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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Tue
2009.10.06[08:48]
選択



 暗闇の中で目を醒ました。
 瞼をはね上げても見えるのは闇のみ。
 いつもの目醒め。
 慣れた光景だ。
 ――ああ……私は目醒めてしまったのですわね。
 イル・アナンは重い溜息を落とし、静かに上体を引き起こした。
 木の軋む音が耳を掠める。
 全身には柔らかい布の感触が纏わりついていた。
 どうやら自分は寝台に横たわっていたらしい。
 手探りで毛布を足元の方へ押し遣り、また溜息をつく。毛布の手触りは紛れもなく本物であり、現実のものであった。
 ――ずっと目醒めなくてもよかったのに……。
 目を醒ますということは、否応なしに厭わしい現実と相対しなければならないということだ。
 ――あの人は、もう何処にもいないというのに。
 自分を庇い、メイ・キリエの餌食になったグラディス。
 己の軽はずみな行動が彼を死に致らしめた事実に、アナンは甚大な衝撃を受けていた。
 生まれて初めて好きになった相手を失ってしまった。
 もう二度と彼に逢えないのだ、と想うと胸が激しい痛みを発した。
 アナンは片手で首飾りを握り締めた。
 グラディスと共に過ごした僅かな日々が脳裏を駆け抜けてゆく。
 ――私にもっと勇気と決断力があれば……。
 この首飾りを贈られた時に自分の心情を吐露していれば、グラディスが死ぬことはなかったのかもしれない。
 別の未来が拓けていたのかもしれない。
 悔やんでも悔やみ切れぬ想いに、アナンは首飾りを握る手に力を込めていた。
 悲しくて辛いのに、なぜか涙は出てこなかった。
 ただ、胸にぽっかりと大きな穴があいたような喪失感があるだけだ。
「――起きたのか?」
 不意に、メイ・キリエの声が聴覚を刺激した。
 キリエが傍にいることを察した途端、アナンはきつく眉根を寄せていた。
 不快感と嫌悪感が胸の裡で鎌首をもたげ始める。
 グラディスの生命を強奪した張本人が身近にいる――それだけで激しい苛立ちを覚えた。
「ここは、どこですの?」
 アナンはキリエの気配を感じる方に顔を向け、素っ気なく問いかけた。
「ファーゴの宿屋だ」
 簡素な答えが返ってくる。
 キリエはグラディスを殺害した後、アナンを連れてグスタクの隣町ファーゴまでやって来たらしい。
「それでは、セラシアはもう間近ですわね。私など要らぬお荷物でしょう。ここで解放して下さい」
 アナンは硬い声音で言葉を紡いだ。
 ファーゴを出て北にあるハヌルの街を抜ければ、その次はセラ大神殿が聳える王都セラシアだ。
 キリエの身を脅かす危険は少なくなるはずだ。
 アナンが同行する必要もない。
 そもそも星守人を連れているからといって、彼に特別な利益があるわけでもないのだ。新王を選ぶのは、星守人ではなく国王の星なのだから。
「何を言うかと思えば、馬鹿なことを。おまえにはセラ大神殿まで一緒に来てもらう」
 キリエの冷笑混じり声が妙に気に障り、アナンは更に顔をしかめた。
「私を連れて行ってもあなたの役には立ちませんわ。私にできることは何もありません」
「おまえは《神の眼》の持ち主だ。おまえを連れて大神殿へ赴けば、王都の民は私が《神の眼》に選ばれた人間だと認めるだろう。新王に相応しい――と納得もするだろう」
「……愚かなことを。私は人の裡にある星の輝きを視ることができるだけですわ。あなたには確かに輝きがあります。ですが、新王たる器量があるかどうかを見定めるのは国王の星――延いてはセラに他なりません。私があなたに同行することは全くの無意味なのです」
 キリエを突っぱねるように冷然と告げる。
