ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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 零治は、地上から一メートルほど離れた地点に浮いていた。
 零治ではない、別の誰かの力によって宙に浮いているのだ。
「零治を返せ! 境王!」
 美人は鋭い眼差しを零治へ向けた。いや、正確には零治ではない。零治の身体に寄生している境王に対してだ。
「境王? 何てこと! 早い。早すぎるわ。曽父江くんの表面に出てくるなんて!」
 薔薇子が驚愕の呟きを洩らす。
 だが、美人にはその言葉について深く考えている時間も余裕もなかった。ただ、大好きな零治の身体を乗っ取っている境王を赦せない。
 境王に対する憎悪の念で、美人の胸中は埋め尽くされている。
 境王は、艶笑を湛えてこちらを見つめていた。
 自分に歯向かう愚かな者たちを嘲弄するような微笑みだ。
「境王っ!」
 美人は駆け出した。
 一刻も早く零治の身体から境王を追い払いたい。
 それだけが、美人の思考を満たしていた。
 そんな美人に、境王は冷笑を残してスッと姿を宙に溶かしてしまった。
 空間移動したのだ。
「境王! ――零治っ!」
 美人は疾走しながら声の限り叫ぶ。
 境王の姿を見失ってしまったが、行き先に迷う必要はない。
 奴の移動先は《第一音楽室》だ。
 学園に残る《魔境伝説》が正しければ、魔物たちが出入りする《扉》は《第一音楽室》と語り継がれている。
 だから、《第一音楽室》はずっと使用されていないのだ、と。
 境王の目的は、間違いなく《扉》だ。
 不思議と確信があった。
「……零治」
 苦しげに零治の名を呼びながら、美人は校庭を駆け抜けた。
 西野と薔薇子が後ろに着いてくる気配がある。
「零治……」
 呟いて、美人は唇を噛み締めた。
 何としても零治を取り返さなければならない。
 境王から奪い返さなければならない。
 美人は、急く気持ちを抑えられないように乱暴に玄関のガラス戸を引いた。
 ガシャ、ガシャ!
 と音はするが、開かない。当然だ。玄関はしっかり施錠されているのだ。
 いくら引いても開かないドアに、美人は苛立たしげに舌打ちを鳴らした。
 ――開けっ! 
 怒りにも似た叫びを胸中で発する。
 カチャリ。
 すると鍵が外れた。
 自然に超能力にも似た力を発揮していたらしい。
 鍵の外れたドアを勢いよく開け放ち、美人は躊躇うことなく校舎に足を踏み入れた。
 廊下に出ると、奥の方に金色の光が垣間見えた。
「零治っ!」
 残像のように廊下に舞い散る光に向かって、美人は叫んだ。
 黄金色の煌めき。
 それは、境王――零治を象徴していた。
 彼に追いつこうとひた走る。
 角を右に曲がると、奥の《第一音楽室》の前に境王の壮麗な姿があった。
「境王!」
 美人が怒りを孕んだ声を投げつけると、境王は軽笑した。
『《鏡月魔境》は誰にも渡さぬ』
 魔力を秘めた金色の双眸が、美人を魅了する。
『こちらへおいで、ソウコ』
 優しく、愛しく、境王が囁く。
 雪のように白い手が、美人へ向けて差し出された。
『ソウコ、おいで……』
 もう一度、境王が呟く。
 穏やかで、優美な表情を湛えていた。
 美人はゴクリと息を呑んだ。
 自分は《総子》ではないが、境王は自分を《総子》だと頑なに思い込んでいる。
 愛する妻――境王妃・総子だと。
 その白い腕を取れば、どんな愛情が得られるというのだろうか?
