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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Wed
2009.06.17[08:53]
 天王居城――天空城


 憂いを帯びた黄昏色の双眸が、巨大な窓から外界を眺めていた。
 遙か遠くに、紫水晶で造形されたかの如く明澄な輝きを放つ城が聳えている。
 美しき叛乱の神の城だ。
「――――」
 幻想的な瞳の持ち主は、声には出さずに唇だけを静かに動かした。
 何と呟いたかは、本人以外知る者もいない……。
「紫姫魅……おまえは私を憎んでいるのだろうな――」
 今度は、微かに空気を震わせるような美声が唇から紡がれた。
 苦渋と悲哀に満ちた青年の声。
 シュッ、シュッという衣擦れの音が聴覚を刺激する。
 近寄ってくる人の気配を察知して、青年は意識をうつつへと引き戻した。
「天王様――」
 衣擦れの音が止み、背後から聴き慣れた女官の声が届けられる。
 青年――天界の統治者たる天王は、ゆるりと女官の方へ首を傾けた。
 夕陽に染まる茜雲のような色彩の長い髪が揺れる。
 緩く波打つ壮美な髪は、窓から射し込む陽を浴びて不思議な光彩を放った。
 床に跪いていた女官は、自分に向けられた端麗なかんばせを見て、思わず息を呑んだ。
 見惚れたのだ。
 毎日見慣れているはずの主に容貌といえども、その清冽な美しさには時折圧倒されてしまう。
 豪奢で荘厳――尚かつ、何の穢れも知らないかのように清廉な美貌。
 今、天界に乱れを生じさせている紫姫魅天を月に喩えるなら、眼前の青年は正に太陽の化身だ。
 全ての者がその足許に傅かずにはいられないような光輝を全身に纏っている。
 気高く、美しい天界の王。
 常ならば、穏やかで気韻のある微笑みを湛えている。
 なのに、ここしばらくはその笑みは何処か精彩を欠き、黄昏色の瞳は微かに翳っていた。
「……どうした?」
 言葉を発しない女官を怪訝に思ったのか、天王が先を促す。
 女官は気恥ずかしさに頬を朱に染め、慌てて俯いた。天王の顔を不躾に眺めるなど、畏れ多い行為だ。
「いえ……もうじき謁見の間に七天の皆様方がお揃いになります。お支度の方を――」
「――皆、か……」
 ふと、天王の唇が苦悩の嘆息を洩らす。
「天王様?」
 女官は失礼を承知でハッと面を上げた。天王の声音にあってはならぬ自嘲を感じ取ったからだ。
 天王が再び窓外に視線を流す。
「七天のうち三人までもを失って、何が『皆』か……。翔舞、蘭麗、迦羅紗……私の愛する者たちが次々と失われてゆく。いや――私が殺めたも同然だな」
 天王の端整な横顔に、疲弊した嘲笑が浮かぶ。
「畏れながら、天王様――」
 女官は主の哀しげな顔をどじっと見つめた。
「七天の皆様方は、天王様の忠臣でございます。天王様のために天命を全うされ、お三方ともお幸せだったかと……」
 女官の言葉に天王は瞼を伏せ、かぶりを振った。
「私のために、か……、そもそも、これは――私と紫姫魅の問題だったのだ。あれは、私に殺されたがっているのだよ。だが、それを承知していながら、私は……七天を巻き込んでしまった。あれと剣を交えたくがないために――」
 深い悔恨が天王の全身を包み込む。
「それに、私は七天を臣下だと考えたことは一度もない」
「――天王様っ!?」
「皆、私の大切な友人――宝だ。当然、愛している」
 静かに、だが、確固たる信念を込めて天王が断言する。
「無論、あの者もな……」
 天王の脳裏に漆黒の美貌を備える青年の姿が浮かび――すぐに消えた。
「……天王様?」
 不安げな眼差しを注いでくる女官に向き直り、天王は自虐的に笑んだ。
「このようなことを考えるとは、私も《天王》失格かな?」
 天王は独白めいた呟きを洩らす。
 女官は声もなく天王を凝視していた。
 すぐには、天王が放った言葉の意味が解せなかったのだ。
 天王――天界の象徴であるが故に、万人を平等に愛することを定められ、特定の者を愛することを禁じられた存在。
 天王たる者、己の私情に走らず、流されず――常に毅然と孤高であれ。
 自己の欲求や欲望を抱くことは赦されず。
 ただ、ひたすらに天界の平和と安寧だけを考えて生きよ――
 天界創世時からの不文律だ。
 今、目の前の《天王》がそれを崩そうとしているように、女官には感じられたのだ。
「天王様、天王様……失格などと……。どうか、決して七天の皆様方の前では、そのような妄言を口にされませぬよう――」
「案ずることはない」
 天王は、顔を青ざめさせる女官を手で軽く制した。
「私は、天王。この世界の象徴だ。既に――個人であった時の名も忘れてしまった……。私には《天王》として生きる以外に道はない。それは、天の玉座に就いた時から定められていたことだ。だが――」
 黄昏色の眼差しが、遠くに聳える紫毘城へと注がれる。
「だが、時折思うのだよ。何故、私が《天王》でなければならなかったのか、と。遙か昔に捨て去ったはずの真名を誰かに呼んでほしい――と」
 ひっそりと言葉を紡ぎ、天王は軽やかに身を翻した。そのまま女官の脇を通り抜ける。
「天王様っっ!」
 女官は狼狽の体で天王の後を追った。
 天王が《天王》にあるまじき放言を連発している。
 その事実が、女官の心にざわつかせ、得体の知れぬ危惧を呼び起こしていた。無意識に『天王様を止めなければ』と脳が判断を下したのだ。
「お待ち下さい、天王様っ! そのような精神状態では、しても七天の方々には……! あの方々に何をお伝えになるおつもりです!? 何をお考えです、天王様っ? 天王様――!?」
 女官の叫びは、虚しく巨大な扉の奥に吸い込まれた。
 天王が女官の追迫を許さず、扉の向こう側へと素早く身を滑り込ませたからだ。


 閉じた扉に背を凭せかけ、天王は深く昏い溜息を吐き出し。
「……私は天王。しかし、それが何になるというのだ? 私にだって感情は存在する。大切に想う者も――」
 天王は両の拳をきつく握り締めた。
「私は――天王」
 己に言い聞かせるように繰り返す。
「だが……敢えて、天に背こう」
 天王は決然と前を見据えた。
 その先には、謁見間が控えている。
「《天王》の戒律を破ることになろうとも――私はあれを殺めるだろう」
 天王の唇から切なげな言葉を零れ落ちた。
「たとえ、この身が堕天と化しても――」



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