります」
 使用人の簡素な返答を聞くなり、蓮は更に先を急いだ。
 唐突に洋館が終わりを告げ、木目の美しい日本家屋へと切り替わる。
 蓮は長い縁側をひたすら進み、突き当たりの部屋の前で足を止めた。
「――遙様、蓮です」
 一声かけてから静かに襖を開く。
 薄明るい和室の中に求める人物がいた。
 一条遙――魔王が降臨していない今、現世の魔族を束ねている条家筆頭一条家の当主だ。
 遙は窓際に敷かれた布団で、上体を起こしていた。
 腰まである豪奢で長い金髪がパッと目につく。
 蓮に向けられた双眸は、深い海のような煌めきを放っている。
 遙の背からは純白の翼が生えていた。
 本来の姿を惜しげもなく晒している遙を目の当たりにして、蓮は眩しげに目を眇めた。
 遙の美しい姿は、まるで天使のようだ。
 これで魔物だというのだから――信じられない。同じ魔族であるはずなのに、遙は何処か神々しくて、思わず見惚れてしまう。
 前世で魔王が遙を寵愛していたのも頷ける。
「何者かが屋敷に忍び込んだと聞きましたが――お怪我はありませんか?」
 蓮は室内に足を踏み入れると、真摯な声音で遙に問いかけた。
 つい先刻、部下から襲撃者があったことを報されたばかりなのだ。敵は、遙が滞在している日本家屋へまっしぐらに向かったのだという。明らかに遙が目的だったのだろうし、容易く屋敷に侵入されてしまったのは久我条家の警備の至らなさ――延いては、当主である蓮の落ち度だ。
 遙を護ることが蓮の使命だ。
 彼を傷つけられることは、蓮の矜持が許さなかった。
 敵襲の連絡を受けた蓮は、仕事を部下たちに任せて、慌てて屋敷に戻ってきたのである。遙は無事だと報告を受けてはいたが、自分の目で確かめなければ気が治まらずに、こうして部屋を訪ねてきたのである。
「大丈夫です。忍んできたのは、第三勢力のようでした。突然の襲撃で対処するのに少々手間取りましたけど――私は肩を少々痛めただけで大事ありません」
 蓮の申し訳なさそうな表情を見て、遙が柔らかい微笑みを浮かべる。
「それより――風巳は大人しくしていますか?」
 遙の美麗な顔にフッと翳りが射す。
「はい。時折うなされるようですが、それ以外は傍目には普通に振る舞っているように見えます」
 蓮は淡々と述べた。
 別館で預かっている三条風巳は、一条龍一を失った痛手からは回復していない。だが、とりあえずは食事もちゃんと摂るし、比較的睡眠もとれている。気が向けば、二条繭羅と戯れてもいるようなので、生命活動自体が危機に瀕している状態ではなかった。
「そうですか……。私の……龍一が先の襲撃で攫われてしまいました……。《反魂の術》で甦ったばかりで弱っていましたからね……。第三勢力は、我ら一条の肉体に興味があるのかもしれません……。私の過失です」
 遙が形の良い唇を噛み締める。折角蘇生させた弟を掻っ攫われ、口惜しいのだろう。
 蓮はそんな痛々しい遙を慰めるように、そっとその肩に手を置いた。
 遙の蒼き瞳が蓮を見上げる。
「このことは、風巳には内密に。龍一は私が必ず取り戻します。今の風巳には、余計な心配をかけさせられない――」
 静かに己の意志を告げ、遙は上半身裸の背に翼を仕舞い込んだ。
「解りました。ですが、遙様が自ら動かなくもよいのではありませんか?」
「……いいのです。魔王様が一度覚醒したようです。なのに、私にはまだ――あの方を迎えに行く勇気がない。正直、逢わないなら、それでも構わない――とさえ思うのです」
「何故です? あなたは魔王様のお気に入りで――」
 蓮が不思議そうに訊ねると、遙は寂しげな微笑を浮かべて首を横に振った。
「私は……前世などどうでもいいのです。ただ、今生では……龍一を不幸にさせたくない。私は……龍一が妹であった時代から、一度としてアレの幸せな姿を見ていない気がするのです。だから、せめて今生では幸せになってほしい、と願うのは――愚かなことなのでしょうか? 私は、前世にも――あの方にも縛られていたくはないのです」
 静穏な口調で遙が言葉を紡ぐ。決して声を強めたりしないが、遙の言葉には彼の切実な想いが込められている気がした……。
 蓮は戸惑いを隠せずに、無言で遙を見つめていた。
 まさか遙が己の胸中を晒すなど想像だにしていなかったのだ。
 蓮の困惑を感じ取ったのか、遙は自嘲の笑みを湛えると布団に横たわった。
「今夜は少し疲れました。もう眠らせてもらいます。蓮も早く休むといい――」
「……はい」
 遙の細い肢体に毛布を掛けながら蓮は頷いた。
 金の髪に縁取られた秀麗な顔は、常よりも青ざめている。
 遙はよほど疲弊していたのだろう。五分も経たないうちに、寝息が蓮の耳に届けられた。
 蓮は遙を起こさないように慎重に立ち上がった。
「絡んだ糸を断ち切ることには、オレも賛成です。ただ、そのために遙様が犠牲になるのは間違ってる――そう思うのは、つき合いの長いオレだけの感傷……なのかな?」
 蓮は自嘲の笑みを閃かせると遙の金髪を指で掬い、名残惜しげに髪に口づけてから部屋を後にした――



     「二.幻夜」へ続く



 
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2011.03.27 / Top↑
二.幻夜



 ――寒い。
 一条龍一は、寝台の中で己の身体を両腕で抱き締めた。
 頭が痛い。
 全身にも痺れを帯びたような鈍痛が蔓延している。
 今が何時なのか、ここが何処なのか――全く見当もつかない。
 ただ、ベッドに寝かされているということは辛うじて理解できた。
 右腕に小さな痛みと金属の感触があり、微かな血の匂いが鼻を掠める――
 周囲は闇に包まれているので詳細は把握できないが、どうやら自分は輸血されているらしい。
 主である三条風巳を護るために、龍一は一度生命を喪った。
 魂が完全に《器》から剥離されたのだ。
 現世(うつしよ)を離れ、黄泉路を進みかけた時、急激に魂が金色の輝きによって吸引され、再び光溢れる世界へと連れ戻されたのだ。
 己の魂が今一度《器》である肉体へ定着されられたのを朧に覚えている。
 兄である遙が《反魂の術》を施したのだ。
 かなり魔力を有する荒業なので遙の消耗も激しく、甦った瞬間に目の当たりにした兄の顔は驚くほどに蒼白だった。それでも兄は、蘇生した龍一を見て心底嬉しそうに微笑んでくれたのである。
 己の生命を削ってまで自分を救ってくれた兄には、言葉には表せないくらい感謝の念と愛情を抱いている。
 兄のおかげで自分はまた風巳の傍にいることができるのだから。
 だが、蘇生後は肉体と魂の結合が不安定であり、落ち着くまで風巳に逢うことは許されなかった。久我条邸で体力と魔力が回復するのを大人しく待ち、数日後には無事に風巳に再会できる予定だったのだ。
 なのに、邪魔が入った。
 何者かが久我条邸に忍び込み、衰弱して闘えぬ龍一を拉致したのだ。自分を襲った相手がここへ龍一を寝かせ、生かしておくために輸血紛いの行為を続けているのだろう。
 ――寒いな……。
 龍一は身体を震わせ、眉根を寄せた。己の体内に流れ込んでいる血液は温かいのに、肉体そのものは得体の知れ名ぬ寒気に見舞われている。
 ――血の効力なのか……?
 右腕に刺さる注射針を抜こうと左手で掴むが、特殊な術でもかけられているのか針は龍一の肌に食い込んだまま微動だにしない。
 ――何……だ……? 魔力が……不足しているのか? 一体、何の……何者の血を私に入れている……?
 龍一は唇を噛み締め、断続的に襲ってくる寒気に耐えた。
 頭痛も酷ければ、喉も苦しい。奇妙な嘔吐感まで込み上げてくる始末だ。
「……風巳……さま――」
 呼吸の儘ならぬ喉から声を絞り出す。
 脳裏には大切な主の姿が浮かんでいた。彼はきっと龍一の死に責任を感じ、自己嫌悪と後悔に苛まれていることだろう。
 早く蘇生した姿を見せて安心させてあげたいのに、今はそれすらも到底無理な状況下にあるらしい……。風巳の不安と己に対する怒りを一刻も早く取り除いてあげたいのに――主の役に立てぬ自分がひどくもどかしかった。
 闇の中、身体を丸めて寒気に耐えていると、程なくしてガチャガチャという鍵を解く音が聞こえてきた。

