ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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 生徒玄関から校庭へと足を踏み入れた途端、無意識に唇がハミングを刻んだ。
 いつもの曲目の解らぬ唄だ。
 樹里と一緒に帰れる喜びに、水柯の心は少なからず弾んでいた。
 貴籐家と田端家は隣同士だというのに、水柯と樹里が登下校をともにすることは滅多にない。
 小学校までは常に一緒だったが、中学に上がったのを境に樹里が嫌がり始めたのだ。
 いわゆる思春期というやつだったのだろう。
 たとえ幼なじみといえども、女子と二人で登下校することに激しい抵抗を覚えたようだ。
 高校生になって幾らか樹里の態度は軟化したが、こうして肩を並べて歩くことは稀だった。
 だから自然と胸が躍った。
 渋い緑色の群れに混ざり、校庭を進む。
 正門の前に達したところで、樹里が足を止めた。
「それ、いつも歌ってるよな。何の唄?」
「えっ? あっ、わたしも知らない。物心ついた時には歌ってたみたいなんだけど……」
 唐突に訊かれ、水柯は戸惑った。
 記憶のページを過去へと向かって捲ってみるが、唄に関する想い出も知識も見当たらなかった。
 ただ、子供の頃から口ずさんでいたことだけは覚えている。
「知らないで毎日歌ってるのか。変な奴だな」
 樹里が呆れ混じりに告げる。
 直後、乾いた風が水柯の頬と髪をサッと撫でた。
 同様にして樹里のプラチナブロンドを風がさらい、幻想的に宙へ舞わせる。
「風が強いな」
 揺らいだ髪を片手で押さえ、樹里が形の良い顎を上向かせた。
 西に傾きつつある陽の光が眩しかったのか、双眸が閉ざされる。
 次に瞼が持ち上がった時、翡翠色の虹彩は陽光を反射させ、宝玉そのもののように煌めいた。
 ――綺麗。
 水柯は見慣れているはずの幼なじみの顔に、思わず見惚れてしまった。
 時々樹里は、同じ人間とは思えぬほどの苛烈な輝きを発することがある。
 彼の裡から不意打ちのように放たれる光輝。
 神々しささえ感じさせる樹里の姿は、水柯に純粋な驚嘆を与える。
 それと同時に、払拭できぬ寂寥感をも水柯の心の中に産み落としてゆくのだ。
 樹里の内面から発せられる冷たい輝きの正体を、水柯は知悉している。
 孤独と孤高だ。
 樹里には他人を魅了し、惹きつける力が宿っている。
 だが、それと同じくらいの強さで、他人を自分に近寄らせない、という相反する力をも彼は持ち合わせていた。
「僕の顔に何かついてる?」
 ふと、天を仰いでいた樹里の視線が水柯の顔の位置まで落とされる。
 視線が合致した瞬間、水柯は急に自分の考えていたことに羞恥を覚えた。
 取り繕うように笑顔を造る。
「樹里は綺麗だなと思って」
「何だよ、今更」
「わたしが触れちゃいけないぐらい綺麗。血は争えない、って本当ね。サラさんも怖いくらいの美人だけど、樹里はもっと――」
 何気なくそこまで口にして、水柯は慌てて口を噤んだ。
 失敗に気づいたのだ。
 決して口外してはならない言葉を口走ってしまった。
 しかし、一度口から飛び出してしまった言葉はもう取り戻せない――取り消せない。
 気まずさに固唾を呑んで樹里を見上げると、彼の双眸に硬質的な輝きが灯った。
 樹里の全身を仄暗い怒気が包み込むのを目の当たりにして、水柯は己れの過ちを痛感した。
「僕は、この顔も髪も――僕の身体の全てを綺麗だなんて思ったことは一度もない」
 抑揚の欠片もない淡然とした声。
 樹里の心が深く傷つけられ、それゆえに彼が激怒していることを表していた。
「あの女の血が流れているものなんて、何一つ要らなかった。あの女からは何も――細胞の一つさえ受け継ぎたくはなかったんだよ」
 樹里の瞳に憎悪の炎が迸る。
「あの女の話はするな」
 冷ややかに吐き捨て、樹里は唇を堅く引き結んだ。
 感情を露呈してしまったことを隠蔽するように水柯から顔を逸らし、俊敏に身を翻す。
 そのまま彼は、脇目も振らずに正門を潜り抜けて行ってしまった。
「樹里……!」
 樹里を追いかけようとして、水柯は愕然とした。
 足が動かなかったのだ。
 自分を拒絶する樹里の背中が怖い。
 金縛りに遭ったような焦燥と恐怖に駆られながら、水柯は遠ざかる樹里の後ろ姿を眺めていた。
 大切な幼なじみに対して、思慮することなく爆弾発言をしてしまったことが、ひどく悔やまれる。
『サラさん』
 軽々しく唇に乗せてはいけない名前――樹里に対する禁句だ。
 熟知していたはずなのに、迂闊にも愚行を犯してしまった。
 サラ・エドワーズ――本名・田端サラ。
 樹里の極度の女嫌いは、彼の母親に起因するというのに……。
 去り行く幼なじみの姿が、涙で潤んだ視界の中で溶けるようにして消える。
 水柯は眼鏡を外し、零れ落ちる寸前だった涙を指で拭った。
「サイテー」
 自分自身を端的に詰り、水柯は色を失った唇を痛いほど噛み締めた。


            「3.憂鬱な夜」へ続く



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2009.05.27 / Top↑
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