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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Wed
2009.07.08[20:32]
    *


「わたくし……きっと、アイラ様の心を傷つけてしまいましたわね」
 ファリファナは、沈鬱な表情で溜息を落とした。
 王太子ザラヴァーンの私室に引きこもってから、口に出るのは嘆息ばかりだ。
 寝台に寝転がるザラヴァーンの髪を優しく指で梳きながらも、心は愛する王太子ではなく別の王子のことを考えている。
「ファリファナ、大丈夫だよ。アイラ様は優しいから」
 ふと、ザラヴァーンが顔を覗き込んでくる。
「ええ、太子……。アイラ様は、太子やわたくしにもお優しい方ですわ」
 敵であるはずのカシミア人に対して、柔和に音便に――礼節をもって接してくれるアイラ。
 彼は知悉している。解っているのだ。自国に滅びをもたらしたカシミアの全てが元凶ではない、と。あの一年前の戦火の罪が、ザラヴァーンやファリファナにはないことを……。だから、責めるわけでも、憎悪するわけでもなく、ごく普通に応対してくれる。
 ――強くて……優しい人だ。
 同じ境遇に立たされたなら、自分は『憎き王の息子』というだけで、その子供を憎んでしまうだろう。
 だが、アイラは違う。
 ――あの方は、不毛な憎しみと復讐が、不要な哀しみと新たな復讐しか生み出さないことを知っている……。
 ファリファナは心に重苦しい痛みを感じて、ギュッと眉根を寄せた。
 ――傷つけてしまった。
 言わなくても弁えているだろう余計な一言。
 ファリファナはザラヴァーンの身を護ってくれようとしたアイラに、それを容赦なくぶつけてしまったのだ。
『……それを覆すことなど、私には生涯できないのだよ』
 静かに、しかし確固たる意志を秘めて紡がれた言葉。
 傷を抉られたように、痛々しげな微笑を浮かべていた……。
 そんなことは他人に言われなくても重々承知している――と、海よりも深く蒼い瞳が告げていた。
 あの瞬間、ファリフアナは拒絶されたような錯覚に陥ったのだ。
「わたくし……」
 ファリファナは、きつく唇を噛み締めた。
 間違いなく、アイラに拒絶されたことに衝撃を受けた。アイラに《壁》を造られたことが胸に痛い。心が動揺している。
 アイラに嫌悪される自分を恐れている――怯えている。
 気がつけば、心の中にアイラが棲んでいた。
「わたくしの自惚れですわね……」
「ファリファナ?」
「わたくし、アイラ様が病人であることを理由に、あの方にはわたくしが必要なのだと――わたくしが傍にいなければ駄目なのだわ、と思い込んでましたのよ」
 泣きたい衝動が心の裡に芽生えたが、ザラヴァーンの手前、グッとそれを抑える。
「わたくし……美しくて繊細な玻璃細工を手に入れたように錯覚していましたの。でも、それはわたくしだけの思い上がりですわ……。剣を手にしたアイラ様を目にして、解りましたの。あの方の背には、翼が生えている。いつか、あの方は空高く羽ばたいてゆくでしょう。そして、わたくしはこの地上に残される。陛下が、わたくしを拒絶した時のように――」
 ファリファナは、涙が零れ落ちるのを防ぐように己れのドレスを強く握り締めた。
「僕は、難しいことは解らないけど――」
 ザラヴァーンの手が、血の気を失ったように白くなったファリファナの手に重ねられる。
「ねえ、ファリファナ。アイラ様のこと好き?」
 唐突に訊ねられて、ファリファナは目を瞠った。
 その一言が胸を貫き、身体の芯まで得体の知れぬ緊張を走らせたのだ。
「僕は、好きだよ」
 ザラヴァーンが無邪気に微笑む。
 その笑顔に、ファリファナは救われたような気がした。子供は単純だ。だが、その分、自分に正直だ。己が心に忠実で素直だ。
 そう、単純なことだったのだ。
 嫌われるのが――拒まれるのが怖いのは、その人物に好意を抱いているからだ。
「……ええ。わたくしも、あの方がお好きですわ、太子」
 ファリファナは精一杯明るく微笑んだ。
 暗く沈み込んでいた心に、光が射すのを感じた。
 今までは、意識の水面下で認めることを避けていた。だが、避ける必要など本当はなかったのだ。この想いは、もう否定するほど小さくはなく、日々募ってゆくのだから……。
 ――わたくしは、アイラ様に惹かれている。
 胸中で呟き、ファリファナはその事実を受け入れた。
「不謹慎かもしれませんけど、綺麗だと思いましたの」
 ザラヴァーンを両手に抱き締めながら、ファリファナは再び笑んだ。
「剣を手にし、返り血を浴びながら銀の髪を靡かせて駆ける、あの方を――綺麗だと思いましたの。わたくし、あの時、あの方に見惚れましたわ。ああ、これがアイラ様の真実の姿なんだわ、と感じましたの。あの方の心は、紛れもなく戦士ですわ。ただ綺麗なだけの玻璃細工でも、美しい小鳥でもないのです。あの方は、ここにいてはいけない人ですわ」
「アイラ様、お城を出ていってしまうの?」
 淋しげにザラヴァーンが問いかける。
「あの方には、この鳥籠は危険過ぎるのですわ」
 ファリファナは、曖昧な言葉と笑みを愛しい幼子に向けた。
 アイラの剣士としての資質をラパスが知らないわけがない。今は、まだ病が邪魔をしているが、いずれ完全に甦るだろう。その時、ラパスはどんな手を使ってでも、自分の鳥籠の中にアイラを閉じ込めておこうとするに違いない。ラパスにとってアイラは、キール完全制圧への切り札だ。それをみすみす手放すはずがない。
 アイラの翼は――ラパスによって無残に引き千切られるだろう。
「太子。わたくし、あの方が好きですわ。あの方をお護りしたい」
「ファリファナが、したいようにすればいいんだよ。僕、ファリファナもアイラ様も大好きだもん」
「太子……?」
「僕は大丈夫。だって、ファリファナにたくさんのことを教えてもらったもん。昔みたいに泣いたりしないよ。強くなったから……。これから、もっと強くなるんだ。いつか僕は、父上に負けないぐらいの王様にならなきゃいけないんだから」
「太子。わたくし、太子のことは実の子供のように愛しておりますわ」
「うん。僕、ファリファナからたくさんの愛情をもらったね。だから、大丈夫」
 ――父上に愛されなくても……。
 ファリファナは、ザラヴァーンの心の声を聞いたような気がした。この小さな子供は、知っているのだ。自分がラパスの実子ではないことを……。
「太子は、良き王におなりになりますわ。陛下よりも」
 ファリファナはザラヴァーンを胸に掻き抱いた。
 こんな小さな子供でも、己れの心をしかと定めている。
 ――わたくしも己れを見定めなければ。
 ラパスが求婚したギルバード・アーナスに、いつまでも妙なこだわりと執着を持ち続けている場合ではない。
 逃げるのは――流されるのは、もう充分だ。
 己れにとって何が大切なのか、何が真実なのか、見極める時だ。
 ――わたくしは、陛下ではなくアイラ様に心惹かれている。
 姿形は似ていても、アイラはギルバード・アーナスではない。一人の人間――ファリファナを魅了してやまない人間だ。
「わたくし、伯爵位を継ぎますわ」
 ファリファナは、愛するザラヴァーンに向かって宣告した。
 これは、転機だ――



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Category * 紅蓮の大地
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