ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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八.流転



 どのくらい泣いたのか解らない。
 龍一を離したくなくて、ただひたすらに冷たくなった身体を抱き続けていた。
 そうしているうちに、フッと空気が研ぎ澄まされ、金色の光が生まれた。
 光の中から能面のように白い顔をした美麗な青年が現れる。龍一と同じく眩い黄金色の髪をしていた。
「大丈夫ですか、風巳?」
 サファイアのような蒼い双眸が痛ましげに風巳と龍一を見つめる。
「遙様――」
 風巳は緩慢な動作で魔王の第一側近を見上げた。
 一条遙――龍一の実兄であり、一条家の現当主だ。
「目醒めるのは、苦しかったでしょう。可哀想に……こんなに泣いて――」
 遙が身を屈め、子供をあやすように風巳の髪を撫で、涙を拭う。
「弟を返してくれますね?」
 風巳が茫然と頷くと、遙は華奢な指を息絶えた龍一へと伸ばした。
 その指先が触れた瞬間、龍一の姿は忽然と消失した。
 龍一が自分の手から離れたことに不安を覚えた風巳だが、肉親である遙が龍一を求めているのだから拒絶するわけにはいかない……。
「おいで、風巳。あなたには少し休養が必要です」
 遙の手が風巳にも差し出される。
 誘われるように風巳はその手に自分の手を重ねた。
「これから……何処へ……?」
「久我条へ――」
 遙が端的に応え、風巳の身体を両腕に抱き上げる。長い金の髪がサラリと頬を撫でる。それが龍一を彷彿とさせ、風巳はまたしもて泣きたい衝動に駆られた。
「遙様、俺――」
「いい子だから、お休み」
 遙の静穏な眼差しが風巳を見つめ、柔らかな声が耳に浸透する。
 風巳はゆっくりと瞼を閉ざし、遙に身を預けた。
 遙は龍一と同じ匂いがする。
 こうして傍にいると、龍一がまだ生きているような錯覚に囚われてしまいそうだった。
 風巳は遙の服を片手で掴むと、縋るようにきつく握り締めた。誰かに寄りかからなければ、今は身も心もズタズタに切り刻まれてしまいそうだ。
 ――これから、どうしよう?
 薄れゆく意識の中で、風巳はぼんやりと考えた。
 今後の身の振り方を考えておかねばならない。
 実家には戻りたくない。だが、自分を庇護してくれる龍一を喪ってしまった……。
 この先の未来はきっと苦しく切ない日々になる。

 龍一のいない新しい生活が始まる――


     *


 弟の様子がおかしい。

 携帯電話に母からそんな連絡が入った直後、氷上綾は仕事を切り上げて家路を急いだ。
 自宅に足を踏み入れるなり、母親が青ざめた顔で天井を見上げる。
 二階からは何かを叩きつけるような激しい物音と獣の呻きのようなものが聞こえていた。
 綾は軽く舌打ちを鳴らすと、鞄を放り出し、狼狽える母の首筋に手を触れた。
 転瞬、母が急激に意識を失い、崩れ落ちる。
 綾は素早く母の身体を抱き留めるとリビングのソファへ彼女を横たえ、俊敏な身のこなしで階段を駆け上がった。
 二階の奥――弟の部屋からは絶え間なく、苦痛に耐えるような絶叫が迸っている。
 その激しい痛みを打ち消すかのように、物を破壊する派手な音が連続した。
 だが、綾がドアノブに手をかけたところで――フッと悲鳴のような叫びも物音も途絶えた。

 奇妙な沈黙。

「遼――?」
 綾は静寂を打破するように弟の名を呼び、思い切ってドアを引き開けた。
 刹那、物凄い速度で鈍色に輝く小刀が幾つも飛来してくる。
「――っつ……!」
 綾はハッと目を瞠り、咄嗟に片手を翻していた。
 手の中に檜扇が出現する。
 綾は目にも止まらぬ速さで扇を操ると、飛んできた刀を悉く払い落とした。
「流石……姉さん――」
 室内から聴き慣れた遼の声が流れてくる。
 綾は檜扇を片手に入室し、声の発生源を見下ろしてた。
 破壊された物が散乱する中に――弟は座り込み、荒々しく肩で息をしていた。
 腰まで長く伸びた髪が、遼の表情を隠している。
 だが、確認するまでもなく、ソレが《氷上遼》という弟ではないことは判然としていた。
「フンッ。ようやくお目醒めか、魔王」
 パチンと扇を打ち鳴らし、綾は忌々しげに遼を睥睨した。
「久々の再会なのに、相も変わらず冷たいな……。奇しくも今生でも姉弟だというのに、弟の真名も呼んでは下さらぬとは――」
 闇のような髪の隙間から綾を見上げ、遼の形をしたソレが口の端をつり上げて笑う。
 綾に向けられた双眸もやはり漆黒で、冷ややかな光を宿していた。
「貴様の穢れた名など、疾うの昔に忘れたわ。妾に弟はおらぬ」
「これは……手厳しい。まあ、よい。一条の――遙は何処です、姉上?」
「知らぬな。知ってどうする? アレは直に死ぬ」
 綾は胸の奥で芽生えた痛みに気づかないフリをし、冷徹に言葉を紡いだ。
「遙が――死ぬ?」
「アレは死ぬ。貴様は今生でアレに廻り逢うことなく、眠り続けるがよい」
「馬鹿な……」
「全ては愚かな貴様が招いたことよ。アレを想うなら転生させるな。死なせてやれ――」
 綾は冷厳に告げると、驚愕に捕らわれている弟の額に躊躇うことなく檜扇を打ち込んだ。
 ガクンッ、と遼の頭が垂れ、四肢が仰向けに倒れ込む。
「今しばらく遼の裡で眠っておれ」
 綾は扇を引き抜くと、弟の髪は瞬く間に従来の長さに戻り、その表情が和らいだ。
 綾は溜息を一つ落とすと、再び檜扇を舞わせた。
 破損していた物品が綺麗に復元され、元々あった場所に独りでに移動する。
 散らかっていた床も、割れた窓ガラスも全て元通りになったのを確認すると、綾は長い髪を翻して部屋を後にしよとした。
 しかし――
「アレ、姉さん? ――どうしたの?」
 背後から飛んできた弟の声が綾の足を止めた。
 今度は紛れもなく氷上綾の弟である遼の声音だ。
 綾は遼に気づかれぬように檜扇を消すと、柔和な笑みを湛えて弟を振り返った。
「今、凄い物音がしたから慌てて様子を見に来たのよ。寝惚けてベッドから落ちたんじゃないの、遼?」
「――わっ、ホントだ! 俺、ベッドでウトウトしてたはずなのに、いつの間にか床に転がってるし……!?」
 遼が慌てた様子で身を起こす。
 先刻までの出来事は全く記憶にない素振りだ。
「母さんが心配してたわよ」
「アハハ……。何か懐かしい夢を見ていた気がするんだけど――よく……思い出せないな。ああ、そうだ! 今日、大学で姉さんの知り合いの一条遙さんに逢ったよ」
「そう。彼――元気そうだった?」
 綾は笑顔を繕ったまま適当に言葉を返した。
 なるほど。一条遙に直に触れたことで、遼の裡に眠る魔王が急速に覚醒したらしい。
「うん、まあ……ちょっと顔色が悪くて、『りゅういち』とか何か変なこと呟いてたけど……。あっ、姉さんの弟だって自己紹介するの忘れたな――」
 遼は遙と逢った時のことを思い出しているのか、上の空で応える。
 綾は無言の笑みを弟へ向けると、今度こそ部屋を後にした。
 気絶させた母親の記憶を操作し、穏便に事を済ませるために階下へと向かう。
「……りゅういち――遙の弟のことか? あの馬鹿男、現世でも条家にちょっかいを出したのか? 余計なことを……!」
 綾は柳眉をひそめた。
 瞼を閉じると、銀縁の眼鏡をかけた男の姿が脳裏をよぎる。
「だが、これで一冊《妖鬼伝》の在処が判明したな。貴様が妾から盗んだのは《条家妖鬼伝》か? そろそろ返してもらうぞ。のう、如月の――」
 綾は瞼を押し上げると、唇に冷笑を刻ませた。
 超然と前を見据える双眸は金色の輝きを放ち、妖しく濡れていた。



           《了》

                 To be continued…?


ご来訪&最後までお読み下さり、ありがとうございます♪
巻ノ弐はここで終了となります。
巻ノ参開始まではしばらく時間がかかるかもしれませんが(汗)、またフラリとお立ち寄り下されば幸いです。

 
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2010.02.13 / Top↑

 音の無い残酷な映像が完全で繰り広げられている。
 三条風巳は恟然と目を瞠った。
 その光景が示す意味が全く解せない。
 こんなこと――あるはずがない。
 龍一の身体を魔魅の鋭い触手が貫くはずがない。
 目の前の現実を風巳は即座に否定した――いや、否定したかった。
 ――おまえが早く目醒めないから、また死んじゃったじゃないか。
 心の奥底でもう一人の己が嘲笑う。
 龍一の髪が風巳の身体をゆっくりと地上へ降ろす。それすらも風巳は気づかなかった。
 脳裏には、龍一と同じ金の髪の――艶やかな姫の姿が克明に浮かび上がっている。

