ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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一.緋月村



 緑萌ゆる山がぐるりと村を取り囲んでいる。
 新緑の輝きに覆われた山は美しい。
 山の懐に抱かれた盆地には、田植えを終えたばかりの田圃が敷き詰められている。田圃の合間を流れる幾つもの小川が、太陽の光を浴びてキラキラと輝いていた。
 蕪木莉緒(かぶらぎ りお)は、春の緑に覆われた清々しい山村の光景を飽くことなく窓から眺めていた。

 東京からこの山間の小さな村に来て、およそ一ヶ月。

 それまで知ることのなかった自然溢れる大地と触れ合うことで、莉緒の心は慰められ、また癒されてきた。
 都会に比べるとゆっくり感じられる時間の流れと素朴な村人たち、そして豊かな自然を莉緒は好きになり始めていた。
「悪い、莉緒。待たせたね。退屈だったろ?」
 不意に教室のドアが開き、ショートカットの少女が飛び込んできた。
 クラスメイトの坂瑞穂(こうさか みずほ)だ。
 彼女はテストの結果が悪かったがために、担任に呼び出されていたのだ。
 放課後の教室で莉緒は一人、友人の帰りを待っていたところである。
「そんなことないよ。景色を見てるだけでも楽しいから」
 莉緒は瑞穂を見上げ、首を振った。
 瑞穂はこの村に来て初めてできた友人だ。
 クラスの中でも一番仲がいい。
 とは言っても、クラスメイト自体、十二人しかいないのだが……。

 私立青蘭学園分校高等部二年クラス――それが今現在の莉緒の所属だ。
 山梨県の南アルプスに近い山間部に、莉緒の住む緋月(ひづき)村は存在している。
 人口七百人にも満たない小さな山村。
 最も近い街である韮崎市から車で二時間近くもかかる僻地だ。
 山に囲まれた閉塞的な環境のためか、村民たちは村の外へあまり出たがらない。
 子供たちも同様だ。毎日片道二時間もかけて韮崎市の学校へ通うことを嫌がる。
 その辺りを考慮して建てられたのが、青蘭学園分校だった。
 村の名士であり、村長でもある神栖倫太郎(かみす りんたろう)が二十年ほど前に私財を投じて開校したのである。元々、韮崎市にある青蘭本校を経営していた倫太郎にとって、分校設置など造作もないことであったらしい。

 分校は村で唯一の学舎だった。
 三階建ての校舎に小学校から高校まで入っている。生徒数百人未満の小さな学校だが、村民にとっては有り難い代物である。分校ができたおかげで、往復四時間もかかる通学時間から逃れることができたのだ。

「やっぱり田舎は珍しいか?」
 瑞穂が悪戯っぽい眼差しを向けてくる。
 莉緒はそれを微笑で受け止めた。
「まあね。こんなに緑に恵まれたことなんてなかったもん。初めて知る世界だから新鮮よ」
「へえ、そんな顔もできるようになったんだ」
 瑞穂が驚いたように目を丸め、まじまじと莉緒を見返してくる。
「村に来た頃は無口で可愛げがなかったのに、随分変わったね」
「可愛くなくて、悪かったですね」
 莉緒が大袈裟に唇を尖らせると、瑞穂は快活な笑い声を立てた。
「ごめん。でも、本当に心配してたんだ。初めて逢った時の莉緒は、この世の終わりに直面したような悲惨な顔してた。それが、こんな風に笑えるようになるなんて目覚ましい進歩だよ」
「うん。村の自然と瑞穂たちのおかげよ」
 莉緒は屈託なく微笑んだ。
 以前に比べると、素直に感情を表現できるようになったと自分でも思う。
 少しずつではあるが、本来の自分を取り戻している。
 あの忌まわしい出来事の衝撃から立ち直りつつあるのだ。

 二ヶ月前――高校一年の終わりに、交通事故で父親を失った。
 父の運転する乗用車に大型トレーラーが衝突したのだ。
 トレーラーの運転手は軽傷で済んだが、父・正隆(まさたか)は即死だった。事故の原因は相手ドライバーの居眠り運転だった。

 莉緒にとっては思い出すのも辛い事故だ。
 やり切れない想いが未だに胸中で燻っている。
 警察に父の死を報された時も、葬儀の時も、頭に浮かんだのは『どうして?』という言葉だけだった。なぜ父が死ななければならなかったのか理解できなかった。
 ショックが甚大すぎて全ての神経が麻痺していた。
 父を亡くした喪失感、それに伴う怒りや哀しみが湧いてきたのは、父の死から数日も経過した頃だった。
 父はもう二度と還ってこないのだ――とようやく理解した。
 幼い頃、母の莉津子(りつこ)を病気で失った。
 それ以来、莉緒を育て、支えてきてくれたのは正隆だけだった。
 その父の突然に死に、莉緒は深刻な痛手を負い、自分の殻に閉じこもるようになってしまったのだ。
 誰の慰めも励ましも受け入れられず、人々の好奇や憐れみに満ちた視線から自分を護るように心を閉ざした。
 そんな莉緒を引き取ってくれたのが、緋月村で診療所を営んでいる父の弟――蕪木亮介だった。
 彼に誘われ、莉緒は一ヶ月前に村へと越してきたのである。
 分校に編入したての頃は、暗鬱な雰囲気を漂わせ、無表情だった莉緒だが、今ではそれなりに喜怒哀楽を表現できるようになった。
 緑豊かな村の自然が心を解し、亮介や瑞穂たちが根気よく接し続けてくれたおかげだ。
 村人たちが憐憫の眼差しを向けることなく、ごく普通に自分と相対してくれたことが、莉緒にはとても有り難かった。

