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ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です
Thu
2009.07.23[21:19]
     *


 夜の静謐な空気が、世界を包み込んでいる。
 田舎ならではの静けさが、志木柾士と客人の上にも降り注いでいた。
 柾士は、客間に敷かれた布団の上に座している。
 その正面には客人――有馬美人の姿があった。
 美人は幾分顔を俯けて、隣の布団の上にきっちりと正座している。
 街へ向かう電車やバスは疾うに絶えている。美人の話を聞くために、柾士は彼を祖母の家へと連れ帰ってきたのだった。
 交代で風呂に入り、今に至るのだが、長い沈黙が二人の間を浮遊していた。
「どうして、何も訊かないんです?」
 不意に、美人の声がその沈黙を打ち破った。
「えっ? あの……その……」
「僕に訊きたいことがあるんでしょう?」
「いやっ……だから、その――何から訊いていいのか解らなくて……」
「何から訊きたいんですか?」
 しどろもどろに応じると、逆に美人に切り返された。美人の顔に微笑が浮かぶ。柾士の慌てぶりを面白がっているようであった。
「えー、えーっと……どうしよう? とりあえず有馬くん、君、幾つなの?」
『当たり障りないことから』と考え、柾士は本題から程遠い質問を繰り出した。その問いが間抜けすぎたのか、それは美人の更なる笑みを誘ったようだった。
「二十三ですよ。志木さんは?」
「オ、オレ? オレは二十五だけど……」
 笑いながら応じる美人に、柾士も慌てて言葉を返す。
「そうなんですか。外見は少し若く――僕と同じくらいに見えますね」
「有馬くんが大人びてるんだよ」
「それは、褒め言葉としてとっておきますよ」
 美人が柔らかく微笑む。
「優しいんですね、志木さんは。僕に気を遣ってくれて……。本当に訊きたいことを言って下さい。さっきの出来事は、あなたには謎だらけでしょうから」
 美人が笑みを潜め、真摯な眼差しで柾士を見つめてくる。『隠す気はない』と、瞳が語っていた。その疑いようのない真っ直ぐな視線に、柾士は深く頷いた。
「じゃあ、そうだね……昨日のことから。ホントは街でオレが《見たもの》を、君も見てたんだろ?」
 柾士は、昨夕、A市の歩行者天国で見かけた少年の姿を思い出しながら問いかける。
 あの幽霊のような少年――おそらく、いや、間違いなく冷泉安芸だった。
 あれが安芸の生き霊なのかドッペルゲンガーなのかは知らないが、美人もその姿を見ていたことは確実なのだ。だから彼は、意味深な言葉を柾士に残したのだろう。
「それは、街角の少年のことですか?」
 美人の反問は、安芸を目撃していたことを暗に認めていた。
「やっぱり見てたんだね。どうしてあの時、否定したの?」
「その時は、まさか志木さんにまた逢うなんて思っていなかったですし……。それに、どうして僕に彼が視えたのかは解りませんよ。本当に偶然でしょうね。彼は、志木さんのことしか視ていませんでしたから」
「オレを見ていた?」
 柾士は小首を傾げる。確かに、幽霊めいた少年は自分をじっと見つめていた。
「ええ。彼は、志木さんだけを見つめていました。救いを求める眼差しで」
「救い……?」
 半ば茫然としながら言葉を復唱する。
 今朝出逢った、安芸の儚げな白い顔が脳裏をよぎる。心に傷を負っているという繊細な少年。その安芸が自分に救いを求めているというのだろうか? 《心の傷》を癒すために――
「――あの子には翼がない」
「えっ?」
 不意に、美人の言葉に思考を中断される。驚いて彼を見返した。
 翼がない――何を意味するのだろうか?
「翔ぶための翼がないんです。だから、あの子は羽ばたけずに、暗い闇の世界を彷徨っています」
「どういうこと?」
「詳しいことは僕にも解りません。ただ、あの子――大切な人に裏切られたような傷ついた瞳をしてたから……」
 美人が軽く目を伏せる。
 瞬間、ドクンッ、と唐突に胸が弾けた。
 裏切られた――その一言に心が痛みを発した。
 急激に目の前が朱色に染められる。
 深紅の世界に、一つだけ白い染みが浮き上がる。
 それは次第に大きくなり、白いワンピースを纏った《彼女》の姿になった。

 ――……なさい……ごめんなさい……。
《彼女》の赤い唇が、艶かしく動く。
 ――ごめんなさい……ごめんなさい、柾士。
《彼女》の双眸から涙が流れ落ちた。
 ――柾士……私、あなたを……。
 赤い空洞のような《彼女》の口腔。
《彼女》の白いワンピースの腹部が、徐々に血の華を咲かせる。
 ――私、あなたを裏切ったの。
 腹部の血は、あっという間に純白の衣服を紅色に染め上げる。
《彼女》の白い手首からは、血が滴っていた――