『あなた様より少しだけ早く――次の世でお待ちしております』

 そう云って幸せそうに笑った女の顔が龍一に重なる。
 だが、現実世界の龍一は、自分の眼前で胸を串刺しにされていた。
 不意に、魔魅が突き刺した時と同じ勢いで触手を引き戻す。
 龍一の身体が仰け反り、胸の傷口から真紅の血液が噴き出す。
 風巳は弱々しくかぶりを振った。込み上げてくる激しい嘔吐感を必死に堪える。
 ――ホラ、結局また見殺しにするんだよ、俺は。
 過去世の自分が己の失態をまた揶揄する。
「――る……さいっ……! 起きればいいんだろ? 目醒めればいいんだろっ!」
 風巳は闇雲に喚いた。
 力の覚醒――過去世に己の身に起こった全てを受け容れ、本来の自分を取り戻す。
 ただ、それだけのことだ。
 目の前で龍一を奪われることに比べれば他愛もない。
「触る……なよ……」
 風巳は両の拳をきつく握り締めた。
「龍一に……触るなぁぁぁっっっっ!!」
 魔魅の触手が無抵抗な龍一に再度向けられるのを目撃した瞬間、風巳は腹の底からの咆哮をあげていた。
 身体が熱い。
 何か、別の意識に融かされていくようだ。
 瞳が血の色に染まり、全身が炎に包まれた。
 繭羅が形成した鈍色の世界が大きく振動し、地面から紅蓮の炎が舞い上がる。
 太い火柱が魔魅を直撃した。
 魔魅は瞬時に真緑色のゼリーのような物体に変化し――蒸発した。
 鉛色の昏い世界を打ち壊すかの如く、真紅の炎が縦横無尽に駆け回る。
 その度に如月の放った魔魅たちは抹殺され、繭羅の創りし世界が崩れてゆく。
 風巳の全身を螺旋を描いて取り巻いていた炎が、天を目指して勢いよく上昇すると――急激に澱んだ世界が決壊した。

 空気の流れが生じる。
 夜の帳に包まれた如月邸――その広大な庭の一角に風巳たちは移動していた。
 繭羅の結界が崩壊したことで、現実世界に引き戻されたのだ。
「……龍一」
 風巳が魔力の放出を止めると、暴れ回っていた炎の群れは跡形もなくスーッと消失した。
 静かな庭には魔魅の姿も如月の姿もなかった。
 整えられた芝の上に金色の髪が散っている。
 月明かりに照らされて煌めくその華麗な髪が、妙に虚しく目に映った……。
「龍一?」
 風巳は恐る恐る地に横たわる龍一の傍へと寄った。
 微塵も動かない身体を両手に掬う。
 月光を受けるその顔は血の気を全く感じさせないほど白く、閉ざされた瞼はピクリとも震えなかった。
「龍一、起きろよ? 家に帰るぞ。俺が覚醒したのに、おまえが眠るなんて――おかしいだろ?」
 風巳は何かを拒絶するように茫然と言葉を口にした。頭蓋に響く自分の声が異様なほどに嗄れていて耳障りだった。
 風巳は震える指先を龍一の唇へと伸ばし、壊れ物を扱うようにそっと触れてみた。
 唇は温かいのに、吐息は全く感じられない。
「……心臓を直撃している。刹那の出来事だったら――苦しまなかったと思うよ」
 ふと、傍で榊葵の躊躇いがちな声が聞こえる。
 顔を上げると、榊家の双子が沈痛な面持ちで風巳と龍一を見下ろしていた。風巳と目が合うと茜は口惜しげに唇を噛み、フイッと顔を逸らす。葵の方は、真摯な眼差しでじっと風巳を見つめていた。
「嘘だ……龍一が死ぬはずなんてない!」
 風巳は荒々しく否定の言葉を吐いた。
「やっと……見つけたのに――」
「彼が転生者なら、また生まれ変われる」
「その間、何百年も待ってろって云うのかっ!?」
 風巳は苛烈な眼差しで葵を睨めつけた。
 葵に八つ当たりしても龍一が還ってくるわけではない。だが、やり場のない憤りを何かにぶつけなけずにはいられなかった。
 心が悲鳴をあげ、今にも張り裂けてしまいそうだ。


 昔、誰かに恋をした。
 そう、転生する度にいつも必ず惚れた相手がいた。
 その時々で自分の性別も相手の性別も変わっている。
 最も鮮烈な記憶として刻み込まれているのは戦国時代。
 一条家に大層美しい姫がいると聞いた。
 魔族の中でも一条家は特異な一族――魔性の身でありながら黄金色の髪を持って生まれてくるのだ。神々しささえ感じさせる麗容は他の条家にとっては鼻につくものであり、同時に心惹かれる美しさであることも間違いなかった。
 一目見た瞬間、自分は一条の姫に心を奪われた。それは姫も同様だったと確信している。
 穏やかな微笑み――自分を見つめる金色の双眸には常に深い慈しみが宿っていた。
 あの時代、度重なる神族との闘いは、魔族が圧倒的優位に立っていた。
 勝利した暁には、一条の姫との婚儀が許されるはずだった。
 契りを交わすはずだった。
 自分の妻となる美しい姫だった。
 なのに、魔魅遣いたちの思いも寄らぬ叛乱のせいで――条家は壊滅状態に陥り、一条の姫も自分も奴らに生命を強奪されたのだ。
 男よりも女の方が酷い死に方をした。魔魅遣いたちの種を植えつけるためだけに陵辱され、腹の子だけ抜かれた挙げ句に魔魅の餌にされた者が大半だったと聞く……。
 結局、結ばれることは叶わず――引き裂かれた。
 以来、自分は転生する度に《彼女》もしくは《彼》を捜し求めてきたのだ。
 現世における《姫》は龍一だったのだ……。


「龍一……ようやく廻り逢えたのに――」
 風巳は喉の奥から声を絞り出した。
 心臓が捩り切られるような苦痛が身を苛む。
 目頭が熱くなり、視界が歪んだ。
 熱い液体が頬を伝う。
 自分が覚醒を拒み続けたばかりに、龍一が誰であるかも知らずに傲慢な振る舞いをし、平気で彼を傷つけてもきた。
 龍一はきっと疾うの昔に前世の記憶を取り戻していたのだろう。だから、彼は三条家に捨てられた自分を拾い、甲斐甲斐しく世話し、育て、情を注ぎ――護ってくれたのだ……。
「風巳――」
 涙を流している風巳に驚いたのか、葵がそっと肩に手を伸ばしてくる。
「――消えろよ」
 その手を風巳は邪険に払い除けた。
「自分に腹が立ちすぎて……誰構わず喰い散らかしそうだ。だから、さっさと消えてくれ」
 押し殺した声音で風巳は葵に宣告した。
 沸々と怒りが胸の奥底から込み上げてくる。
 龍一を護れなかった自分を風巳は到底赦せそうにはなかった。
 風巳の心情を察したのか、葵が茜を促して背を返す。だが、数歩進んだところで唐突に茜が風巳を振り返った。
「あの男は――龍一を殺したのは、如月祐介。如月製薬の会長だ」
 淡々とした声で茜が告げる。それだけ言い残すと、彼は双子の兄の後を追いかけていった。
 龍一への餞なのか風巳に対する憐憫なのかは知らないが、あの銀縁眼鏡男の正体が判明したのは有り難かった。
「……殺してやる」
 風巳は最大限の呪詛を込めて呟いた。
 如月――かつて叛乱を起こした魔魅遣いの一族。混沌の一族の頭目だ。
 一体、何度奴らに姫を奪われればいいのだろうか。
「如月祐介――必ずこの手で滅茶苦茶に引き裂いて、殺してやる……!」
 風巳は龍一の長い金髪に顔を埋めて嗚咽した。



     「八.流転」へ続く



 
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2010.02.10 / Top↑

 風もないのに純白のスカートがはためく。
 繭羅の全身から立ち上る魔力のせいだ。
「一条家の者が神族と一緒にいるなんて前代未聞だわね、龍一さん」
 繭羅の冷ややかな視線が龍一に向けられる。
「まあ、いいわ。どうせ風巳を取り戻すための――急場凌ぎの協力関係なんでしょうし」
「解っているのなら話は早い。風巳様は返してもらいます」
 龍一は繭羅の視線を真っ向から受け止め、毅然と言葉を紡いだ。
 繭羅が紅い唇をつり上げて笑う。
「いいわよ。大人しく、その双子を引き渡してくれれば、風巳も龍一さんも無傷で帰してあげるわ」
 繭羅の視線がチラと榊の双子へと流される。
 だが、やはり先刻葵が述べた通り、彼女の眼差しには双子に対する特別な熱意も執拗さも全く感じられない。だとすれば、榊の双子を欲しているのは繭羅ではなく彼女と手を組んでいる如月祐介の方なのだろう。
 繭羅は風巳を我が物にし、如月は榊の双子に手に入れる――そのために手を結ばないか、と如月に唆されたに違いない。
 遙か昔に如月を筆頭とする混沌の一族に身を引き裂かれていながら、今生でその手を借りるとは、懲りないというか――愚かな選択だ。
「さあ、どうするの、龍一さん?」
 繭羅の視線が返答を急かすように龍一へと戻される。
 正直、龍一は戸惑っていた。
 風巳を無傷で返してくれるのは嬉しい。それが何よりも最優先事項だ。
 しかし、それと引き替えに葵と茜を繭羅に差し出さなければならない。
 風巳は――それを望むだろうか? 良しとするだろうか?
 風巳には次期魔王になる、という目論見と志がある。榊の双子を繭羅を通じて如月に渡してしまうということは、目的から遠ざかることを意味している。如月に双子を殺されてしまえば、今生で風巳が魔王の座に就くことはない。
 それに龍一は、不思議と茜のことを気に入っていた。短い時間だが行動も共にしたことが一因している。そして、彼が自分には無いものを得ているからだろう……。強い絆で結ばれた葵という存在が茜の傍にはいる。互いに惹かれ合い、信じ合える――同じ魂を分かつ者が。それがひどく羨ましくもあり、無碍に壊したくもなかった。
「龍一さん、迷うことなんてないじゃない。その双子は――敵なのよ」
「…………」
 龍一は、強気な視線を送ってくる繭羅を無言で見返した。
 自分に選択する権利はない。自分はただ風巳の考えのままに動くだけだ。風巳が『繭羅の指示に従え』というのなら、自分は躊躇いを捨ててそうするだろう。だが、龍一の行動を決める風巳は、今ここにはいないのだ。
 ――風巳様……。
 龍一は胸中で大事な主の名を紡いだ。
 それに呼応するように、心臓がビクリと跳ね上がり――突如として強大な魔力の存在を感知した。
 