 ゆっくりとドアが開かれ、何者かの気配が生じる。
 同時に照明が灯されたので、龍一は突然明るくなった世界に両眼を細めた。気怠い身体に何とか寝返りを打たせ、ドアの方へと顔を向ける。
 こちらへ歩み寄ってくる人物を認識して、龍一は不快のあまりに顔をしかめた。
 嫌悪感の塊のような男が自分を見下ろしている。
 如月製薬の若き社長――如月祐介だ。
 風巳を攫い、龍一を死に至らしめた忌むべき魔魅遣いだ。
「気分はどうだい、一条龍一くん?」
 如月は酷薄な笑みを浮かべ、スッと片手を伸ばしてくる。その手が額に触れた瞬間、虫酸が走り、龍一は反射的にその指先から顔を背けていた。
 そんな龍一の様子を見て、如月は愉快そうに唇の端をつり上げた。今度は両手で龍一の肩を掴み、横を向いていた身体を仰向けにする。
「随分と弱ってるな。魔力のコントロールが出来ずに、髪が伸び放題だ」
 冷ややかな眼差しが龍一の髪や顔を見分する。
 わざわざ指摘されずとも自分が疲弊しているのは解っている。常日頃は魔力で変化させている金髪は、制御が効かずにベッドから垂れるほどに長く伸びいてた。
「汗も酷いし、辛そうだな。寒気はしないか?」
 如月の指が頬にかかる黄金の髪を払い、そのまま首筋を軽く撫でる。
「……気分は最悪だし、寒気もする」
 龍一が渋面で応じると、如月は満足げに冷笑を閃かせた。
「顔も真っ青だな。この分だと、吐き気もしてるだろ? ――なるほど、美城の血は一条の者には妙薬であると同時に毒でもあるのか」
「――ヨシキ? 何をした? 私を……どうするつもりだ?」
「ああ、君は生きた実験台だよ。魔族の能力はまだまだ未知数だからな。殊に、一条家の連中は謎に満ちてるからね。裏切り者の堕天使さん」
 如月がわざと茶化した調子で嫌味を放つ。
「きっ……さまっ……!」
 龍一は憎悪を込めた双眸で如月を睨めつけた。
 如月が何を揶揄しているのか即座に理解できた。
 一条家の始祖は《神族》なのだ。
 だが、遙かな昔に魔王の味方についたことで堕天と化した。
 堕ちたのだ、神から魔へ――
「黄金の髪に瞳――天主よりも神々しい形(なり)をして、中身が魔族だとは笑わせる。君のお兄さん――いや、あの時は絶世の美女だった記憶があるから……《お姉さん》だったのかな? とにかく、アレが過去世で天主を裏切らなければ、決着は疾うについていたはずなんだがな……。保が死ぬこともなかったと思わないか?」
 如月が平淡な口調で言葉を連ね、龍一の髪を力任せに掴んだ。そのまま強引に顔を上げさせられる。
「――つッ……! 先代天主は……貴様が殺めたんだろッ……!?」
 力の入らぬ上半身を無理矢理引き起こされ、龍一は全身が軋むような悲鳴を上げるのを感じた。痛みに堪えながら、榊茜と共に有馬家を訪れた時のことを思い返す。
 確か、保というのは榊兄妹の実父であり、数年前に事故死していたはずだ。そして、本当は事故などではなく裏で如月が殺害を企てた――というのが真相であるらしいのだ。
 だが、如月の口振りからして彼は手を下していないようにも感じられる……。
「ああ……保は私が殺したんだったな……」
 フッと如月の双眸が何処か遠くを眺める。哀愁のようなものが彼の顔をよぎった。
 しかし、それはほんの一瞬の出来事で、如月の顔にはすぐにいつもの冷酷さが戻る。 
「だが、今は――どうでもいいことだ。折角、一条の貴重な身体を手に入れたんだ。存分に楽しませてもらわなければな」
 髪を掴む手に力が加わり、残忍な光を宿す眼が龍一を射る。
「魔族と神族の狭間をたゆたう一条の神秘を明かすのは、面白そうだな。何を何処まで切り刻めば、君たちの肉体は自己再生不可能になるのかな? 劇薬の耐性とかも色々と試してみたいね。本当は君の美しい兄上様を攫ってきたかったんだが、流石に彼は強くてね。弱っている君を連れてきたわけだ。でも、心配することはない。すぐに兄上様も連れてきてやるさ。君を餌にね――」
「よせっ……! 兄上には手を出すなっ!」
 龍一はキッと如月を睨み上げた。如月のサディスト振りは有馬家で目にしている。大事な兄を残酷な実験の餌食にさせたくはなかった。
「できないね。彼は、魔王のウイークポイントだ。だから、一条遙は何としても手に入れておきたい」
 如月に冷たくあしらわれ、龍一は唇を噛み締めた。
 抵抗や反論をしたくても、寒気や嘔吐感や痛みで身体を自由に動かすことができない。本来なら武器になるはずの髪すら操れなかった……。
「フッ……憐れだな。指の一本もロクに動かせないのか?」
 龍一の心を見透かしたように、如月が冷笑を湛える。
「貴様が……神族の血を流し込んでるからだろっ……!」
 龍一は右腕から伸びる点滴のチューブを目で追い、小さく舌を鳴らした。
 自ら望んで血を啜る分には、極上のエナジーと化す神族の血液。だが、一条家の者に限り、過度の摂取は自らの生命を危険に晒すことになるのだ。
「ほう、神族の血だと判るのか? 君たち一条の者にとって神族の血は麻薬のようなものなんだな。軽く啜ると甘美な陶酔感をもたらすくせに、大量に体内に取り込むとすぐにバッドトリップする。仲間を裏切った代償なのか罪悪感なのか――かつてはその身に流れていた神の血に激しい拒絶反応を見せ始める。皮肉なものだな」
 如月が掴んでいた龍一の髪を乱暴に引き、顔を横に向かせる。
 視線の先には、隣の部屋とを隔てる襖が存在していた。
 如月がパチンと指を鳴らすと、襖が独りでにスーッと開く。
 広い隣室にはこちらと同じくベッドが設えられており、そこに一人の青年が横たわっていた。青年の胸には日本刀が突き刺さっている。なのに、彼の胸はしっかりと上下し、生きていることを証明していた。
 青年の両手足からは、夥しい数の管が伸びている。その中の一つが龍一の右腕へと繋がっていた。
「あの顔は……確か……行方不明の有馬家当主――」
 記憶の底から神族に関する情報を引っ張り出してきた龍一は、該当する人物に行き当たり、ハッと息を呑んだ。
 榊家の最大分家である有馬家――正式な当主はもう随分も前に消息が絶えていたはずだ。
 不思議なことに青年は、行方知れずとなった当時の姿のまま眠りに就いていた……。
「そう、榊の直系にかなり近い血だ。君に抵抗する力を与えず、生かし続けておくためには、最適な血だろう。しばらく、苦痛に顔を歪めながら悶える君の姿を眺められるのかと思うと、心が躍るよ」
 如月がクックッと喉を鳴らし、龍一の髪を掴んでいた手を乱暴に離す。
「――ッ……!」
 枕に打ち付けられた後頭部からまた鈍い頭痛が広がる。
「神族の貴き血に酔い、堕天と化した一族を呪いながら、早く愛する兄上様が助けにきてくれることを祈るんだな。まあ、その時は、君の兄上が君以上の責め苦を味わう羽目になるわけだが――」
 如月がもう一度薄笑いを浮かべる。
 全身を蝕む激痛と寒気に耐えきれず、龍一は呻いた。
 意識が混濁し始め、脳裏では兄や風巳や榊一族の姿が脈絡もなく浮かんでは消える。
 完全に記憶が飛ぶ寸前、龍一は如月の双眸が冷たい憎しみの炎を灯すのを見た――


