ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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『泣かないで。わたしが傍にいるから』 
 水柯が半透明の指で樹里の涙を拭う。
『わたしだけはずっと樹里の傍にいるわ』
「やめろ」
 低く呟き、樹里は水柯の手を払った。
 水柯の顔に不思議そうな色が浮かび上がる。
 そうかと思うと、急に『いいことを思いついた』とでもいうように瞳を輝かせた。
 眼鏡を外し、誘うように艶やかな笑みを向けてくる。
『ねえ樹里、知ってる? わたし、樹里のことが好きなのよ』
 水柯が艶然と微笑む。
 それは、本物が浮かべる快活な笑みとはかけ離れた、妖しげな色気を漂わせる微笑だった。
 明らかに《女》を意識した艶笑だ。
 樹里は背筋が粟立つのを禁じ得なかった。
 こんな水柯など知らないし、見たくもない。
 樹里は強く歯噛みし、偽者の水柯を睨めつけた。
 水柯が自分に恋心を抱いているのは知っている。
 樹里も水柯のことは嫌いではない。
 女嫌いではあるが、水柯だけは特別だと想っている。
 だが、水柯の気持ちに応えることは長年避け続けてきた。
 彼女の溢れんばかりの想いに気づかない振りをしてきた。
 ――怖かった。
 樹里が水柯の気持ちに応えた瞬間、彼女が母と同じ《女》に変貌することが。
 樹里は、出逢う女性全てに母と同じ《化け物》を連想してきた。
 水柯も例外ではない。
 女性に対する激しい偏見になるのだろうが、子供の頃からサラという怪物を目の当たりにしてきた樹里には、容易に拭い去ることのできぬ心の痼りだった。
 女は魔物。
 魔性の生き物だ。
 水柯とサラは同類ではない――頭では理解していても感情が追いつかない。
 いつか水柯も化け物になってしまうのではないか、という懸念が心から離れない。
 だから、彼女の気持ちを素知らぬ顔でかわし続けてきた。
『わたしは、樹里のことが好き』
 水柯が熱っぽい眼差しを注いでくる。
 痛烈な悪夢が目の前で展開されていた。
 今まで故意に回答を避けてきた事柄について、水妖は水柯の幻を使って迫ってきているのだ。
 本物の水柯に責め立てられているようで、生きた心地がしなかった。
『もう幼なじみでいるのは嫌なの。樹里、わたしを見て。わたしを認めて。わたしは女なのよ。幼なじみのわたしじゃなく、女としてのわたしを愛してよ』
 水柯が哀願しながら樹里の肩に手を伸ばしてくる。
 女を誇示し、それを武器として迫ってくる水柯の姿など正視に耐えない。
 嫌悪感が胸の最奥から這い上がってきた。
 現実の水柯も、同じようなことを考えているのだろうか?
 それを想像するだけでも、おぞましさが倍増した。
 やはり水柯も母と同じ生き物なのだ。
 不意に、この場から逃げ出したい衝動に駆られた。
『逃げないで。ちゃんと答えて』
 しかし、逃げることは水柯が許さなかった。
 彼女の両手が素早く樹里の頬を捕らえたのだ。
 身体を硬直させた樹里に、水柯の顔が接近してくる。
『樹里が好き。大好き。だから、樹里もわたしを好きになって。わたしを愛して』
 恍惚とした表情で囁き、水柯は樹里の唇に自分の唇を重ねてくる。
 樹里の心は一気に混乱した。
「おまえなんて水柯じゃないっ!」
 反射的に樹里は水柯を突き飛ばしていた。
 その衝撃のためか、水柯の姿は青白い波紋を生じさせながらドッと崩れ落ちた。
 樹里は肩で息をしながら、水柯の幻が消え失せるのを見据えていた。
 だが、安堵したのも束の間、青白く輝く物体は別の人間を作り始めたのだ。
 完成したのは、またしても女性だった。
 樹里は驚愕に息を呑んだ。
 次なる水妖の刺客は、異彩の麗人として名高い徳川直杉だったのである。
『水柯を突き飛ばすとは、田端らしくもないではないか』
 形の良い唇に冷笑を刻み込み、直杉が颯爽と歩み寄ってくる。
 唇だけで表現する特徴的な微笑は、本人そのものだ。
『何を畏れている?』
 直杉が薄笑みを浮かべたまま、長身を流麗な動作で屈める。
 黒曜石のような双眸に見つめられた瞬間、樹里の頬を冷たい汗が滑った。
 幻想の直杉からは、常よりも厳しい威圧感が放出されているような気がする。