「――何か来る」
 榊葵がハッと目を見開く。
「あっ……風巳が……風巳が目醒め始めているわ! 何なの、この物凄い力――わたしの世界が溶けて行くわっ!!」
 繭羅の口からは悲鳴のような叫びが迸った。逼迫した眼差しが忙しなく周囲を巡る。
 屋敷の内部が水飴のようにグニャリと歪んだのだ。そのまま繭羅の魔力で構築された屋敷はドロドロと溶解し、鈍色の空が剥き出しになる。
 繭羅の魔力が喰われているのだ。
 己に有利なように創り出したはずの世界が容易く崩壊してゆく――その様は、この世界の主である繭羅にとっては驚愕と恐怖以外の何ものでもないだろう。
「いやっ……こんなのっ……わたしが風巳に負けるなんてっ……!」
 焦燥に満ちた繭羅の声。彼女の双眸が黒から紫へ――そして、更に紅へと変じてゆく。
 繭羅の全身から幽玄的な紫色の蝶が放出される。
 主の混乱を表現するように蝶たちが鉛色の世界を乱舞する。
「姫! 落ち着け、二条の姫――」
 唐突に、無数の蝶の群れを掻き分けるようにして虚空から如月祐介が姿を現した。

「如月の叔父上――何故、ここに?」
 意外な人物の出現に葵が当惑した声を洩らす。
 龍一や茜は既に知っているが、葵は如月の関与を今初めて認識するのだ。彼が訝しむのも当然だ。
「保の死から二年――未だにおまえが私を後見人として認めないから、少々荒っぽい手段を講じたまでだよ、葵」
 銀縁の眼鏡の奥で如月の双眸が鋭利な輝きを灯す。
 葵は無言で如月を見上げた後、その秀麗な顔をフッと真横へと向けた。
 龍一と茜も彼に倣い、そちらへ顔を向ける。
 その辺りだけ空間の歪みが凄まじかった。
 繭羅の言葉が正しいのならば、直にそこから三条風巳が出現するはずだ。確かに、膨大なエネルギー体を感じる。そこを中心として強い魔力がこちらにも少しずつ流れ込んでいた。
「――風巳様」
 龍一は無意識にそちらへ向かって足を踏み出していた。
 その手を不意に葵が掴む。龍一は急に引き止められて、驚きと共に彼を振り返った。
「離してくれないかな?」
「どうしたんだよ、葵?」
 茜も怪訝そうに双子の兄を眺めている。
「もう――以前の彼じゃありませんよ」
 葵の真摯な瞳が龍一を見上げる。
「知ってるよ」
 龍一は葵に苦笑を返すと、手首を掴んでいる彼の手を掴んだ。
「風巳は覚醒した自分の力を制御しきれていません。二条繭羅の結界の中で、風巳の力が暴発すれば魔力同士が反発し合って、空間に大きなひずみが出来ます。そうなれば、あなたとて無傷では――」
「それも知ってるよ。風巳様の力を制御するために――私がいる。だから、君たちは気にせずに自分の身を護るといい」
 龍一はもう一度葵に笑みを向けると、そっと彼の手を引き剥がした。
 こんな切迫した場面で敵である魔族の心配をするとは、当代天主はかなりのお人好しであるらしい……。
「……そうさせてもらいます。僕たち神族にとっては魔力は毒ですから。――天晶」
 葵が静かに言葉を紡ぐ。
 葵の裡から飛び出した黄金の神鳥が、双子の頭上を一度旋回してから主人の肩へと身を落ち着けた。《天晶》から発せられた黄金色の光が葵と茜の身をしっかりと覆っている。
 双子が神力で防護壁を造ったことを確認すると、龍一は再び背を返した。
「龍一、ココを出たら――もう一回くらい《鏡月魔境》の中で遊んでやるよ」
 背に茜の強気な声がかけられる。
「それは嬉しいね」
 龍一は再び双子を顧みた。
「まあ、どうせまた私の圧勝だと思うけれど――そんなに君が私に血を吸われたがってるなんて知らなかったよ。光栄だね」
 口の端に微笑を刻んで茜に応じる。

「風巳が来たわっ!」
 繭羅が甲高い声をあげる。
 見ると、繭羅も如月も歪曲した空間に視線を据えていた。
 五対の目が注目する中、ドロリと鈍色の空間が水銀のようにうねり、その中心から三条風巳が覚束ない足取りで出て来る。
「風巳様!」
 龍一が名を呼ぶと、半ば意識を失っているような虚ろな眼差しがこちらに向けられた。
 体力の消耗が激しいのか、風巳の肌は血の気を失い蒼白だった。呼吸も乱れ、胸が不規則に上下している。加えて、双眸が常よりも禍々しい血の色に染められていた。
「――風巳様っ!」
 龍一は風巳に駆け寄ると、弱々しい主人の身体を抱き留めた。
「……りゅう……いち……?」
 風巳の唇が掠れた囁きを発する。龍一の姿を確認して安堵したのか、風巳の全身から一気に力が抜け落ちた。
 倒れ込んできた風巳の身体を丁寧に地に降ろす。
「龍一、身体が変なんだ……。身体の奥が熱くて――溶けるような気がする……」
「あなたの本来の力が解き放たれようとしているだけです」
 龍一は風巳の背に片手を差し込むと、主の上体を優しく抱き起こした。
「けど……中に違う自分がいるみたいで……気持ち……悪い――」
「大丈夫です、風巳様。私が傍にいます。――今、血を差し上げます」
「いい……そんなことをしたら……おまえが繭羅の結界から出られなくなる」
 龍一の言葉に対して、風巳が緩慢に首を横に振る。
「私のことなどお気にせずに……」
 風巳の意向を無視して、龍一は己の手首を噛み切った。血の滴る腕を風巳の口元へと運ぶ。
 最初は顔を背けて拒んだ風巳だが、龍一が彼の頭を片手で固定して手首を唇に押し当てると、やがてそこから溢れ出す血液を素直に嚥下し始めた。
 龍一の血が風巳の魔力を補い、彼の肉体と精神の渇きを癒し回復させるだろう。
 血を啜るほどに血色が良くなってゆく風巳の顔色を確認して、龍一はホッと胸を撫で下ろした。

「フンッ。次期魔王候補など目障りなだけだ。覚醒する前に始末してやる。――行け、私の魔魅たちよ!」
 突如として、侮蔑混じりの如月の声が響く。
 龍一はハッと我に返り、上空を振り仰いだ。
 鈍色の世界に浮かぶ如月が憎悪の眼差しで風巳を睥睨していた。唇には残忍な笑みが具現されている。
「何をするの、如月っ!? 彼らには手を出さない約束でしょう!」
 繭羅がカッと目を見開き、怒気を孕ませた叫びを発する。
「ククッ、約束――だと? 私がいつまでも貴様のような小娘の言いなりになると思っていたのか?」
 如月の嘲笑が繭羅に浴びせられる。
「まあ、実際おまえはよく働いてくれたよ、世間知らずのお姫様。こんなにたくさん、邪魔な神族と忌々しい魔族を集めてくれたんだからね。ご期待に応えて――皆殺しにしてあげよう。貴様らが蔑み踏みにじってきた我が一族の恨み、思い知るがいい!」
 如月が高らかに哄笑する。
 彼の狂気を孕んだ声と共に、地鳴りのような轟音が響き、巨大魔魅たちが四方八方から姿を現した。
 中でも一際巨大な魔魅が、龍一と風巳に向けて突進していた。ドリルのように先端の尖った触手と五つの目を持つ、カマキリに似た不気味な魔物だ。
「このっ……馬鹿者が!」
 繭羅が怒気とともに片手を一振りする。彼女の身の回りを舞っていた紫の蝶たちが、一斉にカマキリ似の魔魅へと向かった羽ばたく。
「おやおや、そんな余力はないだろうに、繭羅姫。この結界の維持だけでも相当な精神力を要しているのに――意外と仲間想いだな。胸糞が悪くて、反吐が出る」
 如月がせせら笑う。
 同時に蛙と蛸が融合されたような魔魅の群れが、大口を開けて繭羅の蝶に襲いかかり、その一部を呑み込んだ。
「私は外で高見の見物をさせてもらうよ。クククッ」
 如月が嫌な笑い声を残して、スッと姿を消す。
「如月っ! この、わたしを愚弄するなんて――引っ捕らえて、心臓を抉り出してやるわ!」
 繭羅が血気盛んに叫び、如月の後を追おうと蝶と共に宙を駆ける。だが、彼女ははたと動きを止めて、龍一の方を振り返った。
「行きなさい。アレは仕留めなければ、いつまでも我らに逆恨みを抱き――禍いをもたらす」
「龍一さん、わたし――」
 繭羅が泣き出しそうな顔を龍一に向ける。己の失策に彼女の胸は後悔と自責の念でいっぱいなのだろう。
「解ってます。君は風巳様を目醒めさせたかっただけで――それには私も異論はない」
「……あいつの首を獲って、遙様を呼んだら――すぐに戻るわ」
「ああ、兄上によろしく――」
 泣き笑いの顔でそれでも気丈に宣言した繭羅を笑顔で送り出す。
 繭羅が蠱惑的な蝶を引き連れて姿を消すと――魔魅で埋め尽くされた鈍色の世界は、一気に華と色を失った。

