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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Sat
2009.06.20[10:46]
 視界が霞む。
 意識が薄れて行く。

 ――駄目だ……!

 アーナスは気力を振り絞り、カッと目を見開いた。
 刹那――
『アーナス様』
 自分の血でできた泉に、可憐な少女の姿を見た。
 菫色の瞳をした、銀の髪の少女だ。
『アーナス様』
 少女がアーナスに向けて手を差し出す。
「……駄目だ……ローズ・マリィ……」
 アーナスは少女を見上げ、引きつった笑みを浮かべながら首を横に振った。

 ――まだ早い。迎えに来るのは、まだ先だ、ローズ・マリィ!

 フッと少女の姿が虚空に掻き消される。
 
 ――私には、まだやり遂げねばならぬことが……!
 
 アーナスは右手の剣を握り直した。
 勢いよく刀身を床に突き立てる。

 ――後世に……ロレーヌの未来に、諸悪の根源を残してはならない。

 アーナスは剣を支えにして立ち上がった。
 無論、左手には愛するミロの首を抱いたままだ……。
 床から剣を抜き、顔を上げる。
 血に塗れた視界にラパスの姿が浮かび上がった。
「立ち上がるな。余の勝ちだ」
「……レーヌ……ロ…レーヌ……」
 アーナスは熱にうなされているように頼りない口調で囁いた。
 足を引き摺るようにして、一歩ラパスへと近寄る。
 痛覚が完全に麻痺しているのかもしれない。
 不思議と痛みはなかった。
 ただ、全身が異様に重い。
「何故、立ち上がるのだ、ギルバード・アーナス? 何がおまえをそこまで衝き動かしている? おまえには既に動く体力も気力もなかろうに……」
 ラパスの黒曜石の双眸が、瞬きもせずにアーナスを見つめていた。
 初めて見る、愛しげで優しい魔王の眼差し――

 ――そんな目で私を見るな。私を憐れむな、ラパス……!

 歯を食いしばり、アーナスは前進した。
「……レーヌ……ロレーヌ……美し……国よ……私――赦し……たま…えっ……」
 口から深紅の血を吐き出しながら、ラパスへと手を伸ばす。
「……赦し……たま……え……非……力な……私……を……」
「何を呟いている、ギルバード・アーナス?」
「……全ての……根…源は……我に……あり……赦し……たまえ……」
 アーナスは譫言のように言葉を紡ぎ続けた。
「余の声が聞こえぬのか?」
 ラパスがひどく哀しげな表情を湛える。

 ――私を地獄へ誘う魔王……。

 アーナスはまた一歩前進した。
『アーナス』
 ふと、目の前に白い光源が出現した。

 ――父上……母上……ランシェ兄上か。

 アーナスは我知らず微笑んでいた。
 白い光の中に、一年前に失った家族の姿が漂っていた。
『アーナス、もういいのだよ。おまえは立派に務めを果たした』
 生前と変わらぬ厳格な口調で、父が言う。
『そうよ。わたくしの元へいらっしゃい。還ってらっしゃい』
 母が優しい微笑を浮かべ、両手を広げる。
『おいで、アーナス。おまえは、もう眠ってもいいんだよ』
 上の兄がアーナスの頬をそっと撫でる。
「……駄目……だ……」
 下の兄――アイラの姿が視えないことにアーナスは気づいた。

 ――アイラ兄上……あなたは生きておられるのか……?

 微かな希望がアーナスの胸に甦る。
 アイラが生きているのなら尚更、今ここで死ぬわけにはいかなかった。
 おそらくはラパスに捕らえられているであろうアイラを助け出し、共に戦禍にまみれたキール――ロレーヌの大地を復興させねばならない。
『ローラはおまえの子孫に受け継がれる。さあ、戦士の鎧を脱ぎ捨て、淑やかな姫君に戻ろう、アーナス』
 上の兄が優しく肩を抱く。
 アーナスは緩慢とした動作で首を横に振った。

 ――私は……まだ何一つ……そう、何一つ……成し遂げてはいない……!

 心中で叫んだ途端、唐突に家族の幻影は霧散した。
 朱に染められた視界に、ラパスの黒き影が舞い戻る。
「……赦し……たま…え……わた……し……知らずに……育ち……子孫よ……汝っ……神剣……ローラ……授……け……るっ……」
 途切れ途切れの言葉を、血の溢れる口から吐き出し続ける。
 ラパスの眼前まで来て、アーナスはようやくその歩みを止めた。
「それは余に対する呪詛なのか? それほど余が憎いか、ギルバード・アーナス」
 ラパスの憐憫を含んだ言葉が、停止しかけている脳で重たく反響する。
「……全知……全能……な…る……エル……ロラ……よ……わた……し……力を――!」
 アーナスは最期の力を振り絞り、折れた剣を高く翳した。
『――アーナス』
 温かな白金の光がアーナスの上に降り注いだのは、その時だった。

 ――ミロ……。

『アーナス、もういい。もういいんだよ』
 最愛の夫が慈愛の表情を浮かべ、限り無く優しく自分を見守っていた。
 全てを理解し、全てを赦してくれるような、美しい翡翠色の瞳で……。
『アーナス――』
 ミロがアーナスを抱き締める。
 柔らかな光がアーナスを包み込んだ。
 心が癒されてゆく。
 浄化されてゆく。
『共にゆこう、アーナス』
 アーナスの碧い双眸から真紅の涙が零れ落ちた――




「陛下っ!」
 ラパスの耳に親衛隊長ルシティナの切羽詰まった叫びが届いた。
 アーナスがラパスに対し折れた剣を振り上げたのを見て、飛び出してきたのだ。
 ルシティナが素早く剣を鞘から抜き払う。
「やめよ、ルシティナ」
 ラパスは静かに片手を挙げ、彼を制した。
 黒曜石の瞳は、振り上げられたアーナスの剣と瞳から滴り落ちる血の涙を見つめていた。
「既に息絶えている」
「――えっ?」
 ラパスに指摘されて、ルシティナは立ち尽くすアーナスを凝視した。
 アーナスは剣を手にしたまま、一向に動く気配がない。
 ただ、血の涙だけが音も立てずに双眸から流れ続けていた……。
「片手に剣。片手に愛しい男――おまえらしい死に様だな、ギルバード・アーナス」
 ラパスはザハークを鞘に納めながら、感慨深げに呟く。
「烈火の如く熱く激しく、烈光の如く華やかで眩しく――その生き方、何と壮絶なことか。称賛に値するな。余は一生涯おまえを忘れはせぬ」
 ラパスは立ったまま事切れたアーナスに歩み寄り、血の涙をそっと指で拭った。
「だが、勝利したのは余だ。ロレーヌの大地は余が貰い受ける。亡者と化すことなく静かに眠るがよい、ギルバード・アーナス・エルロラ――神の犠牲者よ」
 ラパスはアーナスの瞼を閉ざすと、それ以上の関心を失ったように踵を返した。
 漆黒のマントを翻す姿は、闇を支配する魔王に相応しく不吉で傲然としていた――

 
     *



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