Tue
2009.07.07[22:49]
*
目を開けた瞬間、心配そうに顔を覗き込む紅い双眸と出合った。
「アイラ様……」
今にも泣き出しそうな顔で、ファリファナが自分を見つめている。
アイラは、その頬にそっと手を伸ばした。
中庭で倒れた後の記憶がない。
誰かが自分を寝台に運び、ファリファナはずっと傍についていたくれたのだろう。
「――私は……?」
「血を……少しお吐きになっただけですわ。医師が、心身の疲労が吐血を招いたのだと言っておりました」
語るファリファナの表情はどこか狼狽え、青ざめてさえ見えた。
「本当に……?」
「ええ。一時的なもので、すぐによくなりますわ」
ファリファナの白い手が、アイラの手を優しく包み込む。
微かな震えが伝わってきた。
「すぐに……よくなりますわ。ただの疲労ですもの」
震えを隠すかのように、ファリファナの手に力が加わる。
アイラは、彼女の些細な言動の中に、己れを蝕む病魔が『ただの疲労』ではないことを見出した。
肺の辺りが呼吸する度に苦しく、重い。
ただの吐血ではなく――喀血なのだろう。
魔物は既に根づいている。
払拭できぬほど強く、深く……。
長い地下牢生活が元凶であることは、間違いない。
自分はあまりにも長く、あの閉塞された空間で微睡み過ぎたのだ。
「わたくしのせいですわ。わたくしがファラを使って、驚かせてしまったから……」
「貴女のせいではないよ」
アイラは、悔やみを紡ぐファリファナの手を静かに握り返した。
「貴女のせいではない――」
否定の言葉を繰り返し、アイラは瞼が重くなるに任せて瞳を閉ざした。
すぐに、闇が舞い降りてくる。
漆黒の闇に浮かび上がるのは、真紅の花群。
死者に捧げる紅蝶だった……。
死の国が忍び寄っている。
だが、その前に成し遂げなければならない。
――何を、兄上……?
不意に、真紅の花群の中に、黄金に輝く妹の姿が出現した。
片手に血に塗られた神剣ローラ、もう一方の手には鮮血を迸らせる夫の生首を抱えている。
――兄上にはラパスを討つことはできぬ。愚かな考えは捨てて、私と共に行こう。
妹の真紅の手が差し出される。
アイラは悲しげに首を横に振った。苦い笑みが顔に広がる。
本物のアーナスは、決してそんなことなど言わない。
『どうせ死ぬのなら、何がなんでもラパスを道連れにしろ。行き着く先が、たとえ地獄であろうとも――』
これくらいのことを平気で言う、激しい気性の持ち主だった。
闇の中のアーナスは淋しそうな顔をしたが、それでも手を引こうとはしなかった。
「まだ……迎えに来るな、アーナス」
「アイラ様……?」
自分の手を握るファリファナの手に力が加えられた。
闇の中で紅蝶が激しく乱舞し始める。
真紅の花弁に、アーナスの姿は隠された。
闇が全てを支配する。
繋がれたファリファナの手を離さずに、アイラは再び眠りに落ちた――
「3.邂逅――胎動」へ続く

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目を開けた瞬間、心配そうに顔を覗き込む紅い双眸と出合った。
「アイラ様……」
今にも泣き出しそうな顔で、ファリファナが自分を見つめている。
アイラは、その頬にそっと手を伸ばした。
中庭で倒れた後の記憶がない。
誰かが自分を寝台に運び、ファリファナはずっと傍についていたくれたのだろう。
「――私は……?」
「血を……少しお吐きになっただけですわ。医師が、心身の疲労が吐血を招いたのだと言っておりました」
語るファリファナの表情はどこか狼狽え、青ざめてさえ見えた。
「本当に……?」
「ええ。一時的なもので、すぐによくなりますわ」
ファリファナの白い手が、アイラの手を優しく包み込む。
微かな震えが伝わってきた。
「すぐに……よくなりますわ。ただの疲労ですもの」
震えを隠すかのように、ファリファナの手に力が加わる。
アイラは、彼女の些細な言動の中に、己れを蝕む病魔が『ただの疲労』ではないことを見出した。
肺の辺りが呼吸する度に苦しく、重い。
ただの吐血ではなく――喀血なのだろう。
魔物は既に根づいている。
払拭できぬほど強く、深く……。
長い地下牢生活が元凶であることは、間違いない。
自分はあまりにも長く、あの閉塞された空間で微睡み過ぎたのだ。
「わたくしのせいですわ。わたくしがファラを使って、驚かせてしまったから……」
「貴女のせいではないよ」
アイラは、悔やみを紡ぐファリファナの手を静かに握り返した。
「貴女のせいではない――」
否定の言葉を繰り返し、アイラは瞼が重くなるに任せて瞳を閉ざした。
すぐに、闇が舞い降りてくる。
漆黒の闇に浮かび上がるのは、真紅の花群。
死者に捧げる紅蝶だった……。
死の国が忍び寄っている。
だが、その前に成し遂げなければならない。
――何を、兄上……?
不意に、真紅の花群の中に、黄金に輝く妹の姿が出現した。
片手に血に塗られた神剣ローラ、もう一方の手には鮮血を迸らせる夫の生首を抱えている。
――兄上にはラパスを討つことはできぬ。愚かな考えは捨てて、私と共に行こう。
妹の真紅の手が差し出される。
アイラは悲しげに首を横に振った。苦い笑みが顔に広がる。
本物のアーナスは、決してそんなことなど言わない。
『どうせ死ぬのなら、何がなんでもラパスを道連れにしろ。行き着く先が、たとえ地獄であろうとも――』
これくらいのことを平気で言う、激しい気性の持ち主だった。
闇の中のアーナスは淋しそうな顔をしたが、それでも手を引こうとはしなかった。
「まだ……迎えに来るな、アーナス」
「アイラ様……?」
自分の手を握るファリファナの手に力が加えられた。
闇の中で紅蝶が激しく乱舞し始める。
真紅の花弁に、アーナスの姿は隠された。
闇が全てを支配する。
繋がれたファリファナの手を離さずに、アイラは再び眠りに落ちた――
「3.邂逅――胎動」へ続く


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テーマ * 自作小説(ファンタジー)
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Category * 紅蓮の大地