 少し離れた場所で榊の双子が魔魅を相手に刀を振るっている。
 それ以外は、醜悪な魔魅たちの埋め尽くされ――全てが澱んでいた。
 カマキリに似た如月の繰魔が、五つの目をギョロリと動かして龍一と風巳に視点を定める。
 風巳に多量の血液を与えたばかりなので、龍一の裡には殆ど血も魔力も蓄えられていない。それでも不思議と畏れはなかった。
 龍一は腕の中の風巳を見つめた。
 ――この人だけは護らなければならない。
 強い想いを胸に秘め、間近に迫った魔魅を見上げる。
 魔魅がさわさわと触手を蠢かす。鋭い牙を生やした口からは異様な臭気を放つ唾液が垂れ流されていた。魔魅の凶悪さと激しい食欲を表すかのように――
 龍一は体内にある魔力の残滓を素早く掻き集めた。
 意識を研ぎ澄ませ、魔力を高める。
 おそらく、これが最後の変貌だ。
 重々承知している。
 だが、風巳の生命には代えられない――
「――龍一?」
「あなたと心中なんて御免です」
 龍一は限りなく穏やかで優しい笑みを風巳へ贈った。
 魔魅が鋭利な触手を突きつけるより僅かに速く、本来の姿に戻った龍一は黄金色の長い髪で風巳を持ち上げる。
 一瞬後、烈しい衝撃が龍一を襲った。



ご来訪ありがとうございます♪
もうすぐ巻ノ弐――というか、龍一の章も終わりです。

 
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2010.02.08 / Top↑

 頽れる茜の身体を葵は無意識に両手で抱き寄せていた。
 双子の弟の顔は血の気を失い、蒼白だ。
 扉越しでも茜が強引に《朔》を喚び起こし、惜しみなく神力を放出しているが手に取るように解った。
 風巳に血を吸われた痛手から快復していないのに、茜は無茶をしたのだ。
 全ては、自分を助けるためだ。
 茜が救出に来てくれたことは頗る嬉しいが、無理をさせてしまったことに対しては罪悪感と自己嫌悪が込み上げてきた。茜を危険に晒したのは、迂闊にも二条繭羅に捕縛された自分に他ならない……。
「茜……! 大丈夫か?」
 葵は、荒い呼吸を繰り返している茜の背を労るようにそっと撫でた。
「俺は……平気だ。それより――酷いことされたんじゃないのか、葵?」
 葵の首に回された茜の手が、彼の不安を表すように強く葵を引き寄せる。
「何もされてないよ」
「――本当に?」
「それが……奇妙なことにこの屋敷に閉じ込められていただけなんだ。だから、何も心配しなくていいよ。二条繭羅は実のところ――僕にはさして興味はないんだと思う」
 葵は茜の頬に走る傷を見て柳眉をひそめながら客観的な見解を述べた。
 二条繭羅は、三条風巳の心を揺さぶりたいだけだ。
 何とかして風巳の興味を惹きたいだけなのだろう。
 だから、折角捕らえた葵を嬲りもせずに放置しているのだ。
「そうか……とにかく葵が無事でよかった」
「来てくれて――ありがとう、茜。無理をさせてしまったね……。今、僕の神氣を移すから――」
 葵は両手を茜の頬に添えると、ゆっくりと彼の額に自分の額を押し当てた。
 自分の裡に蓄えてある神氣を触れた肌を通じて弟の体内へと送り込む。茜が失ったエネルギーを少しでも充填してあげたかった。
 一分も経たないうちに茜の呼吸は正常に戻り、頬の傷も完治した。
「ああ……生き返った気がする。サンキュー、葵」
 額をくっつけたまま茜が微笑する。
 直後、すぐ傍で軽い咳払いが起こった。
「あの、感動の再会中、非常に申し訳ありませんけど――」
 葵と茜が同時に声のした方へ顔を向けると、一条龍一が居心地が悪そうに苦笑いを浮かべていた。
「風巳様は一緒じゃないのですか?」
 龍一の真摯な眼差しが葵を射る。
「風巳とはさっき離れ離れにされました。ですが、部屋は解ります」
「じゃあ、そこへ案内してくれないかな?」
 龍一に請われ、葵は咄嗟に茜に視線を流していた。すかさず茜が首肯する。
 おそらく茜は葵を救出するために一時的に龍一と手を組んだのだろう。そして、彼との間で交わされた口約束の中には『風巳の奪取』も織り込まれているに違いない。
「解りました。こっちです」
 素早く状況を呑み込むと、葵は立ち上がり、茜と龍一についてくるように促した。


 葵を先頭に三人は複雑に折れ曲がった廊下を黙々と進んだ。
 不思議なことに下級魔人や魔魅の類は一体も襲ってこない。
 奇妙な静けさが二条邸を包み込んでいた。
 ――おかしい。
 葵が閉じ込められていた牢の前には夥しい数の魔魅や魔人が配置されていたのに、風巳の方には何の策も張り巡らさないなんて、どう考えても有り得なかった。
 これでは、まるで風巳を餌に誘い込まれているみたいだ。
 静寂に故意と悪意を感じた。
「――駄目だ。止めよう」
 しばらく廊下を歩いた末に、葵はゆっくりと脚を止めた。
「これは……進むだけ体力の無駄だよ。さっきから同じ所ばかり通っている。どうやら僕たちは二条繭羅の術中にはまっているらしい」
 葵は軽く唇を噛んだ。
 茜が苛立たしげに舌打ちを鳴らし、龍一は『またか……』というように溜息を落とした。
 そもそも、この屋敷のある空間自体が繭羅の箱庭なのだ。繭羅は自分が思う存分に能力を発揮できる世界で、屋敷内に更なる細工を施したようだ。
 行けども行けども先刻まで幽閉されていた部屋に辿り着けないのは、繭羅の幻術によるものなのだろう。彼女の生み出した世界なのだから、彼女がその気になればいくらでも自由自在に変化できる。
「ホンット、こんなにアッサリ捕まってくれるなんて拍子抜けだわ!」
 突如として、甲高い少女の声が響く。
 一同がハッと声の主を探すと――前方に純白のセーラー服が出現した。
 二条繭羅だ。
 空間を割くようにして姿を現した繭羅は、その力を誇示するように優雅に宙に身を浮かせていた。



 
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2010.02.06 / Top↑

 いつもの如く鼻血を噴出させた南海は、とりあえず山梨くんとルイさんの個室に押し込んだ。
 神聖な寿司屋で鼻血を噴き出すなんて――乙女のするコトじゃないわよ!
 鼻血の原因は山梨くんとルイさんなので、彼らには責任をもって南海の相手をしてもらうことに決めた――というか強引に押し付けてやったわ。
「オイ、園生沙羅――オレたち一応デート中なんだけど?」
 と非常に迷惑そうに顔を引きつらせた山梨くんに、あたしは言ってやったわよ。
「一本のスペシャルラヴ恵方巻をルイさんと二人で両端から丸かぶりでもすれば、この子――容易く気絶するから。じゃ」
 冷ややかに吐き捨て、あたしはピシャリと個室の襖を閉めた。
 デートが何よ! あたしはバイト中なのよ!
 六楼さんの素敵な姿を脳裏に描く暇もないくらい忙しく働いてるのよ!
 山梨くんとルイさんも少しは南海の餌食になればいいわ!
 あたしは完全な八つ当たりを山梨くんとルイさんにぶつけ、個室を後にした。

 ホールに足を踏み入れた瞬間、思わぬ光景に出会し、あたしは一瞬身を仰け反らせてしまった。
 ホールにいる女性客の半数以上が鼻にティッシュを詰め込んでいたからよっ!
 ……な、何なのよ?
 ま、まさか、南海の叫びを聞いて――この人たちも山梨くんとルイさんのリアルなジョナを激しく妄想しちゃったワケ!?
 …………それ以外、考えられないわよね。
 恐ろしいわね。M市の女って、どれだけ血の気が多いの?
 そして、どれだけ腐れた妄想に華を咲かせるのが得意なの?
 統計をとったら――まさか八割方《腐女子》っていう結果になったりしないわよね?
 ………………有り得ないコトじゃないから怖いわ。
 何せM市は最凶で最狂の腐女子ビッショウ様と、男女ともにイケナイ妄想を抱かせる最強の超絶美形ルイさんを生んだ街だもの。
 あたしは、ティッシュを鼻に詰めたお客様の顔を出来る限り見ないように努め、ビールや日本酒をせっせとテーブルへ運び続けた。
 鼻血を出しながら恵方巻を丸かぶりしているお客様は、全員――隠れ『紅蓮の鏡月』信者に決定ね。『リアルなジョナ』が何であるのか見当がつくんだから、かなり『紅蓮の鏡月』歴は長いはずよ。
 そんな勝手な決めつけを胸中で行いながら、あたしは空いたグラスや食器を洗い場へと運び込んだ。直後――
「うおぉぉあぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!!」
 という奇怪な叫びが奥の個室から轟いてきた。

 ――こ、この声は南海ねっ!
 あたしは恟然と目を丸め、厨房を飛び出した。
「沙羅ちゃん、どうした!?」
「大丈夫です! 友人が急に発熱しただけです!」
 カウンターを出て来ようとする大将を慌てて片手で制し、あたしは個室エリアへと続く細い廊下を疾駆した。
 発熱は発熱でも――妄想熱だけれど。
 あれは南海の歓喜の雄叫びなのよ!
 ちょっと、一体何をやってるのよ、山梨くんとルイさんはっ!?
 ――ハッ!? まさか本気で恵方巻をポッキーよろしく二人で両端から仲良く囓って、うっかりキスしちゃってるとかじゃないわよね!
 いや、南海がそれくらいのコトで感極まるワケないわ!
 ま、ま、ままままさか、一番奥の個室なのをイイコトにルイさんに襲いかかってるんじゃないでしょうね、山梨っ!
「南海、一体何があったの――――!?」
 あたしが襖を開けようとした正にその瞬間、白い障子にブシュッッ! と血の飛沫が舞った。
 い、いやぁぁぁぁっっっっっ!!
 何、この突然のスプラッタッ!?
 南海の鼻血だって解っちゃいるけど、怖いのよ! 正直、気持ち悪いのよ!
 それ以前に、この障子の張り替え――間違いなくあたしのバイト代から引かれるんですけどっっ!!
 こんなに懸命に働いたのに! せっせと《WALTZ》に通うお金を貯めたのに……!
 全部……海の藻屑と化したわ。
 パティシエ兜塚さんの新作を食べるの――物凄く楽しみにしてたのに……。
 つき合ってるからお店に行かなくても六楼さんには逢えるけど、やっぱりたまには制服姿の六楼さんを眺めながらニヤけたいのに……!
 おのれ、山梨めっ!
 あたしのささやかな幸せをブチ壊しやがって!
 襖を開けて、あいつがルイさんを押し倒してたら――即刻叩き出してやる!
 あたしは南海の鼻血で彩られた襖に手をかけ、決然と扉を引き開けた。


