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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Mon
2009.10.05[08:54]
 恐怖と驚愕のあまり床に縫いつけられてしまった足を動かすのに、しばらく時間がかかった。
 ユージンは瞬きもせずに血塗れの人物を見つめ、夢遊病者のような足取りで室内に歩を進めた。
 混乱する頭に連動して足が縺れる。
 血溜まりに足を踏み入れたところで、心臓が大きく飛び上がった。
 凄まじい衝撃を受けて、麻痺していた神経が一気に復旧する。
 胸が鋭利な痛みを発し、目頭が熱くなった。
「グラ……ディス……。グラディス!」
 一縷の望みを抱いて親友の名を呼ぶ。
 だが、血の中に横たわるグラディスから応えはなかった。
 端整な顔は深い眠りに落ちているかのように微動だにしない。
「グラディス!」
 ユージンは悲鳴をあげた。
 血溜まりの中に膝をつき、グラディスの頬に手を伸ばす。
 仄かな体温が指先から伝わってきた。
 恐る恐る唇へと手を移す。グラディスの唇からは僅かな呼吸すらも感じられなかった。
 戦慄がユージンの全身を駆け抜ける。
 グラディスの右肩と左胸から夥しい量の血が流れていた。
 怪我を負ってから、それほど時間が経過していないのだろう。未だ血が滲み出している。
 肩の傷はさほど深くはない。致命傷は左胸を抉った傷の方だ。
 かつてグラディスの母親が何度も短剣を突きつけたという心臓。
 それが一突きに刺されている。
 刺した相手は十中八九――メイ・キリエだ。
 グラディスの両手に握られたままのレイピアが、それを物語っていた。
 彼はここでキリエと対峙し、そして敗れたのだ……。
「何でだよ……」
 ユージンは涙が溢れてくるのを堪えられなかった。
 ――俺は……間に合わなかったんだ!
 怒りと哀しみと後悔がごちゃ混ぜになって胸を突き上げる。
「何で、おまえが死ぬんだよっ!」
 まだ温かいグラディスの頬に手を触れたまま、ユージンは絶叫した。
 ――俺が殺したんだ。
 自責の念が沸々と込み上げてくる。
 自分がシアの玉座を目指したがために、グラディスは生命を落とす羽目になったのだ。
 全ては自分のせいだ。
 徐々に冷たくなってゆくグラディスの頬。
 既に手遅れであることを改めて痛感し、ユージンは全身をわななかせた。
「退け、小僧」
 突如として視界の端で紅いマントが翻った。
 ユージンはゆっくりと顔を上げた。
 涙に濡れた視界の中に、ガレルの無表情な顔が見えた。
 クシュカ族を片付け終えて、ここへやって来たのだろう。
「何もする気がないのなら――諦めたのなら、その場を譲れ」
 ガレルはぞんざいにユージンを押しのけると、グラディスの傍らに跪いた。
 ガレルの掌が負傷したグラディスの肩と胸にそっと押し当てられる。
「嘆くだけなら邪魔だ。貴様ではクローディア様を助けることなど到底不可能だ」
「クローディアって何だよ? 誰だよ? クローディアなんて……俺は知らない!」
 ユージンはガレルの行為を茫然と眺めていた。
 支離滅裂な言葉が口から飛び出す。
 クローディア――それがグラディスの本名なのだろう。
 そして、自分は紛れもなくその名を知っていた。
 クローディア・ロンデル。
 若き公爵。
 アダーシャの王冠に最も近い男。
 彼の顔を見たことはなくとも、ロンデル公爵の名はアダーシャに住む者なら誰だって知っている。
 ――俺は馬鹿だ。底なしの馬鹿だ。
 ユージンは強く拳を握り締めた。
 三年間、ともに過ごした友人が誰であるかも知らずに生きてきたのだ。
 グラディスがロンデル公爵だと気づいていたら、星戦勃発後の危険なシアなんかに連れてはこなかったのに……。
 そこまで考えて、ユージンは唇を噛み締めた。
 ――俺は卑怯だ。今のは言い訳だ。詭弁だ。
 グラディスの正体を知ってから悔やんでも仕方ないのだ。
