ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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「お母さん、お願いだからやめて」
 水柯は必死に繰り返した。
 さすがに流水のことを『ママ』とは呼べなかった。
 水柯のママは、蒔柯ただ一人なのだから……。
「来るなっ!」
 流水の腕の中で樹里が叫ぶ。
 だが、水柯は樹里を無視して流水にゆっくりと接近した。
 盛り上がった水壁は、水柯の存在に躊躇したように動きを止め、頭上で飛沫を上げている。
「お願い。樹里を離して」
 水柯は心の底から流水に訴えかけた。
「わたし、樹里のことが好きなの。樹里を死なせたくない。失うのは嫌なの。だから、離してあげて。樹里のママはサラさんであって、お母さんじゃないのよ」
「よせ、水柯」
 近寄る水柯を見て、樹里が非難の声をあげる。
 しかし、それさえも水柯は無視した。
「樹里をサラさんに返してあげて。どうしても子供を連れて行きたいのなら、樹里じゃなくて、わたしでしょう。わたしはお母さんの本当の娘なんだから」
 水柯は、流水の手にそっと自分の手を重ねた。
 樹里を犠牲にはできない。
 流水とともに行かなければならないのは、紛れもなく自分なのだ。
「寂しかったのね。辛くて哀しかったのね、お母さん。十七年間、ずっと独りだったんだもん……。でも、もう寂しくないよ。わたしが一緒に行くから」
 水柯は真摯な眼差しで流水を見つめた。
 背後から蒔柯たちの悲鳴が聞こえてきたが、水柯の心は既に決まっていた。
 この馬鹿げた伝説に終止符を打つためには、流水の娘である自分が彼女と同じ世界へ旅立たなければならないのだ。
 水妖伝説に固執するあまり、自ら水妖と化し、強大な霊力を持ってしまった流水。
 寂しい、哀しいと、失った我が子を十七年間も捜し続け、彷徨っていた少女。
 憐れな母親――哀しい魂。
 彼女を救うには、水柯がその魂に寄り添わなくてはならない。
 水柯が流水と同じ幽魂にならなければ、彼女が腕に抱く産布は永遠に空っぽのままなのだ。
「一緒に行くわ。だから樹里を離して」
『……あなたがわたしの娘だという証拠は、どこにもないわ』
 まだ蒔柯の語った真実を認められないのか、流水は猜疑の眼差しを向けてくる。
「証拠ならあるわ。わたし、やっと気づいたの。これは、お母さんがわたしのために歌ってくれた子守唄でしょう?」
 水柯は流水に微笑みかけると、いつものメロディを口ずさみ始めた。
 優しく、温かく――心に安寧を与えてくれる不思議な旋律。
 なぜかいつもハミングしてしまう、魔法の唄。
 これは水柯が流水の胎内にいた頃、彼女が紡いでくれた子守唄に違いない。
 ピアノを弾くことが大好きだったという流水が、我が子のために創った曲だという確信があった。
 産まれてくる我が子のために母親が愛情を籠めて奏でてくれた、世界にたった一つしか存在しない子守唄なのだ。
『わたしの……音楽。わたしの――赤ちゃん』
 不意に、流水の双眸から涙が零れ落ちる。
 彼女はしばし驚愕の眼差しを歌う水柯に注いだ後、静かに唇を動かした。
 流水の唇から紡がれる旋律が、水柯の口ずさむそれとピッタリ重なり合う。
『わたしの……本当の娘。わたしと貴籐先生の――』
 一通り唄を紡ぎ終えると、流水は驚くほど素直に樹里を解放した。
 代わりに、腕を伸ばして水柯を抱き締める。
『わたしの水柯』
「そうよ、お母さん。こんなに傍にいたのに、今まで気づかなくてごめんなさい。これからは、ずっと一緒よ」
 水柯は流水の背中に手を回した。
「ダメだ、水柯!」
 流水から解き放たれた樹里が、強い力で水柯の肩を掴む。
「行くな。僕はまだ言ってないぞ。水柯のことが好きだって!」
「樹里?」
 樹里の切実な声を聞いた瞬間、水柯の双眸から涙が溢れ出した。
 胸が痛い――樹里が好きだ。
 大好きだ。
「……今、ちゃんと聞いたよ」
 水柯は首だけで樹里を振り返り、涙を流しながらも懸命に笑顔を取り繕った。
 ――うまく笑えてればいいな。
 そう思いながら幼なじみを見つめる。
「わたしも樹里のことが好き。大好きだよ。――だから、止めないで」
 水柯は、樹里の手を静かに自分の肩から退けた。
「水柯っ!」
 すぐに樹里の腕が伸びてきて、水柯を行かせまいとする。
 それにはもう構わずに、水柯は流水の背に腕を回した。
『わたしの愛しい子』
 流水がしっかりと水柯を抱き締める。
「いいよ、お母さん」
 水柯が流水に微笑みかけた直後、
 ザザザザザサザッッッ!
 頭上で停滞していた大波が、一気に落下してきた。
「イヤだ、水柯! 僕はそんなの認めない。許さな――」
 樹里の叫びが水音に掻き消される。
 ――樹里。
 水柯は胸に熱いものが込み上げてくるのを感じた。
 波に呑まれようとしている自分の身体を、樹里がひしと掴み寄せている。
 自分を抱き締めてくれる、この腕が――樹里がひどく愛おしい。
 ――離れたくない!
 水柯は胸中で絶叫した。
 心の深奥から溢れ出てくる想いが、強烈に胸を突き上げる。
 自然と涙が激しさを増した。
『……あの子が好きなのね。わたしが貴籐先生のことを大好きだったように』
 ふと、水柯の頬を伝う涙を流水の指が拭った。
 水の中で流水が柔らかく微笑む。
『幸せになりなさい』
 子の幸せを願う、愛情に満ちた母の微笑みだった。
『幸せになって。わたしの分も――』
 やにわに流水の腕が水柯から離れた。
 青白く輝く流水の姿が、瞬く間に激流に呑み込まれてゆく。
「お母さん……」
 水柯は、その光景を茫然と見つめていた。
 幻惑的な蒼い光が水に融けてゆく。
 流水と一体化した水が螺旋を描きながら宙を舞い――落下した。
 ザザザザザッッッ!
 細かな飛沫を散らしながら、水は本来あるべき場所へと還っていった。
 流水だけを伴侶として。
 水柯は、落下の衝撃で大きくうねる水面を凝視していた。
 流水の残滓なのか、水面は仄かに蒼く輝いている。
 そこから唄が流れていた。
 母の愛情を乗せた優しい旋律。
 水面が揺れ、キラキラと青白い燐光を発するたびに、唄が紡ぎ出される。
 まるで水そのものが子守唄を奏でているような、幻想的な光景だった。
「水柯!」
 子守唄が流れる世界で、樹里が強く水柯を抱き締めた。
 間近に感じる樹里の温もりが、水柯に生きていることを実感させてくれる。
 独り水に消えていった母のことを哀しく想いながら、水柯は樹里の腕に自分の腕を絡めた。
 幸せになりなさい。
 それが、母の遺言だった。

 もう二度と、伝説の水妖がこの噴水に現れることはないだろう。
 水面から青白い煌めきが消失するのと同時に、中庭に溢れていた子守唄も途絶える。
 とめどなく流れ落ちる涙を隠すように、水柯は夜空を仰いだ。
 気づかぬうちに、雨はすっかり上げっていた。


     「跋」へ続く


 
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2009.06.06 / Top↑
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