     *


 
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2011.03.30 / Top↑

     *


 ピコンッ、と誰かが接触してきたことを示す小さな電子音が耳をくすぐる。
 氷上遼(ひかみ りょう)は、反射的にキーボードを叩く手を止めていた。
 リビングに愛用のノートパソコンを持ち込んでから約二時間――今日の講義をワープロソフトでまとめる作業を行っていた。途中でどうしても飽きがくるので、オンラインゲームにも接続していたのである。顔を知らないネット住民たちとのコミュニケーションは、勉学の合間のいい気晴らしになるし、意想外の刺激をもたらしてくれることもある。
 遼はワープロソフトを最小化し、替わりにオンラインゲームの画面を最大化した。
 直ぐさま、画面いっぱいに架空の世界地図が広がる。
 遼が今アクセスしているのは《鏡月魔境》というゲームだ。
 ゲームに登録した時点でプレイヤーは小さな国を与えられる。出逢った相手と闘って勝てば国土が増えるし、負ければ当然領地は相手に没収される。ひたすら闘い続けるだけの単純な国盗りゲームだ。
 万が一、国を喪っても他のプレイヤーの協力者になったり、海賊や商人や傭兵、情報屋など様々な形で《鏡月魔境》の世界を堪能することができる。
 要は、ネット上で知り合った者同士のコミュニケーションツールなのだ。
 もちろん本気で国盗り合戦に躍起になっているプレイヤーも多数存在している。だが、たとえ国盗り合戦から脱落したとしても何らかの形でゲーム世界に留まり、仲間たちと共に冒険することが可能なのである。
 プレイ開始後すぐに自国を奪われた遼だが、それ以後は何処の勢力にも属さない気儘な悪魔として世界を旅していた。それほど頻繁にログインするわけではないし、遼がこのゲームに登録したそもそものきっかけは、《鏡月魔境》を開発した《AYA》というのが五歳離れた実姉の綾であるからに他ならない。姉が手がけたゲームでなければ、プレイすることもなかっだろう。
 綾が作った《鏡月魔境》では、プレイヤーは百種類以上の種族や職種から自由に己のキャラクターを選ぶことができる。選択可能なキャラクターは、人間はもちろんのこと天使や悪魔、吸血鬼やドラゴン、鬼や妖怪など――幻想世界の住人まで多種多様だ。
 遼は適当に悪魔を選択した。誰かに召喚されると主人の願いを叶えるためにミッションをクリアしなければならないが、ごく稀に発生するイベントだ。毎日ログインしてるわけではないので、《鏡月魔境》でコミュニケーションを深めている仲間は必然的に限られてくる。ゆえに自分の存在を認識して召喚してくるプレイヤーも少なかった。
 遼はマウスを操作し、自分のキャラがいる架空都市をクリックした。
 画面が街中の映像に切り替わり、遼の分身である悪魔の姿が現れる。その隣に、漆黒の衣装を纏った剣士が佇んでいた。どうやら接触を求めてきたのは、この剣士であるらしい。
「おっ、サガくんだ」
 剣士の姿を確認した瞬間、遼は思わず頬を緩めていた。
 三週間ほど前にこの世界で知り合った相手だ。全身黒ずくめの装備でクールに決めているが、会話をしていると意外に可愛いので、そのギャップが楽しい。おそらくプレイヤー本人は、遼よりずっと年下の少年なのだろう。
 遼がアクセスを許可すると、
【SAGA:リョーさん、こんばんわ! お久しぶりです】
 すかさずSAGAが陽気に挨拶をしてくる。
【RYO:久し振り! 相変わらず絶好調みたいだね。大国の王様がこんな辺境ブラついてていいの?(笑)】
【SAGA:今日はお忍びでブラブラしてます。闘いません(笑)】
【RYO:へえ、珍しいね。いつも楽しそうに闘ってるのに】
 キーボードを叩いていると、現実世界でガチャガチャと玄関ドアを開ける音が響いた。
 途端に意識がネット世界を離れてそちらへ向かう。
「ただいま――」
 遼がリビングのドアに目を向けるのと、姉の綾がドアを開けて姿を現すのがほぼ同時だった。
「おかえり、姉さん」
「アラ? 何よ、遼――《鏡月魔境》に入ってるの?」
 綾は目敏く遼のパソコン画面をチェックし、意外そうに目を丸めた。
「姉さんが作ったゲームだからね。気になるし――ゲーム音痴な俺だけど、色んな人と出逢えるから楽しいよ」
 遼が素直な感想を述べると、綾はほんの少し照れ臭そうに笑い、こちらへ歩み寄ってきた。
 今日の綾はジーンズにシャツというカジュアルな出で立ちをしている。右肩からは巨大なトートバッグをぶら下げたいた。ゲームの製作会社に勤務している綾は、常にノートパソコンやら資料やらを持ち歩いているのだ。
「――この子と知り合いなの、遼?」
 改めて遼のパソコンを覗き込み、綾はスッと目を眇めた。
「うん。――あ、やっぱり会社でも話題なの、サガくん? 破竹の勢いで北の大地を制したからね」
 遼はネット世界の知り合いが有名人であることに気をよくし、笑顔で応じた。
 剣士SAGAは《鏡月魔境》に姿を現してからたった一週間で、並み居る猛者たちを薙ぎ倒し、北の大陸全土を掌中にした覇者なのだ。
《鏡月魔境》の中には二十の大陸が存在しているが、僅か七日間で一大陸を制覇したプレイヤーはSAGAが初めてだ。無論、《鏡月魔境》愛好者の間で彼は瞬く間に時の人となった。
「アレ? 今、『この子』って言ったよね、姉さん? ネットの噂では、彼は中学生らしいって話だけど……?」
「ええ……確か中学生――まだ十四歳だったはずよ。あっ、もちろんココだけの話にしておいてよ、遼」
 素早く釘を刺すと、綾は何故だか慌てたようにトートバッグからノートパソコンを取り出し、遼の隣で電源を入れた。
「誰にも言わないよ。――でも、ホントに中学生だったんだ、サガくん。凄いな」
 遼は心からの賛辞をゲームの中の剣士へ贈った。
 チラと綾のパソコンに視線を流すと、彼女は《鏡月魔境》を起動させている最中だった。ただし、彼女がアクセスしようとしいるのは、遼たちがログインしている画面とは異なる管理者モードの方だった。
 綾は妙に真摯な顔つきでキーボードを叩いている。
 その横顔に焦燥のようなものが見え隠れしているのが不思議だった。もしかしたら、《鏡月魔境》の画面を眺めているうちに何かバグでも発見したのかもしれない……。
 自分のパソコンに視線を戻すと、
【SAGA:僕、闘うの――大好きですから! 敵を斬って斬って斬りまくるのって、ある種の快感ですよね。血を見るとゾクゾクしまーす!】
 というSAGAのメッセージが綴られていた。
「おっ、過激だな。ってか、中学生に快感とか言われてもね……。大丈夫かな、サガくん? ホントに闘うことが好きなのは伝わってくるけど――」
 遼は苦笑混じりに独りごちた。
 仲間として会話を楽しんでいる分にはイイ子だが、SAGAの闘い振りが凄まじいのは彼が迅速に北の大地を掌握した事実が物語っている。
 おまけに今夜は『血を見るとゾクゾクします』と、ちょっとマニアックな発言までしている。会話の端々からエキセントリックな雰囲気が漂ってくるSAGAだが、今日は特にそれが増しているようだ。
【SAGA:そういえば、最近SAKAKIさんとRYUさん……見かけませんね?】
 遼がどう返答しようか逡巡している間に、SAGAが新しい話題を振ってくる。
 彼が名前を挙げた二名も時々会話をしていたプレイヤーだ。
 SAGAの指摘通り、最近《鏡月魔境》で遭遇していない気がする……。
【RYO:そう言われると――見てないね。リア充なのかな?】
 エンターキーを押し、遼はフッと遠くに視線を馳せた。
 ――姿を見ていないと言えば、一条さんも見てないな……。
 脳裏に金髪の美青年の姿がよぎる。
 綾の古くからの知己だという一条遙。
 彼のことを思い出す度に、遼の鼓動は少しばかり速まり、全身の血がざわめく。
 日本人離れした遙の美貌のせいなのかもしれない……。

 りん――

 不意に鈴の音が響く。
 ハッとして目を瞠るが、隣の綾はそれに気づいた様子もなく物凄い速度でキーボードを叩き続けている。
 自分にだけ聞こえる幻聴なのだろうか?

