ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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 A市繁華街に聳える高層マンションの一室で、由羅(ゆら)は窓外を眺めていた。
 窓に映る自分の顔は硬く強張っている。
「ボクは……絶対に赦さない」
 低く呟き、唇を引き結ぶ。
 挑むような眼差しで外界を睥睨した時、ザラリとした舌の感触を左手に感じた。
 ゆっくりと視線を下げる。
 垂らした左手からは血が溢れ出ていた。先刻、刀で斬り付けられた時に生じた傷だ。その傷口を、漆黒の獣――閻羅(えんら)が心配そうに舌で舐めているのだ。
「大丈夫だよ、閻羅。すぐに治るから」
 表情を和らげ、優しい声音で告げる。
 微笑を浮かべ、脇にあるベッドに腰を下ろした。
「あの人、同じ匂いがした。ボクと同じ……」
 由羅の脳裏を、美しい日本刀を手にした青年の姿がよぎる。
 自分と同じ波動を感じた。ある種の人間を超越した存在――自分と同類。
 彼もきっと、その事実に気づいただろう。
「あの人、一体誰なんだろう?」
 由羅は名も知らぬ青年に想いを馳せながら、閻羅に語りかける。
 無意識に閻羅へと手が伸びた。愛しげに背を撫で、角に触れる。
「おまえの《神》の名残りは、この角だけ」
 フッ、と由羅の顔に翳りが射す。
 それは自嘲の笑みと相俟って顔中に広がった。
「ボクが堕ちれば堕ちた分だけ、おまえも変わってしまう。この目は澄んだブルーだったのに。この身体は輝く銀だったのに――」
 由羅は自分の左手を舐め続ける閻羅の首を右手だけで抱き寄せ、頬を擦り寄せた。
 閉じた瞼の裏に、雄々しく崇高な獣の姿が甦る。
 明澄な碧玉の瞳に、光を放つ銀糸の体毛――美しく気高い聖獣。それが今では、血と闇に彩られている。唯一、銀の角を残して……。
 全て自分のせいだ。
 この獣は、自分の心を映す鏡なのだから。
「ボクはどこまで堕落するのだろうね?」
 閻羅に頬擦りながら独り言ちる。
 不意に、その顔が閻羅から離された。
 部屋のドアを見つめ、忌々しげに眉根を寄せる。
「九鬼(くき)が来る。閻羅、ボクの中へお還り」
 由羅は、閻羅に向けて右の掌を差し出した。閻羅の顔が掌に接近する。転瞬、閻羅は吸い込まれるようにして、由羅の手中に姿を消してしまったのである。
 ほぼ同時に、ドアがノックもなしに乱暴に開けられた。
「由羅! いるのか、由羅」
 唐突に、背の高い男が室内に入り込んでくる。
 獰猛さを孕んだ精悍な眼差しが、由羅を認め、鋭利に輝いた。
「何か用?」
 素っ気ない由羅の言葉に、男――九鬼の眉が勢いよく跳ね上がる。
「おまえ、廊下のあの血は何だっ?」
 九鬼は、床を踏みつけるようにして由羅に近寄ってくる。
「怪我しただけだよ」
 九鬼から目を逸らしながら応じる。
 すかさず九鬼の手が頭に伸ばされ、乱暴に髪を掴まれた。強引に顔が九鬼の方へ戻される。
「何処を怪我した?」
「さあ? 忘れた……」
「由羅っ!」
 九鬼の語気が荒々しくなる。
 探るような視線が唇に滑り落ち、その下――白い喉に留められた。
 不意に、由羅の喉元を見つめる双眼が熱っぽくなる。
 九鬼の双眸に情欲の影が走ったのを認識して、由羅は身体を強張らせた。不愉快さに顔をしかめ、慌てて九鬼の手を振り払う。
 だが、逆にその手は九鬼の腕に強く掴まれてしまった。九鬼の顔から欲情の念が消え失せ、代わりに怒りが表れる。
「――この手かっ!?」
 九鬼が血の流れる由羅の左手を強く握る。
「そのうち治るよ。痛いから放して」
「馬鹿、とっとと再生しろ! ――っと、いや……」
