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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Thu
2009.07.16[01:21]
 序


 月が紅い夜だった。

 山際に浮かぶ巨大な満月は、小さな村を不吉に照らし出している。
 赤味がかった月光を浴びながら、少年は山の中を歩いていた。
 手を引く叔母の足取りが速いせいで、必然的に少年の歩調も強まる。
 行く手を阻むように突き出た木の枝が時折素肌の腕を引っ掻いてゆくが、痛みを訴えることや足を止めることはできなかった。叔母がひどく真摯な顔で前を見据えているからだ。
 鬱蒼と木の生い茂る夏の山。
 木立の隙間に赤々とした炎が見え隠れし、人の声が響いた瞬間、叔母が足を止めた。
「須要(しゅよう)の神様の祟りだ」
「アサの怒りを鎮めろ。犠牲者を増やすな!」
「生贄だ。贄を捧げろっ!」
 男たちの怒号が山中に響く。
 彼らの動揺と怒りを表すかのように、木々の間から覗く無数の炎が激しく揺らめいた。
 松明を持った男たちが、凄まじい勢いで山を登っているのだ。
 その事実に気づき、少年は不安げに叔母を見上げた。
 叔母は口惜しげに眉根を寄せ、松明の群れを眺めていた。
 少年が軽く手を引くと、彼女は我に返ったように瞬きをし、ゆっくりと少年を見下ろした。
「下のお屋敷に行きなさい」
「叔母さんは?」
 少年は、自分と同じ名を持つ叔母を怪訝な眼差しで見返した。
「わたしは行けないのよ。これから大人だけで大事な話し合いが行われるの。それが終わるまで下のお屋敷で待ってなさい」
 叔母の手がそっと少年の背中を押し出す。
 少年は素直に従った。
 話し合いの場に自分がいては邪魔なのだろう。
 山を登ってくる男たちの怒声から、深刻な話し合いが行われることは予測できた。
 ここ数日、村では人死にが続いている。
 大人たちは相次ぐ人死にを祟りだと信じ、畏れているのだ。
 異変が早く収まるように、これから村の神に祈祷を捧げるのだろう。その証拠に、松明の炎は神社のある方角を目指している。
 少年は、松明の群れを避けるように山を下り始めた。
 途中、叔母が気になり一度だけ振り返る。
 叔母の姿はひしめく枝葉に遮られ、完全に視界から消えていた。
 まるで叔母そのものが初めから存在していなかったような錯覚に陥り、少年の胸はざわついた。
 天に浮かぶ紅い月が、恐怖心を煽る。
 少年は裡に生じた戦きを払拭するようにかぶりを振ると、一目散に駆け出した。



 無我夢中で山を走り抜け、少年は平地に飛び出した。
 視界に人家の灯火を発見して、ホッと安堵の息をつく。
 目の前に巨大な日本家屋が姿を現していた。
 この山村の村長宅であり、少年の幼なじみが住む家でもあった。
 少年は大きな門を潜り、正面の玄関から屋内へと足を踏み入れた。
 屋敷はしんと静まり返っている。大人たちは皆、山へ登ってしまったのだろう。
 一人広大な邸宅に残されているであろう幼なじみの心細さを思い、少年は急ぎ足で廊下を進んだ。
 幼なじみの名を呼びながら、広い室内を駆け回る。
 程なくして、廊下に洩れる光を発見した。
 和室の一つから煌々とした明かりが洩れている。
 開け放たれた障子――その奥に人の気配を感じた。幼なじみに違いない。
 少年は喜色を顔に滲ませ、何の躊躇いもなくその部屋へ向かった。
「……るな。来るな!」
 不意に、幼なじみの悲鳴じみた声が響く。
「どうしたの? 叔母さんがこっちにいろって――」
 少年は何気なく和室を覗き――絶句した。
 身体が恐怖に凍りつく。
 少年の視界は瞬く間に真紅に彩られた。
 夜空に浮かぶ月よりも遙かに禍々しい紅が一面に広がっている。
 畳を覆い尽くす真っ赤な液体。
 それが血であることを認識した途端、少年の全身は総毛立った。
 戦慄が胸の奥から迫り上がってくる。

 血の海の中に、人間が一人転がっている。

 見慣れた顔だった。
 少年のことを息子のように可愛がってくれた女性が、無惨な姿で横たわっているのだ。
 信じられない光景だ。
 女性の全身は血で汚されている。
 左胸――心臓には鋭い刃を持つ草刈り鎌が突き立てられていた。
 無意識に視線が鎌の姿をなぞる。
 柄にかけられた手を確認した刹那、少年は更なる恐怖に襲われた。
「うっ……あっ……ああ……」
 言葉にならない声が喉の奥から洩れる。
 嘔吐感が込み上げてきた。
 草刈り鎌を手にしているのは、大好きな幼なじみだったのだ。
 少年の頭は一気に混乱を来した。
 畳に座り込み、頭から血飛沫をかぶっているのは幼なじみ。
 そして、彼が持つ鎌に胸を抉られている女性は――幼なじみの実母だった。
 目にした状況が理解できず、また受け入れ難くて少年の思考は停止した。
 あまりのおぞましさに身体を震わせ、血の海を凝視することしかできない。
「……たす……けて――」
 ふと、幼なじみが鎌から手を離し、少年を見上げた。
 幼なじみの双眸から透明な雫が溢れ出す。
 涙は顔に付着した血飛沫と混ざり合い、幼なじみの頬に幾つもの紅い筋を作った。
「助けて……」
 幼なじみが血の海を這うようにして少年の方へやってくる。
「おまえしかいない……。おまえだけが味方なんだ。だから、助けて……助けてくれよ!」
 幼なじみが懇願の叫びをあげ、片手を伸ばす。
 少年は無意識に後ずさっていた。
 凄惨な場面に遭遇した衝撃に、少年の理性は完全に麻痺していた。
 身体だけが勝手に拒絶反応を引き起こす。
 今夜は何もかもがおかしい。

 山を登る男たちの異様なまでの興奮。

 諦観したような叔母の儚げな笑み。

 血塗れの幼なじみとその母。

 村を照らす不気味な紅い月――

 この村は呪われている。
 
 狂気に侵されている。

「……助けて」
 幼なじみが縋るように手を伸ばしてくる。
 少年が引きつった顔で首を横に振ると、幼なじみの手は急激に力を失い、畳の上に落ちた。
 幼なじみの全身が哀しみに打ち震える。
「おまえしか……いないのに――」
 幼なじみが愕然とした面持ちで少年を見上げた。
 彼の蒼く澄んだ瞳が、じっと少年を見つめる。
 宝石のような蒼い双眸は、激しく揺らめいていた。
 拒まれた怒り、突き放された哀しみ――様々な感情が瞳の中で忙しなく交錯している。
 僅かな時の流れの後、幼なじみの両眼から活力が失せた。
 蒼い目が急速に濁りを帯びてゆく。
 最後に幼なじみの目に浮かんだのは、信じていた者に裏切られた絶望だった……。
 少年は未だ恐怖から抜け出せずに、悚然と立ち竦んでいた。
 俺にはおまえしかいない――と、心から助けを求めてきた幼なじみを少年は見捨てたのだ。
 縋る手を拒絶してしまったのだ。

 ――僕は一生後悔するのだろう。

 頭では解っているのに、少年は幼なじみに手を差し伸べることができなかった。
 実母を殺めた血塗れの手を握り、共に地獄に堕ちる度胸がなかった……。
 全ては紅い月が見せた悪夢。
 夢なら早く醒めてほしい。
 深紅に染められた世界に佇み、少年は切に願った。



     「一.緋月村」へ続く



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