ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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 時は、同じ頃――


 天王は、天空城の外に出て、緑萌ゆる森の中を歩いていた。
 百年前の乱以来、滅多に外出することのなくなった天王を、女官たちが半ば強引に連れ出したのである。
 特別外気を吸いたかったわけではないのだが、女官たちの誘いに応じなければ『ご病気なのではっ!?』と騒ぎ立てられるので、天王としては彼女たちに従わざるを得ない。
 先日、朝餉をほんの少し残しただけで、大騒ぎに発展したのだ。一切の公務を中断させられ、医師による問診や検査が一日中行われたのである。
 挙げ句、枢密院の老獪たちが加持祈祷を行うとまで言い出し――それを耳にした七天の面々が『天王が大病を患った』と勘違いして慌てて駆けつけてきた。城内は、天王本人をそっちのけにして、てんやわんやの大騒動になったのである。
 あれには、正直辟易した。
 皆、自分の身を案じてくれているのは、痛いほどよく解る。
 だが、申し訳ないことに天王の健康状態は頗る良好だった。
 周囲の者が懸念するように、病に冒されているわけではない。
 ただ、些少な寂寥感が心に渦巻いているだけだ。
 ――もう少し天王としての役目を果たした方がいいんだろうな。
 漫然とそんなことを考える。
 天王としての《仮面》が剥げかけているから、笑顔や口数の減った彼のことを皆とても不安に感じているのだろう……。
 百年前、唯一の友を我が手で殺め、神人の受け入れを確立してからというもの、ふとした瞬間に《天王》であることを忘れてしまう。『天界の象徴』として取り繕うことを失念してしまうのだ。
 平和な世が訪れ、気が抜けてしまったせいかもしれない。
 平穏な時が続けば続くほど、フッと心に翳りが射す。
 失ってしまった者の影を追っている。
 自分の隣に彼が肩を並べることは、もう二度と有り得ないのに――
 ――私も潔くないな……。
 まだ心の何処かで『あれは夢だったのだ』と思い込みたい自分がいることを実感し、天王は無意識に苦笑を浮かべていた。
「久方振りの外はどうですか、天王様?」
 その苦笑いに気づいたのだろう。控え目に隣を歩く古参の女官が、たおやかな笑みを向けてくる。天王の表情に変化があったことを喜んでいるらしい。
「世界はこんなにも光に満ち溢れています。光があるから、世に存在する全ては輝いていられるのです。我らにとって、天王様はこの光――」
「私は……そんなに素晴らしくも輝いてもいないよ。でも、そうだね――久し振りの外も悪くはないね。眩い光を浴びたら、目が醒めた」
 天王は脚を止め、女官へ向けて笑顔を贈った。
 失ったものを嘆いてばかりでは、何も変わらない。
 それどころか周囲の人間まで負の螺旋に巻き込んでしまう。
 甘美な悪夢に微睡むのを止め、顔を上げるべきなのだろう。
 前を見るべきなのだろう。
 かつて自分のことを《友》と――《光》と讃えてくれた者のためにも。
「永い間、心配をかけてしまったね。私はどこも悪くないし――もう大丈夫だよ。折角、皆で出てきたのだから、散策を楽しもう」
 もう一度微笑みかける。
 天王の笑みを見て、古参の女官も他の者たちも驚いたようにハッと息を呑んだ。
 彼女たちの反応で、自分がどれほど長い時間笑っていなかったのか、思い知らされる。
 彼女たちに辛い想いをさせていたことに、また胸が痛んだ。
 自分の一挙一動が多くの人の心を浮きも沈みもさせることを、改めてしかと心に刻んでおかねばならない。
 自分は天王――天界の象徴なのだ。
「さあ、行こうか」
 天王は端的に告げると、微笑を湛えたまま皆を見回す。
「――はい、天王様」
 女官の顔に先ほどよりも華やかな笑顔が広がった。



