ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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三.白日夢



 朝の冴え冴えとした空気の中に、白い煙が燻っていた。
 志木柾士は、武村家の玄関先に腰を下ろし、細い糸のような紫煙をボンヤリと眺めていた。
 指に挟んでいる煙草の煙が、天高く昇っては消えてゆく。
 晴れた青空を見上げていると、昨夜の出来事が全て夢のように思えた。
 ――ガチャガチャ……バタンッ!
 唐突に隣の勝彦家のドアが開いたので、柾士は驚き、そちらへ視線を流した。
 すぐに、セーラー服が視界に飛び込んでくる。
 長い髪の少女が、スカートの裾を弾ませながら元気よく駆け寄ってくるところだった。
 勝彦の一人娘――従妹の美弥だ。
「おっはよう、柾士おにーちゃんっ!」
「おはよう、美弥」
「玄関前で何してるの?」
「タバコ吸ってただけ」
「あんまりタバコばっかり吸ってると、肺癌になっちゃうよ!」
 美弥は柾士と煙草を見比べながら唇を尖らせる。
「なんないよ。それより、美弥――遅刻じゃないのか?」
 柾士は煙草の火を消しながら、怪訝そうに美弥を見上げた。
 既に時刻は九時を回っている。完全に遅刻だ。
「エヘヘ。寝坊しちゃった」
 はぐらかすように笑って、美弥はペロッと舌を出す。
「じゃ、さっさと行けよ」
「いいの。もう、遅刻してんだから! どうせなら、ゆっくり行くわよ」
「悠長なこと言ってないで、自転車、持ってこいよ。道路まで一緒に出てやるから」
 呆れた眼差しで美弥を一瞥し、柾士は立ち上がった。
 途端、美弥の不思議そうな眼差しが柾士に注がれる。
「一緒に――って、どっか行くの?」
「ああ。散歩がてらに冷泉さんちに行ってこようと思ってね」
「えっ? 安芸くんち!?」
 美弥が大仰に目を丸める。
 そのリアクションに柾士は『おっ?』と眉をひそめた。美弥の口から安芸の名前が出てきたことが意外だったのだ。
「安芸くんのこと知ってるのか?」
「知ってるも何も、美弥、同級生だもん! 去年まで一緒に中学校行ってたんだよ!」
「なるほど。安芸くん、美弥と同じ歳かぁ」
 柾士は安芸の日本人形のような顔を頭に思い描きながら、相槌を打つ。確かに、安芸と美弥は同じ年頃のように見える。二人が同級生でも、何ら不思議はなかった。
「そうなのよ。――あっ、美弥、自転車取ってくるね!」
 美弥は素早く勝彦家の玄関先まで戻り、手押しで自転車を運んできた。
 それを契機に、二人並んで歩き始める。
「そうだ。安芸くんに『今年の誕生日にはちゃんと美弥も呼んでね』って、伝えておいてね」
 美弥が鬱蒼と生い茂る冷泉家の森に視線を当て、思い出したように呟く。
「誕生日?」
「うん。明後日、安芸くんの誕生日なの。毎年、美弥のこと招待してくれてたんだけどね……去年、大切な用事があるからって、ダメになっちゃったの。だから、今年は絶対に呼んでね、って……。安芸くん、去年の今頃から体調悪くしちゃって――美弥、あんまり安芸くんに逢ってないのよね」
 美弥の明るい表情が一瞬にして翳る。
 柾士は、気遣わしげに美弥を見下ろした。
 美弥の言葉から察するに、安芸が《心の傷》を負ったのは丁度一年前のことらしい。
 美弥なら、その原因を知っているのかもしれない。だが、それを尋ねるのは憚られた。美弥を傷付けてしまうような気がしたのだ。
「ちゃんと伝えておくよ。――もしかして、おまえ……安芸くんのこと、好きなのか?」
 特別な意味合いなど無かったのだが、柾士は思わずそんなことを訊いてしまった。
 唐突な柾士の問いに、美弥が微笑む。
「うん。安芸くん、好きよ! 柾士おにーちゃんもね! 美弥、ちっちゃい頃は、安芸くんか柾士おにーちゃんのお嫁さんになるって決めてたもんっ!」
「そりゃあ、光栄だな。あっ、でも、『ちっちゃい頃は』ってことは、今は違うのか?」
「フフン。秘密だよ。柾士おにーちゃんこそ、由香里さん、どーしたの?」
 美弥が得意気に柾士を見上げ、その背中を軽く叩く。
 瞬時、柾士は硬直した。
 美弥の一言が、ザックリと胸を抉ったのだ。
 まさか、美弥の口から《彼女》の名前が吐き出されるとは……。
 美弥が《彼女》を知っているのを失念していた。柾士自身が、電話で何度か《彼女》のことを美弥に教えていたというのに……。
 急激に、目の前が朱に染まる――
 今にも『私はここよ』と微笑みながら《彼女》が現れそうだった。
「柾士おにーちゃん?」
 美弥の声がすぐ傍で聞こえる。
「――あっ……! ああ、何でもない……」