「志木さん。……志木さん?」
 遠くで美人の声がする。
「――あっ……」
 柾士はハッと我に返った。
 美人の心配そうな顔が、自分を覗き込んでいる。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ」
「あ、ああ……平気」
 慌てて返事をする。また《彼女》の幻影を視てしまったらしい……。
 ――《彼女》のことは考えるな。
 軽く頭を振り、彼女の幻を追いやる。
「そっか。有馬くんも彼を見てたんだね。よかった。オレだけじゃなくて。ここへ来てからおかしなことばかりだから、オレの頭、どうかしちゃったんじゃないかって気になってたんだ。有馬くんにも見えたってことは、オレ、異常じゃないってことだよね」
 その場を取り繕うように、柾士は矢継ぎ早に言葉を並べ立てた。そうでもしなければ、再び《彼女》が現れそうで怖かったのだ。
「異常といえば異常ですよ。さっきの出来事にショックも受けずに、現実として認めようとしている志木さんは」
 美人が、皮肉げな微笑みを唇の端に浮かべる。だが、笑みとは裏腹に口調は柾士を小馬鹿にするものではなく賛辞のようだった。
「そりゃあ、ビックリしたけど……。鬼火とか怪しげな少年とか、犬の化け物とか。でも、この目で見てしまったんだから信じるより他はないじゃないか」
「そうですね。その順応性に優れているところが、志木さんの長所なんでしょうね」
「君だって随分平然としてるじゃないか?」
「僕は――慣れてますから」
 微かな哀愁を漂わせ、美人が呟く。
「う、うん。そうみたいだね……。『鬼退治に来た』って、言ってたよね? それって、あの犬の化け物のこと?」
 柾士は自分を襲おうとしていた奇怪な獣の姿を胸に思い描き、僅かに身震いする。
 あれは――この世のものではなかった。
「いいえ。多分、元凶はあの少年ですよ」
「あの少年が?」
 柾士は、殺気に満ちた眼差しで冷泉家を睨んでいた少年を想起し、眉を顰める。
「はい。彼は魔性のものです。普通の人には解らないでしょうけど、この辺り一帯には不快な瘴気が漂っています。その源となっているのが彼です。ですが、あの子は――」
 何かを告げかけて、ふと美人が口を噤む。
 柾士が『何?』と瞼を瞬かせると、美人は表情を曇らせた。
「何でもないです。きっと、僕の杞憂ですよ」
 美人は曖昧に言葉を濁す。『だから、何が?』と口を開こうとした柾士を遮るように、美人は言葉を続けるのだ。
「いずれにせよ、僕はあの子を狩らなければなりません。それが、僕に架せられた使命ですから……」
「君のその指輪は、一体何なの? 『使命』って奴に関係あるのかな?」
 柾士は、美人の左の中指に嵌められている銀細工の指輪に視点を据えた。柾士の目前で日本刀から指輪へと変化した、妖しげな物体。今は、じっと目を凝らしてみても、何かのからくりがあるとは思えない、只の指輪だった。
「ああ。これの本来の姿は刀なんですよ。僕のお祖母様が《封魔師(ふうまし)》だったんです」
 美人は事もなげにサラリと言葉を紡ぐ。
「ふうまし?」
 柾士は二、三度瞬きを繰り返す。言葉の意味するところが解せなかった。初めて耳にする単語だ。
「『魔を封じる』と書くのですよ。封魔師とは、言葉のまま――魔物を封じる能力を持つ者のことです。魔物とは、簡単に言えば尋常の世界には存在しないはずの生物です。魔性のもの――吸血鬼とか狼男とかの類いだと思って下さい。さっきの鬼火を操る獣もそうですよ」
「ハハ……何だかオレには縁のないような世界だね」
 柾士は頬を引きつらせながら、空々しく笑ってみせる。
 ハイテク化の限りを尽くした現代社会の中で、今も尚そのような妖怪変化が跋扈しているのを想像するのは、物凄く困難だった。
「そうでもないんじゃないですか? 志木さんは、あの獣を認めたじゃありませんか?」
「――うっ。そうだったね……ハハハ……」
 美人に指摘されて、柾士は乾いた笑いを洩らす。自分は、あの獣や少年をしかと己の目で見定めているのだ。それは、変えようのない事実だった。
「そういったものを見極め、封印する能力が、お祖母様にはあったわけですよ。そして僕にもね。この指輪は、お祖母様が愛用していた《雷師(らいし)》と呼ばれる魔封じの剣です。霊力のある刀で、形見として僕が譲り受けたものなんです。物騒なので、普段は指輪の形にしていますけど」
 美人は、ヘマタイトの嵌め込まれた指輪を大事そうに指で撫でている。
「僕は祖母の遺志を受け継ぎ、魔封じを生業としています。魔性の気配を感じれば、それを手繰って全国を飛び回る――そんな如何わしい稼業ですけどね」