 りん――

 澄んでいるのに何処か物悲しさを漂わせる音色だ。
 それを振り切るようにゲーム画面に視線を落とす。
【SAGA:あれ? リョーさん、血の匂いがする】
【RYO:え、血の匂いっ!? 何のコト? 怖いな、サガくん(笑)】
 奇妙なタイミングでSAGAが意味不明な発言をする。
 鈴の音との関わりなど全くないはずなのに遼の心臓はドキッと跳ね、嫌な胸騒ぎに見舞われた……。
 時折、SAGAはすぐ傍で遼のことを見ているのではないか――と勘繰ってしまいそうになるほどに鋭い台詞を吐くことがあるのだ。
【SAGA:あー、僕、判っちゃいました。リョーさんの正体。リョーさん……悪魔だったんですね】
【RYO:いや、最初から悪魔だけど??】
【SAGA:うん。悪魔の中でも最強の悪魔ですね。へえ、リョーさん物凄く強い大魔王だったんだ! 嬉しいな!】
【RYO:ちょっ……サガくん!? 俺みたいに善良な悪魔プレイヤーは、この世界にいないと思うよっ!】
 SAGAが何やらおかしな妄想をし始めたようなので、遼はまたしても苦笑を湛えた。十代の思考能力は柔軟で、発想は限りなく広がってゆくようだ。
「サガ・レーゼー、十四歳。北海道在住――」
 ふと、綾が硬質な声音で呟く。
「ん? 何のこと?」
「遼が今、喋っている相手の登録情報よ。カタカナで『サガ・レーゼー』って登録してるわね」
「え? 外国人なの、サガくん?」
「違うわ……。この子、確か……《織姫》の質問ではどちら側にも属さなかったはずなのに、まさか――」
 綾の眉がきつく寄せられる。
《織姫》というのは、プレイヤーを《鏡月魔境》の世界へと誘う女神的存在だ。
 その織姫とSAGAに何の関係があるのか、また綾が何故そんなに必死にプレイヤーの情報を確認しているのか解せずに、遼は小首を傾げた。
【SAGA:リョーさん、ホントは強い悪魔なんですね】
【RYO:強かったら、サガくんみたいに大陸の一つでも手に入れてると思うけど……】
【SAGA:僕も半分は悪魔なんですよ】
【RYO:半分?】
【SAGA:残りの半分は――神様ですから】
【RYO:――ん? 剣士から天使にでもキャラチェンジするの??】
【SAGA:ヤダなぁ、違いますよ! 生まれた時から神様と悪魔のハーフなんですよ。僕の中に流れる血は、半分はリョーさんと同じ悪魔なんです。だから、他の神様よりちょっだけ血を見るのが大好きで、好戦的なんです。飛び散る鮮血って、興奮しますよね!】
【RYO:しないしない(^▽^;)】
【SAGA:そうですか? 僕、今、リョーさんの血を見ることを想像して萌えちゃいましたよ! 闘ってみたいなぁ! ねえ、リョーさん――僕、リョーさんの首、獲りに行ってもいいかな?】
 SAGAからのメッセージを見て、更に首を捻る。
 ――首って……ゲームの中のことだよね? 何で今更、俺と闘いたいのかなぁ?
 綾の焦りも急に好戦的になったSAGAの態度も全く理解出来ない……。
「レーゼー……れいぜい――冷泉か……!?」
 綾が忌々しげに舌打ちを鳴らす。
 こんなに感情を露わにする姉を見るのは久し振りの出来事だった。
【RYO:アハハ、そうだね、一度くらい闘ってみたいよね! 俺の首でよかったらいつでも獲りにおいでよ! 待ってるから】
「遼、答えるな!」
 遼がキーボードを叩き終えるよりも僅かに遅れて綾が鋭い声をあげる。
 それは普段の穏和な姉からは想像もつかないほど冷厳で、尚かつ仄暗い怒気を孕んだ声音だった。
「――え!? ど、どうしたの、姉さん?」
 激しい姉の口調に気圧され、遼は唖然と彼女を見返した。
「もう、答えちゃったけど――」
「答え――たのか……!?」
 気づけば綾の眦は険しくつり上がっていた。
 綾が慌てふためいた様子で遼のパソコンを覗き込んでくる。
「待ってる――って、答えたよ。……たかがゲームなのに、何をそんなに怒ってるんだよ?」
「そう、待ってると……答えたのね……」
 遼の返答を耳にした途端、綾はつい先ほどまでの怒りが嘘のように気の抜けた表情を見せる。
 姉の美しい横顔には諦念のようなものが浮かび上がっていた。
 時を同じくして、画面上にSAGAの台詞が表示される。

【SAGA:うん、楽しみに待っててね! リョーさんの首、僕が綺麗に斬り落としてあげるから――】

 意味深なメッセージを残し、SAGAの姿は忽然と画面から消失した――


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2011.04.02 / Top↑


     *


 有馬美人(ありま よしひと)は、目の前に並べられた夕食を漫然と眺めていた。
 食卓についたものの、もうかれこれ十分ほど箸を手にした状態で固まっていた。
 ダイニングテーブルを彩っているのは、母の桐子が腕を振るって作った料理の数々だ。見た目にも匂い的にもかなり美味しそうなのだが、今夜の美人はどうしても食事に手を付けることができなかった。
 ここ数日、気分も優れないし、体調も芳しくない。
 母方の従兄に当たる榊家の双子が立て続けに条家に拉致されたあたりから、M市を包み込む空気に異変が生じたように感じられる。
 下級の魔物――魔魅が頻繁に姿を見せるようになり、高位の魔族である条家の者たちが神族の要である榊家の周辺に出没するようになった。
 魔族の動きが活性化している。
 神族の長である榊本家に絡み出したということは、もしかしたらあちら側の大将の目醒めが近いのかもしれない。
 魔族のトップ――魔王は代々転生者であるとされている。ゆえに、何十年も魔王が生まれてこないことも珍しくない。その上、必ずしも条家に生まれつくとは限らないので、条家でも現世に生まれ落ちた魔王の特定には困難を極める場合があるらしいのだ。
 魔王不在の時代は、条家筆頭である一条家が魔族を束ねている。
 その点は、榊の直系を必ず天主に据える神族とは仕来りが異なっていた。
 条家の連中は、魔王が覚醒するまでは比較的大人しくしているが、転生した魔王の存在を感知すると戦に備えて活動的になる傾向にある。
 魔王の裡に流れる強烈な魔性の血が、同族の本能を呼び覚ますのかもしれない。
 ――血の匂いがする……。
 美人は眉根を寄せ、溜息を吐いた。
 おそらく、この街の何処かで魔王が目醒めたのだ。
 今は数日前より禍々しい血の匂いが薄れている。察するに、一瞬だけ魔王として覚醒したものの何かしらの事由で再び眠りに就かざるを得なかったのだろう……。
 詳細は解らないが、魔王の完全復活が迫っているのは間違いない。
 ――葵さんたち……大丈夫かな?
 ふと、脳裏に榊三兄妹の姿が浮かび上がる。美人でさえ魔王の瘴気に毒されているのだから、本家の直系たちにも当然障りがあるはずだ。
 殊に葵は、魔王とは対極に位置する神族の天主――
 魔王から受ける影響は自分の比ではないだろう。
 ――明日、本家に寄ってみよう。
 同じ聖華学園に在籍しているのだが、それぞれ学年が異なるので校内で顔を合わせる機会は滅多にないのだ。榊兄妹の様子を見るためには、直接家に出向いた方が早い。
 葵と茜が情緒不安定な状態に陥っていれば、妹である夏生にも悪影響を及ぼす。可愛い従妹が困窮したり心細い思いをしているのはいたたまれないし、出来ることならば力添えしたい。
 夏生にはいつも笑顔でいてほしい――そう願っているのは、榊兄弟だけではい。自分も同じだ。幼い頃からずっと一緒に育ってきた。傍にいるのが当たり前だし、実の妹のように大切な存在だ。どんなに辛く陰惨な闘いの中でも、夏生がいるから何度でも立ち上がれるし、その朗らかな笑みに幾度も救われてきたのだ。
 美人は従妹の笑顔を思い出し、密やかに唇に弧を描かせながら席を立つ。
 結局、一口も食べずに箸を置くことになり、母に対する申し訳なさが湧いてくる。今夜は在宅時間が合わず、家族揃っての夕食ではないことだけが幸いだった。
 美人は手つかずの料理に丁寧にラップをかけると、ダイニングを後にした。


