ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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 懐かしい気配を感じて、一条龍一は重い瞼を押し上げた。
 全身は酷く怠く、痛みに苛まれている。
 それでも、自分によく似た氣を感じた途端、自然と意識が刺激された。
 ――龍一。
 玲瓏たる兄の声が脳内に響く。
 龍一は重い頭を持ち上げて、前方を見つめた。
 乱れた金髪の隙間から見える視界の中――兄の姿を認めた。容姿の色彩は漆黒に塗り替えられているが、如月祐介の向かいに佇んでこちらを見つめているのは、兄の遙に相違なかった。
「――兄上!」
 遙の姿を認識すると、自然と喉の奥から叫びが込み上げてきた。
 またしても兄に迷惑をかけている不甲斐なさ、自分を助けに来てくれた兄に対する感謝と愛情が相俟り、激しく胸を衝く。
 今も昔も――自分は兄のことが大好きなのだ。
 兄が『神族一の美姫』と謳われた女性であった時代から、それは不変のものだ。姉であり兄であった遙を敬愛し、信頼している。
「兄上……!」
 今すぐにでも駆け寄りたいが、両腕を男たちに押さえられているので身動きがとれない。
「放してやれ」
 如月が簡素に命令を下す。すると彼の部下たちは呆気なく龍一を解放した。
 一気に支えを失い、龍一の身体はよろめいた。
 肉体は思いの外に衰弱しているらしい。有馬美城という濃い神族の血を流し込まれ続けたせいで、魔力が薄れ、身体機能が麻痺している。明らかにオーバードーズだ。適度に吸血するなら最高のエネルギーなのに、無理矢理給血され続けると毒と化す。新発見だが、想像もしていなかった反応だ。
「龍一!」
 遙の真摯な声が耳に届けられる。
 次いで、白い腕が優しく龍一を抱き留めた。どうやら兄の方から自分に歩み寄り、ふらつく身体を支えてくれたらしい。
「こんなにやつれて……可哀想に」
 龍一の顔色を確認して、遙が痛ましげに表情を曇らせる。
「走れるくらいの余力はあるかい?」
 遙は龍一を抱き寄せると、耳元でそっと囁いた。
 背中に回された遙の掌は常よりも温かい。己の魔力を掌から龍一の体内へと注ぎ込んでくれているのだ。それを示すかのように、身体の裡が熱を帯び始める。身を苛んでいた寒気が和らぐと、弱っていた足腰にも少しだけ力が戻ってきた。
「……走るくらいなら大丈夫そうです」
 龍一は幾分不安げに答えた。如月が遙も龍一も大人しく帰してくれるとは到底考えられない。
「では、私が合図したらここを出なさい」
「ですが、兄上は?」
「私のことより他に案じるべき人がいるでしょう。今は如月の魔手から逃れることだけを考えなさい。あなたを必要としている人のために――」
 静かな口調で遙が諭す。
 間近にある兄の顔には、穏やかな笑みが広がっていた。
 何かを決意した者独特の達観した笑顔だ。
 遙は龍一の身体を引き離すと、その手を引いて元々立っていたソファの辺りへ移動した。
「約束通り龍一は返してもらいます」
 遙が如月を見つめ、毅然と宣言する。
「君が残る――と約束したからな。弟のことは好きにしろ。ただし、この屋敷から無事に出られる保証はないけどな」
 如月の顔に意地の悪い微笑が浮かぶ。
 同時に彼の部下たちが動き出す。
「行きなさい、龍一」
 遙の手が如月から龍一を遠ざけるように背中を押す。
「外に蓮と――風巳が待っています」
 兄の言葉を聞いた瞬間、龍一は驚きに目を瞠った。こんな状況にも拘わらず胸に喜びが芽生えてしまう。
 風巳が傍にいる――それは喩えようもなく嬉しいことだ。だが、敬愛する兄を一人、如月の元へ残すことは躊躇われた。兄に対する心苦しさが龍一の足を重くする。
 そんな龍一の心を見透かしたように、
「私は大丈夫です。早く風巳に顔を見せてあげなさい」
 遙は静穏な声音で告げた。
 もう一度背中を強く押される。
 遙の指先から溢れた黄金色の輝きが龍一の全身を包み込む。遙が己の魔力を再度分け与えてくれているのだ。先ほどよりも性急に力が体内に流入される。
 瞬く間に生気が甦り、肉体の疲労も払拭された。
 フワリと長い金髪が宙に舞う。意識を集中させると、金色の髪はいつも通りの長さに変じた。
 ――力が戻った。
 八割方魔力が満ちた時、遙の掌が龍一の背を強く突いた。
 反射的に龍一は、リビングの窓を目指して床を蹴った。
 両腕で顔を庇うようにして窓を突き破る。
