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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Sat
2009.06.06[16:31]
     *


 視界に母の傷ついた姿が飛び込んでくる。
 予期せぬ光景に直面し、田端樹里はハッと目を見開いた。
 意識を取り戻した瞬間、サラの身体が吹き飛ばされるのを目撃してしまったのだ。
「……母……さん?」
 樹里は、母の華奢な身体が泥水に叩きつけられるのを茫然と眺めていた。
「樹里を……返して」
 何がそうさせるのか、サラは泥の中から懸命に身を起こし、苛烈な眼差しで水妖を見据えた。
 気高く美しく、己の美貌を誇りにしている母が、泥まみれになりながらも地を這うようにしてこちらへ向かってくる。
「樹里を返して……返してよっ!」
 サラが泣き喚きながら、水妖に――樹里に向かって手を伸ばす。
『この子は、わたしのもの』
 水妖が樹里を抱く手に力を込める。
「離せ!」
 樹里はようやく水妖に捕らわれている事実に気づき、慌てて身じろぎした。
 しかし水妖の力は尋常ではなく、全く振り解けない。
 彼女は鋼のような強靱さで樹里を束縛していた。
「樹里は私の息子よ。私と忍の――大切な息子なのよっ!」
 サラが臆した様子もなく水妖を睨み、激白する。
「愛してるのよ、樹里。私のところへ戻ってきて。お願いよ」
「……嘘だ」
 樹里は大きく息を呑み込んだ。
 急にそんな告白をされても、信じることなどできない。
 素直に信じるには、放置された時間はあまりにも長すぎる……。
「嘘じゃないわ。あなたは、私と忍を繋ぐたった一つの架け橋――宝物なのよ。あなたを失ったら、私は生きてはいけないわ!」
「嘘だ! 僕が産まれた時、子供なんて産みたくなかった、って言ったくせに!」
「それは……否定しないわ。あの時の私は、若くて無知で愚かだったのよ。怖かったの。子供を産んだら、もう二度とモデルの仕事ができないんじゃないかって――」
 サラは悄然と地面に座り込んだ。
 だが、その翡翠の瞳だけはしっかりと息子に向けられている。
「やっぱり仕事の方が大切なんじゃないか」
「仕事は大切よ。でも、樹里と忍を愛しているのも真実よ。忍を愛してるから樹里を産んだんじゃない!」
「嘘だ……。嘘だ、嘘だ! 僕は信じない」
「お願いだから信じて。私は、あなたも忍も愛しているのよ!」
 サラが泣き叫ぶ。
 樹里はきつく唇を噛み締めた。
 今すぐには、サラを信じることなどできない。
 だが、母の言葉は、とても偽りだとは思えないほど真摯な響きを宿していた。
「……じゃあ、どうしてもっと早くに、そう言ってくれなかったんだよ」
「だって、樹里は一度も私の話を真剣に聞いてくれなかったじゃない……。いつだって忍の話ばかり聞いて、私の話なんて少しも聞こうとしなかったじゃない!」
「――――!?」
 サラの叫びを聞いて、樹里は言葉を失った。
 鋭利なナイフを突き刺されたような衝撃が胸に走る。
 サラの言い分は――正しい。
 樹里は忍の話ばかりを鵜呑みにして、サラのことなど全く見向きもしなかったのだ。
 ずっと一方的にサラを避け続けてきた。
 父親を疑いたくはないが、忍の語る言葉が百パーセント真実だとは限らないのに……。
 サラと忍の間に何があったのか、本当のところは所詮樹里には解らないのだ。
 非があるのは、自分も同じなのかもしれない。
 母親を不気味な怪物に仕立て上げたのは、他ならぬ自分なのかもしれない。
 後悔の念がひしひしと押し寄せてきた。
「お願い、樹里。家に帰って、三人でちゃんと話をしましょう。だから、戻ってきて」
 サラがプライドをかなぐり捨てて嘆願する。
 樹里の胸は鈍痛を発した。
 サラは自分を助けに来てくれたのだ。
 涙を流し、血を流してまで、水妖から自分を取り戻そうとしている。
 初めて見せる母親らしい姿だった。
「……解った。そっちに行く」
 樹里は母との和解を試みる気になった。
 いつまでも拗ねた子供のように意地を張ってはいられない。
 本当はもっと早く、自分から歩み寄ってみるべきだったのだ。
『何を勝手なこと言ってるの。あなたは、わたしの子供になるのよ』
 動きかけた樹里を、水妖が強い力で引き寄せる。
「離せよ」
 樹里は水妖を振り払おうと藻掻いた。
『嫌よ。あなたは、わたしと一緒に行くの』
 水妖は頑として樹里を離さない。
「流水、樹里くんを離してあげて!」
 蒔柯が、水妖に――流水に訴える。
「樹里くんは、あなたの子供でもなければ、聡さんでもないのよ」
『うるさいっ! 邪魔しないでよ!』
 怒号とともに水が唸りをあげた。
 水の鞭が邪魔者を排除しようと蒔柯に襲いかかる。
「ママ、危ない!」
 水柯が直杉から離れ、母を護ろうとその前に飛び出す。
「やめて、流水っ!」
 蒔柯が青ざめた表情で必死の叫びを放つ。
「水柯だけは駄目よ。殺しては駄目っ!」
 螺旋を描く水鞭が水柯と蒔柯に迫る。
「水柯は――流水の子供なのよ!」
 蒔柯の口から絶叫が迸る。
 ピタリ、と水の猛攻が止まった。
 中庭に存在する全てが凍てつく。
 時さえも止めてしまうような鋭利な一言だった。


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