ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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 夜の静けさが全てを包み込んでいる。
 隣家の騒めきも、騒々しい自動車や電車の音も届かない。
 志木柾士は、祖母と共にお茶を啜りながら、完璧に近い静寂に感謝していた。
 この閑静な田園地帯には、自分を責め立てるものは何もない。
 母方の祖母・武村一乃は、今年七十二歳。一戸建ての平屋に一人で住んでいる。
 その隣には近代的な二階建ての家があり、一乃の長男・勝彦の一家が生活を営んでいた。
 柾士と一乃は勝彦の家で夕食をご馳走になった後、この家へと戻ってきた。テーブルを挟んで向かい合いながら、お茶を飲んでいる。特別な会話はなかった。
 それが、また有り難い。
 一乃は決して『何があった?』とは訊かないし、柾士も『手首を掻き切った《彼女》』のことなど口にしたくはなかった……。

『ごめんなさい、柾士』

 そう言って、一人で別世界へと旅立っていった彼女の残像が、脳裏に浮かぶ。
 手首から真っ赤な液体を流しながら微笑む彼女。
 その姿が、チラリと心の目に映し出される。
 柾士は心の深淵に潜む幻影を払い落とすように、立ち上がった。
 空になった湯飲みに新たな茶を注いでこようと、茶の間と続きの台所へと向かう。
 ニャア、と可愛らしい声を出しながら、猫のユキが後をついてきた。その名の通り、真っ白な子猫だ。
 急須を手にしたところで、柾士は『おや?』と動きを止めた。窓の外をしげしげと眺める。
 眩い光がキラキラと輝いているのだ。
 幾多もの人工的な照明が、外界を照らしている。
 ――あの辺りは森ではなかっただろうか?
 柾士の記憶の中では、そこは八百メートル四方の森だった。
 確か、その森の左側にもう一つ――巨大な森から切り離されたようにポツンと小さな森が存在しているはずだ。それは、土地唯一の社――『神楽宮神社』の境内だ。だが、神社の灯りがこんなに明るいはずがない。柾士が目にしているのは、紛れもなく広大な森から洩れる灯りだった。
 昼間は気づかなかったが、森の中心部には巨大な家屋が構えられていた。
 五年前に遊びに来た時には只の森だったのに、現在は誰かが住んでいるらしい。
「おばーちゃん。あそこ、誰が住んでるの?」
 柾士は疑問をそのまま口にした。
「御方様(おかたさま)が住んでるんじゃよ」
 一乃が誇らしげに言う。
 柾士は僅かに首を傾げた。
『御方様』という単語の意味を思い出すのに、しばし時間を要したのだ。
「御方様? ――あっ、ああ、冷泉(れいぜい)さんちね」
 ポットのお湯を急須に注ぎ、一人頷く。
 この神楽宮で『御方様』というのは、冷泉家の当主のことを指す。