 有馬家の巨大な母屋は外観こそ立派な日本家屋だが、築年数がかなり経っているので内部は何度も改装され、キッチンやトイレや個人の私室など洋式の部分も多々存在してる。
 私室へ戻るために長い廊下を進んでいた美人は、途中急激な嘔吐を催して、手近にある洗面所に駆け込んだ。
 朝から殆ど何も食していないので、当然込み上げてくるものは胃液しかない。
 それでも吐き出してしまうと幾分楽になった。
 魔王の覚醒で氣が乱され、身体にも変調を来しているらしい。数日経過すれば慣れるのだろうが、それまではこの不快感とつき合わなければならないのかと考えるとげんなりした。
「ちょっと美人、お時さんが『若が夕餉を召し上がらない』って嘆いてたけど、大丈夫なの?」
 タオルで口周りを拭っていると、軽やかな足音が近づいて来た。
 足音と口調から察するのに、姉の咲耶だろう。
 お時さん――というのは長年有馬家に遣えてくれている敏腕ハウスキーパーだ。美人より僅かに遅れて食卓に着こうとした咲耶は、そこでお時さんに懸念混じりの愚痴を零され、弟の様子を観に来たに違いない。
 長い黒髪を揺らして、ヒョイと咲耶が洗面所に顔を覗かせる。
 鏡越しに美人と視線が合致した瞬間、
「アラ――ひょっとして、ツワリ?」
 咲耶が小首を傾げ、口元に妖しげな微笑を刻んだ。眼鏡の奥では双眸がキラッと鋭利な輝きを灯す。
 青ざめた顔でタオルを口に当てる美人を目の当たりにして、何やら見当違いの妄想を膨らませてしまったようだ。姉の咲耶は、美形男子が大好きで四六時中美少年と美青年で妄想恋物語を展開させているような、少し変わった――いや、かなり厄介な人なのだ……。
「相手はだぁれ? 葵ちゃん? 茜ちゃん? それとも如月の叔父様?」
「……咲耶姉さん、僕はその手の冗談は嫌いですよ」
 キラキラと瞳を煌めかせている姉を醒めた眼差しで見返し、美人は溜息を落とした。
 姉の趣味に関して文句を言うつもりはないが、実際に自分に害が及ぶようなら全力で阻止しなければならない。
 何せ、咲耶の妄想は果てがないのだ。宇宙規模だ。放っておくと、好みの美形男子で煩悩たっぷりの物語を延々と構築し続けているのだから困ったものである……。
「えーっ、つれないわねぇ。たまには乗ってくれてもいいじゃない。薄幸の美少年とソレを取り巻く色男たちの恋模様――これぞ純愛だわ!」
「誰が薄幸の美少年ですか、誰が? 自分の弟を勝手に不幸にしないで下さい」
 美人は使用済みタオルを洗濯籠に投げ入れ、渋々と咲耶の方へ身体を向けた。
 何をどうしたら同性しか出て来ない恋物語が純愛になるのか、全く解せない……。
「えー、美人だったら絶対、床に臥せっている病弱な美少年役が似合うのに!」
「いえ、頗る元気ですから。僕は確かに細身ですけれど、武道全般会得してるし、意外に筋肉ありますよ」
「ちょっと、乙女の夢をブチ壊すような現実突きつけないでよ! そんなに真っ白な肌で物憂げな表情とか物凄く似合うのに――体育会系なんて冗談じゃないわ! 今から風邪ひきなさいよ、美人。ゴホゴホ咳をしながら苦しげに眉を寄せて、潤んだ双眸で好きな相手を見つめる――とか、そういう艶めいた美少年をスケッチしたいのよっ! もちろん、その時は胸元がザックリはだけて、くっきり浮き出た鎖骨が見える感じがベストね!」
 興奮した咲耶が鼻息を荒くし、何処から取り出したのか片手にスケッチブックを構える。
「風邪ひけ――って意味不明だし、少しもベストに思えませんけれど? 今度の漫画はそういう設定にしたんですか?」
 美人は呆れ顔で咲耶を見返した。
 美大に通っている咲耶は抜群に絵が上手く、美形男子同士の恋愛漫画を創作することを趣味としているのだ。一番身近にいる弟さえも容赦なくモデルとしてスケッチし出すので、美人にとっては迷惑以外の何ものでもない……。
「そうよ。たまには二次創作以外の漫画も手がけないとね! オリジナルの描き方を忘れ――」
 咲耶が瞳に情熱の灯火を点けた時、バタバタバタバタッと騒々しい足音が響き渡った。
 美人と咲耶が反射的に音のする方へ視線を向けると、物凄い速度で長姉の智美が廊下を駆けてくるところだった。
「誰だっ!? 誰に孕まされた、美人っ!? どこの誰であろうと、この私が――即刻叩き斬ってやる!」
 長いポニーテールを靡かせた智美が急ブレーキをかける。
 至極真摯な顔で怒りを放つ姉の片手には、冴え冴えと輝く長刀が握られていた。
「……智ちゃん、怖いくらいの地獄耳ね」
 咲耶が目をしばたたかせ、自分と同じ顔をした智美を見つめる。
 智美と咲耶は一卵性双生児なのだ。髪型と眼鏡の有無を覗けば、顔立ちも声も限りなく同一に近い姉妹なのである。
「いや、そもそも咲耶姉さんの妄想ですし、僕が孕むとか絶対に有り得ないんですけど……。とりあえず、家の中で《雨竜》を振り回すのだけは止めて下さい」
 美人は苦笑混じりに告げ、智美が手にする美しい長刀に視線を流した。
 美人の身を案じてくれるのは有り難いが、咲耶とは別の意味で智美も思い込みが激しすぎるのだ。基本的に智美は直情径行の人間なので、口よりも先に手が出ることもしばしばだった……。今も愛用の長刀をしっかりと構え、すっかり臨戦状態だ。
「――ハッ……! そ、そうよね……咲耶の妄想か……!」
 ようやく冷静になったらしい智美が息を呑み、次いで少々決まり悪げに口元を引きつらせる。
「ま、まあ……私の早とちりで美人に害はないなら、それでいいわ……」
 智美が長刀を軽く一回しする。すると、それは一瞬にして金色の龍と化し、智美の右手首にピタリと巻き付いた。傍目にはブレスレットにしか見えない。《雨竜(うりゅう)》と呼ばれる刀が、智美の神力の化身なのだ。美人の《雷師(らいし)》同様、普段は装飾品の形をとっている。
「それより、課題を手伝ってもらうために美人を呼びに行ったはずなのに――本来の目的を忘れてまた妄想に耽ってたのね、咲耶……」
 智美の冷ややかな眼差しが咲耶へ注がれる。
 今度は咲耶がハッとは目を見開く番だった。
「あっ、ホントに忘れてたわ! 美人が悩ましげな表情してるからイケナイのよ」
「都合の悪い時だけ僕に責任転嫁しないで下さい。――課題って、何ですか?」
 サラリと弟に罪をなすりつけようとする咲耶を窘め、美人は首を傾げた。
 智美と咲耶は共に同じ美大に通う学生だ。課題というからには大学関係の事柄なのだろう。
「細かいコトは気にせずに、ちょっと私たちにつき合いなさいよ」
 命令口調で告げる智美がニッコリと微笑み、咲耶が美人の腕をガシッと掴む。
 姉二人に逆らうことは、決して得策ではない。
 幼い頃からの経験でよく身に染みている。
 美人は内心で深い溜息をつくと、従順に姉たちに従うことに決めた――



