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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Sun
2009.06.14[09:59]
 風天統治区――


 ヒュルルルル……。
 風が吹いている。

 鞍馬は一瞬、己が何処にいるのか理解できなかった。
 紫毘城の地下にいたはずなのに、瞬き一つする間に見知らぬ土地と飛ばされてしまったのだ。
 鞍馬は今、薄闇に包まれた地下ではなく、光が降り注ぐ大地に佇んでいた。
「――鞍馬っ!」
 聴き慣れた声が自分を呼ぶ。
 同時に、逞しい腕が力強く自分を抱き締めていた。
 紅い髪が頬を掠める。
 綺璃だ。
 どうして彼がここに現れたのか解せなかったが、自分をひしと抱き締める腕に鞍馬をひどく安堵した。
「……あや……り?」
 綺璃の温もりを確かめるように、鞍馬は彼の背にそっと腕を回した。

 ヒュルルルル……。
 哀しげな風が大地を駆け抜けてゆく。

「あっ……風が哭いているわ。翔舞様が――」
 ――風に還った。
 鞍馬は風天・翔舞の生命の灯火が吹き消されたのを感じ、その衝撃に打ちひしがれた。
「解っている。俺が迂闊だったのだ。俺が――」
 悲しみに暮れる鞍馬を綺璃がしっかりと抱き寄せる。
 頬を押し当てた綺璃の胸は、翔舞の死を悼むように激しく鼓動していた。
 同じ七天の消失に痛嘆しているのだろう……。
 
 しばし、無言の抱擁が続く。

 時を動かしたのは、
「綺璃っ!?」
 緊張を孕んだ声だった。
 鞍馬もよく知っている澄んだ美声。
 それを耳にするなり、綺璃は弾かれたように鞍馬の頸筋から顔を上げ、背後を振り返った。
 鞍馬も綺璃の視線を追う。
 虚空から姿を現した氷天・彩雅が、軽やかに地に降り立つところだった。
 水天・水鏡から綺璃の居場所を聞き出し、慌てて駆けつけてきたのだろう。
「――彩雅っ!」
 綺璃の腕が鞍馬から離れる。
 彼は彩雅に駆け寄ると、躊躇いもせずに彼を抱き締めた。
「無事で……よかった、綺璃。私は、この手でおまえを――」
 綺璃を見上げる彩雅の蒼い瞳が涙に濡れる。
「いや、辛い想いをさせて――悪かった」
「私を……赦してくれるのか?」
「赦すも何も――俺は、昔からおまえの全てを受容している。……頼むから、そんな顔をするな。俺が水鏡にどやされる」
 綺璃の顔に困ったような、それでいてどことなく嬉しそうな微笑が浮かび上がる。
 彩雅が無言で綺璃の肩に顔を埋める。
「彩雅――」
 綺璃の手が、壊れ物にでも触れるかのように慎重に彩雅の髪を撫でた。
 彩雅に向けられた眼差しは、とても穏やかで真摯――
 僅か一瞬だけ、切ない情念の炎が灯った。
 だが、それは瞬く間に打ち消された。強靱な精神力で封じ込めたのだろう。
 そうやって綺璃は、永き刻を彩雅と共に過ごしてきたのだ。
 二人の様子を遠巻きに眺めていた鞍馬は、静かに瞼を伏せた。
 不思議と涙が溢れてくる。
『怖いのだよ』
 ふと、翔舞の言葉が反芻される。
 ――怖かったのだわ。いつか綺璃がわたくしから離れていくのではないか、と……。
 鞍馬は唇を噛み締め、翔舞の言葉を認めた。
『彩雅が憎いか?』
 それも認める。
 羨ましかったのだ。
 素直に綺璃に縋りつける彩雅が。
 妬ましかったのだ。
 綺璃と彩雅があまりにも自然すぎるから。
『この世で最も愛しいと想う者は、決して一人だけではないのだよ』
 翔舞の遺した言葉が、胸に痛い。
 ――わたくしが綺璃を独占することは、赦されないのだわ。
 初めから解っていた。
 ――だって、綺璃がどれほど否定しようとも、綺璃はわたくしよりも遙かに彩雅様のことを愛しているのですもの……。
 ただ、自分はそれとは向き合わずに、目を逸らしていただけなのだ。
 ――可哀想な綺璃。可哀想な彩雅様。
 鞍馬は緩慢な動作で瞼を押し上げ、再び綺璃と彩雅を視野に納めた。
 涙で霞む世界の中、二人は寡黙に寄り添い合っている。
 ――天は、酷な運命を与えられる。彼らは、あんなにも自然なのに……。
 それを想うと、また止めどなく涙が零れ落ちた。


「あっ、菖蒲の花が咲いたよ、母さん!」
 ふと、葛藤する鞍馬の傍を一組の母子が通り過ぎてゆく。
「わーっ、綺麗だな!」
 少年が無邪気に笑いながら前方を指差す。
 その先には、色鮮やかな紫色の花が群生していた。
「もうすぐ天神祭だね。翔舞様、また踊ってくれるかな? すっごく綺麗なんだよ! 僕ね、大きくなったら翔舞様のお傍に遣えるんだ! だから、もっともっと強くなるの! そうしたら、翔舞様――僕のことを好きになってくれるかな?」
 少年が声を弾ませ、夢と希望に満ちた明るい笑顔を浮かべる。
 母親も釣られるように笑った。

 ヒュルルルル……。
 風が哭く。
 
 彼らは知らないのだ。
 彼らの貴き王が、最早この世に存在しないことを。
 天神祭の舞姫――美しき風の女王は、源たる風に還ったのだ……。



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