「緋月村って、ホントにいいところよね。パパが自分の生まれ育ったこの村を嫌っていたなんて、信じられない。物凄く不思議だわ」
 莉緒は窓外に視線を流し、村の緑を眺めた。
 思わず微苦笑が浮かぶ。
 心優しい村人たちと南アルプスの懐に抱かれた大自然のどこに父が不満を感じていたのか、全く理解できない。
 正隆は両親を亡くした直後に村を飛び出し、以後二十年近くも故郷に帰らなかったのだという。
 莉緒が疑問に思うほど意固地に父は帰郷することを拒んでいた。
「お父さんが村のことを嫌ってたのは、何故だろう」
 瑞穂が隣の席で荷物を鞄に突っ込みながら首を捻る。
「さあ? でも、嫌ってたというよりも怖がってた感じかな……。何だか、村に帰るともう二度と生きて出てこられないみたいに言ってたの。変な被害妄想よ」
「田舎暮らしが嫌だったんだよ、きっと。一度都会に出ると、田舎の暮らしには耐えられなくなりそうだしね。それにしても、嫌いを通り越して怖がるなんて、ちょっと普通じゃないね。自分が生まれた村なのにさ」
「同感。度を超してるわ」
「村にいた頃、よっぽど嫌な目に遭ったのかも。山で迷子になったとか、狐に化かされたりとか、熊に追いかけられたとか」
「どうかしら?」
 瑞穂の冗談に莉緒はヒョイと肩を聳やかした。
 正隆の村時代の想い出など聞かされたこともない。
「そういえば、パパが一つだけ教えてくれたことがあったな。何があっても緋月村には近寄るな、って」
 ふと、脳裏に古い記憶が甦ってきて、莉緒は眉をひそめた。
 母を亡くした直後、莉緒は寂しさを紛らわすために正隆に母との想い出話をねだったことがあるのだ。その時、確かに緋月村の話題も出た。
 父は生まれ故郷に纏わる不可解な伝承を打ち明けた後、『村には近寄るな』と告げたのだ。
「村には――近寄るな?」
 瑞穂が怪訝な表情で莉緒を見返してくる。
「パパね、緋月村に残る伝説のことを話してくれたのよ。この村には、古くから吸血鬼伝説が残されてるんでしょう?」
「は?」
 瑞穂が虚を衝かれたように目を丸める。
 口を開けたまましばし莉緒を凝視した後、彼女は大きな笑い声を立てた。
「莉緒はそれを真に受けてるのか? あれはただの伝説だ」
「でも、吸血鬼が存在したっていう伝説は残ってるのよね」
 莉緒は大笑いされたことに羞恥を覚えながらも言い返した。
「ああ、残ってるよ。月が血のように紅く染まると、吸血鬼が現れるんだってさ。その吸血鬼が夜な夜な村を徘徊し、村人の血を啜る――という信憑性のない話だ」
「瑞穂は信じてないの?」
「信じてないね。村には吸血鬼なんていない。この村に実在したのは――殺人鬼だよ」
 瑞穂が妙に怖い表情で言葉を紡ぐ。
「吸血鬼じゃなくて殺人鬼……?」
「村人を大量虐殺した殺人鬼がいたんだ。大昔のことだけどね」
「じゃあ、吸血鬼はいないの?」
「残念ながら。そんなに気になるなら、公民館で村の史料に目を通してみればいいさ。吸血鬼なんていないこと、すぐに解るよ」
 瑞穂が笑い混じりに告げ、話に終止符を打つように鞄を手に取る。
「そうしてみる。パパがあんなに真剣だったのが気に懸かるし、伝説が嘘なら嘘で自分の目で確かめてみたいしね」
 莉緒も鞄を掴み、席を立った。
 吸血鬼伝説についてこれ以上訊ねても、瑞穂から詳しい話を得ることはできないだろう。
 彼女は塵ほども伝説を信じていないのだ。更に追及すれば呆れられるだけだ。
 ――公民館に行ってみるしかないわね。
 莉緒は密かに心を決めた。
 今になってようやく父の昔話を思い出した。
 記憶が甦った後に芽生えたのは好奇心だ。
 村に残る吸血鬼伝説に興味が湧いた。
 父が帰郷を拒むほど畏れた吸血鬼、もしくは殺人鬼とやらの存在が急に気になり始めてしまった。
 ――何かに興味を持てるようになったのは、立ち直りかけている証拠ね。
 都合の良い方向に考え、莉緒は一人頷いた。
 正隆は緋月村には近寄るなと言ったが、現に莉緒は問題の村に住んでしまっている。
 正隆が急死しなければ、おそらく一生訪れることはなかっただろう緋月村。
 長閑な山村に似つかわしくない吸血鬼伝承に、莉緒の心は急激に惹きつけられていった。



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2009.07.16 / Top↑
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