 その凍てつくような雰囲気に気圧された。
『おまえは前々から私のことを嫌っているようだな。私を避けるような態度をとる』
 直杉の麗容に悪意に満ちた笑みが広がる。
 毒々しい笑みさえも、彼女の美貌を際立たせるために存在しているようだった。
『まあ、それは構わぬ。おまえに好かれても仕方のないことだからな。ただ、一つだけ言ったおきたいことがあるのだ』
 抑揚のない声で言葉を紡ぐと、直杉は急に樹里の手を取った。
 冷気を纏ったような肌の感触が、掴まれた手を介して伝わってくる。
 樹里は直杉から逃れようと身を仰け反らせた。
 しかし、直杉は樹里を離そうとはしない。
『おまえは私を女と見なしていないようだが――私は紛れもなく女だぞ』
 悪魔の如き冷笑を湛えながら、直杉は樹里の掌を自らの胸に押しつけた。
「ふざけるなっ!」
 樹里は慌てて手を引いた。
 直杉の胸は、その外見からは想像もできないほどの豊かさを保っていたのだ。
 柔らかい胸は、女であることを露骨に主張していた。
『ふざけてなどいない。私は女だ』
 徐に、直杉が唇を寄せてくる。
 逃げることも忘我し、畏怖に身を竦める樹里の唇に直杉の唇が触れる。
 水柯の時と同様に、生理的嫌悪が電流のように全身を駆け巡った。
 両手が条件反射のように直杉の存在を排除しようと動く。
「おまえも……偽者だ。徳川じゃないっ!」
 樹里は渾身の力を込めて直杉を突き放した。
 半透明の直杉が数メートル後退し、そこでドロリと崩壊する。
 青白く輝くアメーバのような物体が、光の粒子を撒き散らしながら暗闇の中で蠢いた。
 妖しく身体を波打たせながら、それは三度、別の人型を構築しようとしていた。
 青白い塊が縦に長く伸び上がる。
「……やめろっ!」
 抑えきれない恐怖に樹里は喚いた。
 精神には限界が忍び寄りつつある。
「頼むから、やめてくれっっ!!」
 考えるまでもなく解ってしまった。
 次に現れる人物が誰であるのか。
 もう、やめてほしかった。
 自分の精神を汚すのも、大切な者たちを利用するのも。
 再び涙が滂沱と化して頬を伝う。
 樹里は、徐々に形を整えてゆく青白い物体を慄然と見つめていた。
 程なくして、新たな刺客が出来上がる。
『樹里、泣いてるのか?』
 心配そうに樹里を見遣り、刺客――園田充は端整な顔をしかめた。
「みつ……る……」
 言い表しようのない敗北感が心に重くのしかかる。
 そこへ恐怖と絶望がブレンドされた。
 親友の姿さえも利用する水妖が、とてつもなく恨めしかった。
『泣くほど女が嫌いなのか?』
 充が長い足を軽やかに動かして傍へやってくる。
 樹里の思考回路は、自衛手段をとったように働くことを放棄し始めていた。
 ――もう何も考えたくない。
 精神の一部が狂いかけている。
『女が怖いのか?』
 樹里の沈黙を肯定と受け取ったのか、充は満足げに微笑んだ。
『ヤツらは魔物だ。だから、無闇に近づいちゃいけないんだ』
 満面の笑みを浮かべたまま、充は樹里を両手で抱き締めた。
『でも、俺は違う。女たちのようにおまえを傷つけたり、裏切ったりはしない。俺は、いつだって樹里の味方だ。ホントは女なんて大嫌いなんだ。俺には樹里さえいればいい』
 充の指先が樹里の頬に触れ、次に唇を滑る。
「……充」
 樹里は喘ぐように親友の名を呼んだ。
 底知れない無力感を感じる。
 心身に蓄積された疲労が樹里を蝕んでいた。
 何も考えずに悪夢に身を委ね、水妖の意のままに精神を堕落させ、自分を砕いてしまえばいいのだ。
 そうすれば楽になれる。
 二度と、この苦痛を味わわなくて済む。
 ――このまま壊れてしまえ。
 樹里は、拡散し始めた意識の中で漠然とそう思った。
 自暴自棄で投げ遣りな気分に陥る。
 だから充に唇を吸われても、抗うことさえしなかった。
 相次ぐ水妖の幻術のせいで、その余力も残されてはいない。
 充が深く口づけてくるのに合わせて、樹里は瞼を落とした。
 ――夢ならば早く醒めてほしい。

     *



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2009.06.03 / Top↑
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