ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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 久し振りに逢う兄が優しく自分を抱き締めている。
 その現実に、クラリスは自分の措かれている状況を忘れ、しばしマイトレイヤーの麗姿に陶然としていた。
「こんな怪我を負うような無茶をして……」
 シンシリアに傷つけられた頬に視線を落とし、マイトレイヤーが痛ましげに眉根を寄せる。
 彼の細く長い指が傷口にそっと触れ、唇から治癒の呪文が紡がれると、不思議なことに傷口が塞がり、肉体から痛みがフッと消失した。
 マイトレイヤーは、セイリア屈指の魔術師なのである。中でも治癒魔法はお手の物だ。
「兄上――」
 クラリスは、眼前にマイトレイヤーがいることを確かめるように、兄の顔に手を触れてみた。指先から柔らかい感触と温かさが伝わってくる。
 紛れもなく、大好きな兄が目の前に存在しているのだ。
 クラリスはマイトレイヤーを目一杯抱き締めたい衝動に駆られたが、シンシリアの手前、仕方なくグッと堪えた。
「クラリス、本当にこんなところで何をしていたのです? 唐突に姿を消すものだから、流石の私も捜すのに苦労をしましたよ。たった一言、私の名を呼べば、こんなにも簡単に見つけることができるのに――」
 マイトレイヤーが憂い顔を向けてくる。
 兄の言うとおりだ。クラリスが『兄上』と口にするだけで、マイトレイヤーは得意の魔術で自分の居所を見つけてしまうのだ。
 だからクラリスは、この半年間必死に耐えてきた。マイトレイヤーの名前はおろか『兄上』と音に成すことさえ封じていたのだ。
 その禁止事項が己にとって耐え難い苦痛であることは、クラリス自身が誰よりも知悉していた。どうしても堪えきれなくなった時にだけ『あの人』と呼んでいたのである。
 なのに、今までずっと我慢し続けてきたものが、シンシリアのおかげで全て海の藻屑と化してしまった。
「僕はただ……あんな奴に兄上を渡したくないだけです」 
 クラリスは不承不承に真実を告げた。マイトレイヤーを前にして、嘘を貫き通すことなどできやしない。兄の宝玉のような紫色の瞳に見据えられると、不思議と反論や言い訳をする気力を削がれてしまう。
「あんな奴って――まさか、アダーシャ国王の首を狙っていたのではないでしょうね?」
 驚きに瞠目し、マイトレイヤーがまじまじとクラリスを見つめる。
「……いえ、その通りです」
「ああ、何ということを……! 私が来たからには、そんな暴挙は許しませんよ。――今すぐセイリアへ帰りなさい。これは命令ですよ」
「はい。大人しく帰国します」
 ――今は、ね。
 クラリスはしおらしく頷いてみせながら、心の中でペロリと舌を出した。
 占い師の老婆は『目的は達成される』と断言したのだ。
 あの言葉が未来を示しているのならば、自分はいつの日か必ずアルディス聖王を暗殺するのだ。
 愛する兄を強奪しようと企てる不届きな輩を、この世から消し去ってしまうのだ。
「……おまえが素直に頷くと、返って疑いたくなります」
 マイトレイヤーの不安に揺らめく眼差しがクラリスの目を覗き込む。
「僕を信用して下さらないのですか?」
「そうではないですけれど――」
 マイトレイヤーが言葉を濁す。
 クラリスが天賦の二重人格者であることを、実兄であるマイトレイヤーはよく理解しているのだ。そして、頭の切れる弟がこの奇妙な人格を巧く使いこなして、世渡りをしているのも重々承知している。だからこそ、従順な態度の裏に隠された真意を深読みしてしまうのだろう。
「ところで兄上――先ほど僕に『帰りなさい』と言いましたが、もちろん兄上も一緒にセイリアへ帰るんですよね?」
 マイトレイヤーが探るように眼差しを注いでくるので、クラリスはさっさと話の矛先を逸らすことに決めた。
「シンシリア殿が、私たちを黙って帰してくれるとでも思っているのですか?」
 ふと、マイトレイヤーの視線が今まで傍観していたシンシリアへと向けられる。
「私は、ここに残ります。ですから、クラリスは一人でセイリアへ帰りなさい」
「兄上っ!? 残る――って、どういうことですかっ!?」
 クラリスは突然の兄の提案にギョッと目を剥いた。何をどう考えたら兄がそんな結論に達するのか、クラリスには皆目解らなかったのだ。
「シンシリア殿は、きっとそれで納得がいくはずですよ」
「で、でも、兄上――!」
「私があなたの手に渡ったら、私を祭祀長に差し出すのも国王へ突き出すのもご自由に」
 マイトレイヤーがシンシリアを見上げ、穏やかに微笑する。
「マイセの神託を無視して世界が破壊されては、元も子もありません。それに、生け贄と言いましても、生命を奪われるとはっきり決まったわけでもないですし……。私は引き受けても良かったのですが、伯父上が強固に反対して困りましたよ。私が生きるのも死ぬのも、全てはマイセの御心のままなのに――」
 のんびりと語るマイトレイヤーをクラリスは無表情に眺めていた。
 どうやら兄は、マイセの生け贄を引き受ける気でいるらしい。
 ――やっぱり、アダーシャ王の首は獲らせてもらう。
 クラリスは胸中で密やかに決意を固めた。
 改めて心を決めてしまえば、あとはマイトレイヤーにそれを勘付かせないように振る舞うだけだ。
「兄上……」
 クラリスは瞳に偽りの涙を溜め、潤んだ眼差しでマイトレイヤーを見つめた。
「兄上の考えは解りました。そこまで仰るのなら、僕はもう何も申しません」
「クラリス、クラリス――おまえを悲しませるつもりはなかったのですよ。ああ、泣かないで下さい」
 マイトレイヤーがクラリスの頭を抱き寄せ、髪を優しく撫でる。
 流石の兄も、長年訓練し続けてきたクラリスの嘘泣きは見破れないようだった。本気でクラリスに対して罪悪感を覚えているらしい。
 兄を騙していることに良心が痛んだが、クラリスはじっと胸を抉るようなその痛みに耐えた。何が何でもアダーシャ王を謀殺し、大好きな兄を魔手から護らなければならない。そのためなら何だって我慢できた。
「私がここへ残ることを承知してくれるのですね?」
「はい、兄上……」
 クラリスが頷くのを確認すると、マイトレイヤーは再びシンシリアを振り仰いだ。
「シンシリア殿、これで今から私はあなたのものです」
 兄の言葉にクラリスは深い嫉妬を抱いたが、努めて平静を保たせる。
 シンシリアの方は困惑気味に美しい兄弟を見比べていたが――やがて寡黙に首肯した。
 こうして魔法剣士シンシリアは、異国の居候を抱えることになったのである。


 この時、彼らはまだ訪れる運命の残酷さを欠片も知らなかった。
 運命の悪戯というものを全く念頭にいれていなかったのである――


     「4.魅惑の刻」へ続く



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2009.06.13 / Top↑
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