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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Sat
2009.10.03[09:36]
 アルディス・アノン・クローディア。
 シアの隣国――アダーシャのロンデル公爵。
 その名前だけはアナンも知っていた。
 大陸全土に影響を及ぼすほどの支配力を持つ超大国アダーシャ。
 創世神マイセの血を引くアルディス聖王家が、千年以上も支配を続けている特殊な国。
 かの国で『アルディス』を名乗ることができるのは、王家に繋がる者だけだ。
 ロンデル公爵家は、王家の血を濃く受け継ぐアダーシャ最大最古の貴族。
 そして、若き現当主はアダーシャの玉座に最も近い男として噂されていた。
 隣国で神殿暮らしをしていたアナンにさえ噂が届くほど、彼は有名人だ。
 それが、グラディスの正体だというのだ。
 落雷にも似た衝撃がアナンの全身を麻痺させていた。
 明かされた真相に頭が一気に混乱を来す。
「どっちも随分と懐かしく感じるね。自分がそんな名前だったなんて、すっかり忘れていたよ」
 再び金属音が耳を掠める。
 グラディスも剣を抜いたのだ、と察した瞬間、アナンの意識は現へ立ち返った。
 今は、グラディスの正体に驚いている場合ではない。
 グラディスとキリエは剣を交えようとしているのだ。
 ――グラディスを止めなければ……!
 咄嗟にアナンはそう思った。
 グラディスに駆け寄ろうと足を踏み出す。途端、
「アナン、動いてはいけないよ」
 グラディスが制止の言葉を発した。
 自然と足が止まる――怜悧で冷徹な声音だった。
 他人に命令を下すことに慣れた、支配者の口調。
 初めて耳にする厳しいグラディスの声に、アナンの全身は一気に凍りついてしまった。
 逆らうことを許さぬ威圧感がグラディスから放出されている。
「父親はアダーシャ国王ラータネイル陛下の叔父、母親は陛下の同腹妹――ロンデル公爵は純粋培養の王族だ。確か、第二王位継承権を持っていたな」
 キリエの冷ややかな声。
 間を措かずして室内の空気が動いた。
 アナンの闇に閉ざされた視界の中、二つの気配が激しく交錯する。
 金属同士がぶつかる不快な音が響いた。
 グラディスとキリエが剣戟を繰り広げはじめたのだ。
「ラータネイル陛下の子息は病弱な王太子一人。しかも、心の臓が不治の病におかされていると聞く。ロンデル公爵が次の国王に決まったも同然だ。アダーシャの玉座に限りなく近いと噂される若き公爵様が、なぜシアの玉座までもを狙う?」
 憎々しげなキリエの声とともに、甲高い金属音が鳴り響いた。
「さあ? 星神セラのお導きじゃないのかな」
「だが、セラに導かれたのはおまえ一人ではない。シアの王になるのは、この私だ。それを邪魔する奴は何者であろうと許さぬ。たとえロンデル公爵であろうとな」
「奇遇だね。僕も他人に邪魔されることが何より嫌いなんだ。君にシアの玉座を譲る気も渡す気もない」
 グラディスがわざとキリエを挑発するように、軽やかに言葉を紡ぐ。
 転瞬、キリエの気配に禍々しさが滲んだ。
 憤りと憎悪が彼の全身から放出されている。
 明確な殺意を抱いて、キリエはグラディスを排除しようとしている。
 アナンは息を呑んだ。
 ――グラディスを止めなければ。
 グラディスはユージンを護るために新王候補を騙り、キリエと対峙することを決意したのだろう。
 キリエの魔手から友人を遠ざけるために、身体を――生命を張っている。
 その気持ちは痛いほどよく解る。
 しかし、同時に『それは違う』とも思った。
 グラディスがここで死ぬのは間違っている。
 ――嫌ですわ。私は今、どうしてグラディスが死ぬなど……。
 己の思考に、アナンは愕然と目を瞠った。
 そんな不吉な想像が自分の脳裏をよぎっただたなんて、信じられない。
「やめて下さい……」
 アナンは不吉な影を払拭するようにかぶりを振り、小声で呟いた。耳に響く自分の声は、ひどく掠れている。
「メイ・キリエ、どうか剣を引いて下さい。グラディスは……その方は――」
 ――新王候補ではないのです!