 硝子の砕ける硬質的な音が響き、身体が外気に触れる。
 ――兄上……。
 着地した瞬間、龍一は一度だけ如月邸を振り返った。遙はやはり穏やかな表情で龍一を眺めている。しかし、その蒼き瞳には引き返すこと許さないような強い光が宿ってた。
 龍一は意を決して兄から視線を外した。
 広い庭の何処かから生物が腐ったような異臭が流れてくる――魔魅だ。
 如月が飼い慣らしている魔魅たちを解放したのだろう。夜の闇に紛れて複数の魔物たちの気配がこちらへ近づいて来ている。
 下級魔の息遣いを察知するなり龍一は再び駆け出してた。
 遙のことは気懸かりだが、如月邸に戻っても兄は決して喜ばないだろう。それは、兄の願いや想いを踏みにじることにもなるのだから……。
 魔魅が襲いかかってくる前に如月邸を脱するのが最善の選択だ。
 龍一は如月邸と外界を隔てる塀へと向かって迷わずに駆けた。兄が分け与えてくれた魔力は、おそらく一時的なものだ。蘇生後の不具合、そして如月によって大量投入された有馬美城の血液による汚損が解決されたわけではない。兄の魔力を使い果たした時、龍一の身体は再び苦痛に苛まれるだろう。
 その前に、何としてでも辿り着かねばならなかった。三条風巳の元へ。
 ――風巳様が近くにいる。
 自らの血を分け与えて大切に育ててきた若き主人。彼の姿を脳裏に思い描くと、それだけで胸に温かな光が満ちてきた。
 ――もうすぐ、あの人に逢える。
 いつの時代でも龍一は、それを心待ちにしていた。
 幾度も擦れ違い、時には廻り逢えることすらない時代もあった。だが、それでも龍一は転生する度に彼の姿だけを捜し求めてきた。
 出逢っても何らかの事由によって、結局は結ばれることもなく生命の終わりを迎える。
 そんな虚しい結末ばかりを繰り返してきた。
 現世でもそうだと思い込んでいた。
 如月の魔魅によって心臓を貫かれた時、今生でも『やはりこれが運命なのか』と諦観した。何度転生しても彼と想いを添い遂げることは出来ぬのだ、と――
 ――だけど、違う。私は過去世の不幸な想い出に囚われ、悲劇に酔い痴れていただけなのかもしれない。
 かつて自分が《一条の姫》と呼ばれていた頃から彼に惹かれ、恋に堕ち――引き裂かれてきた。しかし、今生では何かが微妙に異なる。一度死しても猶、再び彼に廻り逢うことが叶おうとしているのだ。
 ――あの人に逢いたい。
 身の裡から湧き上がる強烈な想いが、龍一を衝き動かしている。
 運命とはただ流れに身を委ねるのではなく、自分の手で切り拓くものなのだ。
 永い刻を経て、ようやくそこに思い至った。過去の己は疑うことなく悲運を享受し、足掻くことを放棄していたに過ぎない。
 ――あの人に逢ったら、遙か昔の想いを伝えよう。
 永い眠りに就く前に、《一条の姫》の想いをちゃん伝えなくてはならない。
 今度転生した時には自分は女性で、もう一度《姫》として生きるのだ。
 その時には《一条龍一》という自我は消え失せているかもしれない。
 けれど、彼は必ず自分を見つけてくれるはずだ。
 昔々、三条の若と一条の姫は互いに惹かれ合い、深い恋に堕ちたのだ――と《妖鬼伝》に綴られているのだから……。
 いつしか龍一の頬を熱い液体が伝っていた。
 嬉しいのか哀しいのか、自分でもよく解らない。解るのは、ただ無性に彼に逢いたいということだけだ。
 背後に数多の魔魅の気配を感じるが、気にせずに龍一は跳躍した。
 高い塀の上に立った瞬間、
「龍一!」
 耳にするだけで心を揺さぶる声が自分を呼んだ。
 声に導かれるままに首を巡らせると、道路に駐めてある自動車から一人の少年が飛び出してきたところだった。
「――龍一!」
 三条風巳が真摯な眼差しでこちらを見上げ、両手を差し出す。
 彼の姿を視野に認めた瞬間、不覚にもまた目頭が熱くなった。
 視線が絡み合った時、改めて悟った。彼という存在そのものが、己にとってどれだけ大切なのか。
「風巳様――」
 龍一は涙を拭わずに微笑むと、逡巡することなく塀から飛び降りた。
 風巳の腕が優しく龍一を受け止める。
 龍一は風巳の背に両手を回すと、その存在を確かめるように彼をひしと抱き締めた――


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2011.08.28 / Top↑
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