 柾士は、赤い幻影を払拭するように激しく首を振った。
 ゆっくりと自我が戻ってくる。
「変なおにーちゃん? 由香里さんとうまくいってるの?」
「……もちろん」
 ――嘘を吐いた。
 引きつった笑みを浮かべているのを自覚したが、幸いなことに美弥はそんなことなど気にも留めていない様子だ。
「美弥こそ、さっき『秘密』とか言ってたけど、好きな奴でもできたのか? まっ、美弥みたいなじゃじゃ馬には、恋愛なんてまだまだ早いけどな」
 わざとからかうような口調で話を切り替え、美弥の顔を覗き込む。
「失礼ね! 美弥だって、いつまでも子供じゃないんだからね! 好きな人ぐらい、ちゃんといるわよっ!」
 瞬く間に、美弥の頬がプウッと膨らむ。薄紅色の頬が妙に可愛らしかった。
 美弥は、柾士自慢の従妹だ。
 昔から利発的で頭が良く、おまけに顔立ちも整っている。『才色兼備とは、こういうのを言うんだな』と、美弥を見る度に感心させられるのだ。
「おっ! 美弥にもやっと恋の季節がやってきたか! ――で、どんな奴だよ?」
 興味を引かれて、柾士はニヤニヤ笑いながら美弥に問い掛けた。
「教えなーい!」
 美弥がプイッとソッポを向く。
「何だよ、教えてくれたっていいだろ?」
 柾士が食い下がると、美弥はまだ赤味の射している愛らしい顔を柾士の方へと戻した。
「写真あるけど――見る?」
 口許に微笑を浮かべる、その顔が――美しかった。《女》という艶やかな華が咲いていた。
『いつの間に、こんなに綺麗になったんだろう?』と、従妹の成長を喜ばしく思いながら柾士は力強く頷いた。
「見る、見る! 早く見せろよ!」
「じゃ、ちょっとだけね」
 美弥はまんざらでもなさそうに笑み、鞄の中からパスケースを取り出した。
 青い革のパスケースを開くと、すぐに写真が現れる。
 その写真を一目見て、柾士は言葉を失った。
 濃紺のブレザーを着た少年が笑っている。
 その少年に、柾士は逢ったことがあった――昨夜、得体の知れない獣を連れていた少年だ。
 思わぬ偶然に驚き、柾士は写真を鋭く凝視した。
「何よ? そんなに、じーっと見つめちゃって? ――ハイ、もうおしまい!」
 目の前でパスケースが閉じられる。
 美弥は、宝物を取られまいとするように素早く鞄に定期ケースをしまい込んでしまうのだ。
「今のが……美弥の好きな奴?」
 茫然と呟く。
 何かが、物凄くショックだった。
 第六感が警戒音を発していた。
「そうよ」
 美弥が臆した様子もなく答える。
 直後、彼女は照れ隠しのように空を見上げた。
「あ~あ、晴れてるのに、何かヤな感じ。こんなに明るいのに、暗く感じない?」
 美弥は太陽の方に手を翳して、指の隙間から洩れる光に目を細めている。
「……ああ。彼――何て名前?」
 気の無い返事をして、柾士はゆるりと美弥へ視線を投げた。
「え? 由羅よ。ユ・ラ。美弥の大好きな由羅くん!」
 美弥は恋する者の瞳で愛しげに少年の名を口にする。
「そいつ、何者?」
 柾士は猜疑たっぷりの声音で訊ねる。
 あの不可思議な少年の正体を知りたいと思った。
「何者って……? 美弥の好きな人。それだけよ。もう、いなくなっちゃったけどね……」
 不意に、美弥の顔が苦々しく歪む。
「いなくなった? それって、どういう――」
「そろそろ学校に行かなきゃ!」
 柾士の追随を拒むように、美弥は柾士の言葉を遮った。
 助走をつけて愛用の自転車に軽々と飛び乗る。
「由羅くん、去年まで安芸くんちにいたの」
 美弥が漕ぎ出した自転車の上で柾士を振り返る。
「えっ? ちょっと、何だよ、それっ!?」
 自転車で軽快に一般道に飛び出した美弥を、柾士は慌てて追いかけた。
「オイ、美弥っ! 待てって!」
「帰ってきたら話すわよ! それまで待ち切れなかったら――安芸くんち行くんだから、公暁さんにでも訊いてよねっ!」
 美弥が振り向かずに声を張り上げた。
 緩やかな坂道を物凄いスピードで自転車が走ってゆく。美弥の後ろ姿は、遠くなる一方だった。
 柾士は美弥を引き止めるのを諦め、その場に立ち竦んだ。
 美弥の姿が完全に視界から消えた頃、ようやく冷泉家へ赴くために身体を反転させる。
 一歩踏み出したところで、柾士はふと空を見上げた。

 美弥の言う通り、神楽宮周辺は晴れているのに――暗かった……。


     *



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2009.07.24 / Top↑
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