 喉元まででかかった言葉をアナンは慌てて呑み込んだ。
 グラディスの真摯な視線を感じたのだ。
 目が視えなくても解った。グラディスの強い眼差しが自分に向けられている。
「クローディア・ロンデルがどうしたと言うのだ?」
 キリエの抑揚を伴わない声がアナンに向けられる。
「その方は、アダーシャにおいて貴き身分にある方です。その方を害すれば、あなただけではなく我が国そのものが強大国の恨みを買ってしまいますわ。あなたの行為はシアを窮地に陥れるものです。ですから、どうか剣を納めて下さい。その方を殺めても、あなたの利益にはなりませんわ」
 アナンは必死に言葉を取り繕った。
「クローディア・ロンデルは確かに貴人だ。だが、五年ほど前に突如として公の場から姿を消した。以来、民の前に姿を見せることはなく、アダーシャ国内では死んだとまで噂されている男だ。今、ここで本当に死を迎えたとしても何も不都合はないだろう」
 キリエの冷笑が浴びせられる。
 彼は何としてでもグラディスを抹殺するつもりのなのだ。
「シアの玉座を目指すのならば、セラ大神殿へ向かって下さい。それが最善の道ですわ」
 アナンは必死に食い下がった。
 しかし、キリエにはアナンの言葉は届かなかったようだ。
「昨夜も言ったはずだ――邪魔者は徹底的に排除すると」
 キリエの気配がグラディスへと接近する。
「グラディス、逃げて下さい!」
 アナンは無我夢中で床を蹴っていた。
 二人の気配を頼りにそちらへ駆け寄る。
 ――私はひどく身勝手な人間ですわ。
 アダーシャのためでも、シアのためでも、ユージンのためでもない。
 何よりも自分自身のためにグラディスに死んでほしくないのだ。
「そこを退け、イル・アナン!」
「アナン、何を……!」
 キリエとグラディスの叫びが交差する。
 直後、アナンは肩に衝撃を感じた。
 キリエに突き飛ばされたのだ、と悟った時には勢いよく床に転倒していた。
 全身を鈍痛が襲う。
「邪魔をするなら、星守人とて容赦はしないぞ」
「よせ、アナンに手を出すなっ!」
 痛みと驚愕に囚われながらも、アナンは反射的に身を起こそうとした。
 その耳に、またキリエとグラディスの叫びが飛び込んでくる。
 面を上げた瞬間、ピシャリと生暖かい液体が頬を打った。
 闇に閉ざされた視界――ひどく間近にグラディスの気配を感じる。
「……馬鹿だね。君が……僕のために身を擲つことなんて……ないのに」
 グラディスの苦笑混じりの声。
「でも、まあ……君に怪我がなくて……よかった――」
 限りなく優しい声音でグラディスが告げる。
 その声に重なるようにして空気が唸った。
 肉を断つような不吉な音。
 骨が砕け散る不快な音――
 グラディスの苦痛の呻きが聞こえ、再び頬に生暖かい雫が飛来してくる。
「あっ……!」
 アナンは恐る恐る己の頬に片手を伸ばした。
 頬に付着した液体は温かい。
 それが何であるかは目が視えなくとも解った――血だ。
 気づいた途端、噎せ返るような血の匂いが周囲に立ちこめた。
 頬に付着したものとは別に、近くで大量の血が流れている。
 思わぬ事態に慄然とするアナンの傍で、不意に何かが崩れ落ちた。
「グラディス!」
 アナンは近くの床に手を伸ばした。
 指先に生々しい血の感触が芽生える。
「何てことを……」
 震える声が唇から零れる。
 アナンは床を這うようにして前に進んだ。
 直ぐ様、温かい血液が衣服に染み込んでくる。
 夥しい量の血液が床を浸していた。
 その流出源がグラディスであることは間違いない。
 アナンは手探りでグラディスに這い寄り、その身体に触れた。
 胸の辺りから血が溢れ出している。
「何て……過ちを……。グラディス? ……グラディスッ!」
 傷口と思しき箇所に両手を添え、必死に名前を呼ぶ。
 しかし、応えはなかった。
 両手の隙間から泉のように血が湧き出してくる。
「それは、もうただの肉の塊だ。――来い」
 キリエの無情な宣告が胸に突き刺さる。
 グラディスを失ってしまう哀しみも、キリエに対する怒りも芽生えないうちに、アナンはキリエの力強い腕によってグラディスから引き離されていた。
「離して下さい。手当てをすれば、まだ助かるかもしれません」
「死人に手当てするも同然だ。死なせてやれ」
 キリエの答はにべもない。
「ですが、まだ生きて……生きているのでしょう!」
 アナンは喚いた。
 それを無視して、キリエは藻掻くアナンを力任せに引きずってゆく。
 絶望という名の奈落がアナンを待ち受けていた。
 漆黒の闇に包まれた世界の中――グラディスの気配が徐々に薄れてゆく。
 アナンはたまらずにキリエの手を振り解こうと激しく抵抗した。
 キリエが不意を衝かれたように手を緩める。
 その隙を見逃さずにアナンは彼の手を振り払った。
 だがその瞬間、残酷にもグラディスの気配が消失した。
 アナンの眼前には深淵の闇だけが広がっている。
 虚脱感と喪失感が一気にアナンを襲った。
 あってはならないことが現実に起こってしまった。
 認めたくない事実。
 最悪の結末。
 それをもたらしたのは、紛れもなく自分だ。
 グラディスの言葉を無視して行動を起こしてしまった自分だ。
 生まれて初めて好きになった人を、自らの過ちで失ってしまった。
 身体の芯から恐怖がせり上がってくる。
 それは己に対する憤怒と相俟り心を激しくかき乱した。
 何も考えられない。
 起こったこと全てを拒絶してしまいたかった。
 心が割れる。
 粉々に砕け散る。
「ああ……あああああああっ!」
 涙が滂沱と化して頬を伝う。
 ――私が殺してしまったのだわ!
 声にならない悲鳴をあげ、イル・アナンは自ら意識を閉ざした。



     「別離――決意」へ続く



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