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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Sat
2009.07.18[09:38]
     *


 保健室のドアを開けるのを躊躇った。
 ここまで来たのに、何故だかドアノブに手がかからない。
 有馬美人は、困惑気味にノブを見つめた。
 五条珠詠のことが気懸かりで、零治をほったらかしにして保健室まで赴いたのはいいが、直前でフッと我に返ってしまった。
 杞憂が芽生えた。
 自分の訪問を珠詠は不審がりはしないか、と。
 冷静に考えてみれば、珠詠はクラスメイトでもなければ友人でもない。単なる同級生だ。それなのに、いきなり自分が様子を窺いに来たら不思議がるに決まっている。
「でも、放ってはおけない」
 美人はポツリと独り言ちる。
 唐突に倒れた珠詠の身を案じているのは真実だ。
 正直、ここのところ珠詠の存在が気になってもいる。
 珠詠が美しい少女だから――というのではない。彼女の内面から滲み出る苦しみと寂しさ――そして儚さが、否が応にも美人の意識を集中させるのだ。
 珠詠は、自分に《何か》を訴えかけていた。しかし、それを明言することはない。彼女の《罪の意識》が、時折チラチラと顔を覗かせるだけだ……。
 これを機に訊ねてみよう。
 自分に何を求めているのか?
 何に苦しみ、苛まれているのか?
 美人は、意を決してドアをノックした。そのまま扉を開ける。
「失礼します」
 軽く会釈して、室内に足を踏み入れる。
「おや? どうしました、美人くん」
 すぐに保健室の主――西野智弘が歩み寄ってきて、柔らかい声をかけてくれる。
 フレームのない眼鏡の奥の二つの瞳が、優しさと親愛さを含んでいた。
「あの……五条さん、います?」
 控え目に室内を見回しながら訊ねる。
「――五条? ああ、珠詠さんなら一足違いで教室へ戻りましたよ」
 西野は小首を傾げながら応じる。美人が珠詠の心配をしていることに違和感を抱いた。珠詠と美人には何の接点も見出せないからだ。
「そうですか。大丈夫そうでしたか?」
「ええ。貧血で倒れただけですよ。横になったら楽になったようで、全校集会の終わりと同時に教室へ戻って行きました」
「…………」
 西野に告げられて、美人は寡黙に頷く。
 西野が『貧血』と診断したのならば、相違はないだろう。大丈夫だ。
「どうしたんですか、美人くん」
 西野はボーッと立っている美人にイスを勧めた。自らもデスクとセットのイスに腰かける。
 美人は大人しくイスに身を落ち着けた。
「いえ……僕の目の前で倒れたから、ちょっと心配で」
「大丈夫ですよ。まったく、美人くんは心配性ですね。あまり他人の心配をしていると、零治くんに怒られますよ」
 西野は、軽笑しながら美人の憂いに翳った顔を見つめる。
「零治のことはほっといて下さい――文句言うしか能がないんですから」
 憮然と美人は言い返す。
 零治はよく美人のことを『心配性』と揶揄するが、それよりも更に心配性の零治に心配性呼ばわりされる所以はない、と美人は常々思ってしまう。
 もっとも、零治の過度の心配性は美人に対してだけのものだということを、美人当人は気づいていないのだが……。
「酷い言われ様ですね、零治くんも。でも、正しい意見です。私は零治くんの悪言雑言には、すっかり慣れてしまいましたけどね」
 西野は再び破顔する。
 ここには居ない金髪少年のことを論議するのは、楽しい。美人とは異なる明明とした魅力が零治にはある。西野にとっては、美人と同様に興味をそそられる対象だった。
「まっ、零治くんは措いといて――珠詠さんのこと以外にも何か気になることがあって、ここへ来たんじゃありませんか?」
 西野は話を先へ進める。
 美人が零治を離れて一人で保健室へやってくるということは、彼に聞かれたくはない《何か》があるはずなのだ。
 美人のために西野は《悩み相談室》を急遽開設することにした。