 怒鳴る九鬼の眼差しが、急にねっとりとしたものに変貌する。仄昏い残忍な光が、獣のような双眸に宿った。
「丁度いい。血に飢えていたところだ」
 言うなり、九鬼は片手一本で由羅の身体を腕に抱き込み、血の溢れ出す傷口に唇を這わせるのだ。最初は舌で血を舐め取り、それから口で傷口を覆い、本格的に吸い始める。
 血を啜る九鬼に、由羅は不快を隠しもせずに侮蔑の眼差しを注いだ。
 九鬼は本当に血液を吸っているのだ。その双眸が徐々に妖しく、禍々しく――血の色に変化する。
 ――魔性の眼だ。
 吸血という淫靡な行為に、九鬼の瞳は喜悦の輝きを灯している。対照的に由羅の顔は見る間に青ざめ、生気を失っていった。
「九鬼……くる……しい……」
 由羅の唇から苦痛の呻きが洩れる。
 それが九鬼の残虐心を煽ったのか、彼は傷口に歯を立てながら血を啜り上げるのだ。
 五分ほど吸血を味わった後、九鬼はようやく由羅の手から唇を離した。
 不思議なことに、由羅の怪我はうっすらと線を残しただけで完全に塞がっている。
「フンッ……まだ《あっち》の血が残ってるな。あれから、もう一年も経つのに」
 口の周りにこびりついた血を舌で舐め取りながら、九鬼が蔑むように由羅を見下ろす。
「まっ、オレの血で完全に浄化してやるよ」
 不敵に笑い、九鬼はグッタリとしている由羅をベッドに横たえた。
「やめっ……ボクに……触るな……」
 由羅は弱々しく九鬼を睨めつける。
「おまえ、最近、冷泉の周りをウロついてるんだってな?」
 九鬼が由羅の頬を右手で愛撫しながら、問いかけてくる。
『冷泉』という言葉に、由羅の身体は自然と反応を示し、大きく震えた。それを見て、九鬼がクックッと嫌な冷笑を放つ。
「やっぱりな。昔の仲間が恋しくなったか? おまえは、元々《あちら側》の陣営だからな。懐かしいか、冷泉が――?」
「……華瑤鬼(かようき)のためだよ」
「本当に、華瑤鬼妃様のためだけならいいけどな。今更、戻りたいとは考えるなよ」
 九鬼が由羅の咽喉をくすぐっていた右手を引き、左の手首に当てる。
「冷泉のことなど忘れろ」
 ギラッ、と九鬼の眼が血走る。嫉妬という炎が一気に燃え上がった。
 同時に、九鬼の爪が自らの手首を裂く。鮮血が滴り始めた手首を、彼は由羅の口許へ寄せた。
「呑め」
 端的な命令に、由羅は拒絶するように首を横に振った。唇は、九鬼の血を決して呑むまい、と堅く結ばれている。
「どうした、オレの言うことが聞けないのか? 誰が、おまえを冷泉から匿ってやってるんだ?」
 九鬼の手が、由羅の顎を強く押さえつける。
「誰が、あっちの人間だったおまえをこっちの仲間にしてやったんだ?」
 囁くような九鬼の言葉が抗う気力を削いだ。
 由羅は諦観し、ゆっくりと唇を開いた。
「いい子だ」
 口内に流れ込んでくる血液を由羅は不承不承に飲み込んだ。
 奪われた血が還ってくる。
 ――嫌な儀式だ。
 由羅は自らの行為を嫌悪した。
 こうして、自分の体内の血液は入れ換えられてゆくのだ。
 残り僅かな《聖なる血》が、全て失われる日も近いだろう。
 自分が別の《何か》に変わってゆく――もう、引き返すことのできない領域まで達している。
 ――後戻りはできない。
 己に言い聞かせ、由羅は九鬼の血を咽喉の奥に流し込んだ。
 魔性の血が全身に浸透してゆくのを感じながら、由羅は心中で切なく呟いた。
 安芸、と――


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2009.07.23 / Top↑
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