ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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「もう二十年近く前の出来事だ。今は、貴籐先生と桐生くんが幸せなら、それでいい」
 持田は『つまらないことを口走った』と後悔したのか、気遣わしげな眼差しを水柯に送ってきた。
「両親もわたしも幸せですよ」
 水柯は朗らかな笑みを持田に返した。
「幸せ、か……。それなら心配はない。当時を知る教師は、今では私だけだ。あの事件の真相は私だけの胸に秘めておけば――」
「先生?」
 急に持田がブツブツと独り言を唱えだしたので、水柯は怪訝に思い眉をひそめた。
 水柯の呼びかけに驚いたように、持田がハッと息を呑む。
 一瞬、『しまった』というような表情が浮かんだが、それはすぐにいつもの穏やかな笑みへと変化した。
「いやいや、すまない。時の流れに、何というかな……寂寥を感じただけだよ」
 取り繕うような持田の笑顔に、水柯は大きく首を捻った。
 何だか釈然としない。
 だが持田は、水柯に詮索の隙を与えまいというように素早く話題を切り換えた。
「それよりも貴籐、ちゃんと桐生くんに勉強をみてもらえよ」
「うっ……」
 痛いところを突かれて、水柯は喉に息を詰まらせた。
 勉学のことを持ち出されると弱い。
「蒔柯さんは頭脳明晰だっていうのに、どうして水柯はマンガオタクなのかな」
 追い打ちをかけるように、隣で樹里がボソッと嫌味を放つ。
 とうとう水柯は言葉そのものを失ってしまった。
 横目で樹里を睨みながら、恨みがましく押し黙っていると、
「まあ、頑張れよ。人間、やってできないことはないさ」
 持田が励ますように水柯の肩を叩いた。
「けど、水柯の場合はどうかな?」
「樹里!」
 水柯は、味方をしてくれる気は毛頭なさそうな樹里の脇腹を思いっ切り肘で突いてやった。
 樹里の端整な顔に意地悪な笑みが広がる。
「まっ、水柯が留年しても僕には関係ないけどね」
「そう苛めるな、田端。――おっと、今日は一斉下校日だったな。呼び止めて悪かった。もう帰っていいぞ」
 持田が樹里に苦笑を向けてから、軽く片手を挙げる。
「あっ、その一斉下校日の件なんですけど」
 不意に、樹里が思い出したように告げた。
「先生、聖華に三十年近くいるんですよね?」
「そうだなぁ。もう、そんなになるか」
 持田が苦笑を引っ込め、フッと遠い目で虚空を見つめる。
「水妖伝説って、昔からあったんですか?」
「いきなり、どうしたのよ」
 水柯はしかめっ面で樹里を見上げた。
 つい先ほど、教室で『下らない伝承だ』と話していたばかりなのに、またその話題が樹里の口から上ったのが不思議だったのだ。
「いや、何となく。別に深い意味はない」
 樹里がヒョイと肩を聳やかす。
 どうやら本当にただの思いつきで口に出してみたらしい。
「水妖伝説か。私が赴任した時には、既に噂はあったな」
「へえ。この学園、昔から怪談を信じ込む風潮があったんですね」
「あまり認めたくないが、奇々怪々な現象が頻発しているのは事実だ。私も宿直の時に、幽霊らしきものを視たことがある」
「幽霊らしきもの、か……」
 樹里が口元を歪める。
 彼は怪奇現象の類を全く信じない質なのだ。
「水妖伝説は確証のない噂だ。だが、私が赴任して十数年経った頃、謎の死を遂げた生徒が幾人かいるんだよ。その中には、九月十日の朝、中庭で発見された遺体もある」
 持田の顔に昏い翳りが射す。
 当時のことを顧みて、いたたまれなくなったのだろう。
 持田の話を聞いて、水柯は背筋に悪寒が走るのを感じた。
 九月十日の朝に発見――それは、その生徒が九日の夜に亡くなったことを意味していないだろうか……。
「嘘……。それも噂ですよね?」
「亡くなった生徒がいるのは真実なんだよ。おそらく、伝説の真偽を確かめようと遊び半分で学園に忍び込み、そこで何か事故に見舞われたのだろう」
「忍び込んだ生徒たちはみんな死んだ――死人は何も語らないし、生き証人もいない。つまり、伝説が正しいのかどうか、これまで誰にも判断できていないってことですよね」
 樹里が眉間に皺を寄せながら、猜疑に満ちた眼差しを持田へ注ぐ。
「その通りだ。伝説に信憑性はない。だがそれ以後も、好奇心に駆られるのか真偽を確かめようとする生徒が時折いてな、彼らの全ては還らぬ人となった。そんなわけで伝説がどうあれ、学園側は九月九日の一斉下校と夜間学園封鎖に踏み切らなくてはいけなくなったのだよ。まあ、二十一世紀になった今、生徒がオカルトじみた伝説を真に受けることはないと思うが……。それだけが幸いだな」
 持田は一息に語り、話に終止符を打つように大きな溜息をついた。
「さあ、もういいだろう。生徒は四時までには下校しなきゃならないからな。おまえたちも早く帰宅するといい。――それじゃあ、また明日な」
 簡素に別れの挨拶を述べ、持田は背を返すと立ち去っていった。
 その後ろ姿を見送りながら、
「帰ろうか、樹里」
 水柯は樹里の制服をツンツンと引っ張った。
「そうだね。帰るか」
 樹里が緩慢に頷く。
 それを合図に、二人は長い廊下を歩き始めた。
「全くのデタラメってわけでもなさそうだな、水妖伝説」
 肩にかかるプラチナブロンドを片手ではね除けながら、樹里がポツリと呟く。
「伝説なんて、わたしたちには関係ないわよ。それに、水の妖怪なんているはずないもん」
「漫画家志望なのに、夢がないな」
「わたしはロマンチストだけど、自分の目で見たもの以外の存在は信じないのよ」
「フンッ、はったりロマンチストが」
 他人を小馬鹿にしたように鼻を鳴らす樹里に、水柯は得意気に微笑んでみせた。
「はったりでも何でもいいのよ。わたしが尋常ならざるものの存在を信じなくても、他に信じる人は沢山いるわ。わたしは、その人たちのためにマンガで夢を与えてあげるのよ。それが、わたしの天命なの」
「ご大層なことで」
 樹里が冷笑を湛える。
 明らかに水柯の言葉を真剣に受け止めていない態度だ。
 すかさず水柯は抗議しようと口を開きかけたが、すぐに思い留まった。
 だらしなく半開きになった唇を慌てて引き結ぶ。
 ここで反撃しても、延々と不毛な嫌味合戦に突入するだけだ。
 可能な限り、それは避けたかった。
 樹里と険悪な仲になりたいわけではない。
 寧ろ、その逆だ。
 昔から位置づけられている《幼なじみ》という枠から抜け出てみたい。
 もっと樹里の傍に行きたい。
 常に、心の奥底でそう切望している。
 だが、その願いは水柯の心に熱を注ぐのと同時に、恐怖をも呼び起こすのだ。
 樹里の全てを欲し、しかしそれが叶わなかった時――今まで築き上げてきた絆が壊れてしまうような気がしてならない。
 失うのが怖い。
 だから、今に至るまで想いを打ち明けることができずにいた。
 水柯は廊下を歩きながら、幼なじみの横顔をそっと盗み見た。
 樹里の宝石のような双眸は前を見据えている――自分に向けられることはない。
 不意に、それが永遠の決まり事のような錯覚に陥って、水柯の胸は締めつけられるような痛みを発した。


     *



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2009.05.27 / Top↑
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