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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Sat
2009.06.06[16:51]
「聖華学園にいたあの頃――私には館林流水という友人がいたわ。ピアノを弾くことが大好きで、いつも微笑みを絶やさない可憐な少女だった」
 蒔柯が昔を懐かしむように遠くに視線を馳せる。
『わたしにも親友がいたわ。名前は桐生蒔柯。綺麗で頭がよく――誰からも愛された利発的な生徒会長。わたしの自慢の友人だったわ』
 蒔柯の言葉を承けて、水妖も静かに語り始めた。
「私たちが二年の時、貴籐聡という美術教師が赴任してきたの」
『絵が大好きで、他人を傷つけることをひどく怖れる、優しい人だった』
「優しすぎるのよ、聡さんは……。結局、その優しさが他人を傷つけることになったわ」
 蒔柯が意味深に呟き、そっと瞼を伏せる。
「私は、出逢ってすぐに聡さんのことが好きになったわ。流水も、ね……。けれど、その時の私は、自分のことしか念頭になくて、流水の気持ちに気づかなかったのよ」
『わたしが口外しなかっただけよ。蒔柯に、貴籐先生のことが好きだ、と打ち明けられた時、わたしはただ笑って受け止めただけだもの。……わたしにも非はあるのよ』
 水妖が自嘲気味な笑みを湛える。
『わたしなんかより、ずっと行動力と決断力のある蒔柯は、何の躊躇いもなく先生に想いをぶつけたわ』
「流水が聡さんのことを好きだと知っていたら、告白なんてしなかったわ!」
『わたしには告白する勇気すらなかったのよ。でもね、身勝手な話だけど、先生が蒔柯の想いに応えたと知った時には、やっぱりショックだったのよ。羨ましかった。先生の傍にいる蒔柯が羨ましかった……妬ましかった!』
「……流水」
『何度も諦めようとしたのよ。諦めて、早く忘れなきゃって……。でも、できなかった。わたしには先生を忘れることなんて無理だった。想いを断ち切ることができなかった。忘れようとすればするほど想いは募って――ついには蒔柯を裏切ってしまったのよ!』
 痛切な叫びが水妖の口から放たれる。
 大きく見開かれた双眸からは涙が流れ落ちていた。
『冬の寒い日――あれは十二月だったかしら……? わたしは美術室で先生を脅迫したのよ。好きな人を脅すなんて、最低よね。それでも、わたしは先生が欲しかった。一度でいい――たった一度でいいから抱いて欲しい、って。抱いてくれれば先生のことは潔く忘れる。抱いてくれなきゃ美術室の窓から飛び降りて死んでやる、ってね。……先生は優しいから、わたしを抱いてくれた。優しすぎるから……愛情ではなく、同情で――』
「その時、妊娠したの?」
 水柯は半ば茫然としながら口を挟んだ。
 蒔柯と水妖が語る昔話が、妙に遠く――どこか別世界のお伽話のように聞こえる。
『ええ。信じられなかったわ。たった一度でまさか、って……。二年の終わりに病院で検査してもらったら本当に妊娠していて、自分でも驚いたわ。同時に、愛する先生の子供を身籠もったことが純粋に嬉しかった。先生の子供が欲しかった。どうしても産みたかった。だから、先生には嘘の報告をしたの。先生が蒔柯のために堕胎してくれ、って頭を下げるのが目に見えていたもの。だから嘘をついたの。妊娠したけど中絶したって』
「私も聡さんからそう聞いたわ。そして流水は、三年に進級する前に退学した……」
『誰にも知られずに、ひっそりと子供を産みたかったのよ。ピアノで子守唄を奏でながら、日々成長してゆくお腹の赤ちゃんを見守ることが、わたしの幸せだった。それだけでも充分幸せだったのに、欲が出たのね。先生が蒔柯のことを心から愛していると知っていてもなお、淡い期待を抱いてしまったの』
 噴水の縁に立つ水妖が頭上を仰ぎ見る。
 美術室の窓を見つめ、彼女は双眸を眇めた。
『子供が産まれれば、先生は蒔柯を諦めて、わたしを振り向いてくれるんじゃないかって。そんなの錯覚なのにね……。だけど、あの時のわたしは、それを考えると嬉しくて楽しくて、臨月を迎えたある日――もうすぐ赤ちゃんが産まれることを報告しようと、先生を夜の学園に呼び出したのよ』
