ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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 紫姫魅の言動を面白がるように、魔人の双眼に輝きが増す。
『……いいよ。天がそこまで言うのならば、私は手を引くよ』
 ニヤッと、魔人が意地の悪い笑みを唇の両端に刻み込む。
『――本当か?』
 紫姫魅は、信じられない思いで魔人をまじまじと見返した。驚きと警戒の相俟った眼差しを魔人へ注ぐ。
 こんなにも簡単に妖魔が神人を諦めるとは思えなかった。
 妖魔というものは血と肉に餓え、殺戮を好む忌まわしき種族だ。彼らが、格好の餌を目の前にして引き下がるというのだ。怪しむな――という方が無理な話である。
『本当だよ。天は、殺して喰らうには――美しすぎる。その綺麗な肉体を傷つけるのは、もったいないからね。天の美貌に免じて、その神人を見逃してやろうというのだよ。ただし、条件付きでね』
『条件――だと?』
『天とて、私がただで神人を手放すとは、思ってはいないだろう?』
 魔人が紫姫魅に歩み寄り、紅い瞳で顔を覗き込んでくる。
 紫姫魅は無言で頷いた。
 魔人が何かの交換条件を持ち出してくることは、容易に想像できた。少年を助けるためには、彼が出す条件とやらを呑むしかないのだ。
『……どんな条件だ?』
『物分かりのいい天で、私も嬉しいよ』
 魔人の片手がスッと紫姫魅の頬に伸ばされる。
 冷ややかな指先が肌に触れた瞬間、紫姫魅は秀麗な眉をひそめた。
 異質な存在である妖魔に触れられるのは、気持ちのよいものではない。
『我ら妖魔は、この森から簡単に抜け出すことは出来ぬ。仮に出来たとしても、天らに討伐されるのが落ちだ。だからね、私は《器》が欲しいんだよ』
 魔人の指が紫姫魅の肌の感触を愉しむように、頬から首筋へと滑り落ちる。
『森に張り巡らされている天らの《結界》を打破するほど強大な力を持ち、表の世界へ抜け出した時に私の存在を隠してくれる神の肉体が、ね――』
『何が言いたい?』
『おや、とっくに解っているだろう? 私は、天の肉体が欲しいのだよ』
 魔人が耳元に唇を寄せ、低く囁く。
『天は見目も麗しいし、強い力を有している。《器》として最高の肉体だよ。天王をはじめとする神たちも、よもや天の裡に妖魔が潜んでいるとは思うまい。――天よ、その身体、私に与えよ』
『…………』
『どうした? その神人を助けたいのだろう? ならば、大人しく我に従い、その身を差し出すがよい』
『――いいだろう』
 しばしの沈黙の後に、紫姫魅は重い唇口を開き、そう答えた。
 少年を見捨てることなど到底不可能だ。
 ならば、己が肉体を売り渡してでも彼を助けるしか術はない。
 少年には、生きてほしかった。
『フフフ……では、契約成立だな』
 魔人が口の端に残忍な笑みを刻み込む。
 紅い瞳が輝きを増した刹那、魔人は紫姫魅の首に回した手に力を込めた。
 抵抗する間もなく、紫姫魅の身体は魔人の腕に囚われていた。
 魔人が口を開く――鋭く尖った乱杭歯が剥き出しになった。
 魔人は紫姫魅の長い髪を払い除け、首筋を露わにさせると、そこへ唇を寄せた。
 鋭い犬歯が肌を破り、血管に到達する。
『――つっ……! 貴様、何を……!?』
 痛みに、紫姫魅はきつく眉根を寄せた。
 不快感に身を強張らせるが、魔人は更に深く牙を突き立て、穿った穴から溢れ出す鮮血を啜っている。
 五分ほど吸血行為を続けた後、ようやく魔人は紫姫魅の首から牙を抜いた。名残惜しげに傷口を舌で舐め上げてから、ゆっくりと唇を離す。
 顔を上げた魔人の唇には、紅い血液がべったりとこびり付いていた。
 その血を舌で拭うと、魔人は不気味な微笑みを紫姫魅へ向けた。
『フフッ……天の血の味、確かに覚えさせてもらったよ。これで、私が天を他の者と違えることはない。――天は、その神人を助けたことをいずれ後悔することになるだろう。天は、妖魔に身を売り渡すことの意味をよく把握していないようだし……。まあ、そのおかげで私は随分と得をしたけれどね』
『それは――どういう意味だ?』
『クククッ……天よ、私はいつか天の美しい身体を全て奪うことになるだろう。その時――そうだね、まだ天の意識が残っているうちに、その神人を喰らってあげるよ。それから、我らが仇敵――憎き天王を血祭りにあげてあげるよ。無論、天が望むなら喰らう前に好きなだけ穢してもいいけど』
『貴様っ……!』
 紫姫魅は、愉悦の笑みを浮かべる魔人を激しく睨めつけた。魔人は、紫姫魅の胸の奥底に燻る劣情を揶揄しているのだ。己は構わないが、天王を侮辱することだけは許せなかった。
『怒っても、もう遅いよ。血の接吻も交わしたし――天の身体は、既に私の物。その美しい身体を使って、天界に殺戮という名の雨を降らせてあげるよ。天のおかげで、世界は再び我ら妖魔が跋扈する闇の世となるであろう。その日が訪れるのを、愉しみに待っているがよい、天よ!』
 一方的に言葉を連ねると、魔人は闇に溶け込むようにしてスーッと姿を消した。不吉な予告と冷笑だけを残して……。

 冷たい雨が紫姫魅の全身を打つ――

 魔人が消え失せた後の森では、雨音だけがやけに五月蠅く耳に響いた。
 紫姫魅は、未だに血を流し続ける首の傷を軽く片手で押さえながら、ゆるりと少年へ向き直った。
『……私は愚かだな。天王、赦してくれ』
 紫姫魅は脳裏に天界の至宝の姿を思い描いた。
 おそらく、紫姫魅がとった行動は天王に対する裏切りに値するのだろう。
『それでも私は――私は、この子を助けたかったのだ』
 紫姫魅は、いつかの未来に起こるであろう魔人の――己の愚行を天王に詫びるように、そっと瞼を伏せた。
『その時は、躊躇わずに堕天として私を討つがいい、天王よ――』
 願いを込めて囁き、紫姫魅は瞼を跳ね上げた。
 視線の先では、神人の少年が相変わらず怯えた眼差しで紫姫魅を見つめている。
『おいで。私と一緒にこの森を出るぞ』
 少年を驚かさないように、静かに手を差し伸べる。
『――いやっっ……!』
 少年は紫姫魅の手を必死の形相で払い除けた。
 その目が『死にたい』と訴えている……。
『いやだ……いやっ……! いやぁぁっっっっ!!』
 突如として、少年の口から絶叫が迸る。
 同時に、少年は手にしていた短剣で自らの胸を突いた。
 紫姫魅の眼前で鮮血が飛沫を上げる。
『――――!?』
 紫姫魅は咄嗟に叫んでいた。
 知り得るはずのない少年の名を――
 何故なのか、自分でも解らない。
 ただ、自然と口を吐いて出たのだ。
 しかし、紫姫魅の叫びは闇に吸い込まれ、視界は全て朱紅に染められる。

 雨の音だけが、いつまでも耳の奥で谺していた――


     *


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2009.06.30 / Top↑
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