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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Tue
2009.09.29[20:40]
 視界の中、グラディスの端整な顔に薄笑みが広がってゆく。
「十六の時、母親に刺されたんだ」
「えっ……?」
 淡々と述べられた事実に、ユージンは目を瞠った。
 刺した相手が母親だとは想像だにしていなかった。
 ユージンにとって母親は――養母は唯一の肉親であり、愛情の対象だった。それゆえに『母が子を刺す』という現象が信じられない。
「僕は実の母に殺されかけたんだよ。ただ、それだけのことさ」
「それだけって……」
 ユージンは眉間に皺を寄せた。
「もう五年も前のことだよ。終わった過去だ」
 何でもないことのようにグラディスはさらりと告げる。
 淡然と語るグラディスにユージンは猜疑の眼差しを投げた。
 五年――忘れるには短すぎる時の流れのように感じられる。
 グラディスに襲いかかった陰惨な事件は、彼の胸に醜い傷跡を残すと同時に甚大な精神的衝撃をも刻んだに違いない。
 鋭利に抉られた心の傷は、未だに癒えていない。
 だからこそ彼は、胸の傷を眺めるたびに険しい表情を浮かべるのだろう。
「短剣で刺されたんだけどね、女性の力では中々心臓まで達しない。それで幾つも痕が残ってるんだ。僕の剣を貸そうかと思ったほど、執拗に刺されたな。本当に……どうせなら一息に殺してくれればよかったのに」
 どこか投げ遣りな口調でグラディスは言う。
「そんなこと冗談でも言うなよ。自分から死を招くなんて馬鹿だ」
 ユージンが怒り混じりの言葉を投げると、グラディスは意外そうに瞬きを繰り返した。
「君に馬鹿と言われても仕方ないかもね。その時の僕は、死んでもいいとさえ考えていたんだから。母に殺されるのも悪くない、ってね」
 グラディスの双眸が物憂げに遠くに馳せられる。
「なあ、その……なんだ、おまえの母親はおまえのことを憎んでたのか?」
 ユージンは歯切れ悪く問いかけた。
 何をどう言葉にしてよいのか解らない。
 グラディスが生きていてよかった、と心底思うのだが、それを素直に口外するのも気恥ずかしかった。
「君は、まだこんなつまらない話を聞きたいのかい?」
 グラディスの視線がユージンへ戻ってくる。声音には微かな呆れが含まれていた。
 ユージンが寡黙に頷くと、グラディスは小さく笑ってから言葉を継いだ。
「……まあ、いいよ。母が僕を憎んでいたというのは、君の誤解だよ。母の名誉のためにも言っておくけれど、母は僕を慈しんでくれた。それこそ溺愛だよ。母は彼女なりに考え、僕への愛情ゆえに僕を殺すことを決心したんだと思う。母は……僕を愛していた。でも僕には、それが重荷だった」
 グラディスが自嘲気味に唇を歪める。
「僕がアダーシャの貴族の家に生まれたことは前に言ったよね? 母は、若くして父の元に嫁いだんだ。その時、既に父は母とは親子ほども歳の離れた壮年に達していた。――で、その父との間に僕が生まれたわけだ。母は歳の離れた父よりも、腹を痛めて産んだ僕により多くの愛情を注いだ」
「それが、どうして殺意にまで発展するんだよ?」
「僕の家というのが中々複雑な環境でね……。身内の醜聞を晒すようで恥ずかしいけれど、お家騒動が絶えない家柄だったんだ。僕が十歳の頃、父が亡くなった。僕が家を継ぐことになったけれど、僕はまだ子供で頼りない。その上、僕を支える母は浮世離れしたお姫様だ。そこで、親戚どもが我が家の家督を巡って画策し始める。つまり、僕が幼いことを理由に家を乗っ取ってしまおう、ってわけだ」
「貴族の世界は陰謀だらけだって聞くけど、やっぱりそうなのかよ」
 ユージンは溜息混じりに相槌を打った。
 千年王国アダーシャには、古来より連綿と続く名旧家が幾つも存在している。
 グラディスが生まれたのも、そんな家の一つなのだろう。
 地位や富を獲得するために、貴族世界の水面下では日々狡猾な争いが繰り広げられているという。
 貴族に生まれたグラディスは、否応なしに陰謀渦巻く黒き世界に呑み込まれたに違いない。
「正直、僕は家督なんてどうでもいいと思っていた。でも、母や幼い弟たちを護るのは、紛れもなく僕の役目だった。だから、子供なりに色々と頭を捻って、『私を後見人にしろ』と迫る姻戚どもを突っぱね通したんだ。そうしたら、困ったことに今度は直接僕の生命が狙われ始めた。連日のように暗殺者が押しかけ、食事には毒が盛られる――そんな事件が相次ぎ、とうとう母が怒りと恐怖に錯乱した。殺伐とした日々の中で、母は次第に『どうせ殺されるなら、せめて私の手で殺してあげよう』と考えるようになるわけだ」
「だから刺されたのか?」
「いや、その時は首に手をかけては躊躇い、結局は泣き崩れるような程度だったよ」
 過去を反芻するように首を捻り、グラディスは淡々と告げる。
 歪んだ世界に生きてきたせいか、彼にとってそれは些細な出来事になっているらしい。表情は妙に涼しげだった。
「我が家の相続争いは数年後には沈静化した。けれど、その次は従兄の家で騒動が巻き起こったんだ。僕の従兄というのが、不幸にして病弱に生まれついてね……。でも、その家には彼しか後継者がいなかった。ある日、彼が病臥し、そこからまた醜い争いが始まった。親戚の誰かが勝手に僕を担ぎ出し、病弱な従兄を廃して、僕にその家を継がせようとしたんだ。僕の知らないところで、従兄を殺害しようという動きが起こった。当然、従兄側は憤怒する」