 
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2011.04.10 / Top↑

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 母屋の二階にある長姉・智美の部屋へ連れて行かれること三十分――
 ソファに腰かけた美人は、慣れない化粧の香りに包まれていた。
 姉たちに促されるままソファに身を落ち着けた途端、智美が何の説明もなく美人の顔にメイクを施し始めたのである。せめて理由だけでも教えてほしかったが、質問を繰り出そうと唇を開きかける度に凄まじい眼力で睨まれるのだ。おまけに咲耶は、少し離れた場所に陣取り、せっせとスケッチを開始している。
 美人にとっては非常に居心地の悪い状況だが、有馬家で絶大な支配力を誇る姉二人に取り囲まれては抗議のしようもない……。
 仕方なく、されるがままにメイクが完了するのを待つ。
「コレ――何の課題ですか?」
 チークを入れ終わった隙に訊ねると、
「だから、大学の課題よ。ナチュラルメイクの研究」
 智美は巨大なメイクボックスの真剣な顔で覗き込みながら端的に応えた。
「……智美姉さん、確か彫刻学科でしたよね? メイク関係ないんじゃ――」
「今年はサブで、うっかり《メイクアップアーティストコース》選択しちゃったのよ」
 美人が皆まで質問を繰り出さないうちに智美が矢継ぎ早に告げる。
「それはまた大胆なうっかりですね」
「男勝りの智ちゃんがまさかの選択ミスよね。でも、意外とメイク技術あるからスゴイじゃない」
「うるさいな、二人とも! 彫刻学科だから立体的な造形は得意なのよ。なのに、何? ナチュラルメイク? ナチュラルにメイク? 凹凸のない化粧ならしなくてもいいんじゃない? そもそも私は立体感のあるメリハリボディが好きなのよ! 躍動感溢れる神秘の肉体を寸分違わず再現するために、彫刻学科を選んだんだからねっ! ――ってか、咲耶、スケッチばっかりしてないで、ちゃんと私がメイクしてるって証拠画像撮っておいてよ。課題として提出できないじゃない!」
 智美が常よりも少しだけ甲高い声で背後の咲耶へ指示を放つ。
 同じ顔をした双子でも性格に差異はあるらしく、完全マイペース型の咲耶に比べて智美は怒りの沸点が低く短気なのだ。パッと見、姉弟の誰よりも冷静な雰囲気を醸し出しているくせに、実のところ誰よりも喧嘩っ早い。智美の整った容姿にばかり気を取られ、敢然かつ勇猛な本性とのギャップに面食らう男性も少なくなかった……。
「キャーッ! 智ちゃんたら破廉恥発言! 何よ、立体感のあるメリハリボディって? 主にどの辺りが立体的なのか物っ凄く気になるから、後で紙粘土で再現してよ」
 咲耶が頬を上気しながらはしゃいだ声をあげる。
 ――姉さんたち、黙っていればすぐに素敵な恋人ができるだろうに……どうして、本当にどうしてこんな風に成長したんだろう……?
 姉二人の会話を恥ずかしさと共に聞きながら、美人は心の裡で溜息を連発した。
 その間に、ようやく色を決めたらしい智美がリップブラシで美人の唇に紅をさしてゆく。
「いやよ。面倒臭い。隣のマンションでも覗いて来なさいよ。ホラ、早くデジカメ!」
 真摯な眼差しを美人の口元に注いだまま、智美がぞんざいに応じる。
 咲耶は『えーっ』と不満そうに唇を尖らせたが、渋々スケッチブックを手放し、ポケットから取り出したデジカメで適当に美人と智美の写真を撮りだした。
「――ハイ。メイク終了! 我ながら会心の出来だわ」
 最後の一筆を塗り終えた智美がホッと息を吐く。顔を離した位置から美人を見分し、彼女は満足げにウンウンと頷いた。
「あ、やっと終わってくれたんですね。……美大にもモデルさんがいるのに、何故僕なのかは全く理解出来ませんけれど――」
 智美とは別の意味で安堵の息を洩らし、美人は肩の力を抜いた。メイクされたこと自体は不本意だが、ようやく姉から解放されるのかと思うと心が一気に軽くなった。
「ダメよ、大学が雇ったモデルなんて。あんたや隣の連中に慣れすぎてると、ちょっとやそっとの美形じゃ沸き立つような創作意欲やパッションが芽生えないもの。ホント、迷惑よね、隣の奴ら」
 リップとブラシをメイクボックスに戻し、智美がチラと隣家のある方角を見遣る。唇が小さな舌打ちを鳴らした。
 有馬家の隣には高級マンションがあり、そこの持ち主である曽父江家が住んでいるのだ。美人と同じ歳の零治を含めて兄弟が五人いる。M市内でも評判の美形兄弟であり、有馬姉弟にとっては幼なじみになる。兄弟みな容姿が整っているが故に、智美や咲耶などは誰かの恋人だと思われがちで、幼少時から女性絡みのトラブルに巻き込まれ続けてきた。隣の兄弟と一緒に登下校するだけで、翌日眦を吊り上げた女子たちに取り囲まれるのだ。その度に取っ組み合いの喧嘩に発展し、常に智美が勝利してきた。思い返せば、子供の頃から智美は生傷の絶えない女子だった……。
 ――そ、そうか……智美姉さんが喧嘩上等的な感じなのも、咲耶姉さんが腐女子街道を進み始めたのも……全部、隣のせいなんだな……。
 今更ながらその事実に突き当たり、美人は愕然とした。苦々しい想いが胸に広がる。同時に妙に納得できる答えでもあり、長年の胸に蟠っていた疑問の一つがスッキリ解消されもした。
「それ――褒められてるんですか?」
 美人は敢えて隣家のことには触れずに苦笑を智美へ向けた。
「褒めてもいないわよ。私たちの弟なんだから美しくて当然」
「美少年じゃない弟なんて、私たちの弟じゃないもんね」
 智美が至極真面目な顔で美人の言葉を一蹴し、咲耶が怖いことをサラッと口にしながらニッコリ微笑む。
「……とにかく、課題が終了したならメイク落としてきてもいいですか?」
 姉二人の見解を受け流すことに決め、美人はソファから立ち上がった。
「何言ってるのよ? メイクが終わっただけでボディはこれからよ!」
「え? ボディって――」
 智美の一言に呆気にとられていると、不意にロングヘアのウィッグを装着させられた。
「キャーッ、似合うじゃない、美人!」
 咲耶が慌ただしく姿見を持ち運んでくる。美人に向けられた双眸は興奮の度合いを示すようにキラキラと輝いていた。
 鏡に映った自分を見て――美人は思わずハッと息を呑んでしまった。
 鏡の中から美人を見返しているのは、どう見てもストレートヘアの美少女なのだ。有馬美人という少年の姿は何処にも見当たらない。
 全ては智美のメイクアップ技術の為せる業だ。咲耶の言う通り智美のメイクテクニックはかなりのものであるらしい……。
「やっぱり智ちゃんの美的センスはサイコーね! ――ハイ、美人、次はコレ着てね!」
 咲耶が満面の笑みを浮かべたまま美人の手に衣服の塊を押しつけてくる。
 柔らかい布の塊は女性用のワンピースやカーディガンにしか見えない……。
「……何ですか、コレ?」
「私もうっかり《ファションデザインコース》なんてサブで選択しちゃったのよ。智ちゃんの課題のついでに、コレ着てよ。私がコーディネイトした清楚系小悪魔ワンピ」
「清楚で小悪魔の意味も解りませんし――コレ、完全なミニスカートじゃないですか!?」
 手元のワンピースを広げて、美人は思いきり頬を引きつらせた。
 実の弟に化粧を施す智美も有り得ないが、その弟に女装させようという咲耶の神経も信じられない。
「大丈夫よ。美人、体毛薄いし、足細いし、鎖骨も綺麗だし――」
「いや、そういう問題じゃなくて――」
「折角綺麗にしてあげたんだから、咲耶の服も着てみなさいよ」
「そうそう。絶対、ぜーったい似合うから!」
 智美と咲耶がじっと美人を見据える。
 二人の眼に強固な意志が秘められてるのを感じ取り、美人は微かな恐怖さえ感じた……。姉たちはどうあっても美人の女装を完成させる気構えでいるらしい。
「……解りました」
 溜息と共に返事をする。適度なところで美人の方が折れておかないと、強引に衣服を剥ぎ取られ、恐ろしい手腕で着替えさせられるに決まっているのだ……。
「じゃ、隣で着替えてきなさいよ。あ、中にコレも身に付けてね!」
 智美が何かの袋を美人に手渡す。
 中身の詳細は想像したくもないので問い質さないことに決め、美人は不承不承に隣の部屋へ着替えに向かった。


 十分後、ほんのりセクシー系のワンピースに着替えた美人は、鏡に映る己を認識して、盛大に嘆息した。
 鏡の中の自分は――やはり女性にしか見えない。
 ミニスカートから伸びる足も自分の想像以上に違和感がなかったのだ。
「ああ、素敵!」
「本当に……弟とは思えないほど見事な脚線美だわ」
 美人の嘆きを尻目に、咲耶と智美は感激の声をあげている。
「コレ、潰れますよ、智美姉さん」
 美人は膨らんでいる胸に片手を運び、無造作に指で押した。すると、ぺこんとそこだけが容易に潰れる。智美から手渡された袋の中には、特殊加工されたと思しき女性用下着が入っていたのだ。こんなものを準備しているなんて、姉たちは前々から女装の機会を狙っていたに違いない……。
「止めなさいよ、変なことするの! 見かけだけでいいのよ。どうせ誰にもバレやしないんだから。私的にはもう少しヒップのボリュームがほしいところだけど――仕方ないわね」
 立体ボディを愛する智美が美人の周りを歩きながら、真摯な眼差しを全身に注いでくる。
「後はブーツを履けば完璧ね! ちょっと、その姿で出かけてきてよ、美人」
「――ええっ!? 僕、今夜は気分が優れないんですけど……」
 咲耶の意想外の提案に、美人は目を丸めた。
 こんな女の子仕様の姿で外界に飛び出すなんて狂気の沙汰――辱め以外の何ものでもない……。
 それに、ここ数日体調が思わしくなく、さっきも洗面所で嘔吐していたのだ。自己中な姉二人は、アッサリその事実を念頭から消去してしまったらしい。
「遊びで言ってるんじゃないのよ、美人。――如月の叔父さんの動きが変なの。昨日の夜遅くに、如月家の離れに何かが運び込まれるのを咲耶が目撃したのよ」
 ふと、智美が口調を改め、真顔を向けてくる。
 如月家というのは有馬家にとって親戚に当たる。母・桐子の妹である鞠生が如月家の当主である祐介に嫁いでいるのだ。
「じゃあ、姉さんたちが調べに行けば――――」
「「うら若き乙女を危険な夜の街に放り出す気なの?」」
 やんわりと拒否しようとした瞬間、異口同音に姉たちに非難される。
「えっ、だって今『夜遅くに』って自分で言ったじゃないですか? それ以前に、姉さんたちなら二人揃っていれば無敵だと――」
「「つべこべ言わずに、行ってこい」」
 今度は冷徹な声音で言葉を遮られる。
 美人は唖然と姉たちを見返し、次いでガックリと肩を落とした。
 姉たちには逆らえない。
 幼い頃からの不文律だ。
「……行ってきます」
 美人が小声で頷くと、現金なことに姉たちの顔にパッと笑みが戻る。
「どうもね、運び込まれたのは人間らしいの。美人も気になるでしょ?」
「まあ、確かに……」
 美人は如月祐介の酷薄そうな顔を脳裏に浮かべ、微かに眉をひそめた。
 如月家は、表向きは製薬会社を経営しているが、その実態は神族と魔族には属さない魔魅遣いの一族だ。
 如月が裏ではどんな研究や実験を行っているのか知らないが、本家の葵拉致に手を貸した前歴もあるし、鞠生と婚姻関係にあるとはいえ完全に神族側のものではない。常に何か良からぬことを画策している可能性はあるのだ。用心に越したことはない。
「その姿だと如月家の者も美人だって気づく怖れはないから、安心して偵察に行ってきてね、美人」
 智美が極上スマイルを美人へ向けてくる。
 うまく智美に丸め込まれた気もしないではないが――五分後、ブーツを履いた美人は女装のまま姉たちに見送られることになった。


     *


折角家が隣同士なので、曽父江家のコトを軽く入れてみました←
「鏡月魔境」とか「水幻灯」にヨシヒトの幼なじみが出てます(笑)