 真っ先に視界に飛び込んで来たのは、素肌の背中だった。
 くっきりと浮き出た肩甲骨に、何の歪みもない綺麗な背筋――
「――ブッッ……!!」
 それが山梨くんの背中だと気づいた刹那、あたしは驚愕のあまりに唾を噴き出し、張り裂けんばかりに目を見開いていた。
 あたしに背を向けて立っていた山梨くんが、ちょうどセーターを脱ぎ捨てたところだったのよ!
 ちょっと! 目のやり場に困るじゃない!
 何なの、その均整のとれたセミヌード!?
 背中から腰にかけてのラインが恐ろしく凜としていて、艶めかしい色気を放ってるんすけどっっ!?
 流石はダンスで鍛えられた美しい身体ね。無駄のない肢体だわ。
 ――ハッ……! 決して見惚れたわけじゃない――魅入っていたわけじゃないわよ!
 ただ、そこに避けようもなく山梨くんのセミヌードが立ちはだかってるだけで、あたしは決して自ら望んで山梨くんの裸の背中に釘付けになってるわけじゃないのよ!
「ちょっ……ちょっと……何して――――」
 あたしは必死に自制心と冷静な思考を手繰り寄せた。けれども、ショックが甚大すぎて震える唇でそれだけ言うのがやっとだった。
「沙羅、聞いてよ! ルイさんと山梨くん、今――半同棲生活を送ってるのよっ! いやっ、わたし、もうソレ想像しただけで悶絶っていうか――悶死しそうなんだけどっ!」
 おしぼりで鼻を押さえた南海が息も荒く言葉を捲し立てる。
 ……南海は外見だけでいうなら、かなりの美少女だ。それも清楚系の。なのに、どうしてこの子はこんなに腐れているんだろう……?
 あたしは口元を戦慄かせながら南海の隣にいるルイさんに視線を流した。
 ルイさんは鼻血を垂れ流している南海のことも何故だか裸の山梨くんことも全く気にした様子もなく、超然とスペシャルラヴ恵方巻を丸かぶりしていた。
 あたしと目が合うと、恵方巻を咥えたまま面倒臭そうにポケットから銀色に輝くキーを取り出し、ぞんざいにテーブルの上に置く。
 ……どうやら、それが山梨くん宅の合い鍵らしい。
 ――って、あたし別に事実確認なんてしたくもないんですけどっ!
 ルイさんと山梨くんが同棲しようが結婚しようが一向に構いませんけれど?
「だからね、六楼さんのマンションにある――あの、ルイさん専用のベッド、わたしに譲ってくれるって! 毎日ルイさんの匂いに包まれて妄想に耽れるのかと想うと――わたし、幸せすぎて鼻血が止まらないわ!」
 南海が向かいにある山梨くんのおしぼりを勝手に引き寄せ、更にそれを鼻に押し当てる。
 ……そう、六楼さんのマンションにはルイさん専用のベッド――というか部屋があるのよ。
 六楼さんと仲のいいルイさんは、よくそこに転がり込んでいたらしい。流石にあたしが六楼さんとつき合うようになってからは、自由奔放なルイさんもピタリと唐突な来訪を止めたけれど……。
「明日、早速業者に頼んで引き取りに行くから、六楼さんにヨロシク言っといてね、沙羅!」
 南海が上気した顔で声を弾ませる。ホントにルイさんのことが大好きなんだなぁ、南海。ちょっとその想いのベクトルが変な妄想に突き進んじゃってるけど……。
「ヤダッ、ルイさんのベッドよ、ベッドッ! もしかしたら、もしかして――そのベッドで六楼さんと繰り返し何度も何度もアレコレしてるかもしれないじゃないっ!!」
「ギャッ、妄想でも六楼さんを巻き込むのは止めてよ、南海!」
「――えっ!? マジでか!? 嘘だろ!? 超ショックなんだけどっ!」
 あたしの非難の声に、山梨くんの焦燥しきった声が覆い被さる。
 山梨くんは首だけをねじ曲げてルイさんを見つめると、嫉妬と痛みゆえか切なげに目を細めた。
 ああ……ココにも一人、ルイさんに対する愛情のベクトルがちょっとズレてる人がいたわね……。
 ルイさんは相変わらず恵方巻を咥えたまま山梨くんに冷ややかな視線を返し、フゴフゴと何事が告げた。
 きっと『っるっせーな!』とか『一々覚えてねーよ』とか『ヤッて悪いかよ?』とか――とにかく何かテキトーな台詞だと思うわ。
 いや、ちょっと待って! ヤッて悪いわよ!
 六楼さんの彼女は一応あたしなんだからっ!
 南海お得意の薔薇色妄想だと解っていても、やっぱり焦ってしまう。何てたって、ルイさんは外見だけは女も男もガッツリ魅了する超絶美形なのよ!

「ちょっと山梨くん、勝手に動かないでよ。ああ、でも、そのルイルイを見つめる苦しげな眼差しと首筋のラインが素敵ね。ゾクゾクするわ。フフフッ」
 あたしと山梨くんが南海の妄想に翻弄されていると――今度はビッショウ様の声が聞こえてきた。
 そういえば、ビッショウ様のルイさんに対する愛情表現も相当変わってるわよね。幼なじみの裸をスケッチしまくって、男と絡ませるのが趣味で、それを同人誌にして売り捌くんだから凄いわよね、ビッショウ様って。

 ……………………え? ビッショウ様っっっっ!?

 ええっ、ビッショウ様なんて、この部屋にいたっけ!?
 あたしは急激に現実に引き戻され、慌てて室内を見回した。
 山梨くんの向かいに黒髪ロン毛の眼鏡美女が座っている。
 その片手はスケッチブックを構え、もう一方の手は神速の如く紙面に鉛筆を走らせ続けていた。
 ――いた。
 ホ、ホントにいた! 現実に存在してるわ。
「ビ、ビ、ビッショウ様っっ!?」
 仰天したあたしは目の玉が飛び出すような勢いで、ビッショウ様こと美祥寺腐妄子を凝視した。
 何、この人? 一体、いつ忍び込んで来たの!?
「こんばんわ、沙羅ちゃん。お邪魔してるわね。ちょっとルイルイを驚かせようと思って――アレに忍んできたのよ。ああ、私にも特上北海にぎりを一人前よろしく。もちろんお勘定は山梨くんにツケておいてね」
 ビッショウ様が高速スケッチを続けながら、軽く顎をしゃくる。
 その先には、南海が引き摺ってきた巨大スーツケースがどんと聳え立っていた。
 うわっ、心底信じられない。由緒正しき有馬家のご令嬢が身体を折り曲げてスーツケースに入り込み、じっと息を潜めてここまで運ばれてきたなんて……。弟が知ったら泣くわよ。
「わたしも開けたらビッショウ様が出てきたからビックリしたわよ。でも――おかげで山梨くんのセミヌードを超間近で観察できるのよっっ! チョー天国!」
 山梨くんの半裸をうっとりと見上げながら、南海がまた鼻血を垂れ流す。
 ――って、スーツケースの持ち主であるあんたが気づかないなんて、おかしいでしょ!
 どうやってビッショウ様がスーツケースに侵入したのか……怖くて想像もしたくないじゃない!
「そこは気づきなさいよ、南海! ――で、どうして服を脱いでるのよ、山梨くんは!?」
 あたし南海に向けた険しい眼差しをそのまま山梨くんへと流してやった。
「しょーがないだろ。上、脱がなかったら、朝まで密着スケッチする――って脅されたんだからさ」
 山梨くんが半ば自棄になりながら吐き捨てる。
 なるほど。確かにビッショウ様にこの後のデートは邪魔されたくないだろう。それなら、いっそうのこと、ココで何枚かビッショウ様が満足するまでスケッチしてもらった方が遙かにマシだ。
「おー、頑張れよ、山梨」
 一本の恵方巻を完食し終えたルイさんが、感情の籠もらぬ平淡な声音で告げる。ルイさんの長い指が新たな恵方巻を取り上げ、悠然と口に運ぶ。
 相変わらず素晴らしい胃袋だわね、ルイさん。ソレ、何本目の恵方巻なの……?
「ちょっ……たまには真剣にオレの努力を評価しろよ、ルイッ!」
 山梨くんがひどく不本意そうにルイさんを振り返る。
 その瞬間の山梨くんの腹筋から腰にかけての動きは、とても洗練されていて綺麗だった。
 ……腐ってもアイドルね。
 鎖骨→胸板→腹筋→お臍→ウエスト――どれをとっても胸を撃ち抜かれそうなほど濃厚な色気を放ってるんですけどっ!
 恵方巻を頬張っていたルイさんが珍しく動きを止め、上目遣いに山梨くんを見つめる。
 一瞬の静寂の後、ルイさんは一旦恵方巻を囓るのを中断してビッショウ様に視線を投げた。
「――咲耶、描く速度あげろよ」
 短くそれだけを告げて、ルイさんは再び恵方巻に齧り付いた。
「アラ、ルイルイ、もしかして、今――山梨くんにムラムラしちゃったの!? ねえ、そうなんでしょ!? フフフッ、任せておいて! ルイルイが山梨くんにジョナられたいなら、超高速で描き上げて山梨くんを解放してあげるわ! フフフフフフッ」
 ビッショウ様が不気味な微笑みを浮かべながら、今まで以上の速さで筆を走らせる。
 それは、もうあたしの肉眼では捕らえられない恐るべき速度だった……。
「キャーッ! ルイさんが山梨くんと素敵で過激で破廉恥なリアルジョナを――――ぐっ……! 妄想しただけで息絶えそうだわ!」
 南海が荒々しく肩で息をしながら、とうとうルイさんのおしぼりまで奪取して鼻に当てる。
 ……南海、あんたいつかホントに失血死するわよ……。
 あたしは冷めた眼差しで室内を見回すと、大仰に溜息をついた。
「よかったわね、山梨くん。努力――報われたじゃない」
 あたしは山梨くんに揶揄混じりの言葉を投げると、クリルと背を返した。
 もう、ここはあたしが足を踏み入れてはいけない禁断の園だ。背徳の世界だ。
 あたしには一生縁のない腐れた落園よ!
 南海とビッショウ様の嬌声を背に浴びながらあたしは後ろ手に襖を閉め、ホールを目指した。
 何だかとても――うん、物凄く疲れたわ……。
 早く帰ってくれないかしら、あの人たち。

