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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Tue
2009.06.09[09:01]
水天居城――水滸城


 水天・水鏡は、来訪の報せもなし現れた双子の兄を凝視した。
 いつもの優雅な微笑みはどこにも見当たらない。おまけに銀の髪にも顔にも衣服にも――嫌というほど血がこびり付いているのだ。
 彩雅の表情は暗く、鬱悒としている。
「綺璃は――生きているのか?」
 挨拶すらせずに彩雅はそう切り出した。
 対する水鏡は、無言の首肯で応えた。
 彼女は兄の身に何が起こったのか――全てを知っている。
 つい先刻まで《水鏡》を覗いていたのだ。美しい水面には、彩雅が水滸城を訪れることになった経緯も当然映し出されていた。
「今、何処に?」
「それは、まだ判らない」
「生きていても敵の掌中にあるのなら、死んだも同然だ」
 彩雅は口惜しげに唇を噛む。水鏡の《力》なら消えてしまった綺璃の行方を調べられると思い、彼は水滸城へと足を運んだのだ。
 綺璃が生きているのは吉報だが、出来ることならば居所を突き止めて、今すぐにでも彼の元へ駆けつけたい。
 綺璃に逢いたい――それが、彩雅の率直な心情だった。

「兄者、また後で《水鏡》を視るから、そんなに焦るな」
「無理だ。胸に焦燥ばかりが募る――」
 彩雅が力なくかぶりを振る。
「私は……取り返しのつかない愚行を犯してしまったのだよ」
「まだ取り返せる。だから、自分を責めるな、兄者」
 水鏡は己の言葉に何の効力もないことを知りながら、それでも兄を慰めずにはいられなかった。
 綺璃を失うことなど、水鏡とて耐えられない。もしそうなれば、胸が張り裂けんばかりの苦痛に苛まれ、甚大な喪失感を覚えるだろう。水鏡でさえそうなのだから、彩雅が味わう苦悶は身を灼き尽くしてしまうほど強烈なものとなるに違いない。
 今も兄は、友に剣を突き刺したことを嘆き、憂い――絶望を抱いている。
 水鏡は、遠目からでもはっきりと確認できる彩雅の左手首の疵痕を眺めた。いつもは腕輪で隠しているのに、今はどういう訳か剥き出しになっている。

 何百年も前の遙かな昔――氷天継承の前日に彩雅は自殺を図ったのだ。
 彼は、氷天の座に就くことを極端に厭っていた。嫌悪していた。
 水鏡には、彩雅のその気持ちを理解してあげることが出来なかった。彩雅が自ら心情を語らなかったのも一因しているが、水鏡は単純に『兄者は駄々をこねているだけだ』と思い込んでいたのだ。
 そして、兄は――自分にも綺璃にも何も告げずに、手首を斬り割いた。幾度も幾度も……。
 水鏡には、彩雅が自らの手首を掻き切った瞬間すら解らなかった。
 彩雅には己の半身との感応性がある。水鏡が怪我を負ったり病気を患うと、同じ箇所が疼痛を発するのだ。
 彩雅はいつも水鏡の痛みや苦しみを一緒に理解してくれた。
 だが、水鏡には感応性が全く備わっていなかったのだ。
『兄者が瀕死の床に臥している時、私は一体何をしていた?』と悔やんだ。
 傍へ寄れば大人たちに邪魔だと言われ、ただ部屋の隅で綺璃に縋りついて泣いているしかなかった。
 彩雅が自分にも内緒で死を選んだ事実が、水鏡の心を激しく揺さぶり、悩ませた。己に対する叱責が胸の奥底から込み上げてきた。
 何より、彩雅に置いていかれるのが――怖かった。
『兄者を護って!』
 泣きじゃくりながら綺璃にそう懇願したのを覚えている。
『私じゃ駄目なの。だから、お願い――兄者を護って!』
 あの時、綺璃は『俺が彩雅を護ってやる』と約束してくれたのだ。
 その言葉はとても心強く胸に響いた。
 何日も何日も目を醒まさない彩雅。
 本当にこのまま死んでしまうのではないか、と不安でいっぱいだった。
 ようやく意識を取り戻した時、彩雅が真っ先に水鏡の名を呼び、抱き締めてくれたことだけが救いだった。
 今でも彩雅は頑なに自殺未遂の理由を口にしない。
 手首に刻んだ疵痕を消すこともない。
 まるで自らに手枷をかけて、犯した罪を贖っているかのように……。
 昔日を思い出して、水鏡は不覚にも泣きそうになった。



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