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2011.04.17 / Top↑

     *


「行ったわね」
 遠ざかる弟の背を眺めたまま、咲耶は流麗な仕種で眼鏡を外した。
「じゃあ、そろそろ道場に移動しようか、咲耶?」
 眼鏡を外した咲耶を横目で見遣り、智美が口の端に笑みを刻む。
「汗だくになりながら必死の形相で稽古してるところ、美人には見られたくないんでしょ?」
「わおっ! さっすが智ちゃん! 私のことよく解ってるわね」
 外した眼鏡を胸ポケットにしまい、咲耶は双子の姉に微笑みを返した。
「咲耶のことなら大体解るよ。BL妄想以外は――ね」
「アラ、遠慮せずにそこもガンガンリンクしていいのよ、智ちゃん! ――って、流石の私もちょっとだけ妄想は控えるわ。私、しばらく鍛錬サボりまくってたからね。身体が鈍っちゃってると思う。けど、そんなコト言ってる場合じゃない……わよね?」
「多分ね……。魔王様のお目醒めだ」
 智美は挑戦的な眼差しで夜空を見上げ、更に笑みを深めた。
 この数日、M市内には不穏な気配が漂っている。
 その中に強い魔力を感じた。
 神族と敵対する魔族の長が、一時的にでも覚醒したのだろう。
「葵ちゃんや茜ちゃんや夏生――榊の本家を魔王からしっかり護らないとね。せめてもの愉しみに、魔王が超絶美形であることを願うわ!」
「今生では女だったらどうする?」
「えーっ!? そんなの、つまんなーい。女子だったら、サクッとスルーして、そのまま葵ちゃんに任せるわ」
「葵を護るのが有馬の役目じゃなかった? まあ、いいけど……。じゃ、不細工だったら魔王退治は茜に押しつけよう」
「あ、ソレ賛成!」
 至極身勝手な互いの意見に軽口で応じつつ、有馬姉妹は去り行く弟の後ろ姿に柔らかな視線を注いだ。


「あの子――お父さんに似てるわね」
 夜の闇に弟の姿が溶け込んだのを確認し、咲耶はふっと呟いた。
「ああ……神降ろしした後のお父さんが、あんな感じでいつも具合が悪そうだった――」
 智美が視線を咲耶へと戻し、硬い声音で応じる。
 有馬家の正式な当主であり、姉妹の実父でもある美城。
 美人と同じく神降ろしが出来る巫覡であった父は、類い稀な才能があるが故に常に健康を蝕まれていたような気がする。
 十数年前に姿を消したきり杳として行方が掴めない父だが、それでも子供の頃の記憶には優しい父の姿が刻み込まれていた。
「ねえ、智美――お父さん、生きてると思う?」
 咲耶はいつになく真摯な声音で智美に問いかけた。
「……判らない。けれど――生きているとすれば、私たちの敵だとは思う」
「そうよね。失踪するくらいだから有馬の家に――神族であることに何かしらの不満や疑念があったのよね」
「大丈夫。心配しなくていい。もしもお父さんが我らの敵として現れるようだったら、その時は――私が殺る」
「智ちゃん……」
 姉の顔に揺るぎない決意が漲っているのを見て取り、咲耶は胸に鋭利な痛みを覚えた。
 そっと双子の姉の手に指を絡める。
「お母さんにも咲耶にも美人にも手をかけさせない」
「智ちゃん独りだけに押しつけたりは、絶対にしないわ」
「ちょっと、美人はあの通り色恋に疎いし、今時珍しいくらいの晩生だし――咲耶に何かあったら誰が有馬の子孫を産むのよ?」
 智美がクスクス笑いながら咲耶の顔を覗き込んでくる。
「智ちゃんが産めばいいじゃない?」
「――冗談でしょ? 好きな男もいないし……遠慮しておく。とにかく、万が一、お父さんが敵対するなら――私がぶった切る! それが有馬の長子である私の使命だし、そのための《雨竜》だ」
 咲耶の指を強く智美が握り返してくる。
 その手首には金色の龍がしっかりと巻き付いていた。
 同じ神族でも《神氣》の発動方法は、人によってぞれぞれ異なる。大きく分けてタイプは二種――戦闘能力に優れた者と突出した防御力を持つ者だ。
 葵・茜・美人・智美は前者、夏生と咲耶は後者に分類される。
 闘うために生まれてきた智美たちは、己の肉体と精神を削りながらいつ果てるとも解らぬ魔物たちとの争いに進んで身を投じてゆく。
 彼らをサポートするのが防御に長けた守護者の役割だと理解していても、目と鼻の先で大切な人たちが傷ついてゆくのは痛々しく、いつも身を切られるような想いに苛まれる。
 同時に、刀を手に取って共に闘えない自分が、ひどく歯痒くもあった。
「私たちは二人で一つよ。何があっても最期まで一緒に闘うわ、智美」
 咲耶は闘志を秘めた声音で静かに宣言すると、双子の姉との絆を確かめるようにギュッと手を握り締めた――


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2011.04.17 / Top↑


     *


 有馬邸から徒歩二十分程度の距離に如月家は存在している。
 有馬美人は、慣れぬ女装とヒールの高いブーツに悩まされながら如月家を目指して歩いていた。いつもなら苦にならない距離だが、歩きにくさと羞恥心が美人の足を鈍くさせている。いくら夜道だとはいえ、近所には同じ聖華学園に通う生徒がたくさん住んでいる。いつ知人に遭遇してもおかしくない状況なのだ。
 智美の凄腕メイク術で女性らしく変身しているので、顔バレすることはなだろう。だが、自分は相手が誰だか解るし、不本意に女装を強いられているのだ。知り合いに出会した時の緊張と気まずさを思うと、ただでさえ調子の悪い胃がキリキリと痛んだ……。
 街灯に照らされた道を進み続けると、見慣れた塀と屋敷の一部が視界に飛び込んできた。
 如月家だ。
 表の門に廻れば、そこには『如月祐介・鞠生』と記された表札が掲げられているはずだ。
 誰とも遭遇せずに如月家まで辿り着けたことに小さく安堵の息を吐き、美人は一度足を止めた。
 女装に不備がないか念のために点検し直す。
 とりあえず異常はない。智美のメイクと咲耶の選んでくれた服のおかげで、外見だけはちゃんと女性に見えるだろう。
 美人は『離れに人らしきものが運ばれた』という姉たちの言葉を思い返し、裏門へと続く方へ道を折れた。
 正門に面するメインストリートより狭い路地へ足を踏み入れる。
 有馬家ほどではないが、如月家も大きな屋敷を構える資産家だ。裏門は路地を百メートルほど進んだ距離にある。
 街灯に照らされた路地を何気なく進みかけ――
「――――?」
 美人は不意に足を止めた。
 空気に異質なものを感じたのだ。