「で、今回は神楽宮が仕事場ってわけだ」
 柾士は納得したように大きく頷いた。
 美人に特殊な能力が備わっていることを、何故だか素直に受け止められた。美人の美貌は常識を逸脱している。《普通の人間》にしては、彼は美しすぎるのだ。美しさが、美人を一般世間から切り離している。そこまで考えて――
 ――誰かに似ている。
 柾士はある閃きに思い至った。
「魔物封じ――鬼退治ね。妖怪・物の怪・魑魅魍魎か……。解った! 冷泉の御方様に似てるんだ!」
「御方様? ――冷泉?」
 美人が怪訝な面持ちで、柾士を凝視する。
「そうそう。この土地の名旧家が冷泉さんちなんだけどね。その一族にも有馬くんと同じような不思議な力があるんだ。オレは実際に見たことはないけど、土地の人は未だに信じてるみたい。中でも、一族の当主――御方様の力は凄いんだってさ」
「冷泉、ね……。そういえば、ここは北海道でしたね」
 美人が意味深な言葉を洩らす。だが、美人と冷泉の意外な接点を見つけ、はしゃぐ柾士の耳に、その呟きは残らなかった。
「えっ? 何か言った、有馬くん?」
「……いいえ」
「ホラ。朝、有馬くんと森の近くで逢っただろ? その森の中の屋敷が冷泉さんちなんだ。オレ、御方様と知り合いになっちゃってね。明日、冷泉さんちに遊びに行こうと思ってるんだけど――有馬くんも一緒にどう?」
「僕は……遠慮しておきますよ」
 美人は柔らかく柾士の誘いを断る。
「そう? 何か、残念だな」
 柾士は心から残念そうに言葉を口に乗せる。単純な興味心から、柾士は冷泉家の人々と美人を引き合わせてみたかったのだ。
「すみません。また、別の機会にでも誘って下さい」
 穏やかな笑みを美顔に刻み、美人は布団に身を横たえた。
 毛布を肩まで引っ張り上げる美人を見て、柾士も釣られたように横になる。
「そういえば、有馬くんは街のホテルに泊まってるの?」
 唐突に、柾士は別の話を切り出した。
 美人が不思議そうに柾士の方へ首を傾ける。
「はい。そうですけれど」
「じゃあさ、そこ、チェックアウトして、明日からうちに泊まりなよ? ――って、おばーちゃんの家だけど……」
「えっ?」
 柾士の提案に、美人は益々怪訝そうな表情を作った。
「だってさ、有馬くんの捜している鬼もこの辺に出没するみたいだし。その方が君も動きやすいだろ?」
「……志木さんとお祖母様に迷惑をかけるわけにはいきません」
「大丈夫だって。うちのおばーちゃん、面食いなんだよ。有馬くんが居てくれると、すっごく喜ぶと思うんだ。それに――オレが有馬くんに居てほしかったりなんかして」
 柾士は自分で言った言葉に照れ、微かに顔を赤らめた。言葉に偽りはない。
 柾士は美人を気に入ってしまっていた。美人になら、自分の胸の裡を全て告白できるような気がするのだ。いつか《彼女》のことを美人に話してみたい。聞いてほしかった――自分の懺悔を。
「そう言ってもらえると、嬉しいですけれど」
 数秒の空白の後、美人から答が返ってくる。
「ホント? じゃあ、決まりだね」
 柾士は喜々として布団から飛び起きた。
 美人は一瞬呆気にとられたような表情を見せた。だが、それはすぐに姿を隠し、代わりに美しい微笑が刻まれる。
「とりあえず、これからよろしくお願いします」
「こっちこそ。――でも、神楽宮に来てから、ホントにビックリの連続だなぁ」
 柾士は美人に微笑み返してから、僅かばかり表情を曇らせた。
 昨日から、自分を取り巻く環境が著しく変化している。
 冷泉安芸の幽体。美人との出逢い。狐の嫁入り。吉野静夫の死。不可思議な歌を紡ぐ、従妹の美弥。冷泉家の御方様。その側遣えの櫻町公暁。鬼火を操る獣と少年。
 どれをとっても奇妙だった。
 そして、そのどれもが何かの前触れのようだった。
「きっと、この土地に漂う不穏な空気のせいですよ。信心深い土地だけに、霊気が研ぎ澄まされ――それ故、異なる《氣》の存在に人々は敏感になります。志木さんは特に感性が鋭いようですね。そのせいで、視なくてもいいような存在に遭遇してしまうのですよ。――強い魔性の気配を感じます。この先、何も起こらなければいいのですが……」
 美人が不安げに相槌を打つ。
 その言葉は、『必ず何かが起こる』ということを予測しているようでもあった。
 柾士は、無言で頷くことしかできなかった。柾士にも感じ取れるのだ。この土地の空気に混ざる異質なものを。
 嫌な予感――不自然に張り詰められた空気。
 それは、惨劇の兆しだった。



     「3.白日夢」へ続く



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