「いずれおまえはセラ大神殿に戻り、星守人として私の星を護ることになる。私は王になる人間だ。懇意にしておいて損はないと思うぞ」
 キリエを気配がすっと近寄ってくる。
「折角手に入れた《神の眼》だ。手放すつもりはない。その価値は存分に利用させてもらう」
 キリエの冷たい手がアナンの手首を握る。
 アナンは反射的にその手を振り払っていた。
「離して下さい。私はあなたに遣える星守人になる気はありません」
 アナンは猛烈な怒りを感じて、視えぬ目に力を込めてキリエを睨んだ。
 激しい憎悪が胸中に渦巻いていた。
 初めて感じる強い憤怒。
 グラディスを失った哀しみよりも苦しみよりも、キリエに対する憤懣が何より先に立った。
 グラディスを殺めたキリエを、どうしても許すことのできない自分がいた。
「あなたが王になったとしても、私はグラディスの生命を奪ったあなたの星を護ることなど到底できません。それぐらいなら、今ここで星守人あることを辞めますわ」
 アナンは凛然と宣言し、己が左目に手を伸ばした。
 歯を食いしばり、躊躇いを振り切って指を左目に突き入れる。
 言い表しようのない激痛を感じたが必死に堪え、眼窩の奥にまで指を差し込んだ。
「何をする気だ?」
 キリエの声に狼狽が混じる。彼の手が素早くアナンの左手を掴んだ。
 アナンは右手でそれを払い除けると、すっくと立ち上がった。
「もっと早くに、こうしておけばよかったのですわ。《神の眼》など、グラディスの存在に比べれば大したものではありませんのに」
 アナンは眼球を指で掴み、眼窩の外へと引っ張り出した。
 熱い液体が眼窩から溢れ出す。
 気を抜けば失神してしまいそうな激痛に負けじと、心を奮い立たせて眼球を視神経から切り離した。
 その瞬間、残された右目に光を感じた。
 突如として視界に光が射し、見知らぬ世界が出現したのだ。
 目の前に愕然と立ち尽くす男がいる。
 それがメイ・キリエなのだろう。
 星刻を失った途端、通常の視力が生じた――世界が生まれ変わった。
 しかし、アナンの心には何の感慨も湧いてはこなかった。
 目が見えるようになった喜びよりも、キリエに対する怒りと憎悪が心を占めている。
「あなたが玉座を目指すのは、あなたの自由ですわ」
 アナンは己の左手に視線を注いだ。
 初めて目にする自分の手は、不気味な体液にまみれている。
 おそらくこれが血であり、赤という色なのだろう。
 眼球を失った眼窩からも同様のものが流れ落ちている。
「それほど玉座が欲しければ――星が欲しければ、持ってゆけばいいのですわ。私にはもう不要なものです」
 アナンは疼くような左目の痛みに耐え、前に進み出た。
 険しい表情で佇んでいるキリエの片手を取り上げ、その掌にもぎ取ったばかりの左目を乗せる。
「あなたは、私から星よりも大切なものを奪ってしまったのです」
 悄然と呟き、アナンは部屋を後にした。
 キリエが追ってくる気配はない。彼の傍に控えているであろうクシュカ族の姿も見えない。
 星刻を失くした星守人になど利用価値はない、とキリエは判断したのだろう。
「グラディス――」
 キリエから離れた途端、右目から涙が零れ落ちた。
 張り詰めていた緊張感が解け、哀しみが胸を満たす。
 この世に星よりも大切な存在があることを初めて知った。
 だが、気づいた時には、それは疾うに自分の手の届かぬところへ行ってしまっていた……。
 皮肉な結末だ。
 己の心に素直になれない愚かな自分が招いた、呆気ない幕切れだった。
 自分にとって何が大切なのか見極められなかったことに、怒りすら感じる。
「私は……こんなにもグラディスに惹かれていたのですわね」

 ――帰ろう、グラディスの元へ。

 アナンは心を蝕む悲哀を強引に封じ込めると、前を向いて歩き始めた。


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