ファンタジー&ジュヴナイルを中心とした自作小説です

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『安芸くん! 安芸くん!』
 現実の世で、誰かが自分を呼んでいる。
 安芸は、血の池に足首まで浸しながら遠くの声を聞いていた。
 目の前では相変わらず白い手が自分を招いている。

 ――おいで、安芸。

 彼の声が聞こえる。
 大好きな彼が、自分を求めている。
 安芸はその誘惑に負け、止めていた足を一歩動かした。

 ――大好きだよ、安芸。

 白い手が安芸の足首を掴む。

 ――大好きだよ……だから、死んでくれ!

 自分の足首を掴む手の力が急激に強くなったのを感じ、安芸は驚きに目を瞠った。

 ――殺してやる……殺してやる、安芸!

 血まみれの彼が自分を睨み上げていた。
 殺意と憎悪を秘めた二つの目で。
 ――いやだ……!
 安芸は懸命に足を引っ張り上げようとした。
 だが、白い手の力は予想以上に強靱で、微動だにしない。

『安芸くん! 安芸くん!』
 また、別の世界から声が届いた。
 ――いやだ! 僕は……僕は……!
 安芸は血の池の中で腕から逃れようと必死にもがいた。
『安芸くん!』
 誰かが自分を呼ぶ――優しい声で。妙に懐かしく、温かい声音だ。
 ――僕は……怖い。だけど、いつまでも逃げてばかりじゃダメなんだ!
 安芸は心中で叫んだ。
 刹那、思い出した。
『安芸くん!』
 そう呼ぶのが、誰なのか。
 夢の世界で、声の主に出逢った記憶が甦る。
 そうだ。自分は見付けたのだ。
 自分の心を救ってくれる、大切な存在を。
『安芸くん! 安芸くん!』
 自分を深き闇から解き放ってくれようとしている声が聞こえる。
 ――僕に翼があれば……。
 静かに、自分の足首を掴む腕を見下ろす。
 ――この背に翼が戻れば……愛する人が言う『あの日』に還れるだろうか?
 必死に自分の足に縋り付く白い手を見つめ、痛ましげに目を細める。
 ――僕に、翼があれば……!
 噎せ返るような血の匂いを振り切るように、安芸は白い手から視線を引き剥がした。
 ――痛くない、痛くない。
 言葉を繰り返しながら己が額に手を当てる。
 手を引くと、額の中から刃物が現れた。
 三つ叉の変形小刀――中央の刃が一際長い《筆架叉(ひっかさ)》と呼ばれる特殊な武器だ。
 本来、筆架叉は打撃や突きに使用する武器であり、刃は付いていない。だが、安芸の得物は、中央の棒――叉心が両刃となっていた。
 安芸は、この異形の刀を《流星華(るせいか)》と呼称していた。
《流星華》を手に取ると、安芸は鋭利な刃を自分の脹ら脛に押しつけた。
 ――痛くない。……痛くないよ、柾士!
 呪文のように呟きながら、渾身の力を込めて《流星華》の刃を一文字に引く。
 白い閃光が、空ごと肉を断つ。
 骨と肉が切断された感触があり――急激に、脹ら脛から下の足の重みが消失した。
 血飛沫が舞う。
 だが、痛みはなかった。
 身体が血の池に沈んでゆくが、最早それはどうでもいいことだった。
『安芸くん!』
 自分を呼ぶ声の方へ、安芸はゆっくりと首を巡らした。
 突如として、世界が眩く輝く。
 白熱の光世界の中、志木柾士の驚いた顔が見えた――


     *

 
「――安芸くんっ!?」
 地に伏した安芸の身体を、柾士は咄嗟に両腕に抱き上げていた。
「安芸くん?」
 身体を軽く揺すりながら名前を呼ぶが、応えはない。
「安芸様!?」
 公暁が安芸の顔を心配そうに覗き込む。
「安芸くん、大丈夫なの?」
 柾士は一度公暁と顔を見合わせてから、再び安芸に視線を戻した。転瞬――
「……ま……さ……し……」
 安芸の唇が微かに言葉を紡いだ。
「大丈夫。オレならここにいるよ」
「どうやら心配はなさそうですね」
 公暁がホッと安堵の吐息を洩らす。
 同時に、シャリン――と、緩んだ安芸の手から光るものが零れ落ちた。
 地面に落ちたものを公暁が拾い上げる。
 直後、公暁の双眼がスッと細められた。
「これは――《流星華》……。安芸様の神力が戻りつつある――」
 その呟きは小さく、柾士の耳には入らなかった。
 故に柾士は、公暁の手の中で《流星華》が淡い光と化して消滅したことにも全く気がつかなかった。
「安芸くん……」
 柾士はただ、腕の中の少年を限り無く優しく抱き締めていた。


     *



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2009.07.24 / Top↑
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