「なるほどな。今度は、その従兄側の陣営に生命を狙われ始めたのか……。ホントに嫌な世界だな」
「まったくだね。僕は家族を護るだけで精一杯。従兄の家に興味なんかなかったのにね。個人的には従兄のことが大好きだったし……。けれど、そんな僕の気持ちなど伝わらないほどに事態は深刻化していた。僕の生命が狙われ始めると、鎮まっていたはずの母の狂気も再発した。それが十六の時――思い詰めた母は僕の殺害を決断した。僕は貴族世界に嫌気が差していたから、死んでもいいと思っていた……。血塗れの僕を見て、母は僕が死んだと思い込む。ところが僕は死ななかったんだな。お節介な魔術師が、僕を魔法で助けてしまったんだ」
 グラディスがおどけたように肩を聳やかす。
「母は僕を殺したと信じて疑わず、ようやく僕が荊の道から解放されたことに安堵しているようだ、とお節介な魔術師は言うんだ。それを聞いて、僕は家を出る決心をしたんだよ。母を狂気の淵に引き戻したくはないし、貴族世界にも愛想を尽かしていたからね。無一文で家を飛び出した僕は、生きるために盗みを働き、君に出逢った。後は君の知っている通りだ」
 話に終止符を打つように、グラディスは微笑んだ。
 聞いてしまってから、ユージンは激しい自己嫌悪に陥った。
 グラディスにとって、捨てたはずの過去を語るのは辛いものだったに違いない。好奇心に駆られて訊いてしまった己が恨めしい。
『君と三年間ともに過ごしたグラディスという男が、僕の全てだ』という彼の言葉を信じられなかった自分に腹立ちさえ覚える。
 グラディスは十六の時に一度死に、そして新しく生まれ変わったのだ。
 生まれ変わった彼のことを最もよく知っているのは、紛れもなく自分だろう。
「……悪い。俺、無神経すぎるよな」
「君が無神経なのは今に始まったことじゃないし、僕は慣れてるよ」
 グラディスがいつもの軽口を叩く。
「君の無神経さに耐えられるのは、世界広しといえども僕ぐらいしかいないだろうね」
「そこまで言わなくてもいいだろ」
 常と変わらぬグラディスの憎まれ口に救われたような気がして、ユージンは放った言葉とは裏腹に内心で安堵した。
「やっと、いつもの元気が出てきたね。――いいかい、ユージン。世の中には、言葉にしなければ伝わらないことや解らないことがあるんだ。解らないことを訊ねるのは、決して悪いことじゃない」
 諭すようにグラディスが言う。
 ユージンを見つめる眼差しには温かさが溢れていた。先刻まで彼を支配していた暗鬱な冷ややかさは、すっかり消滅している。
 ユージンは、目の前にいるのが自分の知っているグラディスだと認識して改めてホッとした。
 グラディスは『解らないことを訊くのは当然のこと。だから、君が気に病む必要はない』と暗に告げているのだ。その寛容な心にユージンは深く感謝した。
 グラディスは強い。
 自分よりも遙かに強靱な精神を持っている。
 彼はその広く優しい心で、いつもユージンを受け入れ、そして許してくれる。
 そんな時はまざまざと実感する。自分にとってグラディスは掛け替えのない大切な友人なのだ、と。
「さてと、いつまでも長話をしてるわけにはいかないよ。明日の朝も早いんだから、早く風呂に入ってきなよ」
 グラディスは話を切り上げ、寝台に積まれた衣類の中から長細い布を取り出した。胴に飾りとして巻く腰帯だ。それで長い髪を濡らす水分を丁寧に拭ってゆく。
 ユージンは促されるままに立ち上がり、裏庭にあるという風呂場へ向かおうとした。
 扉に手をかけたところで、
「きゃあぁぁぁっっっ!」
 悲鳴が響いた。
 聞き覚えのある女性の声に、ハッとして背後を振り返る。
 グラディスと目が合う。
 転瞬、
「イル・アナンの声だ!」
 彼は二本のレイピアを迅速に掴んでいた。
「外から聞こえたみたいだぜ。裏庭じゃないのか」
 ユージンは双眸を険しく細めた。
 直後、『アナン!』という切迫した叫びが耳に届いた――レイジィの声だ。
「あんたたち、性懲りもなくまた来たのね!」
 その怒声を聞いた途端、ユージンは思い出した。宿屋に入る直前に出会した黒ずくめの男たちのことを。
 ――山猿が襲ってきたのか!
 直ぐ様、外で何が起こっているのか察知し、ユージンは眉をはね上げた。
「言い忘れてたけど、さっき宿の前でクシュカ族と遭遇した。奴らも星を狙ってるみたいだ」
 早口に告げると、グラディスに呆れを含んだ眼差しを向けられた。
「どうして、そういう大切なことを先に言わないのかな。まったく、君ときたら本当に間抜けなんだから」
「悪かったな。――っと、小言を言ってる場合じゃないだろ。レイジィたちを助けないと。あいつら馬鹿みたいに身が軽いんだ。いくらレイジィでも一人じゃ太刀打ちできないぜ!」
 豪剣であるレイジィが『山猿と闘うのは嫌だ』と明言したほどクシュカ族の身のこなしは軽やかかつ鮮やかなのだ。
 早急に加勢しなければならない。
 敵の狙いは星守人と新王候補。
 まごついているうちにレイジィやアナンが拉致されてはたまらない。
 ユージンの発言から敵が侮れないことを察したのか、グラディスが双眸に鋭利な輝きを閃かせる。
「行くよ、ユージン」
 グラディスの声を合図に、二人は部屋を飛び出した。


     「新王候補」へ続く



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