 森の一角に美しい泉を発見した。
 清涼感のある水面が天王の注意を引く。
 見た目にも凜とした清水が、心を浄化してくれるような気がしたのだ。
 泉の淵で、天王は思慮するように立ち止まった。
 光を浴びて煌めく水面は明澄で、まるで天王を誘っているかのようだ。
 やがて、天王は長い下衣の裾を片手で摘むと、足の先を泉に浸した。
 水の冷ややかな感触が心地好い。
「天王様、いけませんよっ!」
 すかさず女官たちから制止の声が飛んでくる。
「足だけだよ。衣を脱いで全裸になる訳ではないのだから、何もそんなに神経質にならなくても――」
 天王は女官たちの心配性振りに苦笑いを零すと、行為を続行した。
 片足が泉のそこに達したのを確認し、残る一方の足も泉に沈める。
 両脚とも泉の底を踏み締めた。
 と、思った瞬間――
「――えっ!?」
 足下がツルッと滑った。
 驚愕に目を丸めた時には、天王は勢いよく水飛沫を跳ね上げて転倒していた。
「キャアァァッッ、天王様っっっ!?」
 女官たちが悲鳴をあげながら、一斉に泉へと駆け寄ってくる。
 天王は泉に尻もちをついたまま、大丈夫だということを示すために片手を挙げた。
 泉を覗き込み、天王が無事なのを確認すると、女官たちの悲鳴はクスクスという忍び笑いへと変化した。
「天王様、そのお姿では今日の散策はこれまでですね」
「まあ、自慢の御髪がびしょ濡れですわ」
「さあ、早くお城へ戻りましょう。お風邪をひきますわよ」
 楽しそうに言いながら、女官たちは天王に手を差し伸べ、彼を泉から引き上げる。
 天王は、水浸しの自分をひどく嬉しそうに眺めている女官たちに苦笑を向け、衣の水を手で絞った。だが、それはあまり功を奏さず、天王の全身からはひっきりなしに水が滴っている。
「引きこもり過ぎて、感覚がおかしくなったかな?」
 いとも容易く滑ってしまった己を恥ずかしく思い、天王は顔に貼りつく長い髪を鬱陶しげに片手で掻き上げた。
 女官に囲まれるようにして城へ引き上げかけ――天王はやにわに足を止めた。
「――――!?」
 秀麗な顔に緊張が漲る。
 馬の蹄の音が聞こえたのだ。
 天王はその場に佇み、首だけを巡らせて音のする方を注目した。
 何故だか胸がひどく痛んだ。


 蹄の音が近づいてくる。
 木々の合間を縫うようにして、一つの騎影が出現した。
 女官たちの間に緊迫した空気が流れる。
 天空城の敷地内――しかも、天王の傍に不審者が現れたことを警戒しているのだ。
 白馬に跨る黒き影は、戸惑ったように周囲を見回している。どうやら、森を進む内に道に迷ってしまったらしい。
 やがて、黒き影は馬首を巡らせてこちらへ向かってきた。
 徐々に馬上の人物の姿形が明瞭になってくる。
 トクン――と、また胸が鈍痛を発する。
 白馬を操っているのは、癖のない黒髪を頭の高い位置で一つに束ねた青年だ。
 まだ少年っぽさが残る顔は、遠目からでもはっきりと解るほどに端麗だった。
 青年が馬を進める度に、優雅に黒髪が揺れる。
 天王はしばし我を忘れ、その美貌に見入っていた。
 馬上の青年も天王に興味を惹かれたのか、一行の前まで来ると手綱を引いて馬を止めた。
 黒曜石のような双眸が、じっと天王を見下ろしている。
「ぶ、無礼者っ! この御方をどなたと――」
「よい。気にするな」
 天王を不躾に見つめる青年の態度に激怒したらしく、古参の女官が憤然と彼を睨めつける。
 天王はやんわりとそれを制すると、その場からは動かずに、改めて馬上の青年を仰ぎ見た。
「――どちらから?」
 天王が問うと青年は困惑気味に首を捻り、それからゆっくりと口を開いた。
「……下界から。いくつもの試練を乗り越えて――ようやく天界へ昇ることが許されました」
「そう……。永い旅だったね。――ようこそ、天界へ」
 天王は張り裂けそうな胸を片手で押さえながら、青年へ向けて微笑んだ。
 唇が弧を描いた瞬間、頬をつと水流が伝う。
 それが、泉の水であったのか、別の何かであったのか――天王にも判別がつかなかった。
 ただ、心が切ないほどにさざめいていた。
 青年は、眩しそうに目を細めて天王だけを見つめていた。
 ――が、しばらくすると無言で一礼し、再び馬を駆らせ始めるのだ。
 馬上で揺れる黒髪を、天王は静かに見送った。
「――天王様?」
 微動だにしなくなった天王に、女官たちが怪訝そうに声をかける。
 天王は力なく首を横に振った。
 言葉などなくとも解る。
 彼が還ってきたのだ。
 たとえ青年が自分のことを記憶に留めていなくても、自分の心はそれだけで報われる。
 もう還ってはこないものと、諦めかけていた。
 それだけに胸に湧き上がってくる驚喜と愛しさは大きい。

 百年前、禁忌を犯した――
 滅さなければいけない魂を昇華し、転生輪廻の環に組み込んだ。
 天王としてではなく、一個人として。
 生まれて初めて私情に走った。流された。
 天王にあるまじき愚行――赦されざる大罪だ。
 憤慨する枢密院から出された条件の一つは、記憶の削除。
 彼の裡から天王に関する《友》としての記憶を消し去り、転生後はみだりに彼と接触しないこと。
 もう一つは、この先の千年、天王は《天王》としての戒律を遵守し、生き続けること。
 それだけだ。

 そう、それだけだ。
 彼がこの世界に再び生まれ出ずることに比べれば、他愛もない条件だ。

「天王様、濡れたままでは本当にお風邪を――」
 再度、女官が声をかけてくる。
「もう少し……もう少しだけ、ここにいさせてくれ」
 天王は黄昏色の双眸で青年の姿を追った。
 髪から垂れ落ちる水滴が瞳を滲ませる。
 視界が霞んだ。
 それでも天王は、遠のく青年の後ろ姿を見つめ続けていた――



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2009.07.12 / Top↑
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