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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Wed
2009.07.15[08:57]
「センセーッ! ビジン、起きた?」
 保健室に入ってくるなり、曽父江零治は大声を張り上げた。
「――零治!」
「零治くん、静かに!」
 美人と西野の声が重なった。どちらも非難を含んでいる。
 ここは保健室――病人の集まる場所で、大声を出すのは非常識だ。今はたまたま患者が美人しかいないので、特に問題はなかったのだが……。
 それでも、良識的な美人と部屋の主人である西野は、揃って咎めるような眼差しを向けた。
 そうされた方の零治は、一歩だけ後ずさる。
「な、何だよ? 二人で怒ることないだろ。そっちの方が大声だし」
 零治は唇を尖らせながら抗議する。後半は殆ど居直ったセリフだ。
 彼は部屋をキョロキョロと見回し、他に誰も居ないことを確認すると、長い足を動かしてベッドの脇までやってきた。
「もういいのか、ビジン? 大丈夫なら、帰ろうぜ」
 ドカッとベッドの端に腰かけて、美人の顔を覗き込む。口調はいつも通り簡素なものだが、眼差しは限りなく優しい。彼なりに美人のことを気遣ってくれているのだ。
「あっ、うん……」
 美人は反射的に頷いていた。
 どうも零治の言葉には反論できない――零治に弱いのだ、自分は……。
 西野にも『美人くんは零治くんに対して甘すぎます』と、数え切れないほど言われ続けている。
「帰ろうぜ――じゃないですよ、零治くん。今はまだ五時限目の途中です。また、勝手に授業抜け出して来ましたね? それに、昼休みに様子を見に来たばかりじゃないですか……。美人くんも、そんなに簡単に頷いちゃ駄目ですよ。まったく、美人くんは零治くんに甘いんですから」
 西野が呆れ顔で零治と美人を窘める。
 零治ときたら、片手にしっかりと鞄を二つ持っているのだ。
「だって、しょうがないだろ。ビジンはオレのこと好きなんだからさ」
 零治が腕を組みながら、得意満面に西野を見遣る。
 西野は苦笑し、美人は赤面した。
 ――そんなこと、威張って言うことじゃないのに……。
 言った本人よりも美人の方が恥ずかしくて、ひたすら俯くしかない。
 思ったことをズバッと口に出すのは、零治の長所であり短所でもある。
「それは、もう何百回も聞きましたよ。本当に仲がいいですね、幼なじみって」
 西野は苦笑を引っ込めて、クスクス笑い出す。
 美人と零治は、物心つかない内からずっと一緒なのだ。家が隣合わせの上に、母親同士の仲が良いのである。二人の最も古い記憶の中には、既にお互いが存在し合っていた。
「幼なじみなんて簡単な言葉で片づけるなよ。オレとビジンは愛し合ってるんだから」
 冗談とも本気ともとれるような口調で言いながら、零治は美人の肩を抱く。
 美人はあからさまに不満げな表情を浮かべ、西野は更に笑い続けた。
「ハイハイ。そんなことは一々口に出さなくても解ってますよ、零治くん。美人くんの方は嫌がってるみたいですけどね」
「一言多いんだよ、センセは……」
 西野に指摘されて、零治は唇を尖らせる。
 それから、『まあ、いっか』という感じで溜息を洩らし、西野に向かって甘えた声を出す。
「ところで、センセ。オレも頭痛が酷いみたいなんだけど……?」
「――仕方のない生徒ですね。二人分の診断書を出しておきますから、さっさと早退なさい」
 西野は真顔に戻ると、机の所まで移動する。そして、彼はその上に乗っている『保健室利用者一覧表』に《曽父江零治》と書き加えた。
「サンキュー、西野センセ! ビジンの次に愛してるよ」
 零治は美人から離れ、西野の耳元で悪戯っぽく囁く。
「それは光栄ですね」
 西野は軽く肩を竦めた。
「すみません、先生」
 美人がベッドから抜け出しながら、申し訳なさそうに言葉を口にする。元はと言えば、零治の我儘の原因は《自分》にあるのだ。西野はいつも零治の我儘を聞き入れてくれるので、美人は頭が上がらないほど彼に感謝していた。
「――よし! じゃ、帰るか」
 何が『よし』なのか解らないが、零治は妙に納得したような口調で美人を促す。
 美人は苦笑混じりに頷いた。
 マイペースというか自分勝手というか、とにかく零治は自分本位の考え方が多い。長年、彼に付き合っている美人としては、それに従わざるを得ない。
 だが、決してそれが嫌な訳ではなかった。
 零治が迷いのない強い力で自分を引っ張ってくれるから、今の自分が在るのだ。彼のおかげで自分を見失わずに済んだ経験が幾度もある。
「それじゃあ、ありがとうございました」
 美人は西野に頭を下げて謝礼を述べる。
「じゃあな、センセ。また明日」
 零治が西野に向かって軽く手を振り、それからポンと美人の肩を軽く押し出して歩くように促す。当然、彼はその後に続いた。
「気をつけて帰って下さいね」
 西野は、柔らかい微笑みを、その端整な顔に浮かべて二人の背中を見送る。
 先に美人が保健室の外に出た。
「――零治くん」
 不意に、美人に続いて部屋から出ようとした零治に西野が声をかける。
「何、センセ?」
「……やっぱり何でもないです」
 一拍の間を措き、西野は静かに首を横に振った。
 その顔には苦々しげな微笑が浮かび上がっている。
『人を呼び止めておいて、何だ?』と、零治は少しだけムッとした。だが、西野の表情に疲労の影を見出して、眉根を寄せる。
「何だよ、センセ……気になるから言ってよ」
 零治は、西野よりも少し高い背を僅かに屈めて彼に注目する。
 だが、西野はもう一度かぶりを振っただけだった。
「……いえ、ホントにいいんですよ。――気をつけて帰って下さいね、零治くん」
「…………」
 そう言われて、零治は頷くこともそれ以上追求することもできなかった。西野は、まだ何か言いたそうだ。それなのに口にすることを躊躇っている。
「零治、何してるの?」
 保健室から中々出てこない零治を訝しんで、美人がヒョイと戸口から顔を覗かせる。
 それを契機に、零治は西野の気懸かりな呼びかけを聞かなかったことに決めた。
「何でもないよ、ビジン。――じゃ、またな、センセ」
 零治はサバサバとした口調で西野に別れを告げ、美人と共に保健室を後にした。



 二人の姿が視界から消えると、西野は眼鏡を外し、倒れ込むようにしてイスに腰を下ろした。
「零治くん、美人くんを護って下さい。それは、零治くんにしかできないのですから……他の誰も代わってあげることができない、あなただけの使命です」
 西野は、先ほど面と向かって本人に言えなかった台詞を口ずさんだ。
 わざわざ他人の忠告されなくても、零治なら無意識にそれを実行するだろう。
「――風が生温い」
 外した眼鏡を机上に置きながら呟く。
 保健室の空気は丁度いい湿度と温度なのだが、西野にはそれが妙に温かく、不快なものに感じられた。
《扉》から運ばれてくる異質な風のせいだ。
《扉》の隙間を潜り抜けてくる、特異な世界の空気。
 もう封印は解かれつつあるのだ。
 この学園は、気づかぬうちに浸食されている。
 西野は、言い表しようのない不安と疲労感に瞼を閉ざした。
 ――もうじき闇が降りてくる……。


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