     *

 もう何度目のリピートになるのか解らない『ジョウネツーナ』のイントロが店内に流れている。
 ちょっと前まで《蝦夷舞鮨》は多くのお客様たちでごった返していたけれど、十時半を廻った今は落ち着きを取り戻した状態だった。
 山梨くんとルイさんが出て来るまで粘ろうとしていた女性客たちもこの時間になると諦めたのか、いつしか姿を消していた。
 それが正解だと思うわ。あたしにとっては阿鼻叫喚の地獄絵図でしかない、あの奥の個室の薔薇色妄想宴会――閉店まで続くわよ。運ばれていくアルコールの量が半端ないもの。南海は未成年だけど、他の三人はかなりの酒豪らしいし……。
 有名人二人と腐女子二人の奇妙な宴を脳裏に思い浮かべ、あたしは我知らず顔を引きつらせていた。
 直後、ガラッと入口のドアが引き開けられる。
 冬の冷たい外気とともに長身の影が姿を現す。
 瞬時、あたしの胸はドキッと高鳴った。
 驚きと嬉しさのあまりに瞬きするのも忘れて、店内に入ってきた人物に見惚れてしまう。
 ――よしっ、三度目の正直!
 入店してきたのは漆黒のロングコートを纏った六楼さん。
《WALTZ》のバイトを終えたその足で、ここに寄ってくれんだわ!
「いらっしゃいませ!」
 あたしは現金にも声を弾ませ、小走りに入口へと駆けていた。
「こんばんわ――って、何、この『ジョウネツーナ』?」
 フレームレス眼鏡の奥の瞳を和らげ、六楼さんがあたしに微笑む。その後に、彼はスピーカーを見上げて、解せないように何度か瞬きを繰り返した。
「……今、ちょっと奥に山梨くんと――」
「ああ、ルイが来てるのか」
 素早く事態を把握したらしく、六楼さんは整った顔に苦笑を閃かせ、カウンターへと移動した。
 よかった。ルイさんたちと合流する気はないみたいだ。
「沙羅ちゃん、今日はもう上がっていいぞ。『ジョウネツーナ』効果で、ネタもほぼ売り切れだしな」
 六楼さんの姿を確認した大将がニヤリと笑う。ホントに、恋愛に関しては素晴らしく協力的で気前のいい大将だわ。
「ありがとうございます!」
 あたしは素直に大将の言葉に甘えることに決め、さっさとエプロンを外して六楼さんの隣に腰かけた。
「うわっ、スゴイな。本当にスカスカだね、ネタ」
 ガランとしたショーケースを見つめ、六楼さんが感嘆の声を洩らす。スペシャルラヴ恵方巻だけでも結構な売上だったのに、山梨くん効果で他のネタも瞬く間に姿を消していったのよ。
「じゃあ、大将のお任せでお願いします。あと、コレ――奥様と一緒にどうぞ」
 六楼さんが立ち上がり、カウンター越しに《WALTZ》のテイクアウト用の小箱を手渡す。
「おうっ、ありがとな。今夜はたくさん土産があるから、カミさんのヤツ喜ぶぜ」
 大将が屈託なく破顔し、受け取った《WALTZ》の小箱を冷蔵庫にしまうと、『ジョウネツーナ』をハミングしながらにぎりにかかった。
 さっき、こっそり山梨くんにサインを貰い、ちゃっかり写メも撮ってたのよ、大将。
「お仕事お疲れ様、沙羅ちゃん」
「――え、あっ……六楼さんだって《WALTZ》上がってきたばかりなのに、何かスミマセンッ」
「や、ルイと山梨さんがいる時点で色々と大変だったと思うし……。ハイ、沙羅ちゃんにもお土産です」
 六楼さんがチラと奥に視線を走らせて肩を竦め、それから大将に渡したモノより一回り大きい《WALTZ》の小箱をスッと差し出した。
「わー、嬉しい! 開けてもいいですか?」
「もちろん。今日は節分で忙しいだろうから、《WALTZ》には来られないと思って――」
 そう言って、六楼さんは照れ臭そうに微笑む。
 うっ、もう何度も見ているのに――相変わらずその笑顔は綺麗で、あたしの心臓は大きく跳ね上がった。
 交際を始めてからも六楼さんの紳士的な振る舞いと気遣いは、全く変わらない。
 いつもあたしのことをイチバンに考えてくれる。
 あたしは六楼さんの優しさに心が温かくなるのを感じながら、《WALTZ》の箱をそっと開いた。
 箱に中には、可愛らしい五色のロールケーキが並べられていた。
 白・ピンク・緑・薄茶・黄色――直径三センチ全長十五センチほどのお洒落なスイーツだ。
 箱を開けた途端、甘い香りがフワリと舞い上がって、あたしのテンションは一気に上がってしまった。
「兜塚さんの力作――《WALTZ》オリジナル恵方ロールでございます。チーズ・ストロベリー・抹茶・モカ・プレーンの五つの味をお楽しみ下さい。ちなみにそれぞれの中身は企業秘密にさせていただきます」
 六楼さんが笑いながら店員口調でサラリと述べる。
 あたしは箱の中から慎重にプレーンを取り出し、その断面をワクワクしながら覗き込んだ。
 スポンジ生地の中には生クリームの他に、煌めく宝石のような紅い粒が見え隠れてしていた。
 イチゴじゃないみたいだし、それが何なのかはあたしには予測もつかなかったけれど――とにかくその濡れた輝きと生クリームのバランスは絶妙だった。
「うわぁっ、綺麗! 可愛いっ! 流石、兜塚さん――パッと見、何処にでも売っているような恵方ロールなのに、宇宙が見えるわっっ!」
 そうよ、兜塚さんが作るスイーツにはいつも果てしない宇宙が広がっているのよ!
 ファンタジック兜塚、健在ね!
 あたしは昂揚する心を抑えきれずに、パクッと恵方ロールに食い付いた。
 う、うううう――ウマイッ!
 何、この一瞬にして蕩けて無くなるような軽い生クリームの食感!? 素敵すぎるわ!
 あまりの美味しさに涙目になりながら感激していると、六楼さんが微笑を湛えたままスッとあたしの耳元に顔を寄せて囁いた。
「ルイたちに見つかる前に退散して、夜の公園でも散歩しようか?」
 もちろん、あたしは恵方ロールを口に咥えたままブンブンと何度も頷いた。
 あの悪夢のような宴に強制参加させられるより、六楼さんと手を繋いで歩いた方が百倍マシに決まってるもの!
 必死に頷くあたしの様子がツボだったらしく、六楼さんはもう一度破顔する。
 それから、大将の目を盗んでさり気なくあたしの頬にキスをしたのよ!
 あたしは羞恥と驚喜に顔を真っ赤に染めながら、兜塚さんの力作を勿体なくもゴクンッと一気に丸呑みした――

 何だか急に、一日の疲れが払拭されるような不思議なパワーが心の奥底から湧き上がってきた。

 明日もバイト頑張ろう――この《蝦夷舞鮨》で。






 ――え? 山梨くんとルイさんが、その後どうなったかって?
 知らないわよ、そんなコト。
 っていうか、興味もないし、深追いもしたくないのよっ!

