ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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 濡れた手が優しく頬を撫でる。
「あっ、あの、わたしを食べても美味しくないと思うけど?」
 ミシェルは怖ず怖ずと少年を見返した。
『人肉喰らう』というカケルの言葉を真に受けたわけではないが、僅かな畏れが胸に生じた。
 言葉が通じないので、相手が何を考えているのかさっぱり解らない。
 自然と警戒心が強まる。
 ミシェルは用心深く手を動かし、少年の手首を軽く掴んだ。ひんやりとした感触――人間より少しばかり体温が低いらしい。
 少年は掴まれた手首に視線を落とし、きょとんとした表情を浮かべた。
 ミシェルには聞き取れぬアクアの言葉を連ねてから、彼はミシェルの手を掴み返し、その甲に口づけた。
「な、何かしらね、コレは?」
 ミシェルは狼狽と羞恥に顔を赤らめた。
 柔らかな唇の感触が、手の甲にしっかりと刻みつけられている。
 まさか求愛されているわけではないだろうが、突然の行為に思わず胸が高鳴ってしまった。
「……オナジ」
 少年の口からポロリと言葉が零れる。ミシェルは驚きに目を丸めた。
「今、『同じ』って言ったの?」
 ミシェルが問いかけると、更に驚くべきことに少年は首肯した。
 意志の疎通が成ったらしい。彼はミシェルの目を指差し、もう一度『オナジ』と繰り返した。
「あっ、そうね。瞳の色は同じね」
 少年の言いたいことを素早く察し、ミシェルは何度も頷いた。
 ミシェルの瞳の色は、アクア人と同じブルーだ。
「でも、わたしはこの惑星の人じゃないのよ。ホラ、目は碧いけど、髪はあなたたちと違って金色でしょう」
 少年の手を静かに引き剥がし、ミシェルは自分の髪を一束掴んで見せた。
「わたしは、あそこにある船に乗って来たの。地球という惑星から来た異星人なのよ」
 ミシェルは懸命に言葉を紡いだ。
 どこまで理解できたのか解らないが、少年が軽く頷く。
「リュミナ、チガウ……。フネノヒト?」
「そう、船よ。宇宙船。――あなた、わたしの言葉が解るの?」
「ムカシ、フネノヒト、キタ。コトバ、スコシ、ワカル」
「ああ、なるほどね。前に来た調査隊に教えてもらったのね!」
 合点がゆき、ミシェルはポンと両手を打ち鳴らした。
 五年前、別の調査隊がこの惑星を訪れている。
 その時、少年は隊員たちと接触し、地球の言語を覚えたのだろう。
「よかった。言葉が通じるって、こんなに嬉しいものなのね」
 ミシェルは心底安堵した。
 人間に対する敵愾心など、少年には微塵もないようだ。前の調査隊と接触したことからも、そのことが推察できる。
「フネノヒト、スキ。デモ、ココ、ナガクイル――ヨクナイ」
「は? えーっと、長期滞在はやめた方がいいってことかしら?」
 少年の言葉を反芻し、ミシェルは眉をひそめた。
「ウミノヒト、イナイ。ココ、キケン」
「危険って、どういうこと?」
 少年に問いかけるが、彼は悲しそうに瞼を伏せるだけだ。
 もしかしたら『危険』の内容を表現する言葉を知らないのかもしれない。瞳を閉じた顔は、どう説明していいものか思案しているようにも見える。
「ねえ、どうして危険なの?」
 ミシェルはゆっくりと質問を重ねた。
 少年の瞼がパッと開かれる。澄んだ碧い双眸が真正面からミシェルを見据えた。
「ココ、キケン。ニゲテ」
 辿々しい口調で告げ、少年はミシェルの髪をそっと撫でた。
 優しい微笑をミシェルに向けてから、彼は静かに立ち上がる。
「待って! 海に帰るの?」
 少年が背を返すのを見て、ミシェルは慌てて彼を呼び止めた。
 少年がミシェルを振り返り、天空を指差す。
「ツキ、カクレル――クライ。ボク、カエル」
「あ、ああ、そうね。雲が出てきたわね。月明かりがあるうちに海中都市に戻りたいのね」
 語彙の乏しい少年の言葉から何とか想像を膨らまし、ミシェルは納得した。
 少年の言う通り、二つの月は雲の影に隠されようとしている。
 月明かりが残っているうちに海に潜り、海底にあるという水中都市に帰り着きたいのだろう。
 理由を聞いてしまえば、もう少年を引き止めることはできなかった。彼には彼の事情があるのだろうし、ミシェルには彼をこの場に留めておく特別な理由もない。
 少年は軽やかな足取りで砂浜を進み、海に足を踏み入れた。
 膝まで海水に浸ったところで、ふとこちらを顧みる。
「ミスミ」
 波音に混じって少年の声が聞こえた。
「えっ、何?」
 ミシェルは身を乗り出し、耳を澄ませた。
「ミスミ」
 少年が己れの顔を指差し、復唱する。
 彼は自分の名を告げているのだ。
「あなたの名前は、ミスミなのね。わたしは、ミシェル。ミシェルよ!」
 ミシェルは彼と同じように指で自分を示し、声を張り上げた。
 途端、少年の顔がパッと明るく輝く。
「ミシェル、スキ」
 少年が屈託なく微笑む。
 直後、彼の姿は忽然と消えた。
 海に潜ってしまったのだ。
 ミシェルは瞬きもせずに揺れる水面を眺めていた。
 岸から百メートルほど離れた地点で、少年がヒョイと海面から顔を覗かせる。
 名残惜しげにミシェルを見つめた後、彼は再び海中に消えた――
「やっぱり求愛されたのかしら?」
 海に視線を馳せたまま、ミシェルは茫然と独り言ちた。
「一目惚れされちゃったりして――っと、いけない、いけない! 自惚れと自画自賛は心の中だけにしとけって、隊長にも口うるさく言われてるのに」
 ミシェルは慌てて妄想を振り払った。
 異星人との邂逅に、すっかり心が舞い上がっていた。
 アクアの少年が最後に告げた『好き』という言葉が、更にミシェルの心を煽っている。
 好きと言われて、悪い気はしない。
 我知らず鼓動が速まり、頬が紅潮した。
 ミシェルは海の遙か遠くに目線を移した。
 少年の棲む海中都市がどの辺りに存在するのか解らないが、彼が今、この美しい蒼海の中を泳いでいることだけは間違いない。
 ――もう一度、逢いたいな。
 少年を呑み込んだ海原を眺望しながら、ミシェルは真摯にそう想った。


      「Ⅲ」へ続く



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2009.06.21 / Top↑
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