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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Mon
2009.07.20[10:54]
 ――ポン……ポン……。
 音は続いている。
 西野と薔薇子が後ろに着いてくるのを確認しながら、美人は巨大な木々の間を縫うようにして走り抜ける。
 数分、死物と化した森を走り続けた。
 突如として、森が途切れる。
 再び広がる視界。
「――あっ……!」
 目の前に現れた光景に、美人はハッと息を呑んだ。
 昏く、黒い……。
 暗色の海。
 見覚えのある風景。
 ――泥海(でいかい)。
 二日前、零治の背後から忍び寄ってきた鉛色の重苦しい海が、そこに存在していた。
「泥海……」
 確信を持って呟く。
 それは、自分ではなく総子の記憶だ。
 雷師を持っているから、それを通して彼女の記憶が断片的に浮かび上がってくるのだろう。だから、二日前もそれが《泥海》であることを知っていたのだ。
 ――ポン……。
 先ほどから続く音が耳に届く。
 美人は、目を凝らすようにして昏い海を眺めた。
 海面から一メートルほど離れた位置に、沢山の玉が浮かんでいた。
 ――ポン……ポン……。
 奇妙な光景だった。
 海の中から乳白色の玉が二つ飛び出してきたのだ。それらは、静かに宙を漂っている。浮遊する玉は大小様々だ。時折、内側から押されたように激しく揺れるものもある。
「《卵》だわ」
 薔薇子が感嘆を込めて呟く。
「卵……ですか?」
 美人は復唱した。
 そうだ。この鈍色に光る海は、魔物たちを生み出すのだ。
《鏡月魔境》の生物は、全てここから生を受ける。
 その反面、全てを無に還す場所でもあった。
 魔境の住人ではないものが泥海に足を踏み入れると瞬く間に呑み込まれ、二度と浮かび上がってはこないのだ。
 また、寿命を迎えようとする魔物は本能的に生まれたこの海に戻ってきて、そこで永遠の眠りに就くのだという。
 全てを生み出し、全てを無に還す――それが泥海。
 この世界の《母》とも言える不透明の海を、一同はしばらく眺めていた。
 ――パシャン……!
 水の跳ねる音が聞こえた。
 聞き覚えのある水音に、美人の身体は緊張する。
 この音は?
 微かに眉根を寄せる美人の隣で、薔薇子が静かに腰に携えていた鞭を手にする。いつでも戦闘できる態勢だ。
 ――パシャン、パシャン……バシャンッ!
 一際激しく鳴り響く水音と同時に、眼前の海面が大きく隆起した。
 泥の飛沫が高々と舞い上がる。
「――人魚?」
 水面から弧を描くようにして飛び出したのは、以前にも遭遇した異形のものだ。
 シュッッッ! 
 薔薇子がしなやかに鞭を繰り出す。だが、人魚はそれを難なく躱し、空中で一回転して泥海に身を隠した。
 少し間を措いて、人魚は再び水面に顔を出した。
 大きな黄金色の瞳が、じっと美人を見据えている。
「自分から出てくるなんて、バカね」
 薔薇子が再び人魚に向けて鞭を振るおうとする。
「待って下さい!」
 美人は慌てて彼女を手で制した。
 人魚に戦闘意思がないように思えたのだ。
 人魚は、ただ静かに美人だけを見つめている。
 唐突に、人魚は青紫色の唇を少しだけ開かせてニヤッと笑った。
『キョウゲツマキョウへ ヨウコソ。シンアイナル キョウオウヒ サマ』
 ザラついた声が人魚から発せられる。この前のように思念を飛ばしているのではなく、自らの口でちゃんと喋っていた。
「僕は《境王妃》なんかじゃない」
 美人は人魚の言葉を強く拒否する。
 境王を筆頭に魔境の住人たちが、自分のことを《総子》だと思い込んでいるところが甚だ不愉快だ。何で判断しているのか知らないが、随分勝手な解釈だ。
『……ワレワレニトッテハ オナジコト。ソウコサマノ ニオイガスル。ワレワレヲ ヒカリノセカイヘト ミチビイテクレル ソウコサマノ――』
 ――パシャン!