 

     《了》



……長い上にイサヤの出番が殆どないです。スミマセンッ(汗)
最後までおつき合い下さり、ありがとうございました♪

 
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2010.02.03 / Top↑

 大将に注文を伝え、用意したあがりをルイさんと山梨くんの個室へと運ぶ。
 もちろん、極力手早く素早く退散よ。
 大将が腕を振るって作った恵方巻とにぎりも――当然迅速かつ丁寧に個室へ運び、二人の方を見ないように気をつけたわよ!
 だって、何の気構えもなくうっかり障子を開けたら、二人がキスとかしてそうで怖いんだもん!
 そんな妖しいシーンを見ちゃったら、この後ますますパニックを引き起こしてバイトにならなくなるじゃない!
 一通り注文の品を運び終え、再びホールに戻った時、あたしは女性客たちからの鋭く強烈な視線を痛いほど浴びせられた。

『なに、あの女? ルイさんとナッシーを独り占めにして!』
『何なの、あの可愛くないバイト! やけに山梨くんとルイさんと親しげだったじゃない!?』
『ちょっと、あの子――《WALTZ》のイサヤくんとつき合ってるらしいわよ?』
『ヤダ、最悪!』

 とかいう皆々様の心の声が今にも聞こえてきそうで、あたしは全身から一気に嫌な汗が噴き出すのを禁じ得なかった。
 あたしはただの《WALTZ》の常連客です!
 六楼さんのことはともかく、ルイさんと山梨くんとは何でもありません!
 寧ろ、あの二人の薔薇色世界の被害者なのよ!
 超フツーでノーマル思考のあたしの前で、あの人たちキスしたコトあるんだからね!
 それって、あたしにとってはスッゴイ迷惑なコトなんだからっ!!
 あたしが過去を思い出しつつ心の裡でメラメラと怒りと闘争心を燃え上がらせていると、それを煽るように店内のスピーカーから真夏の太陽を思わせるギラギラとしたイントロが流れてきた。
 ――こっ、これはまさか、山梨くんの『ジョウネツーナ』!?
 あたしは驚きのあまりに物凄い形相でカウンターの中の大将を見遣った。
「――大将っ!?」
「ボンゴレが駄目だっていうなら、あとはコレしかねェだろ」
 大将は『ジョウネツーナ』に聞き入るように目を瞑り、腕組みをしている。
「こいつァ、泳ぐのを止めると死んじまうマグロの子孫繁栄に対する情熱と悲哀を見事に表現した――奥の深ェスゲェ曲だ」
「いえ、コレ――そんな歌じゃありませんからっ!」
 あたしは思わず大声でツッコんでいた。
 そんな『ジョウネツーナ』の新解釈、今まで聞いたことないわよ。
 斬新すぎるわよ、大将!
 コレってセクシーソング――っていうか、ぶっちゃけエロソングよ!
『紅蓮の鏡月』信者の間では、勝手に魔王のテーマソングにされちゃってる上に、魔王が王子を押し倒すことを示す『ジョナる』って造語の語源にもなってるんだからっ!
「いつ聴いても心に染み入るいい歌詞だぜ。漢の浪漫だ」
 いや、だからエロソングですからっ!
 ちょっと、歌ってる本人がいるのに、こんな恥ずかしい曲をこんなに大音量でかけないでよ、大将!
「っていうか、どうして大将が山梨くんのCDなんか常備してるんですかっ!?」
「ああ、カミさんが山梨くんのファンなのよ。あとでサインをもらっとかねェとな」
 そう言って大将が『ジョウネツーナ』を口ずさむ。
 もう、どれだけ奥さんのことが大好きなんですかっ!?
 奥さんのためなら『ジョウネツーナ』も歌えるようになっちゃうんですかっ!?
 渋くて男前の大将なのに――何ですか、この新事実発覚……。
 おのれ、山梨めっ!
 あたしの知らぬ間にウチの大事な大将まで虜にしやがって……!
 憎たらしいくらいのその魅惑のセクシーボイス、奪ってやりたいわ!
 あたしは眦を吊り上げながら個室のある奥をキッと睨めつけた。

「大将、中トロ二貫お願いします」
「あいよ」
「あ、こっちも赤身と大トロ下さい」
 なのに、あたしの鬱憤とは裏腹にカウンターからもテーブル席からも次々と女性客がマグロ関連のメニューを注文し始める。
 店内は瞬く間に『赤身』『ネギトロ』『ヅケ』『鉄火丼』『鉄火巻』などの声で埋め尽くされた。
 ……何ですかね、この急展開のマグロ祭り。
 あたしは引きつりまくった気味の悪い表情で店内を見回した。
 みんな、どれだけ山梨くんに媚びを売りたいの?
 ウチでマグロを注文したからって、山梨くんは喜ばないわよ! 喜ぶのは大将だけよっ!!
 ああ、でも前言は撤回しておきます。山梨くんの魅惑のセクシーボイスには、他人を惹きつけてやまない不思議な力が確かに宿っているわ。その声を奪うなんて、流石にあたしも出来ないわね。
 何故だか店内は俄に活気づき、売上急上昇だもの。
 あたしが苦笑を浮かべた時、ガラガラッと入口が開く音が響いた。
「いらっしゃいませ――」
 条件反射で笑顔を浮かべかけ――あたしは本日二度目になる恐怖を覚えた。


「ああ、やっぱり『ジョウネツーナ』の発生源はココだったのね! ――あ、ヤッホー、沙羅」
 ガラガラガラガラガラッと巨大スーツケースを引きながら店内へ入ってきたのは――あたしの友人であり筋金入りの腐女子・神原南海だった。
 大将が大音量で『ジョウネツーナ』なんて流すから、呼びこまなくていいモノまでうっかり召喚しちゃったじゃない!
 今、ここにはルイさんと山梨くんがいるのよ! 
 南海の鼻血噴射まであと五分もないわ、きっと!
「ヤッホーじゃないわよ! 何しに来たのよ、南海?」
 あたしは南海の腕を掴むとホールの隅へと強引に連れ去った。
「え? 何って――親に恵方巻のテイクアウト頼まれただけだけど? 節分なのに何故かマグロ祭りが展開されてるみたいね。……何なの、コレ?」
 南海が不思議そうに首を傾げ、それから店内の異様な熱気に目を向ける。
「何でもないわよ! そっちこそ、その大きなスーツケースは何よ?」
 あたしは南海が片手にひしと握り締めている、馬鹿でかいスーツケースを見遣った。中に何が入っているのか知らないが、ボディがパンパンな上に引き摺る度にキャスターが悲鳴じみた音を生み出すのだ。耳障りでしょうがない。
「ああ、ビッショウ様がね、今はもうイベントでは売っていない昔の――そう、幻の同人誌を特別に譲って下さるっていうから、ちょっと有馬邸に寄ってきたのよ。フフッ」
 南海がスーツケースに視線を流し、心底嬉しそうに口元を弛緩させる。
 説明したくないような気もするけれど――ビッショウ様というのは、M市屈指の資産家である有馬家のご令嬢であり、ルイさんの同い年の幼なじみだ。そして、南海が師匠と崇める腐女子界のカリスマでもある……らしい。
 やっぱり、コレもあくまで『らしい』よ。南海やビッショウ様がこよなく愛するBLワールドは、あたしには新世界過ぎて全くついていけないんだもん!
 南海もビッショウ様も六楼さんが手がける『紅蓮の鏡月』の大ファンだ。
 山梨くんとルイさん出演で実写映画化が決まってからというもの(信じられないけど、ホントにアレ映画化するのよ!)、南海たちの魔王×王子萌えはヒートアップしている。
「……凄いわね。あの人、一体何歳から同人活動始めてるのよ? こんなに過去に本を作ってるなんて、恐ろしい人だわ」
「ビッショウ様はね、描くのを止めると死んでしまう刹那のカリスマ絵師なのよ! そう、まるで山梨くんが歌うこの『ジョウネツーナ』のマグロのように!」
 南海が陶然とした眼差しでスピーカーを見上げる。
 ……ちょっと南海、あんた、大将の話――何処で聞いてたのよっ!? 間違いなく聞いてたわよね?
 南海が『ジョウネツーナ』の主人公をマグロだと思ってるわけがないもの。
 南海はやれば何でも出来ちゃう子だって薄々勘づいてはいたけれど………………ビッショウ様に負けず劣らず恐ろしい腐女子だわ。
「刹那のカリスマ絵師って、意味が解らな――」
「――ハッ!? ルイさんっ!」
 あたしの文句を遮り、突如として南海が大きく目を見開く。
「ルイさんの匂いがするわっ!」
 南海の双眸が忙しなく店内を探り出す。
 南海がルイさんをこよなく愛する腐女子だってコトを忘れてたわ。更に言及するなら、山梨くんとか六楼さんとか店長に愛されまくってるシチュエーションだと萌え度が一気に跳ね上がるらしいわよ……。
「匂いで解るのっ!?」
「フフッ、ルイさんのシャンプーはね、曽父江家の次男坊・璃稀さんの美容室で特別に調合されているレアモノなのよ。あそこでしか手に入らないのよ! だから、わたしがルイさんの匂いを間違えるはずはないのっ!!」
 南海が妙に自信ありげに断言し、力強く拳を握り締める。
 あっ……と、知らない人が多いと思うけれど、璃稀さんというはルイさんの兄で、M市でサロンを開いているカリスマ美容師さんのことです。
「沙羅――ルイさんは何処なのっ!? さっさと教えた方が身のためよ」
 南海が爛々と目を輝かせながらあたしににじり寄ってくる。
「い、いないわよ! 気のせいじゃ――――」
「ちょっと、園生沙羅――オレの曲、流すの止めてくんない? ルイが腹抱えてゲラゲラ笑い転げてるんだけど? オレ、スゲー遣り切れないからさ」
 折角あたしがはぐらかそうとしたのに、そんな時に限って間の悪いのことに奥の個室からヒョイと山梨くんが顔を覗かせたのよ! 信じられないわ!
 ホントに、どうしてあんたはいつもいつもあたしの邪魔ばかりするのよ、山梨ィィッッ!!
「や、や、山梨くんっっっ!?」
 南海の感極まった声。
 その声に山梨がビクリと身を強張らせた。
「――あ、美祥寺腐妄子の弟子!」
「山梨くんとルイさんが――二人だけで奥の個室に籠もって、太巻きを咥えながらリアルでジョナってるのねっっっっ!!」
 南海が興奮の叫びを放つ。
 ちょっと、ウチの個室はホテルじゃないわよっ!
 太巻きの用途も若干違う風に聞こえるわよ!
 ウチはこのM市に開業して二十年も経つ立派な寿司屋なのよ!
 お願いだから、変な言い回しは止めてよ、南海っっ!!
 ホールのお客様が山梨くんとルイさんの変な姿を妄想して、無駄に騒ぎ出しちゃったじゃない!
「ああ……あああああ、何て素敵なのっ! すぐそこに目くるめく薔薇色の園が――」
 感極まった南海の頬が己の発言通りに薔薇色に染まる。
 転瞬、南海の鼻腔からは大量の血液が噴き出した――



