ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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 朝の涼やかな静けさが有馬家を覆っていた。
 有馬家の家族団欒の場所――三十畳もある巨大な居間では、美人の母である桐子と双子の姉・智美と咲耶が朝食をとっていた。
 桐子は、とても四十代前半には見えない、美しい外見をしている。美人の母親だから勿論顔立ちも整っているのだが、内面から滲み出る崇高で神厳とした雰囲気が、彼女を年齢不詳に見せていた。
 双子の姉妹は同じ顔を見合わせ、ご飯を頬張りながら談笑している。二人は髪型まで同じなので、パッと見ただけで見分けることは困難だ。
「お母さん、美人はどうしたのかしら?」
 豆腐の味噌汁が入ったお碗を手に取りながら、右側の少女が訊ねる。妹の咲耶だ。
「まだ起きてないみたいだけど?」
 桐子は首を傾げながら自信なさげに応じる。本来、美人は家族の中の誰よりも早起きだ。その長男の姿が見えないのは珍しいことだった。
「夜中に零治が来てたわよ。それに、さっきお風呂から水音がしてたから、シャワーでも浴びてるんじゃない」
 姉の智美が、キュウリの浅漬を齧りながら的確な答えを弾き出す。
 砕けたキュウリをゴクリと呑み込むと、彼女は箸を置いた。
「ごちそうさまでした。じゃ、私、学校に行くから――咲耶も早くしないと遅刻するよ」
 智美は、まだ半分以上も朝食が残っている咲夜に忠言しながら勢いよく席を立った。
 智美も咲耶も、自宅から通学に四十分程かかる美術大学に通っている。
 始業ベルが鳴るのは八時半だ。現在、時刻は七時五十分――ギリギリのラインだ。
「あっ、本当だわ。お母さん、ごめんなさい。私も行きますね」
 咲耶は、味噌汁だけを綺麗に飲み干して慌てたように居間を出ていく。桐子の『気をつけてね』という言葉も耳に入っていない様子で、智美を追いかけていった。
 桐子は苦笑を湛える。『俊敏な姉に、温和な妹』という典型的なシュチュエーションが、微笑ましくも可笑しかったのだ。
 クスクス笑っていると、今度はダンダンダンダンダンッという騒々しい足音が迫ってきた。
 ジーンズを履いた長い脚が、桐子の視界をよぎる。
 細い足は一旦部屋の前を通り過ぎてしまったが、すぐに引き返してきた。
「おはようございます」
 曽父江零治が金髪を揺らしながら部屋へ入ってくる。
「あら、零治くん。おはよう――美人は?」
「ビジンならフロに入ってますけど」
「予想通りね。ゴハン、食べていく?」
「えっ? いや、自分ち帰ります」
 零治は、乱れた髪を邪魔臭そうに掻き上げながら応じる。この場合、家と言っても実家ではない。マンション内にある自分の部屋のことだ。
「そう、残念ね」
 桐子は心底残念そうに呟いた。
 彼女は、自分の子供たち同様に零治を可愛がっている。親友・依子の息子だということも一理あるが、零治のサッパリとした性格が好みでもあるのだ。自分の生真面目な息子とは一味違った可愛さがあるから、ついつい構ってしまう。零治も頻繁に遊びに来てくれるので、有馬家の住人にとって彼は家族にも等しい存在になっていた。
「じゃ、帰ります。ビジンには『迎えに来い』って伝えて下さい」
 美人の母親に向かって『迎えに来い』と堂々と命令形で伝言をお願いするところが、零治らしい。
 そんなことなど気にせずに、微笑みながら零治を見送ろうとした桐子だが――
「――零治くん、待って!」
 急に零治を呼び止めた。
 立ち上がり、零治の傍らまで駆け寄る。
 桐子の焦っているような動作に、零治は軽く首を傾げる。桐子の瞳が一瞬鋭く光ったような気がするのだ。
「何ですか?」
「その額、どうしたの?」
 桐子は不安げに零治を見上げる。零治の額に赤い痣のようなものを発見したのだ。
「いや、よく解らないんですけど、寝てる間にぶつけたみたいです」
「そう……それならいいけど」
「これぐらい何でもないですよ。それじゃあ、ホントに帰ります。お邪魔しました!」
 零治は、尚も心配そうに自分の額を見つめる桐子に明るく挨拶して、今度こそその場を後にした。
 桐子は、足早に去っていく零治の後ろ姿をボンヤリと眺めていた。
 零治のあの額……。
 あの微かに浮かび上がっているものは?
