ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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 中心部である市街地を離れて車で二十分ほど南下すると、近代的な高層ビルや住宅街はすっかり姿を消し、代わりに広大な田園風景が現れる。
 A市有数の農耕地帯――神楽宮。
 家を構えているのは、殆どが農家だった。
「今年は実りがいいな」
 七十五歳になる吉野静夫は、水田と水田の合間の畦道を歩きながら顔を綻ばせた。
 すっかり暗くなり今は目にすることはできないが、稲の穂は充分に育ち、重い実に垂れ下がろうとしている。
 来月には、水田は美しい黄金色に染め上げられるだろう。
 農家の長男に生まれ、物心着いた時から農作業を見続けてきた静夫にとって、富んだ収穫は何よりの喜びであった。
 広い田畑に囲まれた生活を静夫は大層気に入っていた。
 ――シュッ!
 静夫の視界を何かがよぎったのは、彼が畦道から広い農道に乗り上がろうとした時だった。
 暗闇のせいでよく見えなかったが、確かに何かが目の前を通り過ぎて行ったのだ。
 静夫は動きを止めた。ゆっくりと周囲を見回す。
 視線は、今し方歩いてきた畦道に戻された。
 夜の闇の中に、青白い光が浮遊していた。
 それは、静夫の目の前で二つに分裂し、更には四つに増殖した。

 鬼火だ。

「……不吉だな」
 特別驚くわけでもなく、静夫は忌々しげに顔を顰めた。
 鬼火を見るのは、これが初めてのことではない。湿度の高い水田近くでは時折起こる現象だった。
 静夫が芳しくない表情を湛えたのは、決して恐怖のためではない。『鬼火が出ると不作になる』と、昔から父親に言い聞かせられてきたからだ。
 静夫は、鬼火に背を向けるようにして農道に足を踏み込ませた。
 瞬時、ゾクリと背筋に悪寒を感じて、慌てて振り返る。
 空気が微妙に変化していた。
 凍て付くような冷気が、鬼火の辺りに漂っている。その一角だけ、闇が濃くなったようにさえ感じられる。闇が凝縮されているのだ。
 静夫は声もなくポカンと口を開いた。
 目前の光景が信じられない。
 恐怖に足が竦み、動けない。
 暗黒の闇が何かを形取りながら、静夫へと接近してくる。意志を持って動いていた。
 蠢く闇――その周りを鬼火が飛んでいる。
 闇は、獣の形をしているようだった。
 禍々しい赤い目の、額に角の生えた奇妙な獣。
 獰猛な獣の眼差しが静夫を射た。
 顔が強張る。紛れもない戦慄のためだ。
「……ああっ……うっ……!」
 静夫の口から情けない呻きが洩れる。
 この異様な事態に際してどう対処すべきなのか、彼には全く判断がつかなかったのだ。
 開きっぱなしの口に、ザワザワと波立つ闇が飛び込んでくる。闇の獣が体内に侵入した。
 ドクンッ!
 心臓が跳ねる。
 ドク、ドク、ドクンッッ!
 心臓が膨脹し、一気に破裂するのを感じた。
 一瞬、何もかもが無になる。
 全身の力、そして感覚が抜け出てゆく。

『鬼火を見たら、御方様(おかたさま)に祈れ。さもなければ、鬼神(おにがみ)に喰われるぞ』

 心臓が破裂する寸前、静夫は父から聞いたもう一つの言い伝えを思い出した。
 だが、時既に遅し。
 
 闇の中に、無数の鬼火が揺らめく――


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2009.07.22 / Top↑
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