5万打、ありがとうございます♪
なのに、本日の更新……妄想だらけでスミマセンッ(汗)
相変わらず主人公がちっとも活躍しない物語ですが(←)、次の更新で終わる予定ですので今しばらくおつき合い下さいませ。


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2010.02.01 / Top↑
蝦夷舞鮨で逢いましょう



 ガラッと入口のドアが開かれた瞬間、あたしは我が目を疑った。
 店内の空気が一気に凍りつく。
 あたしは驚愕に目を瞠り――次いで恐怖に頬をひきつらせた。
 あたしの顔の変化と同時に、店内の客たちがざわざわひそひそと色めき立つ。
 中でも女性客の強い視線と悲鳴混じりの嘆息は、一種異様なものがあった。
 熱い視線が入口へと注がれる。
 それは、そうだろう。
 何てたって、今をトキメク超アイドル山梨和久が、そこに立ってるんだもの!
 しかも、一人じゃないのよ!
 あたしの住むM市最強の美形が揃うケーキ屋《WALTZ》――そこでつい最近まで不動のナンバーワンを誇っていたルイさんが一緒なのよ!
 おまけに、この二人――ゴシップ週刊誌やワイドショーで何度もスクープされまくっているほど『熱愛』の噂があるんだから!
 ついでに言っておくけど、山梨くんもルイさんも性別は歴とした《男》よ!
 そして、二人とも思わず口をポカンと開けてしまうほどの超美形よ!
 そんな注目を浴びること必至の二人が、どうして連れ立ってあたしのバイト先――《蝦夷舞鮨》にやって来るのよっっ!?

 馬鹿じゃないの、二人ともっっっ!!

 あたしの平穏かつ楽しいバイトライフを邪魔しないでよ!
 あたしは青ざめた顔で入口へ向かってダッシュすると、『いらっしゃいませ』の一言もなく、むんずとルイさんと山梨くんの手首をそれぞれ掴んだ。
「た、た、たたた大将っ! コレ――奥の個室に隔離しますからっっ!」
 あたしは必死に形相でカウンターの中にいる大将に訴えた。
「おう、いらっしゃい。毎度どうも」
 大将が常連であるルイさんに精悍な笑顔を向ける。その隣にいる山梨くんにチラと視線を走らせると、大将は何を妄想したのか得心顔でうんうんと頷いた。
「へえ、こりゃ珍しい……。BGM『青春ボンゴレ』に変えようか、沙羅ちゃん」
 大将がからかうようにあたしに訊ねてくる。
『青春ボンゴレ』というのは、今、あたしが腕を掴んでいる山梨和久の大ヒット曲だ。
 あ、言い忘れてたけど、あたし――園生沙羅。M市に住むごくフツーの女子高生よ。……多分。
 スーパーアイドル山梨くんとは訳ありで面識があったりするし、友人はかなり妄想癖の強い腐女子だったり、彼氏はBLファンタジー小説『紅蓮の鏡月』の作者だったりするけど――多分……ううん、絶対にフツーの女子高生よっ!
「却下です、却下! 何の嫌がらせですかっ!?」
「や、お客さんはその方が喜ぶだろうし――粋だろ?」
「シャリ一粒ほども粋じゃありません! あたしは断然『北の漁場』の方が好みです!」
 荒々しく大将に言い返し、あたしは細い通路を進み、ルイさんと山梨くんを個室エリアへ案内した。案内っていうより拉致に近い気もするけれど……。
 背後から女性客たちの興奮した囁きが聞こえてくる。
『ナッシーよ、ナッシー!』
『ナマ山梨よ! 超ラッキー! 何、あのカッコよさ!』
『アレ、《WALTZ》のルイさんでしょ!?』
『やっぱ二人はつき合ってるの!?』
『ちょっと見た! 山梨くんの左手の指輪! 堂々と填めてるってコトは、正真正銘恋人同士なのよね!?』
 山梨くんの人気は伊達じゃない。カップルで来てるお客さんが大半なのに、みんな彼氏そっちのけで山梨くんに釘付けよ……。
 また日の悪いことに本日は節分――店内は大将のスペシャル恵方巻を目当てにやって来たお客様でごった返してるのよ!
 奥の個室が空いているだけでも奇跡なのよ!


「沙羅ちゃんがシフト入ってるなんて、ツイてんな。何か知らねーけど、ウザイ野次馬から逃れられたみてーだし」
 状況を全く気に懸けていないらしく、ルイさんが美顔に微笑を湛えながら暢気に呟く。
「少しは自分たちの立場を考えて下さい、ルイさんっ! 《WALTZ》辞めたからって、ルイさんがM市ナンバーワンの美形であることは何にも変わらないんですからねっ!」
 あたしは奥の個室の襖を開けて、そこに超イケメン二人を雑に放り込んだ。
 この忙しい時に、あたしに余計な仕事と気苦労を与えに来るなんて――ホンットに信じられないわ!
 あまりにも他人に見られることに慣れすぎて、感覚が麻痺してるのかしら?
 今、話題の二人が当たり前の顔してデートだなんて、有り得ないわ!
「山梨くんも馬鹿じゃないの! そんな眼鏡一つで正体隠せるワケないでしょ! M市の女子はね、《WALTZ》の美形店員を見慣れてるから目が肥えてるのよっ! 美形には怖いくらい反応するのよ!」
「や、ソレ、咲耶と南海ちゃんだけだろ?」
 座敷に上がったルイさんがコートを脱ぎながら小さくボヤく。
「ルイさん! 大体、二人揃ってウチに食べに来ること自体、正気とは思えません!」
 あたしは一枚板で作られた高価なテーブルに通常のお品書きと『本日のオススメ』メニュー並べながら、軽くルイさんを睨んだ。
「だってよ。よかったな、山梨。正気じゃなくて――見事変人の称号を獲得したみてーだぜ」
「――ルイさんもです!」
 素知らぬ顔で山梨くんに責任転嫁するルイさんを、あたしは今度こそ思いっ切り睨めつけた。
 ルイさんは《蝦夷舞鮨》の太巻きフリークだ。一人で軽く十人前は平らげる有り難いお客様だ。
 今日、ここへやって来たのもルイさんの希望に違いない。
「そんなにカリカリするコトないだろ」
 山梨くんがコートと眼鏡を外しながら溜息混じりに告げる。
 その声音は、禁断の恋に苦悩する美青年の葛藤を表現しているようにも聞こえ――あたしは迂闊にもドキッとしてしまった。
 ――うっ、相変わらず無駄にセクシーな声してるわね……!
 でも、あたしは山梨くんの声には騙されないわよ!
「昔、一緒に中華喰った仲だし、《ラブ・パラダイス》仲間なんだからさ、少しはフレンドリーに――」
「そんな昔の話、とっくに忘れました! あたしには芸能人の知り合いなんていません。あたしは都会の片隅で平々凡々にひっそりと生きる――ごくごくフツーの女子高生です!」
「……冬敷和魔センセが彼氏の時点で、フツーじゃないと思うけど?」
 山梨くんが口元を引きつらせながら、ルイさんの向かいの席に腰を下ろす。
 冬敷和魔――というのは、あたしの……あ、あ、あたしの恋人――って言っていいのよね!? うん、いいわよね!
 あたしの恋人である六楼諫耶さんのペンネームだ。六楼さんはさっきも言った通り『紅蓮の鏡月』の作者であり、加えて《WALTZ》の店員さんでもある。
 そんなイロオトコの心を何であたしが射止められたのか未だに自分でも不思議に思うけれど――《WALTZ》の開店記念日以降、あたしは六楼さんとおつき合いをさせていただいている。
 そして、おそらく時を同じくして山梨くんとルイさんも……つき合っているかどうかはともかく――深い仲に発展したらしい……。
 あくまで『らしい』よ!
 正直、あたしには未知の世界なので、あんまり詳しく知りたくはない。
「とにかく、二人ともこの個室から出ないで下さいね。写メとか撮られても――ウチの責任じゃありませんからね」
「りょーかい。とりあえず、腹減ってっから、大将のスペシャルラヴ恵方巻、十人前よろしく」
 ルイさんが物凄く適当に頷いてから、あたしに満面の笑顔を向けてくる。
 ――ぐっ……! ひ、久々にルイさんの顔を間近で見るけど――綺麗すぎる!
 その神々しいまでの美しさは何処から溢れてくるんですかっ!?
 無意識に見惚れちゃうくらいの美形なのに、やっぱり超テキトーな喋り方や超面倒臭がり屋な性格は変わらないんですか……!?
「十人前で足りるのかよ、ルイ? ――あ、特上北海にぎりも二人前ね」
 山梨くんがお品書きとルイさんを交互に眺めながら心配そうに告げる。
 ルイさんは、女の子であるあたしが蟹挟みをかけても容易く折れそうなほど極細ウエストの持ち主だ。だけど、その中には信じられないくらいの鋼鉄の胃袋を持ち合わせている稀少人物でもあるのよ。
「あん? 足りなかったら――てめーの喰わせろよ」
 ルイさんが山梨くんをじっと見つめ、意味深に微笑する。
 途端、山梨くんの頬が微かに紅く色づいた。
 ………………アレ? なんか、ちょっと変な雰囲気ね……。
 ヤダ、この二人――ホントのホントに行き着くところまで行っちゃったのっ!?
 南海の影響であたしまで変な妄想しそうじゃない!
「あ、あたし、あがり持ってきますねっ!」
 軽いパニックに陥ったあたしは、勢いよく障子を閉めるとホールへ駆け戻った。



書ける時に書こう――と思い立って、キーボード打ち始めたのが5万打記念の小咄じゃなくて沙羅の話って……orz
寿司屋の話なんて需要がない気もしますが――突発的に書き始めてしまいました(汗)
節分前に終わると思います←(笑)

 
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2010.02.01 / Top↑
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