 彼が何者であろうと、巻き込んでしまった事実は変わらない。
 それによって彼が生命を失ったのも、自分の責任だ。
「私が言うのも妙な話だが、クローディア様は自らの意志でシアを訪れた。おまえが気に病むことはない」
 ユージンの心を見透かしたように、ガレルが淡々と告げる。
 彼は気の毒そうな視線をユージンに投げると、何事か呪文のようなものを口ずさんだ。
 ガレルの掌が淡い紫色の光に包まれる。
「――魔法で助けられるのか?」
 ユージンは縋る想いで魔法剣士の所業を見守っていた。
「……解らん。傷口は塞いだが、魂が離れてしまっている」
 ガレルは眉間に深い皺を刻んだ。
 彼はしばし無言でグラディスの青白い顔を見つめた後、徐にグラディスの片手からレイピアをもぎ取った。
 レイピアの切っ先を己の掌に押し当て、躊躇うことなく刃を突き刺す。
 彼は表情一つ変えずにレイピアを引き抜くと、もう一方の手でグラディスの口を開けた。
 レイピアで穴をあけた手をその上へ持っていき、傷を抉るように拳を握り締める。
 血の筋がグラディスの口内に流れ込むと、ガレルは再び長い言霊を紡いだ。
「魔法剣士は反魂の呪も唱えられるのね。グラディスは――甦りそう?」
 レイジィが不安げに問いかける。
 ガレルはゆるりと首を横に振った。
「クローディア様次第だ。……この禁じ手を遣うのは二度目だからな。クローディア様の魂は、戻ることを激しく拒絶するかもしれない」
 ガレルが自嘲気味に告げ、握り締めていた拳を開く。
 不思議なことにレイピアであけたはずの傷口はすっかり塞がっていた。
「クローディア様、どうかお戻り下さい」
 グラディスの額に手を添え、ガレルが切に願う。
 しかし、グラディスの抜け殻には何の変化も見受けられなかった。
「これで駄目なら、私にはもう何も打つ手はないな」
 ガレルの顔に悲しい微笑が浮かぶ。
 彼は名残惜しげにグラディスの髪を撫でると、二本のレイピアに付着した血を己のマントで綺麗に拭った。輝きを取り戻したレイピアを主人の鞘に丁寧に納める。
「あなたはお望みでないかもしれませんが――帰りましょう、アダーシャへ」
 ガレルの両腕がグラディスの身体を抱き上げる。
「グラディスをどうする気だよ?」
「いつまでも、ここへ置いておくわけにはいかない。陛下にも報告しなければならないし、ご生家へ連れて帰る」
「待てよ。もう少し傍に――」
 ユージンは立ち上がり、反射的に手を伸ばしていた。
 しかし、ユージンの手がグラディスに触れるより早く、ガレルがさっと身を引いた。
「触るな。本来ならば、おまえ如きが傍に寄ることも許されぬ貴き御方だ」
 ガレルの冷徹な双眸がユージンを戒める。
「ロンデル公爵クローディア様はお亡くなりになられた。近いうちに、長患いの末に病死した、と正式な布告がなされるだろう。いいか、小僧。クローディア様は死んだ。グラディスなどという若者は、初めから存在しなかった。――早く忘れろ」
 あらかじめ決められていた台詞を読み上げるように、ガレルの言葉は淡然としていた。
「忘れられるわけないだろっ! グラディスは俺のたった一人の親友だったんだぞ!」
 不意に猛烈な怒りが込み上げてきて、ユージンは喚いた。
 涙は止まっていた。
 ただ悔しくて仕方がなかった。
 自分が三年間一緒に過ごしてきたグラディスの存在が、いとも容易く抹消されるなんて耐えられない。
「オイ、グラディス! 俺の声が聞こえてるなら戻ってこいよ! いつまでも死んだ振りなんかしてるなよっ」
 ユージンはガレルの制止を振り切って、グラディスの胸倉を掴んだ。
「グラディス! 頼むから戻ってきてくれよっ。おまえ、俺が王になるのを見届けてくれるんだろ? 約束破るなよっ。なあ、グラディス……グラディス、グラディス!」
 胸倉を揺さぶりながら、友人の名を絶叫する。
 転瞬、ガレルの腕の中でグラディスの身体がビクッと大きく仰け反った。



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