「あれは、十七年前の今日――九月九日の夜だったわね」
『今思えば、馬鹿よね。出産してから先生に報告すればよかったのに。そうすれば優しいあの人は、きっとわたしを選んでくれたわ。でも、自分の考えに浮かれていたわたしは、出産予定日の直前に報告してしまったの』
「聡さん、流水が中絶していなかったことを知って、ひどく驚いていたわ。美術室に呼び出されたけれど、私にも一緒に来てほしい、って……」
『先生が蒔柯を連れて美術室に飛び込んで来た時、わたしの目の前は真っ暗になったわ。淡い期待は粉々に砕け散ったのよ。先生は、やっぱり蒔柯を愛していた。あの瞬間、希望は絶望に変わったのよ』
 水妖の眼差しが今度は噴水へと落とされる。
『先生と蒔柯が、わたしを責め立てる化け物に見えた。あなたたちから逃れようと、思い詰めたわたしは窓を開けて桟に乗り上がったの。そこでフッと下を覗いたらね、この噴水の水が、おいでおいで、って手招きしてたのよ。あの日も雲が多くて、月のない夜だった。手招きする水を見て――ああ、これが伝説の水妖なんだ、って漠然と思った。不思議と恐怖感はなかったわ。急に何もかもがどうでもよくなって、わたしは水妖の招きに応じた。あの窓から飛び降りて――』
 水妖の唇が皮肉げに歪む。
『わたしは噴水に直撃して、死んだわ。即死よ。当然、お腹の子供も一緒に死んだはずよ』
「違うわ。流水の記憶は間違ってるのよ。あなたは即死してはいないのよ」
 不意に、蒔柯が水妖の言葉を遮るように荒々しく告げた。
「私たちが中庭に駆けつけた時、流水は意識不明の重体だったけれど確かに生きていたのよ。すぐに救急車を呼んで、流水は病院に運び込まれたわ。そこで、あなたは息を引き取ったのよ。お腹の赤ちゃんは、あなたがこの世を去る寸前、帝王切開によって取り上げられ、奇蹟的にも一命を取り留めたわ。聡さんは産まれた子供を引き取った。私は三年の途中で学園を辞めて、聡さんと二人で流水の子供を育てる決心をしたのよ。それが――水柯よ」
 蒔柯が訴えかけるような強い眼差しで水妖を見据える。
「ママ……もういい。もういいよ!」
 水柯は泣きながら蒔柯の足に抱きついた。
 蒔柯が苦しむのを、これ以上黙って見てはいられなかった。
 愛する夫と親友の子供とはいえ、蒔柯は十七年間、ずっと他人の子供を自分の娘として育ててきたのだ。
 その間の苦悩と葛藤は壮絶なものであっただろう。
「大丈夫。ママは、ずっと水柯のママよ」
 水柯の胸中を察したのか、蒔柯は愛しさを込めて水柯の頭を撫でた。
「あなたに生命を与えてくれたのは流水だけど、育てたのはママよ。どっちも、あなたの母親なの。私は、水柯を授けてくれたことを流水に感謝しているわ」
「ママ……」
 水柯は胸が締めつけられる想いで蒔柯に縋りついた。
 この母親が惜しみなく愛情を注いでくれたから、今の自分が在るのだ。
「水柯はママの自慢の娘よ。ホラ、流水にちゃんと顔を見せてあげなさい」
 蒔柯に促されて、水柯は顔を上げて水妖を見つめた。
 水妖は未だに信じられないという様子で、食い入るように水柯を見返している。
『……嘘よ。わたしと先生の子供は、あの時、死んだはずよ』
 呆けたように水妖が呟く。
「そんなこと、誰が言ったの」
 蒔柯がピシャリと水妖の言葉をはね除けた。
『水妖が……わたしに言ったわ。噴水に激突した時、わたしも赤ちゃんも死んだって』
「その、水妖っていうのは誰なの? 何者なの? 水妖なんて初めから存在していないのよ。それは、流水が創り出した幻。伝説は、あくまでも伝説でしかないのよ」
 蒔柯の有無を問わさぬような口調に、水妖は愕然と息を呑んだ。
 重苦しい沈黙が辺りに立ちこめる。
「あの、お取り込み中、口を挟んで申し訳ないんですけど――」
 その沈黙に耐えかねたように、これまで傍観していた充が言葉を発した。




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