《それ》について、考えたくない。
 彼女は、突如脳裏に閃いた危険な思考を持て余してしまった。
「…………」
 陰気な胸中を抱えたまま、桐子は食べかけの食事を片付けようと身を反転させる。
「お母さん」
 そこへ、息子の耳心地の良い声が飛んできた。
 美人がバスタオル片手にこちらへ向かって歩いてくる。
「おはよう」
「おはよう――零治、知らない?」
 美人は怪訝そうに軽く眉を寄せる。お風呂から上がり部屋へ戻ってみると、零治の姿が忽然と消え失せていたのだ。
「零治くんなら、さっき帰ったわよ。『迎えに来て』って言ってたわ。ゴハン食べるなら、早く支度してきてね」
「あっ、朝はいいよ。何か、寝足りないみたいで怠いから」
 美人は、喉の奥から込み上げてきた欠伸を手で押さえる。零治とふざけ合っていたせいで、余計な体力を消耗してしまった。
 濡れた髪をバスタオルで拭きながら自室へ戻ろうとして、美人はふと足を止めた。
「……僕、榊のお祖母様に似てる?」
 予期せぬことを質問されて、桐子は一瞬動きを止めてしまった。
「――そうね。似てるわ。写真で見た母の若い頃にそっくりよ。私も似てるって言われたけれど、美人の方が似ているかもね」
 桐子はそっと微笑んだ。
 事実を歪曲することはない。
 美人が知りたいのならば教えてあげよう。
 彼には知る権利がある――
「似てるんだ。そうか――ありがとう、お母さん」
 美人は自分の中だけで納得したように頷き、神妙な顔つきで踵を返して行ってしまう。
 桐子は愛する息子の背中から顔を逸らした。
 見ていると、涙が溢れてきそうだった。
 逆らえない運命の輪。
 緩やかだが胎動し始めている。
 零治の額の痣。
 美人の《榊総子》に対する興味心。
 それらは、全て繋がっている。
 あの忌まわしい《扉》へ――
 哀しい運命の糸に導かれ。
 ザザザザザーッと、冷たい風が頬をよぎる。
 室内の窓は全部閉ざされているというのに。
「風が――」
 桐子は双眼に鋭利な光を宿す。
 隣の和室へ足を向け、大きな障子を開いた。
 ザザザザザザーッ!
 先ほどよりも強い風が吹く。
 いつもなら美しい中庭が見えるはずなのだが、今は視界が銀色の粉で覆われていた。
「《鏡月魔境》の風ね」
 桐子は無意識に呟いていた。
 蠱惑的な幻の世界。
 彼女はそこを知っていた。
 十七年前に一度垣間見ている。
 美しくも禍々しい世界。
 ――ギギギーッ。
 微かな虫の鳴き声のようなものが、耳をくすぐった。
 桐子は瞼を閉ざす。
 暗闇の中に、イグアナに蝙蝠の羽根が生えたような奇怪な生物が浮かんできた。
 ――バサバサッ! バサバサッ!
 目を開くと、体長一メートル程のそれが室内を飛び回っている。
「帰りなさい。ここは、あなたがいる場所ではないわ」
 桐子は諭すように言葉を紡ぐ。
 だが、怪獣は桐子の存在を敵視し、闇雲に攻撃し始めるのだ。
 鋭く尖った爪やナイフのように研ぎ澄まされた羽根で、容赦なく桐子を傷つけようとする。
 攻撃は、確実に桐子に当たっている。だが、彼女の皮膚一枚切り裂くことはできなかった――彼女が特殊なベールを身に纏っているからだ。
 彼女も《封魔師》《魔女》《境王妃》と様々な異名を持つ不可思議な能力の駆使者――榊総子の血を引く者だ。彼女には、総子から受け継いだ神秘の力がしっかりと宿っているのだ。
 桐子は、暴れ回る怪獣に掌を向けた。
「――消えなさい」
 冷ややかに唇が言葉を紡ぐのと同時に、掌から白い光が放出していた。
 眩い光は、レーザー光線のように怪獣の体を貫く。
 断末魔の叫びをあげる暇もなく、怪獣は消滅した。粉々に――塵と化して。
 怪獣が消え失せると、目前の光景は見慣れた純日本風の中庭に変貌を遂げていた。
「十七年前は私を……そして、今度は美人を手に入れようとしているの、境王?」
 桐子は、この場にはいるはずのない者に問いかける。
 麗しく、気高く――そして、哀しく、寂しい、異世界の王。
 この世のものではない、もう一つの世界の覇王。
 人間である妻・総子を誰よりも何よりも愛した純粋な魔王。
 彼は生きている。
 だが、総子はとうの昔に他界しているのだ。
 どうして、その真実を受け入れようとしないのか?
「あなたと約束を交わした《総子》は、もう何処にもいないのよ?」
 囁くと、フワッと風が桐子の髪を撫でた。
 生温い――しかし、優しい風だ。
 風は、唄を運んできた。
 解読不能な魔境の言葉で。
 聞き取れたのは、《ソウコ》という名前のみ……。
 桐子はゆっくりと障子を閉めた。
「美人は貴方には渡さない。母が貴方と交わした約束は無効よ」
 堅い意志を確かめるように彼女は自分自身に言い聞かせ、居間へ戻った。
 若かりし頃の実母の顔を思い出しながら、天井を仰ぎ見る。
 唇から言葉が滑り落ちた。
「天も地も貴方の意のままに」
 それは、果たされなかった約束――


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2009.07.16 / Top↑
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