 室町時代――屯田兵による開拓が始まる遙か以前に、本州の何処からこの地にやってきた冷泉一族。
 その歴史は、一千年以上昔に溯ることができるという、名だたる旧家だ。

 土地の者が冷泉の当主を『御方様』と呼ぶのは、名家の主だからだというだけではない。
 冷泉の血を引く者には不思議な能力が備わっている、と伝えられるからだ。魑魅魍魎・物の怪など、古くから人間を脅かしている特異な存在を打ち倒すための稀有な力があるというのだ。当主は一族の中でも類い稀な力の持ち主であり、土地の者は憑き物や厄災に苦しめられると、必ず助けを求める。すると不思議と憑き物は落ち、災いは祓われるのだ。
 神楽宮では『冷泉様がいるから土地は安泰している』と信じ、崇められている。
 冷泉家は土地の守り神であり、故にその主は『御方様』『鎮守様』と敬称されているのだった。
 柾士は幼い頃、よく一乃の家に遊びに来ていた。その度に『御方様』の話を聞かされたので、土地の者でもないのに今でもしっかりと冷泉に纏わる伝承を覚えている。
 近代的な時代となった今では、冷泉家に纏わる伝承は一乃のような歳を経た者しか信じなくなっている。
 だが、古き名家・冷泉に対する称讃と畏敬の念は薄れてはいなかった。その真の意味こそ知らないが、人々は尊敬を込めて冷泉の当主を『御方様』と呼ぶのである。
「何で、うちの近くに引っ越してきたの?」
 その場で煎れたばかりのお茶を一口飲んでから、柾士は質問を続ける。
 冷泉家は、ここから二キロばかり離れた国道沿いに巨大な屋敷を構えていたはずだ。
「二年前に先の御方様が亡くなって、御子息様が後を継いでなぁ……。新しい御方様が昔のお屋敷を親戚の者に預け、うちの隣に新たなお屋敷を建てたというわけじゃ」
「へえ、代替りしてたんだ」
 柾士は初めて知る事実に妙に感心しながら、茶の間へと戻った。その後ろを、チョコチョコとユキが付いて歩く。柾士が座ると、ユキはその膝の上で丸くなった。
「今の御方様って、どんな人?」
「当代様か? お若い方でな。まだ十九ではなかったかな? それはもう、神の化身のようにお美しい方じゃ――わしらとは違う世界の人間じゃよ」
「ふ~ん。そんなに綺麗なんだ」
 一乃の絶賛振りに軽く相槌を打ち、湯飲みに口をつける。
 転瞬、膝の上のユキがピクリと耳を立てた。素早く柾士の膝から飛び降りる。
 フーッッッ!
 ユキの喉から威嚇するような声が吐き出された。
 尻尾がピンと立ち上がり、全身の毛が逆立っている。
「――ユキ?」
 柾士は、子猫の突然の豹変に驚きながら小首を傾げる。
 緊張と警戒を漲らせたユキの目は、茶の間の大きな窓へと向けられている。
「何かいるのかな?」
 カーテンの閉められている窓とユキに視線を流してから、柾士は腰を上げた。窓際に移動し、カーテンに手を触れる。
 フゥーッッッ!
 ユキが更に凄まじく唸る。
 柾士は一瞬伸ばした手を引っ込めたが、思い直してカーテンを握る。ガバッと勢いよく引き開けた。
 夜の闇と点在する民家の灯りしか見えない。
 何も異常は感じられない。ごく普通の夜の光景だ。
「何だ。何もいないじゃ……ない――」
 言いかけて、柾士は途中で言葉を切った。
 自然と顔が強張る。
 突如として、夜の闇に不思議な光が出没したのだ。
 遠くに、青白い炎のような発光体が次々と浮かび上がる。
 一つ、二つ……と奇妙な光は徐々に数を増してゆく。
 ユラユラと揺れる青白い炎。それが無数に立ち並び、闇を照らし出している。
 暗暗とした夜に浮遊する数多の怪火。
 ――葬列のようだ。
「おばーちゃん、あれは!?」
 ゴクリと唾を呑み込みながら、一乃を振り返った。
 一乃も自分同様、驚いているものと思ったのだ。だが、彼女は至って冷静だった。皺の多い顔は平静さを保っている。
「……《狐の嫁入り》じゃな」
「えっ?」
 耳慣れぬ言葉に目をしばたたかせた時、玄関のドアが開閉する激しい音が聞こえた。
「柾士おにーちゃん、見て見て! 《狐の嫁入り》よ!」
 バタバタバタッという慌ただしい足音と共に、髪の長い少女が茶の間に飛び込んでくる。
 隣の勝彦の一人娘――美弥(みや)。柾士にとっては従妹に当たる少女だ。
「……なんだ。もう見てるの?」
 柾士がカーテンを開けているのに気づき、美弥がつまらなそうに呟く。
 美弥の顔にも、一乃と同じく驚いている様子は見受けられなかった。あの不気味な炎の連なりは特別珍しくもなく、奇怪でもないらしい。
「《狐の嫁入り》って、何?」
 訳が解らずに、柾士は茫然と尋ねた。
「ここら辺の田舎ではたまに出よる。嫁入り行列に見えるじゃろう?」
 一乃はその場に座ったまま、じっと遠くの不可思議な炎を見つめていた。
 青白い怪火の群れ――妖しくも美しい行列は、確かに華やかな嫁入りを連想させる。
「《狐の嫁入り》は、誰かが死んだ時に出よる鬼火じゃよ。……誰か、死んだかのう?」
 心配そうに一乃が呟く。
 柾士は、揺らめく青白い鬼火の群れから視線を逸らせなかった――



     「二.邂逅」へ続く



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2009.07.22 / Top↑
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