ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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 わたしはもうすぐ母になる。
 昏い校舎を彷徨いながら、少女は満面の笑みを浮かべた。
 照明のない廊下も軋りを立てる古い木の床も、今の少女を脅かす存在ではない。
 少女は臆することなく、人気のない夜の校舎を歩き続けた。
 角を曲がり、旧校舎一階の奥へと突き進む。
 長い廊下の果て――階段脇にある中庭へと続く扉の前でようやく足を止めた。
 扉に填め込まれた硝子から中庭が見える。
 淡い月光を受けて、巨大な噴水が仄白く輝いていた。
 わたしは母になる。
 少女は至福の笑みを湛え、己れの腹部に片手を添えた。
 制服の上からでもはっきりと解る膨らみ。胎内に宿る小さな生命の鼓動が手を介して伝わってくる。
 ここに、愛する人とわたしの子供がいる。
 少女は愛しさを込めて腹をさすった。
 唇からは自然とハミングが洩れる。
 柔らかく、そして温かさを感じさせる旋律。
 ゆりかごの中で優しく揺られているような安息を、胎内に宿る我が子へと与えてあげられるはずだ。
 これは子守唄。
 我が子に捧げるためだけに、少女が創った子守唄なのだ。
 この世にたった一つしかない存在していない調べを、少女は心を込めて紡ぎ続けた。
 わたしは愛する人の子供を産む。
 もうすぐ母になるのだ。
 少女は歓びを噛み締めながら、扉の把手へ手を伸ばした。
 その時、暗闇で何かがチカッと瞬いた――懐中電灯の光だ。
 少女は即座に歌うのを止め、ひどく緩慢な動作で光源を振り返った。



「こんな時間に何をしてるんだ?」
 数学教師・持田は、宿直の勤めとして深夜の校舎を巡回していた。
 その最中、思いがけず唄を耳にしたのだ。
 美しい歌声に導かれるようにして、持田は旧校舎へとやって来た。
 そして、一階の廊下で女生徒の姿を発見したのである。
 不審に思った持田が懐中電灯で少女を照らすと、彼女はゆっくりとこちらを顧みた。
「……た、館林くん」
 少女の顔を確認した途端、電流に似た衝撃が全身を駆け巡った。
 掠れた声が喉の奥から洩れる。
 自然と顔が強張り、懐中電灯を持つ手がブルブルと震えだした。
 闇に浮かび上がる少女の顔には、確かに見覚えがある。
 間違いなく、この学園の生徒だ。だが――
「まさか、本当に館林くんなのか」
 持田は驚愕と戦慄の相俟った眼差しで少女を凝視した。
「わたしの赤ちゃん……」
 不意に少女の顔が歪む。
 立ち竦む持田の眼前で、大きく膨らんでいた少女の腹部が徐々に萎んでいった。
 窪んだ腹を撫でる少女の双眸から、つと涙が零れ落ちる。
「わたしの赤ちゃんは、どこ? あの人とわたしの赤ちゃんを返して」
 震える声で呟き、少女は持田から顔を背けた。
「館林くん。君なのか? 君が――」
「あの人の子供を返して」
 持田の呼びかけを無視して、少女が中庭へと続く扉に両手を添える。
 刹那、少女の姿は空気に溶けるようにして消滅した。
「ああ、館林くん」
 持田はその場に崩れ落ちた。
 喘ぐような声が唇から滑り落ちる。
「どうしてなんだ。君は――」
 疾うの昔に死んでいるのに……。


 
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2009.05.16 / Top↑
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