 ふと、美人は考えた。
 こんな考えが脳裏に浮かんでくること自体間違っている。
 自分は《総子》ではないのに……。
『余の傍らへ来るがいい、ソウコ』
 それは、甘美な誘惑。
 美しい姿をした魔王の誘い。
 ――騙されてはいけない。
 心の中で、もう一人の自分が警告を発する。
 だが、美人の足はそれとは裏腹に、一歩、また一歩と前へ進み出ていた。
 境王の黄金色の瞳が、美人を呪縛して離さないのだ。
 いつの間にか、境王との距離が一メートルほどに狭まっていた。
 もう少しで境王の手に触れられる。
 完全に、黄金の魔王に吸い込まれそうになった時――
「美人くんっ!」
「有馬くん、離れなさい!」
 背後から険しい声が追ってきた。
 西野と薔薇子だ。
『ほう……面白い組合せだ』
 彼らの姿を見て、境王は愉しげに笑った。
 そうかと思うと素早く美人の腕を引き寄せ、首筋に接吻するのだ。
『この身体は、余が貰う』
 唖然としている美人を軽く押し遣り、境王は己が胸に手を当てて宣言した。
 零治の肉体は返さない――と。
『ソウコも余のものとへ戻るがいい。昔と同じように愛でてやろう。――来い、ソウコ。いずれ、天も地も余の物となるのだから』
 境王が艶笑する。
 直後、第一音楽室の扉が開いた。
 長年《開かずの間》として知られてきた教室の扉が開くのを、美人はしっかりと目撃してしまった。
 扉の隙間から生温い澱んだ風が流れ出す。
『――境王』
 女の声が扉の向こう側から聞こえた。
 人一人分の隙間しか開いていない扉から、風に乗って揺れる黒髪が垣間見えた。
『境王――我が王よ、お待ちしておりました』
 敬愛を含んだ声が再び響く。
 扉の向こうから静かに腕が伸びてきた。
「――――!」
 ハッ、と美人は我に返る。
 扉の向こう側から伸びてきた女性の手は、聖華学園の制服を纏っているのだ。
 渋い緑色の制服は、この学園以外に考えられない。
 学園内の誰かが《鏡月魔境》に関与しているのだ。
 新たな事実に、驚愕を隠せなかった。
 制服に包まれた細い二本の腕は、境王の腕を引っ張るとそのまま扉の内側に引き込んでしまったのだ。
 ここは、《鏡月魔境》へと繋がる《扉》。
《扉》の向こうは異世界。
 境王率いる魔物たちの住処なのだ。
《扉》の中へ姿を消す直前、境王は美人に微笑みを与えた。
 全身に悪寒が走るほど、ゾッとするような冷笑だった。
 バタンッ! 
 勢い良く《扉》が閉ざされる。
「――あっ、境王っ!」
 美人は扉の取っ手に手をかけた。
 ガチャガチャと回してみるが、押しても引いてもビクともしない。
「境王! ――零治っ!」
 美人は必死の形相で取っ手を乱暴に揺らす。
 だが、やはり扉が開く気配は微塵も感じられなかった。
「零治!」
 今度は、ドン、ドン、ドン、ドンッとがむしゃらに手で扉を叩きつけた。
 扉が開かない。
 それは『零治を取り戻せない』ことを示唆していた。
 零治は、境王に身体を乗っ取られたまま《鏡月魔境》へと引き込まれてしまったのだから……。
 零治が中にいるということは、《扉》を封印することも叶わない。
 幼馴染みを《鏡月魔境》へ置き去りにするなんて残酷なことは、美人にはとても実行できなかった。
「零治っ!」
 ――ドンッッ!
 力任せに美人は扉を叩き続けた。
 悲嘆する美人の後ろ姿を、西野と薔薇子は黙って見つめていた。下手な同情など、美人はこれっぽっちも欲してはいないだろう。だから、ただ見守るしか術はなかった。
「――零治、零治っ! ……零治っ!!」
 美人は扉に手を添えたまま、その場に崩れ落ちた。
 知らず知らずの内に、双眼から透明な液体が溢れ出していた。
 留まることを知らないかのように、とめどなく涙が頬を伝う。
「……れい……じっ……」
 零治の名を紡ぐ声も掠れている。
 零治。
 大切な幼馴染み。
 ――赦さない。
 美人はギュッと唇を噛み締めた。
 ――赦さない、境王。
 どんなことをしても境王を斃し、零治を取り戻す。
「必ず……この手で、決着をつけてやる」
 美人は己の決心を確かめるように、言葉を口にした。
 扉が完全に開くまでに、あと一日しかない。
 扉が開けば、《鏡月魔境》から夥しい数の魔物が出てきて、人間を脅かすことは相違ない。
 何としても、それを阻止しなければならないのだ。
 勝負は明日の夜。
 たったの一瞬だ。
 封印の解けた扉が開く、ほんの一瞬――
 それに賭けるしかない。 
 途方に暮れながらも、美人は危険な打開策を見出していた。
「零治……」
 扉に添えた手を、強く、強く握りしめる。
「必ず助けに行くよ」
 助けに行く。
 どんな危険が待ち受けていても、残された唯一の方法に全てを賭ける。
 それがどれほど勝率の低い賭けでも、挑んでみせる。
 無理を承知で零治を助け出さなければならないのだ。
 勝負は、扉が開いた瞬間に始まる。
 想像できないほどの苦難が待ち構えていても、自分は行くだろう。
 境王と零治の待つ、忌まわしき世界へ。
 未知なる世界。
 鏡月魔境へ――


     「第三夜」へ続く



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2009.07.19 / Top↑
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