 言いたいことだけを一方的に述べて、人魚は海の中へ潜っていってしまうのだ。
 美人が引き止める間もないほど素早い行動だった。
「何なの、あの人魚?」
 薔薇子が不服そうに鞭を弄ぶ。折角戦闘態勢に入ったのに戦えなくて残念、という感じだ。
「戦わなくて済むのなら、その方がいいですよ」
 薔薇子の言葉に応じるように、美人は低く呟く。
 好んで戦いに臨むわけではない。
 全ては、零治を助け出すための手段でしかないのだ。零治を奪還するためなら、自分は血を流すことも厭わないだろう。だが、それは極力避けたい。鏡月魔境の住人も自分たちと同じように『生きている』ことに違いはないのだから。
 薔薇子は、美人の考えについては意見しなかった。沈黙を守っている。
「それはどうでしょうね」
 薔薇子を代弁するように、西野が口を挟む。
 彼は厳しい表情で泥海を見つめていた。
 鈍色に光る水面に漣が起こる。
 海面を黄金の光が走ってきた。
「――来たっ!」
 西野が地面に片膝を付き、更に両手を添える。
 金色の光の波動が三人に襲いかかってきた。
 ――ぶつかる! 
 そう思ったが、どうなるものでもない。
 美人は、次に来るであろう衝撃に備えるように、雷師を前に押し出すようにして構えた。
 しかし、予想していたダメージは被らなかった。
 金の光が三人に到達しようとする寸前、西野の全身から暖かなオレンジ色のオーラが放出されたのだ。
 それは、壁のように光の前に立ちはだかり三人を守護する――《結界》だ。
 黄金色の光は、西野の結界に衝突してボンッと弾けた。そのまま消散する。
 西野の髪と衣服が、余波を受けたように逆立った。
「大丈夫ですか、西野先生」
 美人は西野に駆け寄る。
「平気ですよ。私は攻撃よりも防御が得意なんです」
 西野は微笑みながら立ち上がる。どこにも怪我は見当たらない。無傷だ。
「今のは、境王の挑発ですよ」
「境王は、僕らが鏡月魔境へ来ていることを察してるわけですね」
「とんだ歓迎の挨拶だわ」
「随分手加減してましたけどね」
 揶揄を込めた口調で付け加えながら、西野は両手に付着した土を払い落とす。
 防御されることを承知で、緩やかな攻撃を仕掛けてきたのだ、境王は。
 ――パチャン……!
 泥海の水面が揺れた。
 人魚がまた顔を出している。
『キョウオウ サマガ マッテイル』
 人魚は水中から手を出し、美人たちの真横を指差した。
『シロヘ――』
 それだけ告げて、人魚はさっきのように素早く海へ消えてしまうのだ。
「シロ?」
 美人は思案するように小首を傾げる。
 次に、人魚の示した方向へ視点を移動させた。
「――城か……」
 納得したように目を細める。
 人魚が提示した方角には、城が聳え立っていた。ここへ来た時には不思議と気付かなかったが、確かに城が存在している。
 遙か遠くに、アメジストで建造されたような輝かしく美しい城が見える。
 一本の水晶柱のような外見をしているが、それが人魚の言う《城》であることに相違はないだろう。
 暗い世界の中で、それだけが清麗とした色彩を持ち、明澄の輝きを放っているのだ。明らかに、世界の中でも格が違う。
 境王の居城だ。
 あそこに零治がいる。
 美人は、無言で西野と薔薇子に視線を配った。
 二人は同時に頷く。
 それだけで意思の疎通は成された。
 三人は、言葉を発するでもなく駆け出していた。
 遠くに輝く水晶の城が、悠然と微笑んでいる。


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Category * 鏡月魔境
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