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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Wed
2009.06.03[20:34]
「誰か……呼んだか?」
 徳川直杉は呻くような声を唇から滑り落とし、瞼を震わせた。
 全身にひどい怠さを感じたが、それを堪えてゆっくりと目を開く。
「今、誰か私を呼ばなかったか?」
 朦朧とする意識の中で、誰かの悲痛な叫びを聞いたような気がした。
 しかし、疑問に応じる者は誰もいない。
 直杉は静かに起き上がり、軽く頭を振った。
 微かな頭痛が残っている。
 奇怪な夢の中で、何人もの母親を斬ってきた。
 斬った数が百を超えた時、直杉は 数えることを放棄して母を抹消することだけに集中した。
 無限に続くかと思われた幻影地獄は、それから程なくして終焉を迎えた。
 何人目かも解らぬ母を一刀両断に斬り伏せた瞬間、突如として夢から醒めたのだ。
「……母上」
 直杉は顔を覆う不快な冷や汗を拭おうと、片手を頬に当てた。
 そこで初めて気がついた。
 己の双眸から溢れ出す涙に。
「私は……泣いていたのか?」
 信じられない思いで、己の掌を見つめる。
 薄闇の中でも手に付着した液体の輝きを確認することができた。
 夢がこんなにも現実の肉体に影響を及ぼすとは意外だった。
「そうだ。さっき誰か私を呼ばなかったか」
 直杉は急に現実に立ち返り、慌てて涙と汗を一緒に拭った。
 既に母を斬った幻夢は遠い出来事と化している。
 自分があんな目に遭ったということは、他の三人も同じような窮地に立たされていると考えるのが妥当だろう。
 ――早く三人を助けなければ。
 自分が最も早く水妖の心理攻撃から脱しただろうと、直杉は見当をつけていた。
 武道を嗜む己の精神力が他者より勝っている自覚と自信があった。日頃の鍛錬の賜物だ。
「確か、園田が近くにいたはずだ」
 直杉は素早く四方に視線を走らせた。
 闇に順応し始めた目は、容易に園田充の姿を捉えた。
 充はすぐ間近に横たわってる。
 先刻までの自分同様、意識を失っているようだ。
 直杉は傍に歩み寄り、充の顔を覗き込んだ。
「……うっ! やめ……ろっ……」
 充の唇から苦悶の呻きが洩れる。
 水妖の紡ぐ悪夢に心を苛まれているのだろう。
「しっかりしろ」
 直杉は、顔を歪めた充の頬に片手を添えた。
 冷たい汗がびっしりと肌を覆っている。
「起きろ、園田」
 何度か軽く頬を叩いてみるが、充に目醒める気配はない。
「おい、私の声が聞こえるか?」
 根気よく呼びかけ続ける。
 すると、充が苦しげに口を開いた。
「つっ……。じゅり……」
「――む? 田端だと?」
 直杉は訝しさに眉をひそめた。
 ――どんな悪夢に取り込まれているのだ?
 そんな疑問が脳裏を掠めた瞬間、充の手が伸びてきて直杉を力任せに引き寄せた。
 驚く間もなく、唇に充のそれが重ね合わされる。
 今度こそ、直杉は驚愕に目を剥いた。
 充は意識がないくせにしっかりと直杉の首に手を回し、深く口づけているのだ。
 珍しく狼狽した直杉は、充の身体を乱暴に突き放した。
 唖然とその顔を凝視する。
「じゅ……り……」
 充の口がもごもごと呟きを発する。
「このっ……腐れ外道がっ!」
 一瞬後、直杉の焦燥と羞恥は猛烈な怒りへと変じていた。
「園田の阿呆! 私は田端ではないぞ!」
 渾身の力を込めて、直杉は充の頬に平手を食らわせた。



 
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