 夜の匂いに混じって、何者かの気配が漂っている。
 美人は息を詰め、前方を注視した。
 見知らぬ男が、如月家の離れがある辺りの塀を見上げている。
 シャツにジーンズというラフな格好の青年だ。如月家に向けられた横顔にはサングラスがかけられている。その下に端整な顔が隠されているのは、筋の通った鼻梁やシャープな顎のラインが物語っていた。
「――ん?」
 青年の方でも美人の気配を察知したらしく、サングラスをかけた顔がフッとこちらに向けられる。
 視線が合った瞬間、美人は得も知れぬ緊張感に見舞われ、僅かに眉をひそめた。
 ――人間……じゃない。
 これまでの経験と神族の本能が告げる。
 目の前に存在している青年は常人ではない。
 ――でも、魔族にしては邪気がなさ過ぎる感じもするけど……。
 美人は左手を飾る銀細工の指輪を右手で撫でた。ヘマタイトを填め込んだ指輪は常よりも熱を帯びている。
 己の分身である《雷師》が顕著な反応を示している。
 やはり青年は自分たちとは相容れない種族――魔族であるらしい。
「こんな時間に女性の一人歩きは危ないよ」
 美人に警戒心を抱かせまいとする意図なのか、青年がサングラスを外して優雅に微笑んだ。
 こちらを見つめる顔は、美人の予想通りに整っている。
 青年の言葉に改めて女装している現実を思い出し、美人はより一層気を引き締めた。
 相手が魔族なら自分が有馬家の一員であることは伏せておいた方がいいのだろう。無論、美人が気づいたように相手も既にこちらを敵だと認識しているかもしれないが、出来る限り白を切り通すつもりだ。今夜は如月邸の様子を探りにきただけだし、体調も万全とは言い難い。体力的にも無用な争いは避けたかった。
 さり気なくこちらに歩み寄ってくる青年を見返し、美人は反射的に愛想笑いを浮かべていた。
「あの……この家に何か用ですか?」
 いつもより少しだけ高い声音で、やんわりと青年に問いかける。
「ええ、まあ……。如月家の方ですか?」
 青年の切れ長の瞳が素早く美人の全身を眺める。
「――親戚です」
 一瞬の逡巡の後、美人は微笑を湛えたまま簡素に答えた。
 決して嘘ではないが、正確な真実でもない。
 相手は、夜更けに如月邸の周囲をうろついているような怪しげな人物だ。真正直に己の正体を晒す必要は微塵もない。
「へえ、親戚――ね」
 青年は相変わらず探るような眼差しを美人に注いでいる。
 その視線が不愉快で美人は笑顔を微かに引きつらせた。
「失礼ですけれど、どちら様でしょうか?」
 口調だけは丁寧に訊ねると、青年は己の不躾さに今気がついたように目をしばたたかせ、それから取り繕うように微笑んだ。
「ああ……本当に失礼しました。オレはこういう者です」
 青年が慣れた手つきでシャツの胸ポケットからメタルケースを取り出す。そこから一枚の名刺を抜き取ると、彼は美人に向けてそれを差し出した。
 青年の仕種があまりにも自然だったので、美人は無意識に名刺を受け取っていた。
 名刺に視線を落とす――
『久我条物産グループ  久我条 蓮』
 高級和紙を使用した名刺にはシンプルにそう綴られていた。
 肩書きはないが、久我条物産本社の住所と電話番号は明記されている。
 久我条物産グループというば、国内でも有数の複合企業だ。
 美人もその名を熟知している。
『久我条』と名乗るからには、青年はグループを統括する久我条一族の者なのだろう。
 そして、魔族の中でも高位の存在――条家だ。
 久我条家が条家であることは昔から知悉しているが、巨大グループゆえに神族側としても迂闊に手を出せない状態が続いている。敵が榊グループという強固なバックボーンを持つ榊家に中々仕掛けられないのと同じ心理だ。
 ――やっぱり条家なのか。けど、血に飢えている様子も禍々しい魔物のオーラを発しているようにも感じられないな……。
 美人は胸中で密やかに首を捻った。
 久我条蓮は紛れもなく高位の魔族なのだろう。しかし、彼から敵意や殺意は伝わってこないし、にこやかな笑みから察するに吸血衝動に苛まれている様子もない。
 もしかしたら猫を被っているだけかもしれないが、この場で闘いを挑んでくるという事態に発展する可能性は低そうだった。本調子ではない美人にとっては有り難いことだが……。
「君――本当に如月家の親戚? この家に住んでるのかな?」
 美人がじっと名刺を見つめていると、沈黙に耐えかねたのか蓮が質問を繰り出してくる。彼の声には幾ばくかの猜疑が織りまぜられていた。
「……そうですけど? それが何か?」
 美人は顔を上げ、正面から蓮を見返した。
「いや、親戚なんかじゃなくて、てっきり彼にこんな美人の娘がいるのかと思っただけです」
「――彼って?」
「如月祐介氏」
「だっ、誰があんな――――い、いえ、祐介さんは叔父です」 
 蓮の口から如月祐介の名が飛び出したので思わず男の声に戻りかけたが、慌てて語調を改める。
 理不尽で横柄な叔父の姿が脳裏をよぎる。『祐介さん』なんて、口にするだけでも寒気を感じた。
「随分と祐介氏がお嫌いのようですね?」
 迂闊にも表情が強張っていたのかもしれない。美人を見つめる蓮の双眸には好奇心が加わっていた。
「そんなことはありません。そろそろ帰宅しないと叔父が心配するので、失礼させていただきます」
 美人は素っ気なく言い放ち、蓮の脇を擦り抜けようとした。
 相手が条家で、しかも如月に用があるのならば、彼とは関わり合いにならない方がいい。美人の身元についても疑ってるようなので尚更だ。
「ああ、ちょっと待って――」
 突如として腕を引っ張られたので、美人は驚いて蓮を振り返った。
 蓮の片手が美人の手首をしっかり掴んでいる。
「何ですか?」
「あ、いや、滅多にお目にかかれない美形だったから――何となく手が出た」
 蓮の整った顔に苦笑が広がる。
「……はい?」
 美人は蓮の真意が掴めずに眉根を寄せた。険のある眼差しで彼を見上げる。
「さっきも言ったけど――君みたいに綺麗な子が夜の一人歩きをしてると、変な男に捕まるよ」
 美人のムッとした顔を見て、蓮の顔に浮かぶ苦笑が愉しげな笑みに変化する。
 自分の反応を面白がっているのだ――と理解すると、胸の奥に小さな苛立ちと怒りが芽生えた。
「あなたのような人にね」
 美人は冷ややかに言い返し、蓮の腕をピシャリと振り払った。
 今度こそ立ち去ろうと足を踏み出す。
 だが、蓮もただでは引っ込まなかった。こともあろうに美人に足払いをかけてきたのである。
「――わっ!?」
 不意打ちを喰らって、美人は体勢を崩した。グラッと大きく身体が傾く。
「大丈夫ですか?」
 自分から仕掛けたくせに蓮が白々しい台詞を吐き、美人を抱き留める。
 刹那、美人は恟然と目を見開いた。運悪く蓮の腕が胸の辺りを支えたからだ。
 ――ちょっ……胸パットが潰れる……!
 こんな所で男だなんてとバレると始末が悪い。男だと判った途端、魔族である蓮が臨戦モードにスイッチを切り替える怖れもある。
 美人は咄嗟に蓮を力一杯突き放していた。
 ――バレただろうか……?
 不安と警戒心の相俟った眼差しで蓮を見据える。
 蓮は呆気にとられたような表情で、己の掌と美人を交互に見比べていた。
「……おまえ――幾つだ?」
 しばし奇妙な沈黙が流れた後、蓮が至極真摯に訊ねてくる。
 突拍子もない質問をされて、美人は拍子抜けした。いつの間にか呼び方が『君』から『おまえ』に変わっていたが、それは些事として受け流す。
「え? 十七ですけれど――」
 あまりにも予想外のことを訊ねられたので、美人は思わず素直に答えてしまった。
「そうか、十七か……。や、気にすることないよ。どんな美女でも一つくらい欠点はあると思うし――落ち込むなよ」
「はぁ……?」
「胸が小さいことくらい気にするな。高校生ならまだこれから大きくなる可能性はあるかもしれないし――」
 蓮の言葉を聞き、美人は唖然とした。
 久我条連は、未だに自分のことを女性だと信じて疑っていないのだ。
「オレは別に胸くらいなくても構わないし――ってコトで、今夜一緒に過ごしませんか?」
「――――!? なっ……どうして、さっき逢ったばかりなのに、そうなるんですかっ!?」
 誘われているのだと理解した途端、上擦った声が喉の奥から飛び出した。驚愕と恥ずかしさに頬が紅潮する。
「出逢ってからの時間なんて関係ない。君は如月氏のことが嫌いだし、オレは如月氏の情報がほしい。ついでに、どうせならお互い楽しく一夜を過ごせた方がいいだろ? だから、ギブアンドテイクってコトで――」
「僕――いえ、私はどちらも遠慮させていただきます!」
 蓮の言葉を途中で遮り、美人は早口で告げた。
 ――同性に迫られて喜ぶ男が何処にいるんだ!?
 美人は心の裡で憤慨せずにはいられなかった。蓮は自分のことを女性だと思い込んでいるので口説いてきたのだろうが、それでも不愉快だし許せない。
 美人は引きつった顔でソロソロと後退った。
 すかさず蓮が回り込んで美人の退路を断つ。
「退けて下さい」
「いいよ。君がオレから逃れられるのならね」
 蓮が涼やかな笑みを浮かべる。
 あからさまに馬鹿にされて、普段は穏和な美人も流石にカチンと来た。
 体調の悪さも手伝って、胸に燻っていた怒りの炎が一気に倍増する。
 こんな軟派な魔族相手に貴重な時間を割いてはいられない。
 この際、男だとバレても構わない気がしてきた。
「……解りました。それじゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」
 ニッコリと微笑むと、美人は握り締めた拳を蓮の腹部に叩き込んだ。もちろん手加減は一切していない。
「――ぐっ……!?」
 美人から攻撃されるとは思ってもいなかったのだろう。蓮は苦痛に顔を歪めと、ガックリとその場に膝を着いた。
「……なっ……なんて女だっ……!」
 蓮が苦悶の表情で美人を見上げ、恨めしげな眼差しを注いでくる。
 こんな時でさえも蓮は美人のことを女性だと信じ切っているらしい……。
 ――おめでたい人だな。
 美人はもう一度極上の笑みを蓮に向けると身を翻した。
 往路よりもかなり颯爽とした足取りで、進んできた道を引き返す。
 早く家に帰って、この出で立ちをどうにかしたかった。
 智美と咲耶の妙な趣味のせいで、自分は遭わなくてもいいアクシデントに見舞われたのだ。
 大切な姉二人が蓮に執拗に迫られるよりは、自分がそうされた方が遙かにマシだ。
 だが、金輪際、どんなに頼み込まれても女装は絶対にしない――そう堅く心に誓った。
 美人は不可解な魔族との鉢合わせに苛立ちを覚えたまま家路を急いだ。我知らず歩調が荒くなる。
 そして、有馬家が視界に入ってきた頃、美人は唐突に思い出したのだ。偵察のために如月家に出向いたはずたったことを。
 結局、久我条蓮の出現により、美人は何の収穫もないまま自宅へと帰ってきてしまったのである……。


     *


巻ノ参は有馬と一条の章――です。多分← 榊三兄妹が全然出て来ないっていう……(((゜д゜;)))

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2011.04.24 / Top↑
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