 美人は、しばらく思案を巡らせているかのように唇を噛み締めていた。
「――昨日の事件のことなんですけれど……」
 やがて唇の戒めを解き、言葉を紡ぐ。
 昨日の事件――赤城文彦惨殺事件だ。
 それが、美人の口から聞かれることは予め予測されていた。
 彼は事件の当事者なのだから。
「文彦くんのことですね?」
「ええ。あれも、《鏡月魔境》から出てきた魔物の仕業なんですか?」
 美人は率直に問う。
 保健室へは、珠詠の具合を見るのと併せて、西野に事件の真相を確認するために訪れたのだ。
「そうです。魔境の住人ですよ。多分、真弓さんを襲った妖魔と同一のものでしょう。――奴は、これからもっともっと殺しますよ。久々に味わう人間の味に、狂喜乱舞しているようです」
「どうすれば、食い止められます?」
 これ以上、人の生命が奪われていくのを黙って見ているわけにはいかない、というように美人は苦渋だらけの表情を浮かべるのだ。
 当然のことだが、美人は連日の殺戮を不愉快に思っている。
 榊総子の血を引く美人の存在を知っているなら、回りくどいことをしないで自分を襲えばいいのだ。他者を付け狙うなんて、論外。
 じわじわと美人を精神的に追い詰める下劣な手口だ。
 このまま魔物に殺傷行為を続行させるわけにはいかない。自分が歯止めにならなければ――
『僕には、その力があるんでしょう?』
 言葉にはせず、真摯な眼差しで訴えてくる美人を、西野は感慨深げに見つめた。
 たった一日で、美人は《鏡月魔境》絡みの事柄をすっかり受け入れているのだ。常人ならば、『そんな馬鹿げたお伽噺なんかあるわけがない』と一蹴してしまうだろう。なのに、彼は全てを受け入れ、そして《運命》と闘おうとさえしている。強い心意気を感じるのだ。
 美人の心境の変化が、西野の興味を惹きつける。
「何かありましたか、美人くん」
 思わず、訊ねてしまった。
 美人がハッとしたように息を呑み込む。
 嫌なことを思い出した――そんな感じだ。
「昨日、僕と零治の前に《何か》が現れました。《鏡月魔境》の魔物だと思いますけど。泥だらけの海から出てきた人魚が僕を見て言ったんです。『見つけた』って……それは『境王妃総子を見つけた』ってことですよね?」
 美人は、昨夜の光景を脳裏に思い浮かべていた。
 目前に突如として出現した鈍色の海。
 どのような方法を用いてこの世に具現したのか皆目解らないが、それは確かに存在していた。
 西野が頷くのを見届けて、美人は先を続ける。
「あっ、零治には視えていなかったようですけど……。人魚の後に金色の光がやってきて、やはり僕に『見つけた』と言いました。美しい光でした。見てるだけで、吸い込まれそうな崇高な光だったんです。光が僕を包んだ瞬間、僕の裡で自動的に防衛本能が作動したんでしょう。僕は、そのまま意識を失ってしまいました」
 美しい柳眉を微かに寄せて、美人は一言一言区切るように言葉を唇に乗せる。
「金色の光、ね……」
 西野は意味深に相槌を打つ。
《金色の光》には思い当たる節があった。
「それは、きっと《境王》ですよ」
 双眼に怜悧な輝きを含ませて、西野は断言する。
「境王……そうか、それで僕を攫って行こうとしたのか」
 ――愛する総子と間違えて。
 美人は、夢の中で誰かに触れられているのを感じた。それは、あの金色の光と同質のもの。あれは《鏡月魔境》の支配者《境王》だったのだ。
「美人くんを攫う?」
 訝しげに西野が問う。
「ええ。夢の中で、誰かが僕を何処かへ連れて行こうとしたんですよ。傍にいた零治が、うなされている僕に気づいて起こしてくれたので、それまででしたけど……」
「なるほどね。境王の影が――意識体だけがこの世に姿を現したんですよ。本体は、《鏡月魔境》から出ることは、不可能ですからね」
「不可能?」
 美人は反問した。
《鏡月魔境》へと繋がる《扉》の封印が解け始めている。
 よく考えれば、真っ先に人間界に出てこられるのは、最上の魔力を持つ境王その人なのではないだろうか?
 それなのに『不可能』とは一体どういうことなのだろうか?
「境王の本体は、総子さんによって《封魔氷(ふうまひょう)》という不溶解――永久凍結の氷の中に閉じ込められているんですよ。調べて解ったことなんですけど……総子さんが境王を裏切って人間界に戻った時、二つの世界を繋ぐ通路を閉じてこの聖華学園に封印した、って言いましたよね? それから五十年後、封印は一度効力を失ったんです。人間に戻った総子さんの肉体的な衰えと、長期にわたる封印力の限界だったんでしょう。その頃は、通路が閉じられただけで、境王はまだ封魔氷に閉じこめられていませんでした。封印の効果が消失したことを悟った境王は、人間界に出てきて総子さんを捜そうとしました。だけど、総子さんの方が上手だったんですね。封印が崩れたことを知って、自ら《鏡月魔境》に赴いたんですよ。当然、人間界に出ていた境王は、総子さんの気配を察して《鏡月魔境》へと戻る訳です」
「そこでお祖母様は境王を封魔氷に封印したんですね?」
「はい。そして、それは同時に総子さんの本当の意味での限界でした。全力を使い果たし、生命を失ってしまいました……十七年前の出来事です」
 西野は遺憾の意を込めて言葉を紡ぐ。
 自分は実際にはその事実を知りはしないが、やはり残念でならない。幼い頃、超常的な力を持つ自分を理解してくれたのは、近所に住む総子ただ一人だった。その総子の死は、十歳の西野にとって多大な衝撃をもたらした。総子の口から時折鏡月魔境》という単語を聞いていた西野は、自然とそれに対して興味を持つようになり、いつの間にか追求を始めていたのだ。
「十七年前……僕が一歳になるかならないかで、お祖母様は他界したらしいです」
 美人は哀しげに呟く。
 総子の死の真相を初めて知った。
 昔から病死だと言われていたので、ずっとそうだと信じ込んでいたのだ。もっとも『鏡月魔境で生命を落とした』などと全貌を伝えられても、以前の美人なら信じなかっただろう。
 だが、今は違う。
 事態は逼迫しているのだ。
「でも、お祖母様が魔境で亡くなったのなら、今の第一音楽室の《扉》の封印は誰が施したんですか?」
 ふと、重要なことに気づき、美人は疑問を口にした。
 総子が《鏡月魔境》で果ててしまったのなら、一体誰が人間界側から《扉》の密封を施行したのだろうか?
「それは、きっとあなたのお母さんでしょう」
「お母さんが? でも、母は、僕の前で不可思議な力を使ったことはありませんよ」
 事実、美人は母・桐子が術を駆使しているところなど目撃したことはない。だから、ずっと桐子には自分と同じような能力はないのだと思っていた。
「美人くんには、《普通》に生きてほしかったんだと思いますよ」
 美人の心情を汲み取って、西野が応じる。
「そうですか。ですが、僕は既に首を突っ込んでしまいました。もう後には引けません」
 美人は桐子に対して申し訳なさを覚えた。
 今朝、『総子に似ているか?』と訊ねた時、一瞬チラリと見せた桐子の悲痛な表情。哀しい微笑み。
 桐子は全てを知っていたのだ。
 自分を巻き込みたくないがために、長い間真実を隠匿していたのだ。
 自分に平穏な人生を歩んでほしくて。
 桐子の期待を――願いを、無碍にしてしまった……。
 どうしても《鏡月魔境》を野放しにしておくわけにはいかない。魔物の犠牲者を増やすわけにはいかないのだ。
「話が逸れてしまいましたけど、境王の本体は封魔氷のせいで、こっちの世界には出てこれないのですよ」
 西野は美人の肩にそっと手を置く。
「――どうすればいいんです?」
 美人は、縋るような眼差しで西野を見上げている。
「《扉》を閉じましょう。総子さんと同等――いいえ、それ以上の力で封印するんです。《鏡月魔境》をこの世と隔絶させましょう。永久に――」
 静かに、だが、揺るぎない決意を込めて西野は明言する。
「僕にできるでしょうか?」
「できますよ」
 西野は美人の肩にかけた手を離し、代わりに彼の左手を手に取る。
 繊細な白い指に、ヘマタイトの指輪が煌めいていた。
 銀細工の指輪をなぞりながら、西野は微笑む。
「きっと総子さんが力を貸